『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(7-最終回)▼

情報組織を運用するには経費を惜しむな

 『孫子』は戦いには金を惜しんではならないと次のように説いている。

「およそ師を興すこと十万、師を出すこと千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費やし、内外騒動して事を操(と)るを得ざる者、七十万家。相い守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛(おし)んで敵の情を知らざる者は不人 の至りなり。……故に明主・賢将の動きにて人に勝ち、成功の衆に出づる所以の者は先知 なり。先知は鬼神に取るべからず。事にかたどるべからず。度に験(もと)むべからず。必ず人に取りて、敵の情を知る者なり。

これを訳すると以下のとおりとなる。

戦争には莫大な国家予算がかかり、国民に犠牲を強いる非常事態を数年間も続けることになるが、勝敗は一日の決戦で決まる。こうした費用を出し惜しみせずして、初めて七十万の軍隊を動かすことができる。

情報を取るためのスパイの活用にお金を惜しむことは、戦いに負けて結果的に民衆を苦しめることなる。 それなのに金を使うのを惜しんで、敵に関するインテリジェンスを得ようとしないのは、まったく愚かなる行為である。

ゆえに、聡明な君主や賢い将軍が兵を動かせば、敵に勝ち、成功を得ることで衆人よりも優れているのは、間者を利用して先に知るからである。先知は、祈祷や占などではなく、かならず人によってこそ、敵情を知ることができる。

諜報員をもっとも優遇せよ

また、『孫子』は「故に三軍の事、間より親しきは莫(な)し賞は間より厚きは莫(な)し、事は間より密なるはなし」(用間編)と述べている。

これは、だから、君主や将軍は、全軍の中でも間者(スパイ)を最も親愛し、恩賞は間者に最も厚くし、仕事上の秘密は間者にもっとも厳しく守らせる、という意味である。

戦国武将の織田信長は諜報・謀略を重視した。彼の名を世に知らしめたのは、なんといっても今川義元との桶狭間の戦いにおける大勝利である。

この戦いでは、信長は、なかなか義元の現在地が掴めなかった。そこに、梁田政綱(やなだまさつな)から「義元、ただいま、田楽狭間に輿(こし)をとどめ、昼食中」との情報を越した。これにより、信長は義元を奇襲により討つことに成功した。

信長は、功名第一は梁田、第二は義元に一番槍をつけた服部小平太、第三は義元の首をとった毛利新助(義勝)とした。奇襲のお膳立てをした梁田の諜報・謀略を最も重視したのである。まさに信長は『孫子』を実践したのである。

インテリジェンスは金がかかる

諸外国は情報機関の運用に膨大な費用を掛けている。米国の国家情報機関の予算は500億ドル以上(5兆円以上)。現在のわが国の国家情報機関の費用に関する具体的な情報は不明であるが、おそらく米国とは比べようもない。

情報機関の運用には不透明性がつき物であり、使途不明金もある。エージェントの運用資金などの詳細を明らかにすることはできない。使途不明金は許されないからとして、インテリジェンスにかかる経費が切り詰められれば、「爵禄百金を愛(ほし)んで、敵の情を知らざる者は不人の至りなり」ということになりかねない。まずは国家指導者には「インテリジェンスには金がかかる」ことを認識していただきたい。  

旧軍においては明石元二郎大佐の工作活動に百万円の国家予算を充当して、自由に使わせた。明石大佐は地下組織のボスであるコンヤ・シリヤクスなどと連携し、豊富な資金を反ロシア勢力にばら撒き、反帝勢力を扇動し、日露戦争の勝利に貢献しようとした。

当時の国家予算が2億5000万であったことから、渡された工作資金は単純計算では現在の2000億円を越える額であった。明石の活動に国家的支持が与えられていたことがうかがえる。

翻って、今日はわが国はどうだろうか? 十分に情報活動に経費を配当しているだろうか?情報活動に経費を配当し、情報要員を重視しているだろうか?

昭和期の日本軍において作戦重視、情報軽視の風潮が蔓延していたという。現在の自衛隊においてもしかりである。このことを深く認識しているようには思われない。

さいごに 

『孫子』が最も強調する点は「勝算もないのに戦うな」ということ、すなわち「戦わずして勝つ」ことである。このための不可欠な要素がインテリジェンスである。

インテリジェンスの役割は無用な争い回避する、あるいは「戦わずして勝つ」ことに寄与すること。つまり、相手国の意図、彼我の能力、環境条件などを把握し、外交によって相手国の譲歩を引き出すための条件を作為することである。

歴史に「仮に」ということはタブーであるが、先の大戦では旧軍が『孫子』を忠実に守り、インテリジェンスを軽視しなければ、敗戦を回避できたかもしれない。すなわち「五事七計」に基づいて、彼我の戦力分析を行えば、無用な戦争はしなかったかもしれない。

日清・日露戦争における勝利以後、わが国では攻勢・攻撃精神が強調され、インテリジェンス軽視という風潮が生起した。日清・日露戦争後の1907年の『国防方針』『用兵綱領』では「攻勢を本領」と確定し、かつ、1909年の『歩兵操典』においても攻撃精神が強調された。

こうした風潮のなかで『孫子』の解釈にも変化が生じたとして、大阪大学・大学院教授・湯浅邦弘氏は以下のように述べる。

「昭和初期から『孫子』を超えた『孫子』解釈が進められ、軍国日本が『孫子』に決別を告げた。……徹底した合理主義に貫かれた『孫子』を曲解し、誤読し、また無視しつつ、精神主義偏重の気風の中で『孫子』の名だけが担がれた。……『孫子』の「君命も受けざるところあり」(九変)が綱領や操典が記す独断専行の肯定に使われ、現実の旧軍の行動に則さない『孫子』の条文は部分否定された」と(湯浅『軍国日本と「孫子」』)。

さらに湯浅氏は、『昭和天皇独自録』から、昭和天皇の戦争分析、「大東亜戦争の遠因」の第一に「兵法の研究が不十分であった事、即(すなわち)、孫子の敵を知り、己を知らねば、百戦危(あや)うからずという根本原理を体得していなかったこと」をあげている。

兵法はその時代、時代に応じた解釈があってしかりであり、また実情に則して応用する必要がある。兵法をビジネスの世界に生かすことも大いに結構であろう。

しかし、必要なことは『孫子』の最大の本質は何かということである。すなわち、本質は「戦わずして勝つ」、次いで「勝ち易きに勝つ」ということであり、そのためにインテリジェンスを重視せよ、インテリジェンスにかかる経費を惜しむなということなのである。インテリジェンスを志す有為な諸氏には、是非このことを肝に銘じてほしい。

以上、『孫子』から、インテリジェンス関連の記述を抜粋しつつ、若干の解説を加えておいた。皆様におかれては、これ以外にも『孫子』からインテリジェンスに関する多くの知見を得ることができると思う。(了)

『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(6)

防諜の重要性

カウンター・インテリジェンスは対情報などと翻訳されるが、いまだわが国には定着していない。しかし、旧軍では防諜という用語があり、これがカウンターインテリジェンスの実態とほぼ同様なので、以下、防諜と呼ぶことにする。

防諜は相手国の情報機関による情報活動や各種工作から我の情報機関の要員や情報活動を防護するため、非公然な活動も含む組織的かつ積極的な活動である。旧軍における防諜は、諜報、宣伝、謀略とともに秘密戦を成していた。そして、防諜には消極防諜と積極防諜があり、消極防諜が前回(5)で言及した情報保全として理解していただければ、ほぼ問題はない。

第十三編「用間」では反間(二重スパイ)を最も重視せよといっている。 なぜならば、すでに述べたとおり五間の情報源の糸口は必ず反間によって得られるからである。 しかし、反間を最大限に優遇しなければならないもっと大きな理由は、反間がカウンターインテリジェン、すなわち防諜の最大の武器だからある。

アレン・ダレスは「二重スパイは防諜の最も特徴的な道具である」と述べている。 相手国の情報機関から、水面下での諜報や秘密工作を受けている場合、我が組織を防護するためには受動・防勢的な情報保全だけでは不十分である。相手国スパイが所属している情報機関の組織、活動方法及び活動目標を能動的に解明し、相手国の情報組織を破砕する必要がある。つまり、能動的な対抗策、すなわち防諜が必要となる。

諸外国はいずれも防諜を重視し、そのための専門組織を持っている。いくら対外情報収集機能が優れていても、相手側のカウンターインテリジェンス機能が強力な場合、我の情報活動は成果を挙げられない。相手国の組織にスパイを潜入させても、防諜機関によってスパイ網が解明、摘発され、逆に偽情報によって我が組織は壊滅的打撃を被ることになるからである。

相手国が隠密裏に浸透させるスパイ網を摘発する基本は、わが組織に浸透した敵側のスパイを寝返らせ、わが組織にひっそりと蔓延するスパイ網の存在を暴露させることが基本である。すなわち、『孫子』のいう反間の運用がもっとも有用なのである。

ところで、不穏なスパイに遭遇した場合、故意か過失は問わず、インテリジェンスを漏洩したものに対してどのように遇すればよいのだろうか? 

これに関して、「用間」では「間事未だ発せざるに而も先ず聞こゆれば、其の間者と告ぐる所の者と、皆な死す」と説く。つまり、スパイを運用する諜報・謀略活動が、未だ外部に発覚するはずのない段階で、他の経路から耳に入ってきた場合に、そのスパイとインテリジェンスを伝達してきた者は死刑にすると述べているのである。この厳しい防諜体制があってこそ、組織が守ることができるのである。

先の「海軍乙事件」では、事情聴取後、福留参謀長がフィリピンの第二航空艦隊長官へ、山本中佐も連合艦隊主席参謀に栄転した。なお、この人事措置には、海軍が秘密漏洩の事実がなかったことを公式に表明する意味もあったとみられている。 『孫子』と対比するならば、当時の日本軍の寄り合い主義と情報管理の甘さは大いに責められるべきであろう。太平洋戦争敗因の大きな原因として、末長く後世の記憶に留めておく必要があるといえよう。

反間のさらなる活用が秘密工作(謀略)

秘密工作を情報活動の範疇に含めるべきではないという議論はある。しかし、それは無理なことである。秘密工作は情報機関による活動がエスカレートする過程で生まれてきたものだ。 

また秘密工作は非公然、水面下で行われるのが原則だから公式の政府機関や軍事機関は使えない。したがって、CIAやKGBの例をあげるまでもなく、各国においては情報機関がしばしば秘密工作を担ってきた。伝説の元CIA長官のアレン・ダレスは、「陰謀的秘密工作をやるには情報機関が最も理想的である」と述べている。(アレン・ダレス『諜報の技術』)

つまり、情報組織から秘密工作という活動を除外することは不可能である。

史上最大の欺瞞工作

陰謀的秘密工作の醍醐味は敵をまんまんと欺くことである。つまり、敵に誤判断や錯誤をもたらし、『孫子』がいうところの「戦わずして勝つ」「勝ち易きにして勝つ」ということである。

この欺瞞工作を最も得意としていたのが第二次世界大戦時のイギリスの首相、ウィストン・チャーチル(一八七四~一九六五)である。彼がおこなった欺瞞工作でもっとも有名なのが「ミンスミート作戦」(挽肉作戦の意味)である。

この作戦は、連合軍の真の上陸目標であるシチリア島からドイツ軍の関心を逸らすために、正体不明の死体をイギリス軍将校に偽装し、彼が不測の事故に遭遇したという体裁をとった。つまり、イギリス軍将校が重要な機密書類を携行して運ぶ途中に航空機事故にあったように見せかけたのである。

もちろん、この機密書類はまったくの偽物で、ドイツ軍の関心をシチリアからバルカン半島に向けさせるよう緻密に偽装した作戦計画であった。イギリスはこの死体を、偶然にドイツ軍が入手するように、スペインのウェルバ沖の海岸から放棄した。それにドイツ側がマンマとひっかり、防御正面の重点を誤ったのである。

さらにおおがかりな欺瞞工作の成功事例が「ダブルクロス作戦」である。この作戦を取り仕切ったのは「二〇委員会」という組織である。二〇をローマ数字にすれば、XXとなる。すなわちダブルクロスである。 この作戦は、ドイツ軍のスパイを二重スパイとして活用する、ドイツ軍の暗号を解読するなどして、ドイツ軍が連合国の計画を誤って解釈するよう仕組むものであった。

ダブルクロス作戦の最大の成果とされるのが、ノルマンディー上陸作戦(一九四四年六月)である。この作戦は簡単に言えば、ドイツ側に対し、連合国の上陸正面がノルマンディー海岸(ポーツマス対岸)ではなく、カレー海岸(ドーバーの対岸)であるかのように錯誤させるための欺瞞工作である。そのため、上陸部隊による陽動作戦のほか、ドイツ側から寝返った二重スパイによって、「本格的な攻撃はカレー正面に対して行われる」との偽情報をドイツ軍上層部に流し続けたのである。

大掛かりなダプロクロス作戦が最後まで気づかれなかったのは、イギリスがひそかに実施していた、ドイツ暗号の解読(「ウルトラ」作戦)の成果による。 イギリスはドイツ暗号を解読している事実を秘匿するために、決定的な影響を及ぼさないレベルでの作戦上のミスを意図的に行った。

また、二重スパイを介して、差し障りのない真実の情報をドイツ側に与え、スパイが寝返ったことを秘匿した。そして、ここぞとばかりに〝乾坤一擲〟の欺瞞工作に打って出たのである。

一方でイギリスは、二重スパイに転向することを承諾しない者は容赦なく処刑した。このようにイギリス側の欺瞞工作は、諜報、防諜と一体になって行われるということを物語っているのである。 なお、第二次世界大戦時におけるイギリス軍の欺瞞工作については、吉田一彦『騙し合いの戦争史 スパイから暗号解読まで』において詳述されている。

インテリジェンスとは、対象国の意図や能力を明らかにすることだと思っている傾向が強い。それは重要なことであるが、一部である。 とくに塀のなかの情報分析官は、学者や研究者のように対象国のオシントを中心に、卓越した語学力を駆使して、対象国の意図を解明したがる傾向にある。いや、解明した気になる。

しかし、歴史は、多くの情報分析が不可視的な意図を分析して失敗し、そり失敗の原因の大きな要因が相手側の欺瞞であっことはわかっている。 塀のなかにいる情報分析官も、世の中がスパイ活動によって欺瞞工作を受けていることを理解すべきである。でなければ、偽情報に踊らされて、誤った分析することになる。

わが国が対米決戦を決めた、ハルノートの作成にはソ連の影がちらさていた。これにかかわる研究も進んでいる。当時のルーズベルト政権にはソ連のスパイ網が深く浸透していた。こうした歴史をもっと知る必要がある。自分で真実を研究する必要はないが知っておくことは大切である。

インテリジェンスのなかには敵を知る、己を知る、環境を知る、そして活動には知る、守る、知らせる(ミスリードさせる)さらには、通常の外交活動では対処できない水面下での問題解決を指向する活動まであることを忘れるべきではない。 

『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(その5)

第13編用間の5つのスパイ

第13編「用間」では、「故に間を用いるに五間あり、・・・」として、以下五種類の間(スパイ)に区分している。

1)「郷間」:敵国及び第三国の一般大衆から情報収集を行うスパイ

2)「内間」:敵国の官僚、軍人などを誘惑して秘密情報を収集するスパイ

3)「反間」:敵国のスパイが我が方に寝返ったスパイ (二重スパイ)

4)「死間」:自らを犠牲にして、敵側に浸入して、偽情報を自白して、相手側を撹乱させるスパイ

5)「生間」:は、最終的に生きて敵側から重要な情報を持ち帰るスパイ

最も重要なスパイは反間

なかでも孫武が重視するのが「反間」(二重スパイ)である。 孫武は「必ず敵人の間ありて、我を関するものを索め、よりてこれを利し、導きてこれを舎す、故に反間を得て使うべきりなり」と述べている。

これは、敵の間者としてわが国の様子をうかがっている者を必ず探し出し、何らかの切欠を求めてこれと接触し、あつく賄賂を与えて、わざと求める情報を与え、よい家宅に宿泊させて、ようやく反感として用いることができる、との意味である。

さらに「五間の事、主必ず之を知る。之を知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざるをべからざるなり」と述べる。これは、五とおりの間者からの情報を君主は必ず知っておかなければならないが、それらの情報源の糸口は必ず反間によって得られるから、反間をもっとも優遇しなければならない、との意味である。

情報活動の種類

情報活動はこれらの五種類のスパイを駆使して行われる。つまり、それぞれの「間」は、以下のように、情報活動の区分にもなる。

「郷間」:一般の情報収集活動

「内間」:非公然の諜報活動、すなわちスパイ活動

「反間」:敵国のスパイ(二重スパイ)を寝返らせ、我の偽情報を意図的に流し敵の誤判断や官民の離間を謀る宣伝謀略

「死間」:自らを犠牲にして、命と引き換えに敵国を油断させ真実の目的を達成する謀略

「生間」:本国と敵国と行き来し、情報を報告・通報する通信活動 このように情報活動には様々な形があるが、それは国家目的の遂行という一点に収斂される。

『孫子』ではこれらを同時に投入しなければならないとしている。しかも、その存在やそれぞれの活動を敵にも味方にもしらせないことが重要だとし、それを「神紀」(神妙で秩序正しい用い方)と称している。

元CIA長官のアレン・ダレスは、「神紀」を「多数の糸からできた魚網が結局は一本の細い綱で結ばれている」と喩えている。

 情報保全の重要性

情報活動には積極的活動と消極的活動とがある。 積極的活動には、情報を収集・処理してインテリジェンスを生成する活動のほか、相手側の意図を破砕し、我の思うとおりに誘導し、我の利する活動を積極的に行わせる秘密工作がある。

一方の消極的活動は、情報あるいはインテリジェンスを守る活動であり、厳密には情報保全(Security Intelligence)とカウンターインテリジェンス、(Counter Intelligence、以下、防諜と呼称)に区分される。

このなかで情報保全は、敵対者などから秘密文書などを窃取されないように管理するなど公然的かつ受動的な活動である。 まずは、情報保全について、『孫子』から教訓事項を汲み取ることにしよう。

目立つ行動はするな

第四編「軍形」では、「善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻める者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり」と述べている。つまり、巧みに戦うものは、大地の奥深くに潜行して、好機を見て表に出て決戦を行うのであって、自軍を敵の攻撃から保全することが重要であると説いている。むやみやたらに「目立つ行動をするな」との行動保全の戒めである。

人にはいらない情報を与えるな

同じく第八編「九地」には、「知りがたきこと陰のごとし。良く士卒の耳目を愚にして、告ぐるに言を以てすること勿れ」がある。これは、将軍が物事を整斉とおこなうためには兵士を統制して無用な混乱を避けなければならず、それゆえに「将軍が何を考えているのかなどのハイレベルな情報を兵士に与えるな」、「与えれば怖気づいて逃げる兵士もいる」という意味である。 この戒めは、米国など重視される「知る人ぞ知る」(「NEED TO KNOW」の原則)と相通じるものがある。

無形が保全の境地

第六編「虚実」では「無勢で多勢に勝つ」方法を追求している。つまり「人を致して人に致されず」として、戦い方によっては、自らが受動に陥ることなく、自らが主導権を握り、敵を意図どおりに操り、我の兵力を手中して敵を攻めることで無勢であっても多勢に勝つことができることを説いている。

このために「故に兵を勝たすの極は無形に至る。無形慣れれば、則ち深間も窺うこと能わず。形に因りて勝を錯(お)くも、衆は知ることは能ず」と述べます。つまり、主動性を発揮するためには、態勢を敵から悟られないようにしなければならない。

隠せば、深く入り込んだスパイや、智謀の優れた者でも我の企図を解明することはできないということを極意として強調している。

さらには「夫れ兵の形は水に象(かたど)る」「故に兵に常勢なく、水に常形なし。能く敵に因りて変化して勝ちを取る者、これを神と謂う」と述べている。

つまり、「軍の態勢は水のようなもので、軍の態勢は一定ではなく、水の流れは一定ではない、敵情のままに従って変化して勝つのが神業である」と説いているのである。 これらは、我の行動を無形の境地に高め、敵から保全することが、主導性を確保する秘訣であることを強調しているのである。

真珠湾は保全の勝利

そうはいうものの、我は大部隊の配置や行動のすべてを隠すことはできない。できるのは、その全貌と企図である。 1941年12月、日本海軍ははるか遠くの真珠湾を攻撃した。

艦隊は無線封止、艦船部隊の無線呼び出し富豪の変更、九州方面の基地航空部隊と艦隊による偽交信を行い、ひそかに千島択捉島単冠湾に集結し、攻撃目標と攻撃時間を保全した。

米軍は、戦争が起こるとは予想していただろうが、その場所が真珠湾だとは予測できなかった。 また、米側は日本海軍の暗号を解読できず(反対論はあり)、日本南侵(タイ、ビルマ、シンガポール)を信じていたため、ハワイだとは想像しなかった 。

つまり、真珠湾攻撃の成功は、我の全貌と企図を隠した保全の勝利であった。

敵対勢力は市政に身を隠す

毛沢東は抗日戦争で農村ゲリラを組織し、「遊撃戦」と称するゲリラ戦を展開し、「遊撃戦」論で「人民は水であり、解放戦士は水を泳ぐ魚である」と語り、人民の大会の渦の中で自己の組織を保全することを得策とした。

このことは逆に、我々の社会や組織に敵対勢力が浸透している可能性を示唆している。そして、敵対勢力は重要人物の獲得や、作戦計画などの重要書類を虎視眈々と収集しているということである。

我がその危険性に気が付き、われの重要な資源を防護しなければ、情報戦に勝利することなど論外だ、ということである。

わが旧軍のお粗末な組織保全

 これに関して、旧軍の情報管理はまことにお粗末であった。 1944年3月31日、連合艦隊がパラオからミンダナオ島のダバオに退避する古賀峯一司令長官(大将)以下が搭乗した一番機が墜落(殉職)。二番機に搭乗していた福留繫参謀長(中将)、山本祐二作戦参謀(中佐)以下は墜落を免れてセブ島沿岸不時着した(海軍乙事件)。

福留参謀は反日ゲリラの捕虜となり、作戦計画、暗号書などの機密文書を収めた鞄を奪われた。その後、機密文書はゲリラの手から米軍に渡り、米国で翻訳されたのち、前線の米太平洋艦隊やその指揮下の第三艦隊に回送され、「あ」号作戦(マリアナ沖会戦)などに活用されたという。

なお米軍は、日本軍を安心させるためか、計画書などの原紙は鞄に戻し、セブ島近海に潜水艦から投棄したという。

一方の福留参謀以下は日本陸軍の治安維持部隊に救出され帰国し、福留、山本両氏は事情聴取で「機密入りの鞄は海中に投棄した」として、紛失したことは隠匿した。 このことが、それ以降の日米戦争において、日本軍を劣勢に追いやった大きな原因の一つとなったのである。

『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(4)

兆候を把握することの重要性

インテリジェンスは戦略レベルと作戦・戦術レベルの二つに区分される。ここでは、便宜上、前者を「戦略的インテリジェンス」、後者を「作戦的インテリジェンス」と呼称する。

前者は相手側が何を考えているのかをじっくりと観察する余裕がある。しかし、後者にはそんな余裕はない。そこで後者の主眼は「敵が何をしようとしているのか」「次にどのようなことが起こるのか」を瞬時に判断することになる。

そのためには状況(情勢)の変化を探知することが重要になってくる。 このような観点から第九編「行軍」では、「およそ軍をおき敵を相(み)る」として、我が軍がよい地形を確保して敵情を偵察することの重要性を説いている。

その上で、敵情を見抜くための「三十三の相(見方)」をあげている。

たとえば、「多数の木立がざわめくのは敵が森林を移動している」「あちこちに草を結んで覆いかぶせているのは我に伏兵の存在を疑わせる」「草むらから鳥が飛び立つのは伏兵が潜んでいる」「砂塵が高く舞い上がるのは戦車部隊が来ている」「砂塵が低く垂れ込めているのは歩兵部隊が進撃している」「軍使の言い方がへりくだっているのは我を不意に急襲する準備をしている」「軍使の言い方が強硬で進攻するように見えているのは密かに退却を準備している」などである。

こうした「相」のなかで、現在進行形の行動を裏付けるものが「証(証拠)」であり、次なる行動を示唆するものが「兆候」である。これらに着目することが状況の変化を探知する秘訣である。

「兆候」とは「物事の前触れ」であり「予兆」「前兆」ともいう。たとえば「地震雲が発生する」「深海魚やイルカなどの浜へ打ち上げられる」「ネズミなどの動物が起きて動き出す」「温泉の泉質が変わる」などの自然現象は大地震の前兆・兆候だといわれている。

これらの「兆候」から「大地震が起きて、津波災害などが発生する公算が大でうる」などのインテリジェンスを生成し、しかるべき部署に伝達(配布)すれば、被害を局限することができるであろう。

同様に戦場においても、さまざまな「兆候」を分析し、「敵が何をしようとしているのか」「何ができるのか」などを先行的に判断できれば、我は敵に対する主導性を確保でき、有力な対抗策が打てることになる。

先の『孫子』の例では、「砂塵が高く舞い上がるのは戦車部隊の来襲の兆候である」ととらえ、対戦車火器や対戦車地雷を配置して戦車部隊を迎撃する準備をする、「軍使の言い方が強硬で進攻するように見えているのは退却の兆候である」ととらえて、わが部隊を集結させて敵軍を追撃する準備を行うことになろう。

物事が起きるには、タイムラグの長短はあれども、必ず何らかの兆候がある。たとえば敵が近々戦争を開始しようとすれば、物資の事前集積、情報収集機の活動の活発化、通信量の増大などの変化が現出するであろう。一方、攻撃の直前ともなれば「無線封止」により通信量が激減するといった変化が現れるかもしれない。

第二次世界大戦中、米海軍で対日諜報を担当していたE・M・ザカリアス(元米海軍少将)は、日米開戦前に日本が米国を奇襲する寸前の兆候として、「あらゆる航路からの日本商船の引き揚げ」と「無線通信の著しい増加」を挙げました。日本の攻撃に特徴的な兆候として「ハワイ海域における日本潜水艦の出没」を挙げた。

こうした「兆候」が起こることを予め予測して「兆候リスト」を作成し、実際に起こった「兆候」と、起こらなかった「兆候」を分析して、敵の意図及び行動を判断することが、正確なインテリジェンスを生成する秘訣である。

とくに作戦的インテリジェンスにおいては極意であるといえる。 このことは『孫子』の時代も今も、安全保障であろうがビジネスの世界であろうが全く変わらないのである。

兆候を重視する

「兆候」と対比する概念に「妥当性」がある。戦略レベルのものを「戦略的妥当性」、戦術レベルのものを「戦術的妥当性」と呼称して区分することもある。 「妥当性」とは端的には「その戦略や戦術が目的に合致しているか?」「戦略・戦術が可能か?」などということである。

「戦術的インテリジェンス」では「兆候」と「妥当性」が競合した場合には「兆候」が優先される。なぜならば、「兆候」は可視的(目に見える)であるのに対し、「妥当性」は不可視的であり、その評価には時間と労力がいっそうかかるからである。

戦況が次々と推移する戦場での行動決心には一刻の猶予も許されない。だから目に見える「兆候」から、あらかじめ準備した基準に則り、敵の行動を見積もることが重要である。これが「作戦的インテリジェンス」における「兆候」重視の根拠である。

妥当性を重視する

他方、「戦略的インテリジェンス」においては、かならずしも「兆候」が優先されるとはかぎらない。戦略レベルの判断ミスは作戦・戦闘では挽回できない。だから敵の欺瞞や偽情報を排除して、敵の行動などをより慎重に判断すべきだからだ。

いくら戦争開始を示す事前の「兆候」があったとしても、相手側の戦略や戦術が著しく「妥当性」を欠く場合、「兆候」は欺瞞、偽情報として処理するというのが「妥当性」評価の考え方である。

また見積もりにも時間的に余裕があるから、慎重な判断が可能になる。よって、相手国の企図や行動を「妥当性」という評価尺度で慎重に見極めることが肝要なのである。

堀栄三の活躍

堀栄三

『大本営参謀の情報戦記』の著者で太平洋戦争時に大本営情報参謀であった堀栄三中佐はフィリピン島における米軍の上陸地点の見積りを命じられた。その際、堀氏はラモン湾(東海岸)、バダンガス(マニラの南方)、リンガエン湾(ルソン北部西海岸)の三か所に絞って分析を行なった。

米軍機の航跡とその頻度、写真偵察と思われる行動と大型機の出現頻度、ゲリラや諜報の活発度、潜水艦による物資・兵器・兵士の揚陸、抗日運動の状況など各種の「兆候」を分析して、堀氏は「上陸地点はラモン湾とリンガエン湾、むしろ兆候的にはラモン湾」と評価した。 

しかし、堀氏は自らがマッカーサーになったつもりでもう一度見積を見直したのである。つまり、①米軍がフィリピン島で何を一番に求めているか(絶対条件)、②それを有利に遂行するにはどんな方法があるか(有利条件)、③それを妨害しているものは何であるか(妨害条件)、④従来の自分の戦法と現在の能力で可能なものは何か(可能条件)と四つの条件に当てはめて再考したのである。

そして最終的に「リンガエン湾に対する上陸の可能性が大」と評価し、見事に的中させた。すなわち堀中佐は、米軍の戦略・戦術的な「妥当性」を重視して見積を的中させた。

妥当性を判断する4つの基準

一般的に「妥当性」を評価する基準としては適合性、可能性、受容性および効果性の四つがある。それぞれの基準の意義は以下のとおりである。

1)適合性:その戦略構想が戦略目標達成にどれほど寄与できるか?

2)可能性:自己の内部要因がその戦略行動を可能にするか?

3)受容性:戦略構想実施によってえられる損失または利益が戦略意図の要求度に対して許容できるか?

4)効果性:戦略構想が実施に移された場合、全般戦略および他の関連する戦略にどれほどの貢献ができ、またはどれほどの影響を及ぼすのか?

相手国の行動等を評価するうえで、上記の四つの基準に当て嵌めて考察することを是非とも推奨する。

『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(3)

戦争判断のための能力判断とは

孫武は、「それまだ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや算なきにおいてをや。我これをもって勝負を知る」(始計編)と述べている。

これは、「戦う前に彼我の国力を算定・比較し、勝算が少なければ負ける。まして勝つ要素が全くないのに戦争をすることは愚かである」ということだ。 この彼我の国力・軍事力を算定し「戦う前に勝敗を知る」ということが、平時におけるインテリジェンスの大きな目的である。

では、彼我の国力・軍事力を算定するにはどのような要素を見ればよいのであろうか? これに関して『孫子』では、前述のとおり、「五事七計」を以って「敵と我の何れが優れているか」、「何れが適切に行われているか」などを比較し、総合的に「我は戦争すべきか、回避すべきか」を判断せよ、と言っているのである。

インテリジェンスの構成要素

現在は、『孫子』の時代とは戦略環境が大いに異なっている。戦いは戦場における双方の軍事力の交叉には限定されない。よって、これら五つの基本要素は時代によって変化・発展するものと解するべきであろう。

現代戦は総力戦であるので、相手国の意図や能力を解明するためには、軍事力、経済力、科学技術力、政治力、社会力、心理力、地理的条件、その他のありとあらゆる事項の評価が必要となる。 しかし、評価要素があまりにも広範・多岐に及べば、分析が煩雑となり評価判断ができなくなる。したがって、これらの数を限定し、体系化する必要がある。

こうして限定・体系化されたものを、インテリジェンスの世界では「インテリジェンスの構成要素」(以下、「構成要素」と呼称)と呼んでいる。そして、構成要素に基づいて全般情勢を把握することを環境把握あるいは環境分析(エンバイラメンタル・スキャニング)という。

環境分析とはなにか

環境分析は、自分の記憶や知識を体系的に整理し、彼我の全般情勢、国力の優劣などを把握する上で有用な初歩的かつ基盤的な分析手法でもある。 今日の米国情報機関では「構成要素」を人物(Biographic)、経済(Economic)、社会(Sociological)、運輸・通信(Transportation&Telecommunications)、軍事地誌(Military Geographic)、軍隊(Armed Force)、政治( Political )、科学技術(Science)の八項目とし、その頭文字をとって「BESTMAPS」としている。

英国情報機関では、社会(Social)、技術(Technological)、環境(Environmental)、軍事(Military)、政治(Political)、法(Legal)、経済(Economic)、安全保障(Security)の頭文字をとって「STEMPLES」としている。

このほか、外交(Diplomatic)、情報(Information)、軍事(Military)、経済(Economic)の頭文字をとった「DIME」なども全般情勢・態勢などを把握するための有力な視座となりえるであろう。

情勢に応じてた戦略・戦術判断とは

見積り(Estimate)とは、将来における情勢の推移を予測することである。つまり、敵及びその他の関係勢力がいかなる意図及び能力を形成し、どのような行動方針を打ち立てるか、などを予測することである。

日本兵法研究会会長・家村和幸氏は、「始計」では、「五事七計」「廟算」「勢」という三つの戦略・戦術的判断があり、それぞれに「情報(Intelligence)」「意思決定(decision Making)」「行動(Action)」の「IDAサイクル」が繰り返されていると論じている。(家村和幸『図解 孫子兵法』)

① 「五事七計」

家村氏の解釈によれば「五事七計」とは「戦争をするのか、しないのか」の戦略的判断、「廟算」とは戦争に勝つための戦略・戦術的判断、「勢」とは臨機の戦術的判断である。

『孫子』が想定する戦争は敵を屈服させるために敵国に攻め込む侵略戦争であり、今日のわが国が巻き込まれる戦争は「専守防衛」に基づく国土防衛戦争という違いはある。しかし、いずれにおいても『孫子』と同様の戦略的・戦術的判断が繰り返されることに異論はない。

情報部署は、その各段階・各レベルにおいて、目的に適合した「見積インテリジェンス」を戦略策定・作戦実施部署に提供することになる。 ここでは、戦争の前段階におこなわれる「五事七計」と「廟算」に絞って、わが国のどのような「見積インテリジェンス」を生成するのかを考察してみよう。

まず「五事七計」では、「戦うべきか、戦わないか」の戦略的判断が求められるが、これはわが国の平時における国家戦略の選定段階に相当しよう。 つまり、この段階での情報部署は、紛争を中心にわが国を巡る国際情勢を幅広く考察し、それらの情勢推移を見通して、その変化傾向や変化を促す影響要因(ドライビングフォース)などを明らかにすることになる。

すなわち、国内外の動静と相互関係を明らかにし、「紛争が生起する可能性があるのか」「侵略事態が起こり得るのか」「起こりえる可能性のあると侵略事態の特性、生起条件は何なのか」「これがわが国の国益にいかなる影響を及ぼすのか」、などを見積もることになるであろう。

こうして生成された「見積インテリジェンス」は、ハードパワー及びソフトパワーを併用して戦争を抑止する抑止戦略に、万一の侵略事態対処に備えての国防体制の構築などに活用されることになる。 なお、わが国では、この段階で生成するインテリジェンスを一般に「情勢見積」と呼んでいる。これは国家最高レベルの「見積インテリジェンス」であって、内閣官房の統制で各省庁の情報組織などが協力して生成することになる。

② 「廟算」(びょうさん)

「廟算」とは、戦争を決めた相手に対して、開戦に先立ち、祖先の霊廟において作戦会議を行うことである。『孫子』では「それ未だ戦わずして廟算するに、勝つ者は算得ることを多きなり。未だ戦わずして廟算するに、勝たざる者は得ることすくなければなり」(始計)と述べる。つまり、敵を具体化し、敵に対し我の勝ち目を見出すための作戦会議を行うのである。

たとえば、ある国の侵略意図が顕著になった段階では、我が国は国家安全保障会議を開催し、そこで具体的な防衛作戦計画などが詰められることになる。 この時の「見積インテリジェンス」は、「五事七計」の時に比べ、彼我との関係から、より詳細かつ具体的に見積もることになる。この見積もりを先ほどの「情勢見積」と区別して、「情報見積」と呼ぶ。

仮に中国を侵略国と想定すれば、「中国あるいは中国軍はいかなる意図、能力を有しているのか。またどのような行動を取るのか」「米国、その他の第三国及び国内の反対勢力はどのような行動をとるのか」「中国の軍事行動にはどのような税弱点があるのか」「それが我が国の防衛作戦に如何なる影響を及ぼすのか」「我が国が乗じる中国の弱点は何か」などを詳細に見積もることになる。

これは、関係省庁の協力を得て、防衛省や自衛隊最高司令部等が中心となって見積もることになるであろう。

③ 「勢」

「勢」の段階における見積りは、戦場における臨機の戦術的判断に資するものである。これは「態勢見積」と呼ばれる。(家村和幸『図解 孫子兵法』)

第四編「軍形」では彼我の戦闘力を比較して勝利をえるための考慮要素として、「兵法は、一に曰く度(たく)、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。地は度を生じ、度は量を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰(いつ)を以って銖を称(はかる)がごとく、負兵は銖(しゅ)を以て鎰を称るがごとし」と述べている。

ここでいう「度」とは戦場の広さ・遠近を測ること、「量」は戦車・武器・弾薬の量を計算すること、「数」は度や量と関連して兵数(動員可能な兵士の数)を計算することである。そして「称」が彼我の兵数・戦力を総合的に計算して優劣を判定し、「勝」が結論として、すくない兵力でどのよう勝利するかという勝利の法則を見出すことである。

「態勢見積」の主眼は、我がまず負けない態勢を確立し、その上で主導性を発揮して敵に対して「勝ち易きに勝つ」という必勝の態勢を終始保持することにある。 わが国の防衛作戦を例にとれば、情報部署は侵攻正面の敵の兵力量、編組(敵部隊の侵攻態勢)、敵の攻撃・侵攻の時期および方向、火力や予備兵力を運用する時期・場所・要領、彼我戦力の比率、などを臨機応変に見積もることになろう。当然、作戦部隊の大小に応じて、その情報部署が行う「態勢見積」の対象、範囲などは異なることになる。

正確な戦略的判断により勝利した日露戦争

1904年の日露戦争は、正確な戦略的判断により勝利することができた。その前の日清戦争(1894年)では、川上操六・中将(参謀本部創設の父、のちに大将)が、戦争前年の1893年、清国と朝鮮を視察し、「先制奇襲すれば清国への勝利は間違いない」と確信を得て帰国した。

しかし、日清戦争とは異なり、日露戦争では、明治天皇が戦争の決断に際して落涙されたという。 そこで、当時の児玉源太郎満州軍総参謀長は、彼我の国力を比較・算定したうえで、わが国は完全勝利することできないと判断し、短期決戦で、有利になった段階で終戦に持ち込む算段をした。すなわち「六分四分」の勝負に持ち込むことを計画した。

そして、盟友の杉山茂丸や桂太郎首相秘書官の中島久万吉に終戦のための情報収集を依頼し、奉天会戦の勝利後には、元老や閣僚たちに対する終戦説得工作を開始した。 こうしたインテリジェンスと戦略の連携により、わが国はロシア領土内に侵攻することもなく、米国による和平仲介によってやっとのことで勝利し得たのである。まさに『孫子』の兵法が実践で生かされたといえる。 

勝算のない戦いをした太平洋戦争

他方、先の太平洋戦争では、日米開戦後の見通しについて、当時の近衛文麿首相から質問を受けた山本五十六・連合艦隊司令長官は、「是非やれといわれれば、初めの半年や一年は、ずいぶんと暴れてごらんにいれます。しかし、二年、三年となっては、全く確信を持てません」と述べた。  つまり、初めから勝算のない戦いをしたのであった。まさしく、この時のわが国は、「敗兵は戦いて、しかる後に勝ちを求む」(謀攻編)であったのである。

『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(2)

インテリジェンスとは何を知ることか!

戦いには何を知ることが必要か

まず戦いにはいかなることを知らなければならないか?その知識(インテリジェンス)はどのようにして得るのか?

孫武は「彼(敵)を知り、己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず敗れる」(謀攻編)と述べている。また、「彼を知りて己を知らば、勝ち乃ち殆うかず」(地形編)との記述もある。

つまり、孫武は敵と己を知れと言っている。

敵を知るとはいかなることか

まず敵について考えてみよう。現代の安全保障は熾烈な競争原理によって突き動かされている。冷戦構造が崩壊し、かつてのように明確な敵の存在がなくなったといわれるが、敵は必ずどこかに存在している。

だから、我が敵に対して優越するためには敵の戦略や作戦を知ることが基本となる。これが、インテリジェンスの基本でもある。

敵を知るとは、まず敵が何のために(目標)、何をしようとしているのか(目的)を知ることである。この目標と目的から生み出されるのが意図ということになる。

次に何ができるのかという能力を見る。そして最後に、何をしてくるのか、すなわち、相手側の未知なる行動を明らかにしなければならない。

未知なる行動を予測するためには、平素から相手側の意図と能力の両面をしっかりと分析することが重要である。

意図分析は見誤りやすい

ところが、意図分析の対象となる意図は目に見えない(不可視的)ものである。国際情勢の急変、指導者の心情変化などによって容易に変化する。すなわち、見誤りやすい。

だから、アメリカは朝鮮戦争において「中国は国内経済優先の折だから中国軍の介入意図はない」と誤判断した。ベトナム戦争でも、アメリカは自らの北ベトナムに対する空爆の効果を過大視して、「北ベトナムが立ち上がる気力(意図)は失せた」と誤判断した。

スターリン

このほか、スターリンは希望的観測と猜疑心によって、ヒトラーの意図を見誤り、1941年6月の奇襲を受けた。世に有名なバルバロッサ作戦である。 この時、スターリンは、自らの戦争準備は不十分だったために、ドイツには侵攻意図はないと信じこもうとした。

まさに、スターリンの心境は「信じるものは救われる」の境地であったのであろう。かくして、ドイツによる侵攻の重要な兆候は英国側の欺瞞であるとして、ことごとく排除された。

能力分析の基本として意図分析を併用する

このような戦史の反省も踏まえて、意図分析よりも能力分析、すなわち、相手側が何をできるかを明らかにすることが基本であるといわれている。

たしかに、能力は可視的であり、変化の速度も小さい。 たとえば、北朝鮮の指導者の心は何時でも変化するが、核ミサイル能力は一朝一石に保有できるものでない。

また、能力分析は何ができるかという視点で敵のあらゆる可能行動を検証するのであるから、奇襲防止の観点から優れている。

その一方で、相手側の取り得る可能行動の幅があまりにも拡大してしまえば、我は対応ができなくなってしまう。

そこで、能力分析を基本としてもその上で意図分析を併用する。まず、敵の可能行動を列挙し、意図分析によって常識的に考えて敵がおよそとり得ない可能行動を排除する。そして敵の可能行動をある程度まで特定化して、採用する公算(蓋然性)の高い可能行動に焦点を絞って、さらに詳細に分析するとい過程が必要となる。

ただし、蓋然性は低くても、我に対して影響が大きいものは別途、慎重に分析する。これが「蓋然性小/影響性大分析」の考え方である。

孫子は能力分析を重視している

孫武は、敵の能力を知ること、すなわち能力分析を重視している。それがもっとも特徴的にみられるのは、第1「始計編」の「五事七計」である。孫武は、「戦争は国の重要事項であるので、五事を以て計(はか)る」と述べる、この「五事」とは、道、天、地、将、法である。

続けて『孫子』では「……故にこれを経(はか)るに五事を以てし、これを校(くら)ぶるに計を以てして、其の状を索(もと)む」(始計)と述べる。つまり、孫武は、平素から我が準備しておく五事を基本として、敵に対する活発な情報活動により、主(君主)、将(将軍)、天地(気象・地形)、法(軍紀)、民衆、士卒(将校および下士官)、賞罰の七計(七つの要素)を収集せよと説いている。すなわち、彼我の能力を分析するためである。

敵を知る以上に我を知れ

孫武は「敵に勝利するためには、敵だけではなく我のことも知れ」と説いている。孫武は「敵を知り、己を知らば百戦危うからずや」のあとに、「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す」と述べる。すなわち己を知ることで、最低でも引き分けに持ち込めると、説いているのである。

孫武の「五事七計」においても、基本は平素から我が五事を確立することである。五事を現代風に解釈すれば、「道」は国家あるいは君主が民意を統一して戦争に向かわせる基本方針であり、国家戦略に相当する。「天」とは明暗、天候、季節などの気象または時機(タイミング)を指す。「地」とは地形や地理などの環境的条件、「将」とは国家指導者や作戦指揮官、「法」とは組織、制度、指揮法などとなる。

つまり、我が相手国に勝利するためには、これらの要素が不十分でないかを調査し、強点と弱点を知る必要がある。 敵を知ることに対し、我のことはいつでも知ることができると考えられているためか、軽視されやすい。だから、誰しも我に関することは意外と知らないものである。

先の太平洋戦争では、相手国である米国のことも知らなかったが、それ以上に我の補給・継戦能力、陸軍・海軍双方の戦略・思考など、我に関するインテリジェンスが不十分であった。まさに、「戦う毎に必ず敗れる」の状況であったのである。  

9.11以降、己の弱点を知ることが潮流

2001年の9月11日の同時多発テロ以降、国際テロ組織が主たる脅威の対象となってきた。テロ組織は、冷戦期の敵のように所在が明確ではない。だから、テロ組織が何を考えているのか、どのような能力があるのかよくわからないのである。

そのため、アメリカの趨勢は「敵を知る」ことから、「己を知る」、とくに「己の弱点を知らなければならない」という流れに変わってきているという。 なお、この考え方が派生して、アメリカでは「己の弱点を知る」ためのビジネス・インテリジェンスが活性化しているといわれている。つまり、不透明な社会において、己の力量を知ることはさまざまな分野において重要になっているということである。

地形・気象を知ることが重要

孫武は、「戦争は国の大事である」ので、「之を経(筋道をつける意)するに五事をもってする」とし、その五事(後述)のなかで「天」と「地」をあげている。「天」とは気象、「地」とは地形を指す。気象と地形を合わせたものを地域と呼ぶ。

そして孫武は、「彼を知りて己を知らば、勝ち乃ち殆うかず。地を知り、天を知れば、勝すなわち窮(きわま)らず」(地形編)と述べる。つまり、「彼我に加えて地域に関するインテリジェンスを獲得することで戦勝が確実になる」説いているのである。

また、「それ地形は兵の助けなり。敵を料(はか)って勝ちを制し、険夷・遠近を計るは、上将の道なり。これを知りて戦いをおこなう者は必ず勝ち、これを知らずして戦い行う者は必ず負ける」(地形編)と述べている。

これは、簡潔に訳せば、地形は補助手段にすぎず、まず敵を知り、戦勝の法則を確立したうえで、敵と我を地形の上に乗せて、その利・不利を考察せよ、ということである。 これらの記述に限らず、第7編「軍争」から第11編「九地」にわたる五つの編において地形や気象を取り扱わない編はない。

地の利を生かす

孫武は第10「地形編」で、地形をその特性からまず6つの基本的な地形に区分(通、掛、隘、支、険、遠)し、第11編九地編では、さらに戦場が国境内(国境地域含む)にあるか、あるいは故国から遠く離れた国境外にあるかで、9つに区分(散地、軽地、争地、交地、衢地 、重地 、圮地 、囲地 、死地 )し、その地形活用上の要点を論じている。

前の4つ、すなわち散地、軽地、争地、交地が国境内部で、後ろの5つが 国境外に相当する。後ろの5つは、第8「九変編」では「絶地」 という用語で登場する。 そして「絶地に留まること勿れ」(九変編)、「重地には則ち掠(かす)め」(地形編)などと述べ、遠く離れた国境外では長く駐留すべきではない旨と説いている。

わが国は先の大戦において、中国大陸に奥深く進出し、やがて兵站戦が延び切ってしまい、物資に支障を来たした。その後、米国を相手に遠く洋上の真珠湾を攻撃して開戦の火蓋を切ったが、やがては太平洋上の島嶼への補給が途絶えて、敗戦した。まさに絶地での戦いを強いられたのである。ここにおいても『孫子』の原則が生かされることはなかったといえるのだろう。

気象を味方にする

一方の気象についても、孫武は重要な示唆を説いている。とくに、第11「火攻編」では、「火を発するには時あり。火を起こすには日あり。時とは天の燥(かわ)くなり。日とは、月の箕(み)、壁(なまめ)、翼(たぬき)、軫(みつうち) 在るなり。およそこの四宿は風の起こるの日なり」と述べる。

これは、火攻めを行うには、適した時期があり、火を燃やすには適した日がある。それは乾燥して火が燃えやすい時である。日というのは月が天体の4星宿(28宿のうち)の方向にある時で、月がこれら4つの星座にかかるときが風の起こる日である、と訳せる。

火攻めは、現代に例えるならば軍事攻撃、一方の水攻めは経済制裁ということになる。経済制裁は遅行性であるが、軍事攻撃は即効性であり、時機(タイミング)が命である。 ヒトラーのソ連攻撃は“冬将軍”の到来で頓挫した。2003年のアメリカの軍事攻撃は、砂漠の砂嵐の時期を回避するよう慎重に決定された。

現代戦では戦略環境を知ることが重要

『孫子』は、ほぼ全編にわたって地形や気象が作戦に影響を与えること、地形や気象を有利に活用することを述べている。現代戦においても、戦争の場における地形を偵察したり、気象の影響を考慮したりして、それらを作戦計画に反映することはいうまでない。 

ただし、現代戦は『孫子』の時代とは異なり、総力戦を帯びており、様々な環境要因が戦いの趨勢に影響を及ぼす。よって、ここでいう「地」と「天」は広く解釈する必要がある。つまり、「地」とは固定的な空間であり、すなわち地理的環境、一方の「天」とは流動的かつ時間的であり、国内外情勢にあたると解釈できる。

つまり、わが国が生存・繁栄するうえで影響を受ける地理や国際情勢などの戦略環境を広く理解する必要があるということである。

地政学の視点を持つ

今日、国際情勢を見る上で地政学という考え方がある。地政学の論拠は「人 間集団としての国家の意図は地理的条件を活動の基盤としている」という点にある。つまり、地理的条件が民族の特性を形成し、国家の活動基盤になると考え方である

 マキャベリは「寒い地方の人は勇気があるが慎重さに欠け、厚い地方の人は慎重だが勇気に欠ける」と評した。

和辻哲郎

日本の思想家である和辻哲郎は、モンスーン、砂漠、牧場に区分して、人間存在の構造を把握した。このように地理と国民性との関連性は従来から戦略家・思想家が認めるところである。

現在の地域紛争も畢竟、地域的に偏在する資源、資源の輸送ルート、集中する市場などを巡る角逐である。よって地域紛争の動向を予測するうえでも地政学的思考は欠かせない。

わが国の地政学的な環境に目を向ければ、米・中・ロという三大超大国に囲まれ、資源を海外に依存する海洋国家という特徴がある。海洋国家は自国の生存と繁栄を海上交通路に依存している。したがって、それをコントロールできる海軍強国と連携するのが得策である。

わが国は海洋国家との連携が必要

わが国は1902年に海洋国家である英国と同盟を結び、朝鮮半島から大陸に進出する海上交通路をコントロールしたことで日露戦争に勝利した。しかしその後、中国大陸に進出し、大陸国家ドイツと同盟を結び、海洋国家米・英を敵にしたことで資源が途絶され、このことが敗戦の原因となった。

かかる地理的環境や歴史を踏まえるならば、わが国の戦略は米国との同盟を堅持して、中国及びソ連に対する防衛に備えることになろう。このような戦略眼を『孫子』から養うことも肝要である。

我が国が生存・繁栄するための有用なインテリジェンスを生成するうえでは、地理と国民性、地理と歴史という視点を考察することが重要である。これらのことを『孫子』から汲み取ることができるのである。

『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(1)  

孫武

はじめに

中国では歴史的に諜報及び謀略の研究が重視され、その研究成果を纏めた体系的な兵法書の編纂が発展した。『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子』『李衛公問対』『六韜』及び『三略』はその代表的な兵法書である。これらは『武経七書』と総称されている。

なかでも「兵は詭道である」と喝破する『孫子』が最も有名である。 『孫子』は、今から2500年以前の中国の激動の春秋戦国時代、名将・孫武によって書かれたとの説が主流である。 『孫子』は中国ののちの兵法書に影響を及ぼし、日本でも吉備真備が唐で礼記(らいき)や漢書とともに『孫子』の兵法を学び、帰国後に下級武士に教示したと伝えられている。

『孫子』は「最強の兵法書」と呼ばれるに相応しく、洋の東西を問わず、時代を超えて、のちの軍事理論書に多大な影響を与えた。このほか、今日では組織統率論、企業経営における参考書としても活用されている。

他方、『孫子』は至高のインテリジェンス 教科書でもある。『通典』(つてん)のなかの「兵典・間諜」編では、軍事偵察情報が戦争における重要な役割を占めることが論述されている。

唐代の著名な兵法家の李靖(りじん)が記した『李衛公問対』(りえいこうもんたい)は『孫子』の情報活動を体系化したものである。

清代の朱逢甲による『間書』は中国初の情報専門の兵法誌であるが、これも『孫子』の軍事偵察理論を基に編纂されたものである。

米国CIA元長官アレン・ダレスや西ドイツのインテリジェンス・マスターであったラインハルト・ゲーレンの回顧録においても『孫子』が引用されている。このように『孫子』は世界のインテリジェンス界に大きな影響を与えた。

そこで『孫子』から得られる、インテリジェンス上のさまざまな知見を抜粋し、総括的に解説することとする。

1『孫子』の特質とは

▼『孫子』は春秋時代に誕生

今から2500年以前、中国における激動の春秋時代とはどのような時代であったのだろうか?これを知ることが、『孫子』の本質を理解することの第一歩である。

一般的に、周が滅びた紀元前770年から、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂する前の春秋時代という。

なお、それ以降、秦の始皇帝が紀元前221年に全国を統一するまでの間を戦国時代という。

『孫子』の作者である孫武は、紀元前535年、すなわち春秋時代の後期に生まれた。彼は、斉(いまの山東省)に生まれたが、紀元前513年に呉(いまの江蘇省)一家で移ったといわれる。

幼少から兵書に親しみ、その才能が買われ,呉の国王・闔の側近の将軍・伍子胥(ごししょ)によって、彼もまた呉王を補佐する将軍に推挙された。 司馬遷の『史記』には、「呉が楚を破り、斎や晋を脅かし、天下に名をとどろかせたのは、孫武の働きによるところが大きい」と記されている。

当時の中国は、「春秋の五覇」と称する斉、晋、楚、呉、越の諸国による戦争状態にあった。そのため、孫武が仕えた呉は、越や楚などの複数国に対処する必要があった。 つまり、一つの国との戦いが長引いて国力が損耗してしまっては、第三国から攻められ、漁夫の利を奪われる可能性があった。

だから、孫武は「それ兵を鈍らし、鋭を挫き、力を屈し、貸(たから)をつきせば、則ち諸侯、その弊(つかれ)に乗じて起こる。智者ありといえども、その後を善くする能わず」(作戦編)と述べ、第三国から攻められることを警戒した。

孫武は、戦争開始の判断を慎重に行い、「戦わずして勝つ」ことを最善とし、やむを得ずに戦う場合には、速戦即決を信条としたのである。

なお、『孫子』とクラウゼヴィッツの『戦争論』がよく比較されるが、『戦争論』の方は、戦場における1対1の戦闘を想定している。両者を対比して読む場合には、この相違を念頭において考察することが肝要である。

▼『孫子』の記述は全13編

『孫子』は「始計」「作戦」「謀攻」「軍形」「兵勢」「虚実」「軍争」「九変」「行軍」「地形」「九地」「火攻」「用間」の全13の編からなる。 第1編「始計」は戦争の指導に関する総論・序論である。第2編「作戦」は主として経済的側面から、第3編「謀攻」は主として外交的側面から、それぞれ戦争の在り方を説いている。 

これら各編と、情報(インテリジェンス)について述べている第13編「用間」が戦争の指導方針を説いている。戦略と作戦・戦術の区分で言えば戦略に相当する。

他方、作戦または戦術に相当するのが、第4編「軍計」から第12編「火攻」まである。これらの編では、作戦対処の基本事項、敵対行動、作戦行動に及ぼす環境要因などが解説されている。

▼ 指導者等に対する戦争の心構えを説く

『孫子』の特徴の第一は、国家指導者や軍事指揮官を対象として、彼らに対する戦争の心構えを述べている点にある。(浅野祐吾『軍事思想史入門』) 第1編「始計」の書き出しは「兵は国の大事である。死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」で始まる。

ここでいう「兵」とは戦争の意味である。つまり、国家指導者などに対し、「戦争は国家の重大事項であるので軽々しく戦争をおこなうべきではない」と戒めているのである。

▼「戦わずして勝つ」という不戦主義

第二の特徴は「戦わずして勝つ」という不戦主義の重視である。(浅野『軍事思想史入門』) 中国には古来、「良い鉄は釘にならない」(好人物は兵士にならないとの意味)との俚諺があり、農耕民族である漢民族特有の文民優位の思想がある。

『孫子』においても、戦争よりも外交・謀略で問題解決をはかる漢民族の思想的特性が反映されているといえる。

たとえば「およそ兵を用うるの法は、国を全うすることを上となし、国を破るはこれに次ぐ。……百戦百勝は善の善なるものにあらず。……戦わずして兵を屈するものは善の善なるものなり」(謀攻編)と述べている。  

また、止むを得ずに戦う場合でも「上兵は謀を伐(う)つ。その次は交わりを伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む」(謀攻編)として、敵や敵陣地を武力によって攻撃することは下策であり、まず謀略や外交での解決を重視せよ、と説いている。  

さらに「……好く戦うものは勝ち易きに勝つなり。ゆえに善く戦う者勝つや、智名もなく勇攻もなし……」「……勝兵は、まず勝ち後に後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて後に勝を求む」(軍計編)として、「無理のない戦いをしなければならない」と説いている。つまり『孫子』によれば、野球のファインプレーなどは最善ではないのである。

▼インテリジェンスを重視

第三の特徴は、冒頭で述べたように、インテリジェンスを重視している点である。(前掲浅野『軍事思想史入門』) 第13編「用間」は、「昔、殷の興るや、伊摯(いし) 夏に在り。周の興るや、呂牙(りょが) 殷に在り。故に惟(た)だ、明主賢将のみ能く上智を以って間者と為して、必ず大功を成す。これ兵の要にして、三軍の恃(たの)みて動くなり」の結句で締めくくられている。

ここでの「上智」伊尹及び呂牙を指すが、その上智とは、「道理を知っている、有能な人物」の意味である。つまり、孫武は「国家指導者や軍事指揮官は有能な人物を間者(スパイ)として活用することで、戦いに勝利し、成功を収めることができる」と説いているのである。

スパイとは一般的に、その国家指導者や軍事指揮官などに対して、インフォメーション(情報)あるいはインテリジェンス(生の情報を加工して戦略や作戦上の判断に資する知識に高めたもの)を提供する者をいう。

つまり、スパイを使用して敵の国情、軍事状況、地勢、物資などの事項を明らかにし、これを基礎に戦略・戦術を立ててれば、全軍の行動は自然と理に適ったものとなり、敵に負けることはない、という意味である。

『孫子』が「用間」を以って最終編としたことは、インテリジェンスが「戦わずして勝つ」または「勝ち易きに勝つ」ための最も重要な要素であることを改めて力説しているものと、筆者は理解する。