インテリジェンス関連用語を探る(その1)    

▼はじめに  

2016年1月、拙著『戦略的インテリジェンス入門』を発刊して以来、ビジネスパーソンの方々から情報分析についてお聞きしたいとの依頼が何度かありました。  

同著は、国家安全保障に携わる初級の情報分析官を読者として想定し、執筆したものです。筆者としては、できるだけ内容を簡潔に、かつインテリジェンスの全領域を網羅することに着意いたしました。

しかしながら、入門書という立場上、参考文献の記述から大きく逸脱するわけにはいきません。そのため少し説明が杓子定規になってしまい、読みづらい点があったことを残念に思っています。

ビジネスパーソンの方々にインテリジェンスや情報分析のお話ししてみて、改めて、これまで当たり前のように使用してきた「情報」「インテリジェンス」「情報分析」という言葉の意味はなんだろうか?と、自問しました。

そしてビジネスパーソンなどの方々にそれら内容を伝えるには、用語の意味や内容をさらに咀嚼し、身近な例に置き換えるなどの努力をする必要があると認識しました。

そこで、このシリーズではインテリジェンス関連用語について、できるだけわかりやすく述べてみたいと思います。なおすでに筆者の他の題目ブログにて述べたことと一部重複する個所もありますが、ご容赦下さい。

▼「情報」のルーツを探る  

現在は情報学、情報処理、情報システム、情報公開、情報戦など、情報に関連する用語が日常的に氾濫しています。すなわち「情報」は日常語になっていると言えるかと思います。

しかし、わが国における「情報」という言葉は、もともとは「敵情報告」の略語として明治時代に生まれた軍事用語です。また、他の多くの言葉のように「情報」も中国からの流入語と思われがちですが、そうではありません。ただし、「情」という言葉は、孫子の「敵の情」という用例が示すとおり、中国からの流入語となります。しかし、「情報」は、中国人自身が認めているように日本から中国に輸出されたのです。

その初出例は、1876年(明治9年)に酒井忠恕陸軍少佐が翻訳した『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』(内外兵事新聞局)です。同著では、情報は「情状の知らせ、ないしは様子」という意味で使用されました。つまり、情報は敵の「情状の報知」を縮めたものでした。

1901年にはドイツから帰国した森鴎外が、ナポレオンの軍事将校として勤務したクラウゼヴィッツの『戦争論』を翻訳(大戦学理)した際、「情報とは、敵と敵国に関する我が智識の全体を謂ふ」という訳をしました。

1882年に『野外演習軌典』(陸軍省)において「情報」が初めて陸軍の軍事用語(兵語)として採用されました。 『野外演習軌典』で「情報」が使われるようになった以降、他の兵書でも「情報」という言葉が使われるようになります。それと同時に「状報」という言葉も使用されます。

小野厚夫『情報ということば-その来歴と意味内容』によれば、情と状は次のとおりの違いがあります。

「情」と「状」は、いずれも「ありさま、ようす」という意味を共通にもっているが、それぞれの漢字が意味するところは微妙に違っている。

簡野(かんの)道明編の『字源』(1923年、北辰館)で「情状」を引くと、「情は心の内に動く者、状は其の外に著るる者」とあり、情は内に隠れて外に見えないもの、状は外見でわかるものを指すと解釈できる。(引用終わり)

したがって、敵の兵力や装備等の状況(事実)を斥候などによって明らかにする場合は「状報」が適しており、敵の感情の動きや意図、内部のそれぞれの事情を含めた士気・規律・団結の状況などについては「情報」が適しているという解説もできます。

ただし、上述のような用例の違いはあったとしても、両用語は明確な区別なく使用されていました。

「情報」と「状報」は、しばらく混在していましたが、1890(明治23)年頃から「状報」の用例が急減し、ほどなく「情報」に一本化されました(前掲『情報ということば-その来歴と意味内容 』)。

1891年(明治24年)、わが国最初の体系的な陸軍教範『野外要務令』が制定されました。

同要務令は日露戦争後の1907年に改定されますが、同要務令をひも解きますと、情況、情状、敵情、事情などの「情」がつく言葉は随所に登場します。しかし「情報」が登場する箇所はわずか二箇所です(筆者の検証ミスがあったらお許しください)。

ここでの使用法を抜粋します。

・「……このごとき情報を蒐集(しゅうしゅう)するは主として最前線にある騎兵の任務に属す。……」

・ 「情況を判決するには直接に敵を探偵観察して得たる情報と他の諸点より得たる認識推測を集めてなれる証迹(しょうせき、証跡)とをもってするを最も確実なるものとする。・・・・・・」

つまり、「情報」は、上述のとおり、敵や地域に関する「状」や「情」であって、戦場において敵及び地域と直接接触して得ることがおおむね認識されていたと考えられますが、軍内に広く定着する軍事用語ではなかったと判断されます。

1914年(大正3年)には、『野外要務令』を基礎に『陣中要務令』が制定されました。ここでの「情報」の使用は『野外要務令』と比べると多少増えています。しかし、「情報」の定義及び内容などを直接的に説明した箇所は見当たりません。

他方、同要務令では、「捜索」と「諜報」の定義とその内容が具体的に記述されました。同要務令は計13編の構成になっていますが、その第3編が「捜索」、第4編「諜報」となっています。つまり、「捜索」と「諜報」がそれぞれ章立てされたということになります。

そして、「捜索」とは、戦場において、主として騎兵などの第一線部隊が敵と接触して得る「敵の状・情」である旨の記述がなされています。 一方の「諜報」は、主として諜報専門部隊が住民の発言、新聞、信書、電信、その他の郵便物、俘虜などから得る「敵の状・情」である旨が記述されています。

つまり、「捜索」は戦時における戦場において第一線部隊が獲得するもの、「諜報」は戦時・平時及び戦場・非戦場を問わず諜報専門部隊が獲得するものとして、大まかに区分されたと解釈できます。

さらに昭和期に至り、1932年(昭和7年)に『統帥参考』が制定されました。同書では「情報収集」の手段を「諜報勤務」と「軍隊に行う捜索」に区分する、としています。また、同年制定の『作戦要務令』の第3編「情報」では、第1章「捜索」、第2章「諜報」に区分して、その意義や内容を具体的に記述しています。

つまり、昭和期に至ってようやく「情報」が「捜索」と「諜報」の上位概念であり、「捜索」と「諜報」を網羅するものであることが明確に規定されたのです。

(次回に続く)

“インテリジェンス関連用語を探る(その1)    ” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA