『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(2)

インテリジェンスとは何を知ることか!

戦いには何を知ることが必要か

まず戦いにはいかなることを知らなければならないか?その知識(インテリジェンス)はどのようにして得るのか?

孫武は「彼(敵)を知り、己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず敗れる」(謀攻編)と述べている。また、「彼を知りて己を知らば、勝ち乃ち殆うかず」(地形編)との記述もある。

つまり、孫武は敵と己を知れと言っている。

敵を知るとはいかなることか

まず敵について考えてみよう。現代の安全保障は熾烈な競争原理によって突き動かされている。冷戦構造が崩壊し、かつてのように明確な敵の存在がなくなったといわれるが、敵は必ずどこかに存在している。

だから、我が敵に対して優越するためには敵の戦略や作戦を知ることが基本となる。これが、インテリジェンスの基本でもある。

敵を知るとは、まず敵が何のために(目標)、何をしようとしているのか(目的)を知ることである。この目標と目的から生み出されるのが意図ということになる。

次に何ができるのかという能力を見る。そして最後に、何をしてくるのか、すなわち、相手側の未知なる行動を明らかにしなければならない。

未知なる行動を予測するためには、平素から相手側の意図と能力の両面をしっかりと分析することが重要である。

意図分析は見誤りやすい

ところが、意図分析の対象となる意図は目に見えない(不可視的)ものである。国際情勢の急変、指導者の心情変化などによって容易に変化する。すなわち、見誤りやすい。

だから、アメリカは朝鮮戦争において「中国は国内経済優先の折だから中国軍の介入意図はない」と誤判断した。ベトナム戦争でも、アメリカは自らの北ベトナムに対する空爆の効果を過大視して、「北ベトナムが立ち上がる気力(意図)は失せた」と誤判断した。

スターリン

このほか、スターリンは希望的観測と猜疑心によって、ヒトラーの意図を見誤り、1941年6月の奇襲を受けた。世に有名なバルバロッサ作戦である。 この時、スターリンは、自らの戦争準備は不十分だったために、ドイツには侵攻意図はないと信じこもうとした。

まさに、スターリンの心境は「信じるものは救われる」の境地であったのであろう。かくして、ドイツによる侵攻の重要な兆候は英国側の欺瞞であるとして、ことごとく排除された。

能力分析の基本として意図分析を併用する

このような戦史の反省も踏まえて、意図分析よりも能力分析、すなわち、相手側が何をできるかを明らかにすることが基本であるといわれている。

たしかに、能力は可視的であり、変化の速度も小さい。 たとえば、北朝鮮の指導者の心は何時でも変化するが、核ミサイル能力は一朝一石に保有できるものでない。

また、能力分析は何ができるかという視点で敵のあらゆる可能行動を検証するのであるから、奇襲防止の観点から優れている。

その一方で、相手側の取り得る可能行動の幅があまりにも拡大してしまえば、我は対応ができなくなってしまう。

そこで、能力分析を基本としてもその上で意図分析を併用する。まず、敵の可能行動を列挙し、意図分析によって常識的に考えて敵がおよそとり得ない可能行動を排除する。そして敵の可能行動をある程度まで特定化して、採用する公算(蓋然性)の高い可能行動に焦点を絞って、さらに詳細に分析するとい過程が必要となる。

ただし、蓋然性は低くても、我に対して影響が大きいものは別途、慎重に分析する。これが「蓋然性小/影響性大分析」の考え方である。

孫子は能力分析を重視している

孫武は、敵の能力を知ること、すなわち能力分析を重視している。それがもっとも特徴的にみられるのは、第1「始計編」の「五事七計」である。孫武は、「戦争は国の重要事項であるので、五事を以て計(はか)る」と述べる、この「五事」とは、道、天、地、将、法である。

続けて『孫子』では「……故にこれを経(はか)るに五事を以てし、これを校(くら)ぶるに計を以てして、其の状を索(もと)む」(始計)と述べる。つまり、孫武は、平素から我が準備しておく五事を基本として、敵に対する活発な情報活動により、主(君主)、将(将軍)、天地(気象・地形)、法(軍紀)、民衆、士卒(将校および下士官)、賞罰の七計(七つの要素)を収集せよと説いている。すなわち、彼我の能力を分析するためである。

敵を知る以上に我を知れ

孫武は「敵に勝利するためには、敵だけではなく我のことも知れ」と説いている。孫武は「敵を知り、己を知らば百戦危うからずや」のあとに、「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す」と述べる。すなわち己を知ることで、最低でも引き分けに持ち込めると、説いているのである。

孫武の「五事七計」においても、基本は平素から我が五事を確立することである。五事を現代風に解釈すれば、「道」は国家あるいは君主が民意を統一して戦争に向かわせる基本方針であり、国家戦略に相当する。「天」とは明暗、天候、季節などの気象または時機(タイミング)を指す。「地」とは地形や地理などの環境的条件、「将」とは国家指導者や作戦指揮官、「法」とは組織、制度、指揮法などとなる。

つまり、我が相手国に勝利するためには、これらの要素が不十分でないかを調査し、強点と弱点を知る必要がある。 敵を知ることに対し、我のことはいつでも知ることができると考えられているためか、軽視されやすい。だから、誰しも我に関することは意外と知らないものである。

先の太平洋戦争では、相手国である米国のことも知らなかったが、それ以上に我の補給・継戦能力、陸軍・海軍双方の戦略・思考など、我に関するインテリジェンスが不十分であった。まさに、「戦う毎に必ず敗れる」の状況であったのである。  

9.11以降、己の弱点を知ることが潮流

2001年の9月11日の同時多発テロ以降、国際テロ組織が主たる脅威の対象となってきた。テロ組織は、冷戦期の敵のように所在が明確ではない。だから、テロ組織が何を考えているのか、どのような能力があるのかよくわからないのである。

そのため、アメリカの趨勢は「敵を知る」ことから、「己を知る」、とくに「己の弱点を知らなければならない」という流れに変わってきているという。 なお、この考え方が派生して、アメリカでは「己の弱点を知る」ためのビジネス・インテリジェンスが活性化しているといわれている。つまり、不透明な社会において、己の力量を知ることはさまざまな分野において重要になっているということである。

地形・気象を知ることが重要

孫武は、「戦争は国の大事である」ので、「之を経(筋道をつける意)するに五事をもってする」とし、その五事(後述)のなかで「天」と「地」をあげている。「天」とは気象、「地」とは地形を指す。気象と地形を合わせたものを地域と呼ぶ。

そして孫武は、「彼を知りて己を知らば、勝ち乃ち殆うかず。地を知り、天を知れば、勝すなわち窮(きわま)らず」(地形編)と述べる。つまり、「彼我に加えて地域に関するインテリジェンスを獲得することで戦勝が確実になる」説いているのである。

また、「それ地形は兵の助けなり。敵を料(はか)って勝ちを制し、険夷・遠近を計るは、上将の道なり。これを知りて戦いをおこなう者は必ず勝ち、これを知らずして戦い行う者は必ず負ける」(地形編)と述べている。

これは、簡潔に訳せば、地形は補助手段にすぎず、まず敵を知り、戦勝の法則を確立したうえで、敵と我を地形の上に乗せて、その利・不利を考察せよ、ということである。 これらの記述に限らず、第7編「軍争」から第11編「九地」にわたる五つの編において地形や気象を取り扱わない編はない。

地の利を生かす

孫武は第10「地形編」で、地形をその特性からまず6つの基本的な地形に区分(通、掛、隘、支、険、遠)し、第11編九地編では、さらに戦場が国境内(国境地域含む)にあるか、あるいは故国から遠く離れた国境外にあるかで、9つに区分(散地、軽地、争地、交地、衢地 、重地 、圮地 、囲地 、死地 )し、その地形活用上の要点を論じている。

前の4つ、すなわち散地、軽地、争地、交地が国境内部で、後ろの5つが 国境外に相当する。後ろの5つは、第8「九変編」では「絶地」 という用語で登場する。 そして「絶地に留まること勿れ」(九変編)、「重地には則ち掠(かす)め」(地形編)などと述べ、遠く離れた国境外では長く駐留すべきではない旨と説いている。

わが国は先の大戦において、中国大陸に奥深く進出し、やがて兵站戦が延び切ってしまい、物資に支障を来たした。その後、米国を相手に遠く洋上の真珠湾を攻撃して開戦の火蓋を切ったが、やがては太平洋上の島嶼への補給が途絶えて、敗戦した。まさに絶地での戦いを強いられたのである。ここにおいても『孫子』の原則が生かされることはなかったといえるのだろう。

気象を味方にする

一方の気象についても、孫武は重要な示唆を説いている。とくに、第11「火攻編」では、「火を発するには時あり。火を起こすには日あり。時とは天の燥(かわ)くなり。日とは、月の箕(み)、壁(なまめ)、翼(たぬき)、軫(みつうち) 在るなり。およそこの四宿は風の起こるの日なり」と述べる。

これは、火攻めを行うには、適した時期があり、火を燃やすには適した日がある。それは乾燥して火が燃えやすい時である。日というのは月が天体の4星宿(28宿のうち)の方向にある時で、月がこれら4つの星座にかかるときが風の起こる日である、と訳せる。

火攻めは、現代に例えるならば軍事攻撃、一方の水攻めは経済制裁ということになる。経済制裁は遅行性であるが、軍事攻撃は即効性であり、時機(タイミング)が命である。 ヒトラーのソ連攻撃は“冬将軍”の到来で頓挫した。2003年のアメリカの軍事攻撃は、砂漠の砂嵐の時期を回避するよう慎重に決定された。

現代戦では戦略環境を知ることが重要

『孫子』は、ほぼ全編にわたって地形や気象が作戦に影響を与えること、地形や気象を有利に活用することを述べている。現代戦においても、戦争の場における地形を偵察したり、気象の影響を考慮したりして、それらを作戦計画に反映することはいうまでない。 

ただし、現代戦は『孫子』の時代とは異なり、総力戦を帯びており、様々な環境要因が戦いの趨勢に影響を及ぼす。よって、ここでいう「地」と「天」は広く解釈する必要がある。つまり、「地」とは固定的な空間であり、すなわち地理的環境、一方の「天」とは流動的かつ時間的であり、国内外情勢にあたると解釈できる。

つまり、わが国が生存・繁栄するうえで影響を受ける地理や国際情勢などの戦略環境を広く理解する必要があるということである。

地政学の視点を持つ

今日、国際情勢を見る上で地政学という考え方がある。地政学の論拠は「人 間集団としての国家の意図は地理的条件を活動の基盤としている」という点にある。つまり、地理的条件が民族の特性を形成し、国家の活動基盤になると考え方である

 マキャベリは「寒い地方の人は勇気があるが慎重さに欠け、厚い地方の人は慎重だが勇気に欠ける」と評した。

和辻哲郎

日本の思想家である和辻哲郎は、モンスーン、砂漠、牧場に区分して、人間存在の構造を把握した。このように地理と国民性との関連性は従来から戦略家・思想家が認めるところである。

現在の地域紛争も畢竟、地域的に偏在する資源、資源の輸送ルート、集中する市場などを巡る角逐である。よって地域紛争の動向を予測するうえでも地政学的思考は欠かせない。

わが国の地政学的な環境に目を向ければ、米・中・ロという三大超大国に囲まれ、資源を海外に依存する海洋国家という特徴がある。海洋国家は自国の生存と繁栄を海上交通路に依存している。したがって、それをコントロールできる海軍強国と連携するのが得策である。

わが国は海洋国家との連携が必要

わが国は1902年に海洋国家である英国と同盟を結び、朝鮮半島から大陸に進出する海上交通路をコントロールしたことで日露戦争に勝利した。しかしその後、中国大陸に進出し、大陸国家ドイツと同盟を結び、海洋国家米・英を敵にしたことで資源が途絶され、このことが敗戦の原因となった。

かかる地理的環境や歴史を踏まえるならば、わが国の戦略は米国との同盟を堅持して、中国及びソ連に対する防衛に備えることになろう。このような戦略眼を『孫子』から養うことも肝要である。

我が国が生存・繁栄するための有用なインテリジェンスを生成するうえでは、地理と国民性、地理と歴史という視点を考察することが重要である。これらのことを『孫子』から汲み取ることができるのである。

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