『武器になる情報分析(インテリジェンス)』 体験講座 

混迷の世界を透視する技術: 防衛省 元情報分析官 による『武器になる情報分析(インテリジェンス)』 体験講座を、2019/10/24(木)の18:00-20:30まで、PARK6(六本木ヒルズ)で開催します。

詳細は、
https://peatix.com/event/1305395/
をご覧ください。

概要を紹介します。この講座は、本年6月に上梓した拙著『武器になる情報分析力』の記念講座であり、ビジネスパーソン向けのリベラル・アーツ学習を運営されている「麹町アカデミア」さまの企画によるものです。

2016年に私は、初の単著である『戦略的インテリジェンス入門』を上梓しました。それが縁で、2018年4月に、「麹町アカデミア」さま主催のビジネスパーソン向けの情報分析講座(3日間、計10時間)を受け持ちました。その際に使用したテキストを再整理するとともに、同講座の概要についての紹介を付録にて掲載し、書籍化したものが新著『武器になる情報分析力』です。

今回は、この新著の記念講座という位置づけですが、1回限りの2時間半です。時間が限られていますので、皆様には抽出したいくつかの分析手法を使って少しだけ体験していただく、そして私の方からコメントする、どちらかいえば、講義が6割から7割になろうかと思います。

テーマは東アジア情勢の将来動向を考えていますが、まだ具体的に何をお話しするか、どのような体験をしていただくかは未定です。というのも、北朝鮮のミサイル発射、竹島上空での中ロ協同空中監視訓練、香港デモ、悪化する日韓関係など、注目する事象があまりに多く、しかも流動的であるからです。

私の講座は、「情勢がこうなります」という答えを私から提示するものではありません。週刊誌の取材などでは、私もコメントを提示しますし、情勢推移の予測などに対する私なりの答えは持っています。しかし、一般的な答えが必要であれば、テレビやインターネット記事上の専門家諸氏があれこれと解説されています。私のコメントもおおむね同じです。

しかし、自分が本当に知りたいことは、自分自身で答えをださなければなりません。そのための知的武装力を提供することが、私の著作目的であり、講座なのです。自分で苦労して考える、その中で思考法を身に着ける、これがビジネスや個人の問題解決に生かされると思います。

ご興味がおありの方は、上記のプロトコルからサイトにお入りいただき、お申込みをお願いします。

心理戦とは何か?

▼心理戦の定義 

心理戦はPsychological warfareあるいは短くしてPsywareとよばれる。ただし、これを厳密に訳せば心理戦争ということになる。しかし、第二次世界大戦が終わり、冷戦期が続くなか、「戦争」が忌み嫌われるがごとく、Psychological warfareよりも、Psychological Operationsの方が一般的に使用されるようになった。  

また、1962年の米陸軍の教範(『Dictionary of U.S.Army Terms 1961』)では、両者を次のように定義している。

Psychological Operations:

Psychological activities と Psychological War¬fare を含み敵、敵性、中立及び友好国に対し米国の政策、目標の達成に望ましい感情•態度、行為を起こさせるために計画される政治的、軍事的イデオロギー的行動。

Psychological Warfare:

戦時又は非常事態において、国家の目的あるいは目標達成に寄与するため敵、 中立、あるいは友好諸国に対し、その感情、態度、行為に影響を与えることを主目的として行なう宣伝及びその他の行動の利用についての計画的な使用。

なお、米陸軍はPsychological Warfareをinformation warefare(情報戦争)の七つの形態の一つに位置づけている。

つまり、米陸軍教範の日本語訳では、心理作戦は心理戦を包含した概念であるが、しかし、わが国では心理作戦という用語になじみがない。よって、Psychological OperationsとPsychological warfareを区別して論じる場合には、前者を「心理作戦」、後者を「心理戦」と呼称するこことし、両者を特段に区別して論じる必要がない場合は、たんに心理戦と呼ぶことの方がよいだろう。

また、心理戦を広義に捉えた場合、政治戦、外交戦、思想戦、イデオロギー戦争、国際広報などの類語に置き換えられることもしばしばある。それは、平時であるか有事であるかを問わず、国家は相手側の組織員である人間の心理に働きかけて、自らの立場を有利にしたり、利益を追求する活動を行っており、これが戦争と呼ぶにふさわしい熾烈な戦いになるからである。

ここでは心理戦とは、「広義には国家目的や国家政策、狭義には軍事上の目的達成に寄与することを目的として、宣伝その他の手段を講じて、対象(国家、集団、個人等)の意見、感情、態度及び行動に影響を及ぼす計画的な行為である」と、一応定義することにする。

▼心理戦の重要性の高まり

戦争であれ、ビジネスであれ、相手側に対して精神的に有利に立つことが、目的達成の近道となる。 古代中国では、紀元前四世紀の「孫子」の兵法において、「戦わずして勝つ」ことが最良と説かれたが、これも心理的な圧力形成によっての屈服を強要する心理戦である。

その中で心理戦の効能を端的に表すものが、第七編「軍争」の「三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし」であろう。これは、「軍隊から気力を奪えば弱くなり、将軍から心を奪えば勇猛さを失う」という意味である。 つまり、士気を喪失させれば、自ずと戦わずして戦勝を獲得できるということだ。

三国時代においても心理戦が重視された。諸葛孔明(諸葛亮)孔明が南征するとき、馬謖(ばしょく)にどんな策を取るかと尋ねた。馬謖は、「用兵之道、攻心為上、攻城為下。心戦為上、兵戦為下。」と答えた。つまり、兵法の基本は心理戦が上策であり、武力行使は下策であるということである。  

現代のようなICT化時代では、インターネットの普及とともに、心理戦の主体や活動範囲が増大している。 1999年11月の米国シアトルにおけるWTO閣僚会議の時に、経済のグローバル化に反対する大衆が世界各地から集結し、会議場外で過激な行動をとった。この呼びかけ手段は主にネットであった。つまり、大衆が国家組織に対して圧力を掛ける手段を得た。

同年 のNATO空爆作戦では、セルビアはネット上のアニメを使って、NATO軍をナチスになぞらえたり、セルビアから独立を企む武装グループのコソボ解放戦線が麻薬取引に手に染めている状況をプロパガンダしたりした。時のクリントン米大統領やオルブライト国務長官を漫画にして貶めるようなものもあった。

つまり、相手側の〝極悪非道振り〟をインターネット上で配信し、敵対勢力に対する嫌悪感を 国際の大衆に広く扶植した。

最近では、テロリストが心理戦を武器にするようになった。イスラム国が、ソーシャル・メディア上でハッシュタグなどを活用したメッセージの発信や、デジタル技術・音楽を活用した完成度の高い動画を通じ、組織の宣伝や戦闘員の勧誘、テロの呼びかけなどを巧みに行い、多数の外国人戦闘員を魅了したことは記憶に新しい。

▼心理戦はビジネス等でも有用  

国内の政治闘争、ビジネス、個人競争においても心理戦は重要だ。なぜならば、これらの主体はすべて人間であり、相手側を心理戦で屈服あるいは心服させることが、我の希望を叶える近道であるからだ。そのため、心理戦を有利に展開するための理論となる心理学はさまざまな人間活動における武器となっている。

最近では、「ビジネス心理戦」という言葉もあり、これに関する書籍も出回っている。これら書籍では、競合会社に抜きんでる、顧客を魅了する、交渉相手を納得させるなどの秘訣が述べられている。

インターネットの発達によって、企業は活発にPR戦略、マーケッティング戦略などを展開しているが、顧客に「買いたい」「欲しい」「チャンスを逃してはならない」などの心理状態を醸成することが目標である。 心理戦は歴史的には戦場における作戦や戦術の一つとして発達したが、今日ではビジネスにおける研究の方が隆盛を極めている。

だから、国家安全保障に心理戦を活用するうえではビジネス事例が参考になる。ぎゃくにビジネス心理戦においても、戦場から発生した心理戦の歴史や、歴史的に明らかにされた心理戦の特質などを理解しておくことが重要であろう。 (次回に続く)

東アジア情勢の基本構造をみる

最近は、東アジアをめぐる情勢が一段ときな臭くなってきました。

クロノロジーにしてみますと、以下のとおりです。

7/23 ロシア機が韓国竹島の領空侵犯、中露初の合同監視訓練の実施      

7/24 中国「国防白書」発表。米国を激しく批判、尖閣を固有領土と発表するも対日批判は抑制的、台湾統一のための武力行使は放棄せず           

7/25 北朝鮮、ミサイル発射                        

7/26 韓国大統領府、米韓合同演習中止せずと発表             

7/28 北朝鮮、対南宣伝サイト「わが民族同志」で、日韓の軍事 情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を韓国に要求

8/1トランプ米大統領、北朝鮮の弾道ミサイル発射試験について、「(短距離なら)問題ない」と述べた 

8/2北朝鮮、日本海に向けて飛翔体2発発射

8/2トランプ米大統領、北朝鮮のミサイル発射に対し、米朝首脳会談の合意に違反せずとの見解を提示

8/5米韓合同演習開始

8/6北朝鮮が日本海に向けて正体不明のミサイル2発を発射

8/9トランプ米大統領、日韓首脳をやゆ、金正恩委員長との関係を誇示

8/10北朝鮮短距離弾道ミサイル2発を発射したと発表。ロシア製「イスカンデル」の北朝鮮版「KN23ミサイルの可能性」

以上のようなことから、米韓合同軍事演習に対して北朝鮮がさかんにミサイルを発射して牽制、トランプ米大統領は金正恩を刺激してこれまでの非核化の成果が水泡に帰さないよう配慮、米大統領は日韓対立を懸念して両国を牽制、日韓は北朝鮮に対する非難もできず、といった状況でしょう。

さらに、その下部構造に目を向けますと、中国、ロシア、北朝鮮が連携して、 米日韓の政治的、軍事的離間工作に着手しているように状況もかいまみれます。こうした背景には、米トランプ政権が発動した米中経済戦争、 日米安保の不公平発言、日韓の徴用工および半導体関連資源輸出規制などをめぐる対立、米朝の非核化交渉への停滞と経済苦境に苦しむ北朝鮮の内情、韓国の経済失速と国内の政権批判の高まり、 中ロのそれぞれの国内事情などが複雑に入り組んでいます。  

こうした複雑な情勢においては、さらに下部構造となる、東アジアの基本構造を押さえておくことが重要 です。まず、(1)中ロは対米において協調するが、長い国境線を接し、中央アジア等の利害対立から同盟関係には至 らない、(2)中ロ米はいずれも朝鮮半島の安定を当面は最優先してい る(変わる可能性もあるが、それはまだ見えていない)、(3)米中は経済相互依存関係から決定的な対立を回避する、とういうものです。

(3)については、最近になって「米中対立は避けられない」を 主張する書籍の出版や専門家の発言が増加しており、意見の分かれるところです。ただし、近代の歴史からみると、米国は中国と直接戦争したこともうありませんし、大戦後にお いてもさまざな対立はありますが決定的な対立を回避してきました。  

つまり、米中関係は波乱や紆余曲折がありましたが、経済のグローバル化などが要因となり、概して安定的に維持されてきたのです。筆者は現段階では、米中対立のシナリオよりも、摩擦を繰り返しながらも対立を回避するシナリオの蓋然性がやや高いと判断します。  

長期的にみれば、ロシアおよび米国との対立を上手に回避した中国はますます強大な存在になる可能性があります。そして、ロシアは人口減少などから影響力が低下して、日本も人口問題等から衰退する傾向が大との見方が一般的です。さらに米国はアジアから後退する可能性もあるということです。

このような基本構造を劇的に変化させるとすれば、やはり北朝鮮の核問題です。北朝鮮は2016年頃から核実験とミサイルを発射を繰り返し、あわや米朝軍事衝突かと懸念されました。しかし、今は2016年以前の情勢に後戻りした感があります。ただし、決定的に違うのは、北朝鮮の核ミサイル能力が格段に向上し、事実上、北朝鮮を核保有国として扱うような既成事実が生じている点です。

われわれは、基本構造、すなわちメガパワーとゲームチェンジャーが何かという視点で国際情勢を見て、わが国の国家戦略や政策の妥当性を判断していかなければならないと思います。

昭和のインテリジェンス(その14)   日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(4)─       

▼はじめに

さて、前回まで、諜報、防諜、宣伝のお話をした。これに謀略を加えて、秘密戦である。よって今回は「謀略」のお話をすることにしよう。 なお、太平洋戦争開始後においては、実にたくさんの戦史書籍 が出回っており、情報の失敗という切り口でも、さまざまな見解 が存在する。浅学菲才な筆者がとうてい太刀打ちはできるものではない。よって、本シリーズも太平洋戦争開始以前までに留め、あと2 回ちょうど40回をもって終了したいと考えているが、テーマ次第ではもう少し長くなるかもしれない。

▼秘密工作とは何か?

まず謀略を理解するうえで、秘密工作とは何か?について、筆者の著書『情報戦と女性スパイ』(並木書房、2018年4月) より関連記事を抜粋する。

情報活動には以下がある。 ・積極的情報活動は情報を収集(獲得)する活動 ・情報を分析してインテリジェンスを生成する活動 ・情報やインテリジェンスに基づいて公然に行なわれる政策や外 交 ・水面下で行なわれる「カバートアクション」(Covert action、 一般に秘密工作と翻訳される)に区分できる。

さらに収集する活動は、外国の新聞、書籍、通信傍受などから 公然と情報を収集する「コレクション」(Collection)と、専門 の組織によって諸外国の活動を非公然に観察して情報を獲得する エスピオナージ(Espionage)に区分できる。  

カバートアクションには「宣伝(プロパガンダ)」「政治活動」 「経済活動」「クーデター」「準軍事作戦」がある。(ローウェ ン・ソール『インテリジェンス、機密から政策へ』)  

一方の消極的情報活動は、 ・受動的で公然的に情報を守る「セキュリティ・インテリジェン ス」(Security Intelligence)、 ・非公然で能動的に情報およびインテリジェンスを守る活動まで含む「カウンターインテリジェンス」(Counter Intelligence) に区分できる。  

秘密戦士を育成するための旧軍組織である陸軍中野学校では、 秘密戦を「諜報」「防諜」「宣伝」「謀略」の四種類に区分していた。諜報がエスピオナージ、防諜がカウンターインテリジェン ス、宣伝と謀略がカバートアクション(秘密工作)にほぼ該当することになる。  

しかし諜報、防諜、秘密工作には厳密な垣根はない。たとえば、 防諜のためには相手側の動向を探る諜報が必要となる。秘密工作 を行なうにも諜報によって相手側の弱点を探り、我が利する点を 明らかにしておくことが前提となる。 フランス駐留軍総司令部の将校として、第二次世界大戦に参加 した戦史研究家のドイツ人、ゲルト・ブッフハイトは「(情報活 動の)それぞれの専門分野は密接な関係にあるので、管轄範囲を明確に区分しようとすることはほとんど不可能に近い」と述懐している。(ゲルト・ブッフハイト『諜報』)  

秘密工作を情報活動の範疇に含めるべきではないという議論は ある。しかし、これは情報組織による活動がエスカレートする過 程で生まれてきたものだ。秘密工作は非公然、水面下で行なわれ るのが原則だから公式の政府機関や軍事機関は使えない。したが って、CIAやKGBの例をあげるまでもなく、各国においては 情報組織がしばしば秘密工作を担ってきた。伝説の元CIA長官 のアレン・ダレスは、「陰謀的秘密工作をやるには情報組織が最 も理想的である」(アレン・ダレス『諜報の技術』) 以上、抜粋終わり) と述べている。

▼わが国の謀略の淵源  

わが国では秘密工作を「謀略」という言葉で総称することが多い。では、その謀略について国語辞典をひも解くと、「人を欺く ようなはかりごと」と定義し、「謀略をめぐらす」「敵の謀略に 乗る」などの適用例と、「たくらみ、はかりごと・策謀・密某・ 陰謀・秘密工作・欺瞞工作・宣伝工作・プロパガンダ」などの同義語・類語が挙げられている。

また、謀略に相当する英単語は Conspiracy、Plot、Deceptionなどとなる。 謀略は本来、旧軍の軍事用語である。総力戦研究所所長などを歴任した飯村譲中将によれば、「謀略は西洋のインドリーグ(陰謀)の訳語であり、参謀本部のロシア班長小松原道太郎少佐(のちの中将)の手によるものであって、陸大卒業後にロシア班に入 り、初めて謀略という言を耳にした」ということである。  

そして、飯村中将は「日露戦争のとき、明石中佐による政治謀略に関する毛筆筆記の報告書がロシア班員の聖典となり、小松原中佐が、これらから謀略の訳語を作った」と推測している。  

しかし、「謀略」の用例については、1884(明治17)年 の内外兵事新聞局出版の『應地戰術 第一巻』「前哨ノ部」に 「若シ敵兵攻撃偵察ヲ企ツルノ擧動ヲ察セハ大哨兵司令ハ其哨兵 ノ報知ヲ得ルヤ直チニ之ヲ其前哨豫備隊司令官ニ通報シ援軍ノ到 着ヲ待ツノ間力メテ敵ノ謀略ヲ挫折スルコトヲ計ルヘシ」という 訳文がある。  

また「偕行社記事」明治25年3月第5巻の「參謀野外勤務 論」(佛國將校集議録)に「情報及命令ノ傳達 古語ニ曰ク敵ヲ 知ル者ハ勝ツト此言ヤ今日モ尚ホ真理タルヲ失ハサルナリ何レノ 世ト雖モ夙ニ敵ノ謀略ヲ察知シ我衆兵ヲ以テ好機ニ敵ノ薄弱點ヲ 攻撃スル將師ハ常ニ赫々タル勝利ヲ得タリ」という訳文がある。 (なお、上記「謀略」の用例と、偕行記事の訳文については、 『情報ということば』の著書小野厚夫氏から提供を受けた)  

したがって、日清戦争以前から「敵の謀略」という用法はあっ た。ただし、当時の陸軍の知識人として名高い、飯村中将をもってしても「謀略」にあまり馴染がないことに鑑みれば、日露戦争以後になって、謀略という言葉が軍内における兵語として逐次に 普及するようになったとみられる。

▼軍事教典における謀略  

昭和に入り、1925年から28年にかけて作成された『諜報 宣伝勤務指針』において次のように定義された。 「間接或いは直接に敵の戦争指導及び作戦行動の遂行を妨害する目的をもって公然の戦闘若しくは戦闘団体以外の者を使用して行 なう破壊行為若しくは政治、思想、経済等の陰謀並びにこれらの指導、教唆に関する行為を謀略と称し、之がための準備、計画及 び実施に関する勤務を謀略勤務という」  

このほか、『統帥綱領』(1928年)では以下のように記述され ている。 第1「統帥の要義」の6 「巧妙適切なる宣伝謀略は作戦指導に貢献すること少なからず。 宣伝謀略は主として最高統帥の任ずるところなるも、作戦軍もま た一貫せる方針に基づき、敵軍もしくは作戦地域住民を対象とし てこれを行ない、もって敵軍戦力の壊敗等に努むること緊要なり。 殊に現代戦においては、軍隊と国民とは物心両面において密接な る関係を有し、互いに交感すること大なるに着意するを要す。敵 の行う宣伝謀略に対しては、軍隊の志気を振作し、団結を強固に して、乗ずべき間隙をなからしむるとともに、適時対応の手段を 講ずるを要す。」

『統帥参考』(1932年)では以下のように記述されている。 第4章「統帥の要綱」34 「作戦の指導と相まち、敵軍もしくは作戦地の住民に対し、一貫 せる方針にもとずき、巧妙適切なる宣伝謀略を行ない、敵軍戦力 の崩壊を企図すること必要なり」  

以上のことから、謀略は暴力性、破壊性、陰謀性の要素が大き く、宣伝謀略という複合単語の存在から、宣伝と謀略は一体的に行な ってこそ効果があるという認識が持たれたのである。

▼謀略課の新設  

1937年7月の支那事変の勃発により、わが国は戦時体制へと移行した。しかし、近代戦には必要不可欠とされた宣伝、謀略、 暗号解読、その他の特殊機密情報を扱う機関は、課にすらなっておらず、わずか数人の参謀将校が細々と第2部第4班として、よ うやく存在を保持していた。  

そこで、1937年秋に第4班を独立の課に昇格する案が検討 された。同年11月に陸軍参謀本部及び海軍軍令部をもってその まま最高統帥機関たる大本営が設置され、その下に陸軍部及び海 軍部が設置された。  

参謀本部第2部は大本営陸軍部第2部となり、外国における諜 報機関(特務機関)を臨時増設し、外国における秘密戦を展開することになった。 大本営の設立と同時に第2部に宣伝謀略を担当する課として、 大本営陸軍参謀部第8課(宣伝謀略課)が新設された。支那事変 の早期解決を図るため、参謀本部はこのような課の設置の必要性 に迫られたのである。  

それまでは、各国に駐在する大(公)使館の武官からの報告を唯一のインテリジェンスとしていたが、8課でも独自に国際情勢の判断、宣伝、謀略の3部門を扱うことになったのである。  

初代の第8課長には中国通の砲兵大佐・影佐禎昭(陸士26期) (かげささだあき、最終階級は陸軍中将)が補せられた。なお、 谷垣禎一・元自民党総裁の母方祖父が影佐大佐である。

▼謀略の特質  

ところで、謀略とはどのような特質を有するのか? 謀略とは秘密戦の構成要素であり、それは武力戦と併用されるか、あるいは単独で行使される。  

諜報、謀略、宣伝、防諜が秘密戦と呼ばれるのは、それは秘密の「目的」を持ち、その目的を達成するための「行動」に秘密性 が要請されるからである。 ただし、謀略の場合には「目的」はあくまで秘密とするが、 「行為」は大胆に行なわなければならないことが少なくない。たとえばある秘密目的を達成するためには、物件を爆破・焼却した り、暴動やデモ行進をしたり、暴露宣伝を行なったりする必要がある。  

秘密戦の究極的な目的は、「戦わずして勝つ」ことにある。つまり、武力戦を回避するために、平時においては敵性国家間との力のバランスを確保して、戦争を抑止するとともに、開戦を決意 した場合においては、同盟国間の盟約をより確実なものとすると共に、敵国を孤立さて不利な条件のもとに誘い込む、早期の停戦 合意の契機を作為するなど、知的策謀を働かせることにある。  

秘密戦の「攻」の部分は、諜報、宣伝、謀略からなるが、諜報及び宣伝はあくまで秘密戦の前提行為としての性格を有するのであって、それ自体が独立して存在する戦闘的破砕行為ではない。  

したがって、秘密裡の戦闘においては、まず諜報をもって敵情を明らかにする、ついで宣伝により、我の有利となるよう謀略の正当性と事前に確保し、謀略の効果を助長する基盤を構築する。そのうえで謀略をも って敵を破砕することが原則なのである。 つまり、諜報、宣伝は謀略のための補助手段であって、謀略こそが秘密戦 における主体なのである。    

謀略は遥かに実力が上回る相手には通用しない。この点は歴史的に明らかである。 智慧を働かせて、敵兵力を謀略により次々と破った楠木正成であったが、大兵力を結集した足利尊氏には結局は適わなかった。

日本軍は謀略的な戦いによって真珠湾攻撃で幸先の良いスター トを切ったが、結局は米国の経済力、米軍の物量戦の前には適わなかった。 つまり、謀略は対等もしくは対等より少し上の相手には通用するが、謀略には限界があることを認識しなければならない。 なんでもかんでも謀略に依存するのは愚の骨頂である。

▼わが国の戦後における謀略に対する認識  

戦後になって、わが国では謀略がタブー視されている。日中戦 争が“卑怯なだまし討ち”、すなわち謀略によって開戦され、結局は太平洋戦争 における不幸な敗戦という結末を迎えたという認識がその根底にある。

謀略からイメージされるのが1931年の満洲事変である。 戦後の歴史認識において満洲事変は、「中央の日本政府や軍首脳 の承諾もなく、関東軍中枢の軍人によって計画され、実行された謀略であった」と語られる。  

通説によれば、「当時、関東軍は満洲にある中国軍拠点を攻撃 し、満洲全土を占領して満洲権益をより確実にしようと企んでい た。しかし、政府の承認を得るのは容易でなかったので、満洲鉄 道での爆破事件を作為し、この犯人を中国人であるかのようにでっちあげた。これによって被害者の立場を喧伝し、戦争大義を獲 得した」とされる。  

満洲事変がのちに太平洋戦争へと発展し、敗戦という憂き目に あうことになる。つまり、“卑怯なだまし討ち”である謀略が敗因の最大原因であった、という文脈で語られてきたのである。

だからこそ、謀略は二度と起こしてはならないと強くタブー視 されることには説得力がある。そして謀略を研究することはおろか、謀略を語ることだけでも“危険思想”としてみられかねない。

▼ 謀略の言葉の淵源  

しかし、中国において謀略は卑怯なもの、との認識はない。む しろ、謀略を効率的な戦法、「戦わずして勝つ」ことを実現する、 血を流さないきれいな戦い、「智慧の戦い」として称賛される傾向すらある。 されゆえに「謀略」を冠する書籍が巷に多く流通している。

「謀略」という言葉は中国では古代から用いられていた。もとも と「謀略」という言葉がいきなり登場したのではなく、「謀」と 「略」が異なる時代に登場し、いつのまにか一体化して用いられるようになったようである。なお、中国の『説文大字典』によれ ば、謀の登場は略の登場よりも一千年早く登場したようである。  

同字典では、「謀」は「計なり、議なり、図なり、謨なり」と され、古代ではこれらの言葉は非常に似通った意味で使用された ようだ。『尚書』では謨が登場するが、この字の形と読音が謀と 似通っており、謨が謀に発展したとみられている。   

なお「謀」が中国において最初に使用されたのは『老子』の 「不争而善勝、不言而善応、不召而自来、?然而善謀」である。こ こでも「戦わずして勝つ」という謀略の重要性が説かれている。

そして『孫子』謀攻篇においては、「上兵は謀を伐ち、その次 は交わりを伐つ」と記述され、「謀略」は敵を欺き、「戦わずし て勝つ」ことの意味で用いられた。なお、『孫子』における「計」 「智」「略」「廟朝」、『呉子』における「図」などは謀の別称 といえる。  

中国では古来、才能有徳の士を「君子」と尊称し、その君子が 事前に周密な計画を立てることを「謀」といった。これを政治・ 軍事面で用いた言葉が「謀略」である、との見解がある。  

つまり、謀略は策謀、智謀の代名詞であり、そこには決して卑 怯的な要素はないのである。つまり、中国はどうどうと謀略を実 施し、それは国民から称賛される。そして現在の国際政治におい て、中国は積極的に謀略工作を仕掛けることを得意としているのである。  

▼わが国においても謀略研究は必要

わが国が、謀略の失敗によって敗戦に至ったことは十分に反省 して、二度と無謀な謀略を繰り返してはならない。 しかし、近隣の大国である中国における謀略の解釈等を鑑みれ ば、わが国が謀略をタブー視して、これから目を背ける訳にはい かないだろう。 少なくとも、周辺国等による謀略に対処するための、謀略研究 は必要ではないだろうろうか。

戦争プロバガンダ10の法則で韓国を切る

『戦争プロバガンダ10の法則』とは

『戦争プロバガンタ゛10の法則』は、ブリュセル自由大学・歴史学者のアンヌ・モレリの著作です。

彼女は、1928年ロンドンで出版された、アンサー・ポンソンビーの衝撃的な著書『戦時の嘘』などを参考に、この本を書きました。ポンソンビーは、第一次世界大戦時の英国労働党議員で、イギリスの参戦に反対しました。平和主義者の彼は、「ディリー・メール」紙の社主・ノースクリフ卿の指揮のもとで行われた、第一次世界大戦におけるプロパガンダを分析し、その様相を10項目の法則に集約しました。

モレリは、この10の法則に照らし、ポンソンビーの分析を引用しつつ、第一次世界大戦から現代までの戦争におけるプロパガンダの手口を明らかにしています。

現在、日韓対立が深刻化しつつあり、なかなか着地点がみえません。韓国の言い分は『戦争のプロパガンダ10の法則』さながらです。この「10の法則」に基づき、ざっとみてみましょう。

()は10の法則です。その下記は各種報道から韓国が発言しているようなことを筆者が作文したものであり、実際に韓国側がこれを発言したわけではありません。韓国側のプロパガンダを、「10の法則」で分析することにより、韓国側の発言上の思惑や、今後に仕掛けてくる舌戦の様相を分析、推察しようとするものです。

(1)我々は戦争したくない

我々は日本と対立したくないのだ。先の火器官制レーダー照射事件は“根も葉もない”日本側の捏造であった。徴用工問題は韓国の大多数の人々の情緒に絡む問題であり、司法の判断だ。韓国政府の問題ではないのだ。我々政府は、これまで築きあげた日韓関係を重視して、「より前向きの関係を作ろう」と言っているのだ。

(2)しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ

今回、日本が徴用工問題の復讐という卑劣な目的で、一方的に半導体関連物資の輸出規制を行なってきた。これは韓国に対する〝銃声なき経済戦争〟であり、安定した日韓関係を希求するわが国への重大な挑戦だ。

(3)敵の指導者は悪魔のような人間だ

金正恩委員長とトランプ大統領との歴史的な会談をお膳立てしたわが国への嫉妬心から「禁輸措置」に出た安倍はなんと偏狭な指導者であろうか。帝国主義者の安倍は、外交問題を国内政治に理由している。極右勢力結集のためのきっかけが欲しかったのだ。憲法改正して、再びアジア侵略の歴史を繰り返し、アジアの人々を苦しめるであろう。

(4)われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う

我々が守ろうとしているのは自国の利益といった狭小なものではない。自由貿易体制の秩序破壊という日本の挑戦に対して、わが国は世界の代表として断固として戦うというものである。

(5)われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為を行なっている

戦略物資の不正輸出はたしかにある。ただし、わが国は不正輸出を適切に摘発し、管理しているではないか。日本から輸入したフッ化水素が北朝鮮に流失した証拠はないし、ましてや意図的に流失するなどでっちあげも甚だしい。

日本こそ意図的に「韓国が、国連の対北朝鮮制裁に違反した」とのでっちあげにより、わが国の国際的立場を貶めようとしている。なんなら、事実関係を確認するために、国際機関による調査をしようではないか。

(6)敵は卑劣に兵器や戦略を用いている

政治、外交の案件に対して、経済的に優位な立場を利用して制裁しようとしている。誠に卑劣な手段であって経済大国のとるべき対外政策ではない。多くの経済発展途上国は日本の今回の軽率な行動に失望している。

(7)我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大

輸出規制による韓国の被害はむしろ小さいことが分かった。日本の輸出関連企業の被害の方が大きいようだ。韓国は輸入先の多角化と国産化の道を進める。結局は、日本経済に大きな被害を及ぶことを警告する。日本の輸出規制によって世界経済は大損害を被り、日本は経済的、政治的にも世界中に敵を廻すことになろう。

(8)芸術家や知識人も正義の戦いを支持している

我々の毅然とした対応を国民全員が支持している。わが国民は日本の不埒な行動に怒りを覚え、すでに「韓国も日本製の輸入を規制すべき」とか、「日本車などを買うのは辞めるべきだ」との反日世論が沸騰している。我々は、日韓両国の国民が互いに憎しみ合うことは欲していないが、その原因を意図的に作ろうとしているのは日本の方である。

(9)われわれの大義は神聖なものである

自由貿易体制を守る活動は全世界共通のものであり、わが国の主張は尊いものだ。しかるに今回の日本側の挑戦の不当性を国際政治の場で明らかにする。米国やWTOも韓国の正当性を支持するであろう。

(10)この正義に疑問を投げかける者は裏切者である。

わが国の一部保守勢力による軽率な反政府の発言や行動はただちに止めるべきだ。わが国政府の立場を不利にして、日本側を利することになることを理解せよ。わが国民は分裂している時ではない。分裂を画策する者は、国民から「親日派」「土着倭寇」と呼ばれて断罪されても仕方がない。

 

以上、「10の法則」で韓国側の発言および予想される発言を整理してみました。この10の法則は、相手側のブラパガンダの虚構を見破ること、およびわが国の政治宣伝、公共外交(パブリック・ディプロマシー)さらには経営戦略などにも応用できそうです。

わが国の情報史(37)  昭和のインテリジェンス(その13)   ─日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(3)─

▼はじめに

これまで、秘密戦の要素である諜報、防諜、宣伝、謀略のうち、諜報と防諜については説明した。今回は宣伝に焦点をあてて解説する。まさに「プロパガンダ恐るべし」である。

▼宣伝という用語の軍事的使用

 宣伝という軍事用語はいつから使用されるようになったのだろうか? 

 1889年に制定され、日露戦争の戦訓を踏まえて1907年(明治40年)に改訂された『野外要務令』では、「情報」および「諜報」という用語はわずかに確認できるが、「宣伝」という用語は登場しない。

 しかし、『野外要務令』の後継として大正期に制定された『陣中要務令』では、以下の記述がある。

第3篇「捜索」第73

「捜索の目的は敵情を明らかにするにあり。これがため、直接敵の位置、兵力、行動及び施設を探知するとともに、諜報の結果を利用してこれを補綴確定し、また諜報の結果によりて、捜索の端緒を得るにつとめざるべからず。捜索の実施にありては、敵の欺騙的動作並びに宣伝等に惑わされるに注意を要する。」

第4編「諜報」第125

「諜報勤務は作戦地の情況及び作戦経過の時期等に適応するごとく、適当にこれを企画し、また敵の宣伝に関する真相を解明すること緊要なり。しかして住民の感情は諜報勤務の実施に影響及ぼすこと大なるをもって上下を問わない。とくに住民に対する使節、態度等ほして諜報勤務実施に便ならしむるごとく留意すること緊要なり。」

 ここでの宣伝は、我の諜報、捜索活動の阻害する要因であって、敵によって行なわれる宣伝(プロパガンダ)を意味しているとみられる。これは、後述のとおり、第一次世界大戦における総力戦の中で行なわれたプロパガンダの様相をわが国も取り入れるようとの思惑が契機になったのであろう。

 「宣伝」がわが国の軍事用語としてより定着するようになったのは、昭和期に入って、『諜報宣伝勤務指針』および『統帥綱領』が制定された1920年代だとみられる。

 1925年から28年にかけての作成と推定される『諜報宣伝勤務指針』の第二編「宣伝及び謀略勤務」では、謀略の定義と共に宣伝について、用語の定義、実施機関、実施要領、宣伝および謀略に対する防衛などが記述されている。ここでは宣伝と謀略が一体的に定義されている。

 同指針から宣伝関連の記述を抜粋する。

 「平時・戦時をとわず、内外各方面に対して、我に有利な形成、雰囲気を醸成する目的をもって、とくに対手を感動させる方法、手段により適切な時期を選んで、ある事実を所要の範囲に宣明伝布するを宣伝と称し、これに関する諸準備、計画及び実施に関する勤務を宣伝勤務という。」

 一方の『統帥綱領』では以下のように記述されている。

第1「統帥の要義」の6

「巧妙適切なる宣伝謀略は作戦指導に貢献すること少なからず。宣伝謀略は主として最高統帥の任ずるところなるも、作戦軍もまた一貫せる方針に基づき、敵軍もしくは作戦地域住民を対象としてこれを行い、もって敵軍戦力の壊敗等に努むること緊要なり。

殊に現代戦においては、軍隊と国民とは物心両面において密接なる関係を有し、互いに交感すること大なるに着意するを要す。敵の行う宣伝謀略に対しては、軍隊の志気を振作し、団結を強固にして、乗ずべき間隙をなからしむるとともに、適時対応の手段を講ずるを要す。」

 1932年の『統帥参考』では以下のように記述されている。

第4章「統帥の要綱」34

「作戦の指導と相まち、敵軍もしくは作戦地の住民に対し、一貫せる方針にもとずき、巧妙適切なる宣伝謀略を行い、敵軍戦力の崩壊を企図すること必要なり。」

 以上のように、「捜索」あるいは「諜報」のように敵に対する情報を入手するだけでなく、敵戦力の崩壊を企図する、敵の作戦指導などを妨害する、あるいは我に有利な形成を醸成する機能を強化する必要性が認識され、そのことが「宣伝」を「謀略」ともに軍事用語として一般化したのである。

▼第一次世界大戦における宣伝戦

 心理戦の発祥は古来に遡るが、心理戦の重要性が認識され、組織的かつ計画的に行なわれるようになったのは第一次世界大戦からである。

 1948年に『Psychological Warfare』(邦訳名『心理戦争』)を出版したラインバーガーは、次のように述べる。

 「第一次世界大戦によって心理戦争は付随的な兵器から主要な兵器へと変容し、後には戦争を贏(か)ち得た武器とさえ呼ばれるようになった」

 心理戦の最大の武器となるのが宣伝戦である。よって心理戦はしばしば宣伝戦と呼び変えられることが多い。

第一次世界大戦における宣伝戦の主役は間違いなくイギリスであった。第一次世界大戦が開戦すると、イギリスは1914年8月、ドイツとアメリカ間の海底電線を切断した。当時、無線は使われ始めていたがまだ不十分であり、しかもイギリスが盗聴していた。つまり、イギリスは通信を独占し、アメリカにはイギリスが与える情報しか入らなくなった。

イギリスは独占した通信をもって、ドイツの誹謗中傷報道を流し、ブラック・プロパガンダにより、米国を欧州の大戦に参加させるよう画策した。イギリスの自由党議員チャールズ・マスターマンは1914年9月、戦争宣伝局(War Propaganda Bureau)、通称「ウェリントン・ハウス」を設置する。これは、外務省付属の秘密組織であった。

ここから、イギリス国内向けの戦意高揚施策や、敵国への謀略報道戦が展開された。イギリス外務省は学者、著名芸術家、文筆家を協力者として、ドイツの“絶対悪”をブラック・プロパガンダして、アメリカ人の人道感情を揺さぶり、アメリカを参戦へといざなったのである。

その後、戦争宣伝局は情報局を経て1918年には情報省へと発展し、新聞大手「デイリー・エクスプレス」紙の社主ビーヴァ─ブルック卿が情報大臣に任じられる。この時、ウェリントン・ハウスは解消されたが、主要なメンバーは残った。

また「タイムズ」紙と「デイリー・メール」紙の社主ノースクリフ卿が、彼の屋敷におかれた宣伝機関である「クルー・ハウス」からドイツに対するブラック・プロパガンダを展開した。

 クルー・ハウスは、ドイツの厭戦気運を盛り上げ、ドイツ兵の投稿を促すビラやリーフレットを大量に作成した。これらは気球などによってドイツ、敵陣営、中立国に投下された。

 とくに、ドイツが中立国に侵略して残虐行為を働いたとの虚偽のブラック・プロパガンダが展開された。また、ロイター通信が中立国に対し虚偽記事を配信し、国際世論の反ドイツ感情を煽った。

 アメリカは参戦後、新聞編集者ジョージ・クリールを委員長とする「広報委員会」、通称クリール委員会を発足させた。同委員会はイギリスと同様に新聞、パンフレットなどにより、反ドイツ感情を煽った。また、アメリカでは反ドイツ映画が作成された。かのチャップリンも反独映画の作成に協力した。

▼第一次世界大戦後のドイツ

第一次世界大戦後、宣伝戦争においては英国がドイツに圧倒的に有利であったことが明らかとなった。英国の宣伝を最も評価したのがヒトラーである。彼は『わが闘争』において、ドイツが英国の宣伝戦から学ぶべきである、とした。

ドイツでは1933年1月にナチスが政権を握ると、ただちに国民啓蒙・宣伝省を創設した(1933年3月)。ナチスで宣伝全国指導者を務めていたヨーゼフ・ゲッペルスが初代大臣に任命された。ゲッペルスは3月25日に次のような演説を行なっている。

 「宣伝省にはドイツで精神的な動員を行なう仕事がある。つまり、精神面での国防省と同じ仕事である。(中略)今、まさに民族は精神面で動員と、武装化を必要としている」

まさに宣伝戦が武力戦と同等の地位を占めるに至り、宣伝戦が国際社会を席巻する火蓋となったのである。

▼わが国が対外文化交流を推進

第一次世界大戦終了後の5月4日、わが国は北京において五四運動に直面することになる。これは、パリ講和会議(1919年1月)で、「日本がドイツから奪った山東省の権益を返還せよ」という中国の巧みな宣伝によって、山東省の権益返還が国際承認されたことに端を発している。

こうしたことから、わが国は国際宣伝の重要性に対する認識を高め、1920年4月、内外情報の収集・整理や宣伝活動を行なう「情報部」を設置(1921年8月)した。このほか、「国際通信社」や「東方通信社」といった対外通信社の強化を図った。また中国における対日感情を好転すべく、文化事業に力を入れた。

1930年代、ドイツが「ゲーテ・インスティトゥート」(1932年)、イギリスが「ブリティシュ・カウンセル」(1934年)を創設するなど、主要国が対外文化組織を設立するなか、わが国も1934年に財団法人・国際文化振興会を設立した。

同振興会は、メディア研究やプロパガンダ研究により、諸外国の文化交流を通じた親睦を深めて、対日国際理解を推進することが目的であった。文化人などの講師を海外に派遣・招聘し、日本文化の理解の普及につとめた。ニューヨークにはその出先機関として日本文化会館が置かれた。また1935年には日本放送協会による海外向けラジオ放送が開始された。

しかし、日中戦争以後の国際情勢が緊迫化すると、穏やかな「国際交流」という様相は脇に追いやられ、国内外に対するプロパガンダが重視されるようになる。

▼情報局の設立

第一次世界大戦当時、プロパガンダという言葉にまったくなじみのなかった日本は宣伝戦に大きく後れをとった。日本の新聞や雑誌にプロパガンダという言葉が現れるのは、1917(大正6)年以降である。(小野厚夫『情報ということば』)

上述のように中国の抗日宣伝に翻弄されたことや、第一次世界大戦における総力戦思想の跋扈に触発され、強力な情報宣伝の国家機関を設立しようとする動きが軍部などに生じ、陸・海軍や外務省では宣伝活動を展開する機関が設置されるようになる。

外務省は1921年8月に情報部を設置した(事務開始は1920年3月から)。他方、陸軍省は1920年1月に陸軍新聞班(1937年に大本営陸軍報道部、38年に陸軍省情報部、40年に陸軍報道部へと改編)、海軍省は1923年5月に軍事普及委員会(1932年に軍事普及部と改称)を設置した。

満洲事変以後、日本を非難する国際世論の高まりに対して、外務省は内田康哉外務大臣の下で対外情報戦略を練り直すことになった。1932年9月、陸・海・外務による情報宣伝に関する非公式の連絡機関「情報委員会」が設置された。これ以後、「情報宣伝」という複合語が盛んに用いられるようになる。

満洲事変による国際対日批判を払拭するため、日本は自らの立場を世界に訴え、国際理解を増進させる方針を選んだ。そこで武器となるのが世論を形成する新聞、その新聞にニュースを提供する通信社であった。

しかし、当時は電通(1907年設立)と聯合(1926年誕生)が激しく競争していた。1931年の満洲事変の発生では、陸軍をバックにつけた電通の一報は、事変発生後わずか4時間で入電し大スクープとなった。

両通信社による激烈な取材競争により、両社ともに経費が膨れ上がり、報道内容にも食い違いが生じた。このため政府部内や新聞界で両社を統合しようという機運が高まり、1936年(昭和11年)1月、同盟通信社が発足した。

1936年7月1日、非公式の連絡機関「情報委員会」を基に各省の広報宣伝部局の連絡調整や、同盟通信社などを監督する目的で「内閣情報委員会」が設立された。

1937年9月25日、連絡調整のみならず各省所管外の情報収集や広報宣伝を行なうために、内閣情報委員会は「内閣情報部」に改められ、情報収集や宣伝活動が職務に加えられた。

1939年、「国民精神動員に関する一般事項」が加わり、国民に対する宣伝を活発化させ、それを担うマスコミ・芸能・芸術への統制を進めた。

1940年12月6日、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的に、内閣情報部と外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局電務課、以上の各省・各部課に分属されていた情報事務を統一化することを目指して、内閣直属機関である「情報局(内閣情報局)」が設置された。

情報局には総裁、次官の下に一官房、五部17課が置かれた。第一部は企画調査、第二部は新聞、出版、報道の取り締まり、第三部は対外宣伝、第四部は出版物の取り締まり、第五部は映画、芸術などの文化宣伝をそれぞれ担当した。職員は情報官以上55名、属官89名の合計144名からなった。

しかし、陸軍と海軍は、大本営陸軍部・海軍部に報道部を設置したほか、陸軍報道部、海軍省軍事普及部の権限を委譲しようとはせず、情報局は内務省警保局検閲課の職員が大半を占めて、検閲の業務を粛々遂行し、宣伝活動において目立った成果はなかったのである。

(次回に続く)

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 2019年6月28日から29日に行われた大阪G20明けの株価が上昇しました。これは簡単ですね。米中両首脳が貿易協議の再開をさせることで合意したことが原因となり、結果として株価が上昇しました。

 でも、世の中には原因と結果が容易にわからないものがあります。皆さんは、「バタフライ効果」をご存じですか?

 これは、「ブラジルで蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか?」というもので、非常に些細な小さなことが、さまざまな要因を引き起こし、だんだんと大きな現象へと変化することを指す言葉です。日本の「風吹けば桶屋屋が儲かる」という諺のようなものです。

 実際には、蝶の羽ばたきとトルネードとの因果関係はありませんが、ちょっとしたことが、のちに大きなことを引き起こすことは多々あります。

 そのちょっとしたことを重大事項の兆候として感知できるかどうか、つまり、その兆候が単なる一過性の事象ではなく、大きなトレンドの上に成り立つ事象であって、他に影響を及ぼす「ドライビングフォース」となり得るかどうかを見極めることが重要です。

エルニーニュ現象の影響とは?

1972年にチリの沖合でエルニーニョ現象が発生しました。さてわが国では何が起こったでしょうか? 

実は豆腐が値上がりしたのです。

つまり、エルニーニョという海流の変化でカタクチイワシが捕れなくなった。それまでカタクチイワシは鳥や家畜の餌になっていた。それがなくなったので大豆を買う。それで日本への大豆の輸入が減って、豆腐が値上がりをしたのです。

 仮に、この因果関係にいち早く気づいたとすれば、株や先物取引でで大儲けができたかもしれません。物事を広く知っている、一片の兆候が何に影響しているか、何を引き起こすのかなど想像的に考える習慣を身につけると、困難といわれる未来予測の精度がほんの少し上がる。このほんの少しが、他の人をリードするのではないでしょうか。

米国において「なぜ犯罪率は減ったのか?

 『武器になる情報分析力』では、1990年代初頭の米国において「なぜ犯罪率は減ったのか?」という問題を扱っています。

この話は以前の本ブログ「因果関係は意外なところに!」で取り上げましたが、ここでもう一度同記事を抜粋します。

1990年代初頭の米国の事例をあげましょう。当時の米国では過去10年間、犯罪を増える一方でありました。専門家は、今後はこれよりも状況は悪くなると予測しました。しかし、実際には犯罪が増え続けるどころかぎゃくに減り始めてしまったのです。すなわち、未来予測を誤ってしまったのです。

「なぜ犯罪率は減ったのか?」という質問に対して、「割れ窓理論」に基づく警察力の増加や厳罰化、銃規制、高景気による犯罪の減少などの仮説があがりました。 しかし、そのような対策を行っていないところでも犯罪は減ったのです。

そこで調査したところ、予想もしなかった因果関係が明らかになったのです。それは「中絶の合法化」でした。 この因果関係を簡略化して示すと次のとおりです。貧しい家庭→未婚の女性の妊娠・出産が増加→貧困による子育て放棄、虐待、教育放棄→未成年者が犯罪予備軍→犯罪の増加でした。

当時の米国では長らく妊娠中絶は違法でした。 しかし、米国では1960年以降、性の解放の観点から、シングルマザーや中絶も1つの選択肢とされました。そして、歴史的に有名な1973年の「ロー対ウェイド判決」で、最高裁は7対2で憲法第14条に基づき、中絶禁止を憲法違反であると判定しました。 すなわち人工中絶法が設定されたのです。

つまり、この時期以降、貧しい未婚家庭に育った妊娠女性が子供を産まなかっくてもよくなったのです。その結果、1990年代に若者の犯罪予備軍が減り、犯罪率が減り始めたのです。

 常日頃から問題意識をもって観察力を磨く、本質を見抜く洞察力を鍛えることで、真の原因を探り、そして近未来予測が少しばかり可能になるということではないでしょうか。

わが国の情報史(36)  昭和のインテリジェンス(その12)

  ─日中戦争から太平洋戦争までの情報活動(2)─

今回は、第一次世界大戦後に、総力戦あるいは非武力戦の概念が打ち出されるなか、共産主義に対する防衛、すなわち「防諜」という言葉が登場し、わが国において官民の防諜体制の確立が強く叫ばれたことに焦点をあてることにする。

▼防諜という言葉の淵源と来歴

 1938年8月に「後方勤務要員養成所」として産声をあげた陸軍中野学校では、創立後しばらくたった頃から、従来いわゆる情報活動や情報勤務といわれていた各種業務を総括して、「秘密戦」と呼称するようになった。

 その秘密戦は諜報、宣伝、謀略、防諜と定義された(※ただし、秘密戦の呼称は各地域により、また各軍により、必ずしも統一的に使用されていなかった)

 しかしながら、1925年から28年にかけて作成されたと推定される、情報専門の教範『諜報宣伝勤務指針』では、諜報、謀略、宣伝という用語についての定義付けがなされているが、ここには「防諜」という言葉は登場しない。

 そもそも、「孫子」の例を持ち出すまでもなく、歴史的には情報を収集する活動が開始されたと同時に、それと表裏一体である情報を守る活動は開始された。情報を守る、すなわち情報保全あるいは情報秘匿が戦勝の鍵となったのである。

 『諜報宣伝勤務指針』においても、「対諜報防衛」という用語で、その活動について規定している。

 ここには、諜報勤務者を防衛することや対諜報防衛の要領を知悉することの重要性、対諜報防衛組織の全国的統一運用、相手国(対手国)の諜報組織とその諜報勤務上の企図を諜知することの重要性、相手国の諜報勤務の取り締まりための暗号解読、写真術の応用、特殊「インキ」や封印等の対策、無線電信の窃諜の必要性などが記述されている。

 このほか、要注意人物の発見や行動の把握、国境出入り者の検査の厳正なる実施、公然諜報員の獲得などのことが記述されている。

 しかしながら、上述の繰り返しなるが、『諜報宣伝勤務指針』には「防諜」という言葉はない。では「防諜」という用語はいつ登場したのであろうか?

 これは、1936年7月24日勅令第211号陸軍省官制の改正により、兵務局が新設されたことに端を発する。兵務局は、2.26事件(1936年2月)の影響や、のちの日独防共共協の締結(1936年11月)に象徴される共産主義イデオロギーの浸透に対する警戒などを背景に設けられた。

 そして兵務局兵務課は、歩兵以下の各兵科(航空科を除く)の本務事項を統括、軍紀風紀懲罰の総元締めとして軍事警察、防諜などを担当した。同「陸軍省官制改正」第15條には兵務課の任務が示され、6項で「軍事警察、軍機の保護及防諜に関する事項」が規定された。おそらく、これが防諜の最初の正式の用例だとみられる。

▼防諜とはどのような情報活動か?

 1938年9月9日に陸軍省から関係部隊に通知された資料である「防諜ノ参考」、及び陸軍省兵務局が各省の防諜業務担当者に配布した資料である「防諜第一號」から、当時の防諜に関する認識を整理すれば以下のとおりである。

◇陸軍は、防諜を「外国の我に向ってする諜報、謀略(宣伝を含む)に対し、我が国防力の安全を確保する」ことであると定義し、積極的防諜と消極的防諜に区分した。

◇積極的防諜とは、「外国の諜報、もしくは謀略の企図、組織または、その行為もしくは措置を探知、防止、破摧」することであり、主として憲兵や警察などが行なった。その具体的な活動内容は、不法無線の監視や電話の盗聴、物件の奪取、談話の盗聴、郵便物の秘密開緘(かいかん)などであった。

◇消極的防諜とは、「個人もしくは団体が自己に関する秘密の漏洩を防止する行為もしくは措置」のことであり、軍隊、官衙(かんが、※役所のこと)、学校、軍工場等が自ら行なうものであった。

主要施策としては、(1)防諜観念の養成、(2)秘の事項または物件を暴露しようとする各種行為もしく措置に対する行政的指導または法律による禁止もしくは制限、(3)ラジオ、刊行物、輸出物件および通信の検閲、(4)建物、建築物等に関する秘匿措置、(5)秘密保持のための法令および規程の立案及びその施行などがあった。

(『防衛研究所紀要』第14巻「研究ノート 陸海軍の防諜 ──その組織と教育─」を参考、※インターネット上で公開)

▼防諜体制の強化

 以上のように、2.26の影響や共産主義の浸透防止を目的に兵務局が新設され、日中戦争勃発(1937年7月)以降に防諜の概念が整理されるようになり、陸軍省から関係部署に防諜体制の構築が徹底された。

 つまり、従前の「対諜報防衛」は、相手側の諜報を防衛し、軍機の漏洩を回避するといった狭義の軍事的意味で用いられた。しかし、総力戦のなかで広範囲に諜報、宣伝、謀略が展開されるようになったため、国民を広く啓蒙し、官民一体となった相手国および中立国の秘密戦に対処する必要性が生じた。そのことが「防諜」という言葉に結集したといえるのではないだろうか。

 1937年8月に軍機保護法が全面改訂され、10月に新しい軍機保護法が施行された。1938年には、国防科学研究会著『スパイを防止せよ!! : 防諜の心得』(亜細亜出版社、インターネット公開)といった著書が出版され、国民に対して防諜意識の啓蒙が図られた。

 同著では、1防諜とはどんなことか、2防諜は国民全体の手で、3軍機の保護と防諜とは、4国民は防諜上どうしたらよいか、5スパイの魔手は如何に働くか、6外国の人は皆スパイか、7国民よ防諜上の覚悟は良いか、の見出しで、防諜の概念や国民がスパイから秘密を守るための留意事項が述べられている。

 同著は、「近頃新聞紙やパンフレット等に防諜という言葉が縷縷見受けられるようになってきたが・・・、又一般流行語の様に一時的に人気のある言葉で過ぎ去るべきものであるか、・・・」と記述しており、防諜が一般用語として急速に普及したようである。

 その後、防諜に関する著作、記事、パンフレットが定期的に頒布された。主なものには、『週報』240号「特集 秘密戦と防諜」(1941年5月14日)、『機械化』21号「君等は銃後の防諜戦士」(1942年8月)、引間功『戦時防諜と秘密戦の全貌』 (1943(康徳9)年、大同印書館出版)が挙げられる。

 その後、防諜は終戦までずっと、その重要性が認識され、国民への啓蒙活動が行なわれた。

▼防諜という用語が登場・普及した背景

 防諜という言葉が登場・普及した背景には、第一次世界大戦において非武力戦あるいは総力戦の概念が登場したこと、共産主義国家ソ連が誕生して国際コミンテルンが各国に共産主義イデオロギーを輸出したこと、満洲事変(1931年9月)以後のわが国の大陸進出に対する欧米、ソ連、蒋介石政権の対日牽制が本格化したことなど挙げられる。

 第一次世界大戦において、わが国はドイツが敗北した大きな要因が総力戦対応の失敗だと認識したようであり、これは当時の軍事雑誌では以下のように記述されている。

 「・・・これは前大戦の例を見てもわかります。前大戦の時、ドイツは武力戦では連合軍をよく撃破したのでしたが、非武力戦で銃後を攪乱され、折角の前線の勝利も銃後から崩壊してあの無惨な敗北を喫したのであります。

 戦争とスパイは付き物ですが、前欧州大戦の時にも、両軍のスパイはお互いに盛んに活躍したのです。スパイの活躍がどんなに戦争に響くかということは、今更申し上げるまでもなく皆さんのよくご存知の通りです。

 例えば軍の作戦が漏れた為に敵に乗ぜられるとか兵団の移動が探知された結果、意外な逆襲にあって大損害を蒙るとか、その影響は頗(すこぶ)る大きく、一スパイの活躍よく大兵団を葬ると云うが如き例はいくらもあるのであります。

 前大戦に於いて両軍の軍事スパイは幾多の目覚ましい手柄をたてています。然し結果的に考えてみますと、ドイツ軍のスパイは軍事的にのみ片寄り過ぎて、その他に方面には及ばなかったようです。同時に防諜という点でも、軍関係の秘密は守られましたが、他の方面の秘密は敵側に漏れていたようです。

 近代の戦争が武力戦のみでなく、非武力戦も戦争であると前に述べましたが、戦争に勝つことは、武力戦に勝つと同時に非武力戦にも勝たねばならないのであります。

 前大戦に於ける連合国側の様子を見ると、武力だけではドイツを降参させることは難しいと考え、非武力戦線にも力を入れようと計画したのです。その結果ドイツの経済、社会思想、政治等をよく調べ、銃後攪乱をやったり、謀略、宣伝に力を入れ、とうとう武力戦では勝利を得ているドイツを降参させてしまったのであります。謀略宣伝がどんなに威力のあるものか、非武力戦の勝利が如何に功を奏するかがこの例ではっきり解ります。・・・・・・・」

(「機械化」21号(昭和17年8月)「君等は銃後の防諜戦士」)

 また、当時の国際共産主義の輸出、拡大の情況を整理すると次のとおりである。

 ロシア革命(1917年)後の1919年にレーニンによってつくられたコミンテルンは共産主義の思想を各国に輸出した。日本もその例外ではなく、1922年に日本共産党がコミンテルン日本支部として設立した。これを取り締まるために1925年に治安維持法が制定された。

 1931年6月、コミンテルンの国際組織であるプロファインテル極東支部のイレール・ヌーランが上海で逮捕された。この事件によって、上海を中心にアジア各地にコミンテルンのネットワークが張り巡らされていたことが暴かれ、わが国も事の重大性を認識した。

 1930年代のファシズムの台頭に対しては、欧州各国で1934年から人民戦線の動きが強まった。これを受けてコミンテルンは、1935年のコミンテルン第7回大会で「反ファッショ統一戦線(人民戦線)」路線を採択した。

 中国では、これを受けて共産党が1935年、「8.18宣言」をだし、抗日民族統一戦線を国民党に呼びかけた。この延長線に締結されたのが日独防共協定であり、また日中戦争ということになる。

 日本国内においては、満洲事変以後にわが国が国連脱退したことなどにより、日本への外国人渡来者数や軍事関連施設の視察者が増加した。この中には、正体不明の多くのスパイが混入していた。

 このため、わが国は特別高等警察(特高)と憲兵隊を強化したほか、陸軍省は軍内の機密保護観念の希薄さを改めて問題視した。そして各省庁が連携して国家の防諜態勢を確立すること目指したのである。

 すなわち、官民が一体となった防諜体制の確立が目指されたのである。

▼二大スパイ事件が防諜の重要性を高める

 また、わが国におけるスパイ事件が防諜の重要性を高めた。その代表事例がコックス事件とゾルゲ事件である。

 1940年7月27日に、日本各地において在留英国人11人が憲兵隊に軍機保護法違反容疑で一斉に検挙された。これがコックス事件である。同月29日にそのうちの1人でロイター通信東京支局長のM.J.コックスが東京憲兵隊の取り調べ中に憲兵司令部の建物から飛び降り自殺する。

 当時、この事件は「東京憲兵隊が英国の諜報網を弾圧した」として新聞で大きく取り上げられ、国民の防諜思想を喚起し、陸軍が推進していた反英・防諜思想の普及に助力する結果となった。

一方のゾルゲ事件は、ソ連スパイのリヒャルト・ゾルゲが組織するスパイ網の構成員が 1941年9月から1942年4月にかけて逮捕された事件である。

 この事件についてはあまりにも有名なので、ここで詳細は述べないが、ゾルゲが近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実などを協力者として運用し、わが国が南進するなどの重要な情報を入手し、ソ連に報告していた。

(次回に続く)

群衆の英知と集団浅慮

自衛隊における情報教育とは

私は、防衛省や陸上自衛隊で情報分析官や情報幹部などの教育に長年従事してきました。

卓越した情報分析力の持ち主として著名な元外務省主任分析官の佐藤優先生や、タイ大使などを歴任され著名な外交官であった故岡崎久彦先生などのの著作を読むと、「やはり天才教育重視かな」と思ってしまいます。

私も在外大使館に3年ばかり勤務しましたので、なんなとなく外務省は個人の卓越したスキルで勝負する、いわゆる一匹狼的な組織だなと感じたことがあります。もちろん、仕事以外では仲良くしますが、専門の仕事に関しては、他に干渉させないといったある種の矜持があるように思います。

しかし、有事のための組織である自衛隊は組織集団で仕事します。情報についても有事における情報体制が基準としなければならならないと考えます。

有事にはあらゆる階層、領域の真偽混在の膨大な情報が流れてくることが予測されます。当然、大勢の者が分担して仕事を行うことになります。数人の専門家が国際情勢を予測するといった状況にはなりません。

したがって、私も自衛隊の情報教育に従事していた際、「数人の卓越した人材を生み出す(私が大した力量がないのでこれは無理)のではなく、集団のレベルアップを図ること」を信条としていました。

海軍大将・井上成美の教え

先日、ある後輩の現職自衛官数人が筆者を宴席に誘ってくれました。彼らは、拙著『戦略的インテリジェンス入門』を熟読してくれており、それを基にインテリジェンスに関する意見交換をしました。

そこで、筆者は自衛隊における情報教育の在り方について、上述のような思いを語りました。するとある自衛官が、「それは海軍兵学校の井上成美大将の言っていることですね」と、貴重な助言をしてくれました。

私は、元陸上自衛官だったので、井上大将がどんな人物かは知っていましたが、将校教育における彼の考え方は知りませんでした。そこで、是非、井上大将の発言内容をメールで教えてほしいと懇願したところ、以下メールが届きました。

昨日の井上成美大将の画一教育について、阿川弘之氏の小説に当該箇所の記述がなかったため、代わりに以下の論文をご紹介します。
「海軍兵学校教程へのドルトン・プランの導入と放棄について」(防衛研究所)

「井上は「海軍兵學校ノ敎育ハ画一敎育ニシテ、天才敎育ハ不可ナリ」と述べた上で「學校ノ努力ハ先ス劣等者ヲ無クスルコトニ注ガルベキナリ」との考えを残している(67)。

この文面のとおり兵学校では英才教育よりも底上げ教育を重視するべきと井上は説いている。戦場で勝利を得るために期待される特性の第一は、戦闘参加者の均質性である。

軍事教育は、軍種・職種といった専門性の違いや最前線の兵卒レベルから指揮官、高級参謀といった階層の違いを越えて、戦争における諸活動を統一的に考えることのできる。

知的基盤や心情的同一性を持たせるために必要な均質性を養うことを主眼にしなければならない。このことから一般に軍事教育では一斉教授法が向いており、実行上留意すべき点として全体の底上げを優先的に考えるのが妥当と考えられている。一方、戦勝を得るための主動、奇襲、陽動といった戦闘活動では発想の斬新さが重視され、そこで期待される特性は均質性の対極にある特異性である。

戦闘もしくは戦争の行方を左右するような指揮官に至るほど特異性が要求されるであろう。この特異性を得るために個別学習法を取り入れようとする動機が向上する場合がある。(67)水交会『元海軍大将井上成美談話収録』(水交会、1959 年)59-60 頁」

また、ウィキペディアの「井上成美」にも「教育思想」の項目で、画一教育について、紹介されています。

「井上は、教官たちに「自分がやりたいのは、ダルトン・プランのような 『生徒それぞれの天分を伸ばさせる天才教育』 ではない。

兵学校の教育は 『画一教育』 であるべき。兵学校では、まず劣等者をなくし、少尉任官後に指揮権を行使するのに最低限度必要とされる智・徳・体の能力を持たせて卒業させ、その見込みのない者は退校させねばならない。

兵学校教育の目標は、結果として、少尉任官に指揮権を行使する最低限度能力を持てないと見込まれる退校者を出さないよう、生徒をしっかり教育することである」という旨を示し、秀才は放っておけ、まず劣等者をなくせ、と端的に指示した。[345]
[345]井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年 366-367頁」

まさに、筆者が思っていたことを鋭く述べており、我が意を得たりの心境です。ただし、底辺の底上げについても、限られた時間での計画教育だけの成果は限定的です。結局のところ、個人の課外における自主学習が必要となります。そのためには、教科書あるいは参考書が必要です。

しかるに自衛隊の教範は原則事項から踏み出されたことは記述されておらず、いわば〝無味乾燥〟であり、それを解説する教官が必要となります。さらに、教範は厳重に管理され、自宅での学習に適しません。

私は、現職時代にこうした問題点を認識していましたので、退職後にすでに世に流通する書籍と米国の公開マニュアルなどを基に、『戦略的インテリジェンス入門』を執筆し、上梓したという訳です。

集団で仕事することの利点は「群衆の英知」を発揮すること

さて、集団で仕事をすることの最大の利点は「群衆の英知」を働かせることです。ジェームズ・スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』では、「WOC :Wisdom of Crowds」という概念が述べられています。これは「群衆の英知」あるいは「集合知」と呼ばれるものです。

つまり、少数の権威者による意思決定や結論よりも、多数の意見の集合による結論や予測が正しいということです。ここに、凡人集団が天才あるいは専門家に勝てる秘訣があります。

集団浅慮とは

集団で考えることで、個人のバイアスを回避して、プラスの効果をもたらすことが多々あります。他方、同質が高い少数の手段は集団浅慮に陥りやすい欠点もあります。 これは、グループで討議する際に、少数意見や地位の低い者の意見を排除し、不合理な意思決定を行なうことです。

結束の強い小さな集団に属する者はグループ討議する際に疑問を挟まなくなる傾向があります。この結果、集団内で不合理あるいは危険な意思決定が容認されることになります。

同質性が高く、絶対的階級社会である自衛隊の現場においてとかく集団浅慮が生じがちです。筆者も上級者に盲目的に追随する集団浅慮の場に遭遇することもありました。

集団浅慮は、米国のキューバのビッグス湾侵攻の失敗、イスラエルの第4次中東戦争の失敗を引き起こしたとして有名です。

キューバ侵攻で失敗したケネディー大統領は、集団浅慮の弊害をなくするため、意図的に会議の場から姿を消す、「(議論のために)わざと本心と反対の意見を述べる、悪魔の代弁者」を設定して、キューバミサイル危機に対処したとされます。

第四次中東戦争の失敗で学んだイスラエルの情報組織は、トップリーダーの意見に同調しないためにはどうすればよいかを考え、今日では会議に民間人を採用する施策を導入するなどして成果を挙げているといいます。

集団浅慮の兆候とは

グループシンクバイアス研究の第一人者で、キューバのピッグズ湾侵攻に至る意思決定を研究した心理学者のアービング・ジャニスは、その著書『グループシンクの犠牲者』で、集団浅慮は時間的制約、専門家の存在、特定の利害関係の存在などによって引き起こされ、以下の8項目の兆候があると指摘しています。

①無敵感が生まれ、楽観的になる。

②自分たちは道徳的であるという信念が広がる。

③決定を合理的なものと思い込み、周囲からの助言を無視する。

④ライバルの弱点を過大評価し、能力を過小評価する。

⑤皆の決定に異論を唱えるメンバーに圧力がかかる。

⑥皆の意見から外れないように自分で自分を検閲する。

⑦過半数にすぎない意見であっても、全会一致であると思い込む。

⑧自分たちに都合の悪い情報を遮断してしまう。

(以上、拙著『武器になる情報分析力から抜粋』)

異端を排除しない社会づくり

わが国は、同質性の高い民族国家です。その結束力を発揮すれば、諸外国の天才にも勝利できます。国民の全体の知的レベル高め、組織における「群衆の英知」を高めることが可能です。

しかし、AI社会におけるわが国の後進性などの現状を見ますと、わが国も天才を生み出す教育に力を入れる必要性も感じます。

AI社会における有為な牽引を生み出すために、まずは青少年を中心とする国民全体レベルの知的向上を図ることと、組織における同質性の弊害を認識し、努力している〝異端〟を排除しない社会づくりが重要だと思われます。

兆候と妥当性との関係

元農水省事務次官の事件

先日、元農林水産省事務次官(76)が長男(44)を殺害するというニュースが話題を呼びました。元次官は警視庁に対し、川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ、「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」という内容の供述をしたようです。

この事件で筆者は、「ヒヤリ・ハット」すなわち「ハインリッヒの法則」のことを思い起しました。これは、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常、すなわち「ヒヤリとする、ハットする」ヒヤリ・ハットが存在するというものです。

先日、池袋で87歳の旧通商産業省高官が自動車暴走し2人死亡させる事故が起きました。この事故にも軽微な事故やヒヤリ・ハットがあったと思われます。

重大な事故を防止するためにはヒヤリ・ハットを無視、軽視することなく、その対策を考えることが重要です。ここでのポイントは、上述の交通事故を例にすれば、ブレーキ動作の遅れといった交通事故の直接原因だけでなく、階段の踏み外れ→筋力の衰え→ブレーキ動作の遅れといったように想像的にヒヤリ・ハットを考えることです。

また、他の人が経験したヒヤリ・ハットを自分のものとして自覚することです。つまり、最近の高齢者による重大事故のニュースなどに接した場合、加害者やそのご家族は「自分達は大丈夫だ」と過信せず、自らのヒヤリ・ハットとして〝冷や汗〟を流して、その対策を創造的に取る必要がありました。

今回の元次官による我が子殺害事件では、おそらくまだ報道されていないヒヤリ・ハットがいくつもあったのでしょう。その意味では、元次官は川崎事件を想像して、我が子による重大事故を未然に防止しようとしたのですから、この点では、ハインリッヒの法則の良好事例ということになります。

もちろん、我が子を殺害することが唯一の対策であったのかという点は、大きな問題として考えなければなりません。

ただし、外野は「いかなる理由があろうと 殺人は許される行為ではない。行政に相談することが重要」などと、ありきたりのコメントをしますが、元次官の立場や心情に立てば、やむにやまれぬ行動であったのかもしれません。

兆候とは

ヒヤリ・ハットは重大事故の一つの兆候ととらえることもできます。国際情報を分析するうえでは、兆候を見逃さないことが重要です。

兆候は「物事の前触れ」であり予兆ともいいいます。たとえば敵が近々戦争を開始しようとすれば、物資の事前集積、情報収集機の活発な活動、通信量の増大など必ずなんらかの変化が現出します。一方、攻撃の直前ともなれば「無線封止」により通信量が激減するといった変化が現れるかもしれません。

第二次世界大戦中、米海軍で対日諜報を担当していたE・M・ザカリアス(元米海軍少将)は、日米開戦前に日本が米国を奇襲する寸前の兆候として、「あらゆる航路からの日本商船の引き揚げ」と「無線通信の著しい増加」、日本の攻撃に特徴的な兆候として「ハワイ海域における日本潜水艦の出没」を挙げましたた。

妥当性とは

他方、兆候に対峙する概念として妥当性があります。妥当性は「その戦略や戦術が目的に合致しているか?」「戦略・戦術が可能か?」ということです。いくら戦争開始を示す事前の兆候があったとしてもその戦略や戦術が著しく妥当性を欠く場合、兆候は偽情報として処理するというのが妥当性の考えです。

妥当性をはかる基準としては適合性、可能性、受容性および効果性の4つがあります。それぞれの基準の意義は以下のとおりである。

1)適合性:その戦略構想が戦略目標達成にどれほど寄与できるか?

2)可能性:自己の内部要因がその戦略行動を可能にするか?

3)受容性:戦略構想実施によってえられる損失または利益が戦略意図の要求度に対して許容できるか?

4)効果性:戦略構想が実施に移された場合、全般戦略および他の関連する戦略にどれほどの貢献ができ、またはどれほどの影響を及ぼすのか?

妥当性の評価が誤るケース は多い

妥当性の評価が誤るケースは多々あります。第四次中東戦争において、イスラエルは多くの兆候をつかんでいたものの、エジプトの軍事侵攻の可能性を否定しました。

イスラエルにしてみれば、航空優勢を確保したのちに、軍事侵攻を行なうのが原則であり、当然「エジプトもそう考えている」と思い込みました。つまり「航空優勢を確保するためエジプトは、攻撃機とスカッドミサイルをソ連から輸入しようとしている。それが配備されない状況での侵攻はない」との評価を最後まで変えませんでした。

しかし、エジプトのサダト大統領は、スエズ運河沿いの防空網の外に部隊を進出させない限定的な作戦、つまりスカッドミサイルや攻撃機に頼らない作戦を決断したのです。

人は誰でも「常識」という判断尺度をもっています。専門家や知識レベルの高い人なればなるほど、「常識」すなわち「妥当性」という判断尺度を過信して、重要な兆候を見逃してしまうことがあります。

兆候と妥当性はどちを重視するか

兆候と妥当性の評価が異なった場合、まず兆候を優先し、次に妥当性を判断するのが原則です。

つまり、「兆候上はこのような可能性がある」とはっきり述べることが重要です。そのうえで、それを反駁する情報がどの程度有力であるか、すなわち妥当性を検証します。

ただし、さまざまな兆候から、相手側の戦略・戦術が推量されても、著しく妥当性を欠く場合があります。この場合、その兆候は偽情報、すなわち欺瞞として処理する必要がでてきます。

前述した大本営参謀の堀栄三少佐は、米軍によるフィリピンへの上陸地点の予測を命じられ、「リンガエン湾、ラモン湾、バンダガスの三か所への上陸する蓋然性が高い」と判断し、まず兆候から、「リンガエン湾とラモン湾の蓋然性が高い、とくにラモン湾の蓋然性が高い」と判断しました。

しかし、堀少佐はマッカーサー司令官になったつもりで再検討します。つまり、①米軍がフィリピン島で何を一番に求めているか(絶対条件) ②それを有利に遂行するにはどんな方法があるか(有利条件) ③それを妨害しているものは何であるか(妨害条件) ④従来の自分の戦法と現在の能力で可能なものは何か(可能条件)の四つの条件に当てはめて再考したのです。

その結果、堀少佐は当初の見積りを修正して、「リンガエン湾の蓋然性大」との最終判断を下し、見事に米軍の行動を予測したのです。私たちも堀少佐の域には達しませんが、兆候を探知する感知力、妥当性を判断する想像力を養う必要があります。