『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(1)  

孫武

はじめに

中国では歴史的に諜報及び謀略の研究が重視され、その研究成果を纏めた体系的な兵法書の編纂が発展した。『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子』『李衛公問対』『六韜』及び『三略』はその代表的な兵法書である。これらは『武経七書』と総称されている。

なかでも「兵は詭道である」と喝破する『孫子』が最も有名である。 『孫子』は、今から2500年以前の中国の激動の春秋戦国時代、名将・孫武によって書かれたとの説が主流である。 『孫子』は中国ののちの兵法書に影響を及ぼし、日本でも吉備真備が唐で礼記(らいき)や漢書とともに『孫子』の兵法を学び、帰国後に下級武士に教示したと伝えられている。

『孫子』は「最強の兵法書」と呼ばれるに相応しく、洋の東西を問わず、時代を超えて、のちの軍事理論書に多大な影響を与えた。このほか、今日では組織統率論、企業経営における参考書としても活用されている。

他方、『孫子』は至高のインテリジェンス 教科書でもある。『通典』(つてん)のなかの「兵典・間諜」編では、軍事偵察情報が戦争における重要な役割を占めることが論述されている。

唐代の著名な兵法家の李靖(りじん)が記した『李衛公問対』(りえいこうもんたい)は『孫子』の情報活動を体系化したものである。

清代の朱逢甲による『間書』は中国初の情報専門の兵法誌であるが、これも『孫子』の軍事偵察理論を基に編纂されたものである。

米国CIA元長官アレン・ダレスや西ドイツのインテリジェンス・マスターであったラインハルト・ゲーレンの回顧録においても『孫子』が引用されている。このように『孫子』は世界のインテリジェンス界に大きな影響を与えた。

そこで『孫子』から得られる、インテリジェンス上のさまざまな知見を抜粋し、総括的に解説することとする。

1『孫子』の特質とは

▼『孫子』は春秋時代に誕生

今から2500年以前、中国における激動の春秋時代とはどのような時代であったのだろうか?これを知ることが、『孫子』の本質を理解することの第一歩である。

一般的に、周が滅びた紀元前770年から、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂する前の春秋時代という。

なお、それ以降、秦の始皇帝が紀元前221年に全国を統一するまでの間を戦国時代という。

『孫子』の作者である孫武は、紀元前535年、すなわち春秋時代の後期に生まれた。彼は、斉(いまの山東省)に生まれたが、紀元前513年に呉(いまの江蘇省)一家で移ったといわれる。

幼少から兵書に親しみ、その才能が買われ,呉の国王・闔の側近の将軍・伍子胥(ごししょ)によって、彼もまた呉王を補佐する将軍に推挙された。 司馬遷の『史記』には、「呉が楚を破り、斎や晋を脅かし、天下に名をとどろかせたのは、孫武の働きによるところが大きい」と記されている。

当時の中国は、「春秋の五覇」と称する斉、晋、楚、呉、越の諸国による戦争状態にあった。そのため、孫武が仕えた呉は、越や楚などの複数国に対処する必要があった。 つまり、一つの国との戦いが長引いて国力が損耗してしまっては、第三国から攻められ、漁夫の利を奪われる可能性があった。

だから、孫武は「それ兵を鈍らし、鋭を挫き、力を屈し、貸(たから)をつきせば、則ち諸侯、その弊(つかれ)に乗じて起こる。智者ありといえども、その後を善くする能わず」(作戦編)と述べ、第三国から攻められることを警戒した。

孫武は、戦争開始の判断を慎重に行い、「戦わずして勝つ」ことを最善とし、やむを得ずに戦う場合には、速戦即決を信条としたのである。

なお、『孫子』とクラウゼヴィッツの『戦争論』がよく比較されるが、『戦争論』の方は、戦場における1対1の戦闘を想定している。両者を対比して読む場合には、この相違を念頭において考察することが肝要である。

▼『孫子』の記述は全13編

『孫子』は「始計」「作戦」「謀攻」「軍形」「兵勢」「虚実」「軍争」「九変」「行軍」「地形」「九地」「火攻」「用間」の全13の編からなる。 第1編「始計」は戦争の指導に関する総論・序論である。第2編「作戦」は主として経済的側面から、第3編「謀攻」は主として外交的側面から、それぞれ戦争の在り方を説いている。 

これら各編と、情報(インテリジェンス)について述べている第13編「用間」が戦争の指導方針を説いている。戦略と作戦・戦術の区分で言えば戦略に相当する。

他方、作戦または戦術に相当するのが、第4編「軍計」から第12編「火攻」まである。これらの編では、作戦対処の基本事項、敵対行動、作戦行動に及ぼす環境要因などが解説されている。

▼ 指導者等に対する戦争の心構えを説く

『孫子』の特徴の第一は、国家指導者や軍事指揮官を対象として、彼らに対する戦争の心構えを述べている点にある。(浅野祐吾『軍事思想史入門』) 第1編「始計」の書き出しは「兵は国の大事である。死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」で始まる。

ここでいう「兵」とは戦争の意味である。つまり、国家指導者などに対し、「戦争は国家の重大事項であるので軽々しく戦争をおこなうべきではない」と戒めているのである。

▼「戦わずして勝つ」という不戦主義

第二の特徴は「戦わずして勝つ」という不戦主義の重視である。(浅野『軍事思想史入門』) 中国には古来、「良い鉄は釘にならない」(好人物は兵士にならないとの意味)との俚諺があり、農耕民族である漢民族特有の文民優位の思想がある。

『孫子』においても、戦争よりも外交・謀略で問題解決をはかる漢民族の思想的特性が反映されているといえる。

たとえば「およそ兵を用うるの法は、国を全うすることを上となし、国を破るはこれに次ぐ。……百戦百勝は善の善なるものにあらず。……戦わずして兵を屈するものは善の善なるものなり」(謀攻編)と述べている。  

また、止むを得ずに戦う場合でも「上兵は謀を伐(う)つ。その次は交わりを伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む」(謀攻編)として、敵や敵陣地を武力によって攻撃することは下策であり、まず謀略や外交での解決を重視せよ、と説いている。  

さらに「……好く戦うものは勝ち易きに勝つなり。ゆえに善く戦う者勝つや、智名もなく勇攻もなし……」「……勝兵は、まず勝ち後に後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて後に勝を求む」(軍計編)として、「無理のない戦いをしなければならない」と説いている。つまり『孫子』によれば、野球のファインプレーなどは最善ではないのである。

▼インテリジェンスを重視

第三の特徴は、冒頭で述べたように、インテリジェンスを重視している点である。(前掲浅野『軍事思想史入門』) 第13編「用間」は、「昔、殷の興るや、伊摯(いし) 夏に在り。周の興るや、呂牙(りょが) 殷に在り。故に惟(た)だ、明主賢将のみ能く上智を以って間者と為して、必ず大功を成す。これ兵の要にして、三軍の恃(たの)みて動くなり」の結句で締めくくられている。

ここでの「上智」伊尹及び呂牙を指すが、その上智とは、「道理を知っている、有能な人物」の意味である。つまり、孫武は「国家指導者や軍事指揮官は有能な人物を間者(スパイ)として活用することで、戦いに勝利し、成功を収めることができる」と説いているのである。

スパイとは一般的に、その国家指導者や軍事指揮官などに対して、インフォメーション(情報)あるいはインテリジェンス(生の情報を加工して戦略や作戦上の判断に資する知識に高めたもの)を提供する者をいう。

つまり、スパイを使用して敵の国情、軍事状況、地勢、物資などの事項を明らかにし、これを基礎に戦略・戦術を立ててれば、全軍の行動は自然と理に適ったものとなり、敵に負けることはない、という意味である。

『孫子』が「用間」を以って最終編としたことは、インテリジェンスが「戦わずして勝つ」または「勝ち易きに勝つ」ための最も重要な要素であることを改めて力説しているものと、筆者は理解する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA