『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(その5)

第13編用間の5つのスパイ

第13編「用間」では、「故に間を用いるに五間あり、・・・」として、以下五種類の間(スパイ)に区分している。

1)「郷間」:敵国及び第三国の一般大衆から情報収集を行うスパイ

2)「内間」:敵国の官僚、軍人などを誘惑して秘密情報を収集するスパイ

3)「反間」:敵国のスパイが我が方に寝返ったスパイ (二重スパイ)

4)「死間」:自らを犠牲にして、敵側に浸入して、偽情報を自白して、相手側を撹乱させるスパイ

5)「生間」:は、最終的に生きて敵側から重要な情報を持ち帰るスパイ

最も重要なスパイは反間

なかでも孫武が重視するのが「反間」(二重スパイ)である。 孫武は「必ず敵人の間ありて、我を関するものを索め、よりてこれを利し、導きてこれを舎す、故に反間を得て使うべきりなり」と述べている。

これは、敵の間者としてわが国の様子をうかがっている者を必ず探し出し、何らかの切欠を求めてこれと接触し、あつく賄賂を与えて、わざと求める情報を与え、よい家宅に宿泊させて、ようやく反感として用いることができる、との意味である。

さらに「五間の事、主必ず之を知る。之を知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざるをべからざるなり」と述べる。これは、五とおりの間者からの情報を君主は必ず知っておかなければならないが、それらの情報源の糸口は必ず反間によって得られるから、反間をもっとも優遇しなければならない、との意味である。

情報活動の種類

情報活動はこれらの五種類のスパイを駆使して行われる。つまり、それぞれの「間」は、以下のように、情報活動の区分にもなる。

「郷間」:一般の情報収集活動

「内間」:非公然の諜報活動、すなわちスパイ活動

「反間」:敵国のスパイ(二重スパイ)を寝返らせ、我の偽情報を意図的に流し敵の誤判断や官民の離間を謀る宣伝謀略

「死間」:自らを犠牲にして、命と引き換えに敵国を油断させ真実の目的を達成する謀略

「生間」:本国と敵国と行き来し、情報を報告・通報する通信活動 このように情報活動には様々な形があるが、それは国家目的の遂行という一点に収斂される。

『孫子』ではこれらを同時に投入しなければならないとしている。しかも、その存在やそれぞれの活動を敵にも味方にもしらせないことが重要だとし、それを「神紀」(神妙で秩序正しい用い方)と称している。

元CIA長官のアレン・ダレスは、「神紀」を「多数の糸からできた魚網が結局は一本の細い綱で結ばれている」と喩えている。

 情報保全の重要性

情報活動には積極的活動と消極的活動とがある。 積極的活動には、情報を収集・処理してインテリジェンスを生成する活動のほか、相手側の意図を破砕し、我の思うとおりに誘導し、我の利する活動を積極的に行わせる秘密工作がある。

一方の消極的活動は、情報あるいはインテリジェンスを守る活動であり、厳密には情報保全(Security Intelligence)とカウンターインテリジェンス、(Counter Intelligence、以下、防諜と呼称)に区分される。

このなかで情報保全は、敵対者などから秘密文書などを窃取されないように管理するなど公然的かつ受動的な活動である。 まずは、情報保全について、『孫子』から教訓事項を汲み取ることにしよう。

目立つ行動はするな

第四編「軍形」では、「善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻める者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり」と述べている。つまり、巧みに戦うものは、大地の奥深くに潜行して、好機を見て表に出て決戦を行うのであって、自軍を敵の攻撃から保全することが重要であると説いている。むやみやたらに「目立つ行動をするな」との行動保全の戒めである。

人にはいらない情報を与えるな

同じく第八編「九地」には、「知りがたきこと陰のごとし。良く士卒の耳目を愚にして、告ぐるに言を以てすること勿れ」がある。これは、将軍が物事を整斉とおこなうためには兵士を統制して無用な混乱を避けなければならず、それゆえに「将軍が何を考えているのかなどのハイレベルな情報を兵士に与えるな」、「与えれば怖気づいて逃げる兵士もいる」という意味である。 この戒めは、米国など重視される「知る人ぞ知る」(「NEED TO KNOW」の原則)と相通じるものがある。

無形が保全の境地

第六編「虚実」では「無勢で多勢に勝つ」方法を追求している。つまり「人を致して人に致されず」として、戦い方によっては、自らが受動に陥ることなく、自らが主導権を握り、敵を意図どおりに操り、我の兵力を手中して敵を攻めることで無勢であっても多勢に勝つことができることを説いている。

このために「故に兵を勝たすの極は無形に至る。無形慣れれば、則ち深間も窺うこと能わず。形に因りて勝を錯(お)くも、衆は知ることは能ず」と述べます。つまり、主動性を発揮するためには、態勢を敵から悟られないようにしなければならない。

隠せば、深く入り込んだスパイや、智謀の優れた者でも我の企図を解明することはできないということを極意として強調している。

さらには「夫れ兵の形は水に象(かたど)る」「故に兵に常勢なく、水に常形なし。能く敵に因りて変化して勝ちを取る者、これを神と謂う」と述べている。

つまり、「軍の態勢は水のようなもので、軍の態勢は一定ではなく、水の流れは一定ではない、敵情のままに従って変化して勝つのが神業である」と説いているのである。 これらは、我の行動を無形の境地に高め、敵から保全することが、主導性を確保する秘訣であることを強調しているのである。

真珠湾は保全の勝利

そうはいうものの、我は大部隊の配置や行動のすべてを隠すことはできない。できるのは、その全貌と企図である。 1941年12月、日本海軍ははるか遠くの真珠湾を攻撃した。

艦隊は無線封止、艦船部隊の無線呼び出し富豪の変更、九州方面の基地航空部隊と艦隊による偽交信を行い、ひそかに千島択捉島単冠湾に集結し、攻撃目標と攻撃時間を保全した。

米軍は、戦争が起こるとは予想していただろうが、その場所が真珠湾だとは予測できなかった。 また、米側は日本海軍の暗号を解読できず(反対論はあり)、日本南侵(タイ、ビルマ、シンガポール)を信じていたため、ハワイだとは想像しなかった 。

つまり、真珠湾攻撃の成功は、我の全貌と企図を隠した保全の勝利であった。

敵対勢力は市政に身を隠す

毛沢東は抗日戦争で農村ゲリラを組織し、「遊撃戦」と称するゲリラ戦を展開し、「遊撃戦」論で「人民は水であり、解放戦士は水を泳ぐ魚である」と語り、人民の大会の渦の中で自己の組織を保全することを得策とした。

このことは逆に、我々の社会や組織に敵対勢力が浸透している可能性を示唆している。そして、敵対勢力は重要人物の獲得や、作戦計画などの重要書類を虎視眈々と収集しているということである。

我がその危険性に気が付き、われの重要な資源を防護しなければ、情報戦に勝利することなど論外だ、ということである。

わが旧軍のお粗末な組織保全

 これに関して、旧軍の情報管理はまことにお粗末であった。 1944年3月31日、連合艦隊がパラオからミンダナオ島のダバオに退避する古賀峯一司令長官(大将)以下が搭乗した一番機が墜落(殉職)。二番機に搭乗していた福留繫参謀長(中将)、山本祐二作戦参謀(中佐)以下は墜落を免れてセブ島沿岸不時着した(海軍乙事件)。

福留参謀は反日ゲリラの捕虜となり、作戦計画、暗号書などの機密文書を収めた鞄を奪われた。その後、機密文書はゲリラの手から米軍に渡り、米国で翻訳されたのち、前線の米太平洋艦隊やその指揮下の第三艦隊に回送され、「あ」号作戦(マリアナ沖会戦)などに活用されたという。

なお米軍は、日本軍を安心させるためか、計画書などの原紙は鞄に戻し、セブ島近海に潜水艦から投棄したという。

一方の福留参謀以下は日本陸軍の治安維持部隊に救出され帰国し、福留、山本両氏は事情聴取で「機密入りの鞄は海中に投棄した」として、紛失したことは隠匿した。 このことが、それ以降の日米戦争において、日本軍を劣勢に追いやった大きな原因の一つとなったのである。

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