社会の不安定化と影響力工作が進展する我が国
■インテリジェンス・リテラシーを失う国民
2030年現在、国民は大人から子供まで生成AIに依存しています。ChatGPTが登場した当初、教育や学業に様々な影響が及ぶと見られ、国内の大学では、利用の基準を示したり、注意喚起を行ったりするところもありました。しかし、生成AIがビジネス界に広まると、デジタル弱者になることへの恐れから、誰もが最新式の生成AIに飛びついている状況です。教育界などの注意喚起は社会になかなか浸透せず、政府も形式的な注意喚起は行っていますが、規制などの具体的な措置は取っておらず、基本的には野放し状態です。
すでに生成AIを巡るさまざまな問題が表面化していますが、表に現れていない重大な問題は、情報のリテラシーとモラルの問題です。人間は言葉を覚え、自ら「文章を書く」ことで思考力や想像力を養成してきました。生成AIに依存することで情報を使って思考し、判断する必要がないため、インテリジェンス・リテラシーが低下しています。情報の収集の指向性、適切性、妥当性の評価ができなくなり、状況判断や意思決定を誤ることになるとの警告も出ています。
一方で、情報モラルは倫理的な視点や責任感を持って情報を利用することです。インテリジェンス・リテラシーが低下すれば、情報モラルも低下します。最近の個人のプライバシーの暴露、著作権侵害を巡る裁判沙汰の増加は、生成AIが人々の情報のリテラシーとモラルの低下が原因であると指摘されています。特に隆盛を続けているソーシャルメディアの世界では、情報のリテラシーを欠き、モラルに違反する事例が増加しています。
ソーシャルメディアは趣味や価値観を共有する特定グループを形成することで飛躍的に発展しました。その結果、特定グループ内では他人の行動や信念を模倣し、肯定し、異なる意見や視点が排除されるようになりました。この状況は「エコーチェンバー」効果と呼ばれる現象であり、かねてから問題視されてきましたが、2030年現在はそのような傾向が顕著となっています。
現在は、ソーシャルメディアの世界では、偽情報や誤解が蔓延し、「高速思考」(反射的で感情的な思考)が一般化し、「低速思考」(合理的で慎重な思考)が排除される傾向を強くしています。さらに憂慮すべきことに、ソーシャルメディアの中で横行する偽情報を基づいて、リアル社会での暴力事件が発生している事例も確認されています。銃規制のない米国では、以前からこのような事件が起きていました。
今日の日本でも同様の事件が起きています。いくら銃の規制を厳しくしても、インターネットから爆発物や銃を製造する知識は得られ、生成AIも少し遠回しの質問をすれば、このような情報要求に応じてくれます。政府はインターネット上の監視の強化を求めていますが、通信の自由を妨害するとか個人のプライバシーを侵害するといった理由から、国家論議はいつも紛糾しています。
言論の自由を尊重する日本では、ソーシャルメディアは〝無法地帯〟と言えるでしょう。その世界では、偽情報の拡散力が強いです。政府が若者を苦しめる悪法を制定するなどのデマが流れ、一部の若者は反社会的な行動に走るケースも散見されます。 インテリジェンス・リテラシーやモラルを失った人々が反社会的な発言や行動を広め、それが拡散していく様子が見受けられます。このような社会の流れを抑える具体策はまだ提案されていません。
■信頼を喪失するマスメディア
新聞や雑誌などの伝統的なマスメディアは、デジタル・ソーシャルメディアの台頭とともに発行部数を減少させ、収益性が低下しています。これは今に始まったことではなく、インターネットやスマートフォンが登場して以来の問題ですが、最近ではその傾向が一層強くなっています。国民の新聞購読数は激減し、テレビよりもユーチューブなどの動画サイトを好むようになりました。いつ誰が作成したかわからないユーチューブ報道を見て、現在進行しているリアル社会であると錯覚する人も多いです。
生成AIが書いた小説がインターネットで話題になるなど、書籍はますます売れなくなりました。生成AI以前に人気を博した執筆者はかろうじてその権威を保っていますが、新たな執筆者は表舞台に登場しなくなり、出版業はますます斜陽化しています。
デジタル・ソーシャルメディアに対抗するため、すでに一部のメディアは視聴者が好む情報を流すようになったとの批判があります。つまり、視聴率や閲覧数を増加させることに躍起になっているのでしょう。社会的な混乱や政治的な対立が高まる局面では、報道倫理を無視し、情報の真偽を見極めることなしに、人々の興味ある情報を流す傾向が強まっているようです。10年前はマスメディアに対し「情報源として信頼できる」と回答した者は六割を超えていましたが、最近は四割程度となり、国民の多くからマスメディアは信頼を失ったとされています。
一部のマスメディアは娯楽番組や過去の特集に力を入れており、多くのマスメディアは収益性が低下したため独自取材には力を入れられず、政府発表に追随している状況です。もはや「政治権力の監視」というかつての看板はすっかり色あせたようです。一部の見識者は、多くの国民が正しい情報を入手する手段を失えば、判断すること自体が面倒であると指摘しています。
(次回に続く)