情報戦(3)

■情報戦からマルチドメイン作戦

情報戦という言葉がにわかに注目を集めたのは1991年の湾岸戦争時です。その後、米シンクタンクなどで情報戦の定義や分類が行われました。しかし、当時に注目されたのは精密誘導兵器と情報システム(C4ISR:指揮・コンピュー・通信・統制とインテリジェンス・偵察 ・監視)を駆使する初期の統合作戦でした。

その後、米軍は陸軍・海軍・空軍・海兵隊といった軍種間において相互運用可能な統合情報システムの構築を目指し、99年のコソボ空爆、01年のアフガニスン、03年のイラクの戦争において本格的な統合作戦を実施しました。

湾岸戦争後まもなくサイバー戦争の概念は確立され、99年のコソボでは、米国側がミロシェビッチ大統領の海外口座に侵入して資金を盗み出し、力を失わせようとした、ともいわれています。同年に中国空軍の上級大佐が執筆した『超限戦』でもサイバー戦の記述がみられます。

わが国でも、先進的な軍事専門家であった江畑謙介が『インフォメーション・ウォー――狙われる情報インフラ』(1997年)、『情報テロ――サイバースペースという戦場』( 1998年 )などを執筆し、サイバー戦の脅威への認識は高まっていました。

しかしながら、2000年代のアフガン、イラクの戦争で米国が本格的なサイバー戦を行ったとの確たる実証はありません。

その後2007年4月、エストニアでのロシア系住民の暴動が生起し、エストニア中のウェブサイトが攻撃を受けました。これは、おそらくロシア政府が攻撃の主体であったとみられ、国家(ロシア)が国家(エストニア)に対する破壊妨害を目的とした初の初のサイバー攻撃として認識されているようです。

2008年のロシア・グルジア戦争は、サイバー攻撃と通常戦争として連携して行われた前例のないケースとなりました。

米国はすでに2005年3月にサイバー軍(JFCCNW、Joint Functional Component Command for を組織しましたが、2011年6月、ロバート・ゲーツ国防長官(当時)が外国政府によるサイバー攻撃を戦争行為とみなすとする方針を表明しました。

 2014年2月、ロシアはクリミア半島併合と東部ウクライナへの軍事介入で、サイバー攻撃や電磁波攻撃を含む様々な形態の戦い方を実践して見せました。この様相を欧米では「ハイブリッド戦」と呼称しました。

 現在、「ハイブリッド戦」の関する国際的な共通の定義はありませんが、防衛省では「ハイブリッド戦」は、「軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法」と解説し、ハイブリッド戦に該当するものとして、国籍を隠した不明部隊を用いた作戦、サイバー攻撃による通信・重要インフラの妨害、インターネットやメディアを通じた偽情報の流布などによる影響工作を複合的に用いた手法を例挙しています。まさに、ロシアがクリミア半島島で行った戦いの形態を意図しています。

 この後、米陸軍では、陸上、空中、海上、サイバー空間、宇宙空間すべての領域で行われる作戦を「マルチドメイン作戦」として整理しました。この作戦は、米国の軍隊およびその同盟国と提携国が相互に協力して、陸軍、空軍、海軍、海兵隊、沿岸警備隊すべての軍隊を動員して行うものだと解説されています。

■ロシアによるクリミア半島併合の様相

  今日、各国は米陸軍が提起した「マルチドメイン作戦」を実行し得る能力の獲得を求めて研究や訓練を行っています。わが国も、2014年のロシアによるウクライナ侵攻を境に「戦い方が変わった」と認識し、2018年の防衛大綱は見直されました。

各国が目指す能力とはどのようなものかを実体的に理解するため、2014年のロシアによるウクライナ侵攻を振り返ってみましょう。

2014年2月、ウクライナの港湾施設や鉄道、電力施設などで、軍人か民間人か判別できないデモ隊による騒擾が起きました。しばらくすると、ウクライナ全土で携帯電話が不通になり、携帯にSNSが流れました。その後、大規模な停電が主要都市で起きました。

停電でテレビがつかないのでラジオをつけてみると、そこからは不思議なニュースが流れてきます。「おかしいなあ」と思っているうちに、気が付いてみると先ほど重要施設を取りかこんでいたデモ隊が、いつのまにかロシアの武装集団(リトル・グリーン・メン)に変わって、重要施設も占領されてしまいました。

ウクライナ軍は警戒監視用のドローンを飛ばしますが、ドローンが次々と落下します。そこで、ウクライナ軍はロシア軍による侵攻が起きていると判断します。ロシア軍との衝突に発展し、ウクライナ軍が反撃をしようと思って大砲を撃つと、今度はその弾が全て不発弾として落ちてしまいます。

こうして、ウクライナ軍はほとんどまともな戦いができず、まもなくクリミアを完全に占領されてしまいました。

■ロシアによる平時からの準備

後で米軍がこの戦い方を分析してところ、ロシアは相当事前に周到な準備を行っていたようです。

2007年以前から、ロシア情報機関と関係を有すると推定されるハッカー集団[1]がウクライナ国内のサイバー空間に入り、同国内の情報窃取や軍事行動を有利にするための情報操作などを行っていました。

2012年から13年にかけてロシアはウクライナのサイバー空間に偽情報を流布するなどして、社会騒乱の状況を作為し、ロシアによるクリミア併合を支持し、正当化することを狙いとする世論工作(影響工作)を開始しました。また、侵攻前年にはウクライナの複数のテレビ局関係者などへのDdos攻撃が行われ、情報発信ができない事象が生起しました。これは、ウクライナ侵攻に先駆けて、ロシアがサイバー攻撃の有効性を検証するための威力偵察を行ったとみられます。

ロシアは攻撃に当たってまず、武装集団(民兵)を多数ウクライナに送りました。その後、サイバー攻撃によって携帯電話の基地局を乗っ取り、これにより通信をシャットダウンさせ、親EU議員の携帯電話湯SNSアカウントにもサイバー攻撃を実施し、ロシアに対する否定的な情報発信のプラットフォームに偽SNSを流しました。さらにサイバー攻撃により、主要な電源プラントを機能停止にし、停電を起こしました。そして、あらかじめ用意したラジオ局から偽情報を流したのです。

 ロシアはサイバー攻撃だけでなく、強い妨害電波で宇宙からの情報を遮断しました。これによりGPSが使えなくなったため、ウクライナ軍は車両の運行や軍艦の航行ができなくなりました。

ロシア軍は強い電磁波をドローンに指向し、ドローンを制御不能にし、行き先が分からなくなると自動的に落ちるシステムになっているようで、こうした電磁波による攻撃で、またウクライナ軍の砲弾の信管にも電磁波を指向し、不発弾にしました。

 これらロシア軍の戦い方は、領域で言えば、従来の陸・海・空に加えて、サイバー、宇宙、電磁圏の領域(ドメイン)で行われていることがわかります。(続く)


情報戦(2)

情報戦は、国家あるいは戦闘集団の目標を達成するすべての活動と定義した場合、新しい試みではありません。情報戦のルーツは紀元前5世紀の「孫子」の兵法や古代ギリシャの戦争でのトロイの木馬まで遡ることができます。ここでは、スパイによる諜報や心理戦などの様相がみられます。

第一次世界大戦では、各国はスパイを通じて敵側の情報を入手したほか、電波傍受、暗号解読などの技術的手法を駆使した情報戦を展開しました。第二次世界大戦では、英国のダブルクロス委員会がドイツ側のスパイを二重スパイとして活用し、対独戦争の流れを変えたました。こうして、情報戦は偽情報、欺瞞、プロバガンダ、電波情報の収集・伝達・防護といった形で認識されました。

1991年の湾岸戦争は、未来の戦争の様相を変化させる分岐点となりました。つまり、電子技術分野を制する者が戦場を支配するという新たな認識が生まれました。コンピュータとネットワークにより構築され、さまざまな情報が行き交うサイバー空間での情報戦が注目を集めるようになりました。

それに伴い、情報戦(インフォメーション・ウォーフェア)という言葉を頻繁に耳にするようになり、その定義などが試みられるようになりました。1993年にランド社が発行した解説記事「サイバー戦争が来る(Cyberwar is Coming)」では、ネットワーク戦、政治戦、経済戦、指揮統制戦(サイバー戦含む)の4つに区分しています。以下、同記から要点を抽出します。

ここでのネットワーク戦(net warfare、netwar)は、国民が望ましい国家行動を取るよう国民の意識に影響を与えたり、その意識を管理することとされています。ネットワーク化された通信手段によって、社会全体の情報を管理するものと理解されます。

政治戦(political warfare)は、国家指導層の意思決定や政策に影響を及ぼす活動です。

経済戦(economic warfare)も政治戦と同じく国家指導層の意思決定や政策に影響を及ぼすものですが、前者は政治システム、後者は経済システムに目標が指向されます。

指揮統制戦(C2W、comand and control warfare)とは、軍事目的を達成するため、軍事目標に対して行われる軍事作戦で、軍事知識を活用したり、心理戦、欺瞞、および電子戦を仕掛ける行動です。サイバー戦も指揮統制戦に含まれます。

その後1995年、当時の情報戦理論の第一人者のマーティン・リビック(Martin Libicki)は情報戦(IW)を7つのカテゴリーに分類ことを提案しました。これが米国防大学での一般認識となりました。また、情報戦の目的は情報優越(superiority)と理解されました。

情報戦(1)

ハイブリッド戦、マルチドメイン戦(MOD)、超限戦、など現在の軍事戦略を語る用語が注目されています。この頃、私が読んだ本だけでも、『近未来戦を決するマルチドメイン戦』、『現代戦争論-超「超限戦」』、『シャドー・ウォー』、『ハイブリッド戦争』、『ハイブリッド戦争の時代』などを挙げることができます。

これらの本はいずれも、軍事という視点から現在の国際情勢を見る上で有用な本です。読む価値は大いにあります。

さてハイブリッド戦争やマルチドメイン戦など、それぞれの著者が定義していますし、欧米の研究者あるいは権威者によって定義の試みが行われています。たしかに、これらの戦いにおける国際社会での同盟や協調によるグローバルな対策のためにハイブリッド戦の定義や、それとマルチドメイン戦との用語の違いなどを認識する必要はあるでしょう。

しかしながら、国家独自の防衛態勢の強化や、企業における情報漏洩などの対策を論じる上では、まずは、宇宙、サイバー、電磁波を利用した戦い方の様相や今日の我々に向けられた脅威やリスクなどを感覚的であっても、より具体的にに理解することがより重要なのではないかと思います。

さらに、私のような情報分析という実務に長年携わったきたものからすれば、やはり、日本あるいは海外の在留邦人の方々が、いかなる状況下で、どのような脅威やリスクあるいは危機が現出しているか特定し、どのような対応を考慮すべきか、ということに関心があります。

その意味では、上記の本だけでは、組織や個人として、今日の脅威をどのように認識し、リスクや危機の特定をしていくのか、つまり、判断や行動を促す視点とインテリジェンスの視点からは必ずしも十分な満足感は得られません。

私は、現代の戦争が変わったのかどうか問われれば、よくわかりません。たしかにICTが戦いの様相に変化を与えており、現代の戦争は第一次大戦時の総力戦とは異なります。他方、さまざまな戦い方をミックスした戦いや、戦いが平時、グレーゾーンから始まるという点では、特に現代戦も第一次世界大戦も異なりません。つまり、何がどのように異なるのか、それは本質的な違いなのか、それがどの主体レベルにどのような意味を持つのかが、よくわかりません。

現在、ハイブリッド戦争の中でとくに注目されているのが、サイバー戦、電子戦、インターネット上でのSNSを活用したマイクロターゲティングや偽情報の流布、宇宙ベースの情報支援能力の獲得などでしょう。

とりわけ、サイバー戦が注目されていますが、私は1999年に調査学校で学んでいた時に、「『21世紀の戦争』-コンピュータが買える戦場と兵器」を読み、驚愕した覚えがあります。これは当時の調査学校長による課題図書であり、読後感想文が求められましたので、よく覚えいます。

また、ちょうどこの頃、中国では『超限戦』という本が出ました。私は中国研究を始めたばかりであったので、非常に関心を持ちました。また、著名な軍事評論家の江畑謙介氏はサイバー戦の本をいくつか出し、注目されました。これらの本は現代の本にまったく遜色がない、むしろ凌駕していると私は思います。

あれから20年経ちました。私にとってのあの頃の戦争認識と現代の戦争認識はどう変わったのかと問われれば、「何も変わっていない」というしかありません。サイバー戦に再び大国間競争の要素が加わったという面もありますが、それは歴史の回帰と螺旋的発展で説明がつきます。

我々は少しずつの変化にはなかなか注目しません。しかし変化はすでにおきていたし、ある種の専門家たちはしっかりと予測していました。かりに現代のハイブリッド脅威を驚くとすれば、そのような予測を重視しなかったからです。

そして、国家行政もすぐにいろいろな対策は打てません。ハイブリッドだ、グレーゾーンだと騒がれていますが、防衛におけるグレーゾーンの脅威は1990年代から注目されています。要するに、中国の脅威などが大きくなり、ロシアが復活し、国際社会が注目する、ハイブリッドという絶妙な名前を当てる。あるいは米国などがハイブリッド脅威を問題視するようになって、機が熟するようになり、やっと対応を起こすということが一般的なのだと思います。

むろん、機が熟するようになり、上記の良書が生まれたことは、わが国の国家や組織にとって良いことです。ただし、私は現代の戦争論のような内容はすでに20年前に述べられており、想定外はないと思います。逆に現代社会ではすでに20年先の戦争の様相の兆候が出ていると思います。AIや知能などでしょうが、私には不得意な領域なのでうまく解説はできません。

逆に、現代のようなハイブリッド戦の兆候は相当以前から起きていたことを『21世紀の戦争』や何十年も前に書かれた著書を紐解きながら、情報戦に焦点を当てて、私が考えたこと、思っていることを、このブログに時々書いていきたいと考えています。

(次回に続く)

新著に書評をいただきました。

私の新著『情報分析官が見た陸軍中野学校』が5月7日、アマゾンで発売になりました。これまでの拙著は発売後はアマゾンの「軍事」ジャンルで上位につけるのですが、中野学校の認知度が少ないのか、今回の新作は静かな立上がりであり、このままお蔵入りにならないよう少し宣伝していきたいと思います。

以下は著名な評論家の宮崎正弘先生からいただいた紹介文です。先生ありがとうございます。

インテリジェンス戦争(秘密戦)から遊撃戦へ

  時代に翻弄された中野学校の「戦士」たちの真実

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上田篤盛『情報分析官が見た陸軍中野学校』(並木書房)

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 陸軍中野学校と聞くと、評者が咄嗟に思い浮かべる二人の男が居る。

末次一郎氏と小野田寛朗氏である。中野学校は東京の中野だけではなく、浜松に分校があった。中野学校本校は七年継続したが、二股分校はわずか四期で終戦を迎えた。とはいえ、400名の卒業生がいた。そのなかに両氏がいたのだ。

 では中野学校は何を教えていたのか。

 戦後、おもしろおかしく中野学校を論じたスパイ学校説や、あるいは映画にもなったが、実態とはかけ離れている。

 秘密戦の前衛とか、スパイとか戦後の評価は、中野学校のイメージを貶めた。実態とはことなり、当時から秘密戦争と遊撃戦は区別されていた。

 「ともすれば秘密戦争と遊撃戦が混同され、太平洋戦争(ママ)中期から末期にかけて、アジア各地や沖縄で行われた遊撃戦を中野学校と関連づけて語られることが多いが、本書では主として『情報活動(情報戦)』の視点から」、実相に迫る。 

 なぜなら「国家および陸海軍が本格的な情報教育の期間を有していなかったため、中野学校での情報教育は画期的なものだった」からだ。

 中野学校は当時の秘密戦争の劣勢をカバーするために、そして各国に身分を秘匿して送り込み、情報力を高めようとしたもので、諜報技術より大局的判断力、自主的な行動力を叩き込まれ、同時にアジアの民族解放教育も培われたのである。

 本書は、その教育の具体的な内容や校則を緻密に分析し、中野学校の今日的な意味をさぐるものであり、これも画期的な試みといえるだろう。

 さて中野学校卒業生の末次、小野田両氏と、妙な因縁があって、評者(宮崎)は生前の末次氏とは国民運動、とりわけ沖縄返還、北方領土などの国民集会準備会で多いときは週に一、二度会っていた。佐藤政権下の沖縄返還交渉では密使として舞台裏で活躍された。若泉敬氏は表の密使、末次氏は文字通りの黒子だった。

 末次事務所は「日本健青会」の看板がかかっており、星雲の志を抱いた若者があつまって愛国の議論を重ねていた。そのなかには「救う会」の事務局長の平田隆太郎氏、前参議院議員の浜田和幸氏らもいた。

 末次一郎氏は奇跡的な引き揚げ後、傷痍軍人救援など多くのボランティア活動をはじめ、同時に北方領土回復などの国民運動の最前線で活躍され、政界からも一目置かれた。

「国士」と言われ、多くの末次支持者がいた。二十年前に旅立たれたが、奇しくも氏のお墓は評者の寿墓と同じお寺の境内にある。氏の墓前には花が絶えたことがない。

 小野田少尉がルバング島から出てきたとき、評者は伊勢の皇學館大学にいた。

すぐさま大阪へ向かい、和歌山県海南市から上京する小野田少尉のご両親がのる新幹線に飛び乗った。車中、テレビカメラがわっと取り憑いたが、米原を過ぎてようや車内に静けさが戻り、座席に近付いて父親の凡二氏に想い出の手記を書かれませんかと依頼した。

本人の手記は講談社が、発見者の鈴木さんの手記は文藝春秋がすでに獲得したと聞いていた。評者は当時、出版社の企画担当だったので、父親の手記獲得に動いたのだった。さて新幹線は東京駅に到着した。ホームで車いすを用意して待機していたのが、末次氏だった。

お互いに「えっ」と顔を見合わせた。

こうした縁で小野田元少尉とも何回か会う機会があったが、どちらかと言えば「発見者」の鈴木紀夫さんが、大発見劇から四年後に、林房雄先生の令嬢と華燭の典をあげた。その所為で呑む機会も多かった。

鈴木さんはヒマラヤに雪男発見の旅に出て遭難、小野田さんは友人を悼んでヒマラヤを訪ね、遭難現場で合掌した。

(以上、引用終わり)

宮崎先生の中で、小野田少尉、末次さんの話の中で、小野田さんを発見された鈴木さんのエピソードも非常に興味を持ちました。小野田さんはヒマラヤに行かれて、鈴木さんの遭難現場で合唱されたとのこと、小野田さんの人柄が偲ばれます。

以下は中野学校の「中野二誠会」の会長からいただいたメールです。中野学校の実相と今日の日本の情報活動、陸上自衛隊情報学校の健全な発展などに今後とも微力ながら尽力する決意しました。一部割愛させて、このブログで共有させていただきたいと思います。

上田 様

 昨日、大兄著書『情報分析官が見た陸軍中野学校』を拝受いたしました。お心遣い有難うございます。

 早速、「はじめに」「おわりに」から熟読し(小生の読書法・笑)、本文完読に挑戦いたしております。(資料を本当に良く調べておられていますね。さすが本職・情報分析官と、感心しながら読んでいます)

 著書発行に際して二つの目的を掲げておられます。中野の誠を継承することを目的の一つとして発足させました中野二誠会の一員として心より感謝申し上げます。

 小生が中野校友会本部事務所を引き継いだ約40年前から、「陸軍中野学校」を表題とした図書や新聞記事原稿の取材面談に何度も付き合わされておりますが、その殆どの担当者は、ご指摘のような巷に流されている「陸軍中野学校伝説」をベースに企画され、質問をされます。つまり事実を話しても話が行き違い全く前に進まないのです。

 今後同様の取材等がありましたら『まず貴上田著書を読んでからお話ししましょう』と、失礼ながら教本テキスト代わりに利用させていただけそうです。

 (以下、省略)

メッセージは伝わらなければ意味がありません。しかし、残念ながらフェイクニュースや煽り記事に比べて、真実が伝わる速度や伝播力は著しく低い。世の中が誤った情報で氾濫しても、なかなかそれを止めることはできません。

 真実を書いた、自分自身納得できものを書いたから読んでもらえるわけではありません。ある出版の編集者が言っていましたが、「良いものが売れるのではない、売れたものが良い」。それは厳しい出版業会の真理でしょう。

 しかし、ほとんどの書き手は真実なもの、良いもの伝えたいと思っているのだと私は信じたい。インターネット時代の中で正しい情報をどのように効率的に伝えるかは、解けない課題となのんもしれません。 

情報分析官が見た陸軍中野学校(5/5)

▼中野学校を等身大に評価する

 今日、どちらかといえば中野学校は実態よりも過大、誇大に捉えられています。他方で、中野学校を情報機関や謀略機関として誤認識し、それを各国の情報機関などと比較して「大したことはなかった」と過小評価することもあります。いずれも間違いです。

 中野学校を過大視し、今後の日本の情報組織や情報活動のあり方を模索するには中野学校に学べばよい、などの短絡的思考は禁物です。

 中野出身者や中野教育における優れた点が多々あったことは間違いありませんが、他方で、「中野学校がもう少し早くできれば、太平洋戦争は回避できた」かのような感覚論に基づく過大評価は問題の本質への理解を遠ざけます。

また、根拠に乏しい過大評価は、映画『陸軍中野学校』や小野田少尉にまつわる特殊事例が独り歩きし、中野出身者が北朝鮮情報機関を作ったなどの“都市伝説”や戦後の帝銀事件などの「国家重大謀略事件」に関与したなどの不確かな噂を広める原因にもなります。

だから、中野学校の誤認識を排斥し、現代的教訓を導き出すためには、まずは中野学校を等身大に評価することが必要不可欠なのです。

▼秘密戦の誤解を解く

 今日、秘密戦は中野学校で行なわれていた秘密戦技術、沖縄での遊撃戦、さらには登戸研究所(秘密戦研究所)による風船爆弾、偽札の製造、そして第七三一部隊が関与したとされる生物戦および化学戦など、さまざまに認識されています。

 森村誠一の『悪魔の飽食』(光文社)の信憑性はともかく、そこに描かれる第七三一部隊の暴虐性には目をそらしたくなるものがあり、ベストセラーとして多くの読者に悪辣なイメージを植えつけたことは間違いないでしょう。こうして、秘密戦とは絶対に許されない手段をもって、相手側の情報を盗んだり、目的達成の障害となる要人を暗殺したりする行為との印象が固まってきました。

中野学校や陸軍参謀本部では秘密戦を情報勤務の意味で使用し、それは諜報、宣伝、謀略、防諜の4つからなると定義していました。しかし、今日では秘密戦はさまざまな意味で使用されており、それらの違いを明らかにせず、メディアなどで混同して使用することは禁物です。これが、中野学校のイメージを貶め、現代に少なからぬ負の影響をもたらしています。

 だから私は本書では次のように主張しました。「秘密戦という一つの言葉をもって中野学校、登戸研究所、第七三一部隊が短絡的に連接される。中野学校の教育の一部をもって忌まわしい事実を強調する。秘密戦という後ろめたい隠微な言葉の響きとともに旧軍や中野学校が行なった情報活動が全否定される。このような何もかも一緒に関連づける粗雑な論理の延長線で、今日の情報に関する組織、活動および教育が否定されることだけは絶対に避けなければならない。周辺国が情報戦を強化しているいま、日本がそれらに対抗して本来行なうべき正当な情報活動まで制約を受けることがあってはならない。情報活動は国家が行なう正当な行為である。情報活動そのものを否定してはならないのである。」(本書引用)

▼根拠不明な謀略説を排除する

 さらに許しがたい状況は、書籍や雑誌で中野出身者が暗殺や毒殺、拉致などを働いたなどという記事がまことしやかに流布されていることです。

ただし、毒殺などは教育の中でわずかに教えられただけであり、所要の目的を達成するためには相当の訓練が必要となります。他方で、毒殺といえども、作戦との連接や所望の効果などを考えずに単に実行するだけであれば、当時の一般軍人や知識のある民間人でも実行は可能であったとみられます。

また中野学校では個人目的での謀略の使用は厳しく制限され、国家目的のため、さらにはアジア解放のための謀略に限定すべきであると教育されていました。要するに、さしたる根拠もなしに、安易に謀略事件と関連づけて吹聴すべきではないということを申し上げたいのです。

 中野出身者で御年99歳になられる牟田照雄先生は、筆者の知人でもある鈴木千春氏の取材に対して次のように述べられています。

 「スパイ学校という表現を筆頭に、中野学校を書いた書籍、雑誌は多いが間違いが多い。メディアやマスコミの無責任な憶測から、全く関係がないのに下山事件、白鳥事件まで中野学校にこじつけられ、非常に不愉快です。中野学校には裏切り者も犯罪者もいません。誤解と中傷に怒りを感じます。中野出身者は密かに熾烈に、黙々と国のために尽くしました。間違った情報が独り歩きし、私たちの『誠の精神』が踏みにじられています。これでは戦死した同志の英霊も安らかに眠れない」(本書引用)

 私たちは、牟田先生ほかの“声なき声”を重く受け止め、日本のために戦った英霊を慰め鎮めるためにも、いわれなき風説を排斥しなくてならないと思います。是非とも、できるだけ多くの方々に本書をお読みいただき、誤った認識が流布されることを一緒に防止していただけたらと心よりお願いしたいのです。

▼インテリジェンス・リテラシーの向上を目指して

 本書では組織や国家がインテリジェンス・リテラシーを高めるために秘密戦の研究は排除してはならないと述べました。ただし、これは謀略などの能力を保有せよ、という意味ではありません。諸外国がこれらの情報活動を活発に展開している現状では、防諜の観点からこれらの秘密戦を研究することは必要であるということを申し上げます。

今日、「超限戦」「ハイブリッド戦」「マルチドメイン作戦」など呼称はさまざまですが、平時と有事、正規と非正規、戦略と作戦・戦術のグレーゾーンでの戦いが注目されています。そして、わが国に対するかかる脅威が確実に高まっています。

ハイブリッド戦などの原点は秘密戦であると言ってもよいでしょう。今日、現代的視点で著されたハイブリッド戦などの関連書が陸続と刊行されています。

もちろんこのような関連書を参考にすることも重要ですが、私はその原点である秘密戦を今一度研究する意義が大きいとみられます。

本書では第1次世界大戦後の総力戦思想の誕生の中で、諸外国が秘密戦で火花を散らし、わが国も遅ればせながら秘密戦を重視した経緯についても詳述しています。ここには、なぜわが国が秘密戦で敗北したのかの原因を特定するヒントを掲載しています。

今日のハイブリッド戦への対応についても、かつての日本国あるいは日本人の宿痾(しゅくあ)ともいうべきある脆弱性を抱えているとみられます。つまり、秘密戦に関する歴史的検証を欠いた現代の視点だけの対応だけでは、某国からのハイブリッド戦などに対応することはできないと考えます。

 第二に、批判的思考で発信者の意図を推測することの重要性について強調しました。現在、さまざまな政治的意図を持った著書が出版されていますし、中野学校関連書の中にも真偽の怪しい情報が氾濫しています。

インターネット上ではフェイク・ニュースが氾濫しています。こうしたなか、我々には真実を選り分ける判断力が一層重要となっています。

 本書では、報道や記述に対して冷静に分析し、発信者の意図はどこにあるかを見極めることが重要になっています。本書では、3つの「問い」をもって情報(インフォメーション)を客観的かつ批判的に見ることがフェイク・ニュースに惑わされないための秘訣であることを述べました。

 こうした批判的思考を各人が身に着けることが、国家や組織のインテリジェンス・リテラシーを高める重要な一歩となると思います。

第三に、インテリジェンス・サイクルを確立することの必要性について強調しました。

 日本は米中ロという大国に囲まれ、かつ多くの資源を諸外国に依存しており、地政学的に見れば、日本ほど世界情勢を的確に見通す情報力が必要とされる国はありません。現代は不確実で先が見通せない時代にあって、インテリジェンスの重要性はますます高まっています。

中野学校が創設された当時も支那事変の泥沼化、欧州情勢の緊迫化、共産主義の浸透と国内テロの増加など、不透明な時代でした。

 こうしたなか、中野関係者は、将来を見据えて、海外情報要員の育成を決意し実行に移しました。彼らの決断力と行動力を教訓として、現在の国家組織や民間企業がインテリジェンスの重要性を認識し、良好なインテリジェンス・サイクルを確立していただきたいと思います。