武器になる「状況判断力」(7)

センスを高める秘訣-暗黙知を形式知に置き換える

    

□はじめに

皆様こんばんは。「武器になる状況判断力」の7回目です。

前回の謎かけは、「交通事故死亡者数で愛知県は、2016年から2018年まで全国1位、2019年から2020年は全国2位です。なぜ愛知県では死亡事故が多いのか?」でした。

その答えは「都道府県別の車両数が愛知県は最も多いから」です。「愛知県の運転手は気が荒い」と答えた人は正解ではありません。車10万台あたりの交通事故死亡者数では愛知県は全国的に下位です。統計数字にはよくよく気付けなければ、誤った判断をするという一例です。

前回は、パイロットを例に挙げて、状況判断力は養成できるということを解説しましたが、今回は消防士を例に、センスを向上させるための秘訣を考えてみたいと思います。なお、今回で「武器になる「状況判断力」」の第一章は終わります。第二章は「軍隊式「状況判断」の思考手順」を解説します。

  • 冷静な状況判断力が必要に消防士

 消防士もパイロット同様に高度な状況判断力を必要とします。消防士に向いている資質、性格、適性などについてネット検索しますと、「ハードな体力」、「正義感」、「使命感」などともに「冷静な状況判断力」という表示に接します。

消防士は危険な状況の中で、一刻一秒を争う生命の救出作業に携わるのですから高度な状況判断力が求められるのは当然です。

しかし、正義心だけで、自らの命を顧みず、無鉄砲に火の中に飛び込んでくことは勇気ある行動ではありません。現場を混乱させるだけで、チームに迷惑をかけることになります。だからこそ、周囲の状況をみながらの冷静な状況判断力が必要となります。

  • 某消防隊長の咄嗟の状況判断力

ゲーリー・クライン『決断の法則』では、状況判断に関するさまざまな事例を扱っています。その中で、次のような、某消防隊長の話がでてきます。

「ある消防士のチームが火災現場に駆けつけ、火元とおぼしき台所で消火作業を始めた。ところが放水を初めてすぐに消防隊長は自分でも分からないままに「早く逃げるんだ」と叫んでいた。ちょうど全員が退去した直後、床が焼け落ち、間一髪でチーム全員の命が救われた。

実は、火元は一階の台所ではなく、消防士たちが立っていた床の真下の地下室であった。もし隊長が叫ばなければチーム全員は地下の火の渦に巻き込まれたのである。」(『決断の法則』から筆者が抜粋、再編集)

▼なぜ消防隊長は咄嗟に正しい状況判断ができのか?

では、隊長はどうしてこのような咄嗟の状況判断ができたのでしょうか。

最初は隊長も、なぜ咄嗟に適切な判断が下させたのか自分でもわかりませんでした。隊長は言いました。「危険の第六感がした。でも、「何かがおかしい」とは感じたが自分でもどうしてあのように叫んだのかもわからない。」

「どうして、あのような絶妙なタイミングで避難の指示が出せたのですか?」と尋ねる隊員に隊長は次のように答えました。

「正直言って、オレにもよく分からない。神秘的だね。強いて言えば直観かな。すぐさま退避しないとやばいということを、直観が教えてくれたんだ」

隊員は「いつか、あんなにすごい直観が、われわれにも備わるんでしょうか」と言いました。そこで、隊長は自分が突然得た直観を「隊員に具体的に教えられるのか、具体的に教えられればすばらしいだろう」と考えたのです。

結論から言えば、このような直観は、隊員が具体的に学ぶことは可能です。なぜならば、「直観は、決して神秘的なものではなく、科学的に説明できるから」北岡元『速習!ハーバード流インテリジェンス仕事術―問題解決力を高める情報分析のノウハウ』)です。

しばらくたって消防隊長は、3つの「なんとなく変だ」と思っていたことがある、と言い出しました。

  • あれだけの放水をしながら、火が弱まらないのは、何となく変だ。
  • キッチンはそれほど広くない。その割に火災が発する熱があれだけ高いのは、何となく変だ。
  • あれだけの高熱を発する火災の場合には、もっと火が燃えさかる音がするはずなのに、あれだけ静かなのは何となく変だ。

(前掲、北岡)

直観とは広範かつ高速な「パターン認識」が原動力になって起きます。つまり、過去の経験から潜在意識に蓄積された「何となく変だ」という「パターン認識」が極めて高速に行われることによって直観が生まれます。

上述のように、隊長の頭の中で「この程度放水すれば火はこの程度になる」、「この程度の広さでの火災なら、発生する熱はこの程度になる」というような、過去の経験により蓄積された情報が呼び起こされ、それが瞬時の答え、すなわち判断を導き出したのです。

ただし、無意識の状態で起こるので自分では直ぐに説明できません。しかし、冷静になって考えれば、「パターン認識」をいくつかに分解して科学的に説明できるのです。

ここに第六感であるク・ドゥイユの本質と、それを養成する可能性を見出すことができます。多くのセンスの正体は実は、経験、学習、訓練によって潜在意識の中に蓄えられた「パターン認識」であるのでしょう。すなわち、クラウゼヴィッツが述べるように経験と教育の積み重ねによって、ク・ドゥイユは向上すると言えるのではないでしょうか。

▼直観を可視化する

日ごろ良く使う「直観」という言葉の本質はなんでしょうか? 「専門性と経験に裏打ちされた直感なのか?」それとも「感情的な直感なのか?」「なぜ自分はこう感じたのか?」など、「なぜなぜ思考」を用いて「なぜ?」をどんどんと掘り下げていくと、直観の「言語化」がなされます。

野球の長嶋監督は天才肌です。選手時代、なぜ自分があの場面で打てたのかの説明は得意ではなかったようです。監督になってからも、「なぜあの場面であんな判断をしたのか」の説明に窮するところがありました。人々は監督の判断を「カンピュータ」と言って褒めたり、揶揄したりしていました。

一方の落合監督は、自分がなぜ打ってたのか、打てなかったのかを言葉で論理的に説明しています。引退して、現役の野球選手がなぜ打てなかったのかなどを実に論理的に解説しています。

落合監督は、投手が投げるボールが捕手のミットに収まるわずか数秒間の自分の打撃を振り替えることで、無意識を意識、そして言語に変換しているのでしょう。ちなみに落合監督は試合前にはボールとバットの当たる角度の調整だけに集中したという逸話があります。

今を時めく大リーガーの大谷翔平選手は、小学3年生になる直前から「野球ノート」をつけています。そこには、大谷選手が感じた「良かったこと」「悪かったこと」「目標(これから練習すること)を記しています。この簡潔な可視化が、繰り返しで身に着ける技術と一体となり、大谷選手のスキルや状況判断力を向上させてきたのだと考えます。

東京オリンピックの女子レスリング50kg級で金メダルを取った須藤優衣(すさいきゆう)選手に関する記事に感動すら覚えました。須崎選手は全相手から1ポインも奪われないパーフェクト勝利という偉業を達成しました。

「決戦前、相手の孫亜楠(中国)を〝丸裸〟にした。「金メダルを取るために、ここまでやるかってくらい研究し、対策しました(須崎)。相手の特徴に加え、スタートからの構え、手と足の位置、どう攻めてポイントを取るかなどの要点を文字でまとめた。それを受け取った吉村祥子コーチは「私が書き出していたものとすべて一致」と証言。……」(東スポWeb 2021/08/08)

つまり、試合では相手の攻撃を受けて、咄嗟に状況判断して、まるで激流が岩場を巧みに潜り抜けるがごとく、臨機応変かつ感性的に戦っているようであっても、そこには勝つための〝文字による可視化〟があったというのです。

このように成功者の多くは、直観を可視化する、言語化することで、咄嗟の状況判断に必要なセンスを自然と向上させているのでしょう。

▼科学技術によって可視化領域は拡大

400メートルハードラーで、世界選手権で二度も銅メダルを獲得した為末大(ためすえだい)氏は、東京大学経済学部教授の柳川範之氏との対談で次のように述べています。

「……私たちの現役の頃には取れなかった身体データが、今はいろいろな手法で取れるので、データをもとに選手に説明する必要があります。ですから、データの扱い方が分からないコーチだと、指導していくのが徐々に難しくなってきているような側面もあります。…」(10ⅯTV)

これは、従来は勘に頼っていたコーチングが、科学技術の発展よりデータ活用してのコーチングへと転換してることを示唆しています。つまり、スポーツの分野では、過去には潜在的であったものがどんどん可視化され、言語化されています。

「おばあちゃんの知恵袋」は現代でも役に立つ知識が満載です。おばあちゃんは、孫になぜそうなるかを理論的に説明はできませんが、昔からの言い伝えや先人からの言い伝えを体現し、実際に有益であることは知っています。実は、これも物理的、化学的に説明できます。仮に、言葉で「なぜ」を説明できたら、おばあちゃんの知恵はより広く、迅速に伝わることでしょう。ここにも可視化の効能を認識することができます。

  • 暗黙知を形式知に置き換える

高度で瞬時の状況判断が求められる場面では、たしかにセンスや直観、あるいはク・ドゥイユ(瞬間的洞察力)というのが必要です。これらは、ナポレオンが言うように、たしかに先天的要素もあるかもしれませんが、その多くは努力して蓄積された経験なのだと私は考えます。

人は誰しも、直前の情報や周囲の特別な状況に影響され、しばしば冷静的な判断を失います。そのため、経験という暗黙知を形式知に置き換える、つまり思考過程の手順を言語化、マニュアル化しておく必要があります。実は、後で説明する軍隊式「状況判断」は頭の中で行われている思考作用を書き出すという行為なのです。

可視化すること、つまりマニュアル化することで、組織としての共通意識が生まれ、個人の「なんとなく」が明確化され、チームや個人の状況判断力を確実に高めることができると考えます。特に、マニュアル化による共通意識の下での学習や訓練がチーム全体の状況判断力の強化を可能にすると考えます。(つづく)

武器になる状況判断力(6)

□はじめに

「武器になる状況判断力」の6回目です。

 前回の謎かけは、「将棋には王将と玉将の二つがある。上位者が王将を使い、下位者が玉将使う。もともとは一つであったが、どちらが先にあって、後から誕生したのはどちらか?」です。

 答えは、「玉将です。歩兵があるので王将があると思いがちです。他方、金将と銀将があります。ほかに将のつく駒はありません。金、銀はいずれも宝物ですが、だとするとさらに高価な宝物といえば玉(ぎょく、ひすい)ということになります。なお玉将しかなかったものを王将と玉将に分けたのは豊臣秀吉であるとの逸話があります。

 そもそも、王様と将軍とは異なるので、それを二つ合わせるのもおかしいと思います。

 事象の類似性に着目する思考法をアナロジー思考と言い、未来を予測するための思考法です。これには過去の類似性に着目し、現状から未来を予測する方法と、他の領域の先行する類似性に着目し、未来を予測する方法があります。興味があれば、拙著の『未来予測入門』(*)をお読みください。

 今回の謎かけは、「交通事故死亡者数で愛知県は、2016年から2018年まで全国1位、2019年から2020年は全国2位です。なぜ愛知県では死亡事故が多いのでしょうか?」

 さて前回は今日の状況判断の重要性の高まりについて解説しましたが、今回は、状況判断力は養成できるのかについて解説します。

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▼状況判断力はスキルかセンスか?

ビジネスの世界では「スキル」か「センス」かという議論があります。戦略・戦術、インテリジェンスを語る際にも同様の議論があり、ここでは「アート」か「サイエンス」かという喩えがよく用いられます。スキルはサイエンス、センスはアートに相当します。思考法については論理的思考法と創造的思考法(直観)がありますが、前者はスキルで後者はセンスに該当します。

スキルは分解して数値化・具体化できます。たとえば、学力はスキルなので算数、国語、社会などに分類でき、英語はTOEICで何点といったように数値化できます。しかし、服装センスや人間性などは数値化・具体化できません。大衆を魅了する、異性にモテするのは総合的なセンスがあるというほかありません。

このような両者の違いから、スキルは後天的であって養成が可能とされています。企業などがKPI(重要業績評価指標)などを用いて、社員の能力を分解・評価し、それぞれの指標を定めて人材育成を行なうのはスキルの養成です。一方、センスは先天的なもの、総合的なものであり、センスを養成する確率的な方法はないと一般的によく言われています。

経営者には一般的にスキルよりもセンスが重要であり、社員はスキルが重要とされます。そして、しばしば養成が困難であるセンスをいかに養成するかが論じられます。

▼状況判断力を分解する

では、状況判断力はセンスかスキルのどちらに属するのでしょうか? まず状況判断が統率や指揮の要素であるという視点から考察してみましょう。

統率は統御と指揮に分かれます。統御は組織内の各個人にやる気を起こさせる心理工作であり、指揮官の個性、人格などが影響することが大きいのでセンスです。これには形になった養成法がありません。

一方の指揮は、状況判断、決心、命令、監督などに分類できます。また、米陸軍などがマニュアル化した状況判断のアプローチは、敵の可能行動と我の行動方針を掛け合わせて、賭けゲームの理論を適用して行なう論理的思考法です。

だから、指揮は統御との対比ではスキルです。そして指揮の一要素である状況判断もスキルと言うことができます。だからか、軍隊では戦術教育などを活用して、状況判断が必要な場面を想定し、それを学生に付与して、時間内に判断と決断を行なわせ、それに基づく計画や命令の作成などの訓練を通して状況判断能力や指揮能力を訓練します。

▼状況判断にもセンスが重要

しかしながら、状況判断にセンスの要素がないわけでありません。状況判断の基礎である状況把握に必要な情報の収集だけをとっても〝情報センス〟との言葉があるようにセンスが必要不可欠です。

また、実際には過去の多くの名将は、戦略眼あるいは洞察力ともいえる瞬間的な状況判断力で苦難を乗り越えてきました。このような瞬間的な洞察力や判断力をフランス語で「クードゥイユ(Coupd’oeil)」と言います。ジョミニ中将は「どんなに優れた戦略計画を作れる将軍でも、クードゥイユがなければ戦場で敵を目の前にしたとき、自身の戦術理論を適用することはできない」(松村劭『勝つための状況判断学』)と述べています。

クードゥイユとは第六感、まさしくセンスなのです。第六感であるクードゥイユが養成できるかどうかについては意見の相違があります。ナポレオンは、この才は神から与えられた先天的なものと考えていたようですが、クラウゼヴィッツは、「この才は、先天的に決まるものではなく、経験と教育の積み重ねによって得られるもの」と述べています。

▼ハドソン川の奇跡とは

さて、センスはまったく養成できないのでしょうか?そもそもセンスとは何でしょうか?

高度な状況判断を必要とする職業といえば、真っ先に挙げられるのはパイロットではないでしょうか。坂井優基『機長の判断力』(2009年5月)の中で、2009年1月のチェスリー・サレンバーガー機長が行った「ハドソン川の奇跡」について書かれています。これは2016年に映画化されましたので鑑賞された方もいるかと思います。

 坂井氏の著書は「ハドソン川の奇跡」が起きたわずか4か月後に出版されたました。同事件が本書の刊行の流れを決定づけたと言えますが、坂井氏は常々、サレンバーガー機長と同じような修練を積んでいたから、このような著書を短期間に書き上げることができたのだと考えます。

 以下は同著からの抜粋です。

「2009年1月15日、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウェイズの旅客機1549便が両方のエンジンに鳥を吸い込みました。……エンジンの中心部に吸い込まれた鳥がエンジンの内部を壊し、その結果、両方のエンジンとも推力をなくしてしまいました。チェスリー・サレンバーガー機長は、両方のエンジンが故障したことを知ると、直ちにハドソン川に降りることを決意して実行しました。それによって乗客・乗員155名全員の命が助かりました。この事故では機長の決断と行動が大勢の人の命を救いました。どれ一つを間違えても大事故になった可能性があります。……まず何が一番素晴らしかったのかというと、離陸した元の空港に戻ろうとしなかったことです。機体も乗客も両方無事に着陸させたいというのは、パイロットにとって本能のようなものです。川に降りると決断した時点で、機体の無事は切り捨てなければなりません。

もし、このときに機長が離陸した空港に戻ろうとしていたら、途中で墜落して、乗客・乗員の命が助からなかったのみならず、燃料をたくさん積んだジェット機が地上に激突して、地上にいるたくさんの人も犠牲になったに違いありません。また、機長は着水場所にイーストリバーではなくハドソン川を選びました。……イーストリバーにはたくさんの橋がかかっており、もしイーストリバーを選んでいたら、橋に激突した可能性があります。さらに操縦方法の問題もあります。……着水時の速度も問題です。……これだけの判断をしながら機長は飛行機を止める場所までも選んでいました。このようなケースの際は、船が近くにたくさんいる場所に止めることが素早く救助してもらう鉄則です。今回はまさにフェリーがたくさんいるフェリー乗り場のそばに着水させています。……機長は全員の脱出を確認してから機内を二度見て回り、いちばん最後に自分が脱出しました。……これからどんなことが言えるのでしょうか。いちばん重要なのはよく準備した者だけが生き残るということです。グライダーの操縦を練習し、心理学の勉強をし、NSTB(National Transportation SafetyBoard、国家運輸安全委員会)のセミナーに参加し、日ごろから様々な状況を考えて、頭の中でシュミレーションしていたからこそできた技ではないかと思います。もう一つ重要なのは、切り捨てるという決断も必要ということです。もし飛行機もの乗客も両方救いたいと思えば、結果的に全てを失っていたはずです。……」

▼センスであっても養成はできる部分はある

この記事は「優れた状況判断は平素からの地道な修練の賜物である」ことを如実に物語っています。ただし、機長の優れた状況判断は論理的アプローチにより手順を追って行われたというよりも、咄嗟の総合的な判断であったとみられます。つまり、機長はクードゥイユあるいはセンスを発揮して状況判断を行ない、危機を脱し、乗客の命を救いました。

ここで注目すべきは、機長は常日頃から、身体を鍛え、グライダーのライセンスを取得し、起こり得る危機を想定し、危機が現実となった時に何を判断すべきかをイメージトレーニングしていたという点です。すなわち、常日頃からスキルを磨いていたからこそ、咄嗟のセンスが発揮できたのです。

物事や環境に対するすべての状況判断は論理的思考と創造的思考の併用よると言っても過言ではありません。「結局はセンスが大切」といって、一見小難しい論理的アプローチを一蹴し、感覚や直観だけに頼より物事を処理するではなく、意識して一定の論理的思考法や技法を取り入れることが、全部とは言えないものの相当部分のセンスを磨くことができると考えます。

すなわち、論理的思考法(スキル)の向上が創造的思考法(センス)を活性化し、その相乗効果で状況判断力が高まると考えます。

(つづく)

武器になる「状況判断力」(5)

状況判断の重要性─VUCA時代では状況判断力が一層重要

□はじめに

 皆様こんばんは。「武器になる状況判断力」の5回目です。
 ところで、前回の謎かけは「最近、石油価格が上昇しているのはなぜか?」でした。これは、インターネットなどで検索すると、「まもなくコロナ禍が終わり、今冬あたりから海外旅行が再開される。そのため航空運輸業が石油のストックに乗り出したから」という仮説に接します。

「なるほど、そうか!」と実に納得できる仮説ではありますが、1つの仮説に満足すると判断を誤ります。石油価格の変動には中東の政治情勢、米国や中国の戦略、ロシアのエネルギー戦略などさまざまな要因が複雑に絡んでいます。だから複数の仮説を立
てて、石油価格上昇という現象をもたらす要因やそれが織りなすシナリオを考察してみることが大切です。ここでの教訓は、1つの仮説で満足しない、決めつけないということです。
 次回の謎かけは、「将棋には王将と玉将の2つがある。上位者が王将を使い、下位者が玉将を使う。もともとは1つであった。どちらが先にあって、後から誕生したのはどちらか?」です。少し、マニアックな謎かけですが、この回答が筆者には「なるほど」と言わしめるものでした。

 さて前回は状況と情勢の違いから、状況判断と情勢判断、戦術的状況判断、戦略的情勢判断などについて解説しました。今回は、今日の状況判断の重要性について解説します。

▼ドッグイヤーの到来

 今日、ICT技術の目まぐるしい進化によって、昔なら1年くらいかかった技術革新が数か月で達成されるようになったとされます。そのスピードの早さを「ドッグイヤー(dog year)」と言います。
「成長の早い犬の1年は人間の7年に相当する」ことからIT産業の変化の早さを喩えたメタファです。

 従来は、成功を遂げた企業をモデルに研究し、それを追い越すよう戦略の目的や目標を立て、それに適合する戦術を案出するというのがオーソドックスな方法でした。しかし、ドッグイヤーでは、これまで成功したビジネスモデルが応用できなくなったと言われています。消費者や市場の変化に対応できない企業は淘汰され、予想もしない新規参入業者が登場しています。だから、「現在好調な企業が本当に成功していると言えるのか、その成功は一過性のものではないのか」などの疑念が尽きず、また明確な目標はどこにもないとされます。

また、消費者はインターネット情報などに敏感に反応し、どんどん意思決定し、それを次々と変更します。アンケートのような旧態依然とした市場・消費者に対する調査・分析では、ニーズに対応できる「生きた情報(生情報)」が入手できなくなったようです。

▼戦場の霧は依然と晴れない

クラウゼビッツは『戦争論』の中で、「軍事行動がくり広げられる場の4分の3は霧の中」「戦争中に得られる情報の大部分は相互に矛盾。誤報はそれ以上に多く、その他のものも何らかの意味で不確実」と述べています。

現代社会では人工衛星やインターネットの発達で、戦場でのISR(情報収集・警戒監視・偵察:Intelligence, Surveillance and Reconnaissance)能力は飛躍的に向上し、〝戦場の霧〟は晴れたかのように見られます。

しかし、優れたAIをもってしても相手の意図は依然としてわかりません。また、インターネット上には多くの情報がありますが、誤情報が氾濫し、意図的な偽情報による誘導工作も散見されます。

クラウゼビッツは、「情報が多ければ判断が楽だ、というものではない。心配の種を増すだけのものもある」と述べましたが、まさにそのとおりの社会になっているような気がします。すなわち、霧は晴れようとも、〝戦場の霧〟は決して晴れることはないのです。

▼VUCA時代の到来

ビジネス社会に目を転じてみましょう。マスメディアの報道やインターネットで得られる情報の多くは発信者にとって都合のよい「売り込み」情報です。
企業経営などで必要な情報は、相手側が秘匿・防護しています。この点が学問とは全く異なるのです。

現代社会は「VUCA(ブーカ)時代」(V:Volatility(変動性)、U:Uncertainty(不確実性)、C:Complexity(複雑性)、A:Ambiguity(曖昧性))と呼称されます。すなわち、テクノロジーの進化によって、社会やビジネスでの取り巻く環境の複雑性や変動性が増し、将来の予測が困難になっています。

こうしたなか「戦争では予想外の事の現れることが多い。情報が不確実なうえ、偶然が多く動くからである。洞察力と決断とが必要である」とのクラウゼビッツの箴言は、現代社会における状況判断力の重要性を物語るものとして今なお新鮮な響きがあります。

▼戦術と戦略との一体化を強化

 環境諸条件の変化の流動性が増し、先行きが不透明な現代では「戦略を立てようにも立てられない、戦略を立てても市場ニーズの変化に追随できなくなって、すぐに戦略を変更しなければならない」という不安の声を耳にします。

 そのため、「企業はどんどん戦術を繰り出し、その反響により生情報を入手し、戦術を修正する、または新戦術を考えることが重要なのだ」という声が増えているようです。

ただし、これを「戦略よりも戦術の重要性が高まった」というように短絡的に判断することは危険です。戦略は「何のために(why)何を(what)なすべき」」であり、戦術が「いかに(how to)なすべきか」という本質的な相違からすれば、戦略→戦術の流れは〝普遍の原理〟です。目的や方向性のない、行き当たりばったりの戦術をやみくもに繰り出していては
犠牲や損害を被ることになります。

要するに、戦略を膠着化させず、戦略と戦術の一体化を強化することが重要なのです。つまり、「戦略に対する戦術の適合性(整合性)を判断する、戦術の実行可能性を見極めて躊躇せずに戦術を実行に移す、戦術の戦略への影響性を考察して戦略の修正を図る」ことが重要です。すなわち、戦略と戦術を同時一体的に律していくことが重要だと言えます。

▼「OODAループ」の登場

現在のビジネス界では、業務改善の手法として有名な「PDCA((1)計画、(2)実行、(3)評価、(4)改善」に代わり、「OODA(ウーダ)ループ」が注目されています。これは、「(1)観察する(Observe)」「(2)状況を理解する(Orient)」「(3)決める(Decide)」「(4)動く(Act)」の頭文字をとった造語です。

この思考法は、「物事はなかなか計画どおりには進まない。だから、現場サイドが市場や顧客などの外部環境をよく観察し、『生データ』を収集して状況を理解して、すわわち状況判断を行い、具体的な行動を決断し、即時に実行に移せ」というものです。

「OODAループ」は、米空軍将校が、環境諸条件が流動点であるという作戦・戦闘の特性を踏まえて提起した概念です。実は、前線での個々の戦闘の場面では、事前の作戦計画を遵守するよりも、状況に応じて臨機応変に判断し、実行に移すことが鉄則なのです。ある意味、軍事作戦においては「OODAループ」は相当以前から当たり前でありました。

 ここにも軍事ノウハウが他領域へ越境し、その領域でのノウハウとして定着している状況を認識せざるを得ません。

▼軍事マニュアルはあらゆる領域で活用できる

前述のVUCAも軍事用語からの派生です。米国では軍事における教訓が続々とビジネスに浸透しています。かの経営理論の神様であるドラッカーは米軍の諸制度を高く評価していました。実際、米軍マニュアルには、環境諸条件の流動性が激しい現代社会を生き抜くビジネスパー
ソンに役立つ多くの知見があると考えます。

現代の人生やビジネスも一種の戦いです。だから、かつて筆者が学んだ陸自教範で戦略・戦術の原則書『野外令』にもビジネスに役立つ知見があります。
しかし、残念ながら、米軍マニュアルはほとんどが公開されているのに比して、自衛隊の教範は公開されていません。未公開にはそれなりの理由があるのでしょうが、筆者は情報公開の遅れを痛痒します。

他方、米軍マニュアルとともに、陸自『野外令』の源流となったわが国の旧軍教範には戦略、戦術、指揮、統率、勝利するための原理・原則が記されてい
ます。筆者は、今日のビジネス書に接するたびに、「このアイデアは『統帥綱領』、『統帥参考』、『作戦要務令』(※)などに書かれていることと根っこは同じだな」と感じることが多々あります。これは、ビジネス書が『統帥綱領』などを参照にしているのではなく、競争社会の原理・原則にはある種の共通性があるからだと考えます。

ドッグイヤーあるいはVUCA時代と言われる今日、一般人やビジネススパーソンにとっても、環境(戦況)の流動性が高い作戦・戦闘の教訓を踏まえて誕生した軍隊式「状況判断」を学ぶことの意義は大きいと考えます。

そこで、米軍マニュアルや旧軍教範、さらには古今東西の兵術書や戦史などを引き合いにし
ながら、米軍式「状況判断」の現代的活用法について、筆者の私見を踏まえて追い追い述べていきたいと考えます。


※『統帥綱領』、『統帥参考』は当時は非公開であり、一方の『作戦要務令』は公開であった。今日では、いずれも一般販売しているので自由に手に入る。

(つづく)