『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(4)

兆候を把握することの重要性

インテリジェンスは戦略レベルと作戦・戦術レベルの二つに区分される。ここでは、便宜上、前者を「戦略的インテリジェンス」、後者を「作戦的インテリジェンス」と呼称する。

前者は相手側が何を考えているのかをじっくりと観察する余裕がある。しかし、後者にはそんな余裕はない。そこで後者の主眼は「敵が何をしようとしているのか」「次にどのようなことが起こるのか」を瞬時に判断することになる。

そのためには状況(情勢)の変化を探知することが重要になってくる。 このような観点から第九編「行軍」では、「およそ軍をおき敵を相(み)る」として、我が軍がよい地形を確保して敵情を偵察することの重要性を説いている。

その上で、敵情を見抜くための「三十三の相(見方)」をあげている。

たとえば、「多数の木立がざわめくのは敵が森林を移動している」「あちこちに草を結んで覆いかぶせているのは我に伏兵の存在を疑わせる」「草むらから鳥が飛び立つのは伏兵が潜んでいる」「砂塵が高く舞い上がるのは戦車部隊が来ている」「砂塵が低く垂れ込めているのは歩兵部隊が進撃している」「軍使の言い方がへりくだっているのは我を不意に急襲する準備をしている」「軍使の言い方が強硬で進攻するように見えているのは密かに退却を準備している」などである。

こうした「相」のなかで、現在進行形の行動を裏付けるものが「証(証拠)」であり、次なる行動を示唆するものが「兆候」である。これらに着目することが状況の変化を探知する秘訣である。

「兆候」とは「物事の前触れ」であり「予兆」「前兆」ともいう。たとえば「地震雲が発生する」「深海魚やイルカなどの浜へ打ち上げられる」「ネズミなどの動物が起きて動き出す」「温泉の泉質が変わる」などの自然現象は大地震の前兆・兆候だといわれている。

これらの「兆候」から「大地震が起きて、津波災害などが発生する公算が大でうる」などのインテリジェンスを生成し、しかるべき部署に伝達(配布)すれば、被害を局限することができるであろう。

同様に戦場においても、さまざまな「兆候」を分析し、「敵が何をしようとしているのか」「何ができるのか」などを先行的に判断できれば、我は敵に対する主導性を確保でき、有力な対抗策が打てることになる。

先の『孫子』の例では、「砂塵が高く舞い上がるのは戦車部隊の来襲の兆候である」ととらえ、対戦車火器や対戦車地雷を配置して戦車部隊を迎撃する準備をする、「軍使の言い方が強硬で進攻するように見えているのは退却の兆候である」ととらえて、わが部隊を集結させて敵軍を追撃する準備を行うことになろう。

物事が起きるには、タイムラグの長短はあれども、必ず何らかの兆候がある。たとえば敵が近々戦争を開始しようとすれば、物資の事前集積、情報収集機の活動の活発化、通信量の増大などの変化が現出するであろう。一方、攻撃の直前ともなれば「無線封止」により通信量が激減するといった変化が現れるかもしれない。

第二次世界大戦中、米海軍で対日諜報を担当していたE・M・ザカリアス(元米海軍少将)は、日米開戦前に日本が米国を奇襲する寸前の兆候として、「あらゆる航路からの日本商船の引き揚げ」と「無線通信の著しい増加」を挙げました。日本の攻撃に特徴的な兆候として「ハワイ海域における日本潜水艦の出没」を挙げた。

こうした「兆候」が起こることを予め予測して「兆候リスト」を作成し、実際に起こった「兆候」と、起こらなかった「兆候」を分析して、敵の意図及び行動を判断することが、正確なインテリジェンスを生成する秘訣である。

とくに作戦的インテリジェンスにおいては極意であるといえる。 このことは『孫子』の時代も今も、安全保障であろうがビジネスの世界であろうが全く変わらないのである。

兆候を重視する

「兆候」と対比する概念に「妥当性」がある。戦略レベルのものを「戦略的妥当性」、戦術レベルのものを「戦術的妥当性」と呼称して区分することもある。 「妥当性」とは端的には「その戦略や戦術が目的に合致しているか?」「戦略・戦術が可能か?」などということである。

「戦術的インテリジェンス」では「兆候」と「妥当性」が競合した場合には「兆候」が優先される。なぜならば、「兆候」は可視的(目に見える)であるのに対し、「妥当性」は不可視的であり、その評価には時間と労力がいっそうかかるからである。

戦況が次々と推移する戦場での行動決心には一刻の猶予も許されない。だから目に見える「兆候」から、あらかじめ準備した基準に則り、敵の行動を見積もることが重要である。これが「作戦的インテリジェンス」における「兆候」重視の根拠である。

妥当性を重視する

他方、「戦略的インテリジェンス」においては、かならずしも「兆候」が優先されるとはかぎらない。戦略レベルの判断ミスは作戦・戦闘では挽回できない。だから敵の欺瞞や偽情報を排除して、敵の行動などをより慎重に判断すべきだからだ。

いくら戦争開始を示す事前の「兆候」があったとしても、相手側の戦略や戦術が著しく「妥当性」を欠く場合、「兆候」は欺瞞、偽情報として処理するというのが「妥当性」評価の考え方である。

また見積もりにも時間的に余裕があるから、慎重な判断が可能になる。よって、相手国の企図や行動を「妥当性」という評価尺度で慎重に見極めることが肝要なのである。

堀栄三の活躍

堀栄三

『大本営参謀の情報戦記』の著者で太平洋戦争時に大本営情報参謀であった堀栄三中佐はフィリピン島における米軍の上陸地点の見積りを命じられた。その際、堀氏はラモン湾(東海岸)、バダンガス(マニラの南方)、リンガエン湾(ルソン北部西海岸)の三か所に絞って分析を行なった。

米軍機の航跡とその頻度、写真偵察と思われる行動と大型機の出現頻度、ゲリラや諜報の活発度、潜水艦による物資・兵器・兵士の揚陸、抗日運動の状況など各種の「兆候」を分析して、堀氏は「上陸地点はラモン湾とリンガエン湾、むしろ兆候的にはラモン湾」と評価した。 

しかし、堀氏は自らがマッカーサーになったつもりでもう一度見積を見直したのである。つまり、①米軍がフィリピン島で何を一番に求めているか(絶対条件)、②それを有利に遂行するにはどんな方法があるか(有利条件)、③それを妨害しているものは何であるか(妨害条件)、④従来の自分の戦法と現在の能力で可能なものは何か(可能条件)と四つの条件に当てはめて再考したのである。

そして最終的に「リンガエン湾に対する上陸の可能性が大」と評価し、見事に的中させた。すなわち堀中佐は、米軍の戦略・戦術的な「妥当性」を重視して見積を的中させた。

妥当性を判断する4つの基準

一般的に「妥当性」を評価する基準としては適合性、可能性、受容性および効果性の四つがある。それぞれの基準の意義は以下のとおりである。

1)適合性:その戦略構想が戦略目標達成にどれほど寄与できるか?

2)可能性:自己の内部要因がその戦略行動を可能にするか?

3)受容性:戦略構想実施によってえられる損失または利益が戦略意図の要求度に対して許容できるか?

4)効果性:戦略構想が実施に移された場合、全般戦略および他の関連する戦略にどれほどの貢献ができ、またはどれほどの影響を及ぼすのか?

相手国の行動等を評価するうえで、上記の四つの基準に当て嵌めて考察することを是非とも推奨する。

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