『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(6)

防諜の重要性

カウンター・インテリジェンスは対情報などと翻訳されるが、いまだわが国には定着していない。しかし、旧軍では防諜という用語があり、これがカウンターインテリジェンスの実態とほぼ同様なので、以下、防諜と呼ぶことにする。

防諜は相手国の情報機関による情報活動や各種工作から我の情報機関の要員や情報活動を防護するため、非公然な活動も含む組織的かつ積極的な活動である。旧軍における防諜は、諜報、宣伝、謀略とともに秘密戦を成していた。そして、防諜には消極防諜と積極防諜があり、消極防諜が前回(5)で言及した情報保全として理解していただければ、ほぼ問題はない。

第十三編「用間」では反間(二重スパイ)を最も重視せよといっている。 なぜならば、すでに述べたとおり五間の情報源の糸口は必ず反間によって得られるからである。 しかし、反間を最大限に優遇しなければならないもっと大きな理由は、反間がカウンターインテリジェン、すなわち防諜の最大の武器だからある。

アレン・ダレスは「二重スパイは防諜の最も特徴的な道具である」と述べている。 相手国の情報機関から、水面下での諜報や秘密工作を受けている場合、我が組織を防護するためには受動・防勢的な情報保全だけでは不十分である。相手国スパイが所属している情報機関の組織、活動方法及び活動目標を能動的に解明し、相手国の情報組織を破砕する必要がある。つまり、能動的な対抗策、すなわち防諜が必要となる。

諸外国はいずれも防諜を重視し、そのための専門組織を持っている。いくら対外情報収集機能が優れていても、相手側のカウンターインテリジェンス機能が強力な場合、我の情報活動は成果を挙げられない。相手国の組織にスパイを潜入させても、防諜機関によってスパイ網が解明、摘発され、逆に偽情報によって我が組織は壊滅的打撃を被ることになるからである。

相手国が隠密裏に浸透させるスパイ網を摘発する基本は、わが組織に浸透した敵側のスパイを寝返らせ、わが組織にひっそりと蔓延するスパイ網の存在を暴露させることが基本である。すなわち、『孫子』のいう反間の運用がもっとも有用なのである。

ところで、不穏なスパイに遭遇した場合、故意か過失は問わず、インテリジェンスを漏洩したものに対してどのように遇すればよいのだろうか? 

これに関して、「用間」では「間事未だ発せざるに而も先ず聞こゆれば、其の間者と告ぐる所の者と、皆な死す」と説く。つまり、スパイを運用する諜報・謀略活動が、未だ外部に発覚するはずのない段階で、他の経路から耳に入ってきた場合に、そのスパイとインテリジェンスを伝達してきた者は死刑にすると述べているのである。この厳しい防諜体制があってこそ、組織が守ることができるのである。

先の「海軍乙事件」では、事情聴取後、福留参謀長がフィリピンの第二航空艦隊長官へ、山本中佐も連合艦隊主席参謀に栄転した。なお、この人事措置には、海軍が秘密漏洩の事実がなかったことを公式に表明する意味もあったとみられている。 『孫子』と対比するならば、当時の日本軍の寄り合い主義と情報管理の甘さは大いに責められるべきであろう。太平洋戦争敗因の大きな原因として、末長く後世の記憶に留めておく必要があるといえよう。

反間のさらなる活用が秘密工作(謀略)

秘密工作を情報活動の範疇に含めるべきではないという議論はある。しかし、それは無理なことである。秘密工作は情報機関による活動がエスカレートする過程で生まれてきたものだ。 

また秘密工作は非公然、水面下で行われるのが原則だから公式の政府機関や軍事機関は使えない。したがって、CIAやKGBの例をあげるまでもなく、各国においては情報機関がしばしば秘密工作を担ってきた。伝説の元CIA長官のアレン・ダレスは、「陰謀的秘密工作をやるには情報機関が最も理想的である」と述べている。(アレン・ダレス『諜報の技術』)

つまり、情報組織から秘密工作という活動を除外することは不可能である。

史上最大の欺瞞工作

陰謀的秘密工作の醍醐味は敵をまんまんと欺くことである。つまり、敵に誤判断や錯誤をもたらし、『孫子』がいうところの「戦わずして勝つ」「勝ち易きにして勝つ」ということである。

この欺瞞工作を最も得意としていたのが第二次世界大戦時のイギリスの首相、ウィストン・チャーチル(一八七四~一九六五)である。彼がおこなった欺瞞工作でもっとも有名なのが「ミンスミート作戦」(挽肉作戦の意味)である。

この作戦は、連合軍の真の上陸目標であるシチリア島からドイツ軍の関心を逸らすために、正体不明の死体をイギリス軍将校に偽装し、彼が不測の事故に遭遇したという体裁をとった。つまり、イギリス軍将校が重要な機密書類を携行して運ぶ途中に航空機事故にあったように見せかけたのである。

もちろん、この機密書類はまったくの偽物で、ドイツ軍の関心をシチリアからバルカン半島に向けさせるよう緻密に偽装した作戦計画であった。イギリスはこの死体を、偶然にドイツ軍が入手するように、スペインのウェルバ沖の海岸から放棄した。それにドイツ側がマンマとひっかり、防御正面の重点を誤ったのである。

さらにおおがかりな欺瞞工作の成功事例が「ダブルクロス作戦」である。この作戦を取り仕切ったのは「二〇委員会」という組織である。二〇をローマ数字にすれば、XXとなる。すなわちダブルクロスである。 この作戦は、ドイツ軍のスパイを二重スパイとして活用する、ドイツ軍の暗号を解読するなどして、ドイツ軍が連合国の計画を誤って解釈するよう仕組むものであった。

ダブルクロス作戦の最大の成果とされるのが、ノルマンディー上陸作戦(一九四四年六月)である。この作戦は簡単に言えば、ドイツ側に対し、連合国の上陸正面がノルマンディー海岸(ポーツマス対岸)ではなく、カレー海岸(ドーバーの対岸)であるかのように錯誤させるための欺瞞工作である。そのため、上陸部隊による陽動作戦のほか、ドイツ側から寝返った二重スパイによって、「本格的な攻撃はカレー正面に対して行われる」との偽情報をドイツ軍上層部に流し続けたのである。

大掛かりなダプロクロス作戦が最後まで気づかれなかったのは、イギリスがひそかに実施していた、ドイツ暗号の解読(「ウルトラ」作戦)の成果による。 イギリスはドイツ暗号を解読している事実を秘匿するために、決定的な影響を及ぼさないレベルでの作戦上のミスを意図的に行った。

また、二重スパイを介して、差し障りのない真実の情報をドイツ側に与え、スパイが寝返ったことを秘匿した。そして、ここぞとばかりに〝乾坤一擲〟の欺瞞工作に打って出たのである。

一方でイギリスは、二重スパイに転向することを承諾しない者は容赦なく処刑した。このようにイギリス側の欺瞞工作は、諜報、防諜と一体になって行われるということを物語っているのである。 なお、第二次世界大戦時におけるイギリス軍の欺瞞工作については、吉田一彦『騙し合いの戦争史 スパイから暗号解読まで』において詳述されている。

インテリジェンスとは、対象国の意図や能力を明らかにすることだと思っている傾向が強い。それは重要なことであるが、一部である。 とくに塀のなかの情報分析官は、学者や研究者のように対象国のオシントを中心に、卓越した語学力を駆使して、対象国の意図を解明したがる傾向にある。いや、解明した気になる。

しかし、歴史は、多くの情報分析が不可視的な意図を分析して失敗し、そり失敗の原因の大きな要因が相手側の欺瞞であっことはわかっている。 塀のなかにいる情報分析官も、世の中がスパイ活動によって欺瞞工作を受けていることを理解すべきである。でなければ、偽情報に踊らされて、誤った分析することになる。

わが国が対米決戦を決めた、ハルノートの作成にはソ連の影がちらさていた。これにかかわる研究も進んでいる。当時のルーズベルト政権にはソ連のスパイ網が深く浸透していた。こうした歴史をもっと知る必要がある。自分で真実を研究する必要はないが知っておくことは大切である。

インテリジェンスのなかには敵を知る、己を知る、環境を知る、そして活動には知る、守る、知らせる(ミスリードさせる)さらには、通常の外交活動では対処できない水面下での問題解決を指向する活動まであることを忘れるべきではない。 

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