武器になる状況判断力(4)

□はじめに

皆様こんばんは。「武器になる状況判断力」の第4回目です。

前回の謎かけは「千葉県の松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ全長は26.5kmの新京成線は山も谷もないにもかかわらず不自然なカーブが連続する。直線で結ぶと15.8kmであるが、なぜ10km近くも余計に走っているのか?」でした。

答えは、「陸軍の運転用の練習に作られた。練習にはカーブが多い方がよい」とのことです。一見不合理と思われる事象も、視点を変えると合理になる。多面的に物事を見る重要性を教えてくれます。

今回の問いは「最近、石油価格が上昇しているようです。リッター150円を超えています。さてその理由はなぜか?」です。まずは頭の中で考えてみてください。

前回は指揮における状況判断の役割として指揮の核心で「決心」を準備する作業という点についてお話しました。今回は、状況と情勢のニュアンスの違いに着目し、あえて状況判断を状況判断(狭義)と情勢判断、戦術的状況判断、戦略的情勢判断に分別して、その特性などについて解説することとします。

▼状況と情勢とは?

筆者が初級・中級幹部時代に学んだ戦術教育の場では「状況判断」という言葉を嫌というほど聞かされていました。しかし、防衛省の情報分析官であった時代には「情勢判断」という言葉の方をよく目にし、耳にするようになりました。

実際、さまざまな国際情勢・インテリジェンスの書籍を読むと、情勢判断という言葉がよく目に入ってきます。そこで、まず状況と情勢について考察してみます。

一般的に状況や情勢は、人や組織が生存する、あるいは行動するために考慮しなければならない環境諸条件の時々の「ありさま(有様)」を意味する言葉といえます。ただし、情勢は国や世界など大きく見渡した有様を表し、状況は身の周りなどの限定的な範囲での有様を表すといえるでしょう。

そのため、状況には「個々の状況」「周囲の状況」「その時の状況」、情勢には「国際情勢」「当時の情勢」「将来の情勢」などといった分類や使用法が見られます。

とはいえ、状況と情勢に明確な境界線があるわけではありません。環境諸条件の時間の長短と地理空間の広狭で、主観的・感覚的に使用しているのが実態でしょう。

▼状況判断と情勢判断

次に、便宜的に状況に関する判断を状況判断とし、情勢に関する判断を情勢判断と呼称して、その特性を見てみましょう。

 作戦戦場では、指揮官が決心するための準備として「状況判断」(軍事用語)を行ないます。たとえば「敵は右正面に戦力を重点的に配備しているか、それとも左正面が重点か?」などの敵の可能行動の見極め(判断)から、「我は右から攻めた方が良いか、左から攻めた方が良いか?」などの行動方針の優劣を判断し、「明朝、敵を戦場に捕捉・撃滅するために左から攻める」などの決心を行ないます。

判断すべき事項は限定されていますが、判断するまでの時間が限られていますのでスピードが命です。それゆえに、戦況速度が激しい作戦戦闘に従事する軍隊組織では状況判断の思考過程(手順)がマニュアル(ドキュメント)化されています(後述)。

他方、政治指導者(政策決定者)などは国際情勢の大局を継続的に判断して、国家の生き残りや繁栄の戦略・政策を考えます。これらを誤ると致命傷になるので、長期かつ継続的な観察を行ない、その判断には正確性が最も重視されます。正確性を高めるために組織的な情報収集、情報分析を行ない、情勢を判断して、戦略・政策判断します。

ソ連のスターリンはドイツとの戦いの中で、欧州、中国、米国、日本に広範囲な諜報網を設定し、ドイツの能力と意図に関する見極めを実施していました。

日本には、ゾルゲが満洲事変以後の日本の対ソ政策を観察するという使命を受けて1933年に来日しました。その後8年かけて、来日前の中国で徴募した尾崎秀実を中心に諜報網を確立し、これを組織的に運用し、日独関係、日本の対華・対米政策、軍部と政治的意思決定との関係などの諸情勢を分析、判断しました。そして「日本は南進策をとり、ドイツと連携してソ連に侵攻することはない」との判断を下し、これに基づいてスターリンは極東方面の兵力を対独正面に転用するとの戦略判断と決断を下しました。国際情勢の判断には多くの組織やスタッフがさまざまな観点から関与し、その判断結果をインテリジェンスとして政治指導者に提供します。政治指導者は上がってきたインテリジェンスに基づいて、国家戦略や外交政策などの総合的な判断と決断を行ないます。

このように国際情勢の判断には、考慮すべき要因が広範多岐に複雑に絡みますので、作戦戦場の状況判断のようにドキュメント化された定式はありません。判断者個人の力量が物をいう世界です。

▼戦術状況判断と戦略情勢判断

状況(情勢)判断の理解を深めるために、戦略と戦術の関係についてもみておきましょう。戦略と戦術は共に軍事用語です。戦略が「大規模な軍事行動を行うための計画や運用方法」、戦術とは「戦略の枠内での個々の戦闘を行うための計画や遂行方法」などと定義されています。つまり、戦略と戦術は相互に上下する概念であり、戦略が上位、戦術が下位になります。

今日、戦略と戦術は政治やビジネスなどの領域でも広く使用されていますので、軍事での特性を踏まえた上で、一般でも通用する概念を探る努力がなされています。

一般ビジネス書などでは、戦略は「企業目的や経営目標を達成するためのシナリオ」などと定義され、「目的、目標、ゴール、方針」などといった言葉で表現されています。一方の戦術は「戦略を実現させるための具体的な手段」と定義され、「方法、やり方、オペレーション」などといった言葉がよく使用されています。

要するに、戦略とは「理由や目的・目標(whyとwhatを決定するもの」であり、戦術は「目的や目標のやり方(How to)を決定するもの」であると理解できます。このように理解すれば、一個人においても戦略と戦術はあり、その意思決定の特徴や相違点は認識しておく必要があります。

作戦戦場における状況判断は戦術的な判断です。これを次のことを解説するために便宜的に戦術的状況判断と呼称します。

戦術的状況判断は「目的や目標が決定(固定)している状況下で、短時間の内にどの方策が良いかを判断する」ことになります。つまり、上級部隊から使命(mission、目的と任務から構成される米軍の概念です)が示され、たとえば攻撃部隊の指揮官として「敵は右正面に戦力を重点的に配備している蓋然性が大」と判断し、「我は戦力が手薄な左正面からの攻撃を有利」と判断します。すなわち戦術的状況判断は方策、方法論の判断です。

 他方、国際政治などでの国家戦略に関する、戦略的情勢判断とでも呼称する判断では、使命を自ら確立することが主眼となります。つまり、最初に「我が方はかくかくしかじかの目的で、以下の行動をとる」ことを判断し、決断する必要があります。このように、戦略的情勢判断は、自らの目的を何に求め、自らの「任務」をどのように規定するかの判断であるといえます。

また、一般的には戦術的状況判断はより戦術的、小局的、客観的です。そのため前述のように思考過程のマニュアル化が行なわれています。他方、戦略的情勢判断は戦略的、大局的、主観的です。後者は政治指導者などの戦略的価値観、すなわち価値判断が情勢判断に大きく影響することになります。

なお、特に分別する必要がない場合は状況判断も情勢判断も状況判断あるいは状況(情勢)判断と表現するといいましたが、これは、ここでいう戦術状況判断(狭義の状況判断)と戦略情勢判断(広義の状況判断)までを含んでいます。

(つづく)

武器になる状況判断力(3)

新連載:武器になる「状況判断力」(3)

状況判断の役割──指揮の核心「決心」を準備する

□はじめに

「武器になる状況判断力」の3回目です。前回「東京にはスカイビルや東京タワーなどの高い電波塔があるが、大阪にはなぜないのか?」という謎かけをしました。この答えは、「平坦な関東平野では、テレビやラジオの電波を広範囲に送信するために高い電波塔が必要。関西には生駒山などの山が点在し、その山頂に塔を設ければいいため、平地に高い電波塔を建てる必要がない」とのことです。

 このような同時期における類似事象を比較し、異なる特徴を浮き彫りにし、その理由などを探る思考法を〝ヨコの思考法〟と言います。これは歴史や経年変化などに着目する〝タテの思考法〟とともに物事の現状を深く見るための手法です。

 今回の謎かけは「千葉県の松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ全長は26.5Kmの新京成線は山も谷もないのに不自然なカーブが連続する。直線で結ぶと15.8Kmであるが、なぜ10Km近くも余計に走っているのか?」です。なお、この線路は明治初期に施設されたようです。

 さて、静岡県熱海市伊豆山(いずさん)の土石流災害では、多数の方の尊い人命が失われました。熱海とはいえば、衰退したイメージの観光地でしたが、街おこしで2017年頃からV字復活を成し遂げました。18年には20代から30代の若者で大いに賑わい、「熱海の奇跡」とも称せられました。

しかし、コロナ禍の影響を受けて観光業は再び苦境に直面し、今回の土石流災害では宿泊キャンセルが増加しているようです。

ただし、被災エリアは市内のごく一部であることを認識し、はたして自然災害か人災かを判断する必要があります。

 熱海には、V字復活を成し遂げた地域活力やノウハウもあります。きっと今回もまた苦難を乗り越え、もっと強い魅力ある都市となり、地方都市の目標になると考えます。それを私は祈ります。

前回は「状況判断」の意義、決心との関係性について解説しましたが、今回は状況判断が作戦指揮においてどのような役割を担っているかについて解説します。

▼状況判断は統率および指揮の要素

状況判断は統率および指揮の要素です。では統率とは何か、指揮とは何かを押えておきましょう。

統率とは、指揮官が任務を達成するために指揮下部隊を統(す)べ、率いる行為です。統率は指揮、統御および管理に分けられます。つまり、統率は指揮や統御の上位概念です。

統御は、組織内の各個人に、持てる全能力を発揮し、進んで指揮されたいと思わせる心理工作です。指揮官は良好な統御を基盤として指揮を行ないます。

一方の指揮は、統御によって湧き立てたエネルギーを総合して、組織全体の目標に適時適切に集中させるものです。

管理は組織が活動する上での必要な規則や諸制度を整えることで、適切な人事管理やコンプライアンスの維持などが該当します。

要するに、指揮官は統御と管理によって組織を健全な状態に保ち、適時適切な指揮によって任務を達成することになります。

▼状況判断は決心の準備作業

指揮とは指揮官が指揮権に基づき部隊や個人を自らの意志に従わせることです。指揮権は指揮官だけに与えられた固有の権限であり、他人に委任したからといって、指揮から生じた損害に対する責任は免れません。個人問題に関しては、その個人が指揮官であり、意思決定の責任者です。失敗したからといって他人に責任を負いかぶせることはできません。

指揮官は、作戦・戦闘上の任務を達成するために、指揮権に基づいて作戦、情報、兵站、人事、その他の幕僚(スタッフ)を総合的に運用します。

統御は心理工作なので指揮官の個性、人格、人間的な魅力などの要素が統御の良否を左右します。統御には一定の形式はなく、テクニック(技術)は通用しません。

他方、指揮には一定の定式があります。それは、(1)状況判断、(2)決心、(3)命令、(4)監督の4つの手順によって行なわれます。

指揮の中では決心が最も重要です。決心は指揮の核心ともいうべきものです。『統帥参考』では「指揮官の決心は実に統帥の根源である」、『作戦要務令』では「指揮の基礎をなすものは実に指揮官の決心なり」と規定されています。

他方、状況判断については、『作戦要務令』は「指揮官は状況判断に基づき、適時、決心をなさざるべからず」と規定しています。

つまり、指揮とは指揮官が決心し、決心を実行に移す作業です。状況判断は決心を準備する作業であるといえます。すなわち、決心に役立たない状況判断は意味がありません。

『作戦要務令』では、「指揮官はその指揮を適切ならしむるため、たえず状況判断しあるを要す」とあります。つまり、状況判断が不適切であれば、誤った決心をもたらし、適切な指揮が行なえず、任務が達成できないのです。

▼指揮官は幕僚の状況判断には拘束されない

 状況判断は指揮官が行なうことが建前ですが、実際には決心と異なり、多くの幕僚(スタッフ)が状況判断に関与します。

 陸上自衛隊では指揮官が行なう状況判断を「状況判断」と言い、幕僚が行なう状況判断を「幕僚見積」と呼称して区別しています。その幕僚見積には「地域見積」「情報見積」「兵站見積」「作戦見積」などがあります。

幕僚は指揮官の状況判断を幕僚見積によって補佐します。各幕僚は、それぞれが所掌の状況判断(幕僚見積)を行ない、それを総合的に指揮官に具申します。これは、作戦規模や組織が拡大するにつれ、すべてのことを指揮官が判断するには限界があるからです。

各幕僚の状況判断が異なる場合、参謀長(幕僚長)が意見の統一を行ない、指揮官に最良の行動方針(方策)を具申します。ただし、指揮官も幕僚の状況判断を参考にしながら刻々と独自の状況判断を行なっていきます。

幕僚が出した状況判断に指揮官は拘束されません。すなわち同意しても良いし、同意しなくても良いのです。指揮官が幕僚を信頼し、その意見具申を尊重することが良好な組織を確立・維持し、適切な指揮を行なうことの基本です。しかしながら、最終的には指揮官自らの状況判断に基づいて決心が行なわれます。

多数決は民主主義が生んだ優れた原理です。民主主義国家では主権は国民にあるので、多数決による政治決定が行なわれることが多々あります。重要法案の制定は選挙によって選ばれた政治指導者たちによる多数決の意思決定が行なわれ、大阪首都構想のような住民投票による多数決もあります。

意思決定には独裁、多数決、合意による3つの方法があります。この順番に周囲による納得感は上がるものの、状況変化への迅速な対応は困難となります。作戦戦場での戦況は目まぐるしく変化し、迅速な意思決定が必要です。だから、軍事では1つの作戦における指揮官は1人と定められ、その指揮官が総合的に状況判断し、決心をすることが大原則です。なお、筆者が入隊した自衛隊では多数決で意思決定が行なわれたことの記憶はほとんどありません。

一般社会やビジネスではどうでしょうか? 変化が著しい現代社会ではビジネスでもスピードが求められます。然るに、日本企業では意思決定を役員会に委任し、誰かがリスクを背負って迅速に意思決定することができないとの批判も聞きます。

また、リーダーが責任をとらないとの批判もありますが、それは集団での意思決定制度がもたらしているのかもしれません。多数決や合議がリーダーの決断力不足や責任の放棄という負の側面を招いていることには注意が必要です。

ただし、ソフトバンクグループの孫正義氏やユニクロの柳井正氏のような独断専行型の経営者も登場していることは、日本のビジネス界での変化を象徴しているといえます。

リーダーは他人の助言に耳を貸さずに何でも独断で決めて良いということではありませんが、各りーダーが強固な強い意志を持って、周囲の意見や世論などに流されることなく、総合的な状況判断と決断を下していただきたいと思います。最近の政治を見て、そのことをつくづく思います。

(つづく)

武器になる状況判断力(2)

状況判断の意義──最良の方策を決定する

インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)


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□はじめに

皆様こんばんは。「武器になる状況判断力」の2回目です。前回は判断と決断の違いなどについて説明しましたが、今回は「状況判断」の意義、決断(決心)との関係性について解説します。

なお、軍事用語では指揮官が『決断」を行うこと「決心」と言います。

ところで、最近雑学の本に凝っています。そこに
「東京にはスカイツリーや東京タワーなどの高い電波塔があるが、大阪にはなぜないのか?」という記事がありました。その理由が腑に落ちました(その理由については来週紹介します)。

こんな疑問を持ち、「なぜ?」を解明することが思考力、分析力、洞察力などを身に着ける秘訣だと思います。

さて、いろいろありましたが、いよいよオリンピックが開催の運びとなりました。ちまたに、「なぜ、オリンピックだけを特別視するのか。オリンピック選手は特別待遇か!」の意見もあるようです。多くの皆様が自粛を強いられている中、そのような気もわからないでもないですが、オリンピック選手にとって4年に1度の祭典は人生を大きく左右します。生涯にわたる待遇がまったく違ってきます。

人一倍の努力を重ねている彼らの活躍を応援し、努力した者が報われる社会を望みます。


▼状況判断は軍隊用語

前回述べましたように状況判断という言葉は一般用語として定着していますが、もともと軍事用語です。


米陸軍教範には「Commanders Estimate of the Situation」あるいは「Estimate of the Situation」という概念があり、戦後のわが国はそれを「状況判断」あるいは「情勢判断」と訳しました。


防衛研究所が1952年に発行した『国防関係用語集』では以下のとおり定義されています。

「状況(情勢)判断とは、指揮官がその任務を達成するために状況(情勢)を考察し、論理的推論を経て、とるべき最良の方策を決定することをいう。この場合、一般にわが選択できる諸方策を行動方針といい、敵の選択できる諸方策を敵の可能行動という」

そして、解説として、「もともと状況(情勢)判断は、米軍の創設したものであるが、その後広く各国でも使用されている。意思を有する敵との闘争の推論において、賭け(ゲーム)の理論を適用して最良の選択を行うための論理的思考の過程で使用される。すなわち、賭け(ゲーム)の理論における彼我の可能な選択を列挙して、各組合せにおける帰すうを推論し、最後に比較して最良の選択を得ようとするものである。」と記述しています。

上述の定義や解説は追って説明をしていきますが、ここでは指揮官が最良の方策を決定するという点が重要です。

これに関して、今日の陸上自衛隊の戦略・戦術の原則書である『野外令』(※)では「状況判断は指揮官が任務達成のために最良の行動方針を決定するために行う」と規定しています。筆者の手元には『野外令』がないので、少しうろ覚えかもしれませんが趣旨は間違っていないと確信しています。

(※)『野外令』は国土防衛作戦における旅団以上の部隊運用の基本理念を明らかにする教範。これは米陸軍のマニュアル『Operations』(1953年、昭和28年)を基礎に、旧軍の『作戦要務令』(1938年、昭和13年)を部分的に採り入れ、1957(昭和32年)に初めて制定され、その後、適宜に見直しが行なわれている。『野外令』には秘区分はないが、部内限定文書として市販されていないので、一般人あるいは退職自衛官などは入手できない。

▼「状況判断」は旧軍教範が源流

旧軍教範を紐解いてみましょう。明治期の『野外要務令』(1908年版)では「情況判断」や「情況を判決」という言葉が登場します。また、敵軍の情況、友軍の情況、彼我の情況といった具合に使用されています。

当時のプロシア軍が戦いの経験から戦術の原理・原則などを学び、それがクラウゼヴィッツなどにより体系化され、旧軍人のプロシア留学やモルトケの来日などによって伝承される中、「情況判断」という言葉も流入したと推察されます。

大正期の『陣中要務令』では、「情況を判断するに方(あた)りては特に先入主とならざること必要にして……」などの条文が登場し、状況判断の在り様が追加されました。

『野外要務令』を源流として、『陣中要務令』に発展し、昭和初期に制定された『作戦要務令』(※)では、「情況判断」に変わって「状況判断」という言葉が登場しました。

ここには次のような条文があります。

「指揮官はその指揮を適切にならしむるために、たえず状況を判断しあるを要す。状況判断は任務を基礎とし、我が軍の状態・敵情・地形・気象等、各種の資料を較量し、積極的に我が任務を達成すべき方策を定むべきものとす……」(16条)

ここでは指揮官が指揮を適切に行なうという状況判断の目的が明記され、任務、我が軍、敵情、地形・気象などといった状況判断を行なうための考慮要因について規定されています。

このように米軍マニュアルで状況判断を創設する以前から、状況判断の原理・原則は存在していたが、米軍マニュアルにより体系的、実運用的に整理されたといえるでしょう。なお米軍マニュアルの記述の骨子については追い追い触れることにします。

(※)軍隊の陣中勤務や作戦行動・戦術・戦闘要領などを規定したもので、少尉以上の幹部を対象とした教範。1938年9月、日華事変から得た教訓を採り入れ、『陣中要務令』と『戦闘綱要』の重複部分を削除・統合して、対ソ戦を想定して『作戦要務令』の綱領「第1部」「第2部」を制定。1939年には「第3部」、1940年には「第4部」がそれぞれ制定された。陸上自衛隊の『野外令』のもとになっている。

▼状況判断と決心の違い

 昭和期に制定された『統帥綱領』(※)では、
「高級指揮官は大勢の推移を達観し、適時適切なる決心をなさざるべからず」と規定しています。

『統帥参考』(※※)では、「幕僚は所要の資料を整備して、将帥(大部隊の指揮官)の策案・決心を準備し、これを移す事務を処理し、かつ軍隊の実行を注視す。軍隊に命令を下し、これを期するは指揮官のみこれを行う得べく、幕僚は指揮官の委任なければ、軍隊を部署する権能なきことを銘心するを要す」と規定されています。

ここには、決心は指揮官が適宜適切に行なうものであり、幕僚は指揮官の策案・決心を準備することができるが、原則として指揮はできないことが示されています。つまり、策案や決心の準備の役割にある「状況判断」は指揮官だけでなく幕僚も実施することができますが、決心は指揮官の専管事項であり、幕僚は行なうことはできないのです。すなわち、幕僚は指揮官の状況判断は補佐できても、決心を補佐することできないのです。

『野外令』では「決心は、状況判断に基づく最良の行動方針を実行に移す指揮官の意志の決定である」旨を規定しています。

ここでいう「決定」とは一般的に「物事をはっきりと定める行為」や「はっきりと定められた状態」を意味します。

つまり、状況判断も決心も決定を行なう行為ですが、前者は最良の行動方針(方策)を決定し、決心が意志を決定します。

その大きな違いは行動と責任にあります。状況判断には行動と責任を伴いません。刻々と変化する状況に対して継続的に行なわれ、客観的に最善の方策を選ぶという思考作用だと言えます。

他方、「決心」には実行と責任が伴います。いったん、状況判断が決心に移行すれば容易に後戻りはできません。決心は適宜適切に行われるもので、「我はこうする」という主観的な強い意志の発揚すなわち精神作用であると言えます。

(※)日本陸軍の高級将校・指揮官および参謀のために、方面軍および軍統帥の大綱を説いたもの。旧日本軍の教典では最も秘密度の高い「軍事機密」書。『作戦要務令』の上位にあたる教令であった。

(※※)『統帥綱領』を陸軍大学校で講義するために使用した解説書。1932年に編纂された「軍事機密」に次ぐ「軍事極秘」書。


(つづく)

武器になる状況判断力(1)

しばらく中止していましたが、『軍事情報』メルマガに連載「武器になる情報分析力」を投降することにしました。これは、毎週火曜日2000から配信されます。登録は無料です。ここには、読者に配信されたものを少し後に掲載します。

新連載:武器になる「状況判断力」(1)

判断と決断の違い

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□はじめに

「軍事情報」メルマガ読者の皆様、ご無沙汰しております。過日は、拙著『情報分析官が見た陸軍中野学校』の予約キャンペーンではお世話になりました。多くの方々にご購入いただき嬉しく思います。

中野学校出身者のほぼ全員が鬼籍に入られようとする今日、中野学校を貶める論調を少しでも排斥し、拙著を通じて真実を世間に押し広めたいと思います。

本メルマガ読者皆様のお力添えをいただければ心強く思います。引き続きよろしくお願いします。

▼オリンピック開催の判断とは?

さて、今回の連載のテーマは「状況判断とインテリジェンス」です。「状況判断とは何か?」については追って解説したいと思いますが、今日では「判断」という言葉がマスメディアを賑わせており、これを聞かない日はないと言っても過言ではありません。というのも、オリンピック開催の中止・延期の〝判断〟を求める世論が高まっているからです。

これに関連し、『時事通信』(6月5日付)によれば、「政府・自民党は尾身茂会長に対する不満を強めている」として、次のように報じています。

「尾身氏は3日の参院厚生労働委員会で、五輪開催に関し『普通ではない』と明言。4日の衆院厚労委でも『人流が増える。やるのであれば覚悟を持ってさまざまな感染対策をすることが求められる』などと訴えた。こうした発言について、政府高官は『尾身氏は五輪開催を判断する立場にはない』と不快感を隠さない。別の政府関係者は『五輪で医療が逼迫(ひっぱく)したときに〈警鐘を鳴らした〉としておきたいのではないか』と皮肉った」

ここで筆者が取り上げたいのが「尾身氏は五輪開催を判断する立場にない」という箇所です。この記事は、「政府高官」「政府関係者」の発言という情報源を秘匿した記事なので、やや情報の正確性には疑義もありますが、正確な情報だとして論を進めます。

さて、尾身氏は本当に判断する立場にはないのでしょうか?

尾身氏6月1日の参院厚労委員会での社民党の福島瑞穂氏に対する答弁では次のように述べています。

「我々は五輪を開催するかどうかの判断はするべきでないし、資格もないし、するつもりはない。しかし仮に五輪を開催する決断をなされた場合、当然、開催に伴う国内の感染への影響があって、分科会は我が国の感染をどう下火にするか助言する立場にある」「五輪をやれば、さらに(医療に)負荷がかかることがあり得るので、最終的な決断はそういうことも踏まえてやっていただきたい」

ここには判断と決断という2つの言葉が出てきます。判断には「良いか悪いか」「価値があるかないか」「行動すべきすべきでないか」など二者択一的な意味合いがあります。判断は決断のためにありますが、必ずしも判断が決断につながるとは限りません。AかBかの選択でAが良いと判断したが、Cを実行した。このようなケースはあります。

判断と決断は異なります。判断は絶えず刻々と行なうものですが、決断は適宜行なうものです。判断は意思決定者のほか、その他のスタッフもそれぞれの立場で行なうものですが、決断は意思決定者が行なうものであり、これは原則としてスタッフやAIに任せることはできません。そして決断には必ず責任が伴います。委任決済という決断を委ねる方式もありますが、決断を委任したからといって意志決定の権限のある者の責任は免れません。

言葉にはおおらかな面があり、筆者は言葉の広義的な意味や現代流の解釈には寛容であるべきとの立場ですが、やはり肝心な議論では言葉は注意して使用すべきであり、今回のようなケースでは、もう少し判断と決断はきっちりと分別して記事にすべきであろうと思います。

そして、上述のコロナ禍と五輪との問題では、尾身氏は五輪を開催するかどうかの決断はできないが、「政府の分科会」の代表者として専門家として開催の是非を判断することは当然に許されると思います。また、一般国民もそれぞれの立場で開催の是非を判断し、それぞれのルートで意見を発出して良いと考えます。判断は決断に影響を及ぼすが、必ずしも決断には直接結びつかないこともあることを理解し、決断が行なわれた以上はそれを支持する潔さも大切だと考えます。

決断は判断とは比べようもないほど重い。容易には覆らないし、覆してはならないのです。よく「最終的な決断」という用法は耳にしますが筆者にはしっくりときません。「総合的な決断」ならわかりますが、決断は常に最終的であるべき、そのような心構えをもったものと考えています。

▼自衛隊勤務での「判断」との関わり

筆者の防衛省や陸上自衛隊の勤務を振り返れば、常に判断が求められ、判断力の養成が教育訓練の主軸であったように思い起こします。初級幹部時代の戦術教育では、指揮官としての「状況判断」を学ぶことが主題でした。

その後、筆者は国家政策や防衛戦略に資するインテリジェンスを作成する情報分析官になりますが、そこでは国際情勢や対象国に関する「情勢判断」を求められました。情勢判断の前には、情報が「正確か誤りか」の情報自体の判断もあります。

分析の先には必ず判断があります。情報分析とは情報を分析して情勢を判断することの繰り返しなのです。対象地域の情勢判断の上には国際情勢の総合的判断があり、それに基づいて国家政策や防衛戦略の判断があります。そして政策や戦略が決定(決断、決心)され、計画や実行に移されます。このように国家政策や防衛戦略の決断、計画と実行には多くの担当者や関係者の判断が幾重にも重なってきます。

 なお、状況判断と情勢判断には多少のニュアンスの違いはありますが、両者ともに、対象(敵、ビジネスでは競業他者など)と彼我を取り巻く環境が、我の行動(政策、戦略、戦術など)に有利か不利かなどを判断するという意味があります。以下、両者を比較、分別する必要がある場合を除き、本メルマガでは状況判断という言葉を用います。

▼状況判断を学ぶことの意義

 今日は、スポーツ、ビジネスなどあらゆる分野で「状況判断」という言葉を耳にします。特にスポーツの世界では状況判断という言葉は頻繁に使われます。たとえば、野球でノーアウト、ランナー三塁の場面を想定しましょう。野手が内野ゴロを捕獲し、バックホームするか、それとも一塁に送球するか、瞬時の判断が必要となります。このような場合、野手は三塁ランナーの位置、打者の打球の速さ、打者の走力などの状況を総合的に考査して瞬発的に判断を下すことになります。このような判断が優れている者を、「彼は状況判断力がある」などと言います。

 今日のグローバル化社会では、組織が拡大、分散化し、行動は複雑多岐になっています。変化の早い情報化社会では、ビジネスパーソンは各種多様な要件を緊急に処理することが求められます。

 このような状況下、もはや少数の英知のみに依存して状況判断を行なうことは困難です。つまり、社長や経営者、各部門や事業部の長といった組織トップの判断を待つことなく、現場の担当者の自主判断が求められるケースが増えていると考えます。

 社会の複雑化に追随できない現代人は精神的に疲れ、思考力が減退しています。やがてAIが状況判断を行なう時代は来るかもしれませんが、すべての領域、分野におよぶにはなお時間がかかるでしょう。

 また、すべての状況判断をAIに依存できるわけではありません。したがって、あらゆる組織に所属する個人にとって状況判断はますます重要になっています。

 状況判断はもともと軍事用語です。複雑な戦場環境の中で指揮官が最良の行動方針を決定するために行なうものとされます(詳細は今後説明する)。状況判断には多くの幕僚が関わり、組織として状況判断を行ないます。また部隊間の協同作戦も通例です。だから、状況判断のプロセスの標準化やマニュアル化が進められてきました。

 複雑な現代社会の中で生きるビジネスパーソンあるいは社会組織に属する個人にとって軍隊式の状況判断を学ぶ意義は大きいと思います。

▼本連載の構想

 本連載では、まず状況判断とは何かについて世間一般での使用例や旧軍教範や米軍マニュアルなどをもとに考察したいと考えます。次に歴史上の重要なターニングポインに焦点を当てて、それに関与した歴史英傑の状況判断を学び、状況判断に必要な基本的要件を浮き彫りにしたいと考えます。

 次に可能であれば、軍隊式の状況判断のプロセスや思考法をいくつか取り上げ、ビジネスなどの他領域への汎用性などを検証したいと考えます。

 また、連載の終始を通じて状況判断とインテリジェンスとの関係について考察し、政策立案者や指揮官が状況判断を行なうためには情報要員をいかに使いこなし、インテリジェンスをどう活用すべきかを考えたいと思います。

 今回の連載は、過去の筆者の連載や著作物とは少しスタンスが異なるものになるでしょう。これまで筆者は、主として情報分析官の目線で、情報を分析していかに状況や情勢を判断するのか、そのノウハウを提示することが主題としてきました。

今回は情報要員という衣を脱いで、インテリジェンス使用者(カスタマー)の立場で状況判断を行なうためにはいかなるインテリジェンスが必要であるか、インテリジェンスをどう使うかについて考えたいと思います。使用者の立場で考えることで、インテリジェンスの本質により迫りたいと考えています。

 最後に、今回の連載には終着に向かうおよその概念図はありますが、具体的な設計図は未だできていません。つまり、読者皆様の反応などを羅針盤に試行錯誤を繰り返しながらの船旅となりそうです。どうか、無事に航海が完遂できますよう、皆様のお力添えをいただければ嬉しく思います。

 次回は判断および状況判断とは何かについて言葉の意義や旧軍などでの用例などを見ていく予定です。

(つづく、本記事は2021.7.6に掲載済み、その後一部修正)