『孫子』から学ぶインテリジェンス講座(3)

戦争判断のための能力判断とは

孫武は、「それまだ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや算なきにおいてをや。我これをもって勝負を知る」(始計編)と述べている。

これは、「戦う前に彼我の国力を算定・比較し、勝算が少なければ負ける。まして勝つ要素が全くないのに戦争をすることは愚かである」ということだ。 この彼我の国力・軍事力を算定し「戦う前に勝敗を知る」ということが、平時におけるインテリジェンスの大きな目的である。

では、彼我の国力・軍事力を算定するにはどのような要素を見ればよいのであろうか? これに関して『孫子』では、前述のとおり、「五事七計」を以って「敵と我の何れが優れているか」、「何れが適切に行われているか」などを比較し、総合的に「我は戦争すべきか、回避すべきか」を判断せよ、と言っているのである。

インテリジェンスの構成要素

現在は、『孫子』の時代とは戦略環境が大いに異なっている。戦いは戦場における双方の軍事力の交叉には限定されない。よって、これら五つの基本要素は時代によって変化・発展するものと解するべきであろう。

現代戦は総力戦であるので、相手国の意図や能力を解明するためには、軍事力、経済力、科学技術力、政治力、社会力、心理力、地理的条件、その他のありとあらゆる事項の評価が必要となる。 しかし、評価要素があまりにも広範・多岐に及べば、分析が煩雑となり評価判断ができなくなる。したがって、これらの数を限定し、体系化する必要がある。

こうして限定・体系化されたものを、インテリジェンスの世界では「インテリジェンスの構成要素」(以下、「構成要素」と呼称)と呼んでいる。そして、構成要素に基づいて全般情勢を把握することを環境把握あるいは環境分析(エンバイラメンタル・スキャニング)という。

環境分析とはなにか

環境分析は、自分の記憶や知識を体系的に整理し、彼我の全般情勢、国力の優劣などを把握する上で有用な初歩的かつ基盤的な分析手法でもある。 今日の米国情報機関では「構成要素」を人物(Biographic)、経済(Economic)、社会(Sociological)、運輸・通信(Transportation&Telecommunications)、軍事地誌(Military Geographic)、軍隊(Armed Force)、政治( Political )、科学技術(Science)の八項目とし、その頭文字をとって「BESTMAPS」としている。

英国情報機関では、社会(Social)、技術(Technological)、環境(Environmental)、軍事(Military)、政治(Political)、法(Legal)、経済(Economic)、安全保障(Security)の頭文字をとって「STEMPLES」としている。

このほか、外交(Diplomatic)、情報(Information)、軍事(Military)、経済(Economic)の頭文字をとった「DIME」なども全般情勢・態勢などを把握するための有力な視座となりえるであろう。

情勢に応じてた戦略・戦術判断とは

見積り(Estimate)とは、将来における情勢の推移を予測することである。つまり、敵及びその他の関係勢力がいかなる意図及び能力を形成し、どのような行動方針を打ち立てるか、などを予測することである。

日本兵法研究会会長・家村和幸氏は、「始計」では、「五事七計」「廟算」「勢」という三つの戦略・戦術的判断があり、それぞれに「情報(Intelligence)」「意思決定(decision Making)」「行動(Action)」の「IDAサイクル」が繰り返されていると論じている。(家村和幸『図解 孫子兵法』)

① 「五事七計」

家村氏の解釈によれば「五事七計」とは「戦争をするのか、しないのか」の戦略的判断、「廟算」とは戦争に勝つための戦略・戦術的判断、「勢」とは臨機の戦術的判断である。

『孫子』が想定する戦争は敵を屈服させるために敵国に攻め込む侵略戦争であり、今日のわが国が巻き込まれる戦争は「専守防衛」に基づく国土防衛戦争という違いはある。しかし、いずれにおいても『孫子』と同様の戦略的・戦術的判断が繰り返されることに異論はない。

情報部署は、その各段階・各レベルにおいて、目的に適合した「見積インテリジェンス」を戦略策定・作戦実施部署に提供することになる。 ここでは、戦争の前段階におこなわれる「五事七計」と「廟算」に絞って、わが国のどのような「見積インテリジェンス」を生成するのかを考察してみよう。

まず「五事七計」では、「戦うべきか、戦わないか」の戦略的判断が求められるが、これはわが国の平時における国家戦略の選定段階に相当しよう。 つまり、この段階での情報部署は、紛争を中心にわが国を巡る国際情勢を幅広く考察し、それらの情勢推移を見通して、その変化傾向や変化を促す影響要因(ドライビングフォース)などを明らかにすることになる。

すなわち、国内外の動静と相互関係を明らかにし、「紛争が生起する可能性があるのか」「侵略事態が起こり得るのか」「起こりえる可能性のあると侵略事態の特性、生起条件は何なのか」「これがわが国の国益にいかなる影響を及ぼすのか」、などを見積もることになるであろう。

こうして生成された「見積インテリジェンス」は、ハードパワー及びソフトパワーを併用して戦争を抑止する抑止戦略に、万一の侵略事態対処に備えての国防体制の構築などに活用されることになる。 なお、わが国では、この段階で生成するインテリジェンスを一般に「情勢見積」と呼んでいる。これは国家最高レベルの「見積インテリジェンス」であって、内閣官房の統制で各省庁の情報組織などが協力して生成することになる。

② 「廟算」(びょうさん)

「廟算」とは、戦争を決めた相手に対して、開戦に先立ち、祖先の霊廟において作戦会議を行うことである。『孫子』では「それ未だ戦わずして廟算するに、勝つ者は算得ることを多きなり。未だ戦わずして廟算するに、勝たざる者は得ることすくなければなり」(始計)と述べる。つまり、敵を具体化し、敵に対し我の勝ち目を見出すための作戦会議を行うのである。

たとえば、ある国の侵略意図が顕著になった段階では、我が国は国家安全保障会議を開催し、そこで具体的な防衛作戦計画などが詰められることになる。 この時の「見積インテリジェンス」は、「五事七計」の時に比べ、彼我との関係から、より詳細かつ具体的に見積もることになる。この見積もりを先ほどの「情勢見積」と区別して、「情報見積」と呼ぶ。

仮に中国を侵略国と想定すれば、「中国あるいは中国軍はいかなる意図、能力を有しているのか。またどのような行動を取るのか」「米国、その他の第三国及び国内の反対勢力はどのような行動をとるのか」「中国の軍事行動にはどのような税弱点があるのか」「それが我が国の防衛作戦に如何なる影響を及ぼすのか」「我が国が乗じる中国の弱点は何か」などを詳細に見積もることになる。

これは、関係省庁の協力を得て、防衛省や自衛隊最高司令部等が中心となって見積もることになるであろう。

③ 「勢」

「勢」の段階における見積りは、戦場における臨機の戦術的判断に資するものである。これは「態勢見積」と呼ばれる。(家村和幸『図解 孫子兵法』)

第四編「軍形」では彼我の戦闘力を比較して勝利をえるための考慮要素として、「兵法は、一に曰く度(たく)、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。地は度を生じ、度は量を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰(いつ)を以って銖を称(はかる)がごとく、負兵は銖(しゅ)を以て鎰を称るがごとし」と述べている。

ここでいう「度」とは戦場の広さ・遠近を測ること、「量」は戦車・武器・弾薬の量を計算すること、「数」は度や量と関連して兵数(動員可能な兵士の数)を計算することである。そして「称」が彼我の兵数・戦力を総合的に計算して優劣を判定し、「勝」が結論として、すくない兵力でどのよう勝利するかという勝利の法則を見出すことである。

「態勢見積」の主眼は、我がまず負けない態勢を確立し、その上で主導性を発揮して敵に対して「勝ち易きに勝つ」という必勝の態勢を終始保持することにある。 わが国の防衛作戦を例にとれば、情報部署は侵攻正面の敵の兵力量、編組(敵部隊の侵攻態勢)、敵の攻撃・侵攻の時期および方向、火力や予備兵力を運用する時期・場所・要領、彼我戦力の比率、などを臨機応変に見積もることになろう。当然、作戦部隊の大小に応じて、その情報部署が行う「態勢見積」の対象、範囲などは異なることになる。

正確な戦略的判断により勝利した日露戦争

1904年の日露戦争は、正確な戦略的判断により勝利することができた。その前の日清戦争(1894年)では、川上操六・中将(参謀本部創設の父、のちに大将)が、戦争前年の1893年、清国と朝鮮を視察し、「先制奇襲すれば清国への勝利は間違いない」と確信を得て帰国した。

しかし、日清戦争とは異なり、日露戦争では、明治天皇が戦争の決断に際して落涙されたという。 そこで、当時の児玉源太郎満州軍総参謀長は、彼我の国力を比較・算定したうえで、わが国は完全勝利することできないと判断し、短期決戦で、有利になった段階で終戦に持ち込む算段をした。すなわち「六分四分」の勝負に持ち込むことを計画した。

そして、盟友の杉山茂丸や桂太郎首相秘書官の中島久万吉に終戦のための情報収集を依頼し、奉天会戦の勝利後には、元老や閣僚たちに対する終戦説得工作を開始した。 こうしたインテリジェンスと戦略の連携により、わが国はロシア領土内に侵攻することもなく、米国による和平仲介によってやっとのことで勝利し得たのである。まさに『孫子』の兵法が実践で生かされたといえる。 

勝算のない戦いをした太平洋戦争

他方、先の太平洋戦争では、日米開戦後の見通しについて、当時の近衛文麿首相から質問を受けた山本五十六・連合艦隊司令長官は、「是非やれといわれれば、初めの半年や一年は、ずいぶんと暴れてごらんにいれます。しかし、二年、三年となっては、全く確信を持てません」と述べた。  つまり、初めから勝算のない戦いをしたのであった。まさしく、この時のわが国は、「敗兵は戦いて、しかる後に勝ちを求む」(謀攻編)であったのである。

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