兆候と妥当性との関係

元農水省事務次官の事件

先日、元農林水産省事務次官(76)が長男(44)を殺害するというニュースが話題を呼びました。元次官は警視庁に対し、川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ、「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」という内容の供述をしたようです。

この事件で筆者は、「ヒヤリ・ハット」すなわち「ハインリッヒの法則」のことを思い起しました。これは、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常、すなわち「ヒヤリとする、ハットする」ヒヤリ・ハットが存在するというものです。

先日、池袋で87歳の旧通商産業省高官が自動車暴走し2人死亡させる事故が起きました。この事故にも軽微な事故やヒヤリ・ハットがあったと思われます。

重大な事故を防止するためにはヒヤリ・ハットを無視、軽視することなく、その対策を考えることが重要です。ここでのポイントは、上述の交通事故を例にすれば、ブレーキ動作の遅れといった交通事故の直接原因だけでなく、階段の踏み外れ→筋力の衰え→ブレーキ動作の遅れといったように想像的にヒヤリ・ハットを考えることです。

また、他の人が経験したヒヤリ・ハットを自分のものとして自覚することです。つまり、最近の高齢者による重大事故のニュースなどに接した場合、加害者やそのご家族は「自分達は大丈夫だ」と過信せず、自らのヒヤリ・ハットとして〝冷や汗〟を流して、その対策を創造的に取る必要がありました。

今回の元次官による我が子殺害事件では、おそらくまだ報道されていないヒヤリ・ハットがいくつもあったのでしょう。その意味では、元次官は川崎事件を想像して、我が子による重大事故を未然に防止しようとしたのですから、この点では、ハインリッヒの法則の良好事例ということになります。

もちろん、我が子を殺害することが唯一の対策であったのかという点は、大きな問題として考えなければなりません。

ただし、外野は「いかなる理由があろうと 殺人は許される行為ではない。行政に相談することが重要」などと、ありきたりのコメントをしますが、元次官の立場や心情に立てば、やむにやまれぬ行動であったのかもしれません。

兆候とは

ヒヤリ・ハットは重大事故の一つの兆候ととらえることもできます。国際情報を分析するうえでは、兆候を見逃さないことが重要です。

兆候は「物事の前触れ」であり予兆ともいいいます。たとえば敵が近々戦争を開始しようとすれば、物資の事前集積、情報収集機の活発な活動、通信量の増大など必ずなんらかの変化が現出します。一方、攻撃の直前ともなれば「無線封止」により通信量が激減するといった変化が現れるかもしれません。

第二次世界大戦中、米海軍で対日諜報を担当していたE・M・ザカリアス(元米海軍少将)は、日米開戦前に日本が米国を奇襲する寸前の兆候として、「あらゆる航路からの日本商船の引き揚げ」と「無線通信の著しい増加」、日本の攻撃に特徴的な兆候として「ハワイ海域における日本潜水艦の出没」を挙げましたた。

妥当性とは

他方、兆候に対峙する概念として妥当性があります。妥当性は「その戦略や戦術が目的に合致しているか?」「戦略・戦術が可能か?」ということです。いくら戦争開始を示す事前の兆候があったとしてもその戦略や戦術が著しく妥当性を欠く場合、兆候は偽情報として処理するというのが妥当性の考えです。

妥当性をはかる基準としては適合性、可能性、受容性および効果性の4つがあります。それぞれの基準の意義は以下のとおりである。

1)適合性:その戦略構想が戦略目標達成にどれほど寄与できるか?

2)可能性:自己の内部要因がその戦略行動を可能にするか?

3)受容性:戦略構想実施によってえられる損失または利益が戦略意図の要求度に対して許容できるか?

4)効果性:戦略構想が実施に移された場合、全般戦略および他の関連する戦略にどれほどの貢献ができ、またはどれほどの影響を及ぼすのか?

妥当性の評価が誤るケース は多い

妥当性の評価が誤るケースは多々あります。第四次中東戦争において、イスラエルは多くの兆候をつかんでいたものの、エジプトの軍事侵攻の可能性を否定しました。

イスラエルにしてみれば、航空優勢を確保したのちに、軍事侵攻を行なうのが原則であり、当然「エジプトもそう考えている」と思い込みました。つまり「航空優勢を確保するためエジプトは、攻撃機とスカッドミサイルをソ連から輸入しようとしている。それが配備されない状況での侵攻はない」との評価を最後まで変えませんでした。

しかし、エジプトのサダト大統領は、スエズ運河沿いの防空網の外に部隊を進出させない限定的な作戦、つまりスカッドミサイルや攻撃機に頼らない作戦を決断したのです。

人は誰でも「常識」という判断尺度をもっています。専門家や知識レベルの高い人なればなるほど、「常識」すなわち「妥当性」という判断尺度を過信して、重要な兆候を見逃してしまうことがあります。

兆候と妥当性はどちを重視するか

兆候と妥当性の評価が異なった場合、まず兆候を優先し、次に妥当性を判断するのが原則です。

つまり、「兆候上はこのような可能性がある」とはっきり述べることが重要です。そのうえで、それを反駁する情報がどの程度有力であるか、すなわち妥当性を検証します。

ただし、さまざまな兆候から、相手側の戦略・戦術が推量されても、著しく妥当性を欠く場合があります。この場合、その兆候は偽情報、すなわち欺瞞として処理する必要がでてきます。

前述した大本営参謀の堀栄三少佐は、米軍によるフィリピンへの上陸地点の予測を命じられ、「リンガエン湾、ラモン湾、バンダガスの三か所への上陸する蓋然性が高い」と判断し、まず兆候から、「リンガエン湾とラモン湾の蓋然性が高い、とくにラモン湾の蓋然性が高い」と判断しました。

しかし、堀少佐はマッカーサー司令官になったつもりで再検討します。つまり、①米軍がフィリピン島で何を一番に求めているか(絶対条件) ②それを有利に遂行するにはどんな方法があるか(有利条件) ③それを妨害しているものは何であるか(妨害条件) ④従来の自分の戦法と現在の能力で可能なものは何か(可能条件)の四つの条件に当てはめて再考したのです。

その結果、堀少佐は当初の見積りを修正して、「リンガエン湾の蓋然性大」との最終判断を下し、見事に米軍の行動を予測したのです。私たちも堀少佐の域には達しませんが、兆候を探知する感知力、妥当性を判断する想像力を養う必要があります。


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