群衆の英知と集団浅慮

自衛隊における情報教育とは

私は、防衛省や陸上自衛隊で情報分析官や情報幹部などの教育に長年従事してきました。

卓越した情報分析力の持ち主として著名な元外務省主任分析官の佐藤優先生や、タイ大使などを歴任され著名な外交官であった故岡崎久彦先生などのの著作を読むと、「やはり天才教育重視かな」と思ってしまいます。

私も在外大使館に3年ばかり勤務しましたので、なんなとなく外務省は個人の卓越したスキルで勝負する、いわゆる一匹狼的な組織だなと感じたことがあります。もちろん、仕事以外では仲良くしますが、専門の仕事に関しては、他に干渉させないといったある種の矜持があるように思います。

しかし、有事のための組織である自衛隊は組織集団で仕事します。情報についても有事における情報体制が基準としなければならならないと考えます。

有事にはあらゆる階層、領域の真偽混在の膨大な情報が流れてくることが予測されます。当然、大勢の者が分担して仕事を行うことになります。数人の専門家が国際情勢を予測するといった状況にはなりません。

したがって、私も自衛隊の情報教育に従事していた際、「数人の卓越した人材を生み出す(私が大した力量がないのでこれは無理)のではなく、集団のレベルアップを図ること」を信条としていました。

海軍大将・井上成美の教え

先日、ある後輩の現職自衛官数人が筆者を宴席に誘ってくれました。彼らは、拙著『戦略的インテリジェンス入門』を熟読してくれており、それを基にインテリジェンスに関する意見交換をしました。

そこで、筆者は自衛隊における情報教育の在り方について、上述のような思いを語りました。するとある自衛官が、「それは海軍兵学校の井上成美大将の言っていることですね」と、貴重な助言をしてくれました。

私は、元陸上自衛官だったので、井上大将がどんな人物かは知っていましたが、将校教育における彼の考え方は知りませんでした。そこで、是非、井上大将の発言内容をメールで教えてほしいと懇願したところ、以下メールが届きました。

昨日の井上成美大将の画一教育について、阿川弘之氏の小説に当該箇所の記述がなかったため、代わりに以下の論文をご紹介します。
「海軍兵学校教程へのドルトン・プランの導入と放棄について」(防衛研究所)

「井上は「海軍兵學校ノ敎育ハ画一敎育ニシテ、天才敎育ハ不可ナリ」と述べた上で「學校ノ努力ハ先ス劣等者ヲ無クスルコトニ注ガルベキナリ」との考えを残している(67)。

この文面のとおり兵学校では英才教育よりも底上げ教育を重視するべきと井上は説いている。戦場で勝利を得るために期待される特性の第一は、戦闘参加者の均質性である。

軍事教育は、軍種・職種といった専門性の違いや最前線の兵卒レベルから指揮官、高級参謀といった階層の違いを越えて、戦争における諸活動を統一的に考えることのできる。

知的基盤や心情的同一性を持たせるために必要な均質性を養うことを主眼にしなければならない。このことから一般に軍事教育では一斉教授法が向いており、実行上留意すべき点として全体の底上げを優先的に考えるのが妥当と考えられている。一方、戦勝を得るための主動、奇襲、陽動といった戦闘活動では発想の斬新さが重視され、そこで期待される特性は均質性の対極にある特異性である。

戦闘もしくは戦争の行方を左右するような指揮官に至るほど特異性が要求されるであろう。この特異性を得るために個別学習法を取り入れようとする動機が向上する場合がある。(67)水交会『元海軍大将井上成美談話収録』(水交会、1959 年)59-60 頁」

また、ウィキペディアの「井上成美」にも「教育思想」の項目で、画一教育について、紹介されています。

「井上は、教官たちに「自分がやりたいのは、ダルトン・プランのような 『生徒それぞれの天分を伸ばさせる天才教育』 ではない。

兵学校の教育は 『画一教育』 であるべき。兵学校では、まず劣等者をなくし、少尉任官後に指揮権を行使するのに最低限度必要とされる智・徳・体の能力を持たせて卒業させ、その見込みのない者は退校させねばならない。

兵学校教育の目標は、結果として、少尉任官に指揮権を行使する最低限度能力を持てないと見込まれる退校者を出さないよう、生徒をしっかり教育することである」という旨を示し、秀才は放っておけ、まず劣等者をなくせ、と端的に指示した。[345]
[345]井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年 366-367頁」

まさに、筆者が思っていたことを鋭く述べており、我が意を得たりの心境です。ただし、底辺の底上げについても、限られた時間での計画教育だけの成果は限定的です。結局のところ、個人の課外における自主学習が必要となります。そのためには、教科書あるいは参考書が必要です。

しかるに自衛隊の教範は原則事項から踏み出されたことは記述されておらず、いわば〝無味乾燥〟であり、それを解説する教官が必要となります。さらに、教範は厳重に管理され、自宅での学習に適しません。

私は、現職時代にこうした問題点を認識していましたので、退職後にすでに世に流通する書籍と米国の公開マニュアルなどを基に、『戦略的インテリジェンス入門』を執筆し、上梓したという訳です。

集団で仕事することの利点は「群衆の英知」を発揮すること

さて、集団で仕事をすることの最大の利点は「群衆の英知」を働かせることです。ジェームズ・スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』では、「WOC :Wisdom of Crowds」という概念が述べられています。これは「群衆の英知」あるいは「集合知」と呼ばれるものです。

つまり、少数の権威者による意思決定や結論よりも、多数の意見の集合による結論や予測が正しいということです。ここに、凡人集団が天才あるいは専門家に勝てる秘訣があります。

集団浅慮とは

集団で考えることで、個人のバイアスを回避して、プラスの効果をもたらすことが多々あります。他方、同質が高い少数の手段は集団浅慮に陥りやすい欠点もあります。 これは、グループで討議する際に、少数意見や地位の低い者の意見を排除し、不合理な意思決定を行なうことです。

結束の強い小さな集団に属する者はグループ討議する際に疑問を挟まなくなる傾向があります。この結果、集団内で不合理あるいは危険な意思決定が容認されることになります。

同質性が高く、絶対的階級社会である自衛隊の現場においてとかく集団浅慮が生じがちです。筆者も上級者に盲目的に追随する集団浅慮の場に遭遇することもありました。

集団浅慮は、米国のキューバのビッグス湾侵攻の失敗、イスラエルの第4次中東戦争の失敗を引き起こしたとして有名です。

キューバ侵攻で失敗したケネディー大統領は、集団浅慮の弊害をなくするため、意図的に会議の場から姿を消す、「(議論のために)わざと本心と反対の意見を述べる、悪魔の代弁者」を設定して、キューバミサイル危機に対処したとされます。

第四次中東戦争の失敗で学んだイスラエルの情報組織は、トップリーダーの意見に同調しないためにはどうすればよいかを考え、今日では会議に民間人を採用する施策を導入するなどして成果を挙げているといいます。

集団浅慮の兆候とは

グループシンクバイアス研究の第一人者で、キューバのピッグズ湾侵攻に至る意思決定を研究した心理学者のアービング・ジャニスは、その著書『グループシンクの犠牲者』で、集団浅慮は時間的制約、専門家の存在、特定の利害関係の存在などによって引き起こされ、以下の8項目の兆候があると指摘しています。

①無敵感が生まれ、楽観的になる。

②自分たちは道徳的であるという信念が広がる。

③決定を合理的なものと思い込み、周囲からの助言を無視する。

④ライバルの弱点を過大評価し、能力を過小評価する。

⑤皆の決定に異論を唱えるメンバーに圧力がかかる。

⑥皆の意見から外れないように自分で自分を検閲する。

⑦過半数にすぎない意見であっても、全会一致であると思い込む。

⑧自分たちに都合の悪い情報を遮断してしまう。

(以上、拙著『武器になる情報分析力から抜粋』)

異端を排除しない社会づくり

わが国は、同質性の高い民族国家です。その結束力を発揮すれば、諸外国の天才にも勝利できます。国民の全体の知的レベル高め、組織における「群衆の英知」を高めることが可能です。

しかし、AI社会におけるわが国の後進性などの現状を見ますと、わが国も天才を生み出す教育に力を入れる必要性も感じます。

AI社会における有為な牽引を生み出すために、まずは青少年を中心とする国民全体レベルの知的向上を図ることと、組織における同質性の弊害を認識し、努力している〝異端〟を排除しない社会づくりが重要だと思われます。

投稿者:

atsumori

元防衛省情報分析官。1960年広島県生まれ。退職後、ほそぼそとインテリジェンス・リテラシーの普及活動を開始。著書、『情報戦と女性スパイ』『中国戦略“悪”の教科書』、『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』、『戦略的インテリジェンス入門』など。その他、講演、雑誌投稿など。

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