インテリジェンス関連用語を探る(その3)「宣伝」及び「謀略」について


▼ 謀略の淵源

 「謀略」という言葉は中国では古代から用いられていたとみられます。ただし、中国における研究においても「謀略」という言葉の淵源には様々な見方があるようです。

 もともと「謀略」という言葉がいきなり登場したのではなく、「謀」と「略」が異なる時代に登場し、いつのまにか一体化して用いられるようになったとされます。 

中国の『説文大字典』によれば、謀の登場は略の登場よりも一千年早く登場したようです。

 同字典では、「謀」は「計なり、議なり、図なり、謨なり」とされ、古代ではこれらの言葉は非常に似通った意味で使用されました。『尚書』で謨が登場しますが、この字の形と読音が謀と似通っており、謨が謀に発展したとみられています。 

 なお「謀」が中国において最初に使用されたのは『老子』の「不争而善勝、不言而善応、不召而自来、繟然而善謀」です。

 『孫子』における「計」、「智」、「略」、「廟朝」、『呉子』における「図」などは謀の別称といえます。(以上、柴宇球『謀略論』、藍天出版社から取り纏め)

▼わが国において謀略という兵語の使用はいつから?

 総力戦研究所所長などを歴任した飯村譲中将によれば、「謀略は西洋のインドリーグ(陰謀)の訳語であり、参謀本部のロシア班長小松原道太郎少佐(のちの中将)の手によるものであって、陸大卒業後にロシア班に入り、始めて謀略という言を耳にした」ということです。

 そして、飯村中将は「日露戦争のとき、明石中佐による政治謀略に関する毛筆筆記の報告書がロシア班員の聖典となり、小松原中佐が、これらから謀略の訳語を作った」と推測しています。

 しかし、「謀略」の用例については、1884(明治17)年の内外兵事新聞局出版の『應地戰術 第一巻』「前哨ノ部」に「若シ敵兵攻撃偵察ヲ企ツルノ擧動ヲ察セハ大哨兵司令ハ其哨兵ノ報知ヲ得ルヤ直チニ之ヲ其前哨豫備隊司令官ニ通報シ援軍ノ到着ヲ待ツノ間力メテ敵ノ謀略ヲ挫折スルコトヲ計ルヘシ」という訳文があります。

 また「偕行社記事」明治25年3月第5巻の「參謀野外勤務論」(佛國將校集議録)に「情報及命令ノ傳達 古語ニ曰ク敵ヲ知ル者ハ勝ツト此言ヤ今日モ尚ホ真理タルヲ失ハサルナリ何レノ世ト雖モ夙ニ敵ノ謀略ヲ察知シ我衆兵ヲ以テ好機ニ敵ノ薄弱點ヲ攻撃スル將師ハ常ニ赫々タル勝利ヲ得タリ」という訳文があります。

 したがって、どうやら飯村中将の説は誤りのようですが、いずれにせよ日露戦争以後に謀略と言う言葉は軍内における兵語として普及したとみられます。

 ▼『陣中要務令』において「宣伝」が登場

 1889年に制定され、 日露戦争の戦訓を踏まえて1907年(明治40年)に改訂された 『野外要務令』では、「情報」及び「諜報」はわずかに確認できますが、「謀略」や「宣伝」という用語は登場しません。

 しかし、『野外要務令』の後継として、大正期に制定された『陣中要務令』では、以下の記述があります。

第3篇「捜索」第73
「捜索の目的は敵情を明らかにするにあり。これがため、直接敵の位置、兵力、行動及び施設を探知するとともに、諜報の結果を利用してこれを補綴確定し、また諜報の結果によりて、捜索の端緒を得るにつとめざるべからず。捜索の実施にありては、敵の欺騙的動作並びに宣伝等に惑わされるに注意を要する。」

第4編「諜報」第125「諜報勤務は作戦地の情況及び作戦経過の時期等に適応するごとく、適当にこれを企画し、また敵の宣伝に関する真相を解明すること緊要なり。しかして住民の感情は諜報勤務の実施に影響及ぼすこと大なるをもって上下を問わない。とくに住民に対する使節、態度等ほして諜報勤務実施に便ならしむるごとく留意すること緊要なり。」

 ここでの宣伝は、我の諜報、捜索活動の阻害する要因であって、敵によって行われる 宣伝(プロパガンダ)を意味しているとみられます。

 ▼ 「宣伝」「謀略」 がわが国の軍事用語として定着


 「宣伝」「謀略」 がわが国の軍事用語として定着したのは、1928年に制定された『諜報宣伝勤務指針』及び『統帥綱領』だとみられます。

 『諜報宣伝勤務指針』 の第二編「宣伝及び謀略勤務」では、宣伝、謀略について、用語の定義、実施機関、実施要領、宣伝及び謀略に対する防衛などが記述されています。

 同指針では、以下のように記述されています。

「平時・戦時をとわず、内外各方面に対して、我に有利な形成、雰囲気を醸成する目的をもって、とくに対手を感動させる方法、手段により適切な時期を選んで、ある事実を所要の範囲に宣明伝布するを宣伝と称し、これに関する諸準備、計画及び実施に関する勤務を宣伝勤務という。」 

「間接あるいは直接に敵の戦争指導及び作戦行動の遂行を妨害する目的を持って公然の戦闘員もしくは戦闘団体以外の者を使用して行う行為もしくは政治、思想、経済等の陰謀並びにこれらの指導、教唆に関する行為を謀略と称し、これが為の準備、計画及び実施に任ずる勤務を謀略勤務とする。」

一方の『統帥綱領』では以下のように記述されています。

第1「統帥の要義」の6
「巧妙適切なる宣伝謀略は作戦指導に貢献すること少なからず。宣伝謀略は主として最高統帥の任ずるところなるも、作戦軍もまた一貫せる方針に基づき、敵軍もしくは作戦地域住民を対象としてこれを行ない、もって敵軍戦力の壊敗等に努むること緊要なり。殊に現代戦においては、軍隊と国民とは物心両面において密接なる関係を有し、互いに交感すること大なるに着意するを要す。敵の行う宣伝謀略に対しては、軍隊の志気を振作し、団結を強固にして、乗ずべき間隙をなからしむるとともに、適時対応の手段を講ずるを要す。」

時代はやや下り、1932年の『統帥参考』では以下のように記述されています。

第4章「統帥の要綱」34
「作戦の指導と相まち、敵軍もしくは作戦地の住民に対し、一貫せる方針にもとずき、巧妙適切なる宣伝謀略を行ない、敵軍戦力の崩壊を企図すること必要なり」

以上のように、「捜索」あるいは「諜報」のように、敵に対する情報を入手するだけでなく、敵戦力の崩壊を企図する、敵の作戦指導などを妨害する、あるいは我に有利な形成を醸成する機能を持つ「宣伝」及び「謀略」が軍事用語として一般化されました。

その背景には、第一次世界大戦において、戦争が総力化、科学化、非戦場化して平時及び軍事、戦場及び非戦場において、「戦わずして勝つ」をモットーとする秘密戦が重要な要因になったことが挙げられます。

(次回に続く)

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