新著に書評をいただきました。

私の新著『情報分析官が見た陸軍中野学校』が5月7日、アマゾンで発売になりました。これまでの拙著は発売後はアマゾンの「軍事」ジャンルで上位につけるのですが、中野学校の認知度が少ないのか、今回の新作は静かな立上がりであり、このままお蔵入りにならないよう少し宣伝していきたいと思います。

以下は著名な評論家の宮崎正弘先生からいただいた紹介文です。先生ありがとうございます。

インテリジェンス戦争(秘密戦)から遊撃戦へ

  時代に翻弄された中野学校の「戦士」たちの真実

  ♪

上田篤盛『情報分析官が見た陸軍中野学校』(並木書房)

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 陸軍中野学校と聞くと、評者が咄嗟に思い浮かべる二人の男が居る。

末次一郎氏と小野田寛朗氏である。中野学校は東京の中野だけではなく、浜松に分校があった。中野学校本校は七年継続したが、二股分校はわずか四期で終戦を迎えた。とはいえ、400名の卒業生がいた。そのなかに両氏がいたのだ。

 では中野学校は何を教えていたのか。

 戦後、おもしろおかしく中野学校を論じたスパイ学校説や、あるいは映画にもなったが、実態とはかけ離れている。

 秘密戦の前衛とか、スパイとか戦後の評価は、中野学校のイメージを貶めた。実態とはことなり、当時から秘密戦争と遊撃戦は区別されていた。

 「ともすれば秘密戦争と遊撃戦が混同され、太平洋戦争(ママ)中期から末期にかけて、アジア各地や沖縄で行われた遊撃戦を中野学校と関連づけて語られることが多いが、本書では主として『情報活動(情報戦)』の視点から」、実相に迫る。 

 なぜなら「国家および陸海軍が本格的な情報教育の期間を有していなかったため、中野学校での情報教育は画期的なものだった」からだ。

 中野学校は当時の秘密戦争の劣勢をカバーするために、そして各国に身分を秘匿して送り込み、情報力を高めようとしたもので、諜報技術より大局的判断力、自主的な行動力を叩き込まれ、同時にアジアの民族解放教育も培われたのである。

 本書は、その教育の具体的な内容や校則を緻密に分析し、中野学校の今日的な意味をさぐるものであり、これも画期的な試みといえるだろう。

 さて中野学校卒業生の末次、小野田両氏と、妙な因縁があって、評者(宮崎)は生前の末次氏とは国民運動、とりわけ沖縄返還、北方領土などの国民集会準備会で多いときは週に一、二度会っていた。佐藤政権下の沖縄返還交渉では密使として舞台裏で活躍された。若泉敬氏は表の密使、末次氏は文字通りの黒子だった。

 末次事務所は「日本健青会」の看板がかかっており、星雲の志を抱いた若者があつまって愛国の議論を重ねていた。そのなかには「救う会」の事務局長の平田隆太郎氏、前参議院議員の浜田和幸氏らもいた。

 末次一郎氏は奇跡的な引き揚げ後、傷痍軍人救援など多くのボランティア活動をはじめ、同時に北方領土回復などの国民運動の最前線で活躍され、政界からも一目置かれた。

「国士」と言われ、多くの末次支持者がいた。二十年前に旅立たれたが、奇しくも氏のお墓は評者の寿墓と同じお寺の境内にある。氏の墓前には花が絶えたことがない。

 小野田少尉がルバング島から出てきたとき、評者は伊勢の皇學館大学にいた。

すぐさま大阪へ向かい、和歌山県海南市から上京する小野田少尉のご両親がのる新幹線に飛び乗った。車中、テレビカメラがわっと取り憑いたが、米原を過ぎてようや車内に静けさが戻り、座席に近付いて父親の凡二氏に想い出の手記を書かれませんかと依頼した。

本人の手記は講談社が、発見者の鈴木さんの手記は文藝春秋がすでに獲得したと聞いていた。評者は当時、出版社の企画担当だったので、父親の手記獲得に動いたのだった。さて新幹線は東京駅に到着した。ホームで車いすを用意して待機していたのが、末次氏だった。

お互いに「えっ」と顔を見合わせた。

こうした縁で小野田元少尉とも何回か会う機会があったが、どちらかと言えば「発見者」の鈴木紀夫さんが、大発見劇から四年後に、林房雄先生の令嬢と華燭の典をあげた。その所為で呑む機会も多かった。

鈴木さんはヒマラヤに雪男発見の旅に出て遭難、小野田さんは友人を悼んでヒマラヤを訪ね、遭難現場で合掌した。

(以上、引用終わり)

宮崎先生の中で、小野田少尉、末次さんの話の中で、小野田さんを発見された鈴木さんのエピソードも非常に興味を持ちました。小野田さんはヒマラヤに行かれて、鈴木さんの遭難現場で合唱されたとのこと、小野田さんの人柄が偲ばれます。

以下は中野学校の「中野二誠会」の会長からいただいたメールです。中野学校の実相と今日の日本の情報活動、陸上自衛隊情報学校の健全な発展などに今後とも微力ながら尽力する決意しました。一部割愛させて、このブログで共有させていただきたいと思います。

上田 様

 昨日、大兄著書『情報分析官が見た陸軍中野学校』を拝受いたしました。お心遣い有難うございます。

 早速、「はじめに」「おわりに」から熟読し(小生の読書法・笑)、本文完読に挑戦いたしております。(資料を本当に良く調べておられていますね。さすが本職・情報分析官と、感心しながら読んでいます)

 著書発行に際して二つの目的を掲げておられます。中野の誠を継承することを目的の一つとして発足させました中野二誠会の一員として心より感謝申し上げます。

 小生が中野校友会本部事務所を引き継いだ約40年前から、「陸軍中野学校」を表題とした図書や新聞記事原稿の取材面談に何度も付き合わされておりますが、その殆どの担当者は、ご指摘のような巷に流されている「陸軍中野学校伝説」をベースに企画され、質問をされます。つまり事実を話しても話が行き違い全く前に進まないのです。

 今後同様の取材等がありましたら『まず貴上田著書を読んでからお話ししましょう』と、失礼ながら教本テキスト代わりに利用させていただけそうです。

 (以下、省略)

メッセージは伝わらなければ意味がありません。しかし、残念ながらフェイクニュースや煽り記事に比べて、真実が伝わる速度や伝播力は著しく低い。世の中が誤った情報で氾濫しても、なかなかそれを止めることはできません。

 真実を書いた、自分自身納得できものを書いたから読んでもらえるわけではありません。ある出版の編集者が言っていましたが、「良いものが売れるのではない、売れたものが良い」。それは厳しい出版業会の真理でしょう。

 しかし、ほとんどの書き手は真実なもの、良いもの伝えたいと思っているのだと私は信じたい。インターネット時代の中で正しい情報をどのように効率的に伝えるかは、解けない課題となのんもしれません。 

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