半藤さんのご冥福をお祈りします

1月12日、昭和史に関するノンフィクション作品を多く手がけた作家の半藤一利(はんどう・かずとし)氏がお亡くなりなりました(享年90歳)。謹んでご冥福をお祈りいします。

昭和5年、東京にお生まれになり、東大文学部を卒業し、文芸春秋新社に入社され、1990年から本格的な作家活動に入られたとのことです。

私も半藤氏の著書はいくつか拝読しました。半藤氏の『昭和史』(平凡社ライブラリー)は、『昭和史1926-1945』と『昭和史 戦後篇 1945-1989  』の2冊がありますが、現在まで累計70万部を超えるベストセラーになっています。昭和史としては日本で最も多く読まれた書の一つといえるでしょう。

今日(1月13日1300時現在)の「アマゾンランキング軍事」で検索すると、『日本のいちばん長い日 決定版』(文集文庫)が売れ筋の第一位で、『ノモンハンの夏』が同第二位です。著名人の身上変化が出版市場を大きく動かすのはいつものことですが、半藤氏の影響力の大きさを改めて感じます。

『日本のいちばん長い日 決定版』は、昭和40年に大宅壮一編として、玉音放送までの一日を描いた「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」として発表されました。これが、平成7年に「決定版」として、自身の名義で改訂されました。

半藤氏の昭和史は非常に面白く、綿密な取材の跡が随所に伺えます。ただ少し、私が思っている歴史認識とは少し違うな、という印象ではあります。

私のような浅学な歴史認識では太刀打ちできませんので、「テンミニッツtv」で学んだ、故・渡部昇一氏の見解をここに引用しておきます。

「私は半藤氏をよく存じ上げている。彼が月刊誌『文藝春秋』の編集長を務めていた頃、企画などをよく頼まれていたのだ。半藤氏は教養あるジェントルマンで、奥さんは夏目漱石のお孫さんである。私と同い年で、大東亜戦争にも大変興味を持っており、戦後、司馬遼太郎氏をはじめ、いろいろな人と交流を持ちつつ多くの関係者に取材し聞き書きを行なっておられる。

 だから、半藤氏の『昭和史』に書かれていることは、時代の一面を非常にうまく切り取っている。口述を文章にまとめたものだから、とても読みやすく、面白いエピソードも数多く入っている。どの話も事実であろう。

 だがしかし、そうであるがゆえに、ある意味で危険ともいえる面がある。そのことを、本書の冒頭でぜひ示しておく必要がある。

 私の見るところ、半藤氏は終始、いわゆる「東京裁判史観」に立っておられる。つまり、東京裁判が日本人に示した(言葉を選ばずにいえば、日本人に「押し付けようとした」)歴史観の矩(のり)を一切踰(こ)えていない。

 戦後、占領軍の命令で、東京裁判(極東国際軍事裁判、昭和21年〈1946〉~23年〈1948〉)のためにあらゆる史料が集められた。それがあまりに膨大なものであったため、それらの史料こそが「客観的かつ科学的な歴史」の源であり、それらなしには二度と昭和史の本を書くことができないような印象さえ世間に与えた。

 だが、実はこの「客観的かつ科学的」というのが、大きな偽りなのである。

 一般にはあまり知られてこなかったことではあるが、終戦直後に、7千点を超える書籍が「宣伝用刊行物」と指定されて禁書とされ、GHQの手で秘密裏に没収されている。その状況については、現在、西尾幹二氏が著作を発表されておられる。また、当時の日本人の多くが気づかないうちに、戦後のメディア報道はきわめて厳重に検閲され、コントロールされていた。そのことについては、江藤淳氏の労作をはじめ、さまざまな研究がなされている。

 さらに、これは気をつけなくてはならない点だが、そのような状況下で「歴史観」がつくられていくと、実際に体験をした人の「記憶」も巧妙に書き換えられていくのである。なぜなら、全体を見渡せるような立場にいた人は少ないからだ。

 自分が経験したことは、大きな時代の流れの一局面にすぎない。だから、外から「実はお前がやらされていたことは、こういう動きの一部分なのだ」と指摘されると、「そんなものかなあ」と思わされてしまうことも多い。

 また、それに輪をかけて気をつけなくてはいけないのが、実際に体験した人々の話を編集したり、聞き書きする人の歴史観である。体験談は多くの場合、もちろん編集者の目を経て発表される。しかも体験者はプロの書き手ではないから、誰かに聞き書きをしてもらうことも多い。その編集者や、体験談をまとめる書き手が一定の歴史観に縛られていたとすれば、残された「記録」の方向性に大きなバイアスがかかってしまうのである。

 戦後のメディアの「言論空間」の中では、編集者や書き手の歴史観が、大きく東京裁判に影響されたことはいうまでもない。

 東京裁判以後の歴史観が、残された史料によって必然的に「東京裁判史観」に墜ちていってしまうのは、このような背景があるからだ。また、戦争の時代を生きた当事者の聞き書きだからといって、簡単に「『東京裁判史観』の影響を受けていない歴史の真実だ」と断ずることができないのも、いま指摘した通りだ」(以上、「テンミニッツTV」テキストから抜粋)

 渡部氏の指摘のポイントは、①戦後のメディア報道はGHQにより、きわめて厳重に検閲され、コントロールされた状況下にあった。そのような状況下で「歴史観」がつくられていくと、実際に体験をした人の「記憶」も巧妙に書き換えられていく。②実際に体験した人々の話を編集したり、聞き書する人の歴史観にはバイアスがかかる。GGQにより恣意的に残された史料が必然的に、編集者や聞き書きする人の歴史感を「東京裁判史観」に擦り寄せていく。以上の二点です。

 司馬遼太郎氏がノモンハン事件を執筆するための取材に、半藤氏は編集者として同行しました。しかし、司馬氏はノモンハン事件については書きませんでした。そこで、司馬氏のお別れ会で、自分がノモンハンについて書くと決めたのだとされています。

さて、ノモンハン事件は、作戦参謀の辻正信と同作戦主任参謀の服部卓四郎によって執行され、その作戦は失敗に帰した。その責任を取る形で両名は一応左遷されたが信じられないような軽い処分で済んだ。というのがこれまでの歴史の定説です。半藤氏の主張もこのような定説を補強するものとなっています。

ただし、ソ連崩壊後に旧ソ連時代の秘密文書が解禁となって以降、異なる歴史解釈が紹介され、実はノモンハンについても、ソ連の方が格段に損害が大きかったという見解も出て来ています。また、当時、その情報は「機密情報」としてソ連が封印していたというのです。

ジューコフ元帥が第二次世界大戦後にインタビューを受けて、「あなたの戦歴の中で最も厳しい戦況だった戦いはどこですか?」との問いがあり、インタビュアーは、「独ソ戦史の中のいずれかの戦場」との答えを期待していたようです。しかし、彼は一言「ノモンハン」と回答しました。

結局、当時の陸軍には戦闘損耗を妥当に評価できる態勢がありませんでした(なお、米軍はBDA(爆撃効果判定、Bomb Ⅾamage  Assessment)を重視している)。これに加え、GHQの意図的な情報操作があったとすれば、執筆者や編集者の著述の正確性は低下し、我々の歴史認識も変わってしまうことになります。

インテリジェンスの重要性を改めて認識します。

投稿者:

atsumori

元防衛省情報分析官。1960年広島県生まれ。退職後、ほそぼそとインテリジェンス・リテラシーの普及活動を開始。著書、『情報戦と女性スパイ』『中国戦略“悪”の教科書』、『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』、『戦略的インテリジェンス入門』など。その他、講演、雑誌投稿など。

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