緊急事態宣言と危機管理

新型コロナウイルス対策で、政府は本日(1月7日)、首都圏の1都3県を対象、8日から来月7日までの期間、緊急事態宣言を再発令しました。また、本日の東京都の新たなコロナ感染者数は2447人と発表されました。

インターネットの書き込みなどを見ますと、政府のコロナ対策の遅れ、オリンピックをやめてコロナ対策費に回せ!などの、反政府批判が目立ちます。

今年の箱根駅伝では、主催する関東学連が「応援したいから、応援にいかない。」をキャッチコピーに公式サイトなどで呼びかけました。その効果があって2日間におけるコース沿道での観戦者数が、約18万人と発表。昨年の前回大会は121万人で約85%減となりました。

しかし、約18万人もの観客が駆け付けたことに対して、モラルの低下や危機意識の欠如を嘆くツィターも多いようです。

たしかに、最初の緊急事態宣言の後に〝緊張の糸〟が切れたのか、人々の危機意識はどんどんと薄らいだような気がします。「三密」も流行語の年間大賞となって、「愛の不時着」(2位)「あつ森」(3位)などと並んで、どこか、ほのぼの感さえ感じられ、緊張感がありません。

危機意識の欠如は、「喉元過ぎれば…」的な日本人特有の性質や、人間の深層心理にある、「たいしたことはない」との過小評価、「周りの人が皆町に繰り出しているから自分も大丈夫」などの同調主義といった心理バイアスが影響しているように思います。

結局、危機意識というのは個人ではなかなか高められませんし、維持できません。だから、政府、地方行政組織、企業などがある程度の強制力を持って危機の実態を具体的に説明し、注意喚起しなければなりません。

注意喚起する側が、危機意識のない行動を取れば、それは説得力をもちません。国民による反政府批判を煽るかのような、一部マスメディアの報道振りもいかがなものかとは思いますが、連日のように政府要人方の〝軽率に見える行動〟(※政治家として為すべき当然の行動も多々あり、報道される行動が自体が軽率だと私が考えているわけではありません)が報じられています。

他方、危機意識は誰のためでもありません。自分のためです。東洋大学の酒井駅伝監督の「その一秒を削り出せ」を思い起こし、政府による「GO to キャンペーン」の是非をあれこれ論じることは横に置いて、個人が少しだけ自覚ある行動を取ればコロナへの勝利が一歩近づくのではないでしょうか。

ただし、人間は生活しなければならないし、政治や経済は前に向かって進ませなければなりません。だから、どんなに自覚ある行動をとっていたとしても、コロナに感染することは不可抗力の場合があります。どんなに注意しても交通事故に巻き込まれることと同じです。コロナにかかった方を白眼視(※三国志の阮籍が元になった故事成語で、差別用語はありません)してはなりません。

さて、危機管理には一般に(狭義の)危機管理(クライシス・マネージメント)とリスク管理があるとされます。リスク管理は「危機以前のリスクが起こらないように、そのリスクの原因となる事象の防止策を検討し、実行に移すこと」です。他方、「危機管理」は「すでに危機が発生した場合に、その被害を最小限にするとともに、いち早く危機状態からの脱出・回復を図ること」です。

今回のコロナ禍を例にとりますと、集団クラスターが発生するような場所に行かない、外出時にはマスクをつけるなどがリスク管理となります。危機管理の方は、集団クラスターが発生した以降、その場所を消毒し、濃厚接触者を特定して隔離し、医療行為を行うようなことだと言えます。

リスク管理は危機発生前に専門組織または個人が予測的に行う活動ということになります。これに対して、危機管理はどちらかいえば危機発生後に総合組織または集団組織が臨機応変に行うものという違いがあります。

今回の緊急事態宣言は「危機管理」です。リスク管理に比して、費用も労力も比肩できないほど甚大です。これらの費用も我々の税金から捻出するとすれば、個人がリスク管理を怠ることで、何倍にも借金が膨れて跳ね返ってくることになります。まさに天に向かって唾を吐くことになります。

今しばらく、リスク管理的な思考で危機を乗り切る必要があります。

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