わが国の情報史(20-後段) 日露戦争の勝利の要因その2 -戦略的インテリジェンスとシビリアンコントロール-

高橋是清

高橋是清の資金獲得

軍事と経済との連携においては高橋是清の活躍が特筆される。いうまでもなく、戦争遂行には膨大な物資の輸入が不可欠である。この資金を調達したのが、当時の日本銀行副総裁の高橋である。

高橋は、日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で外貨調達に非常に苦心した。日清戦争において相当の戦費が海外に流失したので、その穴埋めのためにも膨大な外貨調達が必要であった。 しかし、開戦とともに日本の外債は暴落しており、外債発行もまったく引き受け手が現れない状況であった。 つまり、国際世論は日本の勝利の見込みうすしと判断した。

日露戦争が勃発した直後の1904年2月24日、高橋是清はまず米国に向かった。高橋はニューヨークに直行して、数人の銀行家に外債募集の可能性を諮ったが、米国自体が産業発展のために外国資本を誘致しなければならない状態で、とうてい起債は無理とのことであった。

そこで、高橋は米国を飛び立ち英国に向かった。しかし、ロンドン市場での日本公債に対する人気は非常に悪かった。一方、ロシア政府の方は同盟国フランスの銀行家の後援を受けて、その公債の価格はむしろ上昇気味だった。 英国の銀行家は、日本がロシアに勝利する可能性は極めて低いと分析して日本公債の引き受けに躊躇していたのである。

また、英国はわが国の同盟国ではあったが、建前としては局外中立の立場をとっており、公債引受での軍費提供を行えば中立違反となるのではないかと懸念していた。 それを知った高橋は、日本にも勝ち目があることを英国側に理解させるよう、宣伝戦略に打って出た。つまり、このたびの戦争は自衛のためやむを得ず始めたものであり、日本は万世一系の皇室の下で一致団結し、最後の一人まで闘い抜く所存であることを主張した。

中立問題については米国の南北戦争中に中立国が公債を引き受けた事例があることを説いた。  高橋の説得が徐々に浸透して、1ヶ月もするとロンドンの銀行家たちが相談の上、公債引受けの条件をまとめてきた。ただし、関税担保において英国人を日本に派遣して税関管理する案を出してきた。 これに対して高橋は、「日本国は過去に外債・内国債で一度も利払いを遅延したことがない」ときっぱりと拒絶した。交渉の結果、英国は妥協して、高橋の公債募集は成功し、戦費調達が出来た。

クラウゼヴイィツの『戦争論』の影響とシビリアンコントロール

わが国の勝利の要因は政治、経済、軍事が一体となってロシアに立ち向かったことにある。そこには、政治が軍事を統制するシビリアンコントロールが機能したといえよう。

そのシビリアンコントロールの思想的底流にはドイツから流入したクラウゼヴイィツの『戦争論』の影響があったとみられる。 『戦争論』では、「戦争とは他の手段をもっておこなう政治の継続である」「戦争は政治の表現である。政治が軍事よりも優先し、政治を軍事に従属させるのは不合理である。政治は知性であり、戦争はその手段である。戦争の大綱は常に政府によって、軍事機構によるのではなく決定されるべきである」と述べられている。 つまり、政治が軍事に優先すること、すなわちシビリアンコントロールが強調されている。

前述の川上や田村はドイツにおいてクラウゼヴイィツの思想を学んだ。これが日露戦争前の帝国陸軍の戦略・戦術思想を形成していったとみられる。このことから、大筋において、当時の一流の軍人がシビリアンコントロールの重要性を理解したのではないだろうか。

総理の桂太郎も軍人であり、元老の山県有朋も軍人であった。いわば当時の軍政は軍人と文人が混在していたが、そこには政治優位の思想が確立されたとみられる。時には軍事優先による日露開戦論が先走ったが、大筋において抑制がきいていたというへきであろう。

つまり、明治期の一流の軍人は、大局的な物の見方と、国家レベルの情勢判断力、政治優位の底流思想を持っていたと判断できる。児玉らのインテリジェンス能力に長けた軍人が、国家レベルの視点から物事を判断して、シビリアンコントロール(政治優先)を維持していった。 この点が、軍事という狭い了見から情勢判断を行い、政治を軽視し、軍事の独断専行に走った昭和期の軍人との最大の相違ではないだろうか?

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