情報分析官が見た陸軍中野学校(3/5)

中野学校の教育内容

▼中野学校の誤ったイメージは映画などが原因

 中野学校では、開錠法(鍵開け)、開封法(封書開け)、窃盗法などの秘密戦技術が重点的に教育されたとの認識があります。これを起点に中野学校は非合法な行為を行なう“スパイ組織”であったというイメージが蔓延し、戦後になって中野出身者が国家犯罪に関与したなどの根拠なき風説が流布されています。

 しかし、中野学校のこうした教育イメージは、1960年代に映画「007」シリーズが公開され、空前の“スパイブーム”が起きるなか、これに便乗するかのように映画『陸軍中野学校』が誇大宣伝的に放映されたことが大きく影響しています。

 この映画では、身分欺騙、金庫破り、殺人、誘拐などの“スパイ技術”を教育する場面が随所に描かれています。主人公の三好少尉が任務遂行のために、恋人を毒殺するシーンもあります。

 映画の中で、草薙中佐(後方勤務要員養成所の秋草所長がモデル)が「じゃあ、俺の中野学校で盗んでやろうか。英国(えいこく)の暗号コードブックを」と語る場面があります。中野学校生が訓練目的でこれに類する活動を行なったこともあるようですが、中野学校は諜報・謀略機関ではないので、このような事例は特殊なケースです。

 しかしながら、こうした観客の関心を引く物語が、中野学校を諜報・謀略などの秘密戦の実行機関であるかのような誤解を広めたことも事実です。

▼中野学校での将校教育では諜報・謀略技術は重視されなかった

 中野学校の創設時の目的は「替わらざる武官」の養成でありました。残念ながら、太平洋戦争が開始され、この目的は三期生までで潰えてしまいます。

 中野学校を創設して何をしようとしていていたのか、いかなる問題点を改善しようしたのかを明らかにするために創設期の教育内容を分析することが重要です。

 創設期の将校教育では諜報・謀略技術の教育は体験程度でした。二期生の原田統吉氏は次のように述べています。

「技術に関しては充分に習熟するというよりも、幅広く基礎をみっちりやっておくことに重点があったようである。将来どのような形で任務につくか予断し難い立場を考慮してのことであったらしい。何しろ苦力になるのか、一流商社マンに偽装するのか、外交官になるのか、全然見当もつかないのだから。

――その基礎さえあれば、その時必要なだけの技術は現場に即応してマスターできる能力はもっているはずだ、ということであったのだろう(そして現実に仕事を始めたときそれは全くそのとおりであった)。007的教育は、私の『中野』においては部外者が考えているほど、あまり大きな比重を持たなかったのである」(本書引用)

▼応用力、判断力などを重視

 では、どのような教育が重視されたのか、原田氏の回想をさらに見てみましょう。

 「講義は淡々と進み、やがて問題が出る。いつものことだ。『情況は本日の現状、駐ノルウェー武官としての状況判断及び処置如何』というのである。ドイツが『ノルウェー、デンマークに進駐した』ニュースが新聞に伝えられた直後である。与えられた時間は二十分。軍における情況判断というのは、単に情況の分析だけではない。相手の企図、実力及びそれに関連する一般条件を分析予測し、それを当方の企図から判断して、最後は『吾方は○○するを要す』という言葉で終る、主体的な意志決定直前の段階までの作業である。そして武官の処置とはこの場合、独立した秘密戦指導者の具体的行動を意味する」(本書引用)

つまり、中野学校の創設期が目指す教育は判断力や決断力の養成を重視する教育であり、今日の世間がイメージしている“スパイ教育”ではなかったのです。

▼自由で柔軟な思想を持った教育

もう少し、教育風景を眺めてみましょう。原田氏は次のように回想しています。

「秋草さんが、ある日数名の学生をつれてデパートに行き、屋上から地階まで各階毎に一時間ほどずつ、一日がかりで、目ぼしい商品や設備について、その歴史、生産、良否の見分け方、使用法等を全部専門的に説明し、その上秘密戦的利用法まで得意の話術で解説して見せ、ヘトヘトになって帰って来た学生に、レポートの提出を命じた、などという秋草伝説がある。やはり『中野』のあらゆるものを教師とする、万能人への志向を物語るものであろう」(本文抽出)

 万事を秘密戦の目的という視点から見る、そのうえで形にとらわれない自由で柔軟な教育、それが中野教育の魅力でした。これが中野出身者の自由で柔軟な発想力や想像力を育んだのです。

▼実戦的訓練の重視

 秘密戦は実戦でできなければ役には立ちません。そのため、中野学校では教育訓練の環境を限りなく実戦に近づけて、決断力(胆力)や行動力の涵養を重視しました。このため、陸軍省の建物や軍需工場に守衛などを欺き、こっそりと侵入するなど、犯罪紛(まが)いの訓練も実施されました。

 むろん、現代ではこのような訓練を行なうことはできません。しかし、中野学校では実戦的な教育訓練と行なうための工夫がありました。たとえば、上述の秋草所長によるデパートでの教育です。つまり、あらゆるものを秘密戦という目的意識をもって思考させ、特定の行動をとることで、法に触れずとも実戦力が養成されることを中野学校の教育から学ぶことができます。

 なお実戦とは必ずしも戦争を意味しなくてもかません。ビジネスの現場もいわば戦争であり、失敗が許されない緊張感の中で商談が行なわれます。そのような状況下で、正しい思考力や判断力、そして決断力がビジネスパーソンに求められます。しなやかで強靭なビジネスパーソンを育成する上でも、中野教育は我々に一つの視座を与えてくれるでしょう。

 私のような長年情報教育の現場に携わった者からすれば、中野教育から情報教育あるいは情報勤務者を育成する上でのヒントを汲み取ることは難しくありません。さらに、今日のグローバル化や、AIおよびICTの技術発展の中で、知識教育よりも創造的思考力、問題解決力、判断力と行動力などの重要性が高まっていることを踏まえるならば、中野教育は現代のさまざまな領域における人材育成上の羅針盤になると考えます。

それゆえに、人材教育に携わる方々にも、「しょせんわが国を誤った道に向かわせた旧陸軍の教育だ」とか忌避せずに、中野教育の優れた点にも注目してほしいのです。また、私は、先進的な中野教育の魅力も紹介したいのです。

 次回は中野学校での精神教育に焦点を当てます。

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