テロとは何か!

▼テロとは何か

テロリズム(以下、テロ)、テロリスト、テロ組織など、我々が日常よく耳にする慣れ親しんだ用語であるが、実は今日、国際法上、統一されたテロの定義はない[1]。各国や各国機関等によって様々な定義が存在し、テロの概念はそれぞれの主要国の立法などで定義されている。

我が国の広辞苑では、テロを「暴力或いはその脅威に訴える傾向、暴力主義、恐怖政治など」と定義している。公安調査庁では「国家の秘密工作員または国家以外の結社、団体等がその政治目的の遂行上、当事者はもとより当事者以外の周囲の人間に対しでも、その影響力を及ぼすべく非戦闘員またはこれに準ずる目標に対して計画的に行った不法な暴力の行使をいう[i]」 と定義している。

米ランド研究所では「暴力による威嚇・個人による暴力行使、恐怖を与えることを意図した暴力の宣言など、恐怖で圧倒すること」、米国防省では「政治的、宗教的あるいはイデオロギー上の目的を達成するために、政府あるいは社会を脅かし、強要すべく人または財産に対し向けられた不法な実力(FORCE)[2]または暴力の行使」と定義している。

 以上、統一されたテロの定義は存在しないが、一方で暴力、恐怖という二つの用語をキーワードとして抽出することができよう。つまり、テロは暴力と恐怖が織り成すものなのである。以下、その点を切り口にテロを考えてみたい。

恐怖とは何か

テロとは暴力による心理的恐怖の創出である。そもそも近代におけるテロの語源はフランス語の「恐怖」(terror)に遡る。18世紀のフランス革命期において、マクシミリアン・ロベスピエールやジョルジュ・ダントンらの革命勢力が反革命勢力を組織的に処刑した。これが「恐怖政治」と恐れられ、これが転じてテロリズム(テロ)[3]という名詞になったとされる。

恐怖は一般に動揺、恐慌、心配、パニック、嫌悪、おそれといった類語で表現される。恐怖はこの世に常に存在するものでもあり、人は誰しもが常に何らかの恐怖を抱いている。また恐怖は心理的、精神的なものである。生起する事件が客観的にどのように残虐なものであろうと、そこに事件被害者の心理的作用が働かなければ恐怖は覚えない。そのような心理的恐怖を人為的に生み出し、実行するものがテロの本質である。

暴力とは何か

では、暴力とは何か。暴力とは「他者の身体や財産などに加える物理的・心理的強制力や破壊力である」(『マイペディア99』テキスト版ほか)」[4]。これに対して、一般的には国家が権利として有するものが武力として区別される場合が多い。つまり、暴力は正当性もなく統制されたものではない。

暴力の種類には主として身体的暴力、精神的暴力がある。これらの何れもが相手に対して心理的恐怖を植えつけるという共通性がある[5]

 したがって暴力は心理戦の手段として活用される。たとえば2004年10月には「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループが、インターネットで「香田証生氏を人実にした」として犯行声明を出し「日本政府が48時間内に自衛隊が徹底しなければ殺害する」と脅迫した。日本政府がそれに拒否すると、その後、香田氏の首を切断し、バクダット市内に放置した。11月2日は犯行グループが犯行声明とともに、香田氏を星条旗の上で殺害する場面をネットで動画配信した。

 最近ではISIL(後述)というテロ組織が、湯川遥奈氏、後藤健二氏の両名を殺害した、後藤氏の首切り画像などをインターネットで公開し、日本政府に金銭的要求などを迫った。これらは日本政府に心理的圧力を掛けることにより、自らの意思に恭順させようとした心理戦であった。

暴力は人間心理と密接であるため、マインドコントロールや洗脳の手段としても用いられる。マインドコントロールや洗脳はいずれも、相手側に対し、特定の主義・思想を持つように仕向けることである。この手段として身体的暴力(拷問、薬物利用、電極の埋め込み)、精神的暴力(「地獄に落ちるぞ」などの言葉の脅し、罪の意識の植え付け)などが用いられる。

 1090年、ハツサン・イブン・アルサバーは、カスピ海南部の要塞で信奉者を暗殺者(アサシン)に仕立て上げ、薬物による昏睡状態と、美しい調度品と女性に埋め尽くされた美しい庭園につれ、大麻(ハシン)を吸わせ、暗殺を敢行したならば、また楽園に行けるとの幻想を付与した。この大麻の常習者であるハシシンが転じてアサシン、すなわち暗殺者の語源となったといわれている。

 オウム真理教はLSD入りの液体を飲み干すことを恒常的手段としていたとされる[6]

 このように暴力は、相手側を自らの意図通りに操る効能がある。1880年代のアナーキスト、ヨハン・モストが記した小冊子『爆弾の哲学』によれば、暴力の効能について以下のとおり記している。

① 異常な暴力は人民の想像を掴む。

② その時人民を政治問題に目覚めさせることができる。

③ 暴力には固有の権限があり、それは浄化する力である。

④ 体系的暴力は国家を脅かすことができ、国家に非正統的な対応を余儀なくさせる。

⑤ 暴力は社会秩序を不安定化し、社会的崩壊に追い込む。

⑥ 最後に人民は政府を否定し、「テロリスト」に頼るようになる。

このように、暴力はテロに不可欠なものなのである。

有史以来の闘争形態

暴力による心理的恐怖を醸成することがテロの本質である見た場合、テロは新しいものでない。それは有史以来、存在してきた闘争形態である。

紀元645年に中大兄皇子(天智天皇)・中臣鎌足(藤原鎌足)が、時の最高権力者である蘇我入鹿を残虐な手口で暗殺した。(乙巳の変)これが大化の改新となり、以後の天皇中心政治の幕切りとなった。これは我が国の古代のテロ事件として有名である。

特定集団が他のものに特定の行動を取らせるために、暴力により心理的恐怖を醸成することも古くから行われてきた。この歴史的事例にはイエス時代(紀元60~70年)の「熱心党」(ゼロティ)がしばしば引用される。熱心党はユダヤ教の政治的過激団体であり、ユダヤ人の民族国家の建設を切望し、敵対勢力に対し、暴力による粛清を繰り返した[7]。その中で最も過激派であったシカリ派は常に短剣を私服に隠し持って、祭事の時や人通りの多い公共広場で敵を刺殺し、敵対勢力に恐怖を与えた。

11世紀にはイスラム主義者による暗殺が行われた。1090年、カスピ海南部に要塞を築いたハッサン・イブン・アルサバーは、信奉者を薬物により昏睡状態にさせ、美しい調度品と女性に埋め尽くされた楽園につれていき、大麻(ハシン)を吸わせ、「暗殺を敢行したならば、また楽園に戻れる」との幻想を与えた。この大麻の常習者をハシシンと言い、それが転じてアサシン(現在、暗殺者、暗殺団、刺客などを意味する)がすなわち暗殺者の語源となった。

 アサシンは、イスラム教・シーア派の分派イスマイール派に属する一派であり、薬物により信奉者を暗殺者に仕立て上げ、大シリアにおいて、十字軍などの諸勢力に対する数々の暗殺を繰り広げた。これが十字軍や旅行者により伝達されインドからナイル川流域まで「恐怖の話」として広がった。アサシンは時には自らの生命をかけて暗殺を行った。この「殉死」が今日のテロリストの戦術・戦法として継承された。

このようにテロは有史以来の闘争形態で、絶大な権力を有する為政者を暗殺という暴力的行為によって排除し、同時に民衆に恐怖を与えることで反政府闘争に勝利をもたらしたのである。


[1] チャールズ・タウンゼンドは、「テロ」の定義について、百を越える定義が提案されながら、今名合意が成立していない。問題の当事者の一方が敵対者に対して、レッテルを貼る行為だから。

[2] 武力を正当に保持するものと見た場合、不法な武力という意味は正しくないので実力と翻訳した。

[3] これを一般的に白色テロという。

[4] マックスス・ウェーバーの国家論のように権力を正当化された暴力と捕らえる見方もある。

[5]身体的暴力の典型が暗殺などであり、犯人による殺害予告が行われるとそれだけで精神的ダメージになる。精神的暴力は宗教団体がよく使用するマインドコントロールとよく似ている。

[6] アンフェタミン

[7] その中でも有名なのがシカリ派で聖書で短剣を持った4000人の男。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA