新宿情報学校インテリジェンス思考術

――情報の向こう側を見る

はじめに

インテリジェンスという言葉から、何を思い浮かべるだろう。

スパイ、秘密情報、情報機関、盗聴、偵察衛星――。そんな世界を想像する人も多いかもしれない。

しかし、インテリジェンスの出発点は、もっと身近なところにある。

何を見るのか。
誰が言っているのか。
何を知りたいのか。
何が事実で、何が推測なのか。
そして、そこに何が書かれていないのか。

新聞を読むときも、会社で報告を受けるときも、街を歩くときも同じである。

情報は、そこら中にある。しかし、そこにあるだけでは、インテリジェンスにはならない。

これは、新宿のどこかにあるという「新宿情報学校」で、私が一人の男から教わった「情報を見るための思考術」の話である。


第一章 見ているつもりだった

ここは新宿無番地。

路地を曲がった先の裏手に、古びた洋館がある。看板はない。表札もない。だが、近づけば、人の気配だけは確かにあった。

私はその扉の前に立っていた。

インテリジェンスを学べる場所だと聞き、ここまで来た。

扉を押すと、抵抗もなく開いた。中に入ると、初老の男が玄関に立っていた。

「君ですね」

「はい。紹介で――」

「どうぞ、上がってください」

私は靴を脱ぎ、男の後について階段を上った。

一段、また一段。古い木の感触が足裏に伝わる。

踊り場を過ぎたところで、男が足を止めた。

「今の階段は、何段ありましたか」

私は言葉に詰まった。

数えていない。

「……分かりません」

「では、壁の色は覚えていますか。手すりに傷はありましたか。踊り場には何がありましたか」

どれも答えられなかった。

男はゆっくりとうなずいた。

「上がっては来ましたよね。でも、何も答えられなかった」

私は小さくうなずいた。

「それが、見ていないということです」

言い方はやわらかかったが、言葉は重かった。

「意識して見ていなければ、あとで思い出せません。思い出せないものは、確かめることも、比べることも、整理することもできない。だから使えないのです」

男は少し間を置いた。

「判断に使える形になって、はじめて意味を持ちます。それがインテリジェンスです」

その日、私は初めて知った。

自分が、見ているつもりで何も見ていなかったことを。


第二章 情報とインテリジェンスは違う

次の授業で、男は私に尋ねた。

「情報とは何ですか」

「見たもの、聞いたものです」

「間違いではありません。しかし、それだけではありません」

男の説明では、インフォメーションという大きな枠の中にインテリジェンスがある。見たもの、聞いたものは材料であり、その中から意味のあるものを選び、整理し、判断に使える形にしたものがインテリジェンスになる。

日本語の「情報」は少し厄介だった。

本来、情報はインフォメーションを指す。しかし、軍事や安全保障の世界では、加工・分析されたインテリジェンスまで「情報」と呼ぶ場合がある。防衛省でも、材料となる「情報資料」と、それを処理した「情報」を区別している。

つまり、日常語では同じ「情報」という言葉の中に、違う概念が入り込んでいるのである。

男は言った。

「例えば、『明日は午後から大雨』という天気予報があったとします。それだけなら材料です」

「でも、運動会を予定している学校なら、延期するのか、保護者へどう連絡するのかを考えますね」

「そうです。河川管理を担当する人なら、避難まで考えるかもしれない」

同じ「大雨」でも、人によって意味は違う。

男は今度は紙に、

1ドル=160円

と書いた。

「これは?」

「円安です」

「では、それは誰にとっても同じ意味ですか」

海外旅行を予定している人には負担になる。輸出企業には利益になるかもしれない。外国人観光客を相手にする店には追い風になるかもしれない。

同じ情報なのに意味が違う。

「情報は、使う人から切り離して考えることはできません」

男はそう言った。

「インテリジェンスとは、特別な知識ではありません。情報を、自分の判断にどう結びつけるか。その営みです」

そして、最後に付け加えた。

「その違いを生むのが、何を知りたいのかです」


第三章 問いを持てば景色が変わる

ある日、男は突然言った。

「今日は外へ出ます」

私たちは新宿駅近くのデパートへ向かった。

「30分後に、ここへ戻ってきてください。そして、気づいたことを報告してください」

私は館内を歩いた。

食品売り場、化粧品売り場、時計売り場。外国人観光客も多い。セールもやっている。

30分後、私は男のところへ戻った。

「外国人観光客が多かったです。かなり混雑していました」

男は静かに聞いていた。

「それは、誰でも見ます」

私は黙った。

「君は景色を説明しただけです」

男は、旧陸軍中野学校の前身である後方要員養成所の所長、秋草俊中佐の言葉を教えてくれた。

「万物これ悉く我が師なり」

見るべきものは、どこにでもある。

しかし、ただ見ればよいのではない。

「防犯という視点で、このデパートをもう一度見たらどうですか」

私は周囲を見た。

監視カメラ。警備員。人が滞留する場所。死角。非常口。

「では、経営者なら?」

今度は、外国人客の流れ、混雑する売り場、高級ブランド店の客足、店員の配置が気になり始めた。

先ほどまでとは、景色が違って見えた。

男が言った。

「景色は変わっていません」

そして続けた。

「変わったのは、君の問いです」

何を知りたいのか。

問いを持った瞬間、それまで見えなかったものが見えてくる。

「『万物これ悉く我が師なり』とは、何でも知識にしろという意味ではありません。何のために見るのかを考えろ。そうすれば、何の変哲もないものにも重要な示唆が隠れているということです」

私はようやく分かり始めた。

インテリジェンスとは、特別なものを探し回ることではない。

何を知りたいのかを考え、その視点で世界を見ることなのだ。


第四章 情報を見る前に、情報源を見よ

問いを持つことを覚えると、今度は情報そのものが気になり始めた。

以前から評判だと聞いていた店の前を通ったときのことである。雑誌にもテレビにも登場する人気店だった。

ところが、その日は客がほとんどいなかった。

そこで気づいた。

私はその店を知っているつもりだったが、一度も入ったことがない。

私が知っていたのは、雑誌やテレビが伝えた「店の姿」だったのである。

その話をすると、男は数枚の新聞を取り出した。

同じ出来事を報じた記事だった。

しかし、見出しが違う。一方は経済への影響を大きく扱い、もう一方は政治的意味を強調している。

「同じ出来事なのに、ずいぶん印象が違いますね」

「それが情報源です」

誰かが伝えた情報には、伝える人間の関心や判断が入る。

新聞だから間違っているという話ではない。新聞社によって、同じ事件でも見る角度や強調点が違う。

外交官が語ることと、商社マンが語ることも違う。記者と現場担当者でも違う。

それぞれ違う場所から世界を見ているからである。

「インテリジェンスの世界では、情報そのものより先に情報源を見ます」

誰が言っているのか。

どの立場で言っているのか。

その人は何を知り得るのか。

何を重視しているのか。

「多くの人は情報を見ます。しかし分析官は、その前に情報源を見ます」

それ以来、私は記事の本文を読む前に、誰が書いたのかを見るようになった。


第五章 問いが情報源を決める

しかし、情報源には新聞、テレビ、インターネット、人間、衛星、通信など、さまざまなものがある。

では、どれが一番優れた情報源なのだろう。

私がそう尋ねると、男は紙の中央に円を描き、その周囲に新聞、テレビ、雑誌、インターネット、外交官、研究者、商社マン、工場の作業員、旅行者と書き込んだ。

「全部、情報源なんですか」

「そうです。世の中のほとんどのものは情報源になり得ます」

では、どれが一番なのか。

男は答えた。

「その質問には答えられません」

工場の稼働状況を知りたいなら、現場の作業員が重要かもしれない。会社の経営方針なら、決算説明会や経営者の発言だろう。

中国軍について調べる場合でも同じだ。

保有する艦艇の数を知りたいのか。

どこに配備されているのかを知りたいのか。

中国指導部が台湾侵攻を考えているのかを知りたいのか。

問いによって、必要な情報は違う。

艦艇の数や配置なら、衛星写真や公開資料が役立つ。しかし、指導部の意図となれば、それだけでは足りない。

能力と意図は別である。

男は言った。

「初心者は情報源から考えます。どの新聞を読むべきか、どのサイトを見るべきか、誰に聞くべきか。しかし分析官は逆です」

まず、何を知りたいのか。

そこから必要な情報が決まり、最後に情報源が決まる。

問いが情報源を決める。

それは、デパートで学んだことと同じだった。


第六章 OSINTだけで世界は分かるのか

「インテリジェンスの90%は公開情報である」

私は、この言葉を本やインターネットで何度も目にしていた。

そこで男に聞いた。

「本当に90%なのですか」

「公開情報が重要であることは間違いありません」

第二次世界大戦中、スイスの軍事分析家ヤコブ医師は、ドイツ国内の新聞に掲載された戦死者の葬儀名簿を調べ続け、ドイツ軍の組織や戦況をかなり正確に推定した。

秘密を盗んだわけではない。

誰でも読める新聞を分析したのである。

現代では、インターネット、SNS、公開衛星画像など、さらに膨大な情報が手に入る。ベリングキャットのような民間調査グループが公開情報を組み合わせ、国家の秘密活動に迫ることさえある。

「それなら、90%というのも正しいのでは?」

男は首を振った。

「その90%とは、何の90%でしょう」

収集した情報の件数なのか。分析報告書のページ数なのか。利用した情報量なのか。

数字だけが一人歩きしている。

公開情報から軍艦の数やミサイルの配備状況はかなり分かる。しかし、指導者が本当に戦争を決断したかとなれば話は違う。

能力は見える。

しかし、意図は見えにくい。

「私は『90%』という言葉を警句だと考えています」

秘密情報ばかり追うな。

重要な情報は、身近な公開情報の中にもある。

公開情報を軽視せず、分析力を磨け。

そういう意味なら、重要な教えである。

しかし、

公開情報だけで十分である

という意味ではない。

何を知りたいのかによって、必要な情報源は変わる。

また「問い」に戻ってきた。


第七章 HUMINTは真実に近づけるのか

「では、人から得る情報には、今も価値があるのですか」

男は紙に大きく書いた。

HUMINT

Human Intelligence。人間を通じて得る情報である。

現代の一般的な情報活動なら、大きく伝聞情報と観察情報に分けて考えられる。

顧客、取引先、研究者、外交官、商社マン、現場担当者から話を聞く。

あるいは、自分や派遣した人間が工場、店舗、港湾、国境などを直接観察する。

国家の情報活動まで広げれば、協力者から秘密を聞き出す、秘密文書を入手する、敵地へ潜入する、斥候を送り込むといった活動もHUMINTに含まれる。

その歴史は古い。

『孫子』には、郷間、内間、反間、死間、生間という五種類の「間」、すなわちスパイの運用がすでに体系化されている。

HUMINTの強みは、人間の内側へ近づけることにある。

衛星は軍艦を撮影できる。

公開資料から軍事費も分かる。

しかし、指導者たちが部屋の中で何を話し、何を迷い、どの選択肢を検討しているのかは、外から眺めるだけでは分からない。

「では、HUMINTなら意図が分かるのですね」

私がそう言うと、男は紙に二つの言葉を書いた。

SECRET MYSTERY

シークレットとは、誰かが答えを知っているが、隠している事実である。

秘密の作戦計画。会議で決定された方針。秘密合意。

適切な情報源へ接近できれば、明らかにできる可能性がある。

しかしミステリーは違う。

将来の経済はどうなるのか。

戦争はいつ終わるのか。

中国は台湾へ侵攻するのか。

まだ誰も答えを持っていない場合がある。

最高指導者自身でさえ、一年後に何を決断するか分からないことがある。

「隠されている答えと、まだ存在しない答えは違うのですね」

「その通りです」

そして、もう一つ重要な問題がある。

意図と行動は一致するとは限らない。

今日「攻撃しよう」と考えていても、明日には国際情勢や経済状況、周囲の進言によって判断を変えるかもしれない。

逆もある。

だから、意図を知れば未来が分かるわけではない。

分析は一度で終わらないのである。


第八章 人間は嘘をつく

HUMINTには、さらに厄介な問題がある。

情報源そのものが人間だということである。

その人物は、本当にその事実を知っているのか。

状況を正しく理解しているのか。

思い込みはないのか。

利害によって話を歪めていないか。

意図的にこちらを騙していないか。

直接見た情報だからといって安心もできない。

観察できるのは全体の一部でしかない。時間、場所、天候、周囲の状況によって見えるものは変わる。

視察なら、相手が「見せたい場所」だけを準備しているかもしれない。

整えられた工場を一時間見て、普段の稼働状況まで理解したつもりになるのは危険である。

国家間では、さらに欺瞞が加わる。

第二次世界大戦中、イギリスはドイツが送り込んだスパイを摘発し、その一部を二重スパイとして利用した。彼らを通じて「連合軍の主たる上陸地点はパ・ド・カレーである」といった偽情報をドイツ側へ流した。

HUMINTは情報を集める手段であると同時に、相手に偽情報をつかませる手段にもなる。

2003年のイラク戦争では、「カーブボール」と呼ばれた亡命イラク人の証言が問題になった。

彼は生物兵器を製造する移動式施設について証言したが、戦後、その証言には重大な虚偽があったことが明らかになった。

だからHUMINTでは、

「何を聞いたか」だけでは足りない。

誰から聞いたのか。

その人物は、それを知り得る立場にいたのか。

なぜ話したのか。

そこまで評価しなければならない。

人から情報を得るとは、人を評価することでもある。


第九章 それでも人間から情報を取る

では、技術が進歩すればHUMINTはいらなくなるのだろうか。

偵察衛星、IMINTは地上の動きを宇宙から捉える。

SIGINTは無線や携帯電話、データ通信などから部隊の位置や指揮系統を探る。

インターネットの普及によってOSINTも飛躍的に発達した。

ウクライナ戦争では、これらの情報が大きな役割を果たしている。

ベリングキャットは、SNSの写真や動画、衛星画像、公開データなどを組み合わせ、マレーシア航空17便撃墜事件やナワリヌイ氏毒殺未遂事件などを追跡した。

「そこまで分かるなら、危険なスパイはいらないのではありませんか」

私は尋ねた。

男は笑った。

「そう考える人は少なくありません」

しかし、衛星は部隊の動きを映せても、最高指導者がなぜその決断をしたのかまでは映せない。

通信を傍受しても、そこで本音を語っているとは限らない。

公開情報をいくら集めても、まだ誰も決めていない未来は映らない。

「能力は見える。しかし、意図は見えない」

私が言うと、男はうなずいた。

どれほど技術が発達しても、人間の意思決定へ近づくために、人間という情報源はなくならない。

ただし、その基盤は簡単には作れない。

現地の言葉を覚える。

文化を知る。

宗教を知る。

歴史を知る。

その土地で暮らし、人と信頼関係を築く。

それには何年、何十年という時間がかかる。

日本にも、福島安正や明石元二郎のような情報員がいた。陸軍中野学校も存在した。しかし、戦後、そうした対外HUMINTの基盤は途絶えた。

ドラマ『VIVANT』のような世界を想像するのは簡単だが、現実のHUMINTはもっと地味である。

言葉を覚え、人と会い、信頼を積み重ねる。

日本の商社が海外で長年築いてきた人的ネットワークや、JICA海外協力隊のように現地社会へ入り、人々と生活を共にしてきた経験も、その意味では重要な人的資産になる。

もちろん、彼らは諜報員ではない。

HUMINTをスパイ活動だけに閉じ込める必要もないのである。

男は言った。

「HUMINTとは、人を知り、人を理解し、人から学ぶことなのです」

秘密情報だけがHUMINTではない。

地域を知る。人を知る。日々の小さな情報を集める。

その積み重ねから、公開情報だけでは見えない変化や兆しが見えてくる。


終章 情報の向こう側を見る

新宿無番地の洋館へ通い始めて、ずいぶん時間がたった。

その日、男は一枚の新聞記事を私の前に置いた。

『中国、A国の港湾整備を支援』

中国政府がA国の主要港湾の近代化を支援すると発表し、中国側は「両国の友好関係を深め、A国の経済発展に貢献する」と説明している。A国政府も歓迎しているという内容だった。

「どう思いますか」

「中国とA国の関係は良さそうですね。港が近代化されれば、A国の経済発展にもつながるでしょう」

男は何も言わない。

私は、もう一度記事を読んだ。

「ただ……この記事は、中国政府とA国政府の発表を中心に書かれていますね」

男が少し笑った。

「そこに気づきましたか」

そして、もう一枚の紙を差し出した。

A国のローカル新聞だった。

『中国の港湾支援に地元で警戒感』

野党が、事業の詳しい契約内容が明らかにされていないとして政府へ説明を求め、中国企業が港湾周辺の物流施設へ進出するとの報道もある。

二つの記事を並べると、同じ出来事とは思えないほど印象が違う。

「どちらが正しいと思いますか」

私は少し考えた。

「まだ分かりません」

最初の記事では、中国による経済支援という姿が見える。しかし、それは両国政府の説明である。

二つ目の記事では、中国に別の目的があるようにも見える。しかし、それも野党や地元の一部の見方である。

「では、何が分かりましたか」

「まず、情報源を確認します。そして、何が確認できる事実で、どこからが評価や推測なのかを分けたいです」

私は二つの記事をもう一度見た。

「それに、書かれていないことがあります」

「例えば?」

「この支援は無償なのか、融資なのか。誰が工事をするのか。完成した港を誰が運営するのか。契約条件はどうなっているのか。中国企業は本当に周辺へ進出しているのか。なぜ契約内容が明らかにされていないのか」

言いながら、自分でも少し驚いた。

記事に書いてあることより、書かれていないことが気になっていた。

「中国が純粋な善意だけで支援しているとも断定できません。しかし、A国を利用するためだとも、まだ断定できません。ただ、次に何を調べればよいのかは見えてきました」

男はうなずいた。

「最初の日の君なら、どう答えたでしょうね」

「『中国がA国を援助する。いい話ですね』で終わったかもしれません」

「二つ目の記事を読んだら?」

私は苦笑した。

「『やはり中国には裏がある』と言ったかもしれません」

男は静かに言った。

「どちらも、目の前に出された情報に反応しているだけです」

その言葉を聞いて、私は最初の日の階段を思い出した。

あのときも、私は確かに階段を見ていた。

しかし、何も見ていなかった。

今は少し違う。

誰が発信したのかを見る。

何が事実なのかを考える。

評価や推測と区別する。

一つの情報源だけで判断しない。

何が分かり、何が分からないのかを分ける。

そして、書かれていないものを見る。

そこから、次の問いを立てる。

男は立ち上がり、窓の外を見た。

「世の中には情報があふれています。新聞、テレビ、インターネット、SNS。しかし、たくさんの情報を知っていることと、インテリジェンスを持っていることは同じではありません」

私は黙って聞いていた。

「誰が言っているのか。何が事実なのか。どこからが評価や推測なのか。何が分かっていて、何が分かっていないのか。そして、何が書かれていないのか」

男は振り返った。

「さらに重要なのは、何を知りたいのかです。問いが変われば、見るべき情報も、使う情報源も変わります」

私は、これまでの授業を思い返した。

見ているつもりになるな。

万物これ悉く我が師なり。

情報を見る前に、情報源を見よ。

問いが情報源を決める。

OSINTは重要だが万能ではない。

SECRETとMYSTERYは違う。

HUMINTでは、情報だけではなく人そのものを評価する。

別々の話だと思っていたものが、一本につながった。

「先生。ようやくインテリジェンスというものが、少し分かってきた気がします」

男はうなずいた。

「そうですね。最初の頃よりは、ずいぶん見えるようになりました」

「ずいぶん、ですか」

「まだ入口ですから」

私は笑った。

男は机から新しいノートを一冊取り出し、私の前に置いた。

「これまでは、インテリジェンスを見るための思考を教えてきました。しかし、実際の仕事では、目の前に都合よく二枚の新聞記事が置かれているわけではありません」

私は真っ白なノートを開いた。

「何を知る必要があるのかを明らかにする。必要な情報を集める。集めた情報を評価し、分析する。そして、判断に役立つインテリジェンスを作り、それを必要とする人に報告する。もちろん、その情報や活動を守ることも必要です」

「それが、次の授業ですか」

男はうなずいた。

「ここまでで、君もインテリジェンスがどのようなものかは理解したでしょう」

「はい」

「では、次の段階へ進みましょう」

男は私の前の白いノートを指した。

「これまでは、情報をどう見るかを教えてきました」

そして、少し間を置いた。

「次は、情報からインテリジェンスをどう作るかを教えましょう」

私は鉛筆を手に取った。

どうやら、新宿情報学校の授業は、まだ始まったばかりらしい。

§ § §

ここは新宿無番地。表には出ないが、消えることもない。

ここでは、知識は教えない。

見方を教える。

――『新宿情報学校 インテリジェンス思考術』完

次講「インテリジェンス業務術」へ

『旅はインテリジェンス』

――中央アジアから世界を読む

はじめに   

旅はインテリジェンスだった

旅とは何でしょうか。

多くの人は、美しい景色を眺め、美味しい料理を味わい、その土地の文化に触れることを思い浮かべるでしょう。もちろん、それも旅の大きな魅力です。

しかし、私にとって旅には、もう一つの意味があります。

旅とは、その国を理解するための情報収集活動です。

私は長年、防衛省や民間企業でインテリジェンスの仕事に携わってきました。情報を集め、その信頼性を評価し、背景を分析し、未来を考える。それが私の仕事でした。

その習慣は、旅先でも自然と現れます。市場へ行けば、人々が何を買い、何を食べているのかを見ます。駅へ行けば、誰が地下鉄を造り、どのような思想で設計したのかを考えます。歴史遺産を訪れれば、単に古い建物として眺めるのではなく、その国は何を誇り、何を後世へ伝えようとしているのかを考えます。

旅先で見えるものは、氷山の一角にすぎません。その背後には、歴史があり、地理があり、政治があり、経済があり、人々の価値観があります。目に見えないものを考えることこそ、インテリジェンスの出発点なのです。

今回訪れた中央アジアは、まさにそのことを実感させてくれる地域でした。シルクロードの交差点として栄えた都市。ティムール帝国の栄光。ソ連が残した都市とインフラ。静かに広がる中国の経済的影響力。

そして、独立国家として未来を模索するウズベキスタンとタジキスタン。日本ではあまり報道されない地域ですが、現地を歩くと、世界の大きな流れが凝縮されていることに気づきます。

もっとも、現地へ行ったからといって、その国のすべてが分かるわけではありません。旅で見えるものは断片です。現地で得た印象だけで結論を出すことは、インテリジェンスでは最も戒められることでもあります。だからこそ、現地で見たことを、歴史や統計、地図、国際情勢と照らし合わせながら考える必要があります。

この本は、単なる旅行記ではありません。中央アジアを歩きながら、「国家とは何か」「歴史とは何か」「情報とは何か」、そして「未来をどう読むべきか」を考えた記録です。旅行の思い出を書き残すことが目的ではありません。旅先で得た小さな気づきから、より大きな世界の構造を読み解こうとした、その思考の過程を残したいと思いました。

もしこれを読み終えたあと、「旅を見る目」が少しでも変わるなら、これほど嬉しいことはありません。

さあ、一緒に中央アジアを歩いてみましょう。

旅が教えてくれた10のこと

  1. 地図は現実ではない。
  2. 現地へ行っても真実は分からない。
  3. 一次情報だけでも危険である。
  4. 歴史は現在の中に生きている。
  5. 国家は物語によって支えられる。
  6. 中国は企業を通じても影響力を広げる。
  7. ソ連はインフラによって歴史を残した。
  8. 情報源と情報は分けて評価する。
  9. 小さな変化が未来をつくる。
  10. 旅はインテリジェンスである。

第1章 旅立ち

情報の空白を歩く

「中央アジアへ行ってきます」そう話すと、多くの人が少し驚いた表情を浮かべました。

「中央アジアですか」「珍しいですね」「何を見に行くのですか」

たしかに、日本人にとって中央アジアは決して身近な地域ではありません。ウズベキスタンやタジキスタンという国名は知っていても、地図のどこにあるのか、どのような歴史を歩み、現在どのような国なのかを説明できる人は多くないでしょう。

しかし、私にとって中央アジアは以前から気になる地域でした。古代にはシルクロードの交差点として東西文明を結び付け、中世にはティムール帝国が広大な版図を築きました。近代になるとロシア帝国、そしてソ連の支配を受け、独立後は中国、ロシア、欧米、トルコなど、多くの国々の思惑が交差する舞台となっています。

世界地図の中央に位置しながら、日本では驚くほど情報が少ない地域です。だからこそ、自分の目で確かめてみたいと思いました。

もちろん、現地へ行けば真実が分かるとは考えていません。むしろ、現地で見えるものは全体のごく一部に過ぎません。

インテリジェンスの世界では、一つの情報源だけで結論を出すことはありません。現地で見たことも数ある情報源の一つであり、それだけで判断することは危険です。

それでも、現地へ行かなければ分からないことがあります。街の空気、人々の表情、市場の活気、道路を走る車、駅の構造、建物の雰囲気。こうした小さな情報は統計やニュースには現れません。私は、それらの断片を拾い集めながら、この地域の現在と未来を考えてみたいと思いました。

今回の旅は、日本から韓国・仁川国際空港を経由してウズベキスタンの首都タシケントへ入り、そこから高速鉄道でサマルカンドへ向かいます。さらに陸路で国境を越え、山岳国家タジキスタンを訪れ、再びウズベキスタンへ戻るという日程です。

決して豪華な旅行ではありません。鉄道に乗り、地下鉄を歩き、市場を巡り、ときには白タクと値段交渉をしながら、人々の日常の中へ入っていきます。

旅行前には、航空券、ホテル、鉄道、高速バスをインターネットで予約しました。『地球の歩き方』をはじめ、何冊もの旅行ガイドを読み、YouTubeで現地の映像を見て、SNSから旅行者の体験談も集めました。eSIMも準備し、地図アプリも使えるようにしました。

20年前とは比べものにならないほど、多くの情報を日本にいながら手に入れられます。しかし、それでも現地へ行かなければ分からないことは数多く残ります。情報とは、現実そのものではありません。現実を理解するための入口です。その入口を通り、自分の目で確かめ、考えることに旅の価値があります。

飛行機の窓から日本列島がゆっくりと遠ざかっていきます。これから私が向かう中央アジアは、長い歴史を持ちながら、日本人にはまだ遠い存在です。この旅で、私は何を見るのでしょうか。そして、その風景から何を読み取ることができるのでしょうか。

そんな期待を胸に、私は中央アジアへ向かいました。旅とは、目的地へ向かうことではない。問いを持って歩き始めることなのである。

第2章 シルクロードの十字路

歴史はなぜ、この地を選んだのか

成田空港を飛び立った飛行機は、韓国・仁川国際空港を経由して、ようやくウズベキスタンの首都タシケントへ到着しました。中央アジアという言葉は知っていても、日本人にとってその距離感はあまり実感がありません。

しかし、飛行機を降りた瞬間、乾いた空気と強い日差しに包まれ、「本当に中央アジアまで来たのだ」と実感しました。翌日から本格的な旅が始まります。

最初に向かったのは、タシケント駅です。ここから高速鉄道「アフロシヨブ号」に乗り、古都サマルカンドへ向かいます。

日本の新幹線ほど高速ではありませんが、車内は快適で、広い平原の中を静かに走り続けます。車窓から見える景色は、どこまでも続く大地でした。日本のように山が迫る風景ではありません。

広大な平原の中に、ときおり町が現れ、また何もない大地が続きます。その景色を眺めながら、私は一つの疑問を考えていました。

なぜ、この場所が世界史の中心だったのだろうか。

§§

日本で「シルクロード」と聞くと、砂漠をラクダの隊商が歩く姿を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、現地へ来ると、その印象は少し変わります。シルクロードとは一本の道ではありません。中国、西アジア、ヨーロッパを結ぶ無数の交易路の総称です。

その交差点にあったのが、サマルカンドでした。東から来た絹。西から来たガラス。南から運ばれた香辛料。北から届く毛皮。さらに宗教、技術、文化、思想までもが、この地で交わりました。

人だけではありません。情報もまた、この道を通って運ばれていたのです。私は長年インテリジェンスを研究してきました。そう考えると、シルクロードとは単なる交易路ではなく、世界最大の情報ネットワークだったと言えるのかもしれません。

商品を運ぶ商人は、市場の情報も運びます。外交使節は他国の情勢を持ち帰ります。巡礼者は宗教だけでなく、人々の暮らしや政治の噂まで伝えます。現代ならインターネットが担う役割を、当時は人が歩いて果たしていたのです。

§§

サマルカンドへ到着すると、その理由が少し分かりました。この町は偶然栄えたのではありません。東西南北から人が集まる場所だったからです。豊かな水があり、農業ができる。交易の中継地になる。異なる民族が共存できる。地理が、この町を歴史の舞台へ押し上げたのです。

その後、アレクサンドロス大王が訪れ、モンゴル帝国が征服し、ティムールが帝国を築きました。支配者は変わっても、この場所の価値は変わりませんでした。歴史とは、人間だけがつくるものではありません。

地理もまた、歴史をつくるのです。

§§

現在の中央アジアは、一見すると世界の表舞台から遠い地域のように見えます。しかし、地図を広げると、その見方は変わります。北にはロシア。東には中国。南にはアフガニスタンやイラン。西にはカスピ海を経てヨーロッパがあります。まさにユーラシア大陸の結節点です。

だからこそ、昔は隊商が行き交い、現在は鉄道、高速道路、天然ガスのパイプライン、通信網が交差しています。運ばれるものが絹からデータへ変わっても、この地域が「結節点」であることは変わっていません。

シルクロードは終わったのではありません。形を変えて、今も続いているのです。そのことに気付いた瞬間、私の中で今回の旅は、単なる観光ではなくなりました。私は世界遺産を見に来たのではありません。歴史の流れの中に立ち、この地域が持つ意味を考える旅を始めていたのです。

本章の視点

シルクロードは一本の道ではない。

人・物・情報が交わる場所こそが、歴史を動かしてきたのである。

第3章 国境を越える

地図の線と、人々の暮らし

サマルカンドを離れ、私たちはタジキスタンへ向かいました。今回の旅で、私が最も楽しみにしていた行程の一つです。中央アジアの国境を陸路で越える機会は、それほど多くありません。飛行機で国境を越えることはあっても、実際に検問所を歩き、一つの国から別の国へ入る経験は、国境という存在を強く意識させます。

日本では国境を日常的に意識することはありません。島国である日本では、外国へ行くには飛行機か船しかありません。しかし、ユーラシア大陸では国境は生活の延長線上にあります。道路はそのまま国境へ続き、人々は仕事や買い物、親族の訪問などのために行き来しています。

私たちも車を降り、荷物を持って国境施設を歩きました。出国審査を終え、数百メートルほど歩くと、今度はタジキスタンの入国審査です。

地図の上では一本の線にすぎない国境ですが、実際に歩いてみると、その一本の線が国家を分けていることを実感します。国旗が変わり、制服が変わり、法律が変わります。しかし、その一方で、国境の両側に暮らす人々の日常は大きく変わらないようにも見えました。

インテリジェンスの世界では、国家という単位で物事を考えることが少なくありません。しかし、現場に立つと、国家と人々の暮らしは必ずしも同じではないことに気づきます。

国境は国家が引いた線です。一方、人々の生活は、その線だけで簡単に区切れるものではありません。

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タジキスタンへ入ると、最初に立ち寄ったのは地元のバザールでした。野菜、果物、穀物、香辛料、肉、乳製品、生活用品。市場には、人々の日常がそのまま並んでいました。多少雑然とした印象はあり、ハエも飛んでいましたが、不衛生というほどではありません。

数年前に訪れたベトナムの市場と、どこか似た雰囲気です。ガイドによれば、輸入品もありますが、多くは国内で生産されたものだそうです。

農業国らしく、食料は豊富に見えました。観光客向けに整えられた市場ではありません。そこには、この国の人々の暮らしそのものがありました。

統計では分からない生活の匂いがあります。これもまた、現地へ来なければ得られない情報でした。

本章の視点

国境は国家を分ける。

しかし、人々の暮らしは、その一本の線だけでは語れない。

第4章 7つの湖

現地を見るということ

私たちは7つの湖を目指して山道を進みました。タジキスタンは国土の九割以上を山岳地帯が占める国です。中央アジアというと、広大な砂漠や草原を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、この国では険しい山々が次々と姿を現します。

道は次第に細くなり、谷は深くなり、山肌にへばりつくように道路が続いていました。ところどころで山羊の群れが草を食み、小さな集落では子どもたちが笑顔で手を振ってくれます。

観光地というより、人々の日常の中を旅している感覚でした。

§§

途中、二本の川が合流する場所で車が止まりました。一方は黄土色に濁り、もう一方は赤みを帯びています。

ガイドは、

「鉱山開発の影響でしょう。」と説明しました。

その一言で、私の頭の中には別の風景が広がりました。タジキスタンは豊富な水資源を持ち、水力発電でも知られています。さらに金や銀、アンチモンなどの地下資源にも恵まれています。ソ連時代には国家主導で開発が進められ、独立後には英国企業が参入しました。

しかし採算や労働環境の問題もあり、多くは撤退しました。現在、この地域で存在感を強めているのは中国企業です。

静かな山あいの風景を見ながら、世界経済の流れを考えていました。インテリジェンスとは、目の前の風景だけを見ることではありません。その風景の背後にある構造を考えることなのです。

§§

さらに山奥へ進んだところで、突然ワゴン車が止まりました。凸凹道で車体の下をぶつけ、動けなくなってしまったのです。運転手は車の下にもぐり込みます。山羊は何事もなかったように草を食べています。

私たちは別の車が来るまで待つことになりました。しばらくしてガイドが笑顔で言いました。

「一つ目の湖までは10分くらいです。歩きましょう。」

しかし、その「10分」は30分近くかかりました。ようやく湖へ着くと、子どもたちが夢中になって水遊びをしています。自然の中で遊ぶ子どもの姿は、日本でもタジキスタンでも変わりません。

予定どおりに進まない。それでも何とかなる。そんなおおらかさも、この国の魅力なのでしょう。

§§

その後、新しい車へ乗り換え、7つの湖を巡りました。切り立った断崖の脇を車が進みます。片側は崖。対向車が来れば、どちらかが慎重に道を譲ります。日本なら通行止めになっていても不思議ではない道です。

私は内心ひやひやしていました。しかし運転手は落ち着いた表情でハンドルを握り、乗客も誰一人騒ぎません。長年、この道を走ってきた経験があるのでしょう。経験とは、時として設備以上の安全を支えるものなのかもしれません。

やがて最後の湖へ到着しました。そこには土産物屋もありません。粗末なトイレがあるだけです。子どもたちが手作りの小物を持ってきて、「買って」と声を掛けます。大規模な観光開発は行われていません。だからこそ、この風景は美しいのでしょう。

§§

帰国してから、私は伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読み返しました。そこには、こんな言葉があります。

「偏見を得ようとするなら、旅行するにしくはない。」

さらに伊丹は、外国の印象とは、ガソリンスタンドの店員の態度やホテルの壁紙、税関で待たされた時間といった、実に些細な出来事によって決まってしまうものだ、と書いています。

まさに、その通りだと思いました。現地へ行くことは重要です。しかし、現地で見たことだけで、その国を理解したと思ってはいけません。

これは旅行だけではありません。海外メディアのルポルタージュも同じです。案内役が見せたい場所だけを見て、その国全体を語ってしまう危険があります。

ロシア・ウクライナ戦争でも、現地取材は重要です。しかし、それだけで戦争全体を理解できるわけではありません。現地観察は分析の出発点であって、結論ではないのです。歴史、統計、地理、経済、そして現地で得た情報。それらを重ね合わせて初めて、その国の姿が少しずつ見えてきます。

7つの湖で私が見たものも、タジキスタンという国のほんの一部にすぎません。しかし、その断片があったからこそ、この国の未来を考えることができました。

本章の視点

現地を見ることは重要である。

しかし、現地だけを見て結論を出してはならない。

旅とは、見たものを歴史や地理、統計と重ね合わせ、世界を読み解く営みなのである。

第5章 星を測った王

未来は予測できるのか

サマルカンドを歩いていると、ティムールの存在を至るところで感じます。ティムール像が立ち、ティムール廟があり、博物館には彼の生涯が展示されています。しかし、この町が世界史に残したものは、軍事的な栄光だけではありません。

その孫、ウルグ・ベクが築いた「知の帝国」もまた、サマルカンドを特別な都市にしています。

§§

ウルグ・ベクは十五世紀前半、サマルカンドに巨大な天文台を建設しました。当時としては世界最高水準の観測施設であり、望遠鏡もない時代に、星の位置を驚くほど正確に測定しました。彼が作成した『ウルグ・ベク天文表』は、その後長くヨーロッパでも利用されるほど高い精度を誇っていました。

現地を訪れると、その巨大な観測施設の跡が静かに残されています。ここで500年以上前、人々は夜空を見上げながら宇宙の法則を解き明かそうとしていました。私は、その事実に強い感銘を受けました。

§§

古代から人類は未来を知りたいと願ってきました。天候はどうなるのか。収穫はどうなるのか。戦争は勝てるのか。国家は滅びるのか。そのため、人々は神託を求め、占いを行い、星の動きを読みました。しかし、それらの多くは神意に未来を求める営みでした。

一方、ウルグ・ベクが目指したのは違います。彼は、星は神秘ではなく、観測によって法則を見いだせる対象だと考えました。

未来を知るためには、まず正確な事実を積み重ねなければならない。その姿勢は、近代科学の精神そのものです。

§§

このことを考えたとき、私は韓国時代劇『善徳女王』を思い出しました。ドラマの中で、ミシルは暦や天文現象を巧みに利用し、人々に「天の意思」を示すことで政治的な権威を築いていました。暦を持つ者は、未来を知る者であり、未来を語る者は、人々を動かす力を持ちます。歴史の中で、天文学と政治は決して無関係ではありませんでした。

しかし、ウルグ・ベクが示したのは、それとは少し違う道でした。神秘ではなく観測。信仰ではなく測定。権威ではなく知識。未来は祈るものではなく、理解するものでもあるという発想です。

§§

もちろん、未来を完全に予測することはできません。現代でも、株価も国際情勢も、感染症も、すべてを言い当てることは不可能です。しかし、だからといって予測を諦めるわけにはいきません。

インテリジェンスとは、未来を当てる技術ではありません。現在までに得られた事実を分析し、起こり得る未来を論理的に考える営みです。その意味では、ウルグ・ベクが星を観測した姿勢と、現代のインテリジェンスには共通点があります。

どちらも願望ではなく事実から出発そして、不確実な未来に対して、少しでも確かな判断材料を得ようとするのです。

§§

現在、私は2040年を見据えたシナリオ・プランニングの研究に取り組んでいます。未来は一つではありません。複数の可能性を考え、その兆候を探し続けることが重要です。

サマルカンドの丘で星を測ったウルグ・ベクも、おそらく同じように夜空を見上げていたのでしょう。未来を知りたい。その人類共通の願いは、600年の時を超えても変わりません。

そして私は、この天文台跡で改めて思いました。未来は神秘によって読むものではありません。事実を積み重ね、背景を分析し、論理によって考えるものなのです。それは、現代のインテリジェンスにも通じる普遍的な姿勢なのだと思います。

本章の視点

未来は、神意によって示されるものではない。

事実を観測し、背景を分析し、論理によって考え続ける者だけが、未来に近づくことができる。

第6章 静かな中央アジアで進む中国の浸透

見えているものの、その向こう側

サマルカンドでの滞在を終え、私は再びタシケントへ戻ることにしました。往路は高速鉄道を利用しましたが、帰路は少し違う方法を試してみようと思いました。

ホテルからタシケントまで送迎付きの高速バスです。予約は、日本にいる間に「12Go」という旅行予約サイトで行いました。東南アジアや中央アジアでも利用者が多く、日本語にも対応しています。往路の高速鉄道も、このサイトを利用して問題なく予約できました。そのため、私は自然に「この会社なら安心だ」と考えていました。

しかし、その判断が思わぬ勘違いにつながりました。

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予約画面には、高級なワゴン車の写真が掲載されていました。料金は高速鉄道の3倍近くします。私は当然、ホテルからタシケントまで快適な専用車で移動するサービスだと思い込みました。

ところが実際は違いました。ホテルからサマルカンド駅までは古い送迎車。そこから中国系企業が運行する高速バスへ乗り換え、タシケントまで向かうという内容でした。

あとで調べると、高速バスそのものの運賃は、日本円にして1000円もしません。私はサービスの内容を十分確認せず、写真と価格だけから勝手なイメージを作っていたのです。

もちろん、予約サイトが嘘を書いていたわけではありません。誤ったのは私自身でした。情報を見ていたつもりで、実際には自分の思い込みを見ていたのです。

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帰国後、予約サイトからサービス評価を求めるメールが何度か届きました。私は最低評価を付けました。

すると返事が届きます。

「ご期待に沿えなかったことは申し訳ありません。しかし、実際の送迎や運行は現地エージェントが担当しています。その点をご理解ください。」

その文章を読んだ瞬間、私は自分の失敗の本質に気づきました。私が見ていたのは「12Go」という予約サイトだけでした。しかし、実際に現場を動かしていたのは、その背後にいる現地エージェントだったのです。

予約画面には現れない存在。しかし、本当にサービスを提供していた主体です。インテリジェンスの世界では、このような構造は珍しくありません。表に見える組織と、実際に動いている組織は必ずしも一致しないのです。

企業でも、政府でも、軍隊でも同じです。表に見える情報だけを見ていると、本当に重要な主体を見落としてしまいます。

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では、旅行者は何を確認すべきだったのでしょうか。私は、12Goという予約サイトの信頼性ばかり調べていました。しかし、本当に調べるべきだったのは、実際に運行する会社はどこなのか。どのような車両を使っているのか。利用者はどのような評価をしているのか。乗り換えはあるのか。そうした現場の情報でした。

こうした情報は、公式サイトだけでは十分に分かりません。そこで役に立つのが、旅行者のSNSや旅行ブログ、口コミです。もちろん、一人の体験談だけを信じることはできません。しかし、複数の利用者の経験を照合すれば、公式情報だけでは見えない現場の姿が浮かび上がります。

インテリジェンスでも同じです。一つの情報源だけではなく、複数の情報源を照合することによって、初めて全体像が見えてきます。

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高速バスはサマルカンドからタシケントへ向かう高速道路を走り続けました。車窓には物流センターがあり、工場があり、大型トラックが行き交っています。その風景を見ながら、私は今回の旅を思い返していました。

タジキスタンでは、中国企業が鉱山開発を進めているという話を聞きました。高速バスも中国系企業が運行していました。道路、物流、通信、観光サービス。一つ一つを見れば、どれも民間企業による経済活動です。

しかし、それらを地図の上で結んでみると、一つの大きな流れが見えてきます。中国と中央アジアを結ぶ経済ネットワークです。これが現在の一帯一路なのかもしれません。

軍隊が進出しているわけではありません。国旗が立っているわけでもありません。企業が入り、道路を造り、物流を支え、鉱山を開発する。静かな浸透です。だからこそ、その変化はニュースになりにくく、多くの人の目にも留まりません。

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国際社会の関心は、戦争や紛争へ向かいます。ウクライナ。中東。台湾海峡。しかし、世界は戦争だけで変わるわけではありません。

企業が一社進出する。道路が一本造られる。鉱山の権益が移る。その小さな変化が積み重なったとき、10年後、20年後には地域全体の勢力図を変えていることがあります。

インテリジェンスとは、大事件を解説する仕事ではありません。誰も注目しない小さな変化を拾い集め、その先にある未来を考える仕事です。高速バスの車窓から見えた風景も、私にとっては単なる移動時間ではありませんでした。静かな中央アジアで進む中国の存在を考える、もう一つの教室だったのです。

本章の視点

インテリジェンスとは、見えているものを分析することではない。

見えているものの背後で動く主体と、その構造を読み解くことである。

第7章 地下鉄に残るソ連、地上で始まる未来

ウズベキスタンはなぜ中央アジアの雄なのか

旅も6日目を迎えました。

タシケントからサマルカンドへ高速鉄道で移動し、タジキスタンの山岳地帯を巡り、再びタシケントへ戻ってきました。この日は地下鉄を利用して、市内の博物館やチョルスー・バザール、ティムール広場などを歩きました。

ティムール像が立つ広場の近くには、旧ソ連時代を象徴する巨大なホテル・ウズベキスタンがそびえています。街を歩いていると、イスラム文化、シルクロード、ティムール帝国、ソ連、そして独立国家ウズベキスタンという、異なる時代が一つの都市の中に重なり合っていることに気づきます。

その中でも、私の印象に最も残ったのは地下鉄でした。

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タシケント地下鉄は、1977年に開業した中央アジア最初の地下鉄です。駅ごとに異なる装飾が施され、大理石の柱やシャンデリア、モザイク画が並びます。旧ソ連では地下鉄を単なる交通機関ではなく、「市民のための宮殿」と考えていました。その思想が、今もそのまま残っています。

私が宿泊していたホテルの最寄り駅は、「コスモナフトラル駅」でした。「宇宙飛行士たち」という意味です。

駅構内には深い青を基調とした装飾が広がり、宇宙空間を思わせる幻想的な雰囲気があります。壁には、ユーリ・ガガーリンやワレンチナ・テレシコワなど、ソ連の宇宙開発を支えた人々の姿が描かれていました。

宇宙開発は、ソ連が世界に誇った国家プロジェクトです。科学技術の成果であると同時に、社会主義国家の威信を世界へ示す象徴でもありました。

毎日この駅を利用する市民は、通勤や通学のたびに、その物語と向き合うことになります。地下鉄は交通インフラであると同時に、国家が歴史を語る空間でもあったのです。

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ソ連は中央アジアを支配する中で、鉄道を敷き、都市を造り、教育制度を整え、現在の共和国の枠組みを築きました。タシケントは、その行政、産業、教育、交通の中心として発展します。

現在のウズベキスタンの国力は、決して独立後だけにつくられたものではありません。ソ連時代に築かれた社会基盤の上に成り立っています。

しかし、街を歩いていて感じるのは、「ソ連の遺産」の一言では語れない活力でした。若者たちがスマートフォンを手に歩き、新しいホテルが建ち、高層ビルの建設も進んでいます。歴史を保存するだけではなく、新しい国家を築こうとする意志が街全体から伝わってきました。

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では、なぜウズベキスタンは中央アジアの地域リーダーとして注目されるのでしょうか。理由は一つではありません。

古代から、この国はシルクロードの交差点でした。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァといった都市は、東西文明を結ぶ中継地として繁栄しました。交通の結節点には、人が集まり、文化が集まり、情報が集まります。その歴史的な蓄積が、現在の人口や都市の厚みにつながっています。

人口は4000万人に迫り、中央アジア最大です。国内市場であるだけでなく、労働力、消費力、人的資源という面でも大きな強みになります。

さらに、この国は中央アジアのほぼ中心に位置し、周辺すべての国と国境を接しています。北はカザフスタン、西はトルクメニスタン、東はキルギスとタジキスタン、南はアフガニスタン。物流、貿易、安全保障、外交。あらゆる面で、この地理は大きな意味を持っています。

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豊富な天然ガス、金、ウラン、銅などの地下資源もあります。しかし、私が最も重要だと思ったのは、それだけではありません。

この国には、自らの歴史を語る物語があります。ティムール帝国。サマルカンド。シルクロード。そして独立国家ウズベキスタン。これらを一つの国家の歴史として語ることができます。

国家は軍事力や経済力だけでは成り立ちません。共通の歴史があり、人々が共有できる誇りがあり、「私たちは何者なのか」を語る物語があります。それもまた、国力の一つなのです。

§§

2016年、ミルジヨーエフ大統領の就任によって、ウズベキスタンは閉鎖的な政策から経済開放へと舵を切りました。外国資本の導入。周辺国との関係改善。経済改革。それまで閉ざされていた市場が、世界へ向けて開かれ始めました。

世界的投資家ジム・ロジャーズ氏が、この国を将来有望な市場として注目しているという話も、決して偶然ではないでしょう。

彼が見ているのは、現在の経済規模ではありません。人口。地理。歴史。資源。そして改革。国力を構成する要素が、長期的な成長へ向かう条件を備えていると判断しているのです。

地下にはソ連の記憶が残っています。地上では、中国をはじめ世界各国の資本が入り、新しい都市がつくられています。そして、その両方を受け止めながら、自らの未来を築こうとしているのが、現在のウズベキスタンです。

シルクロードの交差点として栄え、ソ連時代には中央アジアの中核として発展し、独立後は改革によって新たな成長を目指す国家。私はタシケントの地下鉄を歩きながら、この国は過去に生きているのではなく、歴史を土台に未来を築こうとしているのだと感じました。その歩みは、まだ始まったばかりです。しかし、だからこそ、私はこれからのウズベキスタンに大きな可能性を感じています。

本章の視点

国家の未来は、過去を捨てることで生まれるのではない。

歴史を受け継ぎ、時代に合わせて新しい物語を築く国が、次の時代を切り開いていく。

第8章 旅はインテリジェンスだった

国境を越える世界、国家が残る世界

ウズベキスタンでの旅を終え、私は夜行便で韓国・仁川国際空港へ向かいました。成田行きの便までは約8時間あります。空港で待つことも考えましたが、せっかくなので空港鉄道に乗って仁川駅近くの中華街まで足を延ばすことにしました。

所要時間は1時間半ほど。十分に往復できる距離です。ところが、この旅で最後の思わぬ出来事が待っていました。

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列車の行き先表示は韓国語が中心で、初めて利用する私にはよく分かりません。乗り換え駅で近くの乗客にスマートフォンの地図を見せながら、

「仁川駅へ行くには、こちらですか。」と尋ねました。

その人は笑顔で、

「そうです。」というように教えてくれました。

私は安心して列車に乗りました。しかし、それは反対方向でした。結局、仁川駅へ着くまで3時間近くかかってしまいました。

実は、同じような経験をウズベキスタンの地下鉄でもしています。現地の人に道を尋ねると、多くの人は親切に教えてくれます。

しかし、その人が本当に知っているとは限りません。外国人に尋ねられれば、「分からない」と言うより、何とか答えようとしてくれるのでしょう。

もちろん悪意はありません。むしろ親切です。しかし、インテリジェンスの世界では、「善意」と「情報の正確性」は別に評価します。

この旅で、その基本を改めて実感しました。それ以降は、迷ったときには駅員を探し、公的な路線図を確認するようにしました。

帰りは駅前の観光案内所で詳細な路線図を受け取り、乗り換え駅でも駅員に確認しました。今度は予定どおり、1時間ほどで仁川国際空港へ戻ることができました。

§§

仁川駅前の中華街は、日本の横浜中華街とは少し違う雰囲気でした。華やかな観光地というより、どこか落ち着いた温泉街のような空気があります。朱色の建物が並び、中華街らしい景色ではありますが、どこか素朴で親しみやすい町でした。

短い滞在でしたが、それもまた旅の思い出になりました。

§§

今回の旅で、もう一つ印象に残ったことがあります。ウズベキスタンでは、行く先々で、

「ジャパン?」

と声を掛けられました。

「安倍総理が来たことを知っている。」

そんな話をしてくれた人もいました。

私は以前から、シベリア抑留者がタシケントの復興に尽力したことや、青年海外協力隊などによる長年の草の根交流によって、この国には親日的な感情があると聞いていました。しかし、実際に現地で受けた歓迎は、それ以上に温かいものでした。

一方、韓国では、列車で隣に座った男性が日本語で話しかけてきました。昔、日本企業で働いていたそうです。短い時間でしたが、日本での仕事や韓国の暮らしについて話が弾みました。

国家間には、歴史問題や政治的な対立があります。しかし、個人と個人が向き合えば、ごく自然に会話が始まります。

翻訳アプリも、その距離をさらに縮めてくれます。旅をしていると、政治とは違う、もう一つの国際社会が見えてきます。

§§

今回の旅行では、出発前からできる限り情報を集めました。航空券、ホテル、高速鉄道、高速バスは日本で予約し、『地球の歩き方』などの旅行ガイドも読みました。eSIMを購入し、地図アプリも利用しました。

20年前には考えられなかったほど、海外旅行は便利になっています。一方で、現地へ行かなければ分からないことも少なくありませんでした。

白タクは価格交渉が必要でした。ガイドブックの運賃は現地では違っていました。地下鉄の利用方法も変わっていました。配車アプリが思うように使えない場面もありました。

情報は出発点です。しかし、情報だけで現実を理解することはできません。現地で確認し、修正し、自分で判断する。

その積み重ねが旅なのだと思います。もっとも、十分な事前準備をしていたからこそ、現実とのギャップはそれほど大きくありませんでした。

情報収集は、決して無駄ではありません。むしろ、現場で正しく判断するための土台だったのです。

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私は現在、2040年を見据えたシナリオ・プランニングの研究に携わっています。今回の旅を通じて、一つの問いが頭から離れませんでした。

デジタル技術によって、人も企業も国境を越えて結び付く時代になりました。翻訳アプリが言葉の壁を低くし、インターネットが世界中の情報を瞬時に届けます。

一方で、旅をしていると国家という存在は決して消えていません。国境があり、法律があり、通貨があり、それぞれの国には異なる歴史と文化があります。

2040年の世界は、国家がさらに力を強めるのでしょうか。それとも、人や企業が国境を越えて結び付くトランスナショナルな世界へ向かうのでしょうか。

おそらく答えは、そのどちらか一方ではありません。国家という枠組みを維持しながら、人や企業、情報は国境を越えて結び付き、新しい国際社会が形づくられていくのでしょう。中央アジアの旅は、私に美しい風景だけではなく、その未来を考える「問い」を残してくれました。

§§

振り返れば、この旅で私がやっていたことは、長年携わってきたインテリジェンスの仕事と同じでした。情報を集める。その信頼性を評価する。現地で確認する。背景を分析する。そして、未来を考える。

旅とは、景色を見ることだけではありません。世界を理解し、自分の思い込みを修正し、新たな問いを見つける営みです。

私は、この8日間の旅を終えて、改めて確信しました。旅は、やはりインテリジェンスなのです。

本章の視点

旅は、知らない世界へ行くことではない。

自分が知らなかったことに気付き、問いを持ち帰ることである。

核保有発言をめぐる混乱をどう読むか

――「検討に値しない」という印象は、どこから来たのか

日本の核保有をめぐる発言に、中国や北朝鮮が強く反発しています。
国内でも、議論は一気に「是か非か」に引きずられているようです。

その中で、元首相の 石破茂 氏は、次のように述べています。

日本が核を持てばNPTやIAEAから出て行かないといけなくなる。
そうなれば、日本のエネルギーを支えている原子力政策が成り立たなくなる。
核抑止の意味は否定しないが、日本にとって決してプラスにならない。

一見すると、現実的で慎重な意見に見えますが、私はここには重要な論点の省略があるように思います。

1「核を持てばNPT・IAEAから出る」は法的必然か

まず事実関係を整理します。

核拡散防止条約 は、核保有国と非核保有国の双方が加盟する条約です。核兵器国とは1967年1月1日以前に核実験を行った国、すなわち米・露・英・仏・中です。

非核兵器国それ以外です。条文上、「途中で核を持った国は自動的に脱退しなければならない」という規定はありません。つまり、日本が核を持つ、自動的にNPT脱退という法的規定は存在しないのです。

同様に、国際原子力機関 も、核保有国・非核保有国の双方が加盟している組織ですが、問題となるのは核保有ではなく査察の受け入れです。IAEAの加盟国にも、核兵器国(米・中・露など)と非核兵器国両方が含まれています。

IAEAは、核を持っているかどうかではなく、どの査察協定を結んでいるかで関係が決まります。日本は現在、非核兵器国用の「包括的保障措置」を受け入れていますが、仮に核を持てば、この枠組みは変更が必要となりますが、IAEAから必ず「脱退」しなければならない、という制度はありません。

以上のように、核を持ったからといって、 NPT・IAEAから自動的に排除されるわけではありません。

また、石破氏の発言は、「国際社会が強く反発し、結果的に脱退せざるを得なくなる可能性」を断定形で語っており、ここに、最初の論理の飛躍があるように思います。

2. 原子力政策は「成り立たなくなる」のか

 石破氏の核心的な懸念は、原子力政策です。確かに、日本は現在、核燃料の国際調達、技術協力、国際的な信頼を、NPT・IAEA体制の中で成り立たせています。
この点は、否定できない事実です。

 しかし、問題は、どの国がどの分野、どの程度協力を停止するのか、石破氏の発言では具体像は示されていません。

「成り立たなくなる」という表現は、最悪ケースを前提にした政治的断言であって、実際の見通しを分析したものではでないと言えます。

3. 石破論理で数えられていないコスト

 一方で、石破氏の議論には、意図的に触れられていない要素があります。それは、
核を持たないことで日本が背負っている安全保障上のリスクです。

  • 核恫喝に対する非対称性
  • 抑止を同盟国の意思に依存する構造
  • 相手の計算に入りにくい脆弱性

石破氏自身、「核抑止の意味は否定しない」と述べています。ならば本来は、NPT・IAEAに残ることで得ている利益核抑止を持たないことで負っているリスク、この両方を並べて比較しなければならないのですが、報道を見る限り、実際には、「失うもの」だけが強調され、「持たないことの代償」は数えられていません。

4.問題は賛否ではなく、議論の潰し方

ここで、核を持つかどうかは、国会、国民的合意、国際調整を伴う、極めて重い政治判断です。当然に軽々に決められる話ではありません。

しかし、だからこそ、元首相がマスメディアで容易に使かっていただきたくない

話法があります。それは、「検討すれば制度が全部壊れる」「だから議論する意味がない」という語り方です。

これは前提や結論を先に置き、検討そのものを危険視させる話法です。結果として、核保有は、考えること自体が無責任という印象が作られます。

これは政策論ではなく、マスメディアに都合よく動かされ、元総理、現政権と距離のある政治家を利用した印象操作とも言うべきでしょう。

5. 本来あるべき問い

本来、石破氏の発言を受けて提示されるべき問いは以下のようなものでしょう。

  • NPT・IAEAに加盟し続けることで、日本は何を得ているのか。
  • 核保有を持つメリット、デメリットはいかなるものか
  • 核保有を持たないことのメリット、デメリットはいかなるものか
  • 両者を比較したとき、日本にとってどちらが重いのか
  • 核抑止にかわる安全保障政策や外交はどのように日本の繁栄や防衛に貢献するのか

この問いに答えず、「プラスにならない」と断じる発言は、議論を終わらせる行為です。

石破氏の発言が問題点は、法制度と政治的可能性を混同し、最悪ケースを前提に断定し、比較を示さず結論だけが語られたという論理の省略にあります。

核保有を選ぶかどうかは、別の問題です。だが、検討に値しない悪手だと印象づける語り方は、元首相の言葉として、印象操作が過ぎると重います。

6.核兵器保有発言への反論

高市政権の側近が「核保有は現実的ではないが、核を保有することに賛成」の旨発言して、オフレコでもあるのにかからずマスメディアが報道し、国内のリベラル派や中国、北朝鮮の反発を招いています。逆に多くの国民が核保有を議論するきっかけとなり、SNSなどでは核保有を支持する意見も増えているように見受けられます。

核兵器保有発言には必ずといってよいほどよく用いられる反論があります。

「日本は唯一の被爆国だ」

「平和国家の地位を捨てるべきではない」

「核を持てば国際原子力機関(IAEA)から脱退する悪手になる」

ここで、次のことを問う必要があります。それらは、「日本の安全をどこまで守ってきたのか。」という問いです。さらに深堀するためには次の問いも必要です。

「被爆国という立場は、核軍縮を進めただろうか。」

「平和国家という自己規定は、中国や北朝鮮の軍拡を止めただろうか。」

「IAEA体制は、核恫喝を受けたとき日本を守るだろうか。」

被爆国家、平和国家には象徴的な価値はありますが、抑止力として機能しているかは別問題なのです。

核保有国は他国の核保有を嫌います。自分たちだけが持つ「優位」が崩れるからです。だからこそ、中国と北朝鮮の過剰反応は、この兵器の政治的効用を証明しています。

つまり、核を保有を議論するだけでも相手に考えさせる力を持ちます。

核を持たないことで得ている利益、核を持たないことで負っているリスク、この二つを、国民が同じ土俵で検討したことはありません。

高市政権の側近による核保有発言をきっかに一度しっかり論議すべきではないでしょうか。

議論を始める前に、議論を終わらせてはいけないのではなかいと思います。

布教の終焉と認知戦の時代

―語りからアルゴリズムへ

近ごろ、人が「信じる」あり方が大きく変わってきたと感じます。かつて人は、物語を聞き、時間をかけて納得し、信念を育てていきました。宗教の布教も政治の支持も、語り手と聞き手が関係を築きながら、体験を共有して信じる力を育てるものでした。そこには時間の厚みと、人の温度がありました。

しかし、現代の情報空間ではそれが失われつつあります。SNSや動画が流れるスピードは、言葉よりも速く感情を動かします。現代の「認知戦」は、まさにこの特性を前提にしています。狙うのは“納得”ではなく“反応”です。注意を奪い、感情を揺さぶり、行動を誘導する。アルゴリズムの仕組みが、この瞬間的な「反応」の連鎖をさらに増幅させています。

一方で、説話の時代における布教は、まったく逆の構造をもっていました。北ベトナムの説話による思想浸透や、宗教の布教のように、人々は物語を通じてゆっくりと納得し、共同体の中で信念を共有していきました。文字よりも声、感情を共にする時間が信仰を形づくったのです。

では、サイバー空間において布教は可能なのでしょうか。

オンラインでは、語り手と聞き手の関係性が希薄になり、説話の「身体性」は失われます。けれども、連続したストーリーテリングやコミュニティ形成によって、信頼や共同幻想を再現する動きも見られます。陰謀論の拡散や、熱狂的な政治支持層の形成などは、まさにデジタル時代の「新しい布教」と言えるかもしれません。

現代日本に目を向けると、政治の世界でも「説話から認知へ」の流れがはっきり見えます。

かつての公明党は、創価学会という共同体の中で体験を語り合い、人と人の関係を通じて支持を広げてきました。これは説話の構造をもった政治活動でした。

一方、参政党はSNSを駆使して共感や“気づき”を拡散します。支持は人間関係ではなく情報空間で形成され、短期間で信念が生まれる。説得ではなく「覚醒」を促す形です。ここにはまさに、布教から認知戦への転換が見て取れます。

宗教がICT環境に適応しにくいのは、この変化にあります。説話や納得、信頼の積み上げを前提とする布教は、即時的な情報の洪水には向きません。だからこそ信仰人口は減り、共同体は細りつつあります。

しかし、イスラム過激派のように、宗教的物語を認知戦に転化させた例もあります。映像や音楽を使い、怒りや使命感を刺激し、瞬時に人を動かす。そこでは「信じる」よりも「反応する」が優先されます。

布教の終焉とは、単に宗教の衰退を意味するのではありません。

人が物語によって納得し、他者との関係の中で信じていくという、人間の学習の形そのものが変わりつつあるということです。説話の時代が終わり、アルゴリズムの時代が来た。

人はもはや「教えられて」動くのではなく、「感じ取って」動く。

信仰も、思想も、そして政治も――反応の時代の中で再び形を変えています。

医薬品とは何か――税と広告に囲い込まれた「健康」の幻想

確定申告の季節に考えます


確定申告の時期に思う「医療控除」のからくり

年末が近づくと、医療費控除やセルフメディケーション税制の話がよく出てきます。政府は「自分の健康は自分で守りましょう」と呼びかけ、市販薬にも税の優遇があるように見えます。多くの人が「薬を買えば税金の保護を受けられる」と思っているのではないでしょうか。私もその一人でした。

歯茎の炎症にビタミンDを、頻尿に八味地黄丸を飲みました。どちらも医薬品ですし、治療のつもりでした。だから10万円を超えれば、その額が控除されると信じて、領収書を集めていました。ところが確定申告では、これは「治療」とは認められませんでした。医薬品であるかどうかより、「治療のために使われたか」が判断の基準になるのです。医師の処方がなければ、原則として医療費控除の対象外です。市販の風邪薬の一部は例外として認められることもあるようですが、限られています。
――学んだことはひとつ。レシートは貯まっても、控除は貯まらないのです。


「自助」を勧めつつ、制度は支援しない

政府は医療費の増加を抑えるために「セルフメディケーション」を推進しています。ところが、制度の実際は自分で治療しようとする人をあまり助けません。予防や健康維持の重要性を訴えながら、漢方薬やサプリメントの多くは控除の対象になりません。

医師が関与すれば控除の対象になりますが、自分で治そうとすれば対象外になります。つまり、政府は「自助」を勧めながら、その努力を税制では支援していないのです。結果として、セルフで頑張るほど、財布もセルフで頑張らなければならなくなります。


広告がつくる「健康」の幻想

テレビをつけると、芸能人が「健康」「元気」「若さ」を明るく勧めます。体調がすぐれないとき、人はつい何かにすがりたくなります。その心理をねらって、巧妙な広告が流れます。
「アンケートに答えると1万人に無料提供」「今だけ70%割引」――そうした言葉が安心感と期待をくすぐります。けれど、それらの多くは医薬品ではなく、効果もはっきりしません。懸賞に応募すれば必ず当選し、「続けないと効果が出ません」と勧められる。典型的な販売の仕掛けです。

医師にサプリの効果を尋ねると、「薬ではありませんから」と明確に言われます。コマーシャルの言葉と、医師の言葉。その差を前にして、何が本当の「情報」なのか分からなくなります。政府は「偽情報に注意」「情報リテラシーを高めよう」と呼びかけますが、こうした広告にはほとんど手をつけません。理由は明快です。広告の裏には企業の利益と税収があるからです。


「医薬品」というラベルの意味

国は「特定保健用食品(トクホ)」や「医薬品認定」という肩書を与えます。これは科学的な保証というより、安心を与えるための商業ラベルです。その「お墨付き」は、健康意識の高い人ほどよく効きます(広告効果として)。しかし、税の優遇はほとんどなく、確定申告では治療の証拠にもなりません。

結局、「医薬品」とは何でしょうか。それは「治すためのもの」ではなく、政府が定めた枠の中で意味を持つ商品ラベルに過ぎないのかもしれません。そして政府が認定を続けるのは、「国民の健康を見ています」という姿勢を示すためでもあるのでしょう。

私たちは、健康情報の洪水の中で「自分で選んでいる」と思いながら、実際には誰かに選ばされていることがあります。用心深い人ほど、別の形の仕掛けに引き寄せられます。芸能人の広告には騙されないと思っても、「トクホ」や「医薬品」のラベルには、あっさり信頼を置いてしまうのです。

ノーベル科学賞と「技術国家」中国 ― 日本の過去と現在を分けるもの

今年、科学界を駆け巡った明るいニュースがありました。
日本人研究者2名が、同じ年にノーベル賞(生理学・医学賞と化学賞)を受賞したのです。坂口志文氏は「免疫応答を抑制する仕組みの発見」で、北川進氏は「金属有機構造体(MOF)の開発」で評価を受けました。

この受賞により、日本人のノーベル賞受賞者は30名を超えました。
そのうち自然科学3分野(物理学・化学・生理学/医学)に限れば、およそ25名に達しています。国別で見ても、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスに次ぐ位置にあります。

一方で、中国の自然科学分野での受賞者は建国以来わずか数名にとどまり、中国本土の研究機関に所属していたのは、2015年に医学生理学賞を受けた人物ただ1人です。

日本の科学技術がかつて世界をリードしていたことは間違いありません。しかし、いまそれを「過去の成果」としてしか語れないとしたら、それは危うい兆しでもあります。

なぜ中国の科学系受賞が少ないのか

まず、ノーベル賞の前提にある研究文化に違いがあります。この賞はもともと西側の研究体制を基準にしており、冷戦期の中国はその枠組みから外れていました。また、自然科学分野でノーベル賞を得るには、20〜30年にわたる基礎研究の積み重ねが欠かせません。中国が科学技術を国家戦略として重視し始めたのは1990年代以降であり、成果が表れるまでには時間が必要でした。

もう一つの背景は、人材の評価軸にあります。かつて中国では科挙の伝統が残り、科学者よりも官僚が高く評価されました。優秀な学生は官界や経済界に進み、研究職の地位は高くなかったのです。そのため、才能ある人材が海外に流出する傾向が長く続きました。

日本も事情は似ています。今回の受賞者たちは1970〜90年代に研究を積み重ねた世代で、今の研究環境がそのまま未来のノーベル賞につながるとは限りません。

今、中国が進める「技術国家」化

それでも中国は、この遅れを驚くほどの速さで取り戻しています。胡錦濤政権(2002〜2012年)は理工系出身者が多い「技術官僚政権」で、科学技術を国家発展の中心に据えます。その流れを引き継ぎ、2015年に発表された「中国製造2025」では、AI、半導体、新エネルギー、バイオ医薬など10分野を重点指定し、国を挙げて開発を進めています。

結果として、中国の科学論文数は世界最多となり、「Nature Index」の主要誌寄与度でも首位を維持しています。さらに、世界で最も引用された上位1%の論文数でも、中国は2018〜2020年の平均でアメリカを上回りました。

AI、量子通信、次世代バッテリーなどの先端分野では、すでにアメリカと並ぶ、あるいは分野によっては上回る水準に達しています。米国が同盟国と連携して半導体やAI関連技術の対中輸出を制限しているにもかかわらず、中国は国産スマートフォンを開発し、ChatGPTに追随する生成AI「DeepSeek」を登場させました。

DeepSeekは2025年に発表された中国製の生成AIで、開発コストはChatGPTの数十分の一、性能はGPT-4oに匹敵すると報じられています。この成功は、中国が輸出規制の壁を越えて、独自技術の自給体制を築き始めていることを示しています。

さらに中国政府は、国家予算の重点項目として科学技術を明確に位置づけています。AI、半導体、宇宙開発、新エネルギー産業などへの支出を拡大し、2024年度の国家財政報告では「科学技術イノベーション支出」が前年比で約10%増。軍事・社会保障と並ぶ三大重点分野の一つとなりました。

政策の集中、研究成果の拡大、特許の増加――。いまや中国は量だけでなく、質と応用を伴う「技術国家」へと進化しています。

日本はなぜ遅れを取ったのか

一方で、日本はこの流れに乗り切れていません。中国が国家戦略として科学技術を育てるのに対し、日本の研究政策は一貫性を欠き、大学の研究費は減り続けています。企業は短期利益を優先し、若手研究者が長期テーマに挑む余地が小さくなりました。

行政も縦割りが強く、文部科学省、経済産業省、防衛省がそれぞれ独自に支援を行うものの、国としての方向性が共有されていません。

もう一つの違いは、政治指導者の科学理解の深さです。中国の指導部は理工系出身者が多く、科学を政策の言葉として使うことができます。
日本の政治家は法学や経済学の出身が多く、科学技術を国家の将来像として描く力が弱いのです。そのため、科学技術は「国家構想」ではなく「予算項目」として扱われてきました。

メッセージ ― 現実を客観的に評価する

情報分析で最も避けなければならないのは、「見たい現実だけを見る」ことです。これは「確証バイアス」と呼ばれ、インテリジェンスにおける大きな弊害です。

日本では「中国は模倣ばかり」「西側の規制で成長は止まる」といった言葉が繰り返されます。それは、「中国に抜かれたくない」「中国は後進国のはずだ」といった先入観や希望的観測に影響を受けています。

分析に必要なのは、過小評価でも過大評価でもなく、客観的な評価です。都合のよい期待や先入観を排し、事実に基づいて現在の力を測る。それが、インテリジェンスを扱う者にとって最も基本的な姿勢です。

(了)

熊と高市新政権

熊の被害が全国で広がっている。これまで、熊を射殺すると「かわいそうだ」「共存が大切だ」と訴える声があった。中には、熊を殺傷処分した行政に苦情の電話をかける人もいた。しかし、熊が次々と人間の生活圏に入り、死傷者が出るようになると、ようやく社会が事態の深刻さを理解し始めたように見える。秋田県知事が自衛隊の出動を視野に入れた発言をしたことも、危機感の表れだ。ただし、自衛隊には熊の射殺権限はないという。

同じ時期に、高市新政権は積極外交、日米同盟の強化、防衛費の増額、国家情報局の設置検討など、国の安全保障政策を前面に打ち出している。これに対して、「力による抑止は危うい」と批判する声もある。しかし、熊の問題と照らしてみれば、状況は似ている。
一方的に人間の生活圏に踏み込む熊に対して、「共存」や「棲み分け」を唱えるだけでは、人を守れない。同じように、日本の領域に踏み込む勢力に対して、話し合いだけで抑止が成立するとは限らない。防衛力の整備や、場合によっては示威的な行動も必要だろう。熊も、国際秩序を乱す国も、柔らかな言葉だけでは行動を止めない。現実には、力の裏づけを伴った対応がなければ、安全も共存も成り立たないのではないか。

高市新内閣発足――「学歴」という尺度で見た実像

10月21日、高市早苗新内閣が発足した。公明党の連立離脱という異例の経緯を経て、自民党は維新の会との閣外協力に踏み切った。掲げたのは、積極財政と議員定数の削減。政権の看板は「経済再生と政治改革の両立」だが、布陣を細かく見ると、もう一つの特徴がある。評価の尺度はいくつもある。政策理念や派閥バランス、人事の意外性など、どこに焦点を当てるかで印象は変わる。だが、ここでは「学歴」という冷たい指標から見てみたい。確認できる範囲で、閣僚十八人のうち少なくとも七人が東京大学出身だ。比率にしておよそ四割。これは近年の内閣としては際立って高い。

具体的には、林芳正(総務)、茂木敏充(外務)、片山さつき(財務)、平口洋(法務)、鈴木憲和(農林水産)、赤澤亮正(経済産業)、城内実(経済財政・規制改革)らが東大卒である。多くが旧大蔵省や旧外務省など、官僚出身の政治家だ。首相自身は神戸大学出身だが、政権の中枢を東大法学部を中心とするエリート層が固めている構図である。

かつて「政治主導」が唱えられた時代もあったが、今回の内閣はむしろ官僚機構と似た思考訓練を受けた政治家たちが再び中心に立ったように見える。財務・法務・総務・外務という制度運営の中核ポストに、訓練されたエリート層が配置されているのは偶然ではない。

もちろん、学歴が政治の力量を保証するわけではない。だが、国家の意思決定を担う人々がどのような環境で思考を鍛え、どんな知的文化を共有してきたのかをたどれば、政策判断の方向性はある程度読める。東大という同じ教育空間で育った人々が、似た前提や価値観を持っているとすれば、それは政権の思考の枠組みそのものになる。

国民の中には「政治家はバカだ」「官僚がすべて決めている」と言う人もいる。しかし現実には、政治家の学歴水準は官僚より高い。問題は知能ではなく、どのような判断軸で国を動かすかだ。高市内閣の構成を見る限り、これは“感覚の政治”ではなく、“理性の政治”を志向する布陣である。

積極財政と改革路線をどう両立させるのか。その成否を占う前に、まずは政権の知的輪郭――誰が、どんな思考で国家を動かそうとしているのか――を見極める必要がある。

八咫烏とレイヴン――真実を告げる鳥たち

夜明けの街で「カァ、カァ」と鳴くカラスの姿は、どこか不気味に映る。黒い羽、冷たい瞳、群れで舞う姿は、人間にとって畏れの対象であり続けてきた。けれども、この鳥ほど古今東西で「知恵」や「情報」の象徴とされてきた存在はない。小さな頭に詰まった脳は、実は人間の子どもに匹敵する認知能力を秘め、仲間と協力して行動し、ときに人間に仕返しをするほどの記憶力を持つ。カラスは単なる害鳥ではなく、古来から人類にとって「真実を運ぶ者」として神話や伝承に刻まれてきたのである。

日本における代表例が、八咫烏(やたがらす)だ。『日本書紀』や『古事記』に登場するこの神鳥は、神武天皇の東征を導いたとされる。三本足の大きなカラスとして描かれ、「八咫」とは「非常に大きい」という意味を持つ。八咫烏はただの霊鳥ではなく、正しい道を示し、進むべき方向を迷わせない案内役だった。これはつまり「情報を収集し、適切に提示する存在」、すなわちインテリジェンスの役割そのものである。現在でもサッカー日本代表のエンブレムに八咫烏が描かれているのは、「チームを導く知恵の象徴」という意味合いが込められているからだろう。

一方、西洋においてカラスはしばしば「死」や「不吉」の象徴とされた。黒い羽と不気味な鳴き声、そして死肉を食べる習性が、戦場や処刑場と結びついたからだ。中世ヨーロッパではペストの流行時、死体の上を舞うカラスが死神の使いと恐れられた。しかし興味深いのは、西洋でもカラスは「情報」と不可分の存在として描かれてきたことだ。北欧神話では、主神オーディンの肩にフギン(思考)とムニン(記憶)という二羽のワタリガラスがとまっていた。彼らは世界中を飛び回り、見聞きしたことを報告する役割を担った。つまり、オーディンは神でありながら、カラスという「情報将校」を従えていたのである。

さらに近代以降の文学でも、カラスは情報の象徴として生き続ける。エドガー・アラン・ポーの詩『The Raven(大鴉)』では、一羽のカラスが主人公に「Nevermore(もう二度と)」と告げる。これは死んだ恋人が帰らないという冷酷な真実を突きつける言葉だった。ここでのカラスは、耳障りな慰めを拒否し、ただ「不都合な現実」を伝える冷徹なインテリジェンスそのものだ。現代のスパイ用語でも、ハニートラップを仕掛ける男性スパイを「レイヴン」と呼ぶことがある。カラスが「暗い真実を持ち帰るスパイ」としての隠喩を帯び続けている証拠だろう。

こうして見ると、日本と西洋のカラス観は正反対のようでいて、本質的には同じものを映している。日本では「吉兆の導き手」として、進むべき方向を示す情報官。西洋では「死を告げる鳥」として、不都合な真実を突きつけるスパイ。どちらも「インテリジェンス」と切っても切れない存在として文化に刻まれている。違うのは、その情報を「希望」と見るか「恐怖」と見るか、という解釈の差にすぎない。

科学的に見ても、カラスはその象徴にふさわしい能力を持っている。人の顔を識別して記憶する力、仲間に情報を伝達する社会性、未来のために道具を保存する計画性。都市の中で車を利用してくるみを割る行動は、環境を観察し、状況を利用する柔軟な思考の表れである。これはまさにインテリジェンスの本質──情報を集め、分析し、状況に応じて活用する力──と重なる。

カラスを単なる「不吉な鳥」として片付けるのは容易だ。しかし、八咫烏が日本の国を導き、レイヴンが西洋の神や詩人に「真実」を告げたことを思えば、この鳥が古来から人間にとって「情報の化身」であったことは明らかである。カラスは今日も街を飛び、冷たい瞳で私たちを見つめている。その姿はまるで、「お前は真実を見る勇気があるか」と問いかけているかのようだ。

パレスチナ国家に思うこと(2025年9月23日作成)

本日の新聞では、英国・豪州・カナダがパレスチナ国家を承認し、フランスも承認予定と報じられています。これに対し、日本は先日、岩屋外務大臣が「未承認」を表明しました。

その説明の要点は、

  • 「外部から干渉して対立を激化させない」
  • 「イスラエルに自制を促すカードを留保する」
    といった理屈にまとめられます。

しかし、ロシア・ウクライナ戦争では日本は積極的に支援しました。結果として対立を激化させており、今回の姿勢とは矛盾します。こうした二重基準は、日本が「独自判断を装いながら、実際には対米従属している」と見られかねません。さらに「米国と同様にイスラエルの武力行使を間接的に容認している」との印象も避けられないでしょう。

そもそも日本外交は対米従属を前提としており、外務省は自主判断に見せかける理屈を用意してきました。しかし、情報が多元化した現在、建前だけの説明では国民は納得しません。背後には、米国からの関税圧力を少しでも和らげたい思惑もあったでしょう。けれども、従属的な姿勢を示したところで信頼は得られません。むしろ欧州諸国のように、主導的な駆け引きを見せる絶好の機会だったのではないでしょうか。

承認しないという判断自体は、一つの選択肢として理解できます。私も必ずしも政府方針に反対ではありません。しかし、その説明が「建前」で固められている以上、説得力を欠き、国民から理解されることはないのです。