EUはなぜスローガンを掲げ、期限を置くのか

–〝2035年規制〟とロシア産エネルギーに見る「合意維持」の政治–

起点(12月15日):EU、2035年のガソリン車全面禁止に事実上の修正

12月15日、欧州連合(EU)が掲げてきた「2035年にエンジン車の新車販売を原則禁止する」という方針について、欧州委員会が事実上の見直しに入ったと報じられました。自動車大国ドイツが、ガソリン車やハイブリッド車を一律に排除する決め方に強く反対し、禁止を支持するスペインなどと対立したためです。
当初の方針は、2035年以降は二酸化炭素(CO₂)を排出しない車しか新車として販売できないとするもので、事実上、ガソリン車を全面的に市場から排除する内容でした。今回の動きは、その「全面禁止」という決め方を、そのまま維持できなくなったことを示しています。

前提崩壊:EVシフトを支えていた条件が失われた

この規制は2021年に提案されました。温室効果ガスの排出削減に加え、欧州メーカーの電気自動車(EV)への移行を後押しする狙いがありました。当時は各国が購入補助金を出し、EV市場は拡大局面にありました。EUは、規制を先行させれば産業も追随すると判断しました。

しかし、その前提はこの数年で崩れました。ドイツなど主要国は財政負担を理由に補助金を打ち切り、EV販売は失速しました。充電インフラの整備は国ごとにばらつきがあり、消費者の不安は解消されていません。加えて、中国メーカーが低価格のEVを大量に投入し、欧州メーカーは価格と収益の両面で圧迫されています。

EVの普及が想定通りに進まない中で、エンジン車やハイブリッド車の販売を期限付きで禁止すれば、欧州の自動車産業は市場と雇用を同時に失うことになります。規制の見直し論が出てきた背景には、EVシフトを支えるはずだった市場環境が、すでに成立していないという現実があります。

ドイツの後退:中核国が掲げた理想を自ら引き下げた

今回の規制見直しを主導したのは、EUの中核国であるドイツでした。ドイツはこれまで、気候変動対策で欧州を先導する立場を取り、2035年のエンジン車禁止という耳障りの良いスローガンを国際社会に向けて掲げてきました。

しかし、そのドイツ自身が、現実の課題を克服できなくなりました。EV市場は想定通りに拡大せず、充電インフラの整備も遅れました。中国メーカーとの競争は激化し、国内の自動車メーカーと関連産業は収益と雇用の両面で圧力を受けています。この状況で、期限だけが固定された全面禁止を維持すれば、産業基盤に深刻な打撃が出ることは避けられませんでした。

それでもドイツは、「誤った政策だった」とは言いませんでした。中核国として掲げてきた方針を正面から撤回すれば、EU全体の信頼性に傷がつくからです。そこで用いられたのが、「期限や手段の固定化は適切でない」という説明でした。実際には、解決できなくなった問題を、将来に送り直す判断だったと言えます。

総論賛成・各論留保(12月3日):期限を置くことで先送りされたロシア産エネルギー問題

12月3日、EUはロシア産エネルギーをめぐり、2027年までに天然ガス輸入を恒久的に停止する方針で大筋合意したと発表しました。ウクライナ侵略を続けるロシアへの圧力に加え、欧州のロシア依存を批判してきたアメリカの要求に応える意味合いがありました。

注目すべきは、「即時停止」ではなく、あえて2年後という期限を置いた点です。ハンガリーなど、ロシア産ガスへの依存度が高い国では、短期間での代替は物理的に不可能です。EUは、そうした国に代替供給を保障する能力を持っていません。

それでもEUは、「ロシア産エネルギーからの脱却」という総論では合意しました。そこで選ばれたのが、期限を条件に付ける合意です。原則への賛成と、実行不能な現実を同時に抱え込むための措置でした。この2年は解決の準備期間というより、対立を表に出さないための緩衝材でした。

なぜEUはスローガンと先送りを繰り返すのか

これらの事例は、EUが最近になって迷走し始めた結果ではありません。EUは国家ではなく、主権国家の集合体です。外交、安全保障、エネルギー、産業政策の多くは加盟国が握り、欧州委員会は実行を命じる権限を持ちません。

加盟国の利害が正面から衝突する問題では、即時に解決策を決めること自体が難しくなります。そこでEUが選んできたのが、スローガンを先に掲げ、期限を将来に置くやり方です。「2035年」「2027年」という数字は、解決策というより、対立を一時的に棚上げするための合意点として機能しています。

 なぜ合意を壊せないのか

EUにとって、合意は単なる政策ではありません。軍隊も徴税権も持たないEUが統治体として存在する根拠は、加盟国が合意したという事実そのものです。政策が失敗することより、合意が崩れたと認めることの方が、EUには大きなコストになります。

一度、合意を撤回すれば、次の合意は作れなくなります。そのためEUは、合意の中身が現実に合わなくなっても、言葉を直し、期限を延ばし、運用で調整することで、合意が続いている形を保ちます。

分裂を語れないEUと、冷めたアメリカ

EUは、アメリカ、ロシア、中国という大国に囲まれた地理から逃げられません。フランスとドイツにとってEUは理念ではなく、生き残りのための装置です。英国が離脱し、ロシアの脅威が高まる中で、EUは分裂を示唆する選択肢を持ちません。

一方、アメリカはEUを国際秩序形成の主体としては見ていません。軍事はNATO、意思決定は個別国家という整理を取り、EUのスローガンは尊重するが、行動主体としては計算しない。その冷淡さが、EUの言葉と現実の落差を際立たせています。

結び:スローガンは未来ではなく、現在を映す

EUの高邁なスローガンや長期目標は、未来の設計図というより、現在の制約を映したものです。達成できるかどうかより、なぜ今その形で掲げられたのかを読む必要があります。そこには、解決できなかった課題と、分裂を避けたいという意思が埋め込まれています。

国際政治において、長期目標はしばしば解決策ではありません。対立を管理し、時間を稼ぐための合意です。EUの動きは、そのことを最も分かりやすく示しています。

(了)

ウクライナ和平交渉が動かない本当の理由――対立の表ではなく、背後の力学を見る ――**

和解交渉は進展せず(2025年11〜12月の事実経過)

2025年11月から12月にかけて、アメリカが提示した28項目案をめぐる協議が続きました。ウクライナは原案を20項目に再構成し、フランス・ドイツ・英国もいくつかの文言に慎重な姿勢を示しました。

アメリカのウィトコフ特使は修正版を携えてモスクワを訪問しましたが、プーチン大統領が求める領土の扱いやウクライナの中立化に関する要素が欠けており、受け入れは拒否されました。戦闘は続き、交渉に目立った進展は見られません。

12月10日、トランプ大統領は「ウクライナ国民の八割が停戦を支持している」と述べたうえで、「ゼレンスキー大統領は現実的になるべきだ。戦争を終わらせる時期が来ている」と明言し、ウクライナに譲歩を促しました。英国・フランス・ドイツにも停戦を後押しするよう要請したと報じられています。

プーチンとゼレンスキーの戦略と立場(直接の対立要因)

和平交渉が進まない最大の理由は、プーチン氏とゼレンスキー氏が交渉の出発点・目的・譲歩の範囲をまったく異なる場所に置いているためです。

プーチン氏は、クリミアを含む南部と東部の占領地域を「既にロシアの統治下にある地域」と位置づけ、その前提を交渉文書に反映させるよう求めています。ウクライナのNATO不加盟も必須条件とし、戦争で得た成果を固定化することを目的としています。現状の戦況はロシア側に有利と判断しており、大きな譲歩を行う必要はないという立場です。

一方のゼレンスキー氏は、占領地域の扱いを交渉の前提に含めることを主権の放棄と捉え、領土問題を出発点に置くことを拒んでいます。譲歩すれば国内支持が崩れ、政権基盤が弱まる恐れがあります。さらに、欧州の政治的支援に依存する現状では、強硬姿勢を維持する必要があり、大きな譲歩に踏み切りにくい状況です。

両者の交渉の出発点が一致していないため、文書調整では埋まらない構造的対立が続いています。

徹底抗戦を求めるEU vs 停戦を迫るトランプ政権(停滞の真因)

交渉停滞の背景には、当事者の対立だけでなく、支援国側の政治力学が強く作用しています。

トランプ大統領は、戦線が長期化すればロシア優位になると予測し、プーチン氏の要求に近い妥協案をゼレンスキー氏に受け入れさせようとしています。早期停戦を目指す路線を明確に取り、欧州主要国にも協力を求めています。

一方、EUの一部指導者はウクライナを「ロシアの影響力を押し返す前線」と位置づけ、停戦には慎重です。ヒトラーの例を引き合いに出し、妥協がロシアの勢力拡大につながると警戒しています。しかし、EU諸国は自国軍を前線に送る用意はなく、実際の抑止力はアメリカに依存したままです。欧州はウクライナに踏ん張りを求めながら、自らは限定的な行動にとどまる構造となっています。

この欧米間の方針のずれが、ゼレンスキー氏の「引き際」を曖昧にし、交渉の遅延を生んでいます。

欧州の結束、アメリカの戦略転換、ロシアの戦況推移、ウクライナ世論(今後の影響要因)

今後の交渉を決定づける影響要因は四つあります。

第一に、欧州の結束です。
フランスとドイツが欧州諸国をまとめて支援枠組みを維持できなければ、ウクライナの交渉力は低下します。

第二に、アメリカの戦略転換です。
12月に発表された国家安全保障戦略では、ロシアを「管理すべき対象」と位置づけ、アメリカは停戦に重心を置き始めています。現在はウクライナと仏独に圧力をかける段階ですが、戦況が悪化すれば、アメリカが停戦受諾を事実上の「最後通牒」として突きつける可能性があります。

第三に、ロシア軍の戦況推移です。
今冬にロシア軍がさらに前進し、プーチン氏の想定するエンドラインに近づけば、ウクライナと仏独は現実的に譲歩を検討せざるを得なくなります。軍事的既成事実の積み上げは、交渉条件の幅を狭める要因となります。

第四に、ウクライナ国内の世論です。
この揺れる世論は、戦況や支援の変化によって大きく傾く可能性があります。世論が抗戦を支持すれば、ゼレンスキー氏は徹底抗戦の姿勢を維持することになりますが、世論が停戦支持へ振れれば、彼が譲歩に向かう決定的な転機となり得ます。世論の振れ幅が、交渉のタイミングと方向性を左右します。

欧州支援の行方、アメリカの圧力の強まり、ロシア軍の攻勢、ウクライナ世論の揺れ。この四つの力が、和解交渉の行方を左右します。

メッセージ:国際情勢は背後の力学で動く

ウクライナ和平交渉の停滞を理解するうえで重要なのは、当事者の表向きの対立ではなく、その背後で動く力学です。プーチン氏とゼレンスキー氏の発言だけで状況は動かず、支援国の戦略、欧州の限界、ロシア軍の戦況、国内世論が交渉の枠組みを形づくっています。
国際情勢は言葉では動かず、力関係と政策で動きます。背後要因と影響要因を丁寧に追うことが、未来を見誤らないために不可欠です。

(了)

――香港のマンション火災をどう読むか-「なぜなぜ分析」と「アナロジー思考」で考える

はじめに

11月26日に香港で起きた大規模マンション火災の死者は、200人近くに上るとされています。外壁工事に使われていた資材が激しく燃え、火が建物の外側を一気に広がったことが大きな被害につながりました。この火災は、個別の不注意だけでは説明できません。いくつもの事情が重なって事故が起きたことを示しています。表面の出来事だけを見るのではなく、背景を順番にたどることが、現在の社会が抱えるリスクを理解するうえで重要だと感じています。

香港の高層マンション火災は、日本とは条件の違う出来事です。建物のつくりも、使っている資材も違います。それでも、「高層マンションが増え、老朽化が進み、工事の難易度が上がっている社会」という点では、日本とも共通しています。香港の火災は、日本の都市が抱える課題を考えるための“鏡”になります。

今回は、この出来事を考えるために、ふだん私が重視している二つの視点――「なぜなぜ分析」と「アナロジー思考」――を紹介します。

なぜなぜ分析でたどる香港火災

香港の火災は、一つの原因で説明できる出来事ではありません。そこで、「なぜ」を重ねて背景をたどると、次のような流れが見えてきます。

最初の問いは、「なぜ火があれほど広がったのか」です。報道によると、外壁工事に使われていた足場やシート、発泡スチロールがよく燃え、炎が外側を上へ走りました。

次の問いは、「なぜ可燃性の資材が使われていたのか」です。工事会社が、価格が安く扱いやすい資材を選び、工期を短くすることを優先した可能性があります。

さらに、「なぜ行政がそれを止められなかったのか」という疑問が生まれます。香港政府は燃えにくい資材を使うよう通知していましたが、現場での検査が不足していました。監督官の人数が足りず、老朽化した建物が増えて工事が多くなったため、現場まで目が届かなかったのです。

最後に、「なぜ監督官も職人も足りないのか」という問いが出てきます。香港では少子高齢化で労働人口が減り、高所で危険な外壁工事ができる人が少なくなっています。AIやロボットが話題になりますが、細かい判断が必要な高所作業は、現時点では人の手で行うしかありません。

このように「なぜ」を重ねると、火元となった資材だけではなく、行政の監督、人手不足、老朽化といった背景がつながります。

香港と日本の相違点:すぐに同一視はできない

アナロジー思考とは、起きた出来事の“構造”に目を向け、それを自分の社会に引き寄せて考える方法です。ただし、まず相違点を確認しなければなりません。

日本では、竹の足場は使われず、鉄パイプの足場や燃えにくいシートが一般的です。外壁や開口部の材料にも厳しい制限があります。消防設備や避難経路も法律で細かく決められています。

このため、「香港で火災が起きた=日本でも同じ火災が起きる」と短く結びつけることはできません。

アナロジー思考:他国の事故を、日本の「生活に近い問い」に置き換える

アナロジー思考では、香港の火災そのものを日本に当てはめるのではなく、香港の出来事の“背景の構造”を、日本の私たちが考えるべき問いに言い換えます。具体的には次の二つが分かりやすい例です。

●1つ目の問い

「安価な工事で済ませたとき、後になって建物の寿命や耐震性に問題は出ないのか」

香港では工事費節約のために可燃性資材が使われました。日本では同じ資材を使いませんが、「安さを優先した工事が、後々の不具合につながらないか」という問いは共通します。

●2つ目の問い

「建物が増える一方で、修繕を行う人や行政の監督は足りているのか」

香港では監督官や職人が不足していました。日本でも、建物は増えるのに、修繕を担う技能者は減っています。行政の建築担当も、増え続ける仕事を限られた人数でこなしています。

このように、香港の火災の背景を日本の暮らしに引き寄せて考えるのがアナロジー思考です。

メッセージ:なぜなぜ分析とアナロジーで“見えにくい危機”を考える

香港火災から学べることは、「火を出さない方法」だけではありません。
なぜなぜ分析で背景をたどると、資材の選び方、行政の監督、人手不足、老朽化といった、日常では見えにくい事情が浮かび上がります。

アナロジー思考でそれを日本に言い換えると、

  • 危険がどこから生まれやすいのか
  • 誰がどの部分を支えているのか
  • 支える側の負担がどこで限界に近づくのか

という、私たちが考えるべき問いが見えてきます。

海外のニュースを、自分たちの未来の課題に引き寄せて考える――
そのために、「なぜなぜ分析」と「アナロジー思考」は大きな力になると感じています。

(了)

アブラハム合意をめぐる四つの問い

――条件で未来を動かすというインテリジェンスの技法

トランプ・サウジ会談で何が起きたのか

トランプ米大統領は11月18日、ホワイトハウスでサウジアラビアのムハンマド皇太子と会談しました。米メディアによれば、トランプ氏は最新のF35戦闘機の売却を正式に伝える一方で、2018年にトルコで起きた記者殺害事件について皇太子を追及しなかったとされています。また、トランプ氏はサウジとの原子力協力に前向きな姿勢を示し、皇太子との緊密な関係を強調したと報じられています。

多くの報道は「アブラハム合意の完成」を強調し、イスラエルとサウジの国交正常化が近づいたという印象を与えています。しかし、国交正常化は形式的な外交行為であり、F35や核協力は中東の軍事バランスに直結します。どちらが主で、どちらが従か。この区別をつけないと、今回の会談の意味をつかむことができません。

そこで、ここからは四つの問いを使い、過去と現在と未来を往復しながら、この事象を立体的に見ていきます。

4つの問いで読み解く

未来の最初の問い:アブラハム合意は完成するのか

最初に置くべき問いは、「イスラエルとサウジの国交正常化は成立するのか」、つまり「アブラハム合意は完成するのか」という未来のクローズドクエスチョンです。この問いそのものはイエスかノーかで答えられます。インテリジェンスでは、まずこうした単純な形の問いをひとつ置いて、どこに焦点を合わせるかを定めます。

しかし、ここで結論を言い切ってしまうのではなく、この問いを頭に置いたまま、次に過去へ視点を移し、構造を確認していきます。

現在の問い:アブラハム合意はなぜ成立したのか

アブラハム合意の背景には、UAEへのF35売却をめぐる構図がありました。トランプ大統領(第一次政権)はUAEへのF35売却を容認し、イスラエルは反対しつつも最終的には黙認しました。では、なぜイスラエルは黙認できたのか。この問いを進めると、当時の条件が見えてきます。

  • UAEは人口・軍事力・経済規模が小さく、脅威が限定的だった
  • 地理的にイスラエルから遠く、F35が直接的な脅威になりにくかった
  • 政権が安定し、外交方針の急転換が起きにくかった
  • イランへの警戒心が強く、イスラエルと利害が重なっていた
  • 国内の反イスラエル感情が弱かった
  • アメリカがイスラエルの軍事優位を補償する措置を提示していた

これらの条件が重なり、イスラエルは「UAEのF35保有は管理できる」と判断しました。

結果:UAEへのF35は実際には進まなかった

UAEは2020年にF35の売却契約に署名しましたが、実際の配備は進みませんでした。アメリカが二つの点を強く警戒したためです。

  • イスラエルの軍事的優位の維持
  • UAEのHuawei使用による機密漏洩リスク

この停止が続いたため、UAEは中国との軍事協力を強め、2024年には北京で協議し、J-20戦闘機とL-15の導入に動きました。

未来に戻る問い:アメリカはサウジにF35を売却するのか

ここで問いを未来に戻し、焦点をサウジに移します。サウジへのF35売却は、現時点では可能性が低いと考えられます。

イスラエルは、サウジがF35を持てば将来の不確定な脅威になると見ています。サウジは人口も軍事力も中東最大級で、政権の方向も読み切れません。さらに、サウジはイスラエルと国境を接し、中国との関係も深めています。こうした条件は、イスラエルにとって黙認しづらいものです。

アメリカも、イスラエルの不安を無視できません。アメリカは、サウジと中国の緊密さを技術流出のリスクとして受け止めています。アメリカは、イスラエルの軍事的優位を維持するという一貫した政策を持っています。このため、アメリカがサウジにF35を売却する未来は見えにくい状況です。

問いを言い換える:サウジはF35を断念し、国交だけを選ぶのか

ここでは、主語をサウジに移し、問いを「サウジはF35を断念し、国交だけを選ぶのか」という別の形に変えます。インテリジェンスでは、こうした問いの置き換えによって視点が変わり、同じ問題を別角度から確認できます。

サウジは国交だけを選ぶことが難しい状況にあります。サウジはイランを現実の脅威として受け止め、F35を将来の抑止力として必要としています。核燃料サイクルの一部保持も、将来のイラン核に対抗するための国家戦略の一部です。「国交だけ」では国内の宗教勢力や保守層に説明がつきません。

イスラエルは、抑止力の欠けたサウジとは安定した関係を築けません。アメリカも、この不均衡を管理する枠組みを持っていません。したがって、サウジがF35を断念し国交だけを優先する未来は見えにくいと言えます。

オープンな問い:どの条件が整えばアブラハム合意が完成するのか

ここで、未来のクローズドな問いをオープンな問いに切り替えます。「成立するか」ではなく、「どの条件が変われば成立し得るか」を問います。インテリジェンスでは、この問いの拡張が未来をひとつに固定しないための基本姿勢です。

成立の可能性を動かす条件は五つあります。

  1. イランの脅威がさらに高まること
  2. サウジがF35や核要求を部分的に下げること
  3. イスラエルがアメリカの軍事支援で優位維持を確信できること
  4. アメリカが三者を拘束する「管理の枠組み」を提示すること
  5. パレスチナ問題で最低限の体裁が整うこと

これらの条件が同時に動くときにだけ、アブラハム合意の完成は現実味を帯びます。

メッセージー未来予測は予言ではなく不確実性の低減である

未来予測は予言ではありません。インテリジェンスの目的は、使用者が想定外に直面しないようにすることです。未来を一つの形に決めるのではなく、どの条件が動けば結論が変わるのかを示し、使用者が状況の変化に応じて判断を修正できるようにします。生産者は条件の幅を広く示し、使用者はその条件を更新し、結論をその都度修正します。この往復が続くことで、不確実性は小さくなります。一度作られたレポートは、それだけで終わりません。条件が変われば、結論も変わるのです。製作者と使用者がこの「条件の更新」を共有し続けることこそ、インテリジェンスの実際の役割になります。

「関税で儲かった」は本当か――数字の裏で誰が負担しているのか

関税収入「過去最高」というニュース

2025年11月9日、トランプ大統領は自身のSNS「Truth Social」で、アメリカは関税で莫大な収入を得ていると主張しました。あわせて、高所得者を除く多くの国民に「一人2,000ドル以上の関税配当を支給する」と発表しました。さらに、関税に反対する人々を「愚か者だ」と批判し、自分の政策は正しいと強く訴えました。

実際に、米財務省の統計によると、2025年1~9月の関税収入は約1,950億ドルとされ、過去最高のペースです。この数字だけを見ると、「アメリカは関税で儲かった」と言いたくなる状況です。

関税負担の実際

関税がかかると、輸入品の販売価格は上がります。

たとえば、アメリカの輸入業者が中国から100ドルで仕入れた冷蔵庫を120ドルで売っているとします。アメリカ政府が25%の関税をかけると、輸入業者は政府に25ドルを支払うことになります。その分を販売価格にのせるので、店頭価格は145ドルになります。

輸入品が145ドルに上がれば、国内メーカーは「競争相手が値上げしたなら、うちも多少なら値上げしても売れる」と考えます。実際には120ドルの国内製品が130ドル、135ドルに上がることがあります。こうした動きで、同じ種類の製品は全体的に値段が上がります。

同じ現象は、衣料品、家電、家具、自動車部品などの日用品でも起きています。たとえば、20ドルのTシャツが25ドル、300ドルの掃除機が330ドルなど、少しずつ値段が上がっています。日々の買い物の価格が上がれば、たとえ関税配当を受け取っても、その分がすぐに支出に消えてしまうことがあります。

企業も負担を受けます。輸入に頼っている部品や原材料が高くなり、製品をつくるコストが増えるからです。コストが増えれば、会社は賃金を上げにくくなり、新しい機械や設備にお金を回す余裕もなくなります。こうした負担が積み重なると、企業の活動は鈍くなり、景気の勢いが弱くなります。関税がかかると、輸入品の販売価格は上がります。

中国企業の「値下げ負担」

トランプ大統領はよく「関税は中国が払っている」と主張します。この言い方は大げさに聞こえますが、実際に中国企業が関税分を肩代わりするケースはあります。

関税がかかると、アメリカの輸入業者は25ドルを政府に支払わなければなりません。輸入業者は自分の負担を増やしたくありませんし、商品をこれまでと同じように売りたいと考えます。そこで、中国企業に「仕入れ値を下げてほしい」と求めます。

中国企業はアメリカ向けの販売を維持したいので、本来100ドルで売る冷蔵庫を80ドルまで下げて輸出することがあります。輸入業者は80ドルに25ドルの関税を足して105ドルで販売できます。店頭価格が100ドル台に収まれば、アメリカの消費者は大きな値上がりを感じません。

このように、中国企業が値下げして関税分を吸収し、アメリカ側の負担を減らすことがあります。トランプ大統領が言う「関税は中国が払っている」という言葉は、このようなケースを指しています。

税収増が抱える政治的リスク

関税で税収が増えているように見えても、それは誰かがその分を負担した結果です。負担のしかたには三つあります。

① 消費者が値上がりを受け入れて買う。

② 輸入業者が原材料や部品の高い仕入れ価格を吸収し、利益を削って売る。

③ 中国企業が価格を下げて輸出し、下げた分が関税分の穴埋めになる。

税収の増加は、この三つの負担の合計にすぎません。アメリカ経済が強くなったわけではなく、誰かがその分を支払っているだけです。物価上昇と企業コストの増加が続けば、家計と企業に不満がたまります。こうした不満は政治に向かい、トランプ大統領の支持率を押し下げる可能性があります。

さらに、関税をかけても中国製品が売れ続けている現状は、アメリカ国内の企業が十分な競争力を持てていないことを示します。外国製品への依存が続いているため、関税収入が増えても産業の基盤は強くなりません。この状況では、トランプ大統領が掲げる「自国ファースト」や「強いアメリカの復活」は実現しません。

関税で税収が増えても、それだけでは国は強くなりません。負担の行き先を見ないままでは、政治も経済も安定しないということです。

メッセージ

ニュースを読むとき、目につきやすいのは税収や成長率といった数字や派手な見出しです。しかし、その数字がどのように生まれたのか、誰がどこで負担を抱えているのかを見ないと、本当の姿はわかりません。

どの政策にも、利益を得る人と、静かに負担を引き受ける人がいます。表に出てくる「良いニュース」だけで安心せず、数字の背景や前提を一つずつ確かめる姿勢が大切です。

言葉が強いと、ついそのまま受け取ってしまいますが、強い言葉ほど慎重に読む必要があります。それが、複雑なニュースを読み解き、事実を見誤らないための確かな視点になります。

(了)

米国がG20もCOPも離れ始めた――その空白を中国が埋める

米国が不参加を明言

2025年11月7日、ドナルド・トランプ米大統領は、11月22〜23日に南アフリカ・ヨハネスブルグで開かれるG20サミットに対し、「米政府関係者は誰も出席しない」と明言しました。理由として、南ア政府がアフリカーナーに対して土地の違法没収や迫害を行っていると主張しました。

また、11月10日からブラジル・ベレンで開かれるCOP30でも、米政府は代表を送っていません。米国は、自らが主導してきた多国間協議に対し、明確に「参加しない」という姿勢を示したことになります。

制度の“所有者”から“離脱者”へ

米国は長年、G20やCOPといった国際協議を、自国が議論を主導し、自国の利益に沿う形で制度を動かすために活用してきました。しかし近年、これらの制度が米国にもたらす利得が、かつてほど大きくなくなっています。

気候変動の議論では、途上国支援や気候資金が中心となり、新興国やアフリカ諸国の発言力も増しました。米国が従来のように議題を主導する余地は狭まり、交渉の重心は“南”に移りつつあります。米国政府が「気候交渉は詐欺だ」という発言を行う背景には、制度への不信と、制度外で自国の利益を確保しようとする姿勢の強まりがあります。

今回の不参加は、米国が「制度の内側で主導を握る国」から、「制度そのものに距離を置く国」へと立場を変えつつあることを象徴しています。

空白を狙う中国とグローバル・サウス

米国が制度から離れると、そこに必ず空白が生まれます。その空白を最も積極的に埋めようとしているのが中国です。

中国は、COPやG20の場で南アフリカやブラジルを含む途上国との協力を深め、気候支援や貿易を通じて自らの影響力を広げています。米国の不在が目立つほど、中国が議論の方向性をつくりやすくなります。

さらに中国は、「米国は多国間協議に後ろ向きだ」という構図を同盟国や周辺国に示し、自らを代替的な枠組みとして提示する可能性があります。米国の不参加が単発の出来事ではなく、制度そのものから距離を置く流れの一つと見るなら、中国の動きは国際秩序の今後を考えるうえで重要な兆候となります。

日本にとっての課題

結局、今回の問題が日本に突きつけているのは、日米同盟を基軸としながら、多国間協議にどう向き合い、日本の存在感をどう維持するかという課題です。

日本は軍事面で米国と協力しつつ、外交の場では自らの発信力を落としてはなりません。国際協議で日本の立ち位置が弱まれば、国内で説明してきた「国際貢献」の内容にも説得力を持たせにくくなり、同盟を支える世論にも影響します。

さらに重要なのは、中国が国際協議の場で影響力を大きくし、それを国内外の政治に利用しようとしている点です。COPやG20での発言力は、中国が「責任ある大国」という姿勢を示し、台湾やアジアで主導権を握ろうとする際の強力な後押しになります。

中国は、米国と日本の立場の違いをよく見ています。米国が距離を置く協議の場で、日本が十分に発信できなければ、その状況を利用して「日本は地域の声に向き合っていない」といった批判を展開し、対日政策の一部として活かす可能性があります。

G20やCOP30をめぐる今回の動きは、国際協議の場が“米国が必ず中心にいる場所”ではなくなりつつあることを示しています。そして、中国がその変化をどう自国の力に変えようとしているかを読み解くことが、日本にとっての実質的な安全保障・外交上の関心事です。

メッセージ:ニュースの裏側を読む

ニュースの表面だけを見れば「米国が参加しなかった」という一行で終わります。しかし、その裏側では、主導権を争う動きが静かに進んでいます。

日本が注視すべきは、“なぜ米国が制度から距離を置き始めているのか”という点だけではありません。もっと重要なのは、その空白を中国がどのように利用し、自国の立場をどう強化し、日本にどのような圧力として跳ね返してくるのかという点です。

表側のニュースの裏側にこそ、逃してならない重要なニュースが潜んでいます

(了)

軍を掌握した指導者の脆さ――4中全会に見る習近平体制の実像

事実の解釈には両面がある

第20期4中全会が開催

中国共産党の第20期4中全会が、2025年10月下旬に開かれました。

党大会は5年に一度開催され、その中間点にあたる4中全会は、次期経済5カ年計画の起草準備や、党の執政状況を中間評価する節目にあたります。

予定どおり、経済政策や社会目標が中心議題となり、来年に決定される第15次5カ年計画の方針が話し合われました。

内容としては「自給自足」と「先進的製造業」の発展を掲げたもので、全体としては規定路線に沿ったものと見られます。

一方で、今回は開催前から人事への関心が高まりました。

とくに、習近平氏の後任問題や、空席が続いていた中央軍事委員会(CMC)の人事動向が注目されました。

さらに、軍出身の中央委員の半数近くが欠席したとも伝えられ、体制の内側に不安と緊張が広がっているのではないかとの報道もありました。

軍委改革と新しい構成

2015年、習近平氏は大規模な軍改革に踏み切りました。
長年、人民解放軍の中枢を担ってきた「四総部」(総参謀部・総政治部・総後勤部・総装備部)を廃止し、戦区制と軍委直轄制を導入。
この改革は軍の近代化を掲げつつも、実際には軍の権限を党中央に集中させる動きでもありました。

2017年の第19回党大会で、中央軍事委員会の新体制が発足します。
従来の軍委は主席、副主席2人、国防部長、四総部の長4人、海軍・空軍・第2砲兵(ロケット軍)の司令官を含む計11人体制でした。
これが2017年以降、主席、副主席2人、国防部長、統合参謀長、政治工作部主任、そして規律検査委員会書記7人体制に再編されました。

このうち、規律検査委員会書記が軍委メンバーとなったのは初めてです。
このポストは通常中将職であり、就任した張昇民氏が中将のまま委員入りしたのは異例の昇進でした。その後、張氏は上将(大将)に昇格しています。
一方、東部戦区司令官だった何衛東氏は、委員を経ずに副主席に就任しました。
いきなり副主席というのは極めて異例で、まさに「飛び級人事」でした。

粛清の連鎖と軍の統制

2018年以降、人民解放軍では汚職摘発が相次ぎました。
最初に標的となったのは装備発展部門やロケット軍で、中将級幹部が次々に処分され、軍内部には不信感が広がりました。

2021年には装備発展部長だった李尚福氏が国防部長に昇格しましたが、2023年に「重大な規律違反」で失脚。
同年、ロケット軍の司令官と副司令官も更迭され、核戦力を担う中枢部門の人事が総入れ替えとなりました。
2024年には政治工作部主任の苗華氏が消息を絶ち、軍委内部で空席が目立つようになります。
そして2025年、4中全会の直前に何衛東副主席が失脚し、張昇民氏が副主席に昇格しました。

この結果、2017年に確立された7人体制のうち4人が交代または更迭されたことになります。
軍の意思決定は、指揮よりも監察と統制を重視する構造へと傾いているように見えます。

欠席という沈黙

今回の4中全会では、軍出身の中央委員の多くが欠席したと報じられました。
一部には「粛清への異論」や「軍の反発」といった見方もありますが、出席は原則として義務です。
過去の粛清の流れを踏まえれば、欠席は招集されなかった、あるいは調査中である可能性が高いと考えられます。
党中央が「安全」と判断した人物のみを出席させたという見方もあります。

習近平氏の掌握とその限界

形式上、習近平氏は軍を完全に掌握しています。将軍人事、昇進、予算――すべての決裁が主席の承認を要し、独立した権限はほとんど残っていません。しかし、権限が集中すればするほど現場は萎縮し、指揮官は判断を避けるようになります。

粛清の連鎖は統制強化と見ることもできますが、実際には幹部が恐れを抱き、命令が現場に届かなくなっているとも考えられます。組織は上の意向をうかがうばかりで、意思決定の力を失いつつあるようにも見えます。

この構図には、二つの不信が重なっています。
ひとつは、粛清が続くなかで指揮官同士が互いを疑う軍内部の不信。もうひとつは、党中央と軍の間に生じた信頼の揺らぎです。

かつて「党が銃を指導する」と言われた関係が、いまや「銃が党の意向をうかがう」関係に変わりつつある――。その微妙なずれが、体制全体の緊張として表面化しているのです。

後継者不在と「一強体制」の行方

今回の4中全会でも、習近平氏の後継者像は示されませんでした。
このため、「2027年以降も第4次政権を狙う」「一強体制がさらに強化された」との見方もあります。

しかし、後継を定めないことは短期的な安定をもたらす一方で、将来的な混乱の火種にもなります。
毛沢東氏は華国鋒氏を、鄧小平氏は江沢民氏、さらに胡錦涛氏へと続く後継体制を整えました。強い指導者とは、次を託せる仕組みを築く指導者でもあります。

習近平氏は軍を支配しているように見えますが、その背後には二つの恐れがあるのかもしれません。ひとつは、後継を託せる人物を見いだせない「託せない不安」。
もうひとつは、権力を手放した瞬間に自らの権威が失われるのではないかという「権威を失うことへの恐怖」です。その恐れが人事を慎重にし、粛清を繰り返すという形で表れているようにも見えます。

メッセージ――ルービンの壺のように

習近平氏は軍を完全に掌握したように見えます。けれどもその姿は、裏返せば「不安定さ」の映し鏡でもあります。粛清や欠席の連鎖は、統制の強化ではなく、恐れによって動けなくなった組織の現実を映しているのかもしれません。

物事の見方は、ルービンの壺のように、どちらの面を見つめるかでまったく違って見えます。指導者の「強さ」も、角度を変えれば「脆さ」に映る。どちらが正しいということではなく、反対の像を意識して見ることが大切です。

政治も、組織も、そして自分の思考も同じです。一つの見方にとらわれず、反対側の構図を想像すること――そこに、次の一手を考える力があるように思います

(了)

米国はなぜ「麻薬戦争」に空母を動かすのか。

表向きの説明の裏にある、もう一つの仮説を読む。

■トランプ政権、空母打撃群をカリブ海へ派遣

10月25日の産経新聞は次のように報じています。

トランプ米政権は24日、最新鋭原子力空母ジェラルド・フォードを中核とする空母打撃群を、南米ベネズエラに近いカリブ海へ派遣すると発表した。米国は「麻薬テロリストによる攻撃にさらされている」と主張し、麻薬運搬船への攻撃を続けている。

米国防総省の報道官は、「米本土の安全と繁栄、西半球の安全保障を脅かす違法勢力を阻止する」と述べました。さらに同日、米国はベネズエラの隣国コロンビアのペトロ政権に対し、政府高官らが麻薬取引に関与しているとして制裁を科しています。

麻薬対策に空母を出すという違和感

報道だけを読めば、米国の目的は明快に見えます。麻薬の撲滅、そして米国の安全保障の維持です。

しかし、読者の多くもどこかに違和感を覚えるのではないでしょうか。

麻薬対策に空母を出す必要があるのでしょうか。数十人規模の犯罪組織に対し、世界最大の原子力空母を動かすのは、あまりにも釣り合いません。

それに、なぜ長年、麻薬対策や治安協力でアメリカと緊密に連携してきたコロンビア政府までも制裁対象にしたのでしょうか。

ここに、アメリカの行動原理を読み解くための“違和感”が浮かび上がります。

■アメリカの思惑を探る

トランプ政権が示す表向きの理屈は単純です。

麻薬組織は「テロリスト」であり、ベネズエラはそれを支援している。だから軍の行動は、テロに対する「自衛」だという説明です。

アメリカは1980年代以降、“麻薬戦争”と称して中南米諸国に軍事・諜報支援を行ってきました。見落としてはならないのは、その多くが反米政権の転覆支援と結びついていたことです。

1989年のパナマ侵攻では、「麻薬取引関与」を理由にノリエガ将軍を排除しました。麻薬対策はしばしば“正義の仮面”として利用され、軍事力行使を正当化する言葉になってきたのです。

冷戦終結期、ソ連の影響が薄れる中で、アメリカは自らが主導する国際秩序を築こうとしました。その延長線上にあるのが、今回の「麻薬戦争」と言えるのではないでしょうか。

「麻薬撲滅」の名のもとに、アメリカは軍を動かし、制裁を発動し、外交圧力を強めています。その矛先が反米色の強いベネズエラだけでなく、ベネズエラに接近するコロンビアの左派政権にまで及んでいる点に、単なる麻薬政策を超えた意図を感じざるを得ません。

■真の狙いはベネズエラとコロンビアの“同時包囲”

ここで、一つの仮説を立ててみます。

今回の作戦は、麻薬撲滅を目的とするのではなく、反米政権ベネズエラと、ベネズエラ寄りに傾くコロンビア左派政権を同時に包囲する戦略的動きではないかというものです。

中露はBRICSの枠組みを通じて南米への影響力を拡大しています。ベネズエラのマドゥロ政権は近年、中国やロシアとの経済的結びつきを強め、原油輸出の多くを中国に依存しています。ロシアの国営企業も採掘や軍需支援を担っています。

一方、コロンビアのペトロ政権も、再生エネルギー分野で中国企業との連携を拡大しています。つまり、南米の二つの産油国がともにBRICS圏と接近しているのです。

■米国にとっての南米の価値

アメリカにとって、南米は中東とは別の“第二のエネルギーフロント”です。

ベネズエラとコロンビアを政治的・軍事的に押さえることは、中露が南米に築こうとする資源ネットワークを断ち切ることにつながります。

トランプ政権が「パナマを取り返せ」と叫ぶのも、こうした戦略的思考の延長にあります。

この仮説に立てば、空母の派遣も、制裁の同時発動も、きわめて合理的な一手として理解されます。

■麻薬戦争は資源戦争の別名である

ベネズエラ国営石油会社PDVSAは、アメリカによる経済制裁で米系企業との取引が止まった後、中国国営石油会社CNPCと合弁事業を進めてきました。ベネズエラの石油輸出の約半分は中国向けです。

ロシアは、ベネズエラへの武器供与と軍事顧問派遣を続け、米国が「麻薬テロリスト」と呼ぶ勢力の背後にロシア製兵器が流入していることも確認されています。

さらに、コロンビアでは中国資本が港湾・鉄道・リチウム開発に進出し、ペトロ政権は環境政策を掲げながらも中国との経済協力を強化しています。

米国の視点から見れば、南米北岸に“中露の経済回廊”が形成されつつあるのです。

こうした地政学的現実を前に、アメリカが「麻薬戦争」を名目にカリブ海へ軍を派遣することは、実は資源と影響圏をめぐる争い、そして新しい国際秩序をめぐる戦いとして理解する方が自然です。

麻薬は名目にすぎず、主題は「石油」「海上ルート」「影響力」の確保なのです。

■メッセージ:異なる仮説を立てる思考と影響性を読む

国際報道の表向きの説明をなぞるだけでは、政策の意図は見えてきません。

違和感を感じたら放置せず、仮説を立てて検証してみること。

それがインテリジェンス思考の基本です。

そして、この動きが我が国の政治、外交、経済にどのような影響を持つのかを考えてみてください。

海運株やエネルギー株を持つ投資家にとっても、これは無関係な話ではありません。

国際情勢の裏にある「仮説」を読むことが、個人の判断を支える力になるのです。

(了)

国境の戦火――アフガンをめぐる勢力地図の再編

国際情勢ニュースを題材に

2025年10月12日、朝日新聞は次のように報じました。
「アフガニスタンとパキスタンの国境沿いの複数の地点で11日夜、大規模な軍事衝突が起きました。パキスタン軍は、アフガニスタンを実効支配するイスラム組織タリバン戦闘員ら200人以上を殺害したと発表しました。」

その後、18日にはカタールの仲裁によって両国が即時停戦に合意しました。
一見すると事態は沈静化したように見えますが、火種が消えたわけではありません。
この停戦は、対立の終結ではなく、勢力の再調整に向けた一時的な静止にすぎません。
むしろ、この衝突と停戦の経緯は、アジア全体の地政構造が再編されつつあることを示しています。

今回この話題を取り上げたのは、アフガニスタンとパキスタンの国境で起きた出来事が、実は日本を取り巻く国際構造と無縁ではないからです。
米国の影響が後退し、地域大国が主導する新しい秩序が各地で形を変えながら現れています。
アフガン情勢はその一断面であり、同じ力の再編は東アジアにも及びつつあります。

アフガニスタンとパキスタンの紛争なんて遠い世界のこと、日本には関係ないと思いがちです。
でも同じ“地球島”で起こっていること。地下水脈はつながっているかもしれません。
ここでは、日本の視点から、その意味を考えてみたいと思います。

パキスタンとアフガンの決裂

アフガニスタンは古くから東西文明の交差点として、多くの帝国が争奪してきた土地です。
冷戦期には米ソの代理戦争の舞台となり、1990年代後半にはパキスタン情報機関(ISI)が親パキスタン政権を築くためにタリバンを支援しました。
しかし2001年の9.11事件で、タリバンがアルカイダを庇護したことから、アメリカはアフガンを攻撃し、パキスタンもこれに協力しました。
その後20年に及ぶ戦闘の末、2021年に米軍が撤退すると、タリバンは再び政権を奪取します。

復権したタリバンはISIの干渉を拒み、逆にパキスタン領内で活動する過激派組織TTP(パキスタン・タリバン運動)を支援するようになりました。
TTPはパキスタン政府や軍を敵視しており、タリバンはかつての庇護者の背後で「敵の分派」を育てた形になりました。
今回の戦闘と停戦は、その長年の不信が表面化した結果であり、根本的な対立が解消されたわけではありません。

アメリカ撤退後の空白と「欧米不在」の地域構図

アメリカと欧州諸国はいまだにタリバン政権を承認していません。
その空白を埋めているのが、ロシア、中国、イラン、そしてインドです。

・ロシアは中央アジアの治安維持を重視し、タリバンとの接触を続けてきました。
・中国は鉱物資源と交通ルートを確保し、新疆ウイグル自治区への不安定の波及を防いでいます。
・イランは宗派の違いを超えて、アメリカの影響力が戻らないよう限定的な協力を続けています。
・インドはパキスタンの背後を突く戦略として、アフガンとの接触を再開しました。

それぞれの目的は異なりますが、いずれの国も「アフガンに欧米の影響を戻さない」という一点では一致しています。
そして今回、停戦を仲裁したカタールもまた、新たな調停国として存在感を示しました。
この「欧米不在の秩序」が、新しい地域構造の基盤になりつつあります。

ロシアの承認 ― 防御から攻勢への転換

ロシアは2025年7月、主要国として初めてタリバン政権を正式承認しました。
これまでロシアは、タリバンの動向を注視しつつも、ウクライナ戦争への対応に追われて承認を避けてきました。
しかし、ウクライナ戦争の長期化と欧米制裁の下で、ロシアはアフガンの地政学的価値を再評価しました。

アフガンはロシアにとって、
①インド洋に至る陸上回廊
②イスラム過激派の拡散源
③中央アジアの南側の防壁
という三つの戦略的価値を持っています。

第一に、制裁下で新たな貿易・輸送ルートを必要としており、イラン・中央アジア・アフガンを経由して南方へ抜ける経済ルートが浮上しました。
第二に、イスラム国ホラサン州(ISKP)の活動が拡大し、その封じ込めにはタリバンの協力が不可欠でした。
第三に、アフガンを欧米やパキスタンが再び取り込む動きを防ぐため、ロシアはタリバン承認によって自らの影響力を明確にしました。

こうしてロシアは、アフガンを中央アジアの前進防衛線と位置づけ、「防御的関与」から「攻勢的関与」へと転換したのです。
停戦後もロシアは、タリバンとの協力を強め、南方への戦略を継続しています。

欧米&パキスタン vs ロシア&インド ― 新しい対立軸

ロシアの承認によって、アフガン情勢は新たな局面を迎えました。
タリバンはかつての庇護者パキスタンと完全に決裂し、現在はロシアとインドが現実的な支えになっています。
インドはパキスタン封じ込めの一環として、すでにアフガンとの非公式接触を再開しています。教育や医療協力に加え、情報・治安分野での協力も広がっています。

2025年5月のインドとパキスタンの軍事衝突は、両国の緊張をさらに高め、インドがアフガンを戦略的接点として重視する動きを一層加速させました。
アフガンは、インドにとってパキスタンの背後を突く「間接的な圧力点」となりつつあります。

こうして、アフガンの戦闘と停戦の背後には、
「欧米&パキスタン」対「ロシア&インド」という新しい対立軸が形を取りつつあります。
国境での戦火も停戦も、その構造の表れにすぎません。

今回の停戦は表向きにカタール仲裁の成果のように報じられますが、米国の思惑が強く介在しています。複数の報道によれば、米国は直接交渉の場に姿を見せていないものの、「地域安定」と「テロ拡散防止」を理由に、停戦協議の後押しを行ったとみられています。
このままではアフガンがロシアとインドの影響圏に固定化される――
その前に、米国はカタールを通じて「対話の場」を維持し、勢力の一極化を防ごうとした可能性が高いのです。
停戦は、アフガンをめぐる米露間の静かな主導権争いの一局面でもあります。

クワッドの戦略的岐路に立つ日本

インドはロシアとの関係を維持しながら、欧米とも一定の距離を保つ独自外交を展開しています。
ロシアから割安で原油を輸入し続けるインドに対し、アメリカは高関税を課し、両国関係は緊張しています。
本年10月14日、トランプ大統領はモディ首相がロシアから原油を買わないと確約したと述べましたが、それを否定するインド側の主張も報じられ、いずれにしても実行の時期は未定です。

日本は安倍晋三元総理が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、クワッド(日米豪印)を軸に対中牽制の枠組みを作ってきました。
しかし、いまや参加国の利害は大きく異なっています。インドはロシアや中東との関係を優先し、中国を刺激しないよう調整しています。

日本はインドを「民主主義の盟友」として理想化するのではなく、現実外交のパートナーとしてどう扱うかを見極める必要があります。
クワッドは理念の同盟ではなく、利害の同盟として再定義すべき段階にあります。

メッセージ ― 鳥の目で世界を読む

アフガンで起きていることは、遠い地域の宗教紛争ではありません。
それは、世界秩序の分断が生み出す安全保障の綻びです。
停戦は一つの区切りではありますが、勢力間の力の再配置が進む過程にすぎません。

一つの地域で力の均衡が崩れれば、別の地域で新たな不安定が生まれます。
日本の周囲でも同じ構造が進行しています。
東シナ海、台湾海峡、朝鮮半島――
いずれも大国の利害が交錯し、秩序の再分配が進む現場です。

アフガン情勢を読み解くことは、国際構造の変化を見抜く訓練であり、それが日本の安全保障にどう波及するかを考える第一歩です。
世界の断層線を「他人の問題」として眺める限り、日本の戦略はつねに後手に回ります。
鳥の目で世界を俯瞰すること――それが、変化の時代を生き抜く最初の条件です。

(了)

安全保障には“即効薬”は効かない

■米価が再び高騰か?

さて――お米の収穫時期となり、再び米価の高騰が懸念されています。お米が5キロ5000円。この値段をどう受け止めるべきでしょうか。農家にとっては収入増につながる朗報のように見えますが、国民の「米ばなれ」を加速させ、結果として市場の縮小につながるかもしれません。飲食業界も同じです。原材料費の高騰から値上げせざるを得ないが、値上げすれば客足が遠のく。結局、消費者の収入が増えなければ、こうした悪循環からは抜け出せません。

■米国の関税政策へのアナロジー

この構造は、国際政治にも重なります。米トランプ政権は国内産業を守ろうと関税を引き上げました。短期的には国内生産を下支えしますが、同時に消費者価格があがり、消費が冷え込み、市場そのものが縮小してしまう可能性があります。グローバリズムがもたらした「安い商品」の恩恵と、その裏で進行した米国内での雇用・賃金の圧迫、直接かつ即時的な“即効薬”は、副作用を伴う危険があり、はたして有効な処方箋となるのでしょうか。

■ロシア・ウクライナ戦争を複雑化している要因

そして、この「即効薬と副作用」の関係は、ロシア・ウクライナ戦争にもはっきりと現れています。西側諸国はロシアに対して経済制裁という“外科手術”を施しました。金融制裁や資産凍結、エネルギー取引の制限――狙いは即効的な圧力でした。しかし実際には、ロシアは代替市場を開拓し、逆に欧州はエネルギー価格高騰という副作用に苦しめられています。制裁の効き目は限定的で、十分な効果を発揮していないのです。

その一方で、欧州が進めているエネルギー依存脱却の取り組みは“体質改善”にあたります。時間はかかりますが、ロシアへの依存構造を見直すことで長期的な安定を目指すものです。外科手術と体質改善――どちらか一方ではなく、両者の組み合わせが問われているのです。

■ 私たちの課題

トランプ前大統領の対ロシア姿勢も、この文脈で理解できます。彼はロシアに対して硬軟両用の外科手術的圧力を試みていますが、抜本的な手術には踏み込んでいません。その結果、効果は生じていません。では「抜本的な外科手術」とは何か。それはNATOを通じた本格的な軍事圧力でしょう。しかしそれは、誤れば致命的な衝突を招くリスクを孕んでいます。したがって、判断は容易ではありません。

要は、外科手術をどこまで行うのか、体質改善とどう組み合わせるのかです。その判断を誤れば、経済も安全保障も悪循環に陥る――これこそ、私たちが直面する大きな課題なのです。