核保有発言をめぐる混乱をどう読むか

――「検討に値しない」という印象は、どこから来たのか

日本の核保有をめぐる発言に、中国や北朝鮮が強く反発しています。
国内でも、議論は一気に「是か非か」に引きずられているようです。

その中で、元首相の 石破茂 氏は、次のように述べています。

日本が核を持てばNPTやIAEAから出て行かないといけなくなる。
そうなれば、日本のエネルギーを支えている原子力政策が成り立たなくなる。
核抑止の意味は否定しないが、日本にとって決してプラスにならない。

一見すると、現実的で慎重な意見に見えますが、私はここには重要な論点の省略があるように思います。

1「核を持てばNPT・IAEAから出る」は法的必然か

まず事実関係を整理します。

核拡散防止条約 は、核保有国と非核保有国の双方が加盟する条約です。核兵器国とは1967年1月1日以前に核実験を行った国、すなわち米・露・英・仏・中です。

非核兵器国それ以外です。条文上、「途中で核を持った国は自動的に脱退しなければならない」という規定はありません。つまり、日本が核を持つ、自動的にNPT脱退という法的規定は存在しないのです。

同様に、国際原子力機関 も、核保有国・非核保有国の双方が加盟している組織ですが、問題となるのは核保有ではなく査察の受け入れです。IAEAの加盟国にも、核兵器国(米・中・露など)と非核兵器国両方が含まれています。

IAEAは、核を持っているかどうかではなく、どの査察協定を結んでいるかで関係が決まります。日本は現在、非核兵器国用の「包括的保障措置」を受け入れていますが、仮に核を持てば、この枠組みは変更が必要となりますが、IAEAから必ず「脱退」しなければならない、という制度はありません。

以上のように、核を持ったからといって、 NPT・IAEAから自動的に排除されるわけではありません。

また、石破氏の発言は、「国際社会が強く反発し、結果的に脱退せざるを得なくなる可能性」を断定形で語っており、ここに、最初の論理の飛躍があるように思います。

2. 原子力政策は「成り立たなくなる」のか

 石破氏の核心的な懸念は、原子力政策です。確かに、日本は現在、核燃料の国際調達、技術協力、国際的な信頼を、NPT・IAEA体制の中で成り立たせています。
この点は、否定できない事実です。

 しかし、問題は、どの国がどの分野、どの程度協力を停止するのか、石破氏の発言では具体像は示されていません。

「成り立たなくなる」という表現は、最悪ケースを前提にした政治的断言であって、実際の見通しを分析したものではでないと言えます。

3. 石破論理で数えられていないコスト

 一方で、石破氏の議論には、意図的に触れられていない要素があります。それは、
核を持たないことで日本が背負っている安全保障上のリスクです。

  • 核恫喝に対する非対称性
  • 抑止を同盟国の意思に依存する構造
  • 相手の計算に入りにくい脆弱性

石破氏自身、「核抑止の意味は否定しない」と述べています。ならば本来は、NPT・IAEAに残ることで得ている利益核抑止を持たないことで負っているリスク、この両方を並べて比較しなければならないのですが、報道を見る限り、実際には、「失うもの」だけが強調され、「持たないことの代償」は数えられていません。

4.問題は賛否ではなく、議論の潰し方

ここで、核を持つかどうかは、国会、国民的合意、国際調整を伴う、極めて重い政治判断です。当然に軽々に決められる話ではありません。

しかし、だからこそ、元首相がマスメディアで容易に使かっていただきたくない

話法があります。それは、「検討すれば制度が全部壊れる」「だから議論する意味がない」という語り方です。

これは前提や結論を先に置き、検討そのものを危険視させる話法です。結果として、核保有は、考えること自体が無責任という印象が作られます。

これは政策論ではなく、マスメディアに都合よく動かされ、元総理、現政権と距離のある政治家を利用した印象操作とも言うべきでしょう。

5. 本来あるべき問い

本来、石破氏の発言を受けて提示されるべき問いは以下のようなものでしょう。

  • NPT・IAEAに加盟し続けることで、日本は何を得ているのか。
  • 核保有を持つメリット、デメリットはいかなるものか
  • 核保有を持たないことのメリット、デメリットはいかなるものか
  • 両者を比較したとき、日本にとってどちらが重いのか
  • 核抑止にかわる安全保障政策や外交はどのように日本の繁栄や防衛に貢献するのか

この問いに答えず、「プラスにならない」と断じる発言は、議論を終わらせる行為です。

石破氏の発言が問題点は、法制度と政治的可能性を混同し、最悪ケースを前提に断定し、比較を示さず結論だけが語られたという論理の省略にあります。

核保有を選ぶかどうかは、別の問題です。だが、検討に値しない悪手だと印象づける語り方は、元首相の言葉として、印象操作が過ぎると重います。

6.核兵器保有発言への反論

高市政権の側近が「核保有は現実的ではないが、核を保有することに賛成」の旨発言して、オフレコでもあるのにかからずマスメディアが報道し、国内のリベラル派や中国、北朝鮮の反発を招いています。逆に多くの国民が核保有を議論するきっかけとなり、SNSなどでは核保有を支持する意見も増えているように見受けられます。

核兵器保有発言には必ずといってよいほどよく用いられる反論があります。

「日本は唯一の被爆国だ」

「平和国家の地位を捨てるべきではない」

「核を持てば国際原子力機関(IAEA)から脱退する悪手になる」

ここで、次のことを問う必要があります。それらは、「日本の安全をどこまで守ってきたのか。」という問いです。さらに深堀するためには次の問いも必要です。

「被爆国という立場は、核軍縮を進めただろうか。」

「平和国家という自己規定は、中国や北朝鮮の軍拡を止めただろうか。」

「IAEA体制は、核恫喝を受けたとき日本を守るだろうか。」

被爆国家、平和国家には象徴的な価値はありますが、抑止力として機能しているかは別問題なのです。

核保有国は他国の核保有を嫌います。自分たちだけが持つ「優位」が崩れるからです。だからこそ、中国と北朝鮮の過剰反応は、この兵器の政治的効用を証明しています。

つまり、核を保有を議論するだけでも相手に考えさせる力を持ちます。

核を持たないことで得ている利益、核を持たないことで負っているリスク、この二つを、国民が同じ土俵で検討したことはありません。

高市政権の側近による核保有発言をきっかに一度しっかり論議すべきではないでしょうか。

議論を始める前に、議論を終わらせてはいけないのではなかいと思います。

布教の終焉と認知戦の時代

―語りからアルゴリズムへ

近ごろ、人が「信じる」あり方が大きく変わってきたと感じます。かつて人は、物語を聞き、時間をかけて納得し、信念を育てていきました。宗教の布教も政治の支持も、語り手と聞き手が関係を築きながら、体験を共有して信じる力を育てるものでした。そこには時間の厚みと、人の温度がありました。

しかし、現代の情報空間ではそれが失われつつあります。SNSや動画が流れるスピードは、言葉よりも速く感情を動かします。現代の「認知戦」は、まさにこの特性を前提にしています。狙うのは“納得”ではなく“反応”です。注意を奪い、感情を揺さぶり、行動を誘導する。アルゴリズムの仕組みが、この瞬間的な「反応」の連鎖をさらに増幅させています。

一方で、説話の時代における布教は、まったく逆の構造をもっていました。北ベトナムの説話による思想浸透や、宗教の布教のように、人々は物語を通じてゆっくりと納得し、共同体の中で信念を共有していきました。文字よりも声、感情を共にする時間が信仰を形づくったのです。

では、サイバー空間において布教は可能なのでしょうか。

オンラインでは、語り手と聞き手の関係性が希薄になり、説話の「身体性」は失われます。けれども、連続したストーリーテリングやコミュニティ形成によって、信頼や共同幻想を再現する動きも見られます。陰謀論の拡散や、熱狂的な政治支持層の形成などは、まさにデジタル時代の「新しい布教」と言えるかもしれません。

現代日本に目を向けると、政治の世界でも「説話から認知へ」の流れがはっきり見えます。

かつての公明党は、創価学会という共同体の中で体験を語り合い、人と人の関係を通じて支持を広げてきました。これは説話の構造をもった政治活動でした。

一方、参政党はSNSを駆使して共感や“気づき”を拡散します。支持は人間関係ではなく情報空間で形成され、短期間で信念が生まれる。説得ではなく「覚醒」を促す形です。ここにはまさに、布教から認知戦への転換が見て取れます。

宗教がICT環境に適応しにくいのは、この変化にあります。説話や納得、信頼の積み上げを前提とする布教は、即時的な情報の洪水には向きません。だからこそ信仰人口は減り、共同体は細りつつあります。

しかし、イスラム過激派のように、宗教的物語を認知戦に転化させた例もあります。映像や音楽を使い、怒りや使命感を刺激し、瞬時に人を動かす。そこでは「信じる」よりも「反応する」が優先されます。

布教の終焉とは、単に宗教の衰退を意味するのではありません。

人が物語によって納得し、他者との関係の中で信じていくという、人間の学習の形そのものが変わりつつあるということです。説話の時代が終わり、アルゴリズムの時代が来た。

人はもはや「教えられて」動くのではなく、「感じ取って」動く。

信仰も、思想も、そして政治も――反応の時代の中で再び形を変えています。

医薬品とは何か――税と広告に囲い込まれた「健康」の幻想

確定申告の季節に考えます


確定申告の時期に思う「医療控除」のからくり

年末が近づくと、医療費控除やセルフメディケーション税制の話がよく出てきます。政府は「自分の健康は自分で守りましょう」と呼びかけ、市販薬にも税の優遇があるように見えます。多くの人が「薬を買えば税金の保護を受けられる」と思っているのではないでしょうか。私もその一人でした。

歯茎の炎症にビタミンDを、頻尿に八味地黄丸を飲みました。どちらも医薬品ですし、治療のつもりでした。だから10万円を超えれば、その額が控除されると信じて、領収書を集めていました。ところが確定申告では、これは「治療」とは認められませんでした。医薬品であるかどうかより、「治療のために使われたか」が判断の基準になるのです。医師の処方がなければ、原則として医療費控除の対象外です。市販の風邪薬の一部は例外として認められることもあるようですが、限られています。
――学んだことはひとつ。レシートは貯まっても、控除は貯まらないのです。


「自助」を勧めつつ、制度は支援しない

政府は医療費の増加を抑えるために「セルフメディケーション」を推進しています。ところが、制度の実際は自分で治療しようとする人をあまり助けません。予防や健康維持の重要性を訴えながら、漢方薬やサプリメントの多くは控除の対象になりません。

医師が関与すれば控除の対象になりますが、自分で治そうとすれば対象外になります。つまり、政府は「自助」を勧めながら、その努力を税制では支援していないのです。結果として、セルフで頑張るほど、財布もセルフで頑張らなければならなくなります。


広告がつくる「健康」の幻想

テレビをつけると、芸能人が「健康」「元気」「若さ」を明るく勧めます。体調がすぐれないとき、人はつい何かにすがりたくなります。その心理をねらって、巧妙な広告が流れます。
「アンケートに答えると1万人に無料提供」「今だけ70%割引」――そうした言葉が安心感と期待をくすぐります。けれど、それらの多くは医薬品ではなく、効果もはっきりしません。懸賞に応募すれば必ず当選し、「続けないと効果が出ません」と勧められる。典型的な販売の仕掛けです。

医師にサプリの効果を尋ねると、「薬ではありませんから」と明確に言われます。コマーシャルの言葉と、医師の言葉。その差を前にして、何が本当の「情報」なのか分からなくなります。政府は「偽情報に注意」「情報リテラシーを高めよう」と呼びかけますが、こうした広告にはほとんど手をつけません。理由は明快です。広告の裏には企業の利益と税収があるからです。


「医薬品」というラベルの意味

国は「特定保健用食品(トクホ)」や「医薬品認定」という肩書を与えます。これは科学的な保証というより、安心を与えるための商業ラベルです。その「お墨付き」は、健康意識の高い人ほどよく効きます(広告効果として)。しかし、税の優遇はほとんどなく、確定申告では治療の証拠にもなりません。

結局、「医薬品」とは何でしょうか。それは「治すためのもの」ではなく、政府が定めた枠の中で意味を持つ商品ラベルに過ぎないのかもしれません。そして政府が認定を続けるのは、「国民の健康を見ています」という姿勢を示すためでもあるのでしょう。

私たちは、健康情報の洪水の中で「自分で選んでいる」と思いながら、実際には誰かに選ばされていることがあります。用心深い人ほど、別の形の仕掛けに引き寄せられます。芸能人の広告には騙されないと思っても、「トクホ」や「医薬品」のラベルには、あっさり信頼を置いてしまうのです。

ノーベル科学賞と「技術国家」中国 ― 日本の過去と現在を分けるもの

今年、科学界を駆け巡った明るいニュースがありました。
日本人研究者2名が、同じ年にノーベル賞(生理学・医学賞と化学賞)を受賞したのです。坂口志文氏は「免疫応答を抑制する仕組みの発見」で、北川進氏は「金属有機構造体(MOF)の開発」で評価を受けました。

この受賞により、日本人のノーベル賞受賞者は30名を超えました。
そのうち自然科学3分野(物理学・化学・生理学/医学)に限れば、およそ25名に達しています。国別で見ても、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスに次ぐ位置にあります。

一方で、中国の自然科学分野での受賞者は建国以来わずか数名にとどまり、中国本土の研究機関に所属していたのは、2015年に医学生理学賞を受けた人物ただ1人です。

日本の科学技術がかつて世界をリードしていたことは間違いありません。しかし、いまそれを「過去の成果」としてしか語れないとしたら、それは危うい兆しでもあります。

なぜ中国の科学系受賞が少ないのか

まず、ノーベル賞の前提にある研究文化に違いがあります。この賞はもともと西側の研究体制を基準にしており、冷戦期の中国はその枠組みから外れていました。また、自然科学分野でノーベル賞を得るには、20〜30年にわたる基礎研究の積み重ねが欠かせません。中国が科学技術を国家戦略として重視し始めたのは1990年代以降であり、成果が表れるまでには時間が必要でした。

もう一つの背景は、人材の評価軸にあります。かつて中国では科挙の伝統が残り、科学者よりも官僚が高く評価されました。優秀な学生は官界や経済界に進み、研究職の地位は高くなかったのです。そのため、才能ある人材が海外に流出する傾向が長く続きました。

日本も事情は似ています。今回の受賞者たちは1970〜90年代に研究を積み重ねた世代で、今の研究環境がそのまま未来のノーベル賞につながるとは限りません。

今、中国が進める「技術国家」化

それでも中国は、この遅れを驚くほどの速さで取り戻しています。胡錦濤政権(2002〜2012年)は理工系出身者が多い「技術官僚政権」で、科学技術を国家発展の中心に据えます。その流れを引き継ぎ、2015年に発表された「中国製造2025」では、AI、半導体、新エネルギー、バイオ医薬など10分野を重点指定し、国を挙げて開発を進めています。

結果として、中国の科学論文数は世界最多となり、「Nature Index」の主要誌寄与度でも首位を維持しています。さらに、世界で最も引用された上位1%の論文数でも、中国は2018〜2020年の平均でアメリカを上回りました。

AI、量子通信、次世代バッテリーなどの先端分野では、すでにアメリカと並ぶ、あるいは分野によっては上回る水準に達しています。米国が同盟国と連携して半導体やAI関連技術の対中輸出を制限しているにもかかわらず、中国は国産スマートフォンを開発し、ChatGPTに追随する生成AI「DeepSeek」を登場させました。

DeepSeekは2025年に発表された中国製の生成AIで、開発コストはChatGPTの数十分の一、性能はGPT-4oに匹敵すると報じられています。この成功は、中国が輸出規制の壁を越えて、独自技術の自給体制を築き始めていることを示しています。

さらに中国政府は、国家予算の重点項目として科学技術を明確に位置づけています。AI、半導体、宇宙開発、新エネルギー産業などへの支出を拡大し、2024年度の国家財政報告では「科学技術イノベーション支出」が前年比で約10%増。軍事・社会保障と並ぶ三大重点分野の一つとなりました。

政策の集中、研究成果の拡大、特許の増加――。いまや中国は量だけでなく、質と応用を伴う「技術国家」へと進化しています。

日本はなぜ遅れを取ったのか

一方で、日本はこの流れに乗り切れていません。中国が国家戦略として科学技術を育てるのに対し、日本の研究政策は一貫性を欠き、大学の研究費は減り続けています。企業は短期利益を優先し、若手研究者が長期テーマに挑む余地が小さくなりました。

行政も縦割りが強く、文部科学省、経済産業省、防衛省がそれぞれ独自に支援を行うものの、国としての方向性が共有されていません。

もう一つの違いは、政治指導者の科学理解の深さです。中国の指導部は理工系出身者が多く、科学を政策の言葉として使うことができます。
日本の政治家は法学や経済学の出身が多く、科学技術を国家の将来像として描く力が弱いのです。そのため、科学技術は「国家構想」ではなく「予算項目」として扱われてきました。

メッセージ ― 現実を客観的に評価する

情報分析で最も避けなければならないのは、「見たい現実だけを見る」ことです。これは「確証バイアス」と呼ばれ、インテリジェンスにおける大きな弊害です。

日本では「中国は模倣ばかり」「西側の規制で成長は止まる」といった言葉が繰り返されます。それは、「中国に抜かれたくない」「中国は後進国のはずだ」といった先入観や希望的観測に影響を受けています。

分析に必要なのは、過小評価でも過大評価でもなく、客観的な評価です。都合のよい期待や先入観を排し、事実に基づいて現在の力を測る。それが、インテリジェンスを扱う者にとって最も基本的な姿勢です。

(了)

熊と高市新政権

熊の被害が全国で広がっている。これまで、熊を射殺すると「かわいそうだ」「共存が大切だ」と訴える声があった。中には、熊を殺傷処分した行政に苦情の電話をかける人もいた。しかし、熊が次々と人間の生活圏に入り、死傷者が出るようになると、ようやく社会が事態の深刻さを理解し始めたように見える。秋田県知事が自衛隊の出動を視野に入れた発言をしたことも、危機感の表れだ。ただし、自衛隊には熊の射殺権限はないという。

同じ時期に、高市新政権は積極外交、日米同盟の強化、防衛費の増額、国家情報局の設置検討など、国の安全保障政策を前面に打ち出している。これに対して、「力による抑止は危うい」と批判する声もある。しかし、熊の問題と照らしてみれば、状況は似ている。
一方的に人間の生活圏に踏み込む熊に対して、「共存」や「棲み分け」を唱えるだけでは、人を守れない。同じように、日本の領域に踏み込む勢力に対して、話し合いだけで抑止が成立するとは限らない。防衛力の整備や、場合によっては示威的な行動も必要だろう。熊も、国際秩序を乱す国も、柔らかな言葉だけでは行動を止めない。現実には、力の裏づけを伴った対応がなければ、安全も共存も成り立たないのではないか。

高市新内閣発足――「学歴」という尺度で見た実像

10月21日、高市早苗新内閣が発足した。公明党の連立離脱という異例の経緯を経て、自民党は維新の会との閣外協力に踏み切った。掲げたのは、積極財政と議員定数の削減。政権の看板は「経済再生と政治改革の両立」だが、布陣を細かく見ると、もう一つの特徴がある。評価の尺度はいくつもある。政策理念や派閥バランス、人事の意外性など、どこに焦点を当てるかで印象は変わる。だが、ここでは「学歴」という冷たい指標から見てみたい。確認できる範囲で、閣僚十八人のうち少なくとも七人が東京大学出身だ。比率にしておよそ四割。これは近年の内閣としては際立って高い。

具体的には、林芳正(総務)、茂木敏充(外務)、片山さつき(財務)、平口洋(法務)、鈴木憲和(農林水産)、赤澤亮正(経済産業)、城内実(経済財政・規制改革)らが東大卒である。多くが旧大蔵省や旧外務省など、官僚出身の政治家だ。首相自身は神戸大学出身だが、政権の中枢を東大法学部を中心とするエリート層が固めている構図である。

かつて「政治主導」が唱えられた時代もあったが、今回の内閣はむしろ官僚機構と似た思考訓練を受けた政治家たちが再び中心に立ったように見える。財務・法務・総務・外務という制度運営の中核ポストに、訓練されたエリート層が配置されているのは偶然ではない。

もちろん、学歴が政治の力量を保証するわけではない。だが、国家の意思決定を担う人々がどのような環境で思考を鍛え、どんな知的文化を共有してきたのかをたどれば、政策判断の方向性はある程度読める。東大という同じ教育空間で育った人々が、似た前提や価値観を持っているとすれば、それは政権の思考の枠組みそのものになる。

国民の中には「政治家はバカだ」「官僚がすべて決めている」と言う人もいる。しかし現実には、政治家の学歴水準は官僚より高い。問題は知能ではなく、どのような判断軸で国を動かすかだ。高市内閣の構成を見る限り、これは“感覚の政治”ではなく、“理性の政治”を志向する布陣である。

積極財政と改革路線をどう両立させるのか。その成否を占う前に、まずは政権の知的輪郭――誰が、どんな思考で国家を動かそうとしているのか――を見極める必要がある。

八咫烏とレイヴン――真実を告げる鳥たち

夜明けの街で「カァ、カァ」と鳴くカラスの姿は、どこか不気味に映る。黒い羽、冷たい瞳、群れで舞う姿は、人間にとって畏れの対象であり続けてきた。けれども、この鳥ほど古今東西で「知恵」や「情報」の象徴とされてきた存在はない。小さな頭に詰まった脳は、実は人間の子どもに匹敵する認知能力を秘め、仲間と協力して行動し、ときに人間に仕返しをするほどの記憶力を持つ。カラスは単なる害鳥ではなく、古来から人類にとって「真実を運ぶ者」として神話や伝承に刻まれてきたのである。

日本における代表例が、八咫烏(やたがらす)だ。『日本書紀』や『古事記』に登場するこの神鳥は、神武天皇の東征を導いたとされる。三本足の大きなカラスとして描かれ、「八咫」とは「非常に大きい」という意味を持つ。八咫烏はただの霊鳥ではなく、正しい道を示し、進むべき方向を迷わせない案内役だった。これはつまり「情報を収集し、適切に提示する存在」、すなわちインテリジェンスの役割そのものである。現在でもサッカー日本代表のエンブレムに八咫烏が描かれているのは、「チームを導く知恵の象徴」という意味合いが込められているからだろう。

一方、西洋においてカラスはしばしば「死」や「不吉」の象徴とされた。黒い羽と不気味な鳴き声、そして死肉を食べる習性が、戦場や処刑場と結びついたからだ。中世ヨーロッパではペストの流行時、死体の上を舞うカラスが死神の使いと恐れられた。しかし興味深いのは、西洋でもカラスは「情報」と不可分の存在として描かれてきたことだ。北欧神話では、主神オーディンの肩にフギン(思考)とムニン(記憶)という二羽のワタリガラスがとまっていた。彼らは世界中を飛び回り、見聞きしたことを報告する役割を担った。つまり、オーディンは神でありながら、カラスという「情報将校」を従えていたのである。

さらに近代以降の文学でも、カラスは情報の象徴として生き続ける。エドガー・アラン・ポーの詩『The Raven(大鴉)』では、一羽のカラスが主人公に「Nevermore(もう二度と)」と告げる。これは死んだ恋人が帰らないという冷酷な真実を突きつける言葉だった。ここでのカラスは、耳障りな慰めを拒否し、ただ「不都合な現実」を伝える冷徹なインテリジェンスそのものだ。現代のスパイ用語でも、ハニートラップを仕掛ける男性スパイを「レイヴン」と呼ぶことがある。カラスが「暗い真実を持ち帰るスパイ」としての隠喩を帯び続けている証拠だろう。

こうして見ると、日本と西洋のカラス観は正反対のようでいて、本質的には同じものを映している。日本では「吉兆の導き手」として、進むべき方向を示す情報官。西洋では「死を告げる鳥」として、不都合な真実を突きつけるスパイ。どちらも「インテリジェンス」と切っても切れない存在として文化に刻まれている。違うのは、その情報を「希望」と見るか「恐怖」と見るか、という解釈の差にすぎない。

科学的に見ても、カラスはその象徴にふさわしい能力を持っている。人の顔を識別して記憶する力、仲間に情報を伝達する社会性、未来のために道具を保存する計画性。都市の中で車を利用してくるみを割る行動は、環境を観察し、状況を利用する柔軟な思考の表れである。これはまさにインテリジェンスの本質──情報を集め、分析し、状況に応じて活用する力──と重なる。

カラスを単なる「不吉な鳥」として片付けるのは容易だ。しかし、八咫烏が日本の国を導き、レイヴンが西洋の神や詩人に「真実」を告げたことを思えば、この鳥が古来から人間にとって「情報の化身」であったことは明らかである。カラスは今日も街を飛び、冷たい瞳で私たちを見つめている。その姿はまるで、「お前は真実を見る勇気があるか」と問いかけているかのようだ。

パレスチナ国家に思うこと(2025年9月23日作成)

本日の新聞では、英国・豪州・カナダがパレスチナ国家を承認し、フランスも承認予定と報じられています。これに対し、日本は先日、岩屋外務大臣が「未承認」を表明しました。

その説明の要点は、

  • 「外部から干渉して対立を激化させない」
  • 「イスラエルに自制を促すカードを留保する」
    といった理屈にまとめられます。

しかし、ロシア・ウクライナ戦争では日本は積極的に支援しました。結果として対立を激化させており、今回の姿勢とは矛盾します。こうした二重基準は、日本が「独自判断を装いながら、実際には対米従属している」と見られかねません。さらに「米国と同様にイスラエルの武力行使を間接的に容認している」との印象も避けられないでしょう。

そもそも日本外交は対米従属を前提としており、外務省は自主判断に見せかける理屈を用意してきました。しかし、情報が多元化した現在、建前だけの説明では国民は納得しません。背後には、米国からの関税圧力を少しでも和らげたい思惑もあったでしょう。けれども、従属的な姿勢を示したところで信頼は得られません。むしろ欧州諸国のように、主導的な駆け引きを見せる絶好の機会だったのではないでしょうか。

承認しないという判断自体は、一つの選択肢として理解できます。私も必ずしも政府方針に反対ではありません。しかし、その説明が「建前」で固められている以上、説得力を欠き、国民から理解されることはないのです。

拙著を恵送して考えた郵便事情(2025年9月26日作成)

□はじめに

先週、新刊『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』の見本(完成品と同じもの)が届きました。そこで、お世話になっている方々やご紹介いただけそうな方々へ献本を始めました。

郵送はスマートレターを利用すれば210円で済みます。本書は303ページで厚さちょうど2センチ。もっとも安価に送れる方法です。2冊送る場合はレターパックライトで430円。さらに台湾へも1冊送りましたが、こちらはEMSで500グラム以下(本書は380グラム)の扱いとなり、1450円かかりました。地理的には近くても、やはり「外国」であることを実感させられます。


日本の郵便制度

改めて感じたのは、日本の郵便料金が全国一律であることのありがたさです。東京から与那国島へ送ろうと、隣町に送ろうと、料金は同じ。

離島や山間部に住む人々の中には「自分たちは国家に顧みられていない」と感じる瞬間もあるでしょう。しかし居住地を選ぶのは個人の自由であり、その自由を前提に、郵便制度は全国民が平等に恩恵を受けられる仕組みを保っています。あえて非効率を抱え込みつつも「あなたもこの国の一員です」と静かに伝えているのです。実際、近距離の郵便で浮いた利益を、遠距離に均等配分する仕組みがあるのだそうです。


郵便制度は国家からのメッセージ

台湾有事を想定すれば、南西諸島は最前線となります。しかし同時に、地理的・政治的・歴史的に距離を感じやすい地域でもあります。だからこそ全国一律料金は、そうした距離を縮める「国家からの静かなメッセージ」と言えるのではないでしょうか。

何より国民全体が「離島や僻地も日本国の確かな一部である」という認識を持つ必要があります。これらの地域を支えることは、単なる善意や思いやりではなく、私たち自身の暮らしを守る安全保障の基盤そのものだからです。

一方で、離島や僻地に暮らす人々も、国家や国民全体からの支援で生活が成り立っていることを自覚することが求められます。支える側と支えられる側が互いにその役割を認め合うとき、国家共同体としての一体感が形づくられるのです。郵便の一通は、その思いを結びつける小さな旗印のように見えてきます。


郵便のハプニング

もっとも、現実には困った出来事もありました。台湾へ送った1冊は、封筒が破れて中身が紛失。先方から「届いたが本が入っていなかった」との連絡を受けました。封筒ではなく箱で梱包すべきでした。日本ではまず考えにくいケースですが、海外では一筋縄ではいかないようです。

さらに追い打ちをかけるように、スマートレターで送った2冊が「厚さ2センチ以上なので送れない」との紙片付きで自宅に返送されました。投函から3日後のことです。本の厚さはちょうど2センチのはずでしたが、実際には2センチ1ミリだったのかもしれません。以前は同じ厚さで問題なく送れていただけに納得がいきませんでした。

特に不満を覚えたのは紙片の表現です。「2センチ以上」と「2センチまで」では意味合いが違います。結局、恣意的な目分量ではないかと疑いました。近くの郵便局に持ち込みましたが、判断は上級部署次第とのことで埒があかず、結局電話で担当者と話すことに。しかし最終的には諦めました。スマートレター自体が1ミリあり、全体で2センチを超えていたからです。

とはいえ、改善してほしいのは説明の仕方でした。「計測器で測ったところ、2センチ1ミリありました。スマートレターは安価なサービスであり、厚さ制限は厳格に適用しています。申し訳ありませんが、今回の郵便物は送れません」と明記されていれば、まだ納得できたでしょう。社員教育や表現の適切さが問われる出来事でした。

台湾訪問で考えたこと(2025年9月14日作成)

■台湾訪問

先週、3泊4日で台湾を訪れました。昨年4月以来の再訪です。

「2027年危機説」が叫ばれて久しいものの、現地の市民生活は驚くほど平穏で、空港には大陸からの旅行者も目立ちます。松山空港と上海虹橋空港を結ぶ直行便も活発に運航され、台湾社会の落ち着きを象徴しているようでした。

ただ、台湾の物価の高さには驚かされました。日本よりも高く感じられたのは、物価の問題というよりも円安の影響かもしれません。

■台湾は半導体のメッカ

今回の訪問では、新竹サイエンスパークと台北郊外での半導体展示会に参加し、日本の半導体企業で常駐されている方に案内していただきました。

台湾は世界の半導体供給を担う存在です。国家として半導体産業を育成し、博士課程を修了した技術者の年収は3,000万円に達するとされます。小学校からデジタル教育を徹底し、子どもたちの将来の夢も「技術者」が主流。すでに日本は台湾や韓国に後れを取っています。

私はこれまで、国家戦略とは「国の資源(能力)×政府の意志力(意図)」と規定していましたが、そこに教育を加える必要があると痛感しました。国家意思に基づく教育こそが長期戦略を支える。教育が伴わなければ、戦略の持続性はない――今回の最大の学びでした。

■半導体シールドへの疑念

中国にとって台湾の半導体は垂涎の的であり、それが軍事侵攻をためらわせる要因ともなっています。いわゆる「半導体シールド」です。TSMC新竹工場では米国の要請に応じて海外生産拠点を拡大しつつも、中国との取引も継続しています。

しかし、ここ数年「半導体シールド」に対する疑念も語られるようになっています。中国も少子高齢化に向かう一方で、半導体の製造力を急速に高めています。「今しかない」と判断するか、あるいは「台湾の半導体が死活的ではない」と見なすなら、中国は強引に台湾へ侵攻する可能性も否定できません。

■中国による「釜底抽薪」

米中対立の本質は、いまや「半導体戦争」です。

アメリカは台湾・日本・韓国・欧州に輸出規制を迫り、中国は先端半導体に不可欠なレアメタルの輸出規制で対抗しています。これは、中国兵法三十六計の「釜底抽薪」――釜の下から薪を抜き、敵の力を根本から奪う策に通じます。

表面上は安定し、技術大国の道を歩む台湾ですが、対中脅威は現実です。新竹のサイエンスパークでは「もし侵攻があれば施設を爆破する」といった物騒な噂も流れており、台湾社会に根強い危機意識が存在することもうかがえます。

■『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』まもなく出版

拙著『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』は、9月27日に刊行予定です。発刊部数は限られます。兵法三十六計の思考法を通じて、中国のしたたかな戦略を描いた一冊となっています。「釜底抽薪」では、中国のエコノミックステェイトクラフトと、米中半導体戦争を描いてます。各計略にちなんだ現実をあからさまに描いています。ぜひ、この機会にご一読ください。

あわせて、既刊の『15歳からのインテリジェンス入門』も、ブロガーさんのご紹介などをきっかけに認知が広まり、アマゾンランキングも上昇しています。こちらも手に取っていただければ幸いです。