医薬品とは何か――税と広告に囲い込まれた「健康」の幻想

確定申告の季節に考えます


確定申告の時期に思う「医療控除」のからくり

年末が近づくと、医療費控除やセルフメディケーション税制の話がよく出てきます。政府は「自分の健康は自分で守りましょう」と呼びかけ、市販薬にも税の優遇があるように見えます。多くの人が「薬を買えば税金の保護を受けられる」と思っているのではないでしょうか。私もその一人でした。

歯茎の炎症にビタミンDを、頻尿に八味地黄丸を飲みました。どちらも医薬品ですし、治療のつもりでした。だから10万円を超えれば、その額が控除されると信じて、領収書を集めていました。ところが確定申告では、これは「治療」とは認められませんでした。医薬品であるかどうかより、「治療のために使われたか」が判断の基準になるのです。医師の処方がなければ、原則として医療費控除の対象外です。市販の風邪薬の一部は例外として認められることもあるようですが、限られています。
――学んだことはひとつ。レシートは貯まっても、控除は貯まらないのです。


「自助」を勧めつつ、制度は支援しない

政府は医療費の増加を抑えるために「セルフメディケーション」を推進しています。ところが、制度の実際は自分で治療しようとする人をあまり助けません。予防や健康維持の重要性を訴えながら、漢方薬やサプリメントの多くは控除の対象になりません。

医師が関与すれば控除の対象になりますが、自分で治そうとすれば対象外になります。つまり、政府は「自助」を勧めながら、その努力を税制では支援していないのです。結果として、セルフで頑張るほど、財布もセルフで頑張らなければならなくなります。


広告がつくる「健康」の幻想

テレビをつけると、芸能人が「健康」「元気」「若さ」を明るく勧めます。体調がすぐれないとき、人はつい何かにすがりたくなります。その心理をねらって、巧妙な広告が流れます。
「アンケートに答えると1万人に無料提供」「今だけ70%割引」――そうした言葉が安心感と期待をくすぐります。けれど、それらの多くは医薬品ではなく、効果もはっきりしません。懸賞に応募すれば必ず当選し、「続けないと効果が出ません」と勧められる。典型的な販売の仕掛けです。

医師にサプリの効果を尋ねると、「薬ではありませんから」と明確に言われます。コマーシャルの言葉と、医師の言葉。その差を前にして、何が本当の「情報」なのか分からなくなります。政府は「偽情報に注意」「情報リテラシーを高めよう」と呼びかけますが、こうした広告にはほとんど手をつけません。理由は明快です。広告の裏には企業の利益と税収があるからです。


「医薬品」というラベルの意味

国は「特定保健用食品(トクホ)」や「医薬品認定」という肩書を与えます。これは科学的な保証というより、安心を与えるための商業ラベルです。その「お墨付き」は、健康意識の高い人ほどよく効きます(広告効果として)。しかし、税の優遇はほとんどなく、確定申告では治療の証拠にもなりません。

結局、「医薬品」とは何でしょうか。それは「治すためのもの」ではなく、政府が定めた枠の中で意味を持つ商品ラベルに過ぎないのかもしれません。そして政府が認定を続けるのは、「国民の健康を見ています」という姿勢を示すためでもあるのでしょう。

私たちは、健康情報の洪水の中で「自分で選んでいる」と思いながら、実際には誰かに選ばされていることがあります。用心深い人ほど、別の形の仕掛けに引き寄せられます。芸能人の広告には騙されないと思っても、「トクホ」や「医薬品」のラベルには、あっさり信頼を置いてしまうのです。

ノーベル科学賞と「技術国家」中国 ― 日本の過去と現在を分けるもの

今年、科学界を駆け巡った明るいニュースがありました。
日本人研究者2名が、同じ年にノーベル賞(生理学・医学賞と化学賞)を受賞したのです。坂口志文氏は「免疫応答を抑制する仕組みの発見」で、北川進氏は「金属有機構造体(MOF)の開発」で評価を受けました。

この受賞により、日本人のノーベル賞受賞者は30名を超えました。
そのうち自然科学3分野(物理学・化学・生理学/医学)に限れば、およそ25名に達しています。国別で見ても、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスに次ぐ位置にあります。

一方で、中国の自然科学分野での受賞者は建国以来わずか数名にとどまり、中国本土の研究機関に所属していたのは、2015年に医学生理学賞を受けた人物ただ1人です。

日本の科学技術がかつて世界をリードしていたことは間違いありません。しかし、いまそれを「過去の成果」としてしか語れないとしたら、それは危うい兆しでもあります。

なぜ中国の科学系受賞が少ないのか

まず、ノーベル賞の前提にある研究文化に違いがあります。この賞はもともと西側の研究体制を基準にしており、冷戦期の中国はその枠組みから外れていました。また、自然科学分野でノーベル賞を得るには、20〜30年にわたる基礎研究の積み重ねが欠かせません。中国が科学技術を国家戦略として重視し始めたのは1990年代以降であり、成果が表れるまでには時間が必要でした。

もう一つの背景は、人材の評価軸にあります。かつて中国では科挙の伝統が残り、科学者よりも官僚が高く評価されました。優秀な学生は官界や経済界に進み、研究職の地位は高くなかったのです。そのため、才能ある人材が海外に流出する傾向が長く続きました。

日本も事情は似ています。今回の受賞者たちは1970〜90年代に研究を積み重ねた世代で、今の研究環境がそのまま未来のノーベル賞につながるとは限りません。

今、中国が進める「技術国家」化

それでも中国は、この遅れを驚くほどの速さで取り戻しています。胡錦濤政権(2002〜2012年)は理工系出身者が多い「技術官僚政権」で、科学技術を国家発展の中心に据えます。その流れを引き継ぎ、2015年に発表された「中国製造2025」では、AI、半導体、新エネルギー、バイオ医薬など10分野を重点指定し、国を挙げて開発を進めています。

結果として、中国の科学論文数は世界最多となり、「Nature Index」の主要誌寄与度でも首位を維持しています。さらに、世界で最も引用された上位1%の論文数でも、中国は2018〜2020年の平均でアメリカを上回りました。

AI、量子通信、次世代バッテリーなどの先端分野では、すでにアメリカと並ぶ、あるいは分野によっては上回る水準に達しています。米国が同盟国と連携して半導体やAI関連技術の対中輸出を制限しているにもかかわらず、中国は国産スマートフォンを開発し、ChatGPTに追随する生成AI「DeepSeek」を登場させました。

DeepSeekは2025年に発表された中国製の生成AIで、開発コストはChatGPTの数十分の一、性能はGPT-4oに匹敵すると報じられています。この成功は、中国が輸出規制の壁を越えて、独自技術の自給体制を築き始めていることを示しています。

さらに中国政府は、国家予算の重点項目として科学技術を明確に位置づけています。AI、半導体、宇宙開発、新エネルギー産業などへの支出を拡大し、2024年度の国家財政報告では「科学技術イノベーション支出」が前年比で約10%増。軍事・社会保障と並ぶ三大重点分野の一つとなりました。

政策の集中、研究成果の拡大、特許の増加――。いまや中国は量だけでなく、質と応用を伴う「技術国家」へと進化しています。

日本はなぜ遅れを取ったのか

一方で、日本はこの流れに乗り切れていません。中国が国家戦略として科学技術を育てるのに対し、日本の研究政策は一貫性を欠き、大学の研究費は減り続けています。企業は短期利益を優先し、若手研究者が長期テーマに挑む余地が小さくなりました。

行政も縦割りが強く、文部科学省、経済産業省、防衛省がそれぞれ独自に支援を行うものの、国としての方向性が共有されていません。

もう一つの違いは、政治指導者の科学理解の深さです。中国の指導部は理工系出身者が多く、科学を政策の言葉として使うことができます。
日本の政治家は法学や経済学の出身が多く、科学技術を国家の将来像として描く力が弱いのです。そのため、科学技術は「国家構想」ではなく「予算項目」として扱われてきました。

メッセージ ― 現実を客観的に評価する

情報分析で最も避けなければならないのは、「見たい現実だけを見る」ことです。これは「確証バイアス」と呼ばれ、インテリジェンスにおける大きな弊害です。

日本では「中国は模倣ばかり」「西側の規制で成長は止まる」といった言葉が繰り返されます。それは、「中国に抜かれたくない」「中国は後進国のはずだ」といった先入観や希望的観測に影響を受けています。

分析に必要なのは、過小評価でも過大評価でもなく、客観的な評価です。都合のよい期待や先入観を排し、事実に基づいて現在の力を測る。それが、インテリジェンスを扱う者にとって最も基本的な姿勢です。

(了)

インテリジェンス思考術(第3回)

インテリジェンスの使用者と生産者

■犯罪捜査とインテリジェンス――共通点と決定的な違い

犯罪捜査とインテリジェンスには共通点があります。どちらも情報を集め、分析し、判断し、行動の根拠をつくる活動です。どちらも「不確実な状況の中で、判断を誤らないようにする」ことを目的にしています。

しかし、その判断が向かう時間の方向が異なります。犯罪捜査は過去を対象にします。目的は「誰が何をしたか」という事実の確定です。警察官は事件現場で「証拠」を集め、捜査員は容疑者の動機を探り、最終的に裁判で立証できる形に整えます。そこでは何よりも正確性が求められます。誤った判断は冤罪につながるため、推測や仮説は許されません。監視カメラの映像、指紋、通信記録といった一つの確実な証拠があれば、事件は解決に向かいます。犯罪捜査とは、確実な情報過去を確定させる営みです。

これに対し、インテリジェンスは未来を対象にします。問いは「これから何が起こるか」「どう備えるか」です。未来には証拠がありません。たとえ正確な一つの情報があっても、それだけで結論は出せません。未来を示唆する兆候という複数の情報を組み合わせ(統合)、意味を見出し(解釈)ながら、まだ形になっていない事態を推測していく必要があります。

ここで重視されるのは、情報の正確性よりも適宜性――すなわち「その情報が判断のタイミングに間に合うかどうか」です。

伝説の情報将校ワシントン・プットが指摘したように、インテリジェンスには「有用性・正確性・適宜性」という三つの要件があります。このうち最も重いのは有用性です。いかに正確でも、意思決定に使えなければ意味がありません。そして、正確性よりも適宜性が重い。少し誤りがあっても、適切な時期に提供されれば、被害や損失を防ぐ行動につながるからです。

未来に間に合わない正確な情報よりも、今すぐ使える判断材料のほうが価値を持つ――これがインテリジェンスの世界の原理です。

こうして見ると、両者は似て非なる営みです。犯罪捜査は過去の真実を確定する作業であり、インテリジェンスは未来の判断を導く営み。どちらも情報を扱うが、目指す方向がまったく違うのです。

■インテリジェンスの使用者と生産者 ― “問い”を共有する関係

インテリジェンスは、人がつくる知識です。
そして、それを「使う人」と「つくる人」の関係が、その質を決めます。

情報を集め、分析し、知識を生み出す側が生産者(producer)。それを受け取り、意思決定や行動に反映させる側が使用者(consumer)です。
生産者の立場からは、使用者をカスタマー(お客)と呼ぶこともあります。

国家でいえば、分析官や情報将校が生産者であり、政策決定者や軍の指揮官が使用者です。同じ構造はビジネスの世界にも見られます。企業でいえば、データアナリストや情報担当者が生産者で、経営者や事業責任者が使用者です。
重要なのは、両者がどれだけ“問い”を共有できているかです。

距離の取り方が左右するインテリジェンスの質

国家の情報機関では、情報を生産する側と、政策判断に使う側の距離の取り方が常に課題となる。距離が近すぎれば忖度や政治化が起こり、遠すぎれば無関心や独断が生まれる。

アメリカでは、情報の中立性を守るため、情報機関が政策決定に直接関与しない原則がある。一方、常に国家存続の脅威に直面するイスラエルでは、情報機関が政策決定者に寄り添い、選択肢まで提示する。そこには、政府と情報機関の間に築かれた高い信頼がある。

ビジネスの世界では、経営と情報部門の距離が曖昧になりやすい。本書に登場する未来エレクトロニクスでも、インテリジェンスや危機管理の部署が経営の補助機構に組み込まれ、危機を指摘する力を失っていた。独自性を失った情報部門は、経営の確認要員となり、リスクを示す報告を自ら封じてしまう。

経営が「前進」を志向するなら、情報部門は「立ち止まる理由」を探さなければならない。この緊張関係こそが、企業の意思決定を多層化し、思考を硬直から救う。

経営に近づきすぎた情報部門は、やがて報告の代筆者となり、最も重要な瞬間に沈黙する。だからこそ、経営と情報の間には一定の距離が必要であり、場合によっては、外部の専門家を交えた構成が望ましい。

経営が事業の推進を見るとき、情報部門は環境の変化を見る。この視点の違いが保たれていれば、企業は過信を防ぎ、危機の兆候を早く掴ことができる。

距離を保つことは対立ではない。それは、異なる角度から同じ現実を見つめ、判断の幅を広げる営みである。国家の情報機関では、生産者と使用者の距離をどう保つかが常に課題です。
生産者が使用者の意向に沿って情報を歪めれば、インテリジェンスの客観性や中立性は失われます。このような状態を「インテリジェンスの政治化」と呼び、アメリカでは生産者が政策に直接関与しないという原則が確立しています。

距離が近すぎれば「忖度」や「政治化」が起き、遠すぎれば「無関心」や「独断」が生まれます。イスラエルのように、情報機関が政策決定者に寄り添い、必要に応じて選択肢まで提示する国もあります。しかし、それが成り立つのは、情報機関に対する高い信頼があってこそです。

ビジネスの世界では、情報部門と経営部門がより密接に連携するのが一般的ですが、それでも「適切な距離感」を組織文化として築くことが欠かせません。経営者は、自分の判断に必要な問いを明確にし、分析担当者は、その問いを共有たうえで現場の情報を解釈する。
つまり、インテリジェンスとは“問いから始まる共同作業”なのです。

問いを共有することの意味

多くの企業では、分析担当者がデータを集め、報告書を提出しても、経営者が「その結果をどう使うか」を明示しないまま終わることがあります。
逆に、経営側が「売上の低下原因を調べろ」とだけ指示し、「何を知りたいのか」「どんな判断に使うのか」を伝えない場合もある。これでは、報告書は“正しくても使えない”分析になってしまいます。

ある製造業では、この問題を解消するために、経営会議の前に「情報会議」を設けました。経営陣が今週の意思決定テーマを提示し、アナリストや現場担当者が関連情報を分析して共有するのです。
この仕組みを導入してから、報告書は単なる数字の羅列ではなく、「なぜ今この市場を見るのか」「次に何をすべきか」を示すものへと変わりました。

このように、生産者と使用者が同じ“問い”のもとで動き始めたとき、インテリジェンスは初めて生きた知識になります。

良いインテリジェンスは、「頭の良い分析官」からではなく、「良い問いを共有する関係」から生まれます。使用者と生産者が互いの領域を理解し、距離を保ちながらも歩調を合わせる――そこに、国家でも企業でも変わらぬインテリジェンスの核心があります。

インテリジェンスとは文化である

インテリジェンスは、情報処理の技術ではありません。それは「問いを立て、意味を見出し、行動を導く」文化です。

国家の安全保障でも、企業経営でも、最終的にインテリジェンスを動かすのはシステムではなく人です。生産者と使用者が互いに問いを共有し、時間の感覚を合わせ、未来の判断を支える知をともにつくる。

そこに、インテリジェンスという知的営みの本当の価値があります。

熊と高市新政権

熊の被害が全国で広がっている。これまで、熊を射殺すると「かわいそうだ」「共存が大切だ」と訴える声があった。中には、熊を殺傷処分した行政に苦情の電話をかける人もいた。しかし、熊が次々と人間の生活圏に入り、死傷者が出るようになると、ようやく社会が事態の深刻さを理解し始めたように見える。秋田県知事が自衛隊の出動を視野に入れた発言をしたことも、危機感の表れだ。ただし、自衛隊には熊の射殺権限はないという。

同じ時期に、高市新政権は積極外交、日米同盟の強化、防衛費の増額、国家情報局の設置検討など、国の安全保障政策を前面に打ち出している。これに対して、「力による抑止は危うい」と批判する声もある。しかし、熊の問題と照らしてみれば、状況は似ている。
一方的に人間の生活圏に踏み込む熊に対して、「共存」や「棲み分け」を唱えるだけでは、人を守れない。同じように、日本の領域に踏み込む勢力に対して、話し合いだけで抑止が成立するとは限らない。防衛力の整備や、場合によっては示威的な行動も必要だろう。熊も、国際秩序を乱す国も、柔らかな言葉だけでは行動を止めない。現実には、力の裏づけを伴った対応がなければ、安全も共存も成り立たないのではないか。

国境の戦火――アフガンをめぐる勢力地図の再編

国際情勢ニュースを題材に

2025年10月12日、朝日新聞は次のように報じました。
「アフガニスタンとパキスタンの国境沿いの複数の地点で11日夜、大規模な軍事衝突が起きました。パキスタン軍は、アフガニスタンを実効支配するイスラム組織タリバン戦闘員ら200人以上を殺害したと発表しました。」

その後、18日にはカタールの仲裁によって両国が即時停戦に合意しました。
一見すると事態は沈静化したように見えますが、火種が消えたわけではありません。
この停戦は、対立の終結ではなく、勢力の再調整に向けた一時的な静止にすぎません。
むしろ、この衝突と停戦の経緯は、アジア全体の地政構造が再編されつつあることを示しています。

今回この話題を取り上げたのは、アフガニスタンとパキスタンの国境で起きた出来事が、実は日本を取り巻く国際構造と無縁ではないからです。
米国の影響が後退し、地域大国が主導する新しい秩序が各地で形を変えながら現れています。
アフガン情勢はその一断面であり、同じ力の再編は東アジアにも及びつつあります。

アフガニスタンとパキスタンの紛争なんて遠い世界のこと、日本には関係ないと思いがちです。
でも同じ“地球島”で起こっていること。地下水脈はつながっているかもしれません。
ここでは、日本の視点から、その意味を考えてみたいと思います。

パキスタンとアフガンの決裂

アフガニスタンは古くから東西文明の交差点として、多くの帝国が争奪してきた土地です。
冷戦期には米ソの代理戦争の舞台となり、1990年代後半にはパキスタン情報機関(ISI)が親パキスタン政権を築くためにタリバンを支援しました。
しかし2001年の9.11事件で、タリバンがアルカイダを庇護したことから、アメリカはアフガンを攻撃し、パキスタンもこれに協力しました。
その後20年に及ぶ戦闘の末、2021年に米軍が撤退すると、タリバンは再び政権を奪取します。

復権したタリバンはISIの干渉を拒み、逆にパキスタン領内で活動する過激派組織TTP(パキスタン・タリバン運動)を支援するようになりました。
TTPはパキスタン政府や軍を敵視しており、タリバンはかつての庇護者の背後で「敵の分派」を育てた形になりました。
今回の戦闘と停戦は、その長年の不信が表面化した結果であり、根本的な対立が解消されたわけではありません。

アメリカ撤退後の空白と「欧米不在」の地域構図

アメリカと欧州諸国はいまだにタリバン政権を承認していません。
その空白を埋めているのが、ロシア、中国、イラン、そしてインドです。

・ロシアは中央アジアの治安維持を重視し、タリバンとの接触を続けてきました。
・中国は鉱物資源と交通ルートを確保し、新疆ウイグル自治区への不安定の波及を防いでいます。
・イランは宗派の違いを超えて、アメリカの影響力が戻らないよう限定的な協力を続けています。
・インドはパキスタンの背後を突く戦略として、アフガンとの接触を再開しました。

それぞれの目的は異なりますが、いずれの国も「アフガンに欧米の影響を戻さない」という一点では一致しています。
そして今回、停戦を仲裁したカタールもまた、新たな調停国として存在感を示しました。
この「欧米不在の秩序」が、新しい地域構造の基盤になりつつあります。

ロシアの承認 ― 防御から攻勢への転換

ロシアは2025年7月、主要国として初めてタリバン政権を正式承認しました。
これまでロシアは、タリバンの動向を注視しつつも、ウクライナ戦争への対応に追われて承認を避けてきました。
しかし、ウクライナ戦争の長期化と欧米制裁の下で、ロシアはアフガンの地政学的価値を再評価しました。

アフガンはロシアにとって、
①インド洋に至る陸上回廊
②イスラム過激派の拡散源
③中央アジアの南側の防壁
という三つの戦略的価値を持っています。

第一に、制裁下で新たな貿易・輸送ルートを必要としており、イラン・中央アジア・アフガンを経由して南方へ抜ける経済ルートが浮上しました。
第二に、イスラム国ホラサン州(ISKP)の活動が拡大し、その封じ込めにはタリバンの協力が不可欠でした。
第三に、アフガンを欧米やパキスタンが再び取り込む動きを防ぐため、ロシアはタリバン承認によって自らの影響力を明確にしました。

こうしてロシアは、アフガンを中央アジアの前進防衛線と位置づけ、「防御的関与」から「攻勢的関与」へと転換したのです。
停戦後もロシアは、タリバンとの協力を強め、南方への戦略を継続しています。

欧米&パキスタン vs ロシア&インド ― 新しい対立軸

ロシアの承認によって、アフガン情勢は新たな局面を迎えました。
タリバンはかつての庇護者パキスタンと完全に決裂し、現在はロシアとインドが現実的な支えになっています。
インドはパキスタン封じ込めの一環として、すでにアフガンとの非公式接触を再開しています。教育や医療協力に加え、情報・治安分野での協力も広がっています。

2025年5月のインドとパキスタンの軍事衝突は、両国の緊張をさらに高め、インドがアフガンを戦略的接点として重視する動きを一層加速させました。
アフガンは、インドにとってパキスタンの背後を突く「間接的な圧力点」となりつつあります。

こうして、アフガンの戦闘と停戦の背後には、
「欧米&パキスタン」対「ロシア&インド」という新しい対立軸が形を取りつつあります。
国境での戦火も停戦も、その構造の表れにすぎません。

今回の停戦は表向きにカタール仲裁の成果のように報じられますが、米国の思惑が強く介在しています。複数の報道によれば、米国は直接交渉の場に姿を見せていないものの、「地域安定」と「テロ拡散防止」を理由に、停戦協議の後押しを行ったとみられています。
このままではアフガンがロシアとインドの影響圏に固定化される――
その前に、米国はカタールを通じて「対話の場」を維持し、勢力の一極化を防ごうとした可能性が高いのです。
停戦は、アフガンをめぐる米露間の静かな主導権争いの一局面でもあります。

クワッドの戦略的岐路に立つ日本

インドはロシアとの関係を維持しながら、欧米とも一定の距離を保つ独自外交を展開しています。
ロシアから割安で原油を輸入し続けるインドに対し、アメリカは高関税を課し、両国関係は緊張しています。
本年10月14日、トランプ大統領はモディ首相がロシアから原油を買わないと確約したと述べましたが、それを否定するインド側の主張も報じられ、いずれにしても実行の時期は未定です。

日本は安倍晋三元総理が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、クワッド(日米豪印)を軸に対中牽制の枠組みを作ってきました。
しかし、いまや参加国の利害は大きく異なっています。インドはロシアや中東との関係を優先し、中国を刺激しないよう調整しています。

日本はインドを「民主主義の盟友」として理想化するのではなく、現実外交のパートナーとしてどう扱うかを見極める必要があります。
クワッドは理念の同盟ではなく、利害の同盟として再定義すべき段階にあります。

メッセージ ― 鳥の目で世界を読む

アフガンで起きていることは、遠い地域の宗教紛争ではありません。
それは、世界秩序の分断が生み出す安全保障の綻びです。
停戦は一つの区切りではありますが、勢力間の力の再配置が進む過程にすぎません。

一つの地域で力の均衡が崩れれば、別の地域で新たな不安定が生まれます。
日本の周囲でも同じ構造が進行しています。
東シナ海、台湾海峡、朝鮮半島――
いずれも大国の利害が交錯し、秩序の再分配が進む現場です。

アフガン情勢を読み解くことは、国際構造の変化を見抜く訓練であり、それが日本の安全保障にどう波及するかを考える第一歩です。
世界の断層線を「他人の問題」として眺める限り、日本の戦略はつねに後手に回ります。
鳥の目で世界を俯瞰すること――それが、変化の時代を生き抜く最初の条件です。

(了)

『インテリジェンスの思考術』第2号

インテリジェンスには賞味期限がある

2025年10月20日配信

                       

情報はそのまま使えない

知人が、ネットで見た健康法を信じて、毎朝レモン水を飲みはじめました。
「デトックスにいい」と書かれていたからです。
ところが、数日後に胃を痛めてしまいました。
理由は、空腹時に濃いレモン水を飲むと胃酸が強くなりすぎるからでした。
本人は「健康のため」と信じていましたが、正しい情報の使い方を知らなかっただけでした。

世の中の情報には、誤りや誇張、あるいは文脈を欠いた断片が混じっています。
それをそのまま信じて行動すれば、むしろ逆効果になります。
だからこそ、情報は整理し、吟味し、使える形に整えなければならない。
この“使える形に整えたもの”こそが、インテリジェンスなのです。

インテリジェンスには存在目的がある

『Strategic Intelligence Production』(1957年)の著者で、米軍の元情報将校ワシントン・プラットはこう述べています。
「学術報告と対比して情報報告は一つの目的しか持っていない。すなわち現時点における国家の利害に対し“有用”であることなのだ。」

この「有用」とは、使用者の判断や意思決定、行動に役立つことを指します。
学術報告がじっくりと理論や原理を追うものであるのに対し、情報報告、すなわちインテリジェンスの提供は「使う人のいまの判断」などに役立たなければ意味がないのです。

たとえば、あなたがレストランの料理長だとします。
今夜は急に冷え込みそうで、「温かいメニューを増やすべきか」を考えています。そこへスタッフが、「近所のパン屋が新装開店したそうです」と報告してきました。
これは、確かに正確な情報で、いつか役に立つかもしれません。しかし、“いま”の判断には関係がありません。

欲しいのは、「今夜の気温の推移」や「客足の見通し」といった、メニューの決定に使える情報です。いくら正確でも、使用者の判断に資さない情報は“有用”ではない――
プラットの言う「有用性」とは、この意味なのです。

インテリジェンスには使用期限がある

米国防総省の分析官プラットは、インテリジェンスの価値を決める三つの要件として、第一に有用性、第二に適時性、第三に正確性(完全性を含む)を挙げました。そして、こう指摘しています。

「完全さと正確さは、しばしば適時性の犠牲となる。」

この言葉が示す通り、インテリジェンスは常に時間との競争にあります。どれほど正確で完全な内容であっても、使うべき時を逃せば意味を失います。国家の政策決定にも、企業の経営判断にも、そして個人の選択にも“使用期限”があるのです。その期限に間に合わなければ、どんな優れた分析も価値を持ちません。

私が現場で作っていた報告書も同じでした。「もう少し確認を」と迷っているうちに、情勢が変わり、報告が無効になる。完璧を求めるほど、時間を失う。そして、時間を失えば、有用性も同時に消えていきます。

この世に百パーセント正確なインテリジェンスは存在しません。今日の分析が完全でも、明日には古びます。だからこそ、インテリジェンスで最も重いのはタイミング――すなわち適時性なのです。

情報には“食べ頃”があります。遅れて出された報告は役に立たないばかりか、誤った報告と同じくらい危険です。インテリジェンスとは、正確さと迅速さの間で折り合いをつけ、「いま使える知識」を作り出す技術です。

次号では、インテリジェンスを“使う人”と“作る人”――

すなわち使用者と生産者の関係について考えます。

高市新内閣発足――「学歴」という尺度で見た実像

10月21日、高市早苗新内閣が発足した。公明党の連立離脱という異例の経緯を経て、自民党は維新の会との閣外協力に踏み切った。掲げたのは、積極財政と議員定数の削減。政権の看板は「経済再生と政治改革の両立」だが、布陣を細かく見ると、もう一つの特徴がある。評価の尺度はいくつもある。政策理念や派閥バランス、人事の意外性など、どこに焦点を当てるかで印象は変わる。だが、ここでは「学歴」という冷たい指標から見てみたい。確認できる範囲で、閣僚十八人のうち少なくとも七人が東京大学出身だ。比率にしておよそ四割。これは近年の内閣としては際立って高い。

具体的には、林芳正(総務)、茂木敏充(外務)、片山さつき(財務)、平口洋(法務)、鈴木憲和(農林水産)、赤澤亮正(経済産業)、城内実(経済財政・規制改革)らが東大卒である。多くが旧大蔵省や旧外務省など、官僚出身の政治家だ。首相自身は神戸大学出身だが、政権の中枢を東大法学部を中心とするエリート層が固めている構図である。

かつて「政治主導」が唱えられた時代もあったが、今回の内閣はむしろ官僚機構と似た思考訓練を受けた政治家たちが再び中心に立ったように見える。財務・法務・総務・外務という制度運営の中核ポストに、訓練されたエリート層が配置されているのは偶然ではない。

もちろん、学歴が政治の力量を保証するわけではない。だが、国家の意思決定を担う人々がどのような環境で思考を鍛え、どんな知的文化を共有してきたのかをたどれば、政策判断の方向性はある程度読める。東大という同じ教育空間で育った人々が、似た前提や価値観を持っているとすれば、それは政権の思考の枠組みそのものになる。

国民の中には「政治家はバカだ」「官僚がすべて決めている」と言う人もいる。しかし現実には、政治家の学歴水準は官僚より高い。問題は知能ではなく、どのような判断軸で国を動かすかだ。高市内閣の構成を見る限り、これは“感覚の政治”ではなく、“理性の政治”を志向する布陣である。

積極財政と改革路線をどう両立させるのか。その成否を占う前に、まずは政権の知的輪郭――誰が、どんな思考で国家を動かそうとしているのか――を見極める必要がある。

為替と政局の交差点で迎える誕生日

―― 10年満期のオーストラリアドルを前に

10月の為替相場は、政治と世界情勢の波に大きく揺れました。

高市早苗氏が自民党総裁に選ばれ、豪ドル円は久しぶりに100円を突破しました。

市場は「日本の政治が動いた」と感じ、期待が広がりました。

けれども祝儀相場は長くは続かず、公明党が連立離脱を示唆したことで、高市政権の前途に早くも不安が生まれました。

一方で、米中関係も緊張をはらんでいます。

トランプ政権は11月1日からの関税強化を打ち出し、月末に予定されている韓国での米中首脳会談は「開催が危うい」と報じられました。

そこへ追い打ちをかけたのが、10月16日に発表されたオーストラリアのCPI(消費者物価指数)です。

インフレ鈍化が明らかになり、利上げ観測が後退しました。

豪ドルは売られ、95円台に落ち込みました。

それでも政治は止まりませんでした。

高市総裁と維新の吉村代表が「閣外協力」で歩み寄り、18日から19日にかけて高市政権の成立がほぼ確実となりました。

市場はこのニュースを織り込み、為替は97円台を回復しました。

ただ、織り込みが進んでも、最終的な確定はまだ先です。

いよいよ来週、10月20日からの最終週が始まります。

高市新内閣が正式に発足し、最初の政策方針が示されます。

同時に、米中首脳会談が「開催」されるのか「延期」になるのか、その判断が下される見通しです。

この決定ひとつで、相場の方向が変わります。

もし会談が行われれば、豪ドル円は98円から99円へ。

逆に流れれば、95円台に戻るかもしれません。

私にとって、この週は特別な意味があります。

27日は、10年満期を迎えるオーストラリアドルの確定日です。

そして前日の26日は、私の誕生日でもあります。

この2週間、為替は激しく上下し、まるで節目を祝うように波を描きました。

高市政権の“花火”がもう一度上がるのか。

米中が歩み寄りを見せるのか。

その答えは、いよいよ来週に出ます。

そして、それが私にとって大きな“プレゼント”になるのかどうか――

その結果がわかるのが、10月27日です。

10年前にこの通貨を選んだとき、世界は今とはまったく違っていました。

為替は数字の動きですが、そこには人の思惑と国の力が映ります。

私はこの10年の終わりに、その数字を通して時代を見ている気がします。

27日朝のレートがいくつであっても、この週はきっと忘れられないものになるでしょう。

少し緊張しながら、そして少し楽しみながら、為替の週を見届けたいと思います。

万博終わりに思う-備忘録-として

お断り

本稿は筆者の私的記録であり、所属や立場を代表するものではない。万博をめぐる公式見解や関係機関の評価とは関係なく、筆者自身の観察と考察に基づいて記したものである。

大阪・関西万博が幕を閉じた。報道では「入場者数が想定を上回り成功した」と伝えられ、別のところでは「購入した入場券が使えなかった」「予約制度が混乱した」とも言われている。いずれも現象の一部に過ぎない。評価は感情や印象ではなく、確たる基準によって行うべきだ。

戦略立案には三つの要素がある。第一は、目的の妥当性である。何のために行うのかが明確でなければならない。第二は、実行の可能性である。掲げた目的を現実的に遂行できるかどうか。そして第三は、成果と損失を冷静に秤にかけ、損失をどれだけ忍容できるかという受容性である。これは、実行後に他へ及ぼした損失をどう評価し、社会全体としてその代償を受け入れられるかという視点である。成果の評価は、このうち実行可能性を除いた二つ――目的の達成度と損失の受容性――で行われる。

その基準から見れば、今回の万博は「成功と不明瞭が並存した」と言うほかない。来場者数や収支面では一応の成果を示したが、テーマとして掲げた「いのち輝く未来社会のデザイン」が、誰の心に届き、どのような行動変容を生んだのか。その核心部分は測定されていない。展示や建築の華やかさに比べ、理念の伝達は静かすぎた。

私は8月下旬の3日間、万博に行った。日本館の演出は素晴らしかった。映像と空間の構成が一体となり、未来への思索を静かに促していた。日本の木材を使い、環境に配慮して設計された大屋根を目にしたとき、日本人としての誇りを覚えた。

私が残念に思うのは、未来へのメッセージが、最も届けるべき相手――次の時代を担う若い世代や、世界の市民社会――に届いたという実感が乏しいことだ。未来を描く言葉は、立派なスローガンではなく、行動を促す言葉でなければならない。万博の灯が消えたいま、私たちは「何を伝え、何を受け取れなかったのか」を静かに点検する時期に来ている。

『インテリジェンスの思考術』創刊号

2025年10月13日配信


1. ご挨拶

今週から、新しいニュースレター『インテリジェンスの思考術』を始めます。

このレターでは、「インテリジェンスとは何か」、そして「問いをどう立てるか」というテーマを、できるだけ身近な話題やビジネスの事例を手がかりに考えていきます。

堅苦しい理論や専門用語を並べるつもりはありません。むしろ、「なぜそう考えるのか」「どこまで確かと言えるのか」といった思考の過程そのものを共有したいと思います。

また、国内外のニュースを素材に、そこからインテリジェンスの視点をどう引き出せるか――そんな実践的な試みも交えていく予定です。

このレターが、日々の出来事を“情報として読む訓練”の一助になれば幸いです。

10月11日、現代ビジネスに拙著『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』の抜粋記事、「中国が日本に仕掛ける「見えない戦争」の衝撃‥‥技術と人材流出が引き起こす「最大の脅威」とは」が掲載されました。是非お読みください。


2. インテリジェンス思考術(第1回)

インテリジェンスとは何か ―― 情報との違い

新聞やネットを開けば、私たちは一日に膨大な量の「情報」に接しています。
しかし、その中から本当に意味のある「インテリジェンス」を得ている人は意外に少ないものです。

情報(インフォメーション)とは、まだ整理されていない素材にすぎません。料理にたとえるなら、食材の段階です。
この素材を調理し、食べられる形に整えたもの――それが「インテリジェンス」です。

たとえば、天気予報で「明日は午後から大雨」と報じられたとします。これは万人に同じ形で伝えられる情報です。
しかし、その受け手の反応はさまざまです。ゴルフ愛好家なら「ずぶ濡れになるから中止しよう」と判断する。証券マンは「農作物関連株が下がる」と予測し、国家安全保障の分析官なら「明日は中国漁船の接近可能性が低い」と推定するかもしれません。

同じ情報でも、受け手が持つ文脈・目的・経験によって意味が変わります。
つまり、情報を他のデータや過去の知見と照らし合わせ、判断や行動に結びつける――この“加工と解釈”の過程こそが、インテリジェンスを生み出すのです。

国家レベルでは、こうして得られた分析成果(プロダクト)が政策決定者に提供されます。
私もかつて、立ち入り制限区域の建物の中で、そうした作業を日々行っていました。


インテリジェンスという広い意味

少し専門的な話をします。
日本に「インテリジェンス」という概念を広めた京都大学名誉教授・中西輝政氏は、オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義を引き、こう述べています。

「インテリジェンスとは、まず第一に、国家や組織が政策に役立てるために集めた情報の内容を指す。
それは、秘密情報に限らず、独自に分析・解釈を施した“加工された情報”である。
生の情報を受け止め、それが自国の利益や立場にどのような意味を持つのかを吟味し、信憑性を確認して解釈を加えたもの――これをインテリジェンスと呼ぶ。」
(中西輝政『情報亡国の危機』より)

この定義に基づけば、「インテリジェンス」には三つの意味があります。

  1. 生の情報に分析・解釈を加えて有用化した知識(知識としてのインテリジェンス)
  2. そのような分析や収集の行為(活動としてのインテリジェンス)
  3. それを担う組織(機関としてのインテリジェンス)

つまり、インテリジェンスとは国家レベルの概念であり、知識・活動・組織の三層構造を持つものです。

ただし近年は、国家に限らずビジネス分野でも「ビジネスインテリジェンス(BI)」や「競合インテリジェンス(CI)」、サイバー分野では「スレット(脅威)インテリジェンス」という言葉も使われています。
個人であっても、情報を集め、判断や意思決定に活かしているなら、それは立派なインテリジェンスの営みといえるでしょう。

アメリカでは、CIAのOBたちがビジネス界に入り、ビジネスインテリジェンスの概念を定着させました。
つまり、インテリジェンスはもはや国家の専売特許ではありません。むしろ、現代のビジネスパーソンこそ、知らず知らずのうちにインテリジェンス活動に関わっているのです。

だからこそ、私はビジネスパーソンの皆さんに、もっとインテリジェンスを知ってほしいと思っています。


3. 国際情勢ニュースを題材に

ロシアの国防費削減は、本当にエネルギー収入不足が原因か?

「ロシア国防費、来年4%減
ウクライナ侵略後初のマイナス エネ収入細り財政逼迫」
(2025年10月1日 日本経済新聞)

ロシア政府は2026年の連邦予算案を下院に提出し、国防費を前年度比4%減の12.9兆ルーブルとする方針を示しました。
2022年のウクライナ侵略以降、拡大を続けてきた軍事支出が初めて減額されます。

背景には、原油価格の下落によるエネルギー収入の減少、そして財政赤字の拡大があるとされます。
同時に、治安維持・国内防衛関連の予算は増額され、戦費と社会統制の両立を図る姿勢もうかがえます。

日経報道は、ロシア財政の逼迫を軍事費抑制の主因とし、「戦争遂行能力の限界」との見方を提示しました。


情報の解釈は

多くの論者は、この記事を「ロシアの戦争遂行能力が限界に達しつつある」という文脈で読むでしょう。
新聞報道もその方向へ読者を導いています。

すなわち、「制裁とエネルギー収入の減少により、ロシア経済は疲弊している。もはや軍事支出を維持できない」という構図です。

しかしこの記事は、読者が期待する「侵略国家の行き詰まり」という物語にも巧みに寄り添っています。
つまり、報道側にとっても、読者にとっても“都合のよい朗報”になっているのです。

だからこそ、「この記事は本当か?」と一度立ち止まって考える必要があります。
そして、「別の仮説は立てられないか」と批判的に読む姿勢こそ、インテリジェンスの第一歩です。


「情報統制」とプーチン発言の矛盾

報道によれば、プーチン大統領は7月に「国防費の削減を計画している」と述べ、25年の国防費が上限の目安になると示唆しました。
通常のプーチンなら、弱さを印象づける「削減」や「財政逼迫」という言葉を自ら口にすることは避けるはずです。

では、なぜ今回は“自ら”削減を公言したのでしょうか。
ここには少なくとも三つの可能性があります。

  1. 事実を隠しきれない段階にある。
     財政赤字や増税が国民生活に直撃しており、もはや「隠す」選択肢がない。
  2. 統制演出の一環である。
     「わずかに減らすが、依然として巨額を国防に投じている」と強調することで、危機を“統制下にある”ように見せる。
  3. 国際社会へのシグナル。
     欧米や中国に対し、「戦争は継続するが、無尽蔵ではない」というニュアンスを発信し、交渉の余地を残す。

プーチン自身の発言を素材に、複数の可能性を検討してみることが重要です。


もう一つの仮説

新聞報道とは異なる視点も成り立ちます。

ロシアは東部ウクライナ戦線で軍事的成果を得ており、もはや従来のような大規模攻勢を支える国防支出を維持する必要がなくなったのかもしれません。
むしろ前線の安定化と戦争の長期化を見据え、支出の重点を「攻勢」から「統治・治安維持」へと移す段階に入った――。

つまり今回の削減は、「戦争遂行能力の限界」ではなく、「戦争の形態を持続可能なものへ転換する」ための政策的再配分だという仮説です。

そのうえで追加の情報を集めてみましょう。
たとえば、ウクライナが最近重視しているのは、前線防衛よりもロシアの石油・ガス施設など後方インフラへの攻撃です。
この攻撃が一定の成果を挙げ、エネルギー収入を減らしているとすれば、経済的制約がエネルギー収入減と国防費抑制を促しているという見方も補強されます。


メッセージ

一つの仮説や情報を鵜呑みにした短絡的な分析ほど危険なものはありません。
重要なのは、単一の説明を受け入れる前に、複数の仮説を立てて検証する姿勢です。

記事を読むときは、「眼光紙背に徹す」の精神で臨むこと。
――それこそが、インテリジェンス・リテラシーを高める第一歩なのです。