2025年10月13日配信
1. ご挨拶
今週から、新しいニュースレター『インテリジェンスの思考術』を始めます。
このレターでは、「インテリジェンスとは何か」、そして「問いをどう立てるか」というテーマを、できるだけ身近な話題やビジネスの事例を手がかりに考えていきます。
堅苦しい理論や専門用語を並べるつもりはありません。むしろ、「なぜそう考えるのか」「どこまで確かと言えるのか」といった思考の過程そのものを共有したいと思います。
また、国内外のニュースを素材に、そこからインテリジェンスの視点をどう引き出せるか――そんな実践的な試みも交えていく予定です。
このレターが、日々の出来事を“情報として読む訓練”の一助になれば幸いです。
10月11日、現代ビジネスに拙著『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』の抜粋記事、「中国が日本に仕掛ける「見えない戦争」の衝撃‥‥技術と人材流出が引き起こす「最大の脅威」とは」が掲載されました。是非お読みください。
2. インテリジェンス思考術(第1回)
インテリジェンスとは何か ―― 情報との違い
新聞やネットを開けば、私たちは一日に膨大な量の「情報」に接しています。
しかし、その中から本当に意味のある「インテリジェンス」を得ている人は意外に少ないものです。
情報(インフォメーション)とは、まだ整理されていない素材にすぎません。料理にたとえるなら、食材の段階です。
この素材を調理し、食べられる形に整えたもの――それが「インテリジェンス」です。
たとえば、天気予報で「明日は午後から大雨」と報じられたとします。これは万人に同じ形で伝えられる情報です。
しかし、その受け手の反応はさまざまです。ゴルフ愛好家なら「ずぶ濡れになるから中止しよう」と判断する。証券マンは「農作物関連株が下がる」と予測し、国家安全保障の分析官なら「明日は中国漁船の接近可能性が低い」と推定するかもしれません。
同じ情報でも、受け手が持つ文脈・目的・経験によって意味が変わります。
つまり、情報を他のデータや過去の知見と照らし合わせ、判断や行動に結びつける――この“加工と解釈”の過程こそが、インテリジェンスを生み出すのです。
国家レベルでは、こうして得られた分析成果(プロダクト)が政策決定者に提供されます。
私もかつて、立ち入り制限区域の建物の中で、そうした作業を日々行っていました。
インテリジェンスという広い意味
少し専門的な話をします。
日本に「インテリジェンス」という概念を広めた京都大学名誉教授・中西輝政氏は、オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義を引き、こう述べています。
「インテリジェンスとは、まず第一に、国家や組織が政策に役立てるために集めた情報の内容を指す。
それは、秘密情報に限らず、独自に分析・解釈を施した“加工された情報”である。
生の情報を受け止め、それが自国の利益や立場にどのような意味を持つのかを吟味し、信憑性を確認して解釈を加えたもの――これをインテリジェンスと呼ぶ。」
(中西輝政『情報亡国の危機』より)
この定義に基づけば、「インテリジェンス」には三つの意味があります。
- 生の情報に分析・解釈を加えて有用化した知識(知識としてのインテリジェンス)
- そのような分析や収集の行為(活動としてのインテリジェンス)
- それを担う組織(機関としてのインテリジェンス)
つまり、インテリジェンスとは国家レベルの概念であり、知識・活動・組織の三層構造を持つものです。
ただし近年は、国家に限らずビジネス分野でも「ビジネスインテリジェンス(BI)」や「競合インテリジェンス(CI)」、サイバー分野では「スレット(脅威)インテリジェンス」という言葉も使われています。
個人であっても、情報を集め、判断や意思決定に活かしているなら、それは立派なインテリジェンスの営みといえるでしょう。
アメリカでは、CIAのOBたちがビジネス界に入り、ビジネスインテリジェンスの概念を定着させました。
つまり、インテリジェンスはもはや国家の専売特許ではありません。むしろ、現代のビジネスパーソンこそ、知らず知らずのうちにインテリジェンス活動に関わっているのです。
だからこそ、私はビジネスパーソンの皆さんに、もっとインテリジェンスを知ってほしいと思っています。
3. 国際情勢ニュースを題材に
ロシアの国防費削減は、本当にエネルギー収入不足が原因か?
「ロシア国防費、来年4%減
ウクライナ侵略後初のマイナス エネ収入細り財政逼迫」
(2025年10月1日 日本経済新聞)
ロシア政府は2026年の連邦予算案を下院に提出し、国防費を前年度比4%減の12.9兆ルーブルとする方針を示しました。
2022年のウクライナ侵略以降、拡大を続けてきた軍事支出が初めて減額されます。
背景には、原油価格の下落によるエネルギー収入の減少、そして財政赤字の拡大があるとされます。
同時に、治安維持・国内防衛関連の予算は増額され、戦費と社会統制の両立を図る姿勢もうかがえます。
日経報道は、ロシア財政の逼迫を軍事費抑制の主因とし、「戦争遂行能力の限界」との見方を提示しました。
情報の解釈は
多くの論者は、この記事を「ロシアの戦争遂行能力が限界に達しつつある」という文脈で読むでしょう。
新聞報道もその方向へ読者を導いています。
すなわち、「制裁とエネルギー収入の減少により、ロシア経済は疲弊している。もはや軍事支出を維持できない」という構図です。
しかしこの記事は、読者が期待する「侵略国家の行き詰まり」という物語にも巧みに寄り添っています。
つまり、報道側にとっても、読者にとっても“都合のよい朗報”になっているのです。
だからこそ、「この記事は本当か?」と一度立ち止まって考える必要があります。
そして、「別の仮説は立てられないか」と批判的に読む姿勢こそ、インテリジェンスの第一歩です。
「情報統制」とプーチン発言の矛盾
報道によれば、プーチン大統領は7月に「国防費の削減を計画している」と述べ、25年の国防費が上限の目安になると示唆しました。
通常のプーチンなら、弱さを印象づける「削減」や「財政逼迫」という言葉を自ら口にすることは避けるはずです。
では、なぜ今回は“自ら”削減を公言したのでしょうか。
ここには少なくとも三つの可能性があります。
- 事実を隠しきれない段階にある。
財政赤字や増税が国民生活に直撃しており、もはや「隠す」選択肢がない。
- 統制演出の一環である。
「わずかに減らすが、依然として巨額を国防に投じている」と強調することで、危機を“統制下にある”ように見せる。
- 国際社会へのシグナル。
欧米や中国に対し、「戦争は継続するが、無尽蔵ではない」というニュアンスを発信し、交渉の余地を残す。
プーチン自身の発言を素材に、複数の可能性を検討してみることが重要です。
もう一つの仮説
新聞報道とは異なる視点も成り立ちます。
ロシアは東部ウクライナ戦線で軍事的成果を得ており、もはや従来のような大規模攻勢を支える国防支出を維持する必要がなくなったのかもしれません。
むしろ前線の安定化と戦争の長期化を見据え、支出の重点を「攻勢」から「統治・治安維持」へと移す段階に入った――。
つまり今回の削減は、「戦争遂行能力の限界」ではなく、「戦争の形態を持続可能なものへ転換する」ための政策的再配分だという仮説です。
そのうえで追加の情報を集めてみましょう。
たとえば、ウクライナが最近重視しているのは、前線防衛よりもロシアの石油・ガス施設など後方インフラへの攻撃です。
この攻撃が一定の成果を挙げ、エネルギー収入を減らしているとすれば、経済的制約がエネルギー収入減と国防費抑制を促しているという見方も補強されます。
メッセージ
一つの仮説や情報を鵜呑みにした短絡的な分析ほど危険なものはありません。
重要なのは、単一の説明を受け入れる前に、複数の仮説を立てて検証する姿勢です。
記事を読むときは、「眼光紙背に徹す」の精神で臨むこと。
――それこそが、インテリジェンス・リテラシーを高める第一歩なのです。