スパイ史を読み直す

最近、高市早苗政権のもとでスパイ防止法をめぐる議論が高まっています。私はその流れのなかで、改めてウィンストン・チャーチルの戦時回顧録と情報史の資料を読み返しました。そこには、彼がいかに巧妙に二重スパイを運用したかが具体的に記されています。

チャーチルは、摘発したドイツ工作員を処刑しませんでした。彼らを転向させ、あえてドイツ本国と通信させ続けました。

その際に彼が重視した第一の点は、二重スパイに成果をあげさせることでした。英国は彼らに本物の情報も与えました。すべてを偽るのではありません。大半は事実です。だからドイツ側は信じ続けました。成果を出す人物は疑われにくいからです。組織は有能な者を守ります。成功が続くと、疑念は後退します。

第二の点は、距離を取らせることでした。英国は二重スパイに、自国への批判も報告させました。軍の弱点、政府内の混乱、指導部への不満もあえて書かせました。露骨な擁護は不自然です。むしろ批判を混ぜることで、相手国に忠実に見せました。強硬な論調や辛辣な評価は、偽装の一部になり得ます。

二重スパイの本質はここにあります。成果をあげ、しかも相手に迎合して見えない。その二つが揃うと、疑いは消えます。チャーチルはその心理を利用しました。制度を議論する今こそ、いわゆる優秀で赴任国に対して強硬派と言われる人物にも注意を払う必要があります

確定申告まもなく

確定申告の時期が近づいてきました。毎年のことですが、資料整理が十分にできておらず、この時期になると慌てます。以前は机の引き出しに領収書が山のようにたまっていましたが、いまは様子が少し違います。領収書の多くがデータです。パソコンの中に保存され、メールに添付され、クラウドに残っています。これから一つ一つ印刷して、税理士のところへ持っていく予定です。

例年であれば、アマゾンで購入した書籍の領収書を大量に印刷します。しかし今年は、その枚数が明らかに少ないことに気づきました。あまり本を買っていないのです。

その理由ははっきりしています。ChatGPTでの調べ物が増え、Kindle Unlimitedで済ませることが増え、さらにインターネット記事からのインプットも増えました。紙の本を購入する頻度が確実に減っています。

便利になりました。検索は速く、要点はすぐに整理されます。しかし同時に、「本離れ」が自分の生活の中でも静かに進んでいるのではないかと感じます。

私は本を書く立場にあります。読者に本を手に取っていただくことで成り立っています。その私自身が本を買わなくなっているとすれば、これは小さくない変化です。技術の進歩は歓迎すべきものですが、書き手としては複雑な気持ちになります。

確定申告の準備をしながら、そんなことを考えています。

万博終わりに思う-備忘録-として

お断り

本稿は筆者の私的記録であり、所属や立場を代表するものではない。万博をめぐる公式見解や関係機関の評価とは関係なく、筆者自身の観察と考察に基づいて記したものである。

大阪・関西万博が幕を閉じた。報道では「入場者数が想定を上回り成功した」と伝えられ、別のところでは「購入した入場券が使えなかった」「予約制度が混乱した」とも言われている。いずれも現象の一部に過ぎない。評価は感情や印象ではなく、確たる基準によって行うべきだ。

戦略立案には三つの要素がある。第一は、目的の妥当性である。何のために行うのかが明確でなければならない。第二は、実行の可能性である。掲げた目的を現実的に遂行できるかどうか。そして第三は、成果と損失を冷静に秤にかけ、損失をどれだけ忍容できるかという受容性である。これは、実行後に他へ及ぼした損失をどう評価し、社会全体としてその代償を受け入れられるかという視点である。成果の評価は、このうち実行可能性を除いた二つ――目的の達成度と損失の受容性――で行われる。

その基準から見れば、今回の万博は「成功と不明瞭が並存した」と言うほかない。来場者数や収支面では一応の成果を示したが、テーマとして掲げた「いのち輝く未来社会のデザイン」が、誰の心に届き、どのような行動変容を生んだのか。その核心部分は測定されていない。展示や建築の華やかさに比べ、理念の伝達は静かすぎた。

私は8月下旬の3日間、万博に行った。日本館の演出は素晴らしかった。映像と空間の構成が一体となり、未来への思索を静かに促していた。日本の木材を使い、環境に配慮して設計された大屋根を目にしたとき、日本人としての誇りを覚えた。

私が残念に思うのは、未来へのメッセージが、最も届けるべき相手――次の時代を担う若い世代や、世界の市民社会――に届いたという実感が乏しいことだ。未来を描く言葉は、立派なスローガンではなく、行動を促す言葉でなければならない。万博の灯が消えたいま、私たちは「何を伝え、何を受け取れなかったのか」を静かに点検する時期に来ている。