――香港のマンション火災をどう読むか-「なぜなぜ分析」と「アナロジー思考」で考える

はじめに

11月26日に香港で起きた大規模マンション火災の死者は、200人近くに上るとされています。外壁工事に使われていた資材が激しく燃え、火が建物の外側を一気に広がったことが大きな被害につながりました。この火災は、個別の不注意だけでは説明できません。いくつもの事情が重なって事故が起きたことを示しています。表面の出来事だけを見るのではなく、背景を順番にたどることが、現在の社会が抱えるリスクを理解するうえで重要だと感じています。

香港の高層マンション火災は、日本とは条件の違う出来事です。建物のつくりも、使っている資材も違います。それでも、「高層マンションが増え、老朽化が進み、工事の難易度が上がっている社会」という点では、日本とも共通しています。香港の火災は、日本の都市が抱える課題を考えるための“鏡”になります。

今回は、この出来事を考えるために、ふだん私が重視している二つの視点――「なぜなぜ分析」と「アナロジー思考」――を紹介します。

なぜなぜ分析でたどる香港火災

香港の火災は、一つの原因で説明できる出来事ではありません。そこで、「なぜ」を重ねて背景をたどると、次のような流れが見えてきます。

最初の問いは、「なぜ火があれほど広がったのか」です。報道によると、外壁工事に使われていた足場やシート、発泡スチロールがよく燃え、炎が外側を上へ走りました。

次の問いは、「なぜ可燃性の資材が使われていたのか」です。工事会社が、価格が安く扱いやすい資材を選び、工期を短くすることを優先した可能性があります。

さらに、「なぜ行政がそれを止められなかったのか」という疑問が生まれます。香港政府は燃えにくい資材を使うよう通知していましたが、現場での検査が不足していました。監督官の人数が足りず、老朽化した建物が増えて工事が多くなったため、現場まで目が届かなかったのです。

最後に、「なぜ監督官も職人も足りないのか」という問いが出てきます。香港では少子高齢化で労働人口が減り、高所で危険な外壁工事ができる人が少なくなっています。AIやロボットが話題になりますが、細かい判断が必要な高所作業は、現時点では人の手で行うしかありません。

このように「なぜ」を重ねると、火元となった資材だけではなく、行政の監督、人手不足、老朽化といった背景がつながります。

香港と日本の相違点:すぐに同一視はできない

アナロジー思考とは、起きた出来事の“構造”に目を向け、それを自分の社会に引き寄せて考える方法です。ただし、まず相違点を確認しなければなりません。

日本では、竹の足場は使われず、鉄パイプの足場や燃えにくいシートが一般的です。外壁や開口部の材料にも厳しい制限があります。消防設備や避難経路も法律で細かく決められています。

このため、「香港で火災が起きた=日本でも同じ火災が起きる」と短く結びつけることはできません。

アナロジー思考:他国の事故を、日本の「生活に近い問い」に置き換える

アナロジー思考では、香港の火災そのものを日本に当てはめるのではなく、香港の出来事の“背景の構造”を、日本の私たちが考えるべき問いに言い換えます。具体的には次の二つが分かりやすい例です。

●1つ目の問い

「安価な工事で済ませたとき、後になって建物の寿命や耐震性に問題は出ないのか」

香港では工事費節約のために可燃性資材が使われました。日本では同じ資材を使いませんが、「安さを優先した工事が、後々の不具合につながらないか」という問いは共通します。

●2つ目の問い

「建物が増える一方で、修繕を行う人や行政の監督は足りているのか」

香港では監督官や職人が不足していました。日本でも、建物は増えるのに、修繕を担う技能者は減っています。行政の建築担当も、増え続ける仕事を限られた人数でこなしています。

このように、香港の火災の背景を日本の暮らしに引き寄せて考えるのがアナロジー思考です。

メッセージ:なぜなぜ分析とアナロジーで“見えにくい危機”を考える

香港火災から学べることは、「火を出さない方法」だけではありません。
なぜなぜ分析で背景をたどると、資材の選び方、行政の監督、人手不足、老朽化といった、日常では見えにくい事情が浮かび上がります。

アナロジー思考でそれを日本に言い換えると、

  • 危険がどこから生まれやすいのか
  • 誰がどの部分を支えているのか
  • 支える側の負担がどこで限界に近づくのか

という、私たちが考えるべき問いが見えてきます。

海外のニュースを、自分たちの未来の課題に引き寄せて考える――
そのために、「なぜなぜ分析」と「アナロジー思考」は大きな力になると感じています。

(了)

インテリジェンス思考術(第9回)

問いの再設定とは何か

問いは一度立てれば終わり、というものではありません。問いは立てた後にこそ、その意味を何度も確かめ直す必要があります。最初に設定した問いが、本当に知るべきことを捉えていないことは珍しくないからです。これはインテリジェンスの世界に限らず、ビジネスの現場でも同じです。

「最初の問いが浅い」「方向がずれている」――そうしたズレは、問いを再設定しないかぎり気づけません。そこで必要になるのが問いの再設定です。

なぜ問いを再設定するのか

問いを再設定する必要がある理由は、大きく二つあります。

  1. 最初に与えられた問いが、使用者(依頼者)が本当に知りたいこととズレている場合がある。
  2. 自分自身が立てた問いが、本来知るべきことを外している場合がある。

人はどうしても、最初に見えた問題をそのまま“問い”にしてしまいます。しかし、その問いが表面的であったり、思い込みに基づいていたりすることは多いのです。

問いを再設定するための3つの視点

私は、問いを再設定するとき、次の3つを必ず確認します。

  1. 「本当にそうか」
  2. 「そもそも、この問いが必要なのか」
  3. 「この問いは誰のためのものか」

これらの視点を、簡単な例で説明します。

「本当にそうか」

例:「商品Aが売れている理由は何か?」

ここで立ち止まり、「本当に知りたいのは“売れている理由”なのか?」と問い直します。
もしかすると知りたいのは、

  • Aだけでなくどんな商品が売れやすいのか
  • 市場全体がどう変化しているのか
    といった、より広い視点かもしれません。

最初の問いを疑うことで、思考の幅が広がります。

「そもそも、この問いは必要なのか」

同じ問いでも、「そもそも私はなぜAの売れている理由を知りたいのか?」と自問すると、

  • 単に気になっただけなのか
  • 新商品を開発するためなのか
  • 顧客の嗜好の変化を知りたいのか
    目的が変われば、必要な問いも変わります。

多くの場合、「そもそも」を探ることで新しい問いに気づきます。

「その問いは誰のためのものか」

インテリジェンスでは使用者(政策者)と生産者(分析官)の立場が明確です。
使用者が必要としていない問いをいくら深めても、意味がありません。

ビジネスも同じです。
作り手や販売側は「なぜ本が売れないのか」と考えがちですが、顧客の視点に切り替えれば、
「客はなぜこの本を買わないのか」という問いになります。

この視点の変化だけで、得られる答えは大きく変わります。

簡単なビジネス事例で見る「問いの再設定」

あなたは経営コンサルタントで、ある企業からこう依頼されたとします。

「新製品を開発したいので、今よく売れているものを調べてほしい」

最初の問いは「どんな商品が売れているのか」です。
しかし、ここで問いをそのまま受け取るのではなく、問いの再設定を行います。

ステップ①

依頼者が直面している「達成すべきこと」を考える。
→ 本当に必要なのは“新製品開発”なのか?

ステップ②

依頼者の本当の任務を探る。
→ 実は「売上を伸ばすこと」が核心であると気づく。

ステップ③

すると、元の問いが的外れだと分かる。
「新製品の調査」だけでは売上アップに直結しない。

ステップ④

そこで問いを再設定する。
「売上を伸ばすために、どんな企画があり得るか」

ステップ⑤

依頼者に確認する。
「知りたいのは“売れる新製品”ではなく、“売上アップの方法”ですね?」

ステップ⑥

依頼者は気づく。
「ああ、そうか。私が本当に知りたいのはそこだった。」

この瞬間、依頼者が必要としていた問いが立ち上がります。つまり、問いの再設定によって、初めて正しい仕事が始まります。

問いの再設定がもたらす効果

問いを再設定すると、

  • 問題の核心が見える
  • 思い込みから離れられる
  • 誰のための問いかが明確になる
  • 行動が的確になる

インテリジェンスでもビジネスでも、「正しい問い」を立てることが成果を決めます。そして、その問いは最初に立てたものではなく、問い直しによって得られるものです。

アブラハム合意をめぐる四つの問い

――条件で未来を動かすというインテリジェンスの技法

トランプ・サウジ会談で何が起きたのか

トランプ米大統領は11月18日、ホワイトハウスでサウジアラビアのムハンマド皇太子と会談しました。米メディアによれば、トランプ氏は最新のF35戦闘機の売却を正式に伝える一方で、2018年にトルコで起きた記者殺害事件について皇太子を追及しなかったとされています。また、トランプ氏はサウジとの原子力協力に前向きな姿勢を示し、皇太子との緊密な関係を強調したと報じられています。

多くの報道は「アブラハム合意の完成」を強調し、イスラエルとサウジの国交正常化が近づいたという印象を与えています。しかし、国交正常化は形式的な外交行為であり、F35や核協力は中東の軍事バランスに直結します。どちらが主で、どちらが従か。この区別をつけないと、今回の会談の意味をつかむことができません。

そこで、ここからは四つの問いを使い、過去と現在と未来を往復しながら、この事象を立体的に見ていきます。

4つの問いで読み解く

未来の最初の問い:アブラハム合意は完成するのか

最初に置くべき問いは、「イスラエルとサウジの国交正常化は成立するのか」、つまり「アブラハム合意は完成するのか」という未来のクローズドクエスチョンです。この問いそのものはイエスかノーかで答えられます。インテリジェンスでは、まずこうした単純な形の問いをひとつ置いて、どこに焦点を合わせるかを定めます。

しかし、ここで結論を言い切ってしまうのではなく、この問いを頭に置いたまま、次に過去へ視点を移し、構造を確認していきます。

現在の問い:アブラハム合意はなぜ成立したのか

アブラハム合意の背景には、UAEへのF35売却をめぐる構図がありました。トランプ大統領(第一次政権)はUAEへのF35売却を容認し、イスラエルは反対しつつも最終的には黙認しました。では、なぜイスラエルは黙認できたのか。この問いを進めると、当時の条件が見えてきます。

  • UAEは人口・軍事力・経済規模が小さく、脅威が限定的だった
  • 地理的にイスラエルから遠く、F35が直接的な脅威になりにくかった
  • 政権が安定し、外交方針の急転換が起きにくかった
  • イランへの警戒心が強く、イスラエルと利害が重なっていた
  • 国内の反イスラエル感情が弱かった
  • アメリカがイスラエルの軍事優位を補償する措置を提示していた

これらの条件が重なり、イスラエルは「UAEのF35保有は管理できる」と判断しました。

結果:UAEへのF35は実際には進まなかった

UAEは2020年にF35の売却契約に署名しましたが、実際の配備は進みませんでした。アメリカが二つの点を強く警戒したためです。

  • イスラエルの軍事的優位の維持
  • UAEのHuawei使用による機密漏洩リスク

この停止が続いたため、UAEは中国との軍事協力を強め、2024年には北京で協議し、J-20戦闘機とL-15の導入に動きました。

未来に戻る問い:アメリカはサウジにF35を売却するのか

ここで問いを未来に戻し、焦点をサウジに移します。サウジへのF35売却は、現時点では可能性が低いと考えられます。

イスラエルは、サウジがF35を持てば将来の不確定な脅威になると見ています。サウジは人口も軍事力も中東最大級で、政権の方向も読み切れません。さらに、サウジはイスラエルと国境を接し、中国との関係も深めています。こうした条件は、イスラエルにとって黙認しづらいものです。

アメリカも、イスラエルの不安を無視できません。アメリカは、サウジと中国の緊密さを技術流出のリスクとして受け止めています。アメリカは、イスラエルの軍事的優位を維持するという一貫した政策を持っています。このため、アメリカがサウジにF35を売却する未来は見えにくい状況です。

問いを言い換える:サウジはF35を断念し、国交だけを選ぶのか

ここでは、主語をサウジに移し、問いを「サウジはF35を断念し、国交だけを選ぶのか」という別の形に変えます。インテリジェンスでは、こうした問いの置き換えによって視点が変わり、同じ問題を別角度から確認できます。

サウジは国交だけを選ぶことが難しい状況にあります。サウジはイランを現実の脅威として受け止め、F35を将来の抑止力として必要としています。核燃料サイクルの一部保持も、将来のイラン核に対抗するための国家戦略の一部です。「国交だけ」では国内の宗教勢力や保守層に説明がつきません。

イスラエルは、抑止力の欠けたサウジとは安定した関係を築けません。アメリカも、この不均衡を管理する枠組みを持っていません。したがって、サウジがF35を断念し国交だけを優先する未来は見えにくいと言えます。

オープンな問い:どの条件が整えばアブラハム合意が完成するのか

ここで、未来のクローズドな問いをオープンな問いに切り替えます。「成立するか」ではなく、「どの条件が変われば成立し得るか」を問います。インテリジェンスでは、この問いの拡張が未来をひとつに固定しないための基本姿勢です。

成立の可能性を動かす条件は五つあります。

  1. イランの脅威がさらに高まること
  2. サウジがF35や核要求を部分的に下げること
  3. イスラエルがアメリカの軍事支援で優位維持を確信できること
  4. アメリカが三者を拘束する「管理の枠組み」を提示すること
  5. パレスチナ問題で最低限の体裁が整うこと

これらの条件が同時に動くときにだけ、アブラハム合意の完成は現実味を帯びます。

メッセージー未来予測は予言ではなく不確実性の低減である

未来予測は予言ではありません。インテリジェンスの目的は、使用者が想定外に直面しないようにすることです。未来を一つの形に決めるのではなく、どの条件が動けば結論が変わるのかを示し、使用者が状況の変化に応じて判断を修正できるようにします。生産者は条件の幅を広く示し、使用者はその条件を更新し、結論をその都度修正します。この往復が続くことで、不確実性は小さくなります。一度作られたレポートは、それだけで終わりません。条件が変われば、結論も変わるのです。製作者と使用者がこの「条件の更新」を共有し続けることこそ、インテリジェンスの実際の役割になります。

インテリジェンス思考術(第8回)

問いを設定する技法

インテリジェンスの生産者は最初に問いを設定します。その際にまず知っておくべきことは、問いの種類です。問いは「現在か未来か」と「YES/NOで答えられるかどうか」の二軸によって四つの象限に分かれます。ここでの「現在の問い」とは、過去から現在までの範囲を指し、すでに答えが存在する問いという意味です。

四つの問いは互いに関連しており、生産者(分析者)は、これらを自由に行き来しながら、使用者が本当に知りたいことを整理します。

この考え方を製造業の事例で説明します。ある幹部が「部品調達を国内メーカーに切り替えるべきか否か」を検討しています。これは「戦略の問い」であり、分析者は、その戦略判断に資するために「情報の問い」に分解し、調査の方向性を整えます。

四つの問いの使い分け(サプライチェーン事例)

現在 × クローズドクエスチョン

分析者はまず、自社の現状をYES/NOで確認します。この段階では、事実を確実に把握します。

  • 「わが社のコア部品の海外依存率は高いか」
  • 「依存が特定の国や企業に偏っているか」

これらの問いは現状を確認するためのもので、回答は調査によって把握できます。想像的思考力は必要ありません。

現在 × オープンクエスチョン

次に、現状に至った理由や構造を確認する問いに進みます。この象限の問いは、YES/NOでは答えられません。

  • 「海外依存率が高い理由は何か」
  • 「現在の国内供給網の弱点はどこにあるのか」
  • 「過去に国内メーカーが増産に踏み切った条件は何か」

ここでは、事実確認とともに一定の想像的思考力が必要になります。

未来 × クローズドクエスチョン

そのうえで、幹部がまず知りたい「未来のYES/NO」にあたる問いを扱います。結論に近い部分を押さえる段階です。

  • 「国内メーカーは今後、必要数量を安定供給できるのか」
  • 「現在の弱点が今後もリスクとして続くのか」
  • 「海外と国内の併用調達は可能か」

ここでの回答には想像的思考力が求められます。この問いへの考察が、戦略判断の方向性を形づくります。

未来 × オープンクエスチョン

最後に、未来の変化の幅や条件を確認する問いに進みます。この問いは将来の動きを理解するためのものです。

  • 「国内メーカーが増産に踏み切る条件は何か」
  • 「価格は今後どの要因で変動するのか」
  • 「どの工程を国内に戻す必要があるのか」

ここで求められるのは、より高度な想像的思考力です。

以上の四つの問いを縦横無尽に行き来することで、使用者の「部品調達を国内メーカーに切り替えるべきか否か」という戦略の問いを支えることができます。

四つの問いには、「どこから調査を始めるべきか」という決まりはありません。しかし、一つの象限の問いに偏ると視野が狭まり、判断に必要な材料が集まりません。四つの問いを行き来することで、

  • 「何が分かっていて」
  • 「何が分かっていなくて」
  • 「未来のどこに幅があり」
  • 「どの条件が結果を変えるのか」

が整理され、使用者が本当に知りたい問いに近づくことができます。

クローズドに偏る危険性

イラク戦争では、情報機関は「イラクのサダム・フセインは化学兵器を保有しているか?」というクローズドクエスチョンに支配されました。その結果、「フセインは化学兵器を持っている」という思い込みが強まり、その前提を支持する情報ばかりを集めました。これは確証バイアスです。

さらに、当時の使用者であったブッシュ大統領やパウエル国務長官は、フセイン打倒という政治的目的に引きずられており、これに忖度する形でインテリジェンスの政治化や権威バイアスが生じました。

このような失敗を避けるためには、クローズドクエスチョンに囚われず、視野を広げてオープンクエスチョンに転換する努力が必要です。

CIAテロ対策センター元副部長フィリップ・マッド氏は、「はい/いいえで答えられる問いは、複雑な問題には向かない」と述べています。マッド氏は、使用者が分析者に結論を断定させようとする圧力を「確実性バイアス」と呼んでいます。このバイアスが働くと、分析者はYES/NO形式の問いばかりに引きずられ、必要な視点を見落とします。

企業の意思決定の現場でも同じです。

  • 「国内調達は可能なのか」
  • 「価格は下がるのか」

このような問いに固執すると、判断に必要な背景や条件が集まらず、誤った結論につながります。分析者は、クローズドクエスチョンに偏らず、オープンクエスチョンを併用することで、幅のある情報を確保する必要があります。

まとめ

四つの問いは、分析者が戦略の問いを情報の問いへ分解する際の有効な指針となります。現在の事実、現在の構造、未来の可否、未来の条件を順番に確認することで、意思決定に必要な情報が揃います。

四象限を行き来することで、使用者が本当に知りたいことが明らかになります。分析者は、フィリップ・マッド氏の指摘を踏まえ、YES/NOの問いに縛られず、幅のある問いを設定することで、より確かな判断材料を提供できます。

「関税で儲かった」は本当か――数字の裏で誰が負担しているのか

関税収入「過去最高」というニュース

2025年11月9日、トランプ大統領は自身のSNS「Truth Social」で、アメリカは関税で莫大な収入を得ていると主張しました。あわせて、高所得者を除く多くの国民に「一人2,000ドル以上の関税配当を支給する」と発表しました。さらに、関税に反対する人々を「愚か者だ」と批判し、自分の政策は正しいと強く訴えました。

実際に、米財務省の統計によると、2025年1~9月の関税収入は約1,950億ドルとされ、過去最高のペースです。この数字だけを見ると、「アメリカは関税で儲かった」と言いたくなる状況です。

関税負担の実際

関税がかかると、輸入品の販売価格は上がります。

たとえば、アメリカの輸入業者が中国から100ドルで仕入れた冷蔵庫を120ドルで売っているとします。アメリカ政府が25%の関税をかけると、輸入業者は政府に25ドルを支払うことになります。その分を販売価格にのせるので、店頭価格は145ドルになります。

輸入品が145ドルに上がれば、国内メーカーは「競争相手が値上げしたなら、うちも多少なら値上げしても売れる」と考えます。実際には120ドルの国内製品が130ドル、135ドルに上がることがあります。こうした動きで、同じ種類の製品は全体的に値段が上がります。

同じ現象は、衣料品、家電、家具、自動車部品などの日用品でも起きています。たとえば、20ドルのTシャツが25ドル、300ドルの掃除機が330ドルなど、少しずつ値段が上がっています。日々の買い物の価格が上がれば、たとえ関税配当を受け取っても、その分がすぐに支出に消えてしまうことがあります。

企業も負担を受けます。輸入に頼っている部品や原材料が高くなり、製品をつくるコストが増えるからです。コストが増えれば、会社は賃金を上げにくくなり、新しい機械や設備にお金を回す余裕もなくなります。こうした負担が積み重なると、企業の活動は鈍くなり、景気の勢いが弱くなります。関税がかかると、輸入品の販売価格は上がります。

中国企業の「値下げ負担」

トランプ大統領はよく「関税は中国が払っている」と主張します。この言い方は大げさに聞こえますが、実際に中国企業が関税分を肩代わりするケースはあります。

関税がかかると、アメリカの輸入業者は25ドルを政府に支払わなければなりません。輸入業者は自分の負担を増やしたくありませんし、商品をこれまでと同じように売りたいと考えます。そこで、中国企業に「仕入れ値を下げてほしい」と求めます。

中国企業はアメリカ向けの販売を維持したいので、本来100ドルで売る冷蔵庫を80ドルまで下げて輸出することがあります。輸入業者は80ドルに25ドルの関税を足して105ドルで販売できます。店頭価格が100ドル台に収まれば、アメリカの消費者は大きな値上がりを感じません。

このように、中国企業が値下げして関税分を吸収し、アメリカ側の負担を減らすことがあります。トランプ大統領が言う「関税は中国が払っている」という言葉は、このようなケースを指しています。

税収増が抱える政治的リスク

関税で税収が増えているように見えても、それは誰かがその分を負担した結果です。負担のしかたには三つあります。

① 消費者が値上がりを受け入れて買う。

② 輸入業者が原材料や部品の高い仕入れ価格を吸収し、利益を削って売る。

③ 中国企業が価格を下げて輸出し、下げた分が関税分の穴埋めになる。

税収の増加は、この三つの負担の合計にすぎません。アメリカ経済が強くなったわけではなく、誰かがその分を支払っているだけです。物価上昇と企業コストの増加が続けば、家計と企業に不満がたまります。こうした不満は政治に向かい、トランプ大統領の支持率を押し下げる可能性があります。

さらに、関税をかけても中国製品が売れ続けている現状は、アメリカ国内の企業が十分な競争力を持てていないことを示します。外国製品への依存が続いているため、関税収入が増えても産業の基盤は強くなりません。この状況では、トランプ大統領が掲げる「自国ファースト」や「強いアメリカの復活」は実現しません。

関税で税収が増えても、それだけでは国は強くなりません。負担の行き先を見ないままでは、政治も経済も安定しないということです。

メッセージ

ニュースを読むとき、目につきやすいのは税収や成長率といった数字や派手な見出しです。しかし、その数字がどのように生まれたのか、誰がどこで負担を抱えているのかを見ないと、本当の姿はわかりません。

どの政策にも、利益を得る人と、静かに負担を引き受ける人がいます。表に出てくる「良いニュース」だけで安心せず、数字の背景や前提を一つずつ確かめる姿勢が大切です。

言葉が強いと、ついそのまま受け取ってしまいますが、強い言葉ほど慎重に読む必要があります。それが、複雑なニュースを読み解き、事実を見誤らないための確かな視点になります。

(了)

インテリジェンス思考術(第7回)

■「問いの設定」とは何か

前回のニュースレターでは、インテリジェンス・サイクルの基本を短く紹介しました。国家レベルでは、使用者(政策決定者)が情報要求を出し、情報組織がその要求に基づいて情報を集め、分析し、最終的にインテリジェンスとして使用者へ渡すという流れになっています。

しかし、このサイクルは理想形です。個々の分析官がその流れを待っているだけでは、質の高いインテリジェンスは作れません。分析官は、使用者がどのような判断を迫られているか、どの情報を必要としているかを洞察する必要があります。
この「相手の立場に立って情報要求を読み取る作業」が、「問い」の設定です。

ビジネスの現場では、インテリジェンス・サイクルは確立されておらず、経営層から明確な情報要求が出されないことが多いと思われます。そこで、自ら問いを立て、経営判断に役立つインテリジェンスをつくり、相手に“売り込む”必要があります。だからこそ、問いの設定の技術が重要になります。

問いの設定とはなぜ必要か

ビジネスには戦略が必要です。戦略をつくるには知識が必要です。しかし、何でも知ろうとすると、戦略に必要のない情報まで集まってしまいます。そこで、最初に「何を知るべきか」をはっきりさせる必要があります。

この「知るべきこと」を決める作業が問いの設定です。問いの設定は、情報を集めるときの出発点であり、分析の方向を決める最も重要な過程です。問いが決まれば、余計な情報に惑わされず、必要な情報だけに集中できます。筆者は昔、ある国の情報分析官から「分析の成功の七割は問いの設定で決まる」と聞いたことがあります。

この考え方は、安全保障だけでなく、経営や研究にも当てはまります。ドラッカーは「大きな失敗は、間違った答えではなく、間違った問いに答えることだ」と述べました。情報学者の上野千鶴子氏も、「良い問いが立てば研究はほぼ成功したようなものだ」と言っています。

問いには戦略の問いと情報の問いがある

インテリジェンスは戦略判断を支えるためにあります。したがって、問いは戦略判断と直接つながっていなければなりません。

たとえば、あなたがある企業に就職したいと考えるなら、「その企業に入るために何を準備するのか」「いつまでに準備するのか」という戦略の問いが生まれます。しかし、この戦略は思いつきでは意味がありません。戦略を実行するには、その前に必要な事実をそろえる必要があります。そこで、戦略の問いを具体的な情報の問いに分けます。

その企業のビジョンは何か。どんな人材を求めているのか。どの部署を強化しているのか。どのような能力を評価しているのか――これらが情報の問いです。これらの事実を知らなければ、どんな準備をすべきかという戦略の問いに答えることができません。

このように、問いには二つの段階があります。最初に「何を、なぜ、どうするのか」という戦略の問いを立てます。次に、その戦略を実行するために必要な事実を明らかにする情報の問いを設定します。

情報の問いは、自社、競争相手、周囲の環境という三つの視点からつくります。就職でいえば、企業の方針(環境)、競争相手となる他の応募者(相手)、そして自分が備えている能力(自社)の三つです。

この三つの視点をそろえれば、戦略の問いに答えるための情報が集まります。

問いに備えるべき要件

問いには次の三つの要件があります。

有用性(その問いは使用者に役立つか)

有用性とは、その問いが使用者の判断に役立つかどうかです。
問いが役に立たなければ、どれほど丁寧に情報を集めても戦略は正しい方向に向かいません。

例として、戦略の問いが「中国に販売店を出すべきか」であるとします。この問いに答えるために、南アフリカの政治情勢を調べる必要はありません。理屈をつければ関連はあるかもしれませんが、通常は判断に直接つながりません。

販売店を出すなら、中国の政治情勢、対外政策、競合他社の進出状況など、知るべきことは多くあります。ここで問題は、どこから調べるかです。

たとえば、「中国の市場規模はどの程度か」という問いを情報の問いとして設定したとします。ここで重要なのは、「なぜ市場規模を知る必要があるのか」
そして、「市場規模を知ったら何が変わるのか」 という視点です。

市場規模は、ビジネスが成立するかどうかを判断する材料になります。もし市場が小さければ、どれほど競争環境が良くても利益が出ません。逆に市場が大きければ、リスクを取っても進出する価値があります。

つまり、問いの理由を明確にすることで、その問いが本当に役立つかどうかを検証できます。この検証こそが、有用性の判断です。

可能性(答えられる問いであるか)

問いは、自分が情報を集め、自分が分析して答えを出せるものでなければ意味がありません。ここで言う「答える」とは、本に書いてあることや、人に聞けば分かることではありません。自分の判断として結論を出せるという意味です。

たとえば、「次のパンデミックはいつ起きるか」という問いは誰も答えられません。同じように、「首都直下地震は起きるのか」という問いも専門家ですら断定できません。こうした問いは、自分がどれだけ努力しても答えにたどりつけないため、問いとして適切ではありません。

しかし、これらの問いを「自分でも答えられる問い」に置き換えることはできます。

たとえば、飲食業に関わる人であれば、
「2020年に起きた規模の感染症が再び発生した場合、客足はどこまで落ちるか」
という問いに変えれば、過去のデータを使って自分で分析できます。

地震についても同じです。
「首都圏で交通が3日止まった場合、各店舗の在庫はどこまで持つか」
という問いにすれば、物流データや過去の災害記録を基に自分で答えを出せます。

このように、答えられない問いは、前提条件を明確にすることで「自分で分析できる問い」に変えることができます。問いの可能性とは、この“問いの変換ができているかどうか”を指します。

重要性・緊急性(二つの軸を総合して、知るべき問いを決める)

問いの価値は、重要性と緊急性の二つの軸で決まります。状況の変化によって、この二つの軸は大きく動きます。そのため、どの問いに時間を使うべきかは、常に総合的に判断しなければなりません。

たとえば、あなたの会社が家電の新製品を計画しているとします。会社は顧客から高い信頼を得ており、性能にも強みがあります。この段階では次の問いが中心になります。

「市場の需要はどの方向に動いているのか」
「顧客はどの機能を求めているのか」

これらは重要です。ただし、急いで答えを出す必要はありません。

競合の動きも気になりますが、そこで「競合は将来どんな製品を出すのか」という問いを設定します。ただし、当初は自社との実力差が明確であり、大きな脅威ではありません。このため、この問いは重要ではあっても、最初の段階では顧客情報よりも優先度が低く、緊急でもありません。

ところが、状況が変われば、この二つの軸の重みも変わります。たとえば、
競合同士が合併し、技術を統合して半年後に新製品を出す可能性が高い
という情報が入ったとします。

この一報によって、これまで優先度が低かった競合の問いは、重要性と緊急性の両方が急に高くなる ことがあります。

すると、次の問いが最優先になります。

統合した競合の技術力はどこまで強化されるのか」

「自社との性能差はどこに生まれるのか」

「発売までに自社が調整できる点はどこか」

このように、問いの重要性と緊急性は固定されたものではありません。状況によって変化します。大切なのは、どちらか一方だけを見るのではなく、重要性と緊急性の両方を総合して、今の判断に最も役立つ問いを選ぶことです。

まとめ

良いインテリジェンスは、良い問いから生まれます。問いをつくることは、情報を集めることより難しい場合があります。しかし、その問いが正しく立てば、分析の道筋が見え、判断の精度が一気に高まります。

ビジネスでも安全保障でも、答えより先に問いをつくることが、最も価値のある作業です。問いこそが全ての出発点であり、終着点であるのです。

米国がG20もCOPも離れ始めた――その空白を中国が埋める

米国が不参加を明言

2025年11月7日、ドナルド・トランプ米大統領は、11月22〜23日に南アフリカ・ヨハネスブルグで開かれるG20サミットに対し、「米政府関係者は誰も出席しない」と明言しました。理由として、南ア政府がアフリカーナーに対して土地の違法没収や迫害を行っていると主張しました。

また、11月10日からブラジル・ベレンで開かれるCOP30でも、米政府は代表を送っていません。米国は、自らが主導してきた多国間協議に対し、明確に「参加しない」という姿勢を示したことになります。

制度の“所有者”から“離脱者”へ

米国は長年、G20やCOPといった国際協議を、自国が議論を主導し、自国の利益に沿う形で制度を動かすために活用してきました。しかし近年、これらの制度が米国にもたらす利得が、かつてほど大きくなくなっています。

気候変動の議論では、途上国支援や気候資金が中心となり、新興国やアフリカ諸国の発言力も増しました。米国が従来のように議題を主導する余地は狭まり、交渉の重心は“南”に移りつつあります。米国政府が「気候交渉は詐欺だ」という発言を行う背景には、制度への不信と、制度外で自国の利益を確保しようとする姿勢の強まりがあります。

今回の不参加は、米国が「制度の内側で主導を握る国」から、「制度そのものに距離を置く国」へと立場を変えつつあることを象徴しています。

空白を狙う中国とグローバル・サウス

米国が制度から離れると、そこに必ず空白が生まれます。その空白を最も積極的に埋めようとしているのが中国です。

中国は、COPやG20の場で南アフリカやブラジルを含む途上国との協力を深め、気候支援や貿易を通じて自らの影響力を広げています。米国の不在が目立つほど、中国が議論の方向性をつくりやすくなります。

さらに中国は、「米国は多国間協議に後ろ向きだ」という構図を同盟国や周辺国に示し、自らを代替的な枠組みとして提示する可能性があります。米国の不参加が単発の出来事ではなく、制度そのものから距離を置く流れの一つと見るなら、中国の動きは国際秩序の今後を考えるうえで重要な兆候となります。

日本にとっての課題

結局、今回の問題が日本に突きつけているのは、日米同盟を基軸としながら、多国間協議にどう向き合い、日本の存在感をどう維持するかという課題です。

日本は軍事面で米国と協力しつつ、外交の場では自らの発信力を落としてはなりません。国際協議で日本の立ち位置が弱まれば、国内で説明してきた「国際貢献」の内容にも説得力を持たせにくくなり、同盟を支える世論にも影響します。

さらに重要なのは、中国が国際協議の場で影響力を大きくし、それを国内外の政治に利用しようとしている点です。COPやG20での発言力は、中国が「責任ある大国」という姿勢を示し、台湾やアジアで主導権を握ろうとする際の強力な後押しになります。

中国は、米国と日本の立場の違いをよく見ています。米国が距離を置く協議の場で、日本が十分に発信できなければ、その状況を利用して「日本は地域の声に向き合っていない」といった批判を展開し、対日政策の一部として活かす可能性があります。

G20やCOP30をめぐる今回の動きは、国際協議の場が“米国が必ず中心にいる場所”ではなくなりつつあることを示しています。そして、中国がその変化をどう自国の力に変えようとしているかを読み解くことが、日本にとっての実質的な安全保障・外交上の関心事です。

メッセージ:ニュースの裏側を読む

ニュースの表面だけを見れば「米国が参加しなかった」という一行で終わります。しかし、その裏側では、主導権を争う動きが静かに進んでいます。

日本が注視すべきは、“なぜ米国が制度から距離を置き始めているのか”という点だけではありません。もっと重要なのは、その空白を中国がどのように利用し、自国の立場をどう強化し、日本にどのような圧力として跳ね返してくるのかという点です。

表側のニュースの裏側にこそ、逃してならない重要なニュースが潜んでいます

(了)

インテリジェンス思考術(第6回)

インテリジェンス・サイクルとは何か

国家安全保障の業務では、情報を集めて分析し、意思決定者に提供する一連の作業があります。この作業を「インテリジェンス・サイクル」と呼びます。米国CIAは次の55つの段階に整理しています。

  1. 計画・指示(Planning & Direction)
    使用者が求める内容を受け、どの情報が必要かを決め、収集計画を作る。
  2. 収集(Collection)
    計画に沿って、担当機関が国内外の情報源から情報を集める。通信傍受や偵察衛星もここに含まれる。
  3. 処理(Processing)
    集めた情報を読める形に整理し、必要な項目ごとに分類する。
  4. 分析・作成(Analysis & Production)
    整理された情報を基に、判断に役立つ内容へと加工し、インテリジェンスを作成する。
  5. 配布(Dissemination)
    作成したインテリジェンスを、口頭・文書・デジタルなどの形で使用者に届ける。

国家の情報機関でも、企業のインテリジェンス部門でも、この基本的な流れは変わりません。要点を簡潔にまとめれば次の4つです。

  1. 知るべきことを選ぶ。
  2. 情報を集める。
  3. 集めた情報からインテリジェンスを作る。
  4. 作ったインテリジェンスを使用者に届ける。

「鶏と卵」の問題

インテリジェンスの成否は、どれだけ多くの情報を持っているかではなく、「何を知るべきか」を正しく選べるかで決まります。イギリスの哲学者アイザイア・バーリンは『ハリネズミと狐』で「狐は多くを知るが、ハリネズミは大事なことを一つ知る」と書きました。情報要求を設定する場面では、大事な一点を見抜くハリネズミの姿勢が求められます。一方、分析や予測では、多くの要素を把握する狐の姿勢も必要です。

国家安全保障の理論では、使用者が「何を知りたいか」を示し、それを「情報要求(Intelligence Requirement)」と呼びます。しかし現場では、使用者が情報要求を出さないために作業が進まない、という問題が繰り返し起きます。使用者が要求を出さなければ、生産者は情報を集められず、インテリジェンスを作れません。

一方、使用者側も「何を知るべきか」がわからないので要求を発出できません。インテリジェンスがないため、状況の深刻さも読み取れないのです。この状態が「鶏と卵」の問題です。

生産者に求められる積極性

冷戦期の欧米の情報機関は、明確な対象(共産圏)があり、情報要求がなくても、共産圏の動きを追っていれば機能しました。しかし冷戦後は脅威が多様化し、使用者の要望だけでは対応できなくなりました。

そこで、アメリカの有名なファンドの創設者ブルース・バーコウィッツは『情報機関を立て直すには』で次のように述べています。
「インテリジェンス担当者は、積極的に使用者のところへ行き、相手を知り、自分の作ったプロダクトを売り込むくらいでなければならない」

インテリジェンスの生産者と使用者の距離感は一定ではありません。アメリカの情報機関は、政策に迎合しないために、政策判断の領域には踏み込みません。しかしイスラエルの情報機関は、大統領への報告時に政策の選択肢まで提示するとされます。

企業の場合はさらに違います。国家のような組織構造がなく、使用者と生産者の境界がはっきりしません。経営陣が具体的な指示を出さないまま、担当者に問題の整理から解決策までを求める場面も多くあります。

知るべきことを明確にする

何を知るべきかを明確にすることは、国家でも企業でも重要なことです。少し、簡略化して説明します。

例えば、首相が「台湾有事に備えて南西諸島の防衛力を強化すべきか」を検討するとします。この場合、情報機関が最初に評価すべきは中国軍と台湾軍の能力です。極東ロシア軍の動きは、判断の優先度が高いとは言えません。使用者が取り組もうとしている判断を明確にし、その判断に必要な情報を選ぶことが出発点になります。

企業でも、外食企業が「新商品の市場シェアを伸ばしたい」と考えているなら、担当者がまず調べるべきは顧客の嗜好です。競合の社内事情よりも、市場の動きに直結する情報が優先されます。

問いを多角的に見直す

最初の問いが正しいとは限りません。判断を左右する要因は、一つの領域に限られないからです。

外食企業の例でも、新商品の市場シェアを巡る主要な競争相手が同業他社とは限りません。ある企業では、新商品の市場シェアを奪っていたのは外食企業ではなく、コンビニエンスストアが売るレトルト食品でした。消費者が「自宅で簡単に食べたい」と考える場面では、外食と小売の境界は消えます。

このような場合、担当者は、最初の問い「競合他社の動きを調べるべきか」を見直し、

「消費者が代わりに選ぶ食品は何か」

「その食品を扱う企業の戦略はどう変わっているか」

という異なる角度から問いを立て直す必要があります。

問いを多角的に見直す作業がなければ、使用者が気づかない領域で競争が進んでしまいます。

問いを提案するという役割

このように、担当者は「知るべきこと」をただ確認するだけでは役割を果たせません。使用者が示した最初の方向性を踏まえつつ、状況を広く見渡し、必要だと思う問いを使用者に提案する姿勢が求められます。

担当者は、経営層に次のように働きかけます。「いま検討している判断事項は、こういう要因でも変わる可能性があります」「この判断には、こちら側の情報も必要になると思います」

これは、単に“伺いを立てる”のではなく、使用者の考えを整理し、判断に必要な問いへと翻訳する作業です。

使用者が自ら情報要求を出さない企業の環境では、この“問いの翻訳”こそがインテリジェンス担当者の重要な役割になります。

軍を掌握した指導者の脆さ――4中全会に見る習近平体制の実像

事実の解釈には両面がある

第20期4中全会が開催

中国共産党の第20期4中全会が、2025年10月下旬に開かれました。

党大会は5年に一度開催され、その中間点にあたる4中全会は、次期経済5カ年計画の起草準備や、党の執政状況を中間評価する節目にあたります。

予定どおり、経済政策や社会目標が中心議題となり、来年に決定される第15次5カ年計画の方針が話し合われました。

内容としては「自給自足」と「先進的製造業」の発展を掲げたもので、全体としては規定路線に沿ったものと見られます。

一方で、今回は開催前から人事への関心が高まりました。

とくに、習近平氏の後任問題や、空席が続いていた中央軍事委員会(CMC)の人事動向が注目されました。

さらに、軍出身の中央委員の半数近くが欠席したとも伝えられ、体制の内側に不安と緊張が広がっているのではないかとの報道もありました。

軍委改革と新しい構成

2015年、習近平氏は大規模な軍改革に踏み切りました。
長年、人民解放軍の中枢を担ってきた「四総部」(総参謀部・総政治部・総後勤部・総装備部)を廃止し、戦区制と軍委直轄制を導入。
この改革は軍の近代化を掲げつつも、実際には軍の権限を党中央に集中させる動きでもありました。

2017年の第19回党大会で、中央軍事委員会の新体制が発足します。
従来の軍委は主席、副主席2人、国防部長、四総部の長4人、海軍・空軍・第2砲兵(ロケット軍)の司令官を含む計11人体制でした。
これが2017年以降、主席、副主席2人、国防部長、統合参謀長、政治工作部主任、そして規律検査委員会書記7人体制に再編されました。

このうち、規律検査委員会書記が軍委メンバーとなったのは初めてです。
このポストは通常中将職であり、就任した張昇民氏が中将のまま委員入りしたのは異例の昇進でした。その後、張氏は上将(大将)に昇格しています。
一方、東部戦区司令官だった何衛東氏は、委員を経ずに副主席に就任しました。
いきなり副主席というのは極めて異例で、まさに「飛び級人事」でした。

粛清の連鎖と軍の統制

2018年以降、人民解放軍では汚職摘発が相次ぎました。
最初に標的となったのは装備発展部門やロケット軍で、中将級幹部が次々に処分され、軍内部には不信感が広がりました。

2021年には装備発展部長だった李尚福氏が国防部長に昇格しましたが、2023年に「重大な規律違反」で失脚。
同年、ロケット軍の司令官と副司令官も更迭され、核戦力を担う中枢部門の人事が総入れ替えとなりました。
2024年には政治工作部主任の苗華氏が消息を絶ち、軍委内部で空席が目立つようになります。
そして2025年、4中全会の直前に何衛東副主席が失脚し、張昇民氏が副主席に昇格しました。

この結果、2017年に確立された7人体制のうち4人が交代または更迭されたことになります。
軍の意思決定は、指揮よりも監察と統制を重視する構造へと傾いているように見えます。

欠席という沈黙

今回の4中全会では、軍出身の中央委員の多くが欠席したと報じられました。
一部には「粛清への異論」や「軍の反発」といった見方もありますが、出席は原則として義務です。
過去の粛清の流れを踏まえれば、欠席は招集されなかった、あるいは調査中である可能性が高いと考えられます。
党中央が「安全」と判断した人物のみを出席させたという見方もあります。

習近平氏の掌握とその限界

形式上、習近平氏は軍を完全に掌握しています。将軍人事、昇進、予算――すべての決裁が主席の承認を要し、独立した権限はほとんど残っていません。しかし、権限が集中すればするほど現場は萎縮し、指揮官は判断を避けるようになります。

粛清の連鎖は統制強化と見ることもできますが、実際には幹部が恐れを抱き、命令が現場に届かなくなっているとも考えられます。組織は上の意向をうかがうばかりで、意思決定の力を失いつつあるようにも見えます。

この構図には、二つの不信が重なっています。
ひとつは、粛清が続くなかで指揮官同士が互いを疑う軍内部の不信。もうひとつは、党中央と軍の間に生じた信頼の揺らぎです。

かつて「党が銃を指導する」と言われた関係が、いまや「銃が党の意向をうかがう」関係に変わりつつある――。その微妙なずれが、体制全体の緊張として表面化しているのです。

後継者不在と「一強体制」の行方

今回の4中全会でも、習近平氏の後継者像は示されませんでした。
このため、「2027年以降も第4次政権を狙う」「一強体制がさらに強化された」との見方もあります。

しかし、後継を定めないことは短期的な安定をもたらす一方で、将来的な混乱の火種にもなります。
毛沢東氏は華国鋒氏を、鄧小平氏は江沢民氏、さらに胡錦涛氏へと続く後継体制を整えました。強い指導者とは、次を託せる仕組みを築く指導者でもあります。

習近平氏は軍を支配しているように見えますが、その背後には二つの恐れがあるのかもしれません。ひとつは、後継を託せる人物を見いだせない「託せない不安」。
もうひとつは、権力を手放した瞬間に自らの権威が失われるのではないかという「権威を失うことへの恐怖」です。その恐れが人事を慎重にし、粛清を繰り返すという形で表れているようにも見えます。

メッセージ――ルービンの壺のように

習近平氏は軍を完全に掌握したように見えます。けれどもその姿は、裏返せば「不安定さ」の映し鏡でもあります。粛清や欠席の連鎖は、統制の強化ではなく、恐れによって動けなくなった組織の現実を映しているのかもしれません。

物事の見方は、ルービンの壺のように、どちらの面を見つめるかでまったく違って見えます。指導者の「強さ」も、角度を変えれば「脆さ」に映る。どちらが正しいということではなく、反対の像を意識して見ることが大切です。

政治も、組織も、そして自分の思考も同じです。一つの見方にとらわれず、反対側の構図を想像すること――そこに、次の一手を考える力があるように思います

(了)

インテリジェンス思考術(第5回)

守りのインテリジェンス ― 地政学リスクと企業経営

先週のニュースレターでは、ビジネス・インテリジェンスと競合インテリジェンスの関係を取り上げました。
今回はその対になる「守りのインテリジェンス」について考えてみたいと思います。

「脅威インテリジェンス」とは

まず、脅威インテリジェンスです。
この「スレット・インテリジェンス(Threat Intelligence)」という言葉は、主にサイバーセキュリティ分野で使われています。もともとはセキュリティ業界の専門用語だと言えるでしょう。

攻撃を受けた際に残るマルウェアのファイル名、通信元のIPアドレス、URL、ハッシュ値など――いわゆる侵害指標(IoC:Indicator of Compromise)を分析し、攻撃者の正体を突き止める。その成果物そのものが脅威インテリジェンスと呼ばれます。

ただし「脅威」は、意図 × 能力 × 戦略環境(機会)で定義されます。
つまり脅威インテリジェンスを字義通りに解釈すれば、相手がどんな意図と力を持ち、どのような環境で行動しているかを分析し、その全体像を明らかにする知的活動ということになります。

今日では、国家がサイバー空間を通じてスパイ活動を行い、技術情報を狙う時代です。
平時の企業諜報から戦時のインフラ破壊まで、脅威の範囲は拡大しています。
もはやセキュリティ部門だけの問題ではなく、経営そのものが脅威にさらされる時代に入っています。
脅威インテリジェンスをより広い視野で捉え直す必要があります。

「リスクインテリジェンス」という新たな視点

近年、「リスクインテリジェンス」という言葉も使われるようになりました。
企業では、AIを活用して社員の行動を分析し、内部不正や異常を検知する“内部脅威検知”の意味で使われることが多いようです。

しかし本来の意味は、潜在的なリスクを特定し、その蓋然性を評価し、リスクを軽減するための知識を指します。
その対象は、自然災害、技術、経済、社会、法規制、そして地政学まで、多岐にわたります。
これらのリスクを定量化・評価するという点で、インテリジェンスとの境界は極めて近いと言えるでしょう。

かつて軍事領域で発達したインテリジェンスは、今や企業や社会の中に拡散しています。
ビジネス・インテリジェンス、競合インテリジェンス、脅威インテリジェンス、リスクインテリジェンス――
それぞれの分野で独自の発展を遂げてきましたが、活動が広範化するにつれて、相互の境界は曖昧になりつつあります。その意味では、原点にある“知る力”をもう一度学び直す必要があります。

企業を取り巻くインテリジェンス環境

グローバル化によって企業は世界各地に拠点を持ち、国境を越えて事業を展開するようになりました。
その結果、地政学的な要因が経営に直接影響を与える場面が増えています。

象徴的なのがロシア・ウクライナ戦争です。
この戦争によって多くの企業が市場アクセスを失い、制裁による貿易障壁に直面しました。
穀物やエネルギー供給の混乱で資源価格が高騰し、企業は資産や従業員の安全確保を迫られました。
さらにSNSやメディアで流れる情報が株価や投資判断を左右し、情報そのものが経営環境を変動させる時代になっています。

同様の構造は米中対立にも見られます。
米国主導の輸出規制、半導体分野の技術統制、そして中国の「エコノミック・ステートクラフト」――
経済的手段を通じて政治的目的を達成しようとする動きが強まっています。
このため、「日・米・台 vs 中国」という構図の中で、サプライチェーンの寸断や事業撤退を検討する企業も増えています。

いま、地政学リスクの視点からインテリジェンス能力を高めることが、企業にとっての生存条件になりつつあります。

米中対立の緊張を受け、日本政府は2022年に経済安全保障推進法を制定しました。国家レベルで、先端技術や人材の海外流出を防ぎ、重要物資やインフラを保護する体制を整えています。

エネルギー、原材料、通信、金融といった経済の基盤は、いまや国家安全保障と直結しています。
企業には技術と人材を「守る力」が求められています。

地政学リスクは大企業だけの問題ではありません。
中小企業も海外取引や資源調達、人材交流を通じて国際情勢の影響を直接受けるようになりました。
岡山商工会議所が2022年春に実施した調査では、地域の中小企業の約7割がロシア・ウクライナ戦争の影響を受けたと回答しています。
もはや「遠い国の出来事」ではないのです。

つまり、今やあらゆるビジネスパーソンがインテリジェンスを求められる時代になったのです。

官民連携と企業の独自分析

この不確実な時代に、企業がとるべき方向は三つあります。

第一に、官民の情報連携です。
政府が持つ安全保障情報と企業が持つ業務知識を結びつけ、地政学リスクを共有し、相互に活用することが求められます。
電力・通信・金融といった基幹インフラを守るためには、官民の協力体制が欠かせません。

第二に、独自分析の体制構築です。
国家の情報機関が扱う分析は一般的・非公開なものが多く、個別企業のリスクには対応しきれません。
自社の事業構造に即した地政学リスク分析を行い、リアルタイムで情報を更新できる体制が必要です。

第三に、情報組織の再定義です。
AIは過去データからパターンを見出すことに長けていますが、国際政治の突発的な変化には限界があります。
データ分析に加え、人間の洞察と判断を中心に据えた「インテリジェンス部門」を設けることが今後の課題です。

結びに

企業が地政学リスクを軽視すれば、経営の持続可能性そのものが揺らぎます。
脅威やリスクを知ることは、単なる防御ではなく、意思決定を現実に即して強くする行為です。

国家安全保障と経済安全保障が重なり合う時代において、「世界を知ること」そして「自分の事業を知ること」こそが、最大の“守りのインテリジェンス”ではないでしょうか。