布教の終焉と認知戦の時代

―語りからアルゴリズムへ

近ごろ、人が「信じる」あり方が大きく変わってきたと感じます。かつて人は、物語を聞き、時間をかけて納得し、信念を育てていきました。宗教の布教も政治の支持も、語り手と聞き手が関係を築きながら、体験を共有して信じる力を育てるものでした。そこには時間の厚みと、人の温度がありました。

しかし、現代の情報空間ではそれが失われつつあります。SNSや動画が流れるスピードは、言葉よりも速く感情を動かします。現代の「認知戦」は、まさにこの特性を前提にしています。狙うのは“納得”ではなく“反応”です。注意を奪い、感情を揺さぶり、行動を誘導する。アルゴリズムの仕組みが、この瞬間的な「反応」の連鎖をさらに増幅させています。

一方で、説話の時代における布教は、まったく逆の構造をもっていました。北ベトナムの説話による思想浸透や、宗教の布教のように、人々は物語を通じてゆっくりと納得し、共同体の中で信念を共有していきました。文字よりも声、感情を共にする時間が信仰を形づくったのです。

では、サイバー空間において布教は可能なのでしょうか。

オンラインでは、語り手と聞き手の関係性が希薄になり、説話の「身体性」は失われます。けれども、連続したストーリーテリングやコミュニティ形成によって、信頼や共同幻想を再現する動きも見られます。陰謀論の拡散や、熱狂的な政治支持層の形成などは、まさにデジタル時代の「新しい布教」と言えるかもしれません。

現代日本に目を向けると、政治の世界でも「説話から認知へ」の流れがはっきり見えます。

かつての公明党は、創価学会という共同体の中で体験を語り合い、人と人の関係を通じて支持を広げてきました。これは説話の構造をもった政治活動でした。

一方、参政党はSNSを駆使して共感や“気づき”を拡散します。支持は人間関係ではなく情報空間で形成され、短期間で信念が生まれる。説得ではなく「覚醒」を促す形です。ここにはまさに、布教から認知戦への転換が見て取れます。

宗教がICT環境に適応しにくいのは、この変化にあります。説話や納得、信頼の積み上げを前提とする布教は、即時的な情報の洪水には向きません。だからこそ信仰人口は減り、共同体は細りつつあります。

しかし、イスラム過激派のように、宗教的物語を認知戦に転化させた例もあります。映像や音楽を使い、怒りや使命感を刺激し、瞬時に人を動かす。そこでは「信じる」よりも「反応する」が優先されます。

布教の終焉とは、単に宗教の衰退を意味するのではありません。

人が物語によって納得し、他者との関係の中で信じていくという、人間の学習の形そのものが変わりつつあるということです。説話の時代が終わり、アルゴリズムの時代が来た。

人はもはや「教えられて」動くのではなく、「感じ取って」動く。

信仰も、思想も、そして政治も――反応の時代の中で再び形を変えています。

米国はなぜ「麻薬戦争」に空母を動かすのか。

表向きの説明の裏にある、もう一つの仮説を読む。

■トランプ政権、空母打撃群をカリブ海へ派遣

10月25日の産経新聞は次のように報じています。

トランプ米政権は24日、最新鋭原子力空母ジェラルド・フォードを中核とする空母打撃群を、南米ベネズエラに近いカリブ海へ派遣すると発表した。米国は「麻薬テロリストによる攻撃にさらされている」と主張し、麻薬運搬船への攻撃を続けている。

米国防総省の報道官は、「米本土の安全と繁栄、西半球の安全保障を脅かす違法勢力を阻止する」と述べました。さらに同日、米国はベネズエラの隣国コロンビアのペトロ政権に対し、政府高官らが麻薬取引に関与しているとして制裁を科しています。

麻薬対策に空母を出すという違和感

報道だけを読めば、米国の目的は明快に見えます。麻薬の撲滅、そして米国の安全保障の維持です。

しかし、読者の多くもどこかに違和感を覚えるのではないでしょうか。

麻薬対策に空母を出す必要があるのでしょうか。数十人規模の犯罪組織に対し、世界最大の原子力空母を動かすのは、あまりにも釣り合いません。

それに、なぜ長年、麻薬対策や治安協力でアメリカと緊密に連携してきたコロンビア政府までも制裁対象にしたのでしょうか。

ここに、アメリカの行動原理を読み解くための“違和感”が浮かび上がります。

■アメリカの思惑を探る

トランプ政権が示す表向きの理屈は単純です。

麻薬組織は「テロリスト」であり、ベネズエラはそれを支援している。だから軍の行動は、テロに対する「自衛」だという説明です。

アメリカは1980年代以降、“麻薬戦争”と称して中南米諸国に軍事・諜報支援を行ってきました。見落としてはならないのは、その多くが反米政権の転覆支援と結びついていたことです。

1989年のパナマ侵攻では、「麻薬取引関与」を理由にノリエガ将軍を排除しました。麻薬対策はしばしば“正義の仮面”として利用され、軍事力行使を正当化する言葉になってきたのです。

冷戦終結期、ソ連の影響が薄れる中で、アメリカは自らが主導する国際秩序を築こうとしました。その延長線上にあるのが、今回の「麻薬戦争」と言えるのではないでしょうか。

「麻薬撲滅」の名のもとに、アメリカは軍を動かし、制裁を発動し、外交圧力を強めています。その矛先が反米色の強いベネズエラだけでなく、ベネズエラに接近するコロンビアの左派政権にまで及んでいる点に、単なる麻薬政策を超えた意図を感じざるを得ません。

■真の狙いはベネズエラとコロンビアの“同時包囲”

ここで、一つの仮説を立ててみます。

今回の作戦は、麻薬撲滅を目的とするのではなく、反米政権ベネズエラと、ベネズエラ寄りに傾くコロンビア左派政権を同時に包囲する戦略的動きではないかというものです。

中露はBRICSの枠組みを通じて南米への影響力を拡大しています。ベネズエラのマドゥロ政権は近年、中国やロシアとの経済的結びつきを強め、原油輸出の多くを中国に依存しています。ロシアの国営企業も採掘や軍需支援を担っています。

一方、コロンビアのペトロ政権も、再生エネルギー分野で中国企業との連携を拡大しています。つまり、南米の二つの産油国がともにBRICS圏と接近しているのです。

■米国にとっての南米の価値

アメリカにとって、南米は中東とは別の“第二のエネルギーフロント”です。

ベネズエラとコロンビアを政治的・軍事的に押さえることは、中露が南米に築こうとする資源ネットワークを断ち切ることにつながります。

トランプ政権が「パナマを取り返せ」と叫ぶのも、こうした戦略的思考の延長にあります。

この仮説に立てば、空母の派遣も、制裁の同時発動も、きわめて合理的な一手として理解されます。

■麻薬戦争は資源戦争の別名である

ベネズエラ国営石油会社PDVSAは、アメリカによる経済制裁で米系企業との取引が止まった後、中国国営石油会社CNPCと合弁事業を進めてきました。ベネズエラの石油輸出の約半分は中国向けです。

ロシアは、ベネズエラへの武器供与と軍事顧問派遣を続け、米国が「麻薬テロリスト」と呼ぶ勢力の背後にロシア製兵器が流入していることも確認されています。

さらに、コロンビアでは中国資本が港湾・鉄道・リチウム開発に進出し、ペトロ政権は環境政策を掲げながらも中国との経済協力を強化しています。

米国の視点から見れば、南米北岸に“中露の経済回廊”が形成されつつあるのです。

こうした地政学的現実を前に、アメリカが「麻薬戦争」を名目にカリブ海へ軍を派遣することは、実は資源と影響圏をめぐる争い、そして新しい国際秩序をめぐる戦いとして理解する方が自然です。

麻薬は名目にすぎず、主題は「石油」「海上ルート」「影響力」の確保なのです。

■メッセージ:異なる仮説を立てる思考と影響性を読む

国際報道の表向きの説明をなぞるだけでは、政策の意図は見えてきません。

違和感を感じたら放置せず、仮説を立てて検証してみること。

それがインテリジェンス思考の基本です。

そして、この動きが我が国の政治、外交、経済にどのような影響を持つのかを考えてみてください。

海運株やエネルギー株を持つ投資家にとっても、これは無関係な話ではありません。

国際情勢の裏にある「仮説」を読むことが、個人の判断を支える力になるのです。

(了)

インテリジェンス思考術(第4回)

ビジネスとインテリジェンス――意思決定を支える“未来の問い”守りのインテリジェンス

ビジネス・インテリジェンスと競合インテリジェンス

インテリジェンスとは、もともと国家が政策や作戦を誤らせないための知的活動でした。この考え方が民間に応用され、ビジネス・インテリジェンス(Business Intelligence:BI)と競合インテリジェンス(Competitive Intelligence:CI)という二つの概念が生まれました。

●ビジネス・インテリジェンス(BI)

ビジネス・インテリジェンスとは、「企業内部のデータを分析し、経営判断を支える知識をつくる活動」です。

売上、顧客、在庫、生産効率など、自社が日々生み出すデータを整理し、経営判断につなげます。目的は、自社の現状を正確に把握し、次の一手を可視化することにあります。

●競合インテリジェンス(CI)

一方、競合インテリジェンスとは、「企業の外で起きている変化を分析し、次に何が起こるかを読む活動」です。

対象は競合企業にとどまりません。業界の技術動向、原材料の供給、政策や規制の変化、顧客ニーズの移り変わり――こうした外部環境を読み取り、市場全体の地図を描くのがCIの役割です。

たとえば、他社の特許出願や人事異動、政府の補助金政策など、ばらばらの情報をつなぎ合わせることで、「どんな新製品が出るのか」「どの分野が次に伸びるのか」が見えてきます。これは、軍事インテリジェンスと同じ構造を持ち、「未来の行動を読む」作業です。

言い換えれば、BIは“内を読む”知であり、CIは“外を読む”知です。

BIが自社の健康診断であるなら、CIは外の天気図を読む作業です。どちらか一方では経営は成り立たず、両者を組み合わせて初めて、意思決定に深みが生まれます。

■米国と日本のインテリジェンス事情

米国では、CIの研究と実践が早くから活発に進みました。

1986年には、競合インテリジェンス分野の専門家が集う国際組織 SCIP(Strategic and Competitive Intelligence Professionals) が設立され、現在も世界的な協会として活動を続けています。

さらに1999年には、競合インテリジェンス・アカデミー(Academy of Competitive Intelligence:ACI) が発足し、CIの収集・分析・活用に関する体系的な教育プログラムを提供しています。ビジネスパーソンがACIで訓練を受け、実務に直結するスキルを磨いています。

日本でも、2008年に日本コンペティティブ・インテリジェンス学会(JCIA)が設立され、SCIPなど海外機関との連携を掲げました。しかし、活動は限定的で、CIやBIという概念がビジネス現場に十分浸透しているとは言いがたい状況です。

その背景には、「インテリジェンス」という言葉自体が、国家安全保障の文脈以外ではまだ正確に理解されていないという事情があります。

■地政学リスクと企業インテリジェンス

近年、企業が直面する最大の不確実性は地政学リスクです。

ロシア・ウクライナ戦争や米中対立は、サプライチェーン、資源、金融に直接影響を与えています。もはや地政学リスクを把握することは、国家の専属領域ではなく、企業経営の前提条件となりました。

ここで重要になるのが経済安全保障です。

経済安全保障とは、国家が自国の経済活動を外部の圧力や依存から守るための仕組みを指します。日本では2010年代後半から注目され、2022年に「経済安全保障推進法」が施行されました。表向きは国家主導の制度のように見えますが、その背景には米国の対中戦略があります。

米国は、中国の技術的台頭を抑えるため、同盟国に対してサプライチェーンの再構築と技術規制の強化を求めました。半導体やAIなどの先端分野で、中国への依存を断ち、技術優位を維持することが目的です。日本の経済安全保障政策も、この米国の圧力と協調の中で形成されました。つまり、日本における経済安全保障とは、米国主導の「対中デカップリング政策」の延長線上にあります。

同時に、中国はこれに対抗してエコノミック・ステートクラフト(経済的国家戦略)を強めています。

希少資源の輸出制限、技術標準の主導権、海外インフラ投資などを通じ、経済力を政治的影響力に変えようとしています。こうした経済的圧力は、国家間の問題にとどまらず、企業の経営環境にも直接影響を及ぼします。

経済安全保障の観点からも、官民が連携し、情報やリソースを共有することが不可欠です。しかし、国家が提供する情報だけでは、企業固有のリスクを十分に把握できません。企業は、自社の事業構造に合わせた独自の地政学分析体制を整える必要があります。

企業におけるインテリジェンス部門の役割

国家情報組織の役割を私なりに敷衍すると、企業のインテリジェンス部門にの役割りは次の四つになります。

・戦略的奇襲の回避

 競合や市場での不意打ち的な変化を予測し、備える。経営の「意表を突かれない」体制をつくる。

・専門知の長期的提供

 業界、技術、地政学に関する知見を継続的に蓄積し、経営判断を支援する。短期のデータ分析にとどまらず、長期の構造変化を見通す知を持つ。

・戦略策定の支援

 地政学リスクや市場動向を踏まえて、経営陣の意思決定を助ける。判断の根拠となる情報を整理し、選択肢を明確に示す。

・情報保全と防諜

 企業機密や技術情報を守り、サイバー攻撃や内部不正を未然に防ぐ。情報の安全が経営の基盤となる。

地政学リスクに備えるには、情報部門を「データや情報を整理する部署」から、「経営判断を支える分析部門」へと再定義する必要があります。

経営層が地政学的な視点を理解し、インテリジェンスを経営文化の一部として位置づけること。それが、企業が変化の時代を生き抜くための最も確かな力となります。

日本企業に求められるインテリジェンスの視点

日本企業の多くは、データ分析を経営に生かす段階にはありますが、地政学リスクを扱うインテリジェンス部門はまだ十分に整っていません。これまで、地政学や安全保障の知識は国家や学術の領域に属し、企業の経営課題として意識されてこなかったためです。

しかし、世界の政治構造や技術競争が急速に変化する中で、一つの地域紛争や金融危機が瞬時に企業経営へ波及します。サプライチェーン、資源、通商、金融――すべてが国際情勢と結びつき、地政学的な変動が事業の継続に直結する時代になりました。

したがって、企業は今後、少数でも地政学と国際動向に通じた専門人材を配置し、情報を判断に変える仕組みをつくる必要があります。情報過多の時代にこそ、真に意味のある情報を選び取り、経営判断につなげる力が問われています。

医薬品とは何か――税と広告に囲い込まれた「健康」の幻想

確定申告の季節に考えます


確定申告の時期に思う「医療控除」のからくり

年末が近づくと、医療費控除やセルフメディケーション税制の話がよく出てきます。政府は「自分の健康は自分で守りましょう」と呼びかけ、市販薬にも税の優遇があるように見えます。多くの人が「薬を買えば税金の保護を受けられる」と思っているのではないでしょうか。私もその一人でした。

歯茎の炎症にビタミンDを、頻尿に八味地黄丸を飲みました。どちらも医薬品ですし、治療のつもりでした。だから10万円を超えれば、その額が控除されると信じて、領収書を集めていました。ところが確定申告では、これは「治療」とは認められませんでした。医薬品であるかどうかより、「治療のために使われたか」が判断の基準になるのです。医師の処方がなければ、原則として医療費控除の対象外です。市販の風邪薬の一部は例外として認められることもあるようですが、限られています。
――学んだことはひとつ。レシートは貯まっても、控除は貯まらないのです。


「自助」を勧めつつ、制度は支援しない

政府は医療費の増加を抑えるために「セルフメディケーション」を推進しています。ところが、制度の実際は自分で治療しようとする人をあまり助けません。予防や健康維持の重要性を訴えながら、漢方薬やサプリメントの多くは控除の対象になりません。

医師が関与すれば控除の対象になりますが、自分で治そうとすれば対象外になります。つまり、政府は「自助」を勧めながら、その努力を税制では支援していないのです。結果として、セルフで頑張るほど、財布もセルフで頑張らなければならなくなります。


広告がつくる「健康」の幻想

テレビをつけると、芸能人が「健康」「元気」「若さ」を明るく勧めます。体調がすぐれないとき、人はつい何かにすがりたくなります。その心理をねらって、巧妙な広告が流れます。
「アンケートに答えると1万人に無料提供」「今だけ70%割引」――そうした言葉が安心感と期待をくすぐります。けれど、それらの多くは医薬品ではなく、効果もはっきりしません。懸賞に応募すれば必ず当選し、「続けないと効果が出ません」と勧められる。典型的な販売の仕掛けです。

医師にサプリの効果を尋ねると、「薬ではありませんから」と明確に言われます。コマーシャルの言葉と、医師の言葉。その差を前にして、何が本当の「情報」なのか分からなくなります。政府は「偽情報に注意」「情報リテラシーを高めよう」と呼びかけますが、こうした広告にはほとんど手をつけません。理由は明快です。広告の裏には企業の利益と税収があるからです。


「医薬品」というラベルの意味

国は「特定保健用食品(トクホ)」や「医薬品認定」という肩書を与えます。これは科学的な保証というより、安心を与えるための商業ラベルです。その「お墨付き」は、健康意識の高い人ほどよく効きます(広告効果として)。しかし、税の優遇はほとんどなく、確定申告では治療の証拠にもなりません。

結局、「医薬品」とは何でしょうか。それは「治すためのもの」ではなく、政府が定めた枠の中で意味を持つ商品ラベルに過ぎないのかもしれません。そして政府が認定を続けるのは、「国民の健康を見ています」という姿勢を示すためでもあるのでしょう。

私たちは、健康情報の洪水の中で「自分で選んでいる」と思いながら、実際には誰かに選ばされていることがあります。用心深い人ほど、別の形の仕掛けに引き寄せられます。芸能人の広告には騙されないと思っても、「トクホ」や「医薬品」のラベルには、あっさり信頼を置いてしまうのです。

ノーベル科学賞と「技術国家」中国 ― 日本の過去と現在を分けるもの

今年、科学界を駆け巡った明るいニュースがありました。
日本人研究者2名が、同じ年にノーベル賞(生理学・医学賞と化学賞)を受賞したのです。坂口志文氏は「免疫応答を抑制する仕組みの発見」で、北川進氏は「金属有機構造体(MOF)の開発」で評価を受けました。

この受賞により、日本人のノーベル賞受賞者は30名を超えました。
そのうち自然科学3分野(物理学・化学・生理学/医学)に限れば、およそ25名に達しています。国別で見ても、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスに次ぐ位置にあります。

一方で、中国の自然科学分野での受賞者は建国以来わずか数名にとどまり、中国本土の研究機関に所属していたのは、2015年に医学生理学賞を受けた人物ただ1人です。

日本の科学技術がかつて世界をリードしていたことは間違いありません。しかし、いまそれを「過去の成果」としてしか語れないとしたら、それは危うい兆しでもあります。

なぜ中国の科学系受賞が少ないのか

まず、ノーベル賞の前提にある研究文化に違いがあります。この賞はもともと西側の研究体制を基準にしており、冷戦期の中国はその枠組みから外れていました。また、自然科学分野でノーベル賞を得るには、20〜30年にわたる基礎研究の積み重ねが欠かせません。中国が科学技術を国家戦略として重視し始めたのは1990年代以降であり、成果が表れるまでには時間が必要でした。

もう一つの背景は、人材の評価軸にあります。かつて中国では科挙の伝統が残り、科学者よりも官僚が高く評価されました。優秀な学生は官界や経済界に進み、研究職の地位は高くなかったのです。そのため、才能ある人材が海外に流出する傾向が長く続きました。

日本も事情は似ています。今回の受賞者たちは1970〜90年代に研究を積み重ねた世代で、今の研究環境がそのまま未来のノーベル賞につながるとは限りません。

今、中国が進める「技術国家」化

それでも中国は、この遅れを驚くほどの速さで取り戻しています。胡錦濤政権(2002〜2012年)は理工系出身者が多い「技術官僚政権」で、科学技術を国家発展の中心に据えます。その流れを引き継ぎ、2015年に発表された「中国製造2025」では、AI、半導体、新エネルギー、バイオ医薬など10分野を重点指定し、国を挙げて開発を進めています。

結果として、中国の科学論文数は世界最多となり、「Nature Index」の主要誌寄与度でも首位を維持しています。さらに、世界で最も引用された上位1%の論文数でも、中国は2018〜2020年の平均でアメリカを上回りました。

AI、量子通信、次世代バッテリーなどの先端分野では、すでにアメリカと並ぶ、あるいは分野によっては上回る水準に達しています。米国が同盟国と連携して半導体やAI関連技術の対中輸出を制限しているにもかかわらず、中国は国産スマートフォンを開発し、ChatGPTに追随する生成AI「DeepSeek」を登場させました。

DeepSeekは2025年に発表された中国製の生成AIで、開発コストはChatGPTの数十分の一、性能はGPT-4oに匹敵すると報じられています。この成功は、中国が輸出規制の壁を越えて、独自技術の自給体制を築き始めていることを示しています。

さらに中国政府は、国家予算の重点項目として科学技術を明確に位置づけています。AI、半導体、宇宙開発、新エネルギー産業などへの支出を拡大し、2024年度の国家財政報告では「科学技術イノベーション支出」が前年比で約10%増。軍事・社会保障と並ぶ三大重点分野の一つとなりました。

政策の集中、研究成果の拡大、特許の増加――。いまや中国は量だけでなく、質と応用を伴う「技術国家」へと進化しています。

日本はなぜ遅れを取ったのか

一方で、日本はこの流れに乗り切れていません。中国が国家戦略として科学技術を育てるのに対し、日本の研究政策は一貫性を欠き、大学の研究費は減り続けています。企業は短期利益を優先し、若手研究者が長期テーマに挑む余地が小さくなりました。

行政も縦割りが強く、文部科学省、経済産業省、防衛省がそれぞれ独自に支援を行うものの、国としての方向性が共有されていません。

もう一つの違いは、政治指導者の科学理解の深さです。中国の指導部は理工系出身者が多く、科学を政策の言葉として使うことができます。
日本の政治家は法学や経済学の出身が多く、科学技術を国家の将来像として描く力が弱いのです。そのため、科学技術は「国家構想」ではなく「予算項目」として扱われてきました。

メッセージ ― 現実を客観的に評価する

情報分析で最も避けなければならないのは、「見たい現実だけを見る」ことです。これは「確証バイアス」と呼ばれ、インテリジェンスにおける大きな弊害です。

日本では「中国は模倣ばかり」「西側の規制で成長は止まる」といった言葉が繰り返されます。それは、「中国に抜かれたくない」「中国は後進国のはずだ」といった先入観や希望的観測に影響を受けています。

分析に必要なのは、過小評価でも過大評価でもなく、客観的な評価です。都合のよい期待や先入観を排し、事実に基づいて現在の力を測る。それが、インテリジェンスを扱う者にとって最も基本的な姿勢です。

(了)

インテリジェンス思考術(第3回)

インテリジェンスの使用者と生産者

■犯罪捜査とインテリジェンス――共通点と決定的な違い

犯罪捜査とインテリジェンスには共通点があります。どちらも情報を集め、分析し、判断し、行動の根拠をつくる活動です。どちらも「不確実な状況の中で、判断を誤らないようにする」ことを目的にしています。

しかし、その判断が向かう時間の方向が異なります。犯罪捜査は過去を対象にします。目的は「誰が何をしたか」という事実の確定です。警察官は事件現場で「証拠」を集め、捜査員は容疑者の動機を探り、最終的に裁判で立証できる形に整えます。そこでは何よりも正確性が求められます。誤った判断は冤罪につながるため、推測や仮説は許されません。監視カメラの映像、指紋、通信記録といった一つの確実な証拠があれば、事件は解決に向かいます。犯罪捜査とは、確実な情報過去を確定させる営みです。

これに対し、インテリジェンスは未来を対象にします。問いは「これから何が起こるか」「どう備えるか」です。未来には証拠がありません。たとえ正確な一つの情報があっても、それだけで結論は出せません。未来を示唆する兆候という複数の情報を組み合わせ(統合)、意味を見出し(解釈)ながら、まだ形になっていない事態を推測していく必要があります。

ここで重視されるのは、情報の正確性よりも適宜性――すなわち「その情報が判断のタイミングに間に合うかどうか」です。

伝説の情報将校ワシントン・プットが指摘したように、インテリジェンスには「有用性・正確性・適宜性」という三つの要件があります。このうち最も重いのは有用性です。いかに正確でも、意思決定に使えなければ意味がありません。そして、正確性よりも適宜性が重い。少し誤りがあっても、適切な時期に提供されれば、被害や損失を防ぐ行動につながるからです。

未来に間に合わない正確な情報よりも、今すぐ使える判断材料のほうが価値を持つ――これがインテリジェンスの世界の原理です。

こうして見ると、両者は似て非なる営みです。犯罪捜査は過去の真実を確定する作業であり、インテリジェンスは未来の判断を導く営み。どちらも情報を扱うが、目指す方向がまったく違うのです。

■インテリジェンスの使用者と生産者 ― “問い”を共有する関係

インテリジェンスは、人がつくる知識です。
そして、それを「使う人」と「つくる人」の関係が、その質を決めます。

情報を集め、分析し、知識を生み出す側が生産者(producer)。それを受け取り、意思決定や行動に反映させる側が使用者(consumer)です。
生産者の立場からは、使用者をカスタマー(お客)と呼ぶこともあります。

国家でいえば、分析官や情報将校が生産者であり、政策決定者や軍の指揮官が使用者です。同じ構造はビジネスの世界にも見られます。企業でいえば、データアナリストや情報担当者が生産者で、経営者や事業責任者が使用者です。
重要なのは、両者がどれだけ“問い”を共有できているかです。

距離の取り方が左右するインテリジェンスの質

国家の情報機関では、情報を生産する側と、政策判断に使う側の距離の取り方が常に課題となる。距離が近すぎれば忖度や政治化が起こり、遠すぎれば無関心や独断が生まれる。

アメリカでは、情報の中立性を守るため、情報機関が政策決定に直接関与しない原則がある。一方、常に国家存続の脅威に直面するイスラエルでは、情報機関が政策決定者に寄り添い、選択肢まで提示する。そこには、政府と情報機関の間に築かれた高い信頼がある。

ビジネスの世界では、経営と情報部門の距離が曖昧になりやすい。本書に登場する未来エレクトロニクスでも、インテリジェンスや危機管理の部署が経営の補助機構に組み込まれ、危機を指摘する力を失っていた。独自性を失った情報部門は、経営の確認要員となり、リスクを示す報告を自ら封じてしまう。

経営が「前進」を志向するなら、情報部門は「立ち止まる理由」を探さなければならない。この緊張関係こそが、企業の意思決定を多層化し、思考を硬直から救う。

経営に近づきすぎた情報部門は、やがて報告の代筆者となり、最も重要な瞬間に沈黙する。だからこそ、経営と情報の間には一定の距離が必要であり、場合によっては、外部の専門家を交えた構成が望ましい。

経営が事業の推進を見るとき、情報部門は環境の変化を見る。この視点の違いが保たれていれば、企業は過信を防ぎ、危機の兆候を早く掴ことができる。

距離を保つことは対立ではない。それは、異なる角度から同じ現実を見つめ、判断の幅を広げる営みである。国家の情報機関では、生産者と使用者の距離をどう保つかが常に課題です。
生産者が使用者の意向に沿って情報を歪めれば、インテリジェンスの客観性や中立性は失われます。このような状態を「インテリジェンスの政治化」と呼び、アメリカでは生産者が政策に直接関与しないという原則が確立しています。

距離が近すぎれば「忖度」や「政治化」が起き、遠すぎれば「無関心」や「独断」が生まれます。イスラエルのように、情報機関が政策決定者に寄り添い、必要に応じて選択肢まで提示する国もあります。しかし、それが成り立つのは、情報機関に対する高い信頼があってこそです。

ビジネスの世界では、情報部門と経営部門がより密接に連携するのが一般的ですが、それでも「適切な距離感」を組織文化として築くことが欠かせません。経営者は、自分の判断に必要な問いを明確にし、分析担当者は、その問いを共有たうえで現場の情報を解釈する。
つまり、インテリジェンスとは“問いから始まる共同作業”なのです。

問いを共有することの意味

多くの企業では、分析担当者がデータを集め、報告書を提出しても、経営者が「その結果をどう使うか」を明示しないまま終わることがあります。
逆に、経営側が「売上の低下原因を調べろ」とだけ指示し、「何を知りたいのか」「どんな判断に使うのか」を伝えない場合もある。これでは、報告書は“正しくても使えない”分析になってしまいます。

ある製造業では、この問題を解消するために、経営会議の前に「情報会議」を設けました。経営陣が今週の意思決定テーマを提示し、アナリストや現場担当者が関連情報を分析して共有するのです。
この仕組みを導入してから、報告書は単なる数字の羅列ではなく、「なぜ今この市場を見るのか」「次に何をすべきか」を示すものへと変わりました。

このように、生産者と使用者が同じ“問い”のもとで動き始めたとき、インテリジェンスは初めて生きた知識になります。

良いインテリジェンスは、「頭の良い分析官」からではなく、「良い問いを共有する関係」から生まれます。使用者と生産者が互いの領域を理解し、距離を保ちながらも歩調を合わせる――そこに、国家でも企業でも変わらぬインテリジェンスの核心があります。

インテリジェンスとは文化である

インテリジェンスは、情報処理の技術ではありません。それは「問いを立て、意味を見出し、行動を導く」文化です。

国家の安全保障でも、企業経営でも、最終的にインテリジェンスを動かすのはシステムではなく人です。生産者と使用者が互いに問いを共有し、時間の感覚を合わせ、未来の判断を支える知をともにつくる。

そこに、インテリジェンスという知的営みの本当の価値があります。

熊と高市新政権

熊の被害が全国で広がっている。これまで、熊を射殺すると「かわいそうだ」「共存が大切だ」と訴える声があった。中には、熊を殺傷処分した行政に苦情の電話をかける人もいた。しかし、熊が次々と人間の生活圏に入り、死傷者が出るようになると、ようやく社会が事態の深刻さを理解し始めたように見える。秋田県知事が自衛隊の出動を視野に入れた発言をしたことも、危機感の表れだ。ただし、自衛隊には熊の射殺権限はないという。

同じ時期に、高市新政権は積極外交、日米同盟の強化、防衛費の増額、国家情報局の設置検討など、国の安全保障政策を前面に打ち出している。これに対して、「力による抑止は危うい」と批判する声もある。しかし、熊の問題と照らしてみれば、状況は似ている。
一方的に人間の生活圏に踏み込む熊に対して、「共存」や「棲み分け」を唱えるだけでは、人を守れない。同じように、日本の領域に踏み込む勢力に対して、話し合いだけで抑止が成立するとは限らない。防衛力の整備や、場合によっては示威的な行動も必要だろう。熊も、国際秩序を乱す国も、柔らかな言葉だけでは行動を止めない。現実には、力の裏づけを伴った対応がなければ、安全も共存も成り立たないのではないか。

国境の戦火――アフガンをめぐる勢力地図の再編

国際情勢ニュースを題材に

2025年10月12日、朝日新聞は次のように報じました。
「アフガニスタンとパキスタンの国境沿いの複数の地点で11日夜、大規模な軍事衝突が起きました。パキスタン軍は、アフガニスタンを実効支配するイスラム組織タリバン戦闘員ら200人以上を殺害したと発表しました。」

その後、18日にはカタールの仲裁によって両国が即時停戦に合意しました。
一見すると事態は沈静化したように見えますが、火種が消えたわけではありません。
この停戦は、対立の終結ではなく、勢力の再調整に向けた一時的な静止にすぎません。
むしろ、この衝突と停戦の経緯は、アジア全体の地政構造が再編されつつあることを示しています。

今回この話題を取り上げたのは、アフガニスタンとパキスタンの国境で起きた出来事が、実は日本を取り巻く国際構造と無縁ではないからです。
米国の影響が後退し、地域大国が主導する新しい秩序が各地で形を変えながら現れています。
アフガン情勢はその一断面であり、同じ力の再編は東アジアにも及びつつあります。

アフガニスタンとパキスタンの紛争なんて遠い世界のこと、日本には関係ないと思いがちです。
でも同じ“地球島”で起こっていること。地下水脈はつながっているかもしれません。
ここでは、日本の視点から、その意味を考えてみたいと思います。

パキスタンとアフガンの決裂

アフガニスタンは古くから東西文明の交差点として、多くの帝国が争奪してきた土地です。
冷戦期には米ソの代理戦争の舞台となり、1990年代後半にはパキスタン情報機関(ISI)が親パキスタン政権を築くためにタリバンを支援しました。
しかし2001年の9.11事件で、タリバンがアルカイダを庇護したことから、アメリカはアフガンを攻撃し、パキスタンもこれに協力しました。
その後20年に及ぶ戦闘の末、2021年に米軍が撤退すると、タリバンは再び政権を奪取します。

復権したタリバンはISIの干渉を拒み、逆にパキスタン領内で活動する過激派組織TTP(パキスタン・タリバン運動)を支援するようになりました。
TTPはパキスタン政府や軍を敵視しており、タリバンはかつての庇護者の背後で「敵の分派」を育てた形になりました。
今回の戦闘と停戦は、その長年の不信が表面化した結果であり、根本的な対立が解消されたわけではありません。

アメリカ撤退後の空白と「欧米不在」の地域構図

アメリカと欧州諸国はいまだにタリバン政権を承認していません。
その空白を埋めているのが、ロシア、中国、イラン、そしてインドです。

・ロシアは中央アジアの治安維持を重視し、タリバンとの接触を続けてきました。
・中国は鉱物資源と交通ルートを確保し、新疆ウイグル自治区への不安定の波及を防いでいます。
・イランは宗派の違いを超えて、アメリカの影響力が戻らないよう限定的な協力を続けています。
・インドはパキスタンの背後を突く戦略として、アフガンとの接触を再開しました。

それぞれの目的は異なりますが、いずれの国も「アフガンに欧米の影響を戻さない」という一点では一致しています。
そして今回、停戦を仲裁したカタールもまた、新たな調停国として存在感を示しました。
この「欧米不在の秩序」が、新しい地域構造の基盤になりつつあります。

ロシアの承認 ― 防御から攻勢への転換

ロシアは2025年7月、主要国として初めてタリバン政権を正式承認しました。
これまでロシアは、タリバンの動向を注視しつつも、ウクライナ戦争への対応に追われて承認を避けてきました。
しかし、ウクライナ戦争の長期化と欧米制裁の下で、ロシアはアフガンの地政学的価値を再評価しました。

アフガンはロシアにとって、
①インド洋に至る陸上回廊
②イスラム過激派の拡散源
③中央アジアの南側の防壁
という三つの戦略的価値を持っています。

第一に、制裁下で新たな貿易・輸送ルートを必要としており、イラン・中央アジア・アフガンを経由して南方へ抜ける経済ルートが浮上しました。
第二に、イスラム国ホラサン州(ISKP)の活動が拡大し、その封じ込めにはタリバンの協力が不可欠でした。
第三に、アフガンを欧米やパキスタンが再び取り込む動きを防ぐため、ロシアはタリバン承認によって自らの影響力を明確にしました。

こうしてロシアは、アフガンを中央アジアの前進防衛線と位置づけ、「防御的関与」から「攻勢的関与」へと転換したのです。
停戦後もロシアは、タリバンとの協力を強め、南方への戦略を継続しています。

欧米&パキスタン vs ロシア&インド ― 新しい対立軸

ロシアの承認によって、アフガン情勢は新たな局面を迎えました。
タリバンはかつての庇護者パキスタンと完全に決裂し、現在はロシアとインドが現実的な支えになっています。
インドはパキスタン封じ込めの一環として、すでにアフガンとの非公式接触を再開しています。教育や医療協力に加え、情報・治安分野での協力も広がっています。

2025年5月のインドとパキスタンの軍事衝突は、両国の緊張をさらに高め、インドがアフガンを戦略的接点として重視する動きを一層加速させました。
アフガンは、インドにとってパキスタンの背後を突く「間接的な圧力点」となりつつあります。

こうして、アフガンの戦闘と停戦の背後には、
「欧米&パキスタン」対「ロシア&インド」という新しい対立軸が形を取りつつあります。
国境での戦火も停戦も、その構造の表れにすぎません。

今回の停戦は表向きにカタール仲裁の成果のように報じられますが、米国の思惑が強く介在しています。複数の報道によれば、米国は直接交渉の場に姿を見せていないものの、「地域安定」と「テロ拡散防止」を理由に、停戦協議の後押しを行ったとみられています。
このままではアフガンがロシアとインドの影響圏に固定化される――
その前に、米国はカタールを通じて「対話の場」を維持し、勢力の一極化を防ごうとした可能性が高いのです。
停戦は、アフガンをめぐる米露間の静かな主導権争いの一局面でもあります。

クワッドの戦略的岐路に立つ日本

インドはロシアとの関係を維持しながら、欧米とも一定の距離を保つ独自外交を展開しています。
ロシアから割安で原油を輸入し続けるインドに対し、アメリカは高関税を課し、両国関係は緊張しています。
本年10月14日、トランプ大統領はモディ首相がロシアから原油を買わないと確約したと述べましたが、それを否定するインド側の主張も報じられ、いずれにしても実行の時期は未定です。

日本は安倍晋三元総理が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」を掲げ、クワッド(日米豪印)を軸に対中牽制の枠組みを作ってきました。
しかし、いまや参加国の利害は大きく異なっています。インドはロシアや中東との関係を優先し、中国を刺激しないよう調整しています。

日本はインドを「民主主義の盟友」として理想化するのではなく、現実外交のパートナーとしてどう扱うかを見極める必要があります。
クワッドは理念の同盟ではなく、利害の同盟として再定義すべき段階にあります。

メッセージ ― 鳥の目で世界を読む

アフガンで起きていることは、遠い地域の宗教紛争ではありません。
それは、世界秩序の分断が生み出す安全保障の綻びです。
停戦は一つの区切りではありますが、勢力間の力の再配置が進む過程にすぎません。

一つの地域で力の均衡が崩れれば、別の地域で新たな不安定が生まれます。
日本の周囲でも同じ構造が進行しています。
東シナ海、台湾海峡、朝鮮半島――
いずれも大国の利害が交錯し、秩序の再分配が進む現場です。

アフガン情勢を読み解くことは、国際構造の変化を見抜く訓練であり、それが日本の安全保障にどう波及するかを考える第一歩です。
世界の断層線を「他人の問題」として眺める限り、日本の戦略はつねに後手に回ります。
鳥の目で世界を俯瞰すること――それが、変化の時代を生き抜く最初の条件です。

(了)

『インテリジェンスの思考術』第2号

インテリジェンスには賞味期限がある

2025年10月20日配信

                       

情報はそのまま使えない

知人が、ネットで見た健康法を信じて、毎朝レモン水を飲みはじめました。
「デトックスにいい」と書かれていたからです。
ところが、数日後に胃を痛めてしまいました。
理由は、空腹時に濃いレモン水を飲むと胃酸が強くなりすぎるからでした。
本人は「健康のため」と信じていましたが、正しい情報の使い方を知らなかっただけでした。

世の中の情報には、誤りや誇張、あるいは文脈を欠いた断片が混じっています。
それをそのまま信じて行動すれば、むしろ逆効果になります。
だからこそ、情報は整理し、吟味し、使える形に整えなければならない。
この“使える形に整えたもの”こそが、インテリジェンスなのです。

インテリジェンスには存在目的がある

『Strategic Intelligence Production』(1957年)の著者で、米軍の元情報将校ワシントン・プラットはこう述べています。
「学術報告と対比して情報報告は一つの目的しか持っていない。すなわち現時点における国家の利害に対し“有用”であることなのだ。」

この「有用」とは、使用者の判断や意思決定、行動に役立つことを指します。
学術報告がじっくりと理論や原理を追うものであるのに対し、情報報告、すなわちインテリジェンスの提供は「使う人のいまの判断」などに役立たなければ意味がないのです。

たとえば、あなたがレストランの料理長だとします。
今夜は急に冷え込みそうで、「温かいメニューを増やすべきか」を考えています。そこへスタッフが、「近所のパン屋が新装開店したそうです」と報告してきました。
これは、確かに正確な情報で、いつか役に立つかもしれません。しかし、“いま”の判断には関係がありません。

欲しいのは、「今夜の気温の推移」や「客足の見通し」といった、メニューの決定に使える情報です。いくら正確でも、使用者の判断に資さない情報は“有用”ではない――
プラットの言う「有用性」とは、この意味なのです。

インテリジェンスには使用期限がある

米国防総省の分析官プラットは、インテリジェンスの価値を決める三つの要件として、第一に有用性、第二に適時性、第三に正確性(完全性を含む)を挙げました。そして、こう指摘しています。

「完全さと正確さは、しばしば適時性の犠牲となる。」

この言葉が示す通り、インテリジェンスは常に時間との競争にあります。どれほど正確で完全な内容であっても、使うべき時を逃せば意味を失います。国家の政策決定にも、企業の経営判断にも、そして個人の選択にも“使用期限”があるのです。その期限に間に合わなければ、どんな優れた分析も価値を持ちません。

私が現場で作っていた報告書も同じでした。「もう少し確認を」と迷っているうちに、情勢が変わり、報告が無効になる。完璧を求めるほど、時間を失う。そして、時間を失えば、有用性も同時に消えていきます。

この世に百パーセント正確なインテリジェンスは存在しません。今日の分析が完全でも、明日には古びます。だからこそ、インテリジェンスで最も重いのはタイミング――すなわち適時性なのです。

情報には“食べ頃”があります。遅れて出された報告は役に立たないばかりか、誤った報告と同じくらい危険です。インテリジェンスとは、正確さと迅速さの間で折り合いをつけ、「いま使える知識」を作り出す技術です。

次号では、インテリジェンスを“使う人”と“作る人”――

すなわち使用者と生産者の関係について考えます。

高市新内閣発足――「学歴」という尺度で見た実像

10月21日、高市早苗新内閣が発足した。公明党の連立離脱という異例の経緯を経て、自民党は維新の会との閣外協力に踏み切った。掲げたのは、積極財政と議員定数の削減。政権の看板は「経済再生と政治改革の両立」だが、布陣を細かく見ると、もう一つの特徴がある。評価の尺度はいくつもある。政策理念や派閥バランス、人事の意外性など、どこに焦点を当てるかで印象は変わる。だが、ここでは「学歴」という冷たい指標から見てみたい。確認できる範囲で、閣僚十八人のうち少なくとも七人が東京大学出身だ。比率にしておよそ四割。これは近年の内閣としては際立って高い。

具体的には、林芳正(総務)、茂木敏充(外務)、片山さつき(財務)、平口洋(法務)、鈴木憲和(農林水産)、赤澤亮正(経済産業)、城内実(経済財政・規制改革)らが東大卒である。多くが旧大蔵省や旧外務省など、官僚出身の政治家だ。首相自身は神戸大学出身だが、政権の中枢を東大法学部を中心とするエリート層が固めている構図である。

かつて「政治主導」が唱えられた時代もあったが、今回の内閣はむしろ官僚機構と似た思考訓練を受けた政治家たちが再び中心に立ったように見える。財務・法務・総務・外務という制度運営の中核ポストに、訓練されたエリート層が配置されているのは偶然ではない。

もちろん、学歴が政治の力量を保証するわけではない。だが、国家の意思決定を担う人々がどのような環境で思考を鍛え、どんな知的文化を共有してきたのかをたどれば、政策判断の方向性はある程度読める。東大という同じ教育空間で育った人々が、似た前提や価値観を持っているとすれば、それは政権の思考の枠組みそのものになる。

国民の中には「政治家はバカだ」「官僚がすべて決めている」と言う人もいる。しかし現実には、政治家の学歴水準は官僚より高い。問題は知能ではなく、どのような判断軸で国を動かすかだ。高市内閣の構成を見る限り、これは“感覚の政治”ではなく、“理性の政治”を志向する布陣である。

積極財政と改革路線をどう両立させるのか。その成否を占う前に、まずは政権の知的輪郭――誰が、どんな思考で国家を動かそうとしているのか――を見極める必要がある。