お断り
本稿は筆者の私的記録であり、所属や立場を代表するものではない。万博をめぐる公式見解や関係機関の評価とは関係なく、筆者自身の観察と考察に基づいて記したものである。
大阪・関西万博が幕を閉じた。報道では「入場者数が想定を上回り成功した」と伝えられ、別のところでは「購入した入場券が使えなかった」「予約制度が混乱した」とも言われている。いずれも現象の一部に過ぎない。評価は感情や印象ではなく、確たる基準によって行うべきだ。
戦略立案には三つの要素がある。第一は、目的の妥当性である。何のために行うのかが明確でなければならない。第二は、実行の可能性である。掲げた目的を現実的に遂行できるかどうか。そして第三は、成果と損失を冷静に秤にかけ、損失をどれだけ忍容できるかという受容性である。これは、実行後に他へ及ぼした損失をどう評価し、社会全体としてその代償を受け入れられるかという視点である。成果の評価は、このうち実行可能性を除いた二つ――目的の達成度と損失の受容性――で行われる。
その基準から見れば、今回の万博は「成功と不明瞭が並存した」と言うほかない。来場者数や収支面では一応の成果を示したが、テーマとして掲げた「いのち輝く未来社会のデザイン」が、誰の心に届き、どのような行動変容を生んだのか。その核心部分は測定されていない。展示や建築の華やかさに比べ、理念の伝達は静かすぎた。
私は8月下旬の3日間、万博に行った。日本館の演出は素晴らしかった。映像と空間の構成が一体となり、未来への思索を静かに促していた。日本の木材を使い、環境に配慮して設計された大屋根を目にしたとき、日本人としての誇りを覚えた。
私が残念に思うのは、未来へのメッセージが、最も届けるべき相手――次の時代を担う若い世代や、世界の市民社会――に届いたという実感が乏しいことだ。未来を描く言葉は、立派なスローガンではなく、行動を促す言葉でなければならない。万博の灯が消えたいま、私たちは「何を伝え、何を受け取れなかったのか」を静かに点検する時期に来ている。
