『インテリジェンスの思考術』第2号

インテリジェンスには賞味期限がある

2025年10月20日配信

                       

情報はそのまま使えない

知人が、ネットで見た健康法を信じて、毎朝レモン水を飲みはじめました。
「デトックスにいい」と書かれていたからです。
ところが、数日後に胃を痛めてしまいました。
理由は、空腹時に濃いレモン水を飲むと胃酸が強くなりすぎるからでした。
本人は「健康のため」と信じていましたが、正しい情報の使い方を知らなかっただけでした。

世の中の情報には、誤りや誇張、あるいは文脈を欠いた断片が混じっています。
それをそのまま信じて行動すれば、むしろ逆効果になります。
だからこそ、情報は整理し、吟味し、使える形に整えなければならない。
この“使える形に整えたもの”こそが、インテリジェンスなのです。

インテリジェンスには存在目的がある

『Strategic Intelligence Production』(1957年)の著者で、米軍の元情報将校ワシントン・プラットはこう述べています。
「学術報告と対比して情報報告は一つの目的しか持っていない。すなわち現時点における国家の利害に対し“有用”であることなのだ。」

この「有用」とは、使用者の判断や意思決定、行動に役立つことを指します。
学術報告がじっくりと理論や原理を追うものであるのに対し、情報報告、すなわちインテリジェンスの提供は「使う人のいまの判断」などに役立たなければ意味がないのです。

たとえば、あなたがレストランの料理長だとします。
今夜は急に冷え込みそうで、「温かいメニューを増やすべきか」を考えています。そこへスタッフが、「近所のパン屋が新装開店したそうです」と報告してきました。
これは、確かに正確な情報で、いつか役に立つかもしれません。しかし、“いま”の判断には関係がありません。

欲しいのは、「今夜の気温の推移」や「客足の見通し」といった、メニューの決定に使える情報です。いくら正確でも、使用者の判断に資さない情報は“有用”ではない――
プラットの言う「有用性」とは、この意味なのです。

インテリジェンスには使用期限がある

米国防総省の分析官プラットは、インテリジェンスの価値を決める三つの要件として、第一に有用性、第二に適時性、第三に正確性(完全性を含む)を挙げました。そして、こう指摘しています。

「完全さと正確さは、しばしば適時性の犠牲となる。」

この言葉が示す通り、インテリジェンスは常に時間との競争にあります。どれほど正確で完全な内容であっても、使うべき時を逃せば意味を失います。国家の政策決定にも、企業の経営判断にも、そして個人の選択にも“使用期限”があるのです。その期限に間に合わなければ、どんな優れた分析も価値を持ちません。

私が現場で作っていた報告書も同じでした。「もう少し確認を」と迷っているうちに、情勢が変わり、報告が無効になる。完璧を求めるほど、時間を失う。そして、時間を失えば、有用性も同時に消えていきます。

この世に百パーセント正確なインテリジェンスは存在しません。今日の分析が完全でも、明日には古びます。だからこそ、インテリジェンスで最も重いのはタイミング――すなわち適時性なのです。

情報には“食べ頃”があります。遅れて出された報告は役に立たないばかりか、誤った報告と同じくらい危険です。インテリジェンスとは、正確さと迅速さの間で折り合いをつけ、「いま使える知識」を作り出す技術です。

次号では、インテリジェンスを“使う人”と“作る人”――

すなわち使用者と生産者の関係について考えます。

高市新内閣発足――「学歴」という尺度で見た実像

10月21日、高市早苗新内閣が発足した。公明党の連立離脱という異例の経緯を経て、自民党は維新の会との閣外協力に踏み切った。掲げたのは、積極財政と議員定数の削減。政権の看板は「経済再生と政治改革の両立」だが、布陣を細かく見ると、もう一つの特徴がある。評価の尺度はいくつもある。政策理念や派閥バランス、人事の意外性など、どこに焦点を当てるかで印象は変わる。だが、ここでは「学歴」という冷たい指標から見てみたい。確認できる範囲で、閣僚十八人のうち少なくとも七人が東京大学出身だ。比率にしておよそ四割。これは近年の内閣としては際立って高い。

具体的には、林芳正(総務)、茂木敏充(外務)、片山さつき(財務)、平口洋(法務)、鈴木憲和(農林水産)、赤澤亮正(経済産業)、城内実(経済財政・規制改革)らが東大卒である。多くが旧大蔵省や旧外務省など、官僚出身の政治家だ。首相自身は神戸大学出身だが、政権の中枢を東大法学部を中心とするエリート層が固めている構図である。

かつて「政治主導」が唱えられた時代もあったが、今回の内閣はむしろ官僚機構と似た思考訓練を受けた政治家たちが再び中心に立ったように見える。財務・法務・総務・外務という制度運営の中核ポストに、訓練されたエリート層が配置されているのは偶然ではない。

もちろん、学歴が政治の力量を保証するわけではない。だが、国家の意思決定を担う人々がどのような環境で思考を鍛え、どんな知的文化を共有してきたのかをたどれば、政策判断の方向性はある程度読める。東大という同じ教育空間で育った人々が、似た前提や価値観を持っているとすれば、それは政権の思考の枠組みそのものになる。

国民の中には「政治家はバカだ」「官僚がすべて決めている」と言う人もいる。しかし現実には、政治家の学歴水準は官僚より高い。問題は知能ではなく、どのような判断軸で国を動かすかだ。高市内閣の構成を見る限り、これは“感覚の政治”ではなく、“理性の政治”を志向する布陣である。

積極財政と改革路線をどう両立させるのか。その成否を占う前に、まずは政権の知的輪郭――誰が、どんな思考で国家を動かそうとしているのか――を見極める必要がある。

為替と政局の交差点で迎える誕生日

―― 10年満期のオーストラリアドルを前に

10月の為替相場は、政治と世界情勢の波に大きく揺れました。

高市早苗氏が自民党総裁に選ばれ、豪ドル円は久しぶりに100円を突破しました。

市場は「日本の政治が動いた」と感じ、期待が広がりました。

けれども祝儀相場は長くは続かず、公明党が連立離脱を示唆したことで、高市政権の前途に早くも不安が生まれました。

一方で、米中関係も緊張をはらんでいます。

トランプ政権は11月1日からの関税強化を打ち出し、月末に予定されている韓国での米中首脳会談は「開催が危うい」と報じられました。

そこへ追い打ちをかけたのが、10月16日に発表されたオーストラリアのCPI(消費者物価指数)です。

インフレ鈍化が明らかになり、利上げ観測が後退しました。

豪ドルは売られ、95円台に落ち込みました。

それでも政治は止まりませんでした。

高市総裁と維新の吉村代表が「閣外協力」で歩み寄り、18日から19日にかけて高市政権の成立がほぼ確実となりました。

市場はこのニュースを織り込み、為替は97円台を回復しました。

ただ、織り込みが進んでも、最終的な確定はまだ先です。

いよいよ来週、10月20日からの最終週が始まります。

高市新内閣が正式に発足し、最初の政策方針が示されます。

同時に、米中首脳会談が「開催」されるのか「延期」になるのか、その判断が下される見通しです。

この決定ひとつで、相場の方向が変わります。

もし会談が行われれば、豪ドル円は98円から99円へ。

逆に流れれば、95円台に戻るかもしれません。

私にとって、この週は特別な意味があります。

27日は、10年満期を迎えるオーストラリアドルの確定日です。

そして前日の26日は、私の誕生日でもあります。

この2週間、為替は激しく上下し、まるで節目を祝うように波を描きました。

高市政権の“花火”がもう一度上がるのか。

米中が歩み寄りを見せるのか。

その答えは、いよいよ来週に出ます。

そして、それが私にとって大きな“プレゼント”になるのかどうか――

その結果がわかるのが、10月27日です。

10年前にこの通貨を選んだとき、世界は今とはまったく違っていました。

為替は数字の動きですが、そこには人の思惑と国の力が映ります。

私はこの10年の終わりに、その数字を通して時代を見ている気がします。

27日朝のレートがいくつであっても、この週はきっと忘れられないものになるでしょう。

少し緊張しながら、そして少し楽しみながら、為替の週を見届けたいと思います。

万博終わりに思う-備忘録-として

お断り

本稿は筆者の私的記録であり、所属や立場を代表するものではない。万博をめぐる公式見解や関係機関の評価とは関係なく、筆者自身の観察と考察に基づいて記したものである。

大阪・関西万博が幕を閉じた。報道では「入場者数が想定を上回り成功した」と伝えられ、別のところでは「購入した入場券が使えなかった」「予約制度が混乱した」とも言われている。いずれも現象の一部に過ぎない。評価は感情や印象ではなく、確たる基準によって行うべきだ。

戦略立案には三つの要素がある。第一は、目的の妥当性である。何のために行うのかが明確でなければならない。第二は、実行の可能性である。掲げた目的を現実的に遂行できるかどうか。そして第三は、成果と損失を冷静に秤にかけ、損失をどれだけ忍容できるかという受容性である。これは、実行後に他へ及ぼした損失をどう評価し、社会全体としてその代償を受け入れられるかという視点である。成果の評価は、このうち実行可能性を除いた二つ――目的の達成度と損失の受容性――で行われる。

その基準から見れば、今回の万博は「成功と不明瞭が並存した」と言うほかない。来場者数や収支面では一応の成果を示したが、テーマとして掲げた「いのち輝く未来社会のデザイン」が、誰の心に届き、どのような行動変容を生んだのか。その核心部分は測定されていない。展示や建築の華やかさに比べ、理念の伝達は静かすぎた。

私は8月下旬の3日間、万博に行った。日本館の演出は素晴らしかった。映像と空間の構成が一体となり、未来への思索を静かに促していた。日本の木材を使い、環境に配慮して設計された大屋根を目にしたとき、日本人としての誇りを覚えた。

私が残念に思うのは、未来へのメッセージが、最も届けるべき相手――次の時代を担う若い世代や、世界の市民社会――に届いたという実感が乏しいことだ。未来を描く言葉は、立派なスローガンではなく、行動を促す言葉でなければならない。万博の灯が消えたいま、私たちは「何を伝え、何を受け取れなかったのか」を静かに点検する時期に来ている。

『インテリジェンスの思考術』創刊号

2025年10月13日配信


1. ご挨拶

今週から、新しいニュースレター『インテリジェンスの思考術』を始めます。

このレターでは、「インテリジェンスとは何か」、そして「問いをどう立てるか」というテーマを、できるだけ身近な話題やビジネスの事例を手がかりに考えていきます。

堅苦しい理論や専門用語を並べるつもりはありません。むしろ、「なぜそう考えるのか」「どこまで確かと言えるのか」といった思考の過程そのものを共有したいと思います。

また、国内外のニュースを素材に、そこからインテリジェンスの視点をどう引き出せるか――そんな実践的な試みも交えていく予定です。

このレターが、日々の出来事を“情報として読む訓練”の一助になれば幸いです。

10月11日、現代ビジネスに拙著『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』の抜粋記事、「中国が日本に仕掛ける「見えない戦争」の衝撃‥‥技術と人材流出が引き起こす「最大の脅威」とは」が掲載されました。是非お読みください。


2. インテリジェンス思考術(第1回)

インテリジェンスとは何か ―― 情報との違い

新聞やネットを開けば、私たちは一日に膨大な量の「情報」に接しています。
しかし、その中から本当に意味のある「インテリジェンス」を得ている人は意外に少ないものです。

情報(インフォメーション)とは、まだ整理されていない素材にすぎません。料理にたとえるなら、食材の段階です。
この素材を調理し、食べられる形に整えたもの――それが「インテリジェンス」です。

たとえば、天気予報で「明日は午後から大雨」と報じられたとします。これは万人に同じ形で伝えられる情報です。
しかし、その受け手の反応はさまざまです。ゴルフ愛好家なら「ずぶ濡れになるから中止しよう」と判断する。証券マンは「農作物関連株が下がる」と予測し、国家安全保障の分析官なら「明日は中国漁船の接近可能性が低い」と推定するかもしれません。

同じ情報でも、受け手が持つ文脈・目的・経験によって意味が変わります。
つまり、情報を他のデータや過去の知見と照らし合わせ、判断や行動に結びつける――この“加工と解釈”の過程こそが、インテリジェンスを生み出すのです。

国家レベルでは、こうして得られた分析成果(プロダクト)が政策決定者に提供されます。
私もかつて、立ち入り制限区域の建物の中で、そうした作業を日々行っていました。


インテリジェンスという広い意味

少し専門的な話をします。
日本に「インテリジェンス」という概念を広めた京都大学名誉教授・中西輝政氏は、オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義を引き、こう述べています。

「インテリジェンスとは、まず第一に、国家や組織が政策に役立てるために集めた情報の内容を指す。
それは、秘密情報に限らず、独自に分析・解釈を施した“加工された情報”である。
生の情報を受け止め、それが自国の利益や立場にどのような意味を持つのかを吟味し、信憑性を確認して解釈を加えたもの――これをインテリジェンスと呼ぶ。」
(中西輝政『情報亡国の危機』より)

この定義に基づけば、「インテリジェンス」には三つの意味があります。

  1. 生の情報に分析・解釈を加えて有用化した知識(知識としてのインテリジェンス)
  2. そのような分析や収集の行為(活動としてのインテリジェンス)
  3. それを担う組織(機関としてのインテリジェンス)

つまり、インテリジェンスとは国家レベルの概念であり、知識・活動・組織の三層構造を持つものです。

ただし近年は、国家に限らずビジネス分野でも「ビジネスインテリジェンス(BI)」や「競合インテリジェンス(CI)」、サイバー分野では「スレット(脅威)インテリジェンス」という言葉も使われています。
個人であっても、情報を集め、判断や意思決定に活かしているなら、それは立派なインテリジェンスの営みといえるでしょう。

アメリカでは、CIAのOBたちがビジネス界に入り、ビジネスインテリジェンスの概念を定着させました。
つまり、インテリジェンスはもはや国家の専売特許ではありません。むしろ、現代のビジネスパーソンこそ、知らず知らずのうちにインテリジェンス活動に関わっているのです。

だからこそ、私はビジネスパーソンの皆さんに、もっとインテリジェンスを知ってほしいと思っています。


3. 国際情勢ニュースを題材に

ロシアの国防費削減は、本当にエネルギー収入不足が原因か?

「ロシア国防費、来年4%減
ウクライナ侵略後初のマイナス エネ収入細り財政逼迫」
(2025年10月1日 日本経済新聞)

ロシア政府は2026年の連邦予算案を下院に提出し、国防費を前年度比4%減の12.9兆ルーブルとする方針を示しました。
2022年のウクライナ侵略以降、拡大を続けてきた軍事支出が初めて減額されます。

背景には、原油価格の下落によるエネルギー収入の減少、そして財政赤字の拡大があるとされます。
同時に、治安維持・国内防衛関連の予算は増額され、戦費と社会統制の両立を図る姿勢もうかがえます。

日経報道は、ロシア財政の逼迫を軍事費抑制の主因とし、「戦争遂行能力の限界」との見方を提示しました。


情報の解釈は

多くの論者は、この記事を「ロシアの戦争遂行能力が限界に達しつつある」という文脈で読むでしょう。
新聞報道もその方向へ読者を導いています。

すなわち、「制裁とエネルギー収入の減少により、ロシア経済は疲弊している。もはや軍事支出を維持できない」という構図です。

しかしこの記事は、読者が期待する「侵略国家の行き詰まり」という物語にも巧みに寄り添っています。
つまり、報道側にとっても、読者にとっても“都合のよい朗報”になっているのです。

だからこそ、「この記事は本当か?」と一度立ち止まって考える必要があります。
そして、「別の仮説は立てられないか」と批判的に読む姿勢こそ、インテリジェンスの第一歩です。


「情報統制」とプーチン発言の矛盾

報道によれば、プーチン大統領は7月に「国防費の削減を計画している」と述べ、25年の国防費が上限の目安になると示唆しました。
通常のプーチンなら、弱さを印象づける「削減」や「財政逼迫」という言葉を自ら口にすることは避けるはずです。

では、なぜ今回は“自ら”削減を公言したのでしょうか。
ここには少なくとも三つの可能性があります。

  1. 事実を隠しきれない段階にある。
     財政赤字や増税が国民生活に直撃しており、もはや「隠す」選択肢がない。
  2. 統制演出の一環である。
     「わずかに減らすが、依然として巨額を国防に投じている」と強調することで、危機を“統制下にある”ように見せる。
  3. 国際社会へのシグナル。
     欧米や中国に対し、「戦争は継続するが、無尽蔵ではない」というニュアンスを発信し、交渉の余地を残す。

プーチン自身の発言を素材に、複数の可能性を検討してみることが重要です。


もう一つの仮説

新聞報道とは異なる視点も成り立ちます。

ロシアは東部ウクライナ戦線で軍事的成果を得ており、もはや従来のような大規模攻勢を支える国防支出を維持する必要がなくなったのかもしれません。
むしろ前線の安定化と戦争の長期化を見据え、支出の重点を「攻勢」から「統治・治安維持」へと移す段階に入った――。

つまり今回の削減は、「戦争遂行能力の限界」ではなく、「戦争の形態を持続可能なものへ転換する」ための政策的再配分だという仮説です。

そのうえで追加の情報を集めてみましょう。
たとえば、ウクライナが最近重視しているのは、前線防衛よりもロシアの石油・ガス施設など後方インフラへの攻撃です。
この攻撃が一定の成果を挙げ、エネルギー収入を減らしているとすれば、経済的制約がエネルギー収入減と国防費抑制を促しているという見方も補強されます。


メッセージ

一つの仮説や情報を鵜呑みにした短絡的な分析ほど危険なものはありません。
重要なのは、単一の説明を受け入れる前に、複数の仮説を立てて検証する姿勢です。

記事を読むときは、「眼光紙背に徹す」の精神で臨むこと。
――それこそが、インテリジェンス・リテラシーを高める第一歩なのです。

社会は「集団的認知症」にかかっていないか — 認知戦の実相と危機(2025年10月8日作成)

はじめに

10月5日の産経新聞に、私の書評が掲載されました。イタイ・ヨナト著、奥山真司訳『認知戦』で、タイトルは「日本の弱点 監視忌避」です。昨年、産経新聞の文芸担当編集委員の方から『日米史料による特攻作戦全史』(並木書房)の書評を依頼されて以来、折にふれて執筆の機会をいただいてきました。タイトルは9字、本文は約800字という厳格な制約の中で、他者の著書を的確に表現しつつ、自らのオリジナリティをにじませる。そのために、一文字を削るか残すかを編集者と何度もやり取りし、言葉を研ぎ澄ませてきました。

このたび、その編集委員の方が10月1日付で某所の総局長にご栄転されることになり、この仕事が最後になったのではないかと思います。これまで著作やブログを続けてきましたが、限られた文字数に熱量を込める営みを通して、編集者の方に教えられ、導かれたことは大きな財産です。還暦を過ぎてなお、このような学びの機会を得られたことに感謝したいと思います。

■認知戦と認知症

近年「認知戦」という言葉を頻繁に耳にするようになりましたが、その定義は定まっていません。一般的には、偽情報を流布して対象の誤認を誘い、社会を混乱させたり政策を変えさせたりする行為を指します。しかし重要なのは、この「行為」そのものよりも、最終的に社会にどのような病理を残すのか、それにどう対応するという視点です。

ここで「認知症」を例に認知戦について考えてみたいと思います。認知症は、人間の脳の情報処理機能が損なわれ、記憶や判断、見当識が破壊される病態です。本人は自覚を失い、誤った行動を取り続けることで、周囲に大きな混乱をもたらします。

認知戦は、これを社会に置き換えた現象です。外部からの能動的な介入によって、国家や社会という「集合的な脳」が誤作動を起こす――言わば「社会的認知症」です。

認知症は本来、内部の原因によって引き起こされますが、外部からの環境や対応の仕方によって症状が悪化することがあります。同じように認知戦も、社会が適切に対応できなければ、症状は急速に進み、回復が困難になります。だからこそ、早期に正しい「処方箋」を施すことが不可欠なのです。

■認知戦がもたらす「社会的認知症の症状」

認知症の臨床症状に沿って考えれば、認知戦の影響は次のように整理できます。

◆記憶障害

歴史や事実が改ざんされ、国民が過去を正しく参照できなくなる。歴史観がゆがめられれば、国家のアイデンティティそのものが損なわれる。

◆見当識の喪失

 認知症患者が時間・場所・人物を見失うように、社会も「私たちは何者で、どこに立っているのか」という基盤を失う。誤った歴史観やデマによって、日本人の価値観や美徳が曖昧になり、国民の自己像が揺らいでいく。

◆判断力の低下

 認知症患者が複雑な判断を誤るように、社会もまた冷静な意思決定ができなくなる。恐怖や怒りといった感情があおられ、社会は「考えて決める」より「感情で動く」状態に陥り、誤った政策や行動を選んでしまう。

◆合意形成の不能

 認知症が進行すれば家族との意思疎通が困難になるように、社会もまた信頼の基盤を失う。互いに「共通の現実」を認識できず、合意形成が不可能となれば、政治や統治機構は機能不全に陥る。

このように見れば、認知戦とは社会に「集団的認知症」を引き起こし、やがては社会システムそのものを崩壊に導くプロセスであると理解できます。

■認知戦への「治療」

認知症の医学的対応が「早期発見・診断・リハビリ」であるように、認知戦への社会的対応も同じ発想が求められます。

◆早期発見:偽情報や影響工作を早期に察知し、拡散を未然に防ぐ監視体制。

◆診断:社会にどの程度の「認知障害」が生じているかを客観的に測定し、分析する仕組み。

◆リハビリ:歴史教育や情報リテラシー教育を通じて、市民社会の「認知能力」を回復・強化する取り組み。

加えて、AIや大規模言語モデルが偽情報の増幅に利用される現状を踏まえれば、技術的側面でも透明性と説明責任をもつ制度設計が不可欠です。

■日本の弱点と意識改革

認知症も早期発見が重要であるように、認知戦においても症状を見逃せば手遅れとなります。ただし問題は、この「症状を見つけ出すための監視体制」を日本社会が忌避していることです。日本では、戦前の国家統制や言論弾圧の記憶がトラウマとなり、国民監視や規制に強い抵抗感があります。そのため、日本は外国勢力の認知戦に対して脆弱なまま放置されやすいのです。

しかし、もはや「監視は悪」という一面的な発想では済まされません。自由とプライバシーを守りつつ、国家と社会を防衛するための監視・診断・防御の仕組みをどう設計するか――今こそ意識改革の時期に来ているのです。

■最後に

イタイ・ヨナトの『認知戦』は、日本が直面するこの現実を告発する警鐘の書です。著者はイスラエル情報機関モサドの出身であり、現在はサイバーセキュリティ企業を率いる実務家です。記述にはビジネス色や誇張も見えますが、経験に裏打ちされた議論は迫真性を帯び、日本社会にとって重要な示唆を与えています。

私たちはいま、戦前の記憶に縛られて監視を忌避し続けるのか、それとも新たな社会的免疫を育むのか――歴史的な岐路に立っています。認知戦を「社会的認知症」と見なし、その発見・診断・治療に取り組むことこそ、未来を守る最初の一歩なのです。

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八咫烏とレイヴン――真実を告げる鳥たち

夜明けの街で「カァ、カァ」と鳴くカラスの姿は、どこか不気味に映る。黒い羽、冷たい瞳、群れで舞う姿は、人間にとって畏れの対象であり続けてきた。けれども、この鳥ほど古今東西で「知恵」や「情報」の象徴とされてきた存在はない。小さな頭に詰まった脳は、実は人間の子どもに匹敵する認知能力を秘め、仲間と協力して行動し、ときに人間に仕返しをするほどの記憶力を持つ。カラスは単なる害鳥ではなく、古来から人類にとって「真実を運ぶ者」として神話や伝承に刻まれてきたのである。

日本における代表例が、八咫烏(やたがらす)だ。『日本書紀』や『古事記』に登場するこの神鳥は、神武天皇の東征を導いたとされる。三本足の大きなカラスとして描かれ、「八咫」とは「非常に大きい」という意味を持つ。八咫烏はただの霊鳥ではなく、正しい道を示し、進むべき方向を迷わせない案内役だった。これはつまり「情報を収集し、適切に提示する存在」、すなわちインテリジェンスの役割そのものである。現在でもサッカー日本代表のエンブレムに八咫烏が描かれているのは、「チームを導く知恵の象徴」という意味合いが込められているからだろう。

一方、西洋においてカラスはしばしば「死」や「不吉」の象徴とされた。黒い羽と不気味な鳴き声、そして死肉を食べる習性が、戦場や処刑場と結びついたからだ。中世ヨーロッパではペストの流行時、死体の上を舞うカラスが死神の使いと恐れられた。しかし興味深いのは、西洋でもカラスは「情報」と不可分の存在として描かれてきたことだ。北欧神話では、主神オーディンの肩にフギン(思考)とムニン(記憶)という二羽のワタリガラスがとまっていた。彼らは世界中を飛び回り、見聞きしたことを報告する役割を担った。つまり、オーディンは神でありながら、カラスという「情報将校」を従えていたのである。

さらに近代以降の文学でも、カラスは情報の象徴として生き続ける。エドガー・アラン・ポーの詩『The Raven(大鴉)』では、一羽のカラスが主人公に「Nevermore(もう二度と)」と告げる。これは死んだ恋人が帰らないという冷酷な真実を突きつける言葉だった。ここでのカラスは、耳障りな慰めを拒否し、ただ「不都合な現実」を伝える冷徹なインテリジェンスそのものだ。現代のスパイ用語でも、ハニートラップを仕掛ける男性スパイを「レイヴン」と呼ぶことがある。カラスが「暗い真実を持ち帰るスパイ」としての隠喩を帯び続けている証拠だろう。

こうして見ると、日本と西洋のカラス観は正反対のようでいて、本質的には同じものを映している。日本では「吉兆の導き手」として、進むべき方向を示す情報官。西洋では「死を告げる鳥」として、不都合な真実を突きつけるスパイ。どちらも「インテリジェンス」と切っても切れない存在として文化に刻まれている。違うのは、その情報を「希望」と見るか「恐怖」と見るか、という解釈の差にすぎない。

科学的に見ても、カラスはその象徴にふさわしい能力を持っている。人の顔を識別して記憶する力、仲間に情報を伝達する社会性、未来のために道具を保存する計画性。都市の中で車を利用してくるみを割る行動は、環境を観察し、状況を利用する柔軟な思考の表れである。これはまさにインテリジェンスの本質──情報を集め、分析し、状況に応じて活用する力──と重なる。

カラスを単なる「不吉な鳥」として片付けるのは容易だ。しかし、八咫烏が日本の国を導き、レイヴンが西洋の神や詩人に「真実」を告げたことを思えば、この鳥が古来から人間にとって「情報の化身」であったことは明らかである。カラスは今日も街を飛び、冷たい瞳で私たちを見つめている。その姿はまるで、「お前は真実を見る勇気があるか」と問いかけているかのようだ。

安全保障には“即効薬”は効かない

■米価が再び高騰か?

さて――お米の収穫時期となり、再び米価の高騰が懸念されています。お米が5キロ5000円。この値段をどう受け止めるべきでしょうか。農家にとっては収入増につながる朗報のように見えますが、国民の「米ばなれ」を加速させ、結果として市場の縮小につながるかもしれません。飲食業界も同じです。原材料費の高騰から値上げせざるを得ないが、値上げすれば客足が遠のく。結局、消費者の収入が増えなければ、こうした悪循環からは抜け出せません。

■米国の関税政策へのアナロジー

この構造は、国際政治にも重なります。米トランプ政権は国内産業を守ろうと関税を引き上げました。短期的には国内生産を下支えしますが、同時に消費者価格があがり、消費が冷え込み、市場そのものが縮小してしまう可能性があります。グローバリズムがもたらした「安い商品」の恩恵と、その裏で進行した米国内での雇用・賃金の圧迫、直接かつ即時的な“即効薬”は、副作用を伴う危険があり、はたして有効な処方箋となるのでしょうか。

■ロシア・ウクライナ戦争を複雑化している要因

そして、この「即効薬と副作用」の関係は、ロシア・ウクライナ戦争にもはっきりと現れています。西側諸国はロシアに対して経済制裁という“外科手術”を施しました。金融制裁や資産凍結、エネルギー取引の制限――狙いは即効的な圧力でした。しかし実際には、ロシアは代替市場を開拓し、逆に欧州はエネルギー価格高騰という副作用に苦しめられています。制裁の効き目は限定的で、十分な効果を発揮していないのです。

その一方で、欧州が進めているエネルギー依存脱却の取り組みは“体質改善”にあたります。時間はかかりますが、ロシアへの依存構造を見直すことで長期的な安定を目指すものです。外科手術と体質改善――どちらか一方ではなく、両者の組み合わせが問われているのです。

■ 私たちの課題

トランプ前大統領の対ロシア姿勢も、この文脈で理解できます。彼はロシアに対して硬軟両用の外科手術的圧力を試みていますが、抜本的な手術には踏み込んでいません。その結果、効果は生じていません。では「抜本的な外科手術」とは何か。それはNATOを通じた本格的な軍事圧力でしょう。しかしそれは、誤れば致命的な衝突を招くリスクを孕んでいます。したがって、判断は容易ではありません。

要は、外科手術をどこまで行うのか、体質改善とどう組み合わせるのかです。その判断を誤れば、経済も安全保障も悪循環に陥る――これこそ、私たちが直面する大きな課題なのです。

半導体の分類をしてみた(2025年9月29日作成)

半導体は複雑に見えるが、ロジックツリーで整理すればその全体像は比較的単純である。まず、半導体を「古いか、新しいか」で大きく二つに分ける。長年使われてきたものをレガシー半導体と呼び、近年世界的に注目されているものをアドバンスド半導体と呼ぶ。本稿では後者に焦点を当てる。


アドバンスド半導体の二分法

アドバンスド半導体は大きく「情報を扱うもの(情報系半導体)」と「電力を扱うもの(電力系半導体)」に分けられる。

  • 情報系半導体は、データを処理したり記憶したりする役割を担う。
  • 電力系半導体は、電気を制御したり外界を感知したりする役割を持つ。

この二分法を起点にすれば、個々の半導体がどこに属するのかが理解しやすい。


情報を扱う半導体

情報系半導体はさらに二つに分けられる。

第一は処理系である。

処理系の代表はCPU(Central Processing Unit)である。CPUは「汎用の演算装置」であり、あらゆる計算や制御を少しずつ順番にこなすことが得意である。パソコンやサーバーの中心にあり、システム全体の動作を司る。

これに対し、GPU(Graphics Processing Unit)は、大量の演算を同時並行に行うことが得意である。もともとは画像処理用に発展したが、現在ではAIの学習や解析など膨大なデータを一斉に処理する用途で不可欠になっている。

さらに登場したのがAI専用チップである。これはNPU(Neural Processing Unit)やTPU(Tensor Processing Unit)と呼ばれるもので、AIの計算処理に特化して設計されている。GPUよりも効率よく、低消費電力でAI演算を行えるよう最適化されている。

たSoC(System on a Chip)は、CPUやGPU、通信機能など複数の回路を一つにまとめた統合チップである。スマートフォンに搭載される半導体はほとんどがSoCであり、これ一つで通信・計算・グラフィック表示までを担う。

このように処理系は「頭脳」といっても、一つの役割だけではなく、汎用の司令塔(CPU)、大量処理の職人(GPU)、AI専用の特化型(NPU/TPU)、そして多機能を一体化した万能選手(SoC)と、役割に応じて多様化しているのである。


第二は記憶系である。

記憶系の中心はDRAM(Dynamic Random Access Memory)である。DRAMは「作業机」にたとえられることが多く、データを一時的に置いて高速に読み書きする。電源を切れば中身は消えてしまうが、その分処理速度が極めて速い。PCやスマートフォンが快適に動くかどうかは、このDRAMの性能と容量に大きく依存している。

NAND型フラッシュメモリは、電源を切ってもデータが消えない「不揮発性メモリ」である。スマホのストレージやSSD(Solid State Drive)に使われ、写真やアプリを保存する。DRAMより速度は遅いが、大容量かつ安価で、長期保存に向く。

さらに近年重要性を増しているのがHBM(High Bandwidth Memory)である。HBMはメモリチップを縦方向に積み重ねて配置する技術により、従来のDRAMよりもはるかに広いデータ転送帯域を実現している。GPUやAIチップに直結し、AIの学習やスーパーコンピュータのような「超大規模データ処理」で威力を発揮する。

つまり記憶系も一様ではなく、一時的で高速な作業机(DRAM)、長期保存の倉庫(NAND)、超高速処理用の特別席(HBM)というように、用途ごとに棲み分けがなされている。


補足:AI半導体とは何か

近年「AI半導体」という言葉が頻繁に用いられている。これは厳密な技術区分ではなく、AI処理に最適化された半導体群を総称する呼び方である。

ロジックツリー上では、主として「情報系 → 処理系」に属する。GPUはその代表例であり、NPUやTPUなどのAI専用チップもここに含まれる。またAIの計算処理には膨大なデータを扱う必要があるため、HBMのような記憶系メモリも不可欠であり、広い意味ではAI半導体の基盤に含められる。

さらに、AIは外界の情報を取り込む必要があるため、イメージセンサーやLiDARなどの感知系、電力を制御するパワー半導体とも密接に連携して動作する。したがって「AI半導体」とは単独の部品を指すのではなく、AI処理を中心に据えた半導体群全体のエコシステムを指す言葉と理解すべきである。


電力を扱う半導体

電力系半導体も二つに分けられる。

第一は感知系である。

代表例はイメージセンサーである。イメージセンサーは光を受け取り、それをデジタルの画像データに変換する部品であり、人間にたとえれば「目」に相当する。スマートフォンのカメラ、自動車の車載カメラ、監視カメラや医療用内視鏡など、現代社会のあらゆる場面で不可欠となっている。

このほかにも、加速度センサージャイロセンサーは動きや傾きを検知し、スマートフォンの画面回転や自動車の安定制御に利用される。マイクに組み込まれるMEMSセンサーは音を電気信号に変換し、音声アシスタントやスマートスピーカーを可能にしている。さらに自動運転車に搭載されるLiDARセンサーは、レーザーを用いて周囲の空間を三次元的に把握する。これらはすべて「現実世界をデジタルに翻訳する」装置である。

第二は制御系である。

パワー半導体(SiC, GaN, IGBTなど)がその典型である。これらは電流や電圧を効率的に変換し、モーターを回したり電力を供給したりする。電気自動車や再生可能エネルギーの分野で特に重要性が高まっており、人間でいえば「筋肉」に相当する。


まとめ

以上のように、半導体はまず「レガシーかアドバンスドか」に分けられる。さらにアドバンスド半導体は「情報を扱うもの」と「電力を扱うもの」に大別でき、それぞれが「処理/記憶」「感知/制御」という四つの機能に細分される。

情報系では、CPU・GPU・AIチップ・SoCといった処理系、DRAM・NAND・HBMといった記憶系が互いに棲み分けを持って機能している。電力系では、イメージセンサーをはじめとする感知系が現実世界をデジタルに変換し、パワー半導体がエネルギーを制御して社会を動かしている。

「AI半導体」という言葉は、この体系の中では処理系を中心としつつ、記憶系・感知系・制御系と連携して初めて機能するものと理解すべきである。AI半導体は単独のカテゴリーではなく、AIという用途を軸に束ねられた半導体群の呼称なのである。