インテリジェンス・サイクルとは何か
国家安全保障の業務では、情報を集めて分析し、意思決定者に提供する一連の作業があります。この作業を「インテリジェンス・サイクル」と呼びます。米国CIAは次の55つの段階に整理しています。
- 計画・指示(Planning & Direction)
使用者が求める内容を受け、どの情報が必要かを決め、収集計画を作る。 - 収集(Collection)
計画に沿って、担当機関が国内外の情報源から情報を集める。通信傍受や偵察衛星もここに含まれる。 - 処理(Processing)
集めた情報を読める形に整理し、必要な項目ごとに分類する。 - 分析・作成(Analysis & Production)
整理された情報を基に、判断に役立つ内容へと加工し、インテリジェンスを作成する。 - 配布(Dissemination)
作成したインテリジェンスを、口頭・文書・デジタルなどの形で使用者に届ける。
国家の情報機関でも、企業のインテリジェンス部門でも、この基本的な流れは変わりません。要点を簡潔にまとめれば次の4つです。
- 知るべきことを選ぶ。
- 情報を集める。
- 集めた情報からインテリジェンスを作る。
- 作ったインテリジェンスを使用者に届ける。
「鶏と卵」の問題
インテリジェンスの成否は、どれだけ多くの情報を持っているかではなく、「何を知るべきか」を正しく選べるかで決まります。イギリスの哲学者アイザイア・バーリンは『ハリネズミと狐』で「狐は多くを知るが、ハリネズミは大事なことを一つ知る」と書きました。情報要求を設定する場面では、大事な一点を見抜くハリネズミの姿勢が求められます。一方、分析や予測では、多くの要素を把握する狐の姿勢も必要です。
国家安全保障の理論では、使用者が「何を知りたいか」を示し、それを「情報要求(Intelligence Requirement)」と呼びます。しかし現場では、使用者が情報要求を出さないために作業が進まない、という問題が繰り返し起きます。使用者が要求を出さなければ、生産者は情報を集められず、インテリジェンスを作れません。
一方、使用者側も「何を知るべきか」がわからないので要求を発出できません。インテリジェンスがないため、状況の深刻さも読み取れないのです。この状態が「鶏と卵」の問題です。
生産者に求められる積極性
冷戦期の欧米の情報機関は、明確な対象(共産圏)があり、情報要求がなくても、共産圏の動きを追っていれば機能しました。しかし冷戦後は脅威が多様化し、使用者の要望だけでは対応できなくなりました。
そこで、アメリカの有名なファンドの創設者ブルース・バーコウィッツは『情報機関を立て直すには』で次のように述べています。
「インテリジェンス担当者は、積極的に使用者のところへ行き、相手を知り、自分の作ったプロダクトを売り込むくらいでなければならない」
インテリジェンスの生産者と使用者の距離感は一定ではありません。アメリカの情報機関は、政策に迎合しないために、政策判断の領域には踏み込みません。しかしイスラエルの情報機関は、大統領への報告時に政策の選択肢まで提示するとされます。
企業の場合はさらに違います。国家のような組織構造がなく、使用者と生産者の境界がはっきりしません。経営陣が具体的な指示を出さないまま、担当者に問題の整理から解決策までを求める場面も多くあります。
知るべきことを明確にする
何を知るべきかを明確にすることは、国家でも企業でも重要なことです。少し、簡略化して説明します。
例えば、首相が「台湾有事に備えて南西諸島の防衛力を強化すべきか」を検討するとします。この場合、情報機関が最初に評価すべきは中国軍と台湾軍の能力です。極東ロシア軍の動きは、判断の優先度が高いとは言えません。使用者が取り組もうとしている判断を明確にし、その判断に必要な情報を選ぶことが出発点になります。
企業でも、外食企業が「新商品の市場シェアを伸ばしたい」と考えているなら、担当者がまず調べるべきは顧客の嗜好です。競合の社内事情よりも、市場の動きに直結する情報が優先されます。
問いを多角的に見直す
最初の問いが正しいとは限りません。判断を左右する要因は、一つの領域に限られないからです。
外食企業の例でも、新商品の市場シェアを巡る主要な競争相手が同業他社とは限りません。ある企業では、新商品の市場シェアを奪っていたのは外食企業ではなく、コンビニエンスストアが売るレトルト食品でした。消費者が「自宅で簡単に食べたい」と考える場面では、外食と小売の境界は消えます。
このような場合、担当者は、最初の問い「競合他社の動きを調べるべきか」を見直し、
「消費者が代わりに選ぶ食品は何か」
「その食品を扱う企業の戦略はどう変わっているか」
という異なる角度から問いを立て直す必要があります。
問いを多角的に見直す作業がなければ、使用者が気づかない領域で競争が進んでしまいます。
問いを提案するという役割
このように、担当者は「知るべきこと」をただ確認するだけでは役割を果たせません。使用者が示した最初の方向性を踏まえつつ、状況を広く見渡し、必要だと思う問いを使用者に提案する姿勢が求められます。
担当者は、経営層に次のように働きかけます。「いま検討している判断事項は、こういう要因でも変わる可能性があります」「この判断には、こちら側の情報も必要になると思います」
これは、単に“伺いを立てる”のではなく、使用者の考えを整理し、判断に必要な問いへと翻訳する作業です。
使用者が自ら情報要求を出さない企業の環境では、この“問いの翻訳”こそがインテリジェンス担当者の重要な役割になります。
