トランプ米大統領のベネズエラ軍事行動は何を変えたのか

――各国の反応、日本の立場、そして国際秩序の現在地

前号に引き続いてベネズエラ問題を扱います。2026年1月、米国はベネズエラに対し軍事行動を実施し、現職のマドゥロ大統領夫妻を拘束し国外へ移送しました。米国が正規の軍事力を用い、他国の現職元首を直接拘束したという事実は、国際社会に強い印象を与えました。

本稿では、この軍事行動に対する各国と日本の反応を整理した上で、中国の台湾問題との関係、国際法や国連の権威、そして現在の国際秩序をどう捉えるべきかを検討します。

各国の反応は想定内、日本には残る「扱いづらさ」

中国は、国家元首の拘束と国外移送を主権侵害として批判し、米国が国内法を国際法より優越させたと非難しました。ロシアも同様に、国連憲章違反であるとの立場を示しています。これらの反応自体は、予想の範囲に収まるものです。

一方、日本政府の対応は慎重でした。強い支持も明確な批判も避け、事実関係への言及と情勢の注視にとどめています。ここで浮かび上がるのは、日本特有の難しさです。日本は近年、「法の支配」や「力による一方的な現状変更を認めない」という言葉を外交の柱として用いてきました。その日本が、同盟国である米国の今回の行動に沈黙すれば、今後対中発信を行う際に、その言葉が相手から反問される余地が生まれます。

中国やロシアの反応以上に、日本にとって重いのは、この「言葉の扱いにくさ」なのかもしれません。

「台湾の敷居」は上がりも下がりもしない

今回の米国の行動が、中国による台湾への軍事行使の敷居を下げたのではないか、という見方があります。しかし、この因果関係には慎重であるべきです。

中国は以前から台湾を「国内問題」と位置づけており、政治的正当性は自国内で完結しています。米国が国際法を逸脱したと批判されようと、それが中国の意思決定を左右するとは考えにくいのが実情です。米国が強権を発動したから、中国も発動しやすくなる、という単純な連鎖は成り立ちません。

また、国連や国際法が軍事行使を有効的に抑止してきたかといえば、現実はそうではありません。西側諸国も中国・ロシアも、国際法を牽制の言葉として用いつつ、最終的な行動は自国の利害と計算に基づいて決めてきました。この構図は冷戦期から大きく変わっていません。

ロシアのウクライナ侵攻を許したから、中国の台湾侵攻が起きる、という議論も同様です。国際秩序は、いまも昔も力による現状変更の積み重ねの上に成り立ってきました。各国は他国の行動を参照しますが、それによって自国の軍事行使が自動的に決まるわけではありません。

今回のベネズエラ軍事行動を、中国の台湾行動と直線的に結びつける見方は、出来事を単線で説明しようとする誤った因果関係バイアスだと言えます。

国連と国際法の権威は失われたのか

今回の事例は、国連や国際法の権威が完全に失われたことを示すのでしょうか。そう断じるのも正確ではありません。国連憲章や国際法は、各国の行動を完全に止める装置ではなく、政治的正当性を主張し、相手を牽制するための共通言語として機能してきました。

現実には、中国もロシアも、そして米国も、必要と判断すれば国連や国際法を超えて行動します。その一方で、国連や国際法を無視しきれる国は存在せず、各国は常に「どこまでなら許容されるか」を計算しています。権威が消滅したというより、抑止力としての限界が改めて露呈したと見る方が妥当でしょう。

日本が直面する現実

今回の米国の行動が国際秩序全体を大きく変えたとは言えません。しかし、日本にとっては別の意味を持ちます。日本はこれまで、国連主義と「力による一方的な現状変更を認めない」という言葉を外交の軸に据えてきました。その言葉を使い続ける以上、同盟国の行動に対しても一定の説明責任を伴います。

同時に、日本が中国を想定してこれらの言葉を使い続けることは、以前より難しくなるでしょう。綺麗な理念だけでは立ち行かない現実が、改めて突きつけられています。

因果関係に囚われないために

今回のベネズエラ軍事行動は、中国の台湾行動を直接左右するものではありません。しかし、国際秩序が理念だけで動いていないことを、あらためて可視化しました。

分析において重要なのは、象徴的な出来事同士を安易につなぐことではなく、各国がどの前提と利害で動いているのかを冷静に見極めることです。
国際政治を読み誤らないために必要なのは、出来事を因果で単純化しない視点――因果関係バイアスに囚われないことです。

それこそが、いま日本に求められている分析姿勢ではないでしょうか。(了)

インテリジェンス思考術(第13回)

影響要因とは何か

前回は、「枠組みとは何か」を説明しました。今回は、その枠組みの中から、どのように影響要因を抽出するのかを見ていきます。

改めて、次の問いを考えてみましょう。

問い:
あの商品は、なぜ売れているのか。

この問いに対して、いきなり影響要因を並べるのではなく、まず分析の範囲、すなわち枠組みを定めます。

たとえば、3CやPESTといったフレームワークを使うと、次のような枠組みが考えられます。

  • 価格に関する枠組み
  • 商品特性に関する枠組み
  • 生産・供給に関する枠組み
  • 購買者に関する枠組み
  • 原材料や調達条件に関する枠組み

これらは、「何を見るか」を決めるための区切りです。この段階では、まだ結論を出しません。

次に、それぞれの枠組みの中から、実際に売れ行きに影響を与えている要素を取り出します。

たとえば、

  • 価格の枠組みからは
    → 価格
  • 商品特性の枠組みからは
    → 商品形状、機能構成
  • 生産・供給の枠組みからは
    → 生産規模、販売チャネル

といった影響要因が抽出されます。

このように、枠組みで分析の範囲を定め、その中から影響要因という焦点を絞り込むことで、分析は初めて整理された形になります。

枠組みの中には、状況に影響を与えている要素がいくつも含まれます。現状分析では、これらを影響要因と呼びます。枠組みが分析の範囲を定める「箱」だとすれば、影響要因は、その中に含まれる個々の要素です。

  1. 価格
  2. 商品形状
  3. 機能構成
  4. 生産規模
  5. 販売チャネル

これらはいずれも、判断や評価を含まない中立な要素です。ここで言う判断とは「低価格」、「高価格」といった評価語を指します。影響要因は未来予測ではドライバーとなる可能性があります。その段階で評価を含めると、未来の選択肢を嵌めてしまいます。

■枠組みや影響要因の数について

枠組みの数は、判断や情報収集に使うことを前提にすると、概ね5つから6つ程度が適当です。

これ以上多いと、情報収集の対象が広がりすぎ、分析の焦点がぼやけます。

逆に少なすぎると、問いに答えるために必要な視点が欠けてしまいます。

枠組みを適切な数に絞ることで、「何を集めるのか」と同時に「何を集めないのか」が明確になります。
その結果、情報収集と分析の両方を制御できるようになります。

枠組みや影響要因の数については、理論よりも実践感覚を優先すべきだと考えています。

私自身の情報分析官としての経験では、枠組みの数は5つから6つ程度が、最も扱いやすいと感じています。

これ以上多くなると、情報収集の対象が拡散し、どこに分析の力点を置くのかが分からなくなります。

同様に、各枠組みの中に含める影響要因も、無制限に列挙すべきではありません。

最初に洗い出す段階では、影響要因が多くなっても構いません。
しかし最終的には、各枠組みにつき3から5程度に絞るのが現実的です。

これは、重要でない要因を切り捨てるためではありません。判断に使える形に整理するためです。影響要因を絞り込む過程そのものが、分析の一部になります。

人は放っておくと、可能性を広げることばかりに力を使い、まとめる作業を後回しにしがちです。

枠組みや影響要因の数をあらかじめ制限するのは、思考を縛るためではなく、
思考を前に進めるための工夫だといえます。

支配要因とは何か

影響要因は、すべてが同じ重さを持つわけではありません。

その中で、現在の結果を最も強く左右しているものを、支配要因と呼びます。

この事例では、現時点での支配要因として、たとえば価格を挙げることができます。

価格は、顧客の購入判断に直結し、競合との差を一目で生み、他の要因の評価にも影響を与えています。

今回はここまで

今回は、影響要因とは何か、支配要因とは何かを整理しました。

影響要因は、未来を考える段階ではドライバーになります。
特に支配要因は、複数のシナリオを立てる際の分岐点になります。

まだ、この点を具体的に理解する必要はありません。今の段階では、言葉と位置づけを押さえておけば十分です。

次回以降は、枠組みをどのように設定するのか、影響要因の抽出や支配要因の特定を、どのような考え方と手順で行うのかを扱います。

私の暖房は、やはり電気こたつ

今年の冬は、どうも例年ほど寒くありません。そのせいか、我が家の灯油の減りがやけに遅い。もっとも理由は、気温だけではなさそうです。

25年前には18リットル600円だった灯油は、いまや2,000円を超え、ガソリンと大差がない。燃費の優等生だったはずの灯油も、すっかり「高級燃料」になりました。こうした事情もあってか、灯油ストーブの売れ行きは伸び悩み気味だそうです。

さらに言えば、今のエアコン暖房は、性能そのものが別物になりました。昔のように「暖まらない」「電気代が高い」という存在ではなく、長時間使うほど計算が合う暖房になっています。

そうなると、灯油を買いに行き、運び、入れる。その手間をかけてまで使う灯油ストーブを使う理由が、正直、見当たらないのです。

使う人が減れば、補助金の対象にもならない。政策というより、生活の選択の結果でしょう。灯油ストーブが姿を消すのは、技術革新でも規制でもなく、「面倒だな」という一言から始まっている気がします。

もっとも私は、今も昔も、燃費コストが最も優秀な電気こたつに潜って過ごしています。

最近、物価が上がっていることを実感する場面が増えました。私は普段からスーパーで買い物をしますが、そこでまず目につくのが米の価格ですが、これはいまさら申すまでもないです。ただ、それだけではありません。卵が高くなりましたし、チョコレートも以前と比べて値上がりしているのが分かります。

卵の値上がりについて原因を調べてみると、一つは鳥インフルエンザです。もう一つは飼料価格の上昇です。鶏のエサとなるトウモロコシや大豆は輸入に頼っていますが、ロシアとウクライナの戦争によって穀物の国際価格が上がりました。さらに円安が続いているため、日本では輸入コストがより高くなり、その影響が卵の価格に反映されています。

チョコレートも同じような構図です。原料のカカオ豆はほぼ輸入で、近年は産地での不作や病害の影響を受け、国際価格そのものが上昇しています。そこに円安が重なり、仕入れ価格が円ベースで膨らんだ結果、店頭価格も上がっています。

米、卵、チョコレートはいずれも身近な食品ですが、その値段は日本国内の事情だけで決まっているわけではありません。戦争や天候、為替といった世界の動きが、そのまま私たちの買い物に影響しています。世界が互いにつながっていることをあらためて実感します。

米国のベネズエラ大統領拘束作戦をどう読むか

――アナロジー思考による現状と未来の分析

トランプ米大統領は1月3日、反米左派政権が率いるベネズエラに対し、大規模な軍事行動を実施したと自身のSNSで発表しました。1月5日現在、マドゥロ大統領夫妻を拘束し、米国内に移送したとしています。米国が軍事力を用いて、他国の現職大統領を国外に連行したという事実は、国際社会に強い印象を残しました。

中国とロシアは米国の行動を国際法違反として激しく非難しています。一方、英国、フランス、ドイツはマドゥロ政権を批判しつつも、米国の軍事行動そのものの是非には踏み込んでいません。日本政府の反応も同様で、評価を避けた形となっています。

本稿では、この事象を是非論で裁くのではなく、過去の類似事象との比較を通じて位置づけます。前段(12日配信)では、アナロジー思考を用いて今回の軍事行動の特性を整理し、現状と今後の推移を考えます。各国の反応や日本への影響については、後段(19日配信)で扱います。

過去の類似事象① 冷戦期・中南米介入との共通点

今回の米国の行動は、冷戦期から繰り返されてきた中南米介入と重なります。

1961年のキューバでは、ソ連に接近するカストロ政権を打倒し、親米政権への挿げ替えが狙われました。今回も、中露に接近するマドゥロ政権の打倒と、親米的な政治体制の構築が目的とされています。また、米中央情報局(CIA)が政治工作に関与したとされる点も共通しています。

もっとも、キューバのピッグス湾侵攻は失敗に終わりました。ケネディ政権は表向きには作戦への関与を否定し、失敗の責任はCIAに追及されました。その後、米国の介入は逆にカストロ政権の求心力を高め、1962年のキューバ危機へとつながります。外部からの介入が、相手政権の正統性を補強してしまうという結果を招きました。

1989年のパナマでは、ノリエガ将軍を拘束し、麻薬取引やパナマ運河の管理を含む秩序の再編が行われました。今回の軍事行動でも、正当化の論理として、麻薬が米国内に及ぼす悪影響を断つという主張が掲げられています。ベネズエラが南米有数の石油大国である点、パナマが運河という地政学的要衝であった点も、米国の関心を引いた背景として重なります。

いずれの事例でも、敵対的政権の中枢を排除し、地域環境を米国に有利な形に整えるという発想が見られました。石油や麻薬といった経済・治安上の利害が絡む点も、今回のベネズエラと共通しています。

また、国内政治との関係も無視できません。支持率の低下や選挙を意識した強硬姿勢は、冷戦期から繰り返されてきた構図です。この意味で、今回の行動は突発的なものとは言えません。

過去の類似事象② イラク戦争との相違点と接点

一方で、今回の軍事行動はマドゥロ政権の打倒を狙ったものであり、ロシアのウクライナ侵攻のように領土を奪取する戦争ではありません。この点で、政権打倒という一点に絞った行動は、2003年のイラク戦争を想起させます。

ただし、両者には重要な違いがあります。イラクでは、フセイン政権崩壊後、米軍が駐留し、暫定統治機構を設けて治安維持と国家再建を担いました。その結果、統治責任は長期にわたり米国に重くのしかかりました。この経験は、米国の国力が相対的に低下する一因になったとの評価もあります。

今回のベネズエラでは、こうした「後段の構想」が前面に出ていません。政権打倒後の統治、治安維持、新政権の具体像について、事前に明確な設計は示されていませんでした。この点は、イラク戦争との大きな相違です。

この意味では、トランプ政権が第一次政権時に、米中首脳会談の直前にロシアに接近するシリア政権を空爆した構図とも重なります。中露に対し、軍事的意思を示すことで牽制する、示威的な行動としての側面も読み取れます。

さらに、イラク戦争では、事前に国連や欧州諸国との調整が行われ、正統性の共有が図られました。今回のベネズエラでは、そのような国際的な事前調整は限定的でした。この点も、後段で検討すべき重要な違いです。

今回の軍事行動が投げかける論点

ここで、今回の軍事行動が浮き彫りにした論点を整理します。

第一に、政権打倒後の政治的正統性を、誰がどのように担保するのかという問題です。軍事力によって現職大統領を拘束した場合、その後に成立する政権が、国民からどのように受け止められるかは結果を大きく左右します。

第二に、治安と統治の空白をどう管理するのかという点です。政権中枢が排除された後、国家機構が自律的に機能を維持できるのか、それとも外部の関与が不可欠になるのかは、現時点では明らかではありません。

第三に、米国自身がどこまで関与を続ける意思を持っているのかという点です。軍事行動の成功と、その後の政治的安定は必ずしも一致しません。このズレをどう扱うのかが、今回の焦点になります。

キューバとパナマが示す二つの帰結

キューバの事例が示したのは、外部からの介入が、かえって相手政権の正統性を固めてしまう可能性です。軍事行動の失敗だけでなく、介入そのものが反米感情を固定化し、長期的な対立を生みました。結果として、政権打倒どころか、対立構造が持続する帰結を招きました。

一方、パナマでは、ノリエガ将軍拘束後、比較的短期間で秩序は回復しました。しかし、それは主権や政治の自律性が回復したことを意味しませんでした。新政権は国内で選ばれたというより、外部の力によって成立したとの印象を拭えず、政治には制約が残りました。そのため、反米的な反動は抑えられたものの、政治の自律性が内面化されたわけではありませんでした。後年、パナマが中国との関係を急速に深めたことは、こうした自律性の欠如が長期的に残していた余地を示しています。

これら二つの事例は、軍事力による政権打倒が、短期的な秩序回復と長期的な政治安定を必ずしも一致させないことを示しています。

ベネズエラの未来をどう読むか

現在、米国はベネズエラで副大統領級の人物を軸に、新たな政治体制を立ち上げようとしていると伝えられています。しかし、その構想がどこまで国民に受け入れられるかは不透明です。

経済崩壊への不満が強い一方で、外部からの介入に対する拒否感も根強く存在します。この点で、ベネズエラがパナマのように短期的な秩序回復に向かうのか、それともキューバのように反動を生むのかは、現時点では見通せません。

重要なのは、軍事行動の成否そのものではなく、その後にどのような政治過程が積み重ねられるかです。政権交代が実現したとしても、政治の正統性と自律性が国内で形成されなければ、長期的な安定は保証されません。

アナロジー思考という分析技術

本稿で用いてきたのは、過去の類似事象と現在の事象を重ね合わせる、アナロジー思考です。重要なのは、単に似ている点を探すことではありません。類似点と同時に相違点を意識的に加えることで、現状の位置づけと、取り得る未来の幅が見えてきます。

キューバ、パナマ、イラクはいずれも米国の介入でしたが、その後の推移は異なりました。違いを生んだのは、国内の受け皿、国際環境、介入後の関与の仕方でした。

アナロジー思考は、未来を断定するための手法ではありません。現状を過去の文脈に置き直し、どの方向に動き得るのか、その射程を把握するための分析技術です。今回のベネズエラをめぐる事例は、その有効性を示しています。

(了)

インテリジェンス思考術(第12回)

■問いの次に来る「枠組み」とは何か

昨年のニュースレターでは、「問い」を扱ってきました。問いは、情報収集の前段階に置かれますが、実は分析そのものでもあります。

問いを立てた後、インテリジェンスは次の工程へ進みます。

問いの設定
→ 枠組みの設定
→ 情報の収集
→ 情報の分析とインテリジェンスの作成
→ インテリジェンスの提供

今回は、このうち枠組みを扱います。

■枠組みはフレームワークではない

ここで言う枠組みは、3C(顧客、競合、自社)やPEST(政治、経済、社会、技術)といった、既存の分析フレームワークそのものではありません。

フレームワークは、問いに答えるために、「何を見るべきか」を広く確認し、思考の抜けや偏りを防ぐために使います。

一方、枠組みは、分析や判断の対象を、どこまでに限定するかを決めるものです。

枠組みは、投網のようなものだと考えると分かりやすいでしょう。網を投げた範囲の魚は取れますが、網の外にいる魚は、最初から取れません。

同じように、枠組みを定めると、その中にある情報は集めますが、枠組みの外にある情報は、意図的に排除します。

枠組みの設定とは、「何を見るか」を決めると同時に、「何を見ないか」を決める作業です。

■フレームワークを使うと、枠組みが見えてくる

枠組みは、最初から与えられるものではありません。問いを立て、フレームワークを使って考える中で浮かび上がってきます。

たとえば、次の問いを考えてみます。

問い:あの商品は、なぜ売れているのか。

この問いに対して、3Cを使えば、自社・競合・顧客という三つの視点から、
さまざまな要素が挙がります。

自社を見れば、宣伝投下や大量生産といった要素が出てきます。

競合を見れば、他にない商品、価格の安さといった点が浮かびます。

顧客を見れば、安価であること、便利さ、形状の使いやすさといった評価が見えてきます。

この段階では、論点は散らばっています。むしろ、この「散らばり」を一度つくることが重要です。

■フレームワークを横断して残るものが枠組みになる

ここで重要なのは、出てきた要素をそのまま並べ続けることではありません。

判断に使うためには、それらを整理し直す必要があります。そこで要素を整理すると、いくつかの共通した方向性が見えてきます。

価格に関わる話。商品そのものの特徴に関わる話。生産や供給の条件に関わる話。

この時点で、自社・競合・顧客という区分は消えています。

3Cというフレームワークを使って問いを分解した結果、フレームワークを横断して残った論点が、枠組みになります。

■枠組みはいくつかのフレームワークを使って規定する

既存の分析フレームワークには、3CやPESTのほか、PESTに法的規制(L)や環境(E)を加えたPESTLE、さらにDIME(外交・情報・軍事・経済)など、さまざまなものがあります。

これらは、すでに述べたとおり、問いを取り巻く周辺情報を網羅的に確認するための道具です。そのため、フレームワークをそのまま用いると、扱う論点は必然的に多くなります。

それぞれのフレームワークは、複数のサブカテゴリーで構成されています。
たとえば政治であれば、国際政治、法規制、法改正、行政環境が含まれます。
経済であれば、経済システム、景気、賃金動向、株価、為替、金利、消費動向、雇用情勢、経済成長率などが並びます。

ここで重要なのは、これらをすべて同じ重さで扱ったままでは、判断に使えないという点です。
論点が多すぎると、どこから情報を集め、どこに分析の力点を置くのかが定まりません。

そこで、フレームワークを使って出てきた論点を、判断に使うために整理し直す必要があります。
具体的には、抽象度を一段上げ、内容が近いものを同類項としてまとめ、分析の焦点となる論点だけに絞り込みます。

このようにして定められるのが、枠組みです。

■今回はここまで

今回は、問いの次に来る「枠組み」について整理しました。

次回は、影響要因、支配要因、ドライバーとは何か、さらに枠組みや影響要因の数をどう考えるかを扱います。

新年あけましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。今年もニュースレターをお届けします。
私の仕事始めは1月5日(月)からですが、年明け早々、トランプ政権によるベネズエラ軍事行動の動きなどもあり、今年も波乱含みの一年になりそうです。

さて、台湾をめぐる情勢です。今年は、いわゆる「2027年危機」の前年にあたります。産経新聞の1面「年のはじめに」では、「『台湾有事の前年』に日本は手をこまねいていたと後世に言われてはなるまい。まさか戦争はないだろうと油断し、ほぞをかんでも遅すぎる」との論調が掲げられていました。

一方で、中国専門家の中には、台湾有事が起こる蓋然性は必ずしも高くない、あるいは台湾有事論そのものが米国の軍事費獲得や対応策を正当化・可視化するための枠組みだ、という見方もあります。私自身も、その指摘を全面的に否定する立場ではありません。

しかし、同紙でも引用されているように、米国国防省が昨年公表した中国の軍事力に関する年次報告書では、「中国は2027年末までに台湾における戦争に勝利できると見込んでいる」と分析しています。インテリジェンスの基本は、公式発表をまず額面どおりに受け取り、その上で検証し、必要な備えを進めることにあります。楽観と悲観のどちらかに傾くのではなく、示された前提条件にどう向き合うかが問われているのだと思います。

箱根駅伝は今年も青山学院の圧勝

今年の正月も、例年どおり全日本実業団駅伝と箱根駅伝を見て過ごしました。元日は新聞を買いに近所のコンビニに行き、あとは3日まで駅伝観戦。ある意味、変わらない正月です。

箱根駅伝は、青山学院の3連覇。まさに令和の常勝軍団という言葉がふさわしい結果でした。最大の見どころは、箱根山登り5区での黒田朝日選手の激走でしたが、それ以上に印象的だったのは、6区以降の復路で全員が区間3位以内に収まるという層の厚さでした。

これは、原監督によるリクルートや育成といった中長期の戦略と、当日の適材適所の配置という戦術が噛み合った結果だと言えるでしょう。同時に、選手たちが恵まれた環境の中で、学生寮での共同生活を送り、黒田選手のキャプテンシーが発揮されることで、チーム全体の底上げが進んだことも大きいと思います。それを支える学校関係者、勝利がもたらす潤沢な資源とスタッフ、企業の協力。こうした好循環が、青山学院の強さを支えているのでしょう。

もっとも、どれほど隙のないように見える組織であっても、好循環が永遠に続くわけではありません。人生もまた同じで、順調に回っているように見えても、どこかに気づかない歯車の狂いが潜んでいます。今年も、その小さなリスクが顕在化し、拡大しないよう、意識して過ごしていきたいと思います。

今年、1年よろしくお願いします。

高市総理に対する「撤回せよ」はどういう意味

最近、レアアース禁輸の話が出てから、メディア、野党議員、経済界の人たちが口をそろえて言います。

「高市総理は発言を撤回すべきだ」
「撤回しなければ日中関係はおさまらない」

ただ、不思議なことがあります。誰も、撤回の中身を言わないのです。


撤回とは、何をすることなのでしょうか。
国内向けに言い直すことなのか。
中国に説明を入れることなのか。
それとも、中国の主張を認めることなのか。

ここが語られないまま、「撤回しろ」という言葉だけが飛び交っています。


少し具体的に考えてみます。

もし「撤回」の中身が、「台湾有事で集団的自衛権は使われない」
という意味なら、話は分かります。

さらに言えば、
「台湾は中国の国内問題だ」
「米国が関与する前提は成り立たない」
「日本に存立危機事態は生じない」

こうした考えを、日本の総理に言わせたい。そういう意味になります。


ただ、これをそのまま言葉にした瞬間、多くの国民は首をかしげるでしょう。

「それ、本当に日本の安全につながるのか」
「米国との関係はどうなるのか」
「中国の言い分を先に認める必要があるのか」

だからでしょうか。誰も、この文章案を口に出しません。


代わりに使われるのが、
「撤回」
「配慮」
「関係改善」

便利な言葉です。中身を書かなくても、批判した気分になれます。


レアアース禁輸についても同じです。

「撤回しなければ経済が困る」
「日中関係が悪化する」

では、何を撤回するのか。
日本は、どこまで言葉を引っ込めるのか。
どこから先は言ってはいけないのか。

ここは語られません。


たぶん、多くの人は分かっています。
中身をはっきり書くと、自分の立場が国民に説明できなくなることを。

だから、意味は共有したまま、言葉だけをぼかす。


主張が正しいかどうかは、別の話です。
対中関係を重視する考えも、あり得ます。

ただ、
撤回という言葉だけを投げて、
中身を言わないのは議論ではありません。

それは提案ではなく、雰囲気づくりです。


「撤回すべきだ」と言うなら、
こう言えばいい。

「台湾有事は日本の問題ではない」
「中国の立場を日本は尊重する」
「その代わり、経済の安定を取る」

それを言えないなら、
撤回という言葉に、意味を詰め込むのはやめた方がいい。


最近の議論を見ていると、
日中関係が不安定なのか、
言葉の使い方が不誠実なのか、
分からなくなることがあります。

少なくとも一つ言えるのは、
撤回の中身を言わない限り、
賛成も反対もできない
、ということです。

議論をしたいなら、
まず文章を書きましょう。
話は、それからです。

インテリジェンス思考術(第11回)

■問いは準備であり、分析である

インテリジェンスは、次の流れで生産されます。

問いの設定→ 枠組みの設定→ 情報の収集→ 情報の分析とインテリジェンスの作成
→ インテリジェンスの配布

この順序は、国家インテリジェンスでも、企業の意思決定でも変わりません。

この中で、問いの設定は情報収集の前段階に置かれます。そのため、問いはしばしば「準備作業」と見なされます。しかし、問いの設定は準備であると同時に、すでに分析そのものです。

問いを立てるとは、構造を考えることである

良い問いは、思いつきでは出てきません。問いを立てるためには、現状がどのような構造で成り立っているかを考える必要があります。

たとえば、「この事業はなぜ伸び悩んでいるのか」という問いを立てるには、

需要なのか。
供給なのか。
価格なのか。
競争環境なのか。
内部の運営体制なのか。

どこに問題がありそうかを、頭の中で分解します。この分解の時点で、分析はすでに始まっています。

問いは未来を考える入口でもある

問いは、現在だけでなく未来にも関わります。「この状況は続くのか」「どの条件が変われば状況は動くのか」

こうした問いを立てるためには、何が固定され、何が変わり得るのかを考えなければなりません。

問いを並べ、問いを比べることで、将来に影響しそうな要素が浮かび上がります。
問いは、未来予測の前段階にある分析でもあります。

問いの設定技法は、分析技法の中核である

問いは、情報収集の指示書になります。どの情報を集め、どの情報を集めないかを決めるからです。

同時に、問いの質は、その後に用いる枠組みの選び方、分析の視点、判断材料の置き方を左右します。

問いが曖昧であれば、集まる情報は散漫になります。問いがずれていれば、
分析が精緻でも、判断には使えません。

この意味で、問いの設定技法は、情報分析の技法の中核に位置します。

これまで扱ってきた「問い」

今年の連載では、問いについて次の点を扱ってきました。

・問いとは、使用者の判断を想定して立てるものであること
・戦略の問いと、それを支える情報の問いがあること
・問いには、現在と未来、クローズドとオープンの組み合わせがあること
・一つの象限に偏ると、判断に必要な情報が欠けること
・最初に立てた問いは、そのままでは不十分なことが多いこと
・問いは、問い直し、組み替えることで初めて焦点が定まること
・視点を変えることで、同じ事象でも別の問いが立ち上がること

これらはすべて、問いを「正しく立てる」ための技法であり、同時に、分析を深めるための技法です。

まとめと来年の予告

問いの設定は、インテリジェンス・サイクルでは情報収集の前に置かれます。
しかし、問いを立てること自体が、現状の構造を理解し、変化の可能性を探る分析です。

良い問いが立っていれば、情報収集と分析の方向は、すでに定まっています。
インテリジェンスの質は、問いの段階で決まります。

来年は、ここで立てた問いを、どのように枠組みに落とし込み、分析へと進めていくのかを扱います。

問いの次の工程について、具体的に見ていきます。

EUはなぜスローガンを掲げ、期限を置くのか

–〝2035年規制〟とロシア産エネルギーに見る「合意維持」の政治–

起点(12月15日):EU、2035年のガソリン車全面禁止に事実上の修正

12月15日、欧州連合(EU)が掲げてきた「2035年にエンジン車の新車販売を原則禁止する」という方針について、欧州委員会が事実上の見直しに入ったと報じられました。自動車大国ドイツが、ガソリン車やハイブリッド車を一律に排除する決め方に強く反対し、禁止を支持するスペインなどと対立したためです。
当初の方針は、2035年以降は二酸化炭素(CO₂)を排出しない車しか新車として販売できないとするもので、事実上、ガソリン車を全面的に市場から排除する内容でした。今回の動きは、その「全面禁止」という決め方を、そのまま維持できなくなったことを示しています。

前提崩壊:EVシフトを支えていた条件が失われた

この規制は2021年に提案されました。温室効果ガスの排出削減に加え、欧州メーカーの電気自動車(EV)への移行を後押しする狙いがありました。当時は各国が購入補助金を出し、EV市場は拡大局面にありました。EUは、規制を先行させれば産業も追随すると判断しました。

しかし、その前提はこの数年で崩れました。ドイツなど主要国は財政負担を理由に補助金を打ち切り、EV販売は失速しました。充電インフラの整備は国ごとにばらつきがあり、消費者の不安は解消されていません。加えて、中国メーカーが低価格のEVを大量に投入し、欧州メーカーは価格と収益の両面で圧迫されています。

EVの普及が想定通りに進まない中で、エンジン車やハイブリッド車の販売を期限付きで禁止すれば、欧州の自動車産業は市場と雇用を同時に失うことになります。規制の見直し論が出てきた背景には、EVシフトを支えるはずだった市場環境が、すでに成立していないという現実があります。

ドイツの後退:中核国が掲げた理想を自ら引き下げた

今回の規制見直しを主導したのは、EUの中核国であるドイツでした。ドイツはこれまで、気候変動対策で欧州を先導する立場を取り、2035年のエンジン車禁止という耳障りの良いスローガンを国際社会に向けて掲げてきました。

しかし、そのドイツ自身が、現実の課題を克服できなくなりました。EV市場は想定通りに拡大せず、充電インフラの整備も遅れました。中国メーカーとの競争は激化し、国内の自動車メーカーと関連産業は収益と雇用の両面で圧力を受けています。この状況で、期限だけが固定された全面禁止を維持すれば、産業基盤に深刻な打撃が出ることは避けられませんでした。

それでもドイツは、「誤った政策だった」とは言いませんでした。中核国として掲げてきた方針を正面から撤回すれば、EU全体の信頼性に傷がつくからです。そこで用いられたのが、「期限や手段の固定化は適切でない」という説明でした。実際には、解決できなくなった問題を、将来に送り直す判断だったと言えます。

総論賛成・各論留保(12月3日):期限を置くことで先送りされたロシア産エネルギー問題

12月3日、EUはロシア産エネルギーをめぐり、2027年までに天然ガス輸入を恒久的に停止する方針で大筋合意したと発表しました。ウクライナ侵略を続けるロシアへの圧力に加え、欧州のロシア依存を批判してきたアメリカの要求に応える意味合いがありました。

注目すべきは、「即時停止」ではなく、あえて2年後という期限を置いた点です。ハンガリーなど、ロシア産ガスへの依存度が高い国では、短期間での代替は物理的に不可能です。EUは、そうした国に代替供給を保障する能力を持っていません。

それでもEUは、「ロシア産エネルギーからの脱却」という総論では合意しました。そこで選ばれたのが、期限を条件に付ける合意です。原則への賛成と、実行不能な現実を同時に抱え込むための措置でした。この2年は解決の準備期間というより、対立を表に出さないための緩衝材でした。

なぜEUはスローガンと先送りを繰り返すのか

これらの事例は、EUが最近になって迷走し始めた結果ではありません。EUは国家ではなく、主権国家の集合体です。外交、安全保障、エネルギー、産業政策の多くは加盟国が握り、欧州委員会は実行を命じる権限を持ちません。

加盟国の利害が正面から衝突する問題では、即時に解決策を決めること自体が難しくなります。そこでEUが選んできたのが、スローガンを先に掲げ、期限を将来に置くやり方です。「2035年」「2027年」という数字は、解決策というより、対立を一時的に棚上げするための合意点として機能しています。

 なぜ合意を壊せないのか

EUにとって、合意は単なる政策ではありません。軍隊も徴税権も持たないEUが統治体として存在する根拠は、加盟国が合意したという事実そのものです。政策が失敗することより、合意が崩れたと認めることの方が、EUには大きなコストになります。

一度、合意を撤回すれば、次の合意は作れなくなります。そのためEUは、合意の中身が現実に合わなくなっても、言葉を直し、期限を延ばし、運用で調整することで、合意が続いている形を保ちます。

分裂を語れないEUと、冷めたアメリカ

EUは、アメリカ、ロシア、中国という大国に囲まれた地理から逃げられません。フランスとドイツにとってEUは理念ではなく、生き残りのための装置です。英国が離脱し、ロシアの脅威が高まる中で、EUは分裂を示唆する選択肢を持ちません。

一方、アメリカはEUを国際秩序形成の主体としては見ていません。軍事はNATO、意思決定は個別国家という整理を取り、EUのスローガンは尊重するが、行動主体としては計算しない。その冷淡さが、EUの言葉と現実の落差を際立たせています。

結び:スローガンは未来ではなく、現在を映す

EUの高邁なスローガンや長期目標は、未来の設計図というより、現在の制約を映したものです。達成できるかどうかより、なぜ今その形で掲げられたのかを読む必要があります。そこには、解決できなかった課題と、分裂を避けたいという意思が埋め込まれています。

国際政治において、長期目標はしばしば解決策ではありません。対立を管理し、時間を稼ぐための合意です。EUの動きは、そのことを最も分かりやすく示しています。

(了)

核保有発言をめぐる混乱をどう読むか

――「検討に値しない」という印象は、どこから来たのか

日本の核保有をめぐる発言に、中国や北朝鮮が強く反発しています。
国内でも、議論は一気に「是か非か」に引きずられているようです。

その中で、元首相の 石破茂 氏は、次のように述べています。

日本が核を持てばNPTやIAEAから出て行かないといけなくなる。
そうなれば、日本のエネルギーを支えている原子力政策が成り立たなくなる。
核抑止の意味は否定しないが、日本にとって決してプラスにならない。

一見すると、現実的で慎重な意見に見えますが、私はここには重要な論点の省略があるように思います。

1「核を持てばNPT・IAEAから出る」は法的必然か

まず事実関係を整理します。

核拡散防止条約 は、核保有国と非核保有国の双方が加盟する条約です。核兵器国とは1967年1月1日以前に核実験を行った国、すなわち米・露・英・仏・中です。

非核兵器国それ以外です。条文上、「途中で核を持った国は自動的に脱退しなければならない」という規定はありません。つまり、日本が核を持つ、自動的にNPT脱退という法的規定は存在しないのです。

同様に、国際原子力機関 も、核保有国・非核保有国の双方が加盟している組織ですが、問題となるのは核保有ではなく査察の受け入れです。IAEAの加盟国にも、核兵器国(米・中・露など)と非核兵器国両方が含まれています。

IAEAは、核を持っているかどうかではなく、どの査察協定を結んでいるかで関係が決まります。日本は現在、非核兵器国用の「包括的保障措置」を受け入れていますが、仮に核を持てば、この枠組みは変更が必要となりますが、IAEAから必ず「脱退」しなければならない、という制度はありません。

以上のように、核を持ったからといって、 NPT・IAEAから自動的に排除されるわけではありません。

また、石破氏の発言は、「国際社会が強く反発し、結果的に脱退せざるを得なくなる可能性」を断定形で語っており、ここに、最初の論理の飛躍があるように思います。

2. 原子力政策は「成り立たなくなる」のか

 石破氏の核心的な懸念は、原子力政策です。確かに、日本は現在、核燃料の国際調達、技術協力、国際的な信頼を、NPT・IAEA体制の中で成り立たせています。
この点は、否定できない事実です。

 しかし、問題は、どの国がどの分野、どの程度協力を停止するのか、石破氏の発言では具体像は示されていません。

「成り立たなくなる」という表現は、最悪ケースを前提にした政治的断言であって、実際の見通しを分析したものではでないと言えます。

3. 石破論理で数えられていないコスト

 一方で、石破氏の議論には、意図的に触れられていない要素があります。それは、
核を持たないことで日本が背負っている安全保障上のリスクです。

  • 核恫喝に対する非対称性
  • 抑止を同盟国の意思に依存する構造
  • 相手の計算に入りにくい脆弱性

石破氏自身、「核抑止の意味は否定しない」と述べています。ならば本来は、NPT・IAEAに残ることで得ている利益核抑止を持たないことで負っているリスク、この両方を並べて比較しなければならないのですが、報道を見る限り、実際には、「失うもの」だけが強調され、「持たないことの代償」は数えられていません。

4.問題は賛否ではなく、議論の潰し方

ここで、核を持つかどうかは、国会、国民的合意、国際調整を伴う、極めて重い政治判断です。当然に軽々に決められる話ではありません。

しかし、だからこそ、元首相がマスメディアで容易に使かっていただきたくない

話法があります。それは、「検討すれば制度が全部壊れる」「だから議論する意味がない」という語り方です。

これは前提や結論を先に置き、検討そのものを危険視させる話法です。結果として、核保有は、考えること自体が無責任という印象が作られます。

これは政策論ではなく、マスメディアに都合よく動かされ、元総理、現政権と距離のある政治家を利用した印象操作とも言うべきでしょう。

5. 本来あるべき問い

本来、石破氏の発言を受けて提示されるべき問いは以下のようなものでしょう。

  • NPT・IAEAに加盟し続けることで、日本は何を得ているのか。
  • 核保有を持つメリット、デメリットはいかなるものか
  • 核保有を持たないことのメリット、デメリットはいかなるものか
  • 両者を比較したとき、日本にとってどちらが重いのか
  • 核抑止にかわる安全保障政策や外交はどのように日本の繁栄や防衛に貢献するのか

この問いに答えず、「プラスにならない」と断じる発言は、議論を終わらせる行為です。

石破氏の発言が問題点は、法制度と政治的可能性を混同し、最悪ケースを前提に断定し、比較を示さず結論だけが語られたという論理の省略にあります。

核保有を選ぶかどうかは、別の問題です。だが、検討に値しない悪手だと印象づける語り方は、元首相の言葉として、印象操作が過ぎると重います。

6.核兵器保有発言への反論

高市政権の側近が「核保有は現実的ではないが、核を保有することに賛成」の旨発言して、オフレコでもあるのにかからずマスメディアが報道し、国内のリベラル派や中国、北朝鮮の反発を招いています。逆に多くの国民が核保有を議論するきっかけとなり、SNSなどでは核保有を支持する意見も増えているように見受けられます。

核兵器保有発言には必ずといってよいほどよく用いられる反論があります。

「日本は唯一の被爆国だ」

「平和国家の地位を捨てるべきではない」

「核を持てば国際原子力機関(IAEA)から脱退する悪手になる」

ここで、次のことを問う必要があります。それらは、「日本の安全をどこまで守ってきたのか。」という問いです。さらに深堀するためには次の問いも必要です。

「被爆国という立場は、核軍縮を進めただろうか。」

「平和国家という自己規定は、中国や北朝鮮の軍拡を止めただろうか。」

「IAEA体制は、核恫喝を受けたとき日本を守るだろうか。」

被爆国家、平和国家には象徴的な価値はありますが、抑止力として機能しているかは別問題なのです。

核保有国は他国の核保有を嫌います。自分たちだけが持つ「優位」が崩れるからです。だからこそ、中国と北朝鮮の過剰反応は、この兵器の政治的効用を証明しています。

つまり、核を保有を議論するだけでも相手に考えさせる力を持ちます。

核を持たないことで得ている利益、核を持たないことで負っているリスク、この二つを、国民が同じ土俵で検討したことはありません。

高市政権の側近による核保有発言をきっかに一度しっかり論議すべきではないでしょうか。

議論を始める前に、議論を終わらせてはいけないのではなかいと思います。