EUはなぜスローガンを掲げ、期限を置くのか

–〝2035年規制〟とロシア産エネルギーに見る「合意維持」の政治–

起点(12月15日):EU、2035年のガソリン車全面禁止に事実上の修正

12月15日、欧州連合(EU)が掲げてきた「2035年にエンジン車の新車販売を原則禁止する」という方針について、欧州委員会が事実上の見直しに入ったと報じられました。自動車大国ドイツが、ガソリン車やハイブリッド車を一律に排除する決め方に強く反対し、禁止を支持するスペインなどと対立したためです。
当初の方針は、2035年以降は二酸化炭素(CO₂)を排出しない車しか新車として販売できないとするもので、事実上、ガソリン車を全面的に市場から排除する内容でした。今回の動きは、その「全面禁止」という決め方を、そのまま維持できなくなったことを示しています。

前提崩壊:EVシフトを支えていた条件が失われた

この規制は2021年に提案されました。温室効果ガスの排出削減に加え、欧州メーカーの電気自動車(EV)への移行を後押しする狙いがありました。当時は各国が購入補助金を出し、EV市場は拡大局面にありました。EUは、規制を先行させれば産業も追随すると判断しました。

しかし、その前提はこの数年で崩れました。ドイツなど主要国は財政負担を理由に補助金を打ち切り、EV販売は失速しました。充電インフラの整備は国ごとにばらつきがあり、消費者の不安は解消されていません。加えて、中国メーカーが低価格のEVを大量に投入し、欧州メーカーは価格と収益の両面で圧迫されています。

EVの普及が想定通りに進まない中で、エンジン車やハイブリッド車の販売を期限付きで禁止すれば、欧州の自動車産業は市場と雇用を同時に失うことになります。規制の見直し論が出てきた背景には、EVシフトを支えるはずだった市場環境が、すでに成立していないという現実があります。

ドイツの後退:中核国が掲げた理想を自ら引き下げた

今回の規制見直しを主導したのは、EUの中核国であるドイツでした。ドイツはこれまで、気候変動対策で欧州を先導する立場を取り、2035年のエンジン車禁止という耳障りの良いスローガンを国際社会に向けて掲げてきました。

しかし、そのドイツ自身が、現実の課題を克服できなくなりました。EV市場は想定通りに拡大せず、充電インフラの整備も遅れました。中国メーカーとの競争は激化し、国内の自動車メーカーと関連産業は収益と雇用の両面で圧力を受けています。この状況で、期限だけが固定された全面禁止を維持すれば、産業基盤に深刻な打撃が出ることは避けられませんでした。

それでもドイツは、「誤った政策だった」とは言いませんでした。中核国として掲げてきた方針を正面から撤回すれば、EU全体の信頼性に傷がつくからです。そこで用いられたのが、「期限や手段の固定化は適切でない」という説明でした。実際には、解決できなくなった問題を、将来に送り直す判断だったと言えます。

総論賛成・各論留保(12月3日):期限を置くことで先送りされたロシア産エネルギー問題

12月3日、EUはロシア産エネルギーをめぐり、2027年までに天然ガス輸入を恒久的に停止する方針で大筋合意したと発表しました。ウクライナ侵略を続けるロシアへの圧力に加え、欧州のロシア依存を批判してきたアメリカの要求に応える意味合いがありました。

注目すべきは、「即時停止」ではなく、あえて2年後という期限を置いた点です。ハンガリーなど、ロシア産ガスへの依存度が高い国では、短期間での代替は物理的に不可能です。EUは、そうした国に代替供給を保障する能力を持っていません。

それでもEUは、「ロシア産エネルギーからの脱却」という総論では合意しました。そこで選ばれたのが、期限を条件に付ける合意です。原則への賛成と、実行不能な現実を同時に抱え込むための措置でした。この2年は解決の準備期間というより、対立を表に出さないための緩衝材でした。

なぜEUはスローガンと先送りを繰り返すのか

これらの事例は、EUが最近になって迷走し始めた結果ではありません。EUは国家ではなく、主権国家の集合体です。外交、安全保障、エネルギー、産業政策の多くは加盟国が握り、欧州委員会は実行を命じる権限を持ちません。

加盟国の利害が正面から衝突する問題では、即時に解決策を決めること自体が難しくなります。そこでEUが選んできたのが、スローガンを先に掲げ、期限を将来に置くやり方です。「2035年」「2027年」という数字は、解決策というより、対立を一時的に棚上げするための合意点として機能しています。

 なぜ合意を壊せないのか

EUにとって、合意は単なる政策ではありません。軍隊も徴税権も持たないEUが統治体として存在する根拠は、加盟国が合意したという事実そのものです。政策が失敗することより、合意が崩れたと認めることの方が、EUには大きなコストになります。

一度、合意を撤回すれば、次の合意は作れなくなります。そのためEUは、合意の中身が現実に合わなくなっても、言葉を直し、期限を延ばし、運用で調整することで、合意が続いている形を保ちます。

分裂を語れないEUと、冷めたアメリカ

EUは、アメリカ、ロシア、中国という大国に囲まれた地理から逃げられません。フランスとドイツにとってEUは理念ではなく、生き残りのための装置です。英国が離脱し、ロシアの脅威が高まる中で、EUは分裂を示唆する選択肢を持ちません。

一方、アメリカはEUを国際秩序形成の主体としては見ていません。軍事はNATO、意思決定は個別国家という整理を取り、EUのスローガンは尊重するが、行動主体としては計算しない。その冷淡さが、EUの言葉と現実の落差を際立たせています。

結び:スローガンは未来ではなく、現在を映す

EUの高邁なスローガンや長期目標は、未来の設計図というより、現在の制約を映したものです。達成できるかどうかより、なぜ今その形で掲げられたのかを読む必要があります。そこには、解決できなかった課題と、分裂を避けたいという意思が埋め込まれています。

国際政治において、長期目標はしばしば解決策ではありません。対立を管理し、時間を稼ぐための合意です。EUの動きは、そのことを最も分かりやすく示しています。

(了)

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