はじめに――
8月6日。広島に原子爆弾が投下されたこの日、私たちは単に被害の記憶をたどるだけでなく、「なぜそれが起こったのか」「どうすれば回避できたのか」と、自らに問い直す必要があります。原爆は本当に戦争を終わらせるための手段だったのか。それとも、アメリカの冷戦戦略の一環だったのか。一面的な説明では語りきれない問題です。
しかし、確かなのは――日本にも、そのはるか前段階で、いくつもの「意思決定の岐路」が存在していたという事実です。情報はあった。警告もあった。それでも日本は、破滅的な戦争へと突き進みました。インテリジェンスの敗北だったのか? いや、正確には「情報をもとにした合理的な判断が働かなかった」というべきでしょう。
◆ 情報はあった。それでも誤った。
日本は戦前、アメリカの国力や軍事力をまったく知らなかったわけではありません。総力戦研究所では、対米戦争をシミュレーションした結果、すでに「日本は敗北する」という結論が導かれていました。山本五十六も「半年や一年は暴れてみせるが、あとの保証はできない」と語っています。
つまり、情報は存在していたのです。問題は、それを直視し、受け入れるだけの政治的意思と冷静な国家戦略がなかったことでした。陸軍と海軍、外務省と軍部、政府内の主戦派と穏健派――組織は分裂し、情報は縦割り構造の中で共有されず、都合の悪い情報は「希望的観測」によって排除されていきました。
さらに、開戦を後押ししたのは、国民世論とメディアによる「大東亜戦争」への高揚感です。情報はあっても、それが戦略や意思決定に反映されなかった。これこそが、日本がたどった「インテリジェンスの限界」であり、その結果としての「意思決定の敗北」なのです。
◆ 戦略は、国力の外には出られない
国家の戦略は、本来、「国力の範囲内」で構築されるべきです。しかし日本は、しばしばそのバランスを誤りました。日清・日露戦争の勝利は、日本に「列強の仲間入り」という幻想を与え、「国力を超えた戦略」が常態化していきました。
昭和期の軍部は、国際的孤立や資源不足という現実を直視せず、拡張的な対中戦線、さらには無謀な対米戦争に踏み出します。「一撃講和」といった非現実的な仮説を前提に、都合の良い情報だけを選び取って政策判断を下していく――そんな構図が確かに存在しました。
つまり、戦略が国力を無視し、情報はその戦略を補強する“装飾品”として扱われたのです。どれだけ高度なインテリジェンスがあっても、それを活かす戦略が国力に即していなければ無意味です。そして戦略が誤れば、インテリジェンスは無視され、あるいは歪められて利用される。その連鎖が、日本を破局へと導きました。
◆ 現代日本もまた、同じ構造を抱えている
現代の日本もまた、戦前と同様の構造的ジレンマを抱えています。国家安全保障戦略には、「日米同盟を基軸とする」方針が明記されており、外交・防衛・経済安全保障を網羅する戦略文書が存在します。
しかし、問うべきは「その戦略は日本の主体的な意思に基づいて構築されているのか?」という点です。安全保障はアメリカに、経済は中国に依存するという構造のなかで、日本が「どこを目指すのか」を明確に描けているとは言いがたいのが現実です。国民の間にも、「戦略的な選択」への理解や関心が深まっているとは言えません。
結果、日本の戦略は「同盟に従属した政策実行」にとどまり、主権的意思の表出としての戦略とは乖離しています。戦略が文書にあることと、戦略的国家であることは同義ではありません。現代日本は、「戦略を持っているようで、選べていない」国家なのです。
インテリジェンス機能が整っても、それを活かす政治的意思が欠けていれば機能しません。情報があっても、それを活かす「土壌」がなければ意味がない――これは戦前からの教訓ですが、私たちは今もそれを活かしきれていません。意思なき国家には、真の戦略はなく、そのような国家はやがて他国の戦略に巻き込まれ、「選ばされる国家」となります。日本は今、まさにその分岐点に立っています。
◆ 小国イスラエルに見る、国家の胆力
たとえばイスラエル。人口も経済規模も小さく、周囲を敵対的国家に囲まれた小国です。しかし、彼らには「生き残る」という国家意思が明確に存在し、それを支える胆力があります。だからこそ、イスラエルの戦略はシンプルかつ強靭です――「我々の生存を脅かすものは、どのような評価を受けようとも叩き潰す」。
モサドに代表されるインテリジェンス機関は、戦略を補完する手段として高度に統合されており、「情報」と「判断」は乖離していません。たとえば、イランの核開発問題では、イスラエルはアメリカに空爆を促す一方、「やらないなら我々がやる」と明確に伝え、実際に行動を示しました。それによって、アメリカの対応を“戦略的に”誘導したのです。
ここには、たとえ国力が限られていても、国家としての明確な戦略と覚悟があれば、外交も安全保障も主体的に展開できるというリアルがあります。日本と比較して見えてくるのは、「国力の大小」ではなく、「国家意思の強度」こそが国家の運命を決める、という厳然たる事実です。
◆ 今、我々に必要とされる覚悟
私はインテリジェンスを専門に研究しています。だからこそ、「どのような情報を得るか」「どれだけ正確に未来を読むか」に関心を持ち続けてきました。しかし、より根本的に大切なのは、「私たちがどのような未来を選ぶ覚悟を持っているか」という問いです。
インテリジェンス、意思、戦略、国力――この四つの要素の中で、最も見落とされがちなのが「国家意思」という、目には見えない力です。戦後の日本は、平和と繁栄の中で、この意思を少しずつ失ってきたのかもしれません。
