我が近況(3月30日配信)

伊豆長岡での取材旅行を終えて

私は、3月16日から20日までの5日間、伊豆長岡と修善寺に取材旅行に行きました。

私は、源頼朝の流刑地である蛭ヶ島、北条館跡(江間)、北条時政が建立した願成就院、修善寺、頼朝の子である頼家の墓、頼朝の弟範頼の墓、江川邸、韮山反射炉、三嶋大社を見学しました。

私は現地で、源頼朝の猜疑心、頼朝と八重姫や北条政子との関係、そして北条義時の情報の使い方について考えました。

頼朝は、挙兵して権力を奪う段階では情報を集め、それを判断に使いました。ところが、頼朝が政権を握ると、周囲への不信が強まりました。その結果、頼朝は自分に不利と見た者を処断し、必要な情報も入らなくなりました。頼朝は弟の源範頼や源義経を失いました。

頼朝の死後、子の源頼家は妻の一族である比企氏を重く用いました。これに対し、北条時政、政子、義時は頼家を伊豆に移し、修善寺で監視下に置きました。頼家はその地で命を落としました。

政子は、将軍である息子よりも北条家の存続を選びました。私はこの経緯を現地で確認しながら、権力を握る者が情報をどう扱うかという問題を改めて考えました。

権力と情報の関係は、私の研究の中心にあります。今回の取材では、その関係を具体的な事例として捉えることができました。

東京駅と新幹線で思ったこと

私は普段、新幹線をほとんど使いません。地方へ行くときは、大阪であっても飛行機を使います。費用と移動の負担を考えると、その方が合理的です。

今回、私は麹町の会社を訪問した後、東京駅へ移動しました。三島方面の新幹線まで時間があったため、私は八重洲ブックセンターに向かいました。しかし、その大型書店はすでに閉店していました。

私はこの変化を見て、本が情報収集の中心であった時代は薄れつつあることを実感しました。

また、東京駅には多くの外国人旅行者がいました。一方、出発前の喫煙スペースには日本人の利用者が集中していました。男性が多く、女性は少数でした。外国人の姿はほとんど見かけませんでした。

私はこの光景から、生活習慣の違いが行動として表れていることを感じました。

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