インテリジェンス思考術(第3回)

インテリジェンスの使用者と生産者

■犯罪捜査とインテリジェンス――共通点と決定的な違い

犯罪捜査とインテリジェンスには共通点があります。どちらも情報を集め、分析し、判断し、行動の根拠をつくる活動です。どちらも「不確実な状況の中で、判断を誤らないようにする」ことを目的にしています。

しかし、その判断が向かう時間の方向が異なります。犯罪捜査は過去を対象にします。目的は「誰が何をしたか」という事実の確定です。警察官は事件現場で「証拠」を集め、捜査員は容疑者の動機を探り、最終的に裁判で立証できる形に整えます。そこでは何よりも正確性が求められます。誤った判断は冤罪につながるため、推測や仮説は許されません。監視カメラの映像、指紋、通信記録といった一つの確実な証拠があれば、事件は解決に向かいます。犯罪捜査とは、確実な情報過去を確定させる営みです。

これに対し、インテリジェンスは未来を対象にします。問いは「これから何が起こるか」「どう備えるか」です。未来には証拠がありません。たとえ正確な一つの情報があっても、それだけで結論は出せません。未来を示唆する兆候という複数の情報を組み合わせ(統合)、意味を見出し(解釈)ながら、まだ形になっていない事態を推測していく必要があります。

ここで重視されるのは、情報の正確性よりも適宜性――すなわち「その情報が判断のタイミングに間に合うかどうか」です。

伝説の情報将校ワシントン・プットが指摘したように、インテリジェンスには「有用性・正確性・適宜性」という三つの要件があります。このうち最も重いのは有用性です。いかに正確でも、意思決定に使えなければ意味がありません。そして、正確性よりも適宜性が重い。少し誤りがあっても、適切な時期に提供されれば、被害や損失を防ぐ行動につながるからです。

未来に間に合わない正確な情報よりも、今すぐ使える判断材料のほうが価値を持つ――これがインテリジェンスの世界の原理です。

こうして見ると、両者は似て非なる営みです。犯罪捜査は過去の真実を確定する作業であり、インテリジェンスは未来の判断を導く営み。どちらも情報を扱うが、目指す方向がまったく違うのです。

■インテリジェンスの使用者と生産者 ― “問い”を共有する関係

インテリジェンスは、人がつくる知識です。
そして、それを「使う人」と「つくる人」の関係が、その質を決めます。

情報を集め、分析し、知識を生み出す側が生産者(producer)。それを受け取り、意思決定や行動に反映させる側が使用者(consumer)です。
生産者の立場からは、使用者をカスタマー(お客)と呼ぶこともあります。

国家でいえば、分析官や情報将校が生産者であり、政策決定者や軍の指揮官が使用者です。同じ構造はビジネスの世界にも見られます。企業でいえば、データアナリストや情報担当者が生産者で、経営者や事業責任者が使用者です。
重要なのは、両者がどれだけ“問い”を共有できているかです。

距離の取り方が左右するインテリジェンスの質

国家の情報機関では、情報を生産する側と、政策判断に使う側の距離の取り方が常に課題となる。距離が近すぎれば忖度や政治化が起こり、遠すぎれば無関心や独断が生まれる。

アメリカでは、情報の中立性を守るため、情報機関が政策決定に直接関与しない原則がある。一方、常に国家存続の脅威に直面するイスラエルでは、情報機関が政策決定者に寄り添い、選択肢まで提示する。そこには、政府と情報機関の間に築かれた高い信頼がある。

ビジネスの世界では、経営と情報部門の距離が曖昧になりやすい。本書に登場する未来エレクトロニクスでも、インテリジェンスや危機管理の部署が経営の補助機構に組み込まれ、危機を指摘する力を失っていた。独自性を失った情報部門は、経営の確認要員となり、リスクを示す報告を自ら封じてしまう。

経営が「前進」を志向するなら、情報部門は「立ち止まる理由」を探さなければならない。この緊張関係こそが、企業の意思決定を多層化し、思考を硬直から救う。

経営に近づきすぎた情報部門は、やがて報告の代筆者となり、最も重要な瞬間に沈黙する。だからこそ、経営と情報の間には一定の距離が必要であり、場合によっては、外部の専門家を交えた構成が望ましい。

経営が事業の推進を見るとき、情報部門は環境の変化を見る。この視点の違いが保たれていれば、企業は過信を防ぎ、危機の兆候を早く掴ことができる。

距離を保つことは対立ではない。それは、異なる角度から同じ現実を見つめ、判断の幅を広げる営みである。国家の情報機関では、生産者と使用者の距離をどう保つかが常に課題です。
生産者が使用者の意向に沿って情報を歪めれば、インテリジェンスの客観性や中立性は失われます。このような状態を「インテリジェンスの政治化」と呼び、アメリカでは生産者が政策に直接関与しないという原則が確立しています。

距離が近すぎれば「忖度」や「政治化」が起き、遠すぎれば「無関心」や「独断」が生まれます。イスラエルのように、情報機関が政策決定者に寄り添い、必要に応じて選択肢まで提示する国もあります。しかし、それが成り立つのは、情報機関に対する高い信頼があってこそです。

ビジネスの世界では、情報部門と経営部門がより密接に連携するのが一般的ですが、それでも「適切な距離感」を組織文化として築くことが欠かせません。経営者は、自分の判断に必要な問いを明確にし、分析担当者は、その問いを共有たうえで現場の情報を解釈する。
つまり、インテリジェンスとは“問いから始まる共同作業”なのです。

問いを共有することの意味

多くの企業では、分析担当者がデータを集め、報告書を提出しても、経営者が「その結果をどう使うか」を明示しないまま終わることがあります。
逆に、経営側が「売上の低下原因を調べろ」とだけ指示し、「何を知りたいのか」「どんな判断に使うのか」を伝えない場合もある。これでは、報告書は“正しくても使えない”分析になってしまいます。

ある製造業では、この問題を解消するために、経営会議の前に「情報会議」を設けました。経営陣が今週の意思決定テーマを提示し、アナリストや現場担当者が関連情報を分析して共有するのです。
この仕組みを導入してから、報告書は単なる数字の羅列ではなく、「なぜ今この市場を見るのか」「次に何をすべきか」を示すものへと変わりました。

このように、生産者と使用者が同じ“問い”のもとで動き始めたとき、インテリジェンスは初めて生きた知識になります。

良いインテリジェンスは、「頭の良い分析官」からではなく、「良い問いを共有する関係」から生まれます。使用者と生産者が互いの領域を理解し、距離を保ちながらも歩調を合わせる――そこに、国家でも企業でも変わらぬインテリジェンスの核心があります。

インテリジェンスとは文化である

インテリジェンスは、情報処理の技術ではありません。それは「問いを立て、意味を見出し、行動を導く」文化です。

国家の安全保障でも、企業経営でも、最終的にインテリジェンスを動かすのはシステムではなく人です。生産者と使用者が互いに問いを共有し、時間の感覚を合わせ、未来の判断を支える知をともにつくる。

そこに、インテリジェンスという知的営みの本当の価値があります。

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