社会は「集団的認知症」にかかっていないか — 認知戦の実相と危機(2025年10月8日作成)

はじめに

10月5日の産経新聞に、私の書評が掲載されました。イタイ・ヨナト著、奥山真司訳『認知戦』で、タイトルは「日本の弱点 監視忌避」です。昨年、産経新聞の文芸担当編集委員の方から『日米史料による特攻作戦全史』(並木書房)の書評を依頼されて以来、折にふれて執筆の機会をいただいてきました。タイトルは9字、本文は約800字という厳格な制約の中で、他者の著書を的確に表現しつつ、自らのオリジナリティをにじませる。そのために、一文字を削るか残すかを編集者と何度もやり取りし、言葉を研ぎ澄ませてきました。

このたび、その編集委員の方が10月1日付で某所の総局長にご栄転されることになり、この仕事が最後になったのではないかと思います。これまで著作やブログを続けてきましたが、限られた文字数に熱量を込める営みを通して、編集者の方に教えられ、導かれたことは大きな財産です。還暦を過ぎてなお、このような学びの機会を得られたことに感謝したいと思います。

■認知戦と認知症

近年「認知戦」という言葉を頻繁に耳にするようになりましたが、その定義は定まっていません。一般的には、偽情報を流布して対象の誤認を誘い、社会を混乱させたり政策を変えさせたりする行為を指します。しかし重要なのは、この「行為」そのものよりも、最終的に社会にどのような病理を残すのか、それにどう対応するという視点です。

ここで「認知症」を例に認知戦について考えてみたいと思います。認知症は、人間の脳の情報処理機能が損なわれ、記憶や判断、見当識が破壊される病態です。本人は自覚を失い、誤った行動を取り続けることで、周囲に大きな混乱をもたらします。

認知戦は、これを社会に置き換えた現象です。外部からの能動的な介入によって、国家や社会という「集合的な脳」が誤作動を起こす――言わば「社会的認知症」です。

認知症は本来、内部の原因によって引き起こされますが、外部からの環境や対応の仕方によって症状が悪化することがあります。同じように認知戦も、社会が適切に対応できなければ、症状は急速に進み、回復が困難になります。だからこそ、早期に正しい「処方箋」を施すことが不可欠なのです。

■認知戦がもたらす「社会的認知症の症状」

認知症の臨床症状に沿って考えれば、認知戦の影響は次のように整理できます。

◆記憶障害

歴史や事実が改ざんされ、国民が過去を正しく参照できなくなる。歴史観がゆがめられれば、国家のアイデンティティそのものが損なわれる。

◆見当識の喪失

 認知症患者が時間・場所・人物を見失うように、社会も「私たちは何者で、どこに立っているのか」という基盤を失う。誤った歴史観やデマによって、日本人の価値観や美徳が曖昧になり、国民の自己像が揺らいでいく。

◆判断力の低下

 認知症患者が複雑な判断を誤るように、社会もまた冷静な意思決定ができなくなる。恐怖や怒りといった感情があおられ、社会は「考えて決める」より「感情で動く」状態に陥り、誤った政策や行動を選んでしまう。

◆合意形成の不能

 認知症が進行すれば家族との意思疎通が困難になるように、社会もまた信頼の基盤を失う。互いに「共通の現実」を認識できず、合意形成が不可能となれば、政治や統治機構は機能不全に陥る。

このように見れば、認知戦とは社会に「集団的認知症」を引き起こし、やがては社会システムそのものを崩壊に導くプロセスであると理解できます。

■認知戦への「治療」

認知症の医学的対応が「早期発見・診断・リハビリ」であるように、認知戦への社会的対応も同じ発想が求められます。

◆早期発見:偽情報や影響工作を早期に察知し、拡散を未然に防ぐ監視体制。

◆診断:社会にどの程度の「認知障害」が生じているかを客観的に測定し、分析する仕組み。

◆リハビリ:歴史教育や情報リテラシー教育を通じて、市民社会の「認知能力」を回復・強化する取り組み。

加えて、AIや大規模言語モデルが偽情報の増幅に利用される現状を踏まえれば、技術的側面でも透明性と説明責任をもつ制度設計が不可欠です。

■日本の弱点と意識改革

認知症も早期発見が重要であるように、認知戦においても症状を見逃せば手遅れとなります。ただし問題は、この「症状を見つけ出すための監視体制」を日本社会が忌避していることです。日本では、戦前の国家統制や言論弾圧の記憶がトラウマとなり、国民監視や規制に強い抵抗感があります。そのため、日本は外国勢力の認知戦に対して脆弱なまま放置されやすいのです。

しかし、もはや「監視は悪」という一面的な発想では済まされません。自由とプライバシーを守りつつ、国家と社会を防衛するための監視・診断・防御の仕組みをどう設計するか――今こそ意識改革の時期に来ているのです。

■最後に

イタイ・ヨナトの『認知戦』は、日本が直面するこの現実を告発する警鐘の書です。著者はイスラエル情報機関モサドの出身であり、現在はサイバーセキュリティ企業を率いる実務家です。記述にはビジネス色や誇張も見えますが、経験に裏打ちされた議論は迫真性を帯び、日本社会にとって重要な示唆を与えています。

私たちはいま、戦前の記憶に縛られて監視を忌避し続けるのか、それとも新たな社会的免疫を育むのか――歴史的な岐路に立っています。認知戦を「社会的認知症」と見なし、その発見・診断・治療に取り組むことこそ、未来を守る最初の一歩なのです。

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