――各国の反応、日本の立場、そして国際秩序の現在地
前号に引き続いてベネズエラ問題を扱います。2026年1月、米国はベネズエラに対し軍事行動を実施し、現職のマドゥロ大統領夫妻を拘束し国外へ移送しました。米国が正規の軍事力を用い、他国の現職元首を直接拘束したという事実は、国際社会に強い印象を与えました。
本稿では、この軍事行動に対する各国と日本の反応を整理した上で、中国の台湾問題との関係、国際法や国連の権威、そして現在の国際秩序をどう捉えるべきかを検討します。
▼各国の反応は想定内、日本には残る「扱いづらさ」
中国は、国家元首の拘束と国外移送を主権侵害として批判し、米国が国内法を国際法より優越させたと非難しました。ロシアも同様に、国連憲章違反であるとの立場を示しています。これらの反応自体は、予想の範囲に収まるものです。
一方、日本政府の対応は慎重でした。強い支持も明確な批判も避け、事実関係への言及と情勢の注視にとどめています。ここで浮かび上がるのは、日本特有の難しさです。日本は近年、「法の支配」や「力による一方的な現状変更を認めない」という言葉を外交の柱として用いてきました。その日本が、同盟国である米国の今回の行動に沈黙すれば、今後対中発信を行う際に、その言葉が相手から反問される余地が生まれます。
中国やロシアの反応以上に、日本にとって重いのは、この「言葉の扱いにくさ」なのかもしれません。
▼「台湾の敷居」は上がりも下がりもしない
今回の米国の行動が、中国による台湾への軍事行使の敷居を下げたのではないか、という見方があります。しかし、この因果関係には慎重であるべきです。
中国は以前から台湾を「国内問題」と位置づけており、政治的正当性は自国内で完結しています。米国が国際法を逸脱したと批判されようと、それが中国の意思決定を左右するとは考えにくいのが実情です。米国が強権を発動したから、中国も発動しやすくなる、という単純な連鎖は成り立ちません。
また、国連や国際法が軍事行使を有効的に抑止してきたかといえば、現実はそうではありません。西側諸国も中国・ロシアも、国際法を牽制の言葉として用いつつ、最終的な行動は自国の利害と計算に基づいて決めてきました。この構図は冷戦期から大きく変わっていません。
ロシアのウクライナ侵攻を許したから、中国の台湾侵攻が起きる、という議論も同様です。国際秩序は、いまも昔も力による現状変更の積み重ねの上に成り立ってきました。各国は他国の行動を参照しますが、それによって自国の軍事行使が自動的に決まるわけではありません。
今回のベネズエラ軍事行動を、中国の台湾行動と直線的に結びつける見方は、出来事を単線で説明しようとする誤った因果関係バイアスだと言えます。
▼国連と国際法の権威は失われたのか
今回の事例は、国連や国際法の権威が完全に失われたことを示すのでしょうか。そう断じるのも正確ではありません。国連憲章や国際法は、各国の行動を完全に止める装置ではなく、政治的正当性を主張し、相手を牽制するための共通言語として機能してきました。
現実には、中国もロシアも、そして米国も、必要と判断すれば国連や国際法を超えて行動します。その一方で、国連や国際法を無視しきれる国は存在せず、各国は常に「どこまでなら許容されるか」を計算しています。権威が消滅したというより、抑止力としての限界が改めて露呈したと見る方が妥当でしょう。
▼日本が直面する現実
今回の米国の行動が国際秩序全体を大きく変えたとは言えません。しかし、日本にとっては別の意味を持ちます。日本はこれまで、国連主義と「力による一方的な現状変更を認めない」という言葉を外交の軸に据えてきました。その言葉を使い続ける以上、同盟国の行動に対しても一定の説明責任を伴います。
同時に、日本が中国を想定してこれらの言葉を使い続けることは、以前より難しくなるでしょう。綺麗な理念だけでは立ち行かない現実が、改めて突きつけられています。
▼因果関係に囚われないために
今回のベネズエラ軍事行動は、中国の台湾行動を直接左右するものではありません。しかし、国際秩序が理念だけで動いていないことを、あらためて可視化しました。
分析において重要なのは、象徴的な出来事同士を安易につなぐことではなく、各国がどの前提と利害で動いているのかを冷静に見極めることです。
国際政治を読み誤らないために必要なのは、出来事を因果で単純化しない視点――因果関係バイアスに囚われないことです。
それこそが、いま日本に求められている分析姿勢ではないでしょうか。(了)
