インテリジェンス思考術(第4回)

ビジネスとインテリジェンス――意思決定を支える“未来の問い”守りのインテリジェンス

ビジネス・インテリジェンスと競合インテリジェンス

インテリジェンスとは、もともと国家が政策や作戦を誤らせないための知的活動でした。この考え方が民間に応用され、ビジネス・インテリジェンス(Business Intelligence:BI)と競合インテリジェンス(Competitive Intelligence:CI)という二つの概念が生まれました。

●ビジネス・インテリジェンス(BI)

ビジネス・インテリジェンスとは、「企業内部のデータを分析し、経営判断を支える知識をつくる活動」です。

売上、顧客、在庫、生産効率など、自社が日々生み出すデータを整理し、経営判断につなげます。目的は、自社の現状を正確に把握し、次の一手を可視化することにあります。

●競合インテリジェンス(CI)

一方、競合インテリジェンスとは、「企業の外で起きている変化を分析し、次に何が起こるかを読む活動」です。

対象は競合企業にとどまりません。業界の技術動向、原材料の供給、政策や規制の変化、顧客ニーズの移り変わり――こうした外部環境を読み取り、市場全体の地図を描くのがCIの役割です。

たとえば、他社の特許出願や人事異動、政府の補助金政策など、ばらばらの情報をつなぎ合わせることで、「どんな新製品が出るのか」「どの分野が次に伸びるのか」が見えてきます。これは、軍事インテリジェンスと同じ構造を持ち、「未来の行動を読む」作業です。

言い換えれば、BIは“内を読む”知であり、CIは“外を読む”知です。

BIが自社の健康診断であるなら、CIは外の天気図を読む作業です。どちらか一方では経営は成り立たず、両者を組み合わせて初めて、意思決定に深みが生まれます。

■米国と日本のインテリジェンス事情

米国では、CIの研究と実践が早くから活発に進みました。

1986年には、競合インテリジェンス分野の専門家が集う国際組織 SCIP(Strategic and Competitive Intelligence Professionals) が設立され、現在も世界的な協会として活動を続けています。

さらに1999年には、競合インテリジェンス・アカデミー(Academy of Competitive Intelligence:ACI) が発足し、CIの収集・分析・活用に関する体系的な教育プログラムを提供しています。ビジネスパーソンがACIで訓練を受け、実務に直結するスキルを磨いています。

日本でも、2008年に日本コンペティティブ・インテリジェンス学会(JCIA)が設立され、SCIPなど海外機関との連携を掲げました。しかし、活動は限定的で、CIやBIという概念がビジネス現場に十分浸透しているとは言いがたい状況です。

その背景には、「インテリジェンス」という言葉自体が、国家安全保障の文脈以外ではまだ正確に理解されていないという事情があります。

■地政学リスクと企業インテリジェンス

近年、企業が直面する最大の不確実性は地政学リスクです。

ロシア・ウクライナ戦争や米中対立は、サプライチェーン、資源、金融に直接影響を与えています。もはや地政学リスクを把握することは、国家の専属領域ではなく、企業経営の前提条件となりました。

ここで重要になるのが経済安全保障です。

経済安全保障とは、国家が自国の経済活動を外部の圧力や依存から守るための仕組みを指します。日本では2010年代後半から注目され、2022年に「経済安全保障推進法」が施行されました。表向きは国家主導の制度のように見えますが、その背景には米国の対中戦略があります。

米国は、中国の技術的台頭を抑えるため、同盟国に対してサプライチェーンの再構築と技術規制の強化を求めました。半導体やAIなどの先端分野で、中国への依存を断ち、技術優位を維持することが目的です。日本の経済安全保障政策も、この米国の圧力と協調の中で形成されました。つまり、日本における経済安全保障とは、米国主導の「対中デカップリング政策」の延長線上にあります。

同時に、中国はこれに対抗してエコノミック・ステートクラフト(経済的国家戦略)を強めています。

希少資源の輸出制限、技術標準の主導権、海外インフラ投資などを通じ、経済力を政治的影響力に変えようとしています。こうした経済的圧力は、国家間の問題にとどまらず、企業の経営環境にも直接影響を及ぼします。

経済安全保障の観点からも、官民が連携し、情報やリソースを共有することが不可欠です。しかし、国家が提供する情報だけでは、企業固有のリスクを十分に把握できません。企業は、自社の事業構造に合わせた独自の地政学分析体制を整える必要があります。

企業におけるインテリジェンス部門の役割

国家情報組織の役割を私なりに敷衍すると、企業のインテリジェンス部門にの役割りは次の四つになります。

・戦略的奇襲の回避

 競合や市場での不意打ち的な変化を予測し、備える。経営の「意表を突かれない」体制をつくる。

・専門知の長期的提供

 業界、技術、地政学に関する知見を継続的に蓄積し、経営判断を支援する。短期のデータ分析にとどまらず、長期の構造変化を見通す知を持つ。

・戦略策定の支援

 地政学リスクや市場動向を踏まえて、経営陣の意思決定を助ける。判断の根拠となる情報を整理し、選択肢を明確に示す。

・情報保全と防諜

 企業機密や技術情報を守り、サイバー攻撃や内部不正を未然に防ぐ。情報の安全が経営の基盤となる。

地政学リスクに備えるには、情報部門を「データや情報を整理する部署」から、「経営判断を支える分析部門」へと再定義する必要があります。

経営層が地政学的な視点を理解し、インテリジェンスを経営文化の一部として位置づけること。それが、企業が変化の時代を生き抜くための最も確かな力となります。

日本企業に求められるインテリジェンスの視点

日本企業の多くは、データ分析を経営に生かす段階にはありますが、地政学リスクを扱うインテリジェンス部門はまだ十分に整っていません。これまで、地政学や安全保障の知識は国家や学術の領域に属し、企業の経営課題として意識されてこなかったためです。

しかし、世界の政治構造や技術競争が急速に変化する中で、一つの地域紛争や金融危機が瞬時に企業経営へ波及します。サプライチェーン、資源、通商、金融――すべてが国際情勢と結びつき、地政学的な変動が事業の継続に直結する時代になりました。

したがって、企業は今後、少数でも地政学と国際動向に通じた専門人材を配置し、情報を判断に変える仕組みをつくる必要があります。情報過多の時代にこそ、真に意味のある情報を選び取り、経営判断につなげる力が問われています。

インテリジェンス思考術(第3回)

インテリジェンスの使用者と生産者

■犯罪捜査とインテリジェンス――共通点と決定的な違い

犯罪捜査とインテリジェンスには共通点があります。どちらも情報を集め、分析し、判断し、行動の根拠をつくる活動です。どちらも「不確実な状況の中で、判断を誤らないようにする」ことを目的にしています。

しかし、その判断が向かう時間の方向が異なります。犯罪捜査は過去を対象にします。目的は「誰が何をしたか」という事実の確定です。警察官は事件現場で「証拠」を集め、捜査員は容疑者の動機を探り、最終的に裁判で立証できる形に整えます。そこでは何よりも正確性が求められます。誤った判断は冤罪につながるため、推測や仮説は許されません。監視カメラの映像、指紋、通信記録といった一つの確実な証拠があれば、事件は解決に向かいます。犯罪捜査とは、確実な情報過去を確定させる営みです。

これに対し、インテリジェンスは未来を対象にします。問いは「これから何が起こるか」「どう備えるか」です。未来には証拠がありません。たとえ正確な一つの情報があっても、それだけで結論は出せません。未来を示唆する兆候という複数の情報を組み合わせ(統合)、意味を見出し(解釈)ながら、まだ形になっていない事態を推測していく必要があります。

ここで重視されるのは、情報の正確性よりも適宜性――すなわち「その情報が判断のタイミングに間に合うかどうか」です。

伝説の情報将校ワシントン・プットが指摘したように、インテリジェンスには「有用性・正確性・適宜性」という三つの要件があります。このうち最も重いのは有用性です。いかに正確でも、意思決定に使えなければ意味がありません。そして、正確性よりも適宜性が重い。少し誤りがあっても、適切な時期に提供されれば、被害や損失を防ぐ行動につながるからです。

未来に間に合わない正確な情報よりも、今すぐ使える判断材料のほうが価値を持つ――これがインテリジェンスの世界の原理です。

こうして見ると、両者は似て非なる営みです。犯罪捜査は過去の真実を確定する作業であり、インテリジェンスは未来の判断を導く営み。どちらも情報を扱うが、目指す方向がまったく違うのです。

■インテリジェンスの使用者と生産者 ― “問い”を共有する関係

インテリジェンスは、人がつくる知識です。
そして、それを「使う人」と「つくる人」の関係が、その質を決めます。

情報を集め、分析し、知識を生み出す側が生産者(producer)。それを受け取り、意思決定や行動に反映させる側が使用者(consumer)です。
生産者の立場からは、使用者をカスタマー(お客)と呼ぶこともあります。

国家でいえば、分析官や情報将校が生産者であり、政策決定者や軍の指揮官が使用者です。同じ構造はビジネスの世界にも見られます。企業でいえば、データアナリストや情報担当者が生産者で、経営者や事業責任者が使用者です。
重要なのは、両者がどれだけ“問い”を共有できているかです。

距離の取り方が左右するインテリジェンスの質

国家の情報機関では、情報を生産する側と、政策判断に使う側の距離の取り方が常に課題となる。距離が近すぎれば忖度や政治化が起こり、遠すぎれば無関心や独断が生まれる。

アメリカでは、情報の中立性を守るため、情報機関が政策決定に直接関与しない原則がある。一方、常に国家存続の脅威に直面するイスラエルでは、情報機関が政策決定者に寄り添い、選択肢まで提示する。そこには、政府と情報機関の間に築かれた高い信頼がある。

ビジネスの世界では、経営と情報部門の距離が曖昧になりやすい。本書に登場する未来エレクトロニクスでも、インテリジェンスや危機管理の部署が経営の補助機構に組み込まれ、危機を指摘する力を失っていた。独自性を失った情報部門は、経営の確認要員となり、リスクを示す報告を自ら封じてしまう。

経営が「前進」を志向するなら、情報部門は「立ち止まる理由」を探さなければならない。この緊張関係こそが、企業の意思決定を多層化し、思考を硬直から救う。

経営に近づきすぎた情報部門は、やがて報告の代筆者となり、最も重要な瞬間に沈黙する。だからこそ、経営と情報の間には一定の距離が必要であり、場合によっては、外部の専門家を交えた構成が望ましい。

経営が事業の推進を見るとき、情報部門は環境の変化を見る。この視点の違いが保たれていれば、企業は過信を防ぎ、危機の兆候を早く掴ことができる。

距離を保つことは対立ではない。それは、異なる角度から同じ現実を見つめ、判断の幅を広げる営みである。国家の情報機関では、生産者と使用者の距離をどう保つかが常に課題です。
生産者が使用者の意向に沿って情報を歪めれば、インテリジェンスの客観性や中立性は失われます。このような状態を「インテリジェンスの政治化」と呼び、アメリカでは生産者が政策に直接関与しないという原則が確立しています。

距離が近すぎれば「忖度」や「政治化」が起き、遠すぎれば「無関心」や「独断」が生まれます。イスラエルのように、情報機関が政策決定者に寄り添い、必要に応じて選択肢まで提示する国もあります。しかし、それが成り立つのは、情報機関に対する高い信頼があってこそです。

ビジネスの世界では、情報部門と経営部門がより密接に連携するのが一般的ですが、それでも「適切な距離感」を組織文化として築くことが欠かせません。経営者は、自分の判断に必要な問いを明確にし、分析担当者は、その問いを共有たうえで現場の情報を解釈する。
つまり、インテリジェンスとは“問いから始まる共同作業”なのです。

問いを共有することの意味

多くの企業では、分析担当者がデータを集め、報告書を提出しても、経営者が「その結果をどう使うか」を明示しないまま終わることがあります。
逆に、経営側が「売上の低下原因を調べろ」とだけ指示し、「何を知りたいのか」「どんな判断に使うのか」を伝えない場合もある。これでは、報告書は“正しくても使えない”分析になってしまいます。

ある製造業では、この問題を解消するために、経営会議の前に「情報会議」を設けました。経営陣が今週の意思決定テーマを提示し、アナリストや現場担当者が関連情報を分析して共有するのです。
この仕組みを導入してから、報告書は単なる数字の羅列ではなく、「なぜ今この市場を見るのか」「次に何をすべきか」を示すものへと変わりました。

このように、生産者と使用者が同じ“問い”のもとで動き始めたとき、インテリジェンスは初めて生きた知識になります。

良いインテリジェンスは、「頭の良い分析官」からではなく、「良い問いを共有する関係」から生まれます。使用者と生産者が互いの領域を理解し、距離を保ちながらも歩調を合わせる――そこに、国家でも企業でも変わらぬインテリジェンスの核心があります。

インテリジェンスとは文化である

インテリジェンスは、情報処理の技術ではありません。それは「問いを立て、意味を見出し、行動を導く」文化です。

国家の安全保障でも、企業経営でも、最終的にインテリジェンスを動かすのはシステムではなく人です。生産者と使用者が互いに問いを共有し、時間の感覚を合わせ、未来の判断を支える知をともにつくる。

そこに、インテリジェンスという知的営みの本当の価値があります。

『インテリジェンスの思考術』第2号

インテリジェンスには賞味期限がある

2025年10月20日配信

                       

情報はそのまま使えない

知人が、ネットで見た健康法を信じて、毎朝レモン水を飲みはじめました。
「デトックスにいい」と書かれていたからです。
ところが、数日後に胃を痛めてしまいました。
理由は、空腹時に濃いレモン水を飲むと胃酸が強くなりすぎるからでした。
本人は「健康のため」と信じていましたが、正しい情報の使い方を知らなかっただけでした。

世の中の情報には、誤りや誇張、あるいは文脈を欠いた断片が混じっています。
それをそのまま信じて行動すれば、むしろ逆効果になります。
だからこそ、情報は整理し、吟味し、使える形に整えなければならない。
この“使える形に整えたもの”こそが、インテリジェンスなのです。

インテリジェンスには存在目的がある

『Strategic Intelligence Production』(1957年)の著者で、米軍の元情報将校ワシントン・プラットはこう述べています。
「学術報告と対比して情報報告は一つの目的しか持っていない。すなわち現時点における国家の利害に対し“有用”であることなのだ。」

この「有用」とは、使用者の判断や意思決定、行動に役立つことを指します。
学術報告がじっくりと理論や原理を追うものであるのに対し、情報報告、すなわちインテリジェンスの提供は「使う人のいまの判断」などに役立たなければ意味がないのです。

たとえば、あなたがレストランの料理長だとします。
今夜は急に冷え込みそうで、「温かいメニューを増やすべきか」を考えています。そこへスタッフが、「近所のパン屋が新装開店したそうです」と報告してきました。
これは、確かに正確な情報で、いつか役に立つかもしれません。しかし、“いま”の判断には関係がありません。

欲しいのは、「今夜の気温の推移」や「客足の見通し」といった、メニューの決定に使える情報です。いくら正確でも、使用者の判断に資さない情報は“有用”ではない――
プラットの言う「有用性」とは、この意味なのです。

インテリジェンスには使用期限がある

米国防総省の分析官プラットは、インテリジェンスの価値を決める三つの要件として、第一に有用性、第二に適時性、第三に正確性(完全性を含む)を挙げました。そして、こう指摘しています。

「完全さと正確さは、しばしば適時性の犠牲となる。」

この言葉が示す通り、インテリジェンスは常に時間との競争にあります。どれほど正確で完全な内容であっても、使うべき時を逃せば意味を失います。国家の政策決定にも、企業の経営判断にも、そして個人の選択にも“使用期限”があるのです。その期限に間に合わなければ、どんな優れた分析も価値を持ちません。

私が現場で作っていた報告書も同じでした。「もう少し確認を」と迷っているうちに、情勢が変わり、報告が無効になる。完璧を求めるほど、時間を失う。そして、時間を失えば、有用性も同時に消えていきます。

この世に百パーセント正確なインテリジェンスは存在しません。今日の分析が完全でも、明日には古びます。だからこそ、インテリジェンスで最も重いのはタイミング――すなわち適時性なのです。

情報には“食べ頃”があります。遅れて出された報告は役に立たないばかりか、誤った報告と同じくらい危険です。インテリジェンスとは、正確さと迅速さの間で折り合いをつけ、「いま使える知識」を作り出す技術です。

次号では、インテリジェンスを“使う人”と“作る人”――

すなわち使用者と生産者の関係について考えます。

『インテリジェンスの思考術』創刊号

2025年10月13日配信


1. ご挨拶

今週から、新しいニュースレター『インテリジェンスの思考術』を始めます。

このレターでは、「インテリジェンスとは何か」、そして「問いをどう立てるか」というテーマを、できるだけ身近な話題やビジネスの事例を手がかりに考えていきます。

堅苦しい理論や専門用語を並べるつもりはありません。むしろ、「なぜそう考えるのか」「どこまで確かと言えるのか」といった思考の過程そのものを共有したいと思います。

また、国内外のニュースを素材に、そこからインテリジェンスの視点をどう引き出せるか――そんな実践的な試みも交えていく予定です。

このレターが、日々の出来事を“情報として読む訓練”の一助になれば幸いです。

10月11日、現代ビジネスに拙著『兵法三十六計で読み解く中国の軍事戦略』の抜粋記事、「中国が日本に仕掛ける「見えない戦争」の衝撃‥‥技術と人材流出が引き起こす「最大の脅威」とは」が掲載されました。是非お読みください。


2. インテリジェンス思考術(第1回)

インテリジェンスとは何か ―― 情報との違い

新聞やネットを開けば、私たちは一日に膨大な量の「情報」に接しています。
しかし、その中から本当に意味のある「インテリジェンス」を得ている人は意外に少ないものです。

情報(インフォメーション)とは、まだ整理されていない素材にすぎません。料理にたとえるなら、食材の段階です。
この素材を調理し、食べられる形に整えたもの――それが「インテリジェンス」です。

たとえば、天気予報で「明日は午後から大雨」と報じられたとします。これは万人に同じ形で伝えられる情報です。
しかし、その受け手の反応はさまざまです。ゴルフ愛好家なら「ずぶ濡れになるから中止しよう」と判断する。証券マンは「農作物関連株が下がる」と予測し、国家安全保障の分析官なら「明日は中国漁船の接近可能性が低い」と推定するかもしれません。

同じ情報でも、受け手が持つ文脈・目的・経験によって意味が変わります。
つまり、情報を他のデータや過去の知見と照らし合わせ、判断や行動に結びつける――この“加工と解釈”の過程こそが、インテリジェンスを生み出すのです。

国家レベルでは、こうして得られた分析成果(プロダクト)が政策決定者に提供されます。
私もかつて、立ち入り制限区域の建物の中で、そうした作業を日々行っていました。


インテリジェンスという広い意味

少し専門的な話をします。
日本に「インテリジェンス」という概念を広めた京都大学名誉教授・中西輝政氏は、オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義を引き、こう述べています。

「インテリジェンスとは、まず第一に、国家や組織が政策に役立てるために集めた情報の内容を指す。
それは、秘密情報に限らず、独自に分析・解釈を施した“加工された情報”である。
生の情報を受け止め、それが自国の利益や立場にどのような意味を持つのかを吟味し、信憑性を確認して解釈を加えたもの――これをインテリジェンスと呼ぶ。」
(中西輝政『情報亡国の危機』より)

この定義に基づけば、「インテリジェンス」には三つの意味があります。

  1. 生の情報に分析・解釈を加えて有用化した知識(知識としてのインテリジェンス)
  2. そのような分析や収集の行為(活動としてのインテリジェンス)
  3. それを担う組織(機関としてのインテリジェンス)

つまり、インテリジェンスとは国家レベルの概念であり、知識・活動・組織の三層構造を持つものです。

ただし近年は、国家に限らずビジネス分野でも「ビジネスインテリジェンス(BI)」や「競合インテリジェンス(CI)」、サイバー分野では「スレット(脅威)インテリジェンス」という言葉も使われています。
個人であっても、情報を集め、判断や意思決定に活かしているなら、それは立派なインテリジェンスの営みといえるでしょう。

アメリカでは、CIAのOBたちがビジネス界に入り、ビジネスインテリジェンスの概念を定着させました。
つまり、インテリジェンスはもはや国家の専売特許ではありません。むしろ、現代のビジネスパーソンこそ、知らず知らずのうちにインテリジェンス活動に関わっているのです。

だからこそ、私はビジネスパーソンの皆さんに、もっとインテリジェンスを知ってほしいと思っています。


3. 国際情勢ニュースを題材に

ロシアの国防費削減は、本当にエネルギー収入不足が原因か?

「ロシア国防費、来年4%減
ウクライナ侵略後初のマイナス エネ収入細り財政逼迫」
(2025年10月1日 日本経済新聞)

ロシア政府は2026年の連邦予算案を下院に提出し、国防費を前年度比4%減の12.9兆ルーブルとする方針を示しました。
2022年のウクライナ侵略以降、拡大を続けてきた軍事支出が初めて減額されます。

背景には、原油価格の下落によるエネルギー収入の減少、そして財政赤字の拡大があるとされます。
同時に、治安維持・国内防衛関連の予算は増額され、戦費と社会統制の両立を図る姿勢もうかがえます。

日経報道は、ロシア財政の逼迫を軍事費抑制の主因とし、「戦争遂行能力の限界」との見方を提示しました。


情報の解釈は

多くの論者は、この記事を「ロシアの戦争遂行能力が限界に達しつつある」という文脈で読むでしょう。
新聞報道もその方向へ読者を導いています。

すなわち、「制裁とエネルギー収入の減少により、ロシア経済は疲弊している。もはや軍事支出を維持できない」という構図です。

しかしこの記事は、読者が期待する「侵略国家の行き詰まり」という物語にも巧みに寄り添っています。
つまり、報道側にとっても、読者にとっても“都合のよい朗報”になっているのです。

だからこそ、「この記事は本当か?」と一度立ち止まって考える必要があります。
そして、「別の仮説は立てられないか」と批判的に読む姿勢こそ、インテリジェンスの第一歩です。


「情報統制」とプーチン発言の矛盾

報道によれば、プーチン大統領は7月に「国防費の削減を計画している」と述べ、25年の国防費が上限の目安になると示唆しました。
通常のプーチンなら、弱さを印象づける「削減」や「財政逼迫」という言葉を自ら口にすることは避けるはずです。

では、なぜ今回は“自ら”削減を公言したのでしょうか。
ここには少なくとも三つの可能性があります。

  1. 事実を隠しきれない段階にある。
     財政赤字や増税が国民生活に直撃しており、もはや「隠す」選択肢がない。
  2. 統制演出の一環である。
     「わずかに減らすが、依然として巨額を国防に投じている」と強調することで、危機を“統制下にある”ように見せる。
  3. 国際社会へのシグナル。
     欧米や中国に対し、「戦争は継続するが、無尽蔵ではない」というニュアンスを発信し、交渉の余地を残す。

プーチン自身の発言を素材に、複数の可能性を検討してみることが重要です。


もう一つの仮説

新聞報道とは異なる視点も成り立ちます。

ロシアは東部ウクライナ戦線で軍事的成果を得ており、もはや従来のような大規模攻勢を支える国防支出を維持する必要がなくなったのかもしれません。
むしろ前線の安定化と戦争の長期化を見据え、支出の重点を「攻勢」から「統治・治安維持」へと移す段階に入った――。

つまり今回の削減は、「戦争遂行能力の限界」ではなく、「戦争の形態を持続可能なものへ転換する」ための政策的再配分だという仮説です。

そのうえで追加の情報を集めてみましょう。
たとえば、ウクライナが最近重視しているのは、前線防衛よりもロシアの石油・ガス施設など後方インフラへの攻撃です。
この攻撃が一定の成果を挙げ、エネルギー収入を減らしているとすれば、経済的制約がエネルギー収入減と国防費抑制を促しているという見方も補強されます。


メッセージ

一つの仮説や情報を鵜呑みにした短絡的な分析ほど危険なものはありません。
重要なのは、単一の説明を受け入れる前に、複数の仮説を立てて検証する姿勢です。

記事を読むときは、「眼光紙背に徹す」の精神で臨むこと。
――それこそが、インテリジェンス・リテラシーを高める第一歩なのです。