ビジネスとインテリジェンス――意思決定を支える“未来の問い”守りのインテリジェンス
■ビジネス・インテリジェンスと競合インテリジェンス
インテリジェンスとは、もともと国家が政策や作戦を誤らせないための知的活動でした。この考え方が民間に応用され、ビジネス・インテリジェンス(Business Intelligence:BI)と競合インテリジェンス(Competitive Intelligence:CI)という二つの概念が生まれました。
●ビジネス・インテリジェンス(BI)
ビジネス・インテリジェンスとは、「企業内部のデータを分析し、経営判断を支える知識をつくる活動」です。
売上、顧客、在庫、生産効率など、自社が日々生み出すデータを整理し、経営判断につなげます。目的は、自社の現状を正確に把握し、次の一手を可視化することにあります。
●競合インテリジェンス(CI)
一方、競合インテリジェンスとは、「企業の外で起きている変化を分析し、次に何が起こるかを読む活動」です。
対象は競合企業にとどまりません。業界の技術動向、原材料の供給、政策や規制の変化、顧客ニーズの移り変わり――こうした外部環境を読み取り、市場全体の地図を描くのがCIの役割です。
たとえば、他社の特許出願や人事異動、政府の補助金政策など、ばらばらの情報をつなぎ合わせることで、「どんな新製品が出るのか」「どの分野が次に伸びるのか」が見えてきます。これは、軍事インテリジェンスと同じ構造を持ち、「未来の行動を読む」作業です。
言い換えれば、BIは“内を読む”知であり、CIは“外を読む”知です。
BIが自社の健康診断であるなら、CIは外の天気図を読む作業です。どちらか一方では経営は成り立たず、両者を組み合わせて初めて、意思決定に深みが生まれます。
■米国と日本のインテリジェンス事情
米国では、CIの研究と実践が早くから活発に進みました。
1986年には、競合インテリジェンス分野の専門家が集う国際組織 SCIP(Strategic and Competitive Intelligence Professionals) が設立され、現在も世界的な協会として活動を続けています。
さらに1999年には、競合インテリジェンス・アカデミー(Academy of Competitive Intelligence:ACI) が発足し、CIの収集・分析・活用に関する体系的な教育プログラムを提供しています。ビジネスパーソンがACIで訓練を受け、実務に直結するスキルを磨いています。
日本でも、2008年に日本コンペティティブ・インテリジェンス学会(JCIA)が設立され、SCIPなど海外機関との連携を掲げました。しかし、活動は限定的で、CIやBIという概念がビジネス現場に十分浸透しているとは言いがたい状況です。
その背景には、「インテリジェンス」という言葉自体が、国家安全保障の文脈以外ではまだ正確に理解されていないという事情があります。
■地政学リスクと企業インテリジェンス
近年、企業が直面する最大の不確実性は地政学リスクです。
ロシア・ウクライナ戦争や米中対立は、サプライチェーン、資源、金融に直接影響を与えています。もはや地政学リスクを把握することは、国家の専属領域ではなく、企業経営の前提条件となりました。
ここで重要になるのが経済安全保障です。
経済安全保障とは、国家が自国の経済活動を外部の圧力や依存から守るための仕組みを指します。日本では2010年代後半から注目され、2022年に「経済安全保障推進法」が施行されました。表向きは国家主導の制度のように見えますが、その背景には米国の対中戦略があります。
米国は、中国の技術的台頭を抑えるため、同盟国に対してサプライチェーンの再構築と技術規制の強化を求めました。半導体やAIなどの先端分野で、中国への依存を断ち、技術優位を維持することが目的です。日本の経済安全保障政策も、この米国の圧力と協調の中で形成されました。つまり、日本における経済安全保障とは、米国主導の「対中デカップリング政策」の延長線上にあります。
同時に、中国はこれに対抗してエコノミック・ステートクラフト(経済的国家戦略)を強めています。
希少資源の輸出制限、技術標準の主導権、海外インフラ投資などを通じ、経済力を政治的影響力に変えようとしています。こうした経済的圧力は、国家間の問題にとどまらず、企業の経営環境にも直接影響を及ぼします。
経済安全保障の観点からも、官民が連携し、情報やリソースを共有することが不可欠です。しかし、国家が提供する情報だけでは、企業固有のリスクを十分に把握できません。企業は、自社の事業構造に合わせた独自の地政学分析体制を整える必要があります。
■企業におけるインテリジェンス部門の役割
国家情報組織の役割を私なりに敷衍すると、企業のインテリジェンス部門にの役割りは次の四つになります。
・戦略的奇襲の回避
競合や市場での不意打ち的な変化を予測し、備える。経営の「意表を突かれない」体制をつくる。
・専門知の長期的提供
業界、技術、地政学に関する知見を継続的に蓄積し、経営判断を支援する。短期のデータ分析にとどまらず、長期の構造変化を見通す知を持つ。
・戦略策定の支援
地政学リスクや市場動向を踏まえて、経営陣の意思決定を助ける。判断の根拠となる情報を整理し、選択肢を明確に示す。
・情報保全と防諜
企業機密や技術情報を守り、サイバー攻撃や内部不正を未然に防ぐ。情報の安全が経営の基盤となる。
地政学リスクに備えるには、情報部門を「データや情報を整理する部署」から、「経営判断を支える分析部門」へと再定義する必要があります。
経営層が地政学的な視点を理解し、インテリジェンスを経営文化の一部として位置づけること。それが、企業が変化の時代を生き抜くための最も確かな力となります。
■日本企業に求められるインテリジェンスの視点
日本企業の多くは、データ分析を経営に生かす段階にはありますが、地政学リスクを扱うインテリジェンス部門はまだ十分に整っていません。これまで、地政学や安全保障の知識は国家や学術の領域に属し、企業の経営課題として意識されてこなかったためです。
しかし、世界の政治構造や技術競争が急速に変化する中で、一つの地域紛争や金融危機が瞬時に企業経営へ波及します。サプライチェーン、資源、通商、金融――すべてが国際情勢と結びつき、地政学的な変動が事業の継続に直結する時代になりました。
したがって、企業は今後、少数でも地政学と国際動向に通じた専門人材を配置し、情報を判断に変える仕組みをつくる必要があります。情報過多の時代にこそ、真に意味のある情報を選び取り、経営判断につなげる力が問われています。
