『旅はインテリジェンス』

――中央アジアから世界を読む

はじめに   

旅はインテリジェンスだった

旅とは何でしょうか。

多くの人は、美しい景色を眺め、美味しい料理を味わい、その土地の文化に触れることを思い浮かべるでしょう。もちろん、それも旅の大きな魅力です。

しかし、私にとって旅には、もう一つの意味があります。

旅とは、その国を理解するための情報収集活動です。

私は長年、防衛省や民間企業でインテリジェンスの仕事に携わってきました。情報を集め、その信頼性を評価し、背景を分析し、未来を考える。それが私の仕事でした。

その習慣は、旅先でも自然と現れます。市場へ行けば、人々が何を買い、何を食べているのかを見ます。駅へ行けば、誰が地下鉄を造り、どのような思想で設計したのかを考えます。歴史遺産を訪れれば、単に古い建物として眺めるのではなく、その国は何を誇り、何を後世へ伝えようとしているのかを考えます。

旅先で見えるものは、氷山の一角にすぎません。その背後には、歴史があり、地理があり、政治があり、経済があり、人々の価値観があります。目に見えないものを考えることこそ、インテリジェンスの出発点なのです。

今回訪れた中央アジアは、まさにそのことを実感させてくれる地域でした。シルクロードの交差点として栄えた都市。ティムール帝国の栄光。ソ連が残した都市とインフラ。静かに広がる中国の経済的影響力。

そして、独立国家として未来を模索するウズベキスタンとタジキスタン。日本ではあまり報道されない地域ですが、現地を歩くと、世界の大きな流れが凝縮されていることに気づきます。

もっとも、現地へ行ったからといって、その国のすべてが分かるわけではありません。旅で見えるものは断片です。現地で得た印象だけで結論を出すことは、インテリジェンスでは最も戒められることでもあります。だからこそ、現地で見たことを、歴史や統計、地図、国際情勢と照らし合わせながら考える必要があります。

この本は、単なる旅行記ではありません。中央アジアを歩きながら、「国家とは何か」「歴史とは何か」「情報とは何か」、そして「未来をどう読むべきか」を考えた記録です。旅行の思い出を書き残すことが目的ではありません。旅先で得た小さな気づきから、より大きな世界の構造を読み解こうとした、その思考の過程を残したいと思いました。

もしこれを読み終えたあと、「旅を見る目」が少しでも変わるなら、これほど嬉しいことはありません。

さあ、一緒に中央アジアを歩いてみましょう。

旅が教えてくれた10のこと

  1. 地図は現実ではない。
  2. 現地へ行っても真実は分からない。
  3. 一次情報だけでも危険である。
  4. 歴史は現在の中に生きている。
  5. 国家は物語によって支えられる。
  6. 中国は企業を通じても影響力を広げる。
  7. ソ連はインフラによって歴史を残した。
  8. 情報源と情報は分けて評価する。
  9. 小さな変化が未来をつくる。
  10. 旅はインテリジェンスである。

第1章 旅立ち

情報の空白を歩く

「中央アジアへ行ってきます」そう話すと、多くの人が少し驚いた表情を浮かべました。

「中央アジアですか」「珍しいですね」「何を見に行くのですか」

たしかに、日本人にとって中央アジアは決して身近な地域ではありません。ウズベキスタンやタジキスタンという国名は知っていても、地図のどこにあるのか、どのような歴史を歩み、現在どのような国なのかを説明できる人は多くないでしょう。

しかし、私にとって中央アジアは以前から気になる地域でした。古代にはシルクロードの交差点として東西文明を結び付け、中世にはティムール帝国が広大な版図を築きました。近代になるとロシア帝国、そしてソ連の支配を受け、独立後は中国、ロシア、欧米、トルコなど、多くの国々の思惑が交差する舞台となっています。

世界地図の中央に位置しながら、日本では驚くほど情報が少ない地域です。だからこそ、自分の目で確かめてみたいと思いました。

もちろん、現地へ行けば真実が分かるとは考えていません。むしろ、現地で見えるものは全体のごく一部に過ぎません。

インテリジェンスの世界では、一つの情報源だけで結論を出すことはありません。現地で見たことも数ある情報源の一つであり、それだけで判断することは危険です。

それでも、現地へ行かなければ分からないことがあります。街の空気、人々の表情、市場の活気、道路を走る車、駅の構造、建物の雰囲気。こうした小さな情報は統計やニュースには現れません。私は、それらの断片を拾い集めながら、この地域の現在と未来を考えてみたいと思いました。

今回の旅は、日本から韓国・仁川国際空港を経由してウズベキスタンの首都タシケントへ入り、そこから高速鉄道でサマルカンドへ向かいます。さらに陸路で国境を越え、山岳国家タジキスタンを訪れ、再びウズベキスタンへ戻るという日程です。

決して豪華な旅行ではありません。鉄道に乗り、地下鉄を歩き、市場を巡り、ときには白タクと値段交渉をしながら、人々の日常の中へ入っていきます。

旅行前には、航空券、ホテル、鉄道、高速バスをインターネットで予約しました。『地球の歩き方』をはじめ、何冊もの旅行ガイドを読み、YouTubeで現地の映像を見て、SNSから旅行者の体験談も集めました。eSIMも準備し、地図アプリも使えるようにしました。

20年前とは比べものにならないほど、多くの情報を日本にいながら手に入れられます。しかし、それでも現地へ行かなければ分からないことは数多く残ります。情報とは、現実そのものではありません。現実を理解するための入口です。その入口を通り、自分の目で確かめ、考えることに旅の価値があります。

飛行機の窓から日本列島がゆっくりと遠ざかっていきます。これから私が向かう中央アジアは、長い歴史を持ちながら、日本人にはまだ遠い存在です。この旅で、私は何を見るのでしょうか。そして、その風景から何を読み取ることができるのでしょうか。

そんな期待を胸に、私は中央アジアへ向かいました。旅とは、目的地へ向かうことではない。問いを持って歩き始めることなのである。

第2章 シルクロードの十字路

歴史はなぜ、この地を選んだのか

成田空港を飛び立った飛行機は、韓国・仁川国際空港を経由して、ようやくウズベキスタンの首都タシケントへ到着しました。中央アジアという言葉は知っていても、日本人にとってその距離感はあまり実感がありません。

しかし、飛行機を降りた瞬間、乾いた空気と強い日差しに包まれ、「本当に中央アジアまで来たのだ」と実感しました。翌日から本格的な旅が始まります。

最初に向かったのは、タシケント駅です。ここから高速鉄道「アフロシヨブ号」に乗り、古都サマルカンドへ向かいます。

日本の新幹線ほど高速ではありませんが、車内は快適で、広い平原の中を静かに走り続けます。車窓から見える景色は、どこまでも続く大地でした。日本のように山が迫る風景ではありません。

広大な平原の中に、ときおり町が現れ、また何もない大地が続きます。その景色を眺めながら、私は一つの疑問を考えていました。

なぜ、この場所が世界史の中心だったのだろうか。

§§

日本で「シルクロード」と聞くと、砂漠をラクダの隊商が歩く姿を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、現地へ来ると、その印象は少し変わります。シルクロードとは一本の道ではありません。中国、西アジア、ヨーロッパを結ぶ無数の交易路の総称です。

その交差点にあったのが、サマルカンドでした。東から来た絹。西から来たガラス。南から運ばれた香辛料。北から届く毛皮。さらに宗教、技術、文化、思想までもが、この地で交わりました。

人だけではありません。情報もまた、この道を通って運ばれていたのです。私は長年インテリジェンスを研究してきました。そう考えると、シルクロードとは単なる交易路ではなく、世界最大の情報ネットワークだったと言えるのかもしれません。

商品を運ぶ商人は、市場の情報も運びます。外交使節は他国の情勢を持ち帰ります。巡礼者は宗教だけでなく、人々の暮らしや政治の噂まで伝えます。現代ならインターネットが担う役割を、当時は人が歩いて果たしていたのです。

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サマルカンドへ到着すると、その理由が少し分かりました。この町は偶然栄えたのではありません。東西南北から人が集まる場所だったからです。豊かな水があり、農業ができる。交易の中継地になる。異なる民族が共存できる。地理が、この町を歴史の舞台へ押し上げたのです。

その後、アレクサンドロス大王が訪れ、モンゴル帝国が征服し、ティムールが帝国を築きました。支配者は変わっても、この場所の価値は変わりませんでした。歴史とは、人間だけがつくるものではありません。

地理もまた、歴史をつくるのです。

§§

現在の中央アジアは、一見すると世界の表舞台から遠い地域のように見えます。しかし、地図を広げると、その見方は変わります。北にはロシア。東には中国。南にはアフガニスタンやイラン。西にはカスピ海を経てヨーロッパがあります。まさにユーラシア大陸の結節点です。

だからこそ、昔は隊商が行き交い、現在は鉄道、高速道路、天然ガスのパイプライン、通信網が交差しています。運ばれるものが絹からデータへ変わっても、この地域が「結節点」であることは変わっていません。

シルクロードは終わったのではありません。形を変えて、今も続いているのです。そのことに気付いた瞬間、私の中で今回の旅は、単なる観光ではなくなりました。私は世界遺産を見に来たのではありません。歴史の流れの中に立ち、この地域が持つ意味を考える旅を始めていたのです。

本章の視点

シルクロードは一本の道ではない。

人・物・情報が交わる場所こそが、歴史を動かしてきたのである。

第3章 国境を越える

地図の線と、人々の暮らし

サマルカンドを離れ、私たちはタジキスタンへ向かいました。今回の旅で、私が最も楽しみにしていた行程の一つです。中央アジアの国境を陸路で越える機会は、それほど多くありません。飛行機で国境を越えることはあっても、実際に検問所を歩き、一つの国から別の国へ入る経験は、国境という存在を強く意識させます。

日本では国境を日常的に意識することはありません。島国である日本では、外国へ行くには飛行機か船しかありません。しかし、ユーラシア大陸では国境は生活の延長線上にあります。道路はそのまま国境へ続き、人々は仕事や買い物、親族の訪問などのために行き来しています。

私たちも車を降り、荷物を持って国境施設を歩きました。出国審査を終え、数百メートルほど歩くと、今度はタジキスタンの入国審査です。

地図の上では一本の線にすぎない国境ですが、実際に歩いてみると、その一本の線が国家を分けていることを実感します。国旗が変わり、制服が変わり、法律が変わります。しかし、その一方で、国境の両側に暮らす人々の日常は大きく変わらないようにも見えました。

インテリジェンスの世界では、国家という単位で物事を考えることが少なくありません。しかし、現場に立つと、国家と人々の暮らしは必ずしも同じではないことに気づきます。

国境は国家が引いた線です。一方、人々の生活は、その線だけで簡単に区切れるものではありません。

§§

タジキスタンへ入ると、最初に立ち寄ったのは地元のバザールでした。野菜、果物、穀物、香辛料、肉、乳製品、生活用品。市場には、人々の日常がそのまま並んでいました。多少雑然とした印象はあり、ハエも飛んでいましたが、不衛生というほどではありません。

数年前に訪れたベトナムの市場と、どこか似た雰囲気です。ガイドによれば、輸入品もありますが、多くは国内で生産されたものだそうです。

農業国らしく、食料は豊富に見えました。観光客向けに整えられた市場ではありません。そこには、この国の人々の暮らしそのものがありました。

統計では分からない生活の匂いがあります。これもまた、現地へ来なければ得られない情報でした。

本章の視点

国境は国家を分ける。

しかし、人々の暮らしは、その一本の線だけでは語れない。

第4章 7つの湖

現地を見るということ

私たちは7つの湖を目指して山道を進みました。タジキスタンは国土の九割以上を山岳地帯が占める国です。中央アジアというと、広大な砂漠や草原を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、この国では険しい山々が次々と姿を現します。

道は次第に細くなり、谷は深くなり、山肌にへばりつくように道路が続いていました。ところどころで山羊の群れが草を食み、小さな集落では子どもたちが笑顔で手を振ってくれます。

観光地というより、人々の日常の中を旅している感覚でした。

§§

途中、二本の川が合流する場所で車が止まりました。一方は黄土色に濁り、もう一方は赤みを帯びています。

ガイドは、

「鉱山開発の影響でしょう。」と説明しました。

その一言で、私の頭の中には別の風景が広がりました。タジキスタンは豊富な水資源を持ち、水力発電でも知られています。さらに金や銀、アンチモンなどの地下資源にも恵まれています。ソ連時代には国家主導で開発が進められ、独立後には英国企業が参入しました。

しかし採算や労働環境の問題もあり、多くは撤退しました。現在、この地域で存在感を強めているのは中国企業です。

静かな山あいの風景を見ながら、世界経済の流れを考えていました。インテリジェンスとは、目の前の風景だけを見ることではありません。その風景の背後にある構造を考えることなのです。

§§

さらに山奥へ進んだところで、突然ワゴン車が止まりました。凸凹道で車体の下をぶつけ、動けなくなってしまったのです。運転手は車の下にもぐり込みます。山羊は何事もなかったように草を食べています。

私たちは別の車が来るまで待つことになりました。しばらくしてガイドが笑顔で言いました。

「一つ目の湖までは10分くらいです。歩きましょう。」

しかし、その「10分」は30分近くかかりました。ようやく湖へ着くと、子どもたちが夢中になって水遊びをしています。自然の中で遊ぶ子どもの姿は、日本でもタジキスタンでも変わりません。

予定どおりに進まない。それでも何とかなる。そんなおおらかさも、この国の魅力なのでしょう。

§§

その後、新しい車へ乗り換え、7つの湖を巡りました。切り立った断崖の脇を車が進みます。片側は崖。対向車が来れば、どちらかが慎重に道を譲ります。日本なら通行止めになっていても不思議ではない道です。

私は内心ひやひやしていました。しかし運転手は落ち着いた表情でハンドルを握り、乗客も誰一人騒ぎません。長年、この道を走ってきた経験があるのでしょう。経験とは、時として設備以上の安全を支えるものなのかもしれません。

やがて最後の湖へ到着しました。そこには土産物屋もありません。粗末なトイレがあるだけです。子どもたちが手作りの小物を持ってきて、「買って」と声を掛けます。大規模な観光開発は行われていません。だからこそ、この風景は美しいのでしょう。

§§

帰国してから、私は伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読み返しました。そこには、こんな言葉があります。

「偏見を得ようとするなら、旅行するにしくはない。」

さらに伊丹は、外国の印象とは、ガソリンスタンドの店員の態度やホテルの壁紙、税関で待たされた時間といった、実に些細な出来事によって決まってしまうものだ、と書いています。

まさに、その通りだと思いました。現地へ行くことは重要です。しかし、現地で見たことだけで、その国を理解したと思ってはいけません。

これは旅行だけではありません。海外メディアのルポルタージュも同じです。案内役が見せたい場所だけを見て、その国全体を語ってしまう危険があります。

ロシア・ウクライナ戦争でも、現地取材は重要です。しかし、それだけで戦争全体を理解できるわけではありません。現地観察は分析の出発点であって、結論ではないのです。歴史、統計、地理、経済、そして現地で得た情報。それらを重ね合わせて初めて、その国の姿が少しずつ見えてきます。

7つの湖で私が見たものも、タジキスタンという国のほんの一部にすぎません。しかし、その断片があったからこそ、この国の未来を考えることができました。

本章の視点

現地を見ることは重要である。

しかし、現地だけを見て結論を出してはならない。

旅とは、見たものを歴史や地理、統計と重ね合わせ、世界を読み解く営みなのである。

第5章 星を測った王

未来は予測できるのか

サマルカンドを歩いていると、ティムールの存在を至るところで感じます。ティムール像が立ち、ティムール廟があり、博物館には彼の生涯が展示されています。しかし、この町が世界史に残したものは、軍事的な栄光だけではありません。

その孫、ウルグ・ベクが築いた「知の帝国」もまた、サマルカンドを特別な都市にしています。

§§

ウルグ・ベクは十五世紀前半、サマルカンドに巨大な天文台を建設しました。当時としては世界最高水準の観測施設であり、望遠鏡もない時代に、星の位置を驚くほど正確に測定しました。彼が作成した『ウルグ・ベク天文表』は、その後長くヨーロッパでも利用されるほど高い精度を誇っていました。

現地を訪れると、その巨大な観測施設の跡が静かに残されています。ここで500年以上前、人々は夜空を見上げながら宇宙の法則を解き明かそうとしていました。私は、その事実に強い感銘を受けました。

§§

古代から人類は未来を知りたいと願ってきました。天候はどうなるのか。収穫はどうなるのか。戦争は勝てるのか。国家は滅びるのか。そのため、人々は神託を求め、占いを行い、星の動きを読みました。しかし、それらの多くは神意に未来を求める営みでした。

一方、ウルグ・ベクが目指したのは違います。彼は、星は神秘ではなく、観測によって法則を見いだせる対象だと考えました。

未来を知るためには、まず正確な事実を積み重ねなければならない。その姿勢は、近代科学の精神そのものです。

§§

このことを考えたとき、私は韓国時代劇『善徳女王』を思い出しました。ドラマの中で、ミシルは暦や天文現象を巧みに利用し、人々に「天の意思」を示すことで政治的な権威を築いていました。暦を持つ者は、未来を知る者であり、未来を語る者は、人々を動かす力を持ちます。歴史の中で、天文学と政治は決して無関係ではありませんでした。

しかし、ウルグ・ベクが示したのは、それとは少し違う道でした。神秘ではなく観測。信仰ではなく測定。権威ではなく知識。未来は祈るものではなく、理解するものでもあるという発想です。

§§

もちろん、未来を完全に予測することはできません。現代でも、株価も国際情勢も、感染症も、すべてを言い当てることは不可能です。しかし、だからといって予測を諦めるわけにはいきません。

インテリジェンスとは、未来を当てる技術ではありません。現在までに得られた事実を分析し、起こり得る未来を論理的に考える営みです。その意味では、ウルグ・ベクが星を観測した姿勢と、現代のインテリジェンスには共通点があります。

どちらも願望ではなく事実から出発そして、不確実な未来に対して、少しでも確かな判断材料を得ようとするのです。

§§

現在、私は2040年を見据えたシナリオ・プランニングの研究に取り組んでいます。未来は一つではありません。複数の可能性を考え、その兆候を探し続けることが重要です。

サマルカンドの丘で星を測ったウルグ・ベクも、おそらく同じように夜空を見上げていたのでしょう。未来を知りたい。その人類共通の願いは、600年の時を超えても変わりません。

そして私は、この天文台跡で改めて思いました。未来は神秘によって読むものではありません。事実を積み重ね、背景を分析し、論理によって考えるものなのです。それは、現代のインテリジェンスにも通じる普遍的な姿勢なのだと思います。

本章の視点

未来は、神意によって示されるものではない。

事実を観測し、背景を分析し、論理によって考え続ける者だけが、未来に近づくことができる。

第6章 静かな中央アジアで進む中国の浸透

見えているものの、その向こう側

サマルカンドでの滞在を終え、私は再びタシケントへ戻ることにしました。往路は高速鉄道を利用しましたが、帰路は少し違う方法を試してみようと思いました。

ホテルからタシケントまで送迎付きの高速バスです。予約は、日本にいる間に「12Go」という旅行予約サイトで行いました。東南アジアや中央アジアでも利用者が多く、日本語にも対応しています。往路の高速鉄道も、このサイトを利用して問題なく予約できました。そのため、私は自然に「この会社なら安心だ」と考えていました。

しかし、その判断が思わぬ勘違いにつながりました。

§§

予約画面には、高級なワゴン車の写真が掲載されていました。料金は高速鉄道の3倍近くします。私は当然、ホテルからタシケントまで快適な専用車で移動するサービスだと思い込みました。

ところが実際は違いました。ホテルからサマルカンド駅までは古い送迎車。そこから中国系企業が運行する高速バスへ乗り換え、タシケントまで向かうという内容でした。

あとで調べると、高速バスそのものの運賃は、日本円にして1000円もしません。私はサービスの内容を十分確認せず、写真と価格だけから勝手なイメージを作っていたのです。

もちろん、予約サイトが嘘を書いていたわけではありません。誤ったのは私自身でした。情報を見ていたつもりで、実際には自分の思い込みを見ていたのです。

§§

帰国後、予約サイトからサービス評価を求めるメールが何度か届きました。私は最低評価を付けました。

すると返事が届きます。

「ご期待に沿えなかったことは申し訳ありません。しかし、実際の送迎や運行は現地エージェントが担当しています。その点をご理解ください。」

その文章を読んだ瞬間、私は自分の失敗の本質に気づきました。私が見ていたのは「12Go」という予約サイトだけでした。しかし、実際に現場を動かしていたのは、その背後にいる現地エージェントだったのです。

予約画面には現れない存在。しかし、本当にサービスを提供していた主体です。インテリジェンスの世界では、このような構造は珍しくありません。表に見える組織と、実際に動いている組織は必ずしも一致しないのです。

企業でも、政府でも、軍隊でも同じです。表に見える情報だけを見ていると、本当に重要な主体を見落としてしまいます。

§§

では、旅行者は何を確認すべきだったのでしょうか。私は、12Goという予約サイトの信頼性ばかり調べていました。しかし、本当に調べるべきだったのは、実際に運行する会社はどこなのか。どのような車両を使っているのか。利用者はどのような評価をしているのか。乗り換えはあるのか。そうした現場の情報でした。

こうした情報は、公式サイトだけでは十分に分かりません。そこで役に立つのが、旅行者のSNSや旅行ブログ、口コミです。もちろん、一人の体験談だけを信じることはできません。しかし、複数の利用者の経験を照合すれば、公式情報だけでは見えない現場の姿が浮かび上がります。

インテリジェンスでも同じです。一つの情報源だけではなく、複数の情報源を照合することによって、初めて全体像が見えてきます。

§§

高速バスはサマルカンドからタシケントへ向かう高速道路を走り続けました。車窓には物流センターがあり、工場があり、大型トラックが行き交っています。その風景を見ながら、私は今回の旅を思い返していました。

タジキスタンでは、中国企業が鉱山開発を進めているという話を聞きました。高速バスも中国系企業が運行していました。道路、物流、通信、観光サービス。一つ一つを見れば、どれも民間企業による経済活動です。

しかし、それらを地図の上で結んでみると、一つの大きな流れが見えてきます。中国と中央アジアを結ぶ経済ネットワークです。これが現在の一帯一路なのかもしれません。

軍隊が進出しているわけではありません。国旗が立っているわけでもありません。企業が入り、道路を造り、物流を支え、鉱山を開発する。静かな浸透です。だからこそ、その変化はニュースになりにくく、多くの人の目にも留まりません。

§§

国際社会の関心は、戦争や紛争へ向かいます。ウクライナ。中東。台湾海峡。しかし、世界は戦争だけで変わるわけではありません。

企業が一社進出する。道路が一本造られる。鉱山の権益が移る。その小さな変化が積み重なったとき、10年後、20年後には地域全体の勢力図を変えていることがあります。

インテリジェンスとは、大事件を解説する仕事ではありません。誰も注目しない小さな変化を拾い集め、その先にある未来を考える仕事です。高速バスの車窓から見えた風景も、私にとっては単なる移動時間ではありませんでした。静かな中央アジアで進む中国の存在を考える、もう一つの教室だったのです。

本章の視点

インテリジェンスとは、見えているものを分析することではない。

見えているものの背後で動く主体と、その構造を読み解くことである。

第7章 地下鉄に残るソ連、地上で始まる未来

ウズベキスタンはなぜ中央アジアの雄なのか

旅も6日目を迎えました。

タシケントからサマルカンドへ高速鉄道で移動し、タジキスタンの山岳地帯を巡り、再びタシケントへ戻ってきました。この日は地下鉄を利用して、市内の博物館やチョルスー・バザール、ティムール広場などを歩きました。

ティムール像が立つ広場の近くには、旧ソ連時代を象徴する巨大なホテル・ウズベキスタンがそびえています。街を歩いていると、イスラム文化、シルクロード、ティムール帝国、ソ連、そして独立国家ウズベキスタンという、異なる時代が一つの都市の中に重なり合っていることに気づきます。

その中でも、私の印象に最も残ったのは地下鉄でした。

§§

タシケント地下鉄は、1977年に開業した中央アジア最初の地下鉄です。駅ごとに異なる装飾が施され、大理石の柱やシャンデリア、モザイク画が並びます。旧ソ連では地下鉄を単なる交通機関ではなく、「市民のための宮殿」と考えていました。その思想が、今もそのまま残っています。

私が宿泊していたホテルの最寄り駅は、「コスモナフトラル駅」でした。「宇宙飛行士たち」という意味です。

駅構内には深い青を基調とした装飾が広がり、宇宙空間を思わせる幻想的な雰囲気があります。壁には、ユーリ・ガガーリンやワレンチナ・テレシコワなど、ソ連の宇宙開発を支えた人々の姿が描かれていました。

宇宙開発は、ソ連が世界に誇った国家プロジェクトです。科学技術の成果であると同時に、社会主義国家の威信を世界へ示す象徴でもありました。

毎日この駅を利用する市民は、通勤や通学のたびに、その物語と向き合うことになります。地下鉄は交通インフラであると同時に、国家が歴史を語る空間でもあったのです。

§§

ソ連は中央アジアを支配する中で、鉄道を敷き、都市を造り、教育制度を整え、現在の共和国の枠組みを築きました。タシケントは、その行政、産業、教育、交通の中心として発展します。

現在のウズベキスタンの国力は、決して独立後だけにつくられたものではありません。ソ連時代に築かれた社会基盤の上に成り立っています。

しかし、街を歩いていて感じるのは、「ソ連の遺産」の一言では語れない活力でした。若者たちがスマートフォンを手に歩き、新しいホテルが建ち、高層ビルの建設も進んでいます。歴史を保存するだけではなく、新しい国家を築こうとする意志が街全体から伝わってきました。

§§

では、なぜウズベキスタンは中央アジアの地域リーダーとして注目されるのでしょうか。理由は一つではありません。

古代から、この国はシルクロードの交差点でした。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァといった都市は、東西文明を結ぶ中継地として繁栄しました。交通の結節点には、人が集まり、文化が集まり、情報が集まります。その歴史的な蓄積が、現在の人口や都市の厚みにつながっています。

人口は4000万人に迫り、中央アジア最大です。国内市場であるだけでなく、労働力、消費力、人的資源という面でも大きな強みになります。

さらに、この国は中央アジアのほぼ中心に位置し、周辺すべての国と国境を接しています。北はカザフスタン、西はトルクメニスタン、東はキルギスとタジキスタン、南はアフガニスタン。物流、貿易、安全保障、外交。あらゆる面で、この地理は大きな意味を持っています。

§§

豊富な天然ガス、金、ウラン、銅などの地下資源もあります。しかし、私が最も重要だと思ったのは、それだけではありません。

この国には、自らの歴史を語る物語があります。ティムール帝国。サマルカンド。シルクロード。そして独立国家ウズベキスタン。これらを一つの国家の歴史として語ることができます。

国家は軍事力や経済力だけでは成り立ちません。共通の歴史があり、人々が共有できる誇りがあり、「私たちは何者なのか」を語る物語があります。それもまた、国力の一つなのです。

§§

2016年、ミルジヨーエフ大統領の就任によって、ウズベキスタンは閉鎖的な政策から経済開放へと舵を切りました。外国資本の導入。周辺国との関係改善。経済改革。それまで閉ざされていた市場が、世界へ向けて開かれ始めました。

世界的投資家ジム・ロジャーズ氏が、この国を将来有望な市場として注目しているという話も、決して偶然ではないでしょう。

彼が見ているのは、現在の経済規模ではありません。人口。地理。歴史。資源。そして改革。国力を構成する要素が、長期的な成長へ向かう条件を備えていると判断しているのです。

地下にはソ連の記憶が残っています。地上では、中国をはじめ世界各国の資本が入り、新しい都市がつくられています。そして、その両方を受け止めながら、自らの未来を築こうとしているのが、現在のウズベキスタンです。

シルクロードの交差点として栄え、ソ連時代には中央アジアの中核として発展し、独立後は改革によって新たな成長を目指す国家。私はタシケントの地下鉄を歩きながら、この国は過去に生きているのではなく、歴史を土台に未来を築こうとしているのだと感じました。その歩みは、まだ始まったばかりです。しかし、だからこそ、私はこれからのウズベキスタンに大きな可能性を感じています。

本章の視点

国家の未来は、過去を捨てることで生まれるのではない。

歴史を受け継ぎ、時代に合わせて新しい物語を築く国が、次の時代を切り開いていく。

第8章 旅はインテリジェンスだった

国境を越える世界、国家が残る世界

ウズベキスタンでの旅を終え、私は夜行便で韓国・仁川国際空港へ向かいました。成田行きの便までは約8時間あります。空港で待つことも考えましたが、せっかくなので空港鉄道に乗って仁川駅近くの中華街まで足を延ばすことにしました。

所要時間は1時間半ほど。十分に往復できる距離です。ところが、この旅で最後の思わぬ出来事が待っていました。

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列車の行き先表示は韓国語が中心で、初めて利用する私にはよく分かりません。乗り換え駅で近くの乗客にスマートフォンの地図を見せながら、

「仁川駅へ行くには、こちらですか。」と尋ねました。

その人は笑顔で、

「そうです。」というように教えてくれました。

私は安心して列車に乗りました。しかし、それは反対方向でした。結局、仁川駅へ着くまで3時間近くかかってしまいました。

実は、同じような経験をウズベキスタンの地下鉄でもしています。現地の人に道を尋ねると、多くの人は親切に教えてくれます。

しかし、その人が本当に知っているとは限りません。外国人に尋ねられれば、「分からない」と言うより、何とか答えようとしてくれるのでしょう。

もちろん悪意はありません。むしろ親切です。しかし、インテリジェンスの世界では、「善意」と「情報の正確性」は別に評価します。

この旅で、その基本を改めて実感しました。それ以降は、迷ったときには駅員を探し、公的な路線図を確認するようにしました。

帰りは駅前の観光案内所で詳細な路線図を受け取り、乗り換え駅でも駅員に確認しました。今度は予定どおり、1時間ほどで仁川国際空港へ戻ることができました。

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仁川駅前の中華街は、日本の横浜中華街とは少し違う雰囲気でした。華やかな観光地というより、どこか落ち着いた温泉街のような空気があります。朱色の建物が並び、中華街らしい景色ではありますが、どこか素朴で親しみやすい町でした。

短い滞在でしたが、それもまた旅の思い出になりました。

§§

今回の旅で、もう一つ印象に残ったことがあります。ウズベキスタンでは、行く先々で、

「ジャパン?」

と声を掛けられました。

「安倍総理が来たことを知っている。」

そんな話をしてくれた人もいました。

私は以前から、シベリア抑留者がタシケントの復興に尽力したことや、青年海外協力隊などによる長年の草の根交流によって、この国には親日的な感情があると聞いていました。しかし、実際に現地で受けた歓迎は、それ以上に温かいものでした。

一方、韓国では、列車で隣に座った男性が日本語で話しかけてきました。昔、日本企業で働いていたそうです。短い時間でしたが、日本での仕事や韓国の暮らしについて話が弾みました。

国家間には、歴史問題や政治的な対立があります。しかし、個人と個人が向き合えば、ごく自然に会話が始まります。

翻訳アプリも、その距離をさらに縮めてくれます。旅をしていると、政治とは違う、もう一つの国際社会が見えてきます。

§§

今回の旅行では、出発前からできる限り情報を集めました。航空券、ホテル、高速鉄道、高速バスは日本で予約し、『地球の歩き方』などの旅行ガイドも読みました。eSIMを購入し、地図アプリも利用しました。

20年前には考えられなかったほど、海外旅行は便利になっています。一方で、現地へ行かなければ分からないことも少なくありませんでした。

白タクは価格交渉が必要でした。ガイドブックの運賃は現地では違っていました。地下鉄の利用方法も変わっていました。配車アプリが思うように使えない場面もありました。

情報は出発点です。しかし、情報だけで現実を理解することはできません。現地で確認し、修正し、自分で判断する。

その積み重ねが旅なのだと思います。もっとも、十分な事前準備をしていたからこそ、現実とのギャップはそれほど大きくありませんでした。

情報収集は、決して無駄ではありません。むしろ、現場で正しく判断するための土台だったのです。

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私は現在、2040年を見据えたシナリオ・プランニングの研究に携わっています。今回の旅を通じて、一つの問いが頭から離れませんでした。

デジタル技術によって、人も企業も国境を越えて結び付く時代になりました。翻訳アプリが言葉の壁を低くし、インターネットが世界中の情報を瞬時に届けます。

一方で、旅をしていると国家という存在は決して消えていません。国境があり、法律があり、通貨があり、それぞれの国には異なる歴史と文化があります。

2040年の世界は、国家がさらに力を強めるのでしょうか。それとも、人や企業が国境を越えて結び付くトランスナショナルな世界へ向かうのでしょうか。

おそらく答えは、そのどちらか一方ではありません。国家という枠組みを維持しながら、人や企業、情報は国境を越えて結び付き、新しい国際社会が形づくられていくのでしょう。中央アジアの旅は、私に美しい風景だけではなく、その未来を考える「問い」を残してくれました。

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振り返れば、この旅で私がやっていたことは、長年携わってきたインテリジェンスの仕事と同じでした。情報を集める。その信頼性を評価する。現地で確認する。背景を分析する。そして、未来を考える。

旅とは、景色を見ることだけではありません。世界を理解し、自分の思い込みを修正し、新たな問いを見つける営みです。

私は、この8日間の旅を終えて、改めて確信しました。旅は、やはりインテリジェンスなのです。

本章の視点

旅は、知らない世界へ行くことではない。

自分が知らなかったことに気付き、問いを持ち帰ることである。

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