『情報戦の日本史』近日発売

『情報戦の日本史』が近日発売されます。

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はじめに

本書は、日本における情報戦の歴史とその現代的な意義を探るものである。

古代における中国大陸や朝鮮半島との外交や軍事的駆け引き、武家政権や戦国時代に忍者を活用した謀略、天下統一を巡る熾烈な情報戦、幕末維新期の海外密使による諜報活動、さらに明治以降の大戦における情報戦――。これらは単なる過去の物語ではなく、現代社会における情報活用や意思決定、リスク管理の在り方に多くの示唆を与える重要な事例である。

本書では、これら歴史に埋もれた知恵や教訓を掘り起こし、新たな視点を提示することを目指す。歴史愛好家に対しては、情報戦の背後に隠された人間ドラマや戦略の深奥を掘り下げ、鮮やかな歴史像を提供したい。また、安全保障や企業経営の実務者には、戦略立案やリスク管理、さらには日常の情報活用に役立つ具体的なヒントを提供する。

現代の国際社会において、AI技術やビッグデータ解析の進展が加速し、情報はかつてないほど重要な資産となっている。情報は、国家間の競争や安全保障の基盤を形成する要素として、その価値をますます高めている。しかし、日本は戦後「スパイ天国」と揶揄されるほど防諜体制の整備が遅れ、国家や企業の情報流出が繰り返されてきた。こうした問題は、単に情報を「守る」ことにとどまらず、その根底には情報を効果的に収集し、国家戦略や意思決定に活用する「攻め」の姿勢が欠如しているという構造的な課題が存在している。

日本における情報課題の本質は、「防諜」と「対外情報」の二つの柱が十分に機能しておらず、国家全体のインテリジェンス・リテラシーが低い点にある。この問題の背景には、戦後の情報文化の断絶がある。日本は独自の情報機能を確立できず、その結果、国際情勢に翻弄され続けてきた。

かつて日本は、平安時代に和歌や仮名文字を駆使し、戦国時代には情報戦を、天下を決する手段として活用していた。明治以降の戦争でも、巧みな情報戦が勝利の要因となった。しかし、大東亜戦争の敗北とその後のアメリカによる占領政策によって、過去の歴史とのつながりが断たれた。占領軍は日本の情報活動を「危険視」し、その結果、情報機能を否定的に捉える風潮や自虐史観が定着した。

現在、中国をはじめとする諸外国は、こうした状況を巧妙に利用して高度な「情報戦」を展開し、日本国内の意識形成に影響を与えつつ、国際的立場を弱体化させている。この現実を直視しないことは、日本の将来に致命的なリスクをもたらしかねない。

したがって、国際社会における情報戦で劣勢を挽回するためには、過去の歴史を情報戦の視点から再検討し、戦後の反省を未来の戦略に活かすことが求められる。

巷では、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に関する戦術的な成功や失敗が盛んに議論されている。しかし、太平洋戦争における情報戦だけを取り上げるだけでは、問題の本質を十分に理解することは難しい。

たとえば、真珠湾攻撃では、戦術情報の秘匿が功を奏し奇襲に成功したものの、アメリカを長期戦に引き込み、結果的に日本の敗北を招く要因となった。また、ミッドウェー海戦での暗号漏洩は敗因の一つとして語られるが、物量差という現実を覆すことは困難だったとする見解が広く受け入れられている。つまり、開戦後の情報戦そのものの成否を議論する以上に、太平洋戦争に至る戦略的な意思決定そのものにこそ重大な問題があったことを認識する必要がある。

本書では、「なぜ日本は無謀な大東亜戦争に突入したのか?」という問いを中心に、昭和16年以前の情報戦の歴史を掘り下げる。日中戦争から太平洋戦争に至る流れを一連の「大東亜戦争」として捉え、その過程における情報戦の成果と失敗を検証する。すなわち、戦前の日本における情報収集や分析の制度的・文化的背景を分析し、特に戦略的意思決定の欠陥に焦点を当てる。また、古代から明治時代、そして現代に至る歴史的背景との比較を通じて、現代日本が情報戦においてどのような教訓を得るべきかを明らかにすることを目指す。

本書の特徴は以下の点である。

第一に、本書は、明治以降や現代のスパイ活動に焦点を当てた従来の情報戦関連書籍とは異なり、古代から戦国時代に至るまでの日本の情報戦にも光を当てる。孫子の兵法伝来説や楠木正成の戦術、忍者の役割、武士道の精神など、日本独自の情報戦の要素を掘り下げることにより、「島国ゆえに情報に疎い」という従来の見解に新たな視座を提供する。

第二に、日清戦争や日露戦争における情報戦の成功と、大東亜戦争における敗北を対比し、情報戦が国家戦略にどのように貢献したかを検証する。この分析を通じて、現代の国際情報戦に活かせる教訓を導き出すことを目指す。

第三に、日本の外交戦や情報戦を、特に中国、アメリカ、イギリス、ソ連と比較し、敗北の原因を明らかにする。特に満州事変以降における各国の情報活動や、国家戦略と連携したプロパガンダや浸透工作を分析し、日本の情報戦が国家戦略との連携を欠いていたこと、その結果として情報戦で劣位に立ったことを明らかにする。

第四に、著者自身の防衛省情報分析官としての経験をもとに、戦史を辿りながら情報理論の観点から独自の見解を加えている。この視点により、本書は単なる歴史書にとどまらず、情報戦の歴史を学ぶと同時に、インテリジェンス理論を学ぶ手がかりを提供する内容となっている。

本書では、「情報戦」という言葉を広義に使い、情報活動や情報戦略を含む意味で使用している。これにはサイバー戦やメディア戦など、情報空間やサイバー空間での優位性を指しつつ、旧日本軍が用いた「秘密戦」(諜報、防諜、宣伝、謀略)も含まれている。

米中対立が進む現代、情報の重要性はこれまで以上に高まっている。情報は安全保障の基盤であり、その収集、分析、運用の巧拙が国家の行方を左右する。本書が、過去の情報戦の知恵と教訓を未来へとつなぐ架け橋となり、日本の戦略情報活動や防諜体制の在り方を考えるきっかけとなることを切に願う。

『2030年の戦争』

有事を巡る議論の視点 『2030年の戦争』小泉悠・山口亮著 <書評>評・上田篤盛(軍事アナリスト・元防衛省分析官) – 産経ニュース

『2030年の戦争』の書評が、3月16日付の『産経新聞』に掲載されました。お二人の専門家による対談形式で、非常にわかりやすく、示唆に富んだ内容でした。

私自身の書評はやや辛口ではありますが、情報分析の実務に携わってきた立場から、あえて以下のような視点で論じさせていただきました。すなわち、「2030年代の話だからまだ大丈夫だろう」とか、「グレーゾーンから段階的に起こるので予兆を把握できるはずだ」といった安心感は、むしろ危ういということです。

「奇を正とする者は、敵がその奇を意(おも)い、我が正を以て撃つ。正を奇とする者は、敵がその正を意い、我は奇を以て撃つ」という兵法の言葉があります。最近の中国による軍事演習は、確かに海上封鎖の実効性を検証するかのようにも見えますが、それは単なる訓練にとどまらず、政治的威嚇や戦略的牽制という側面を持っています。

そして、実際に台湾の独立意志を挫き、「統一」という国家意思を国内外で共有させるには、単なる海上封鎖ではなく、演習を装った奇襲的な直接侵攻という形を取る可能性も否定できません。

さらに言えば、必ずしも能動的な意志のみによって戦争が始まるわけではありません。米国の対台湾政策の変化や、中国国内の経済悪化に伴う求心力の低下といった要因が、中国の軍事能力が十分でない段階であっても、あえて侵攻を決断させる引き金となることも考えられます。

このように、多様なケースを想定しながら、防衛力の整備や国民保護の方策を講じていく必要があります。しかし同時に、「最悪のケース」を想定すればするほど、ではどこから整備を始めれば良いのかという問題にも直面します。

その意味で、グレーゾーン事態からの段階的なエスカレーションというシナリオは、現実的かつ有力な想定の一つです。それに基づいた備えは、確かに現実的な選択肢でしょう。しかし、歴史が繰り返し教えているのは、「起こるはずがない」と信じられていた事態こそが、突如として現実になるという皮肉な現実です。

ゆえに私たちは、「最も起こりそうな事態」だけでなく、「最も起きてほしくない事態」にも意識的に目を向け、そこから逆算して国家の備えを整えていくという、厳しくも冷静な思考が求められます。

戦争は、理屈で始まるとは限りません。意図しない衝突、追い詰められた指導者の判断、あるいは情報の誤認や誤算——そうした不確実性の中にこそ、最大のリスクが潜んでいるのです。

未来を予測することは重要です。しかし、それに安住することなく、不確実性そのものに備える胆力、そして情勢に応じて舵を切る柔軟性こそが、いま私たちの社会と国家に最も必要とされている資質なのではないでしょうか。

まず『2030年の戦争』の本を一つの視点として、台湾有事をぎろんしてみましょう。

『情報戦の日本史』3月27日刊行のお知らせ

このたび、私の新著『情報戦の日本史』が2025年3月27日に刊行されることとなりました。

本書は、2018年1月から2019年12月まで、エンリケ氏が運営するメールマガジン「軍事情報」に連載していた拙稿「日本の情報史」を土台に、新たな視点や考察を加えて再構成したものです。

陸軍中野学校については、すでに前著『情報分析官が見た陸軍中野学校』(並木書房、2021年)で詳しく取り上げておりますので、本書では要点のみにとどめ、より広く、古代から太平洋戦争に至るまでの日本の情報活動全体を整理・考察することを目的としています。


歴史をどう読むか――「解明」と「考察」

歴史研究には、大きく分けて二つのアプローチがあります。一つは、資料の発見や仮説の検証などを通じて史実そのものを明らかにする「解明型」の研究。もう一つは、すでに知られている史実に基づき、「なぜそうなったのか」「どうすればよかったのか」を問い直す「考察型」の研究です。

本書は後者のスタンスで執筆しています。史実をただ追うだけではなく、その背後にある意図や背景を読み解き、現代に活かせる視点や教訓を引き出すことを目指しました。そのため、あえて記述の細部を調整し、読者の方にとって理解しやすく、実務や日常に応用しやすい内容となるよう工夫しています。

もちろん、どんなに広く知られた史実でも、解釈の仕方は一つではありません。また、特に情報活動のような分野では、誇張や脚色が加わりやすいことも事実です。たとえば陸軍中野学校のような題材は「スパイ学校」としてセンセーショナルに語られることが多いですが、私自身が卒業生やご家族に取材した限りでは、実際の姿とはかなり異なる面も見えてきました。


「陰謀論」の向こう側にある現実

現代では、「陰謀」や「工作」といったテーマが、時に過剰に「陰謀論」として扱われ、学術の場から排除される傾向があります。しかし、実務の視点からすれば、そうしたテーマにも真剣に向き合う必要があると私は考えています。

たとえば、米国の「赤狩り」時代にスパイ容疑で死刑となったローゼンバーグ夫妻の事件は、長年「冤罪」とされてきましたが、1995年に公開された「ヴェノナ文書」によって、ジュリアス・ローゼンバーグがソ連の諜報員だったことが明らかになりました。

こうした事例は、「陰謀論」と片づけられた話の中にも、後に真実と判明する要素があることを示しています。したがって、安易に否定するのではなく、冷静かつ多角的に検証する姿勢が重要だと思います。

本書でも、近衛文麿政権下で囁かれた「敗戦革命」――あえて敗戦を誘導し、国内体制を大きく変えようとしたのではないかという説――に触れました。証拠が乏しく、陰謀論と受け取られるかもしれませんが、歴史の背後にある「動機」や「思惑」を探る視点として、注目に値するテーマだと感じています。


歴史は「物語」でもある

歴史は単なる過去の記録ではなく、時に「物語」として、人の心に語りかけてきます。その物語が私たちに何を問いかけ、何を残すかが、歴史研究の醍醐味であり、意義でもあるでしょう。

私自身、自分の思想を一つに定めているわけではありません。さまざまな立場や価値観に触れながら、フラットな視点を心がけてきました。それでも、心を動かされたエピソードというのは確かにあります。

たとえば日露戦争の時代、将来を期待された若い将校たちが、自らの出世を捨てて身分を隠し、花田や石光のように情報の最前線で活躍しました。また、「シベリアのからゆきさん」たちが行った献身的な支援や諜報活動も、知られざる貢献として本書では取り上げています。

中野学校の卒業生たちも、滅私奉公の精神で海外の任務に赴き、国に尽くしました。もちろん、そうした愛国心が時に誤った方向へ進み、大東亜戦争へとつながった側面も否定できません。しかし、いまのような国際環境の中で、「国を守りたい」「仲間を守りたい」「文化を継承したい」という想いは、なお重要な意味を持っていると私は考えています。

本書を通して、そうした愛国心に根ざした冷静で戦略的な行動が、これからの時代の情報戦でいかに大切かを、お伝えできれば幸いです。