地球環境問題(3)

■ 中国の環境意識

  米国の地球環境問題を見てきましたが、中国についてはどうでしょうか。中国は急に経済発展をしたので、大気汚染、水質汚濁、森林伐採による砂漠化などといったさまざまな環境問題が発生しています。

私も2000年代初頭と2010年代初頭に中国に行きましたが、空は毎日どんよりと曇っていました。14億人近くの世界一の人口規模を抱えながら、排気規制や廃棄物収集など制度面の規制が追いついていないのですから、様々な環境問題が発生するのも仕方ありません。

PM2.5の問題、黄砂の問題は中国だけの問題ではなく、わが国も直接的な被害を受けることになります。改革開放以降、経済発展、都市化の進展と生活スタイル変化に伴い、生活ごみも増えています。

最近は中国も環境問題に熱心になったとの情報もありますが、今回のコロナ禍やかつてのSARSが最初に発生したのは中国です。この原因が衛生意識が低いとの見方があるように、決して環境問題への意識は高いとはみられません。

■ 中国の環境問題の一因は日本?

 中国の砂漠化は日本にも責任があると聞いたことがあります。日本が食べている羊肉というのは、実は中国の山羊(やぎ)だそうです。山羊が木の皮を食べるので木がダメになって砂漠するといわていました(本当かどうかわからない)。また、日本が安い中国産の野菜をどんどん買うので、中国の農家は野菜にたっぷり農薬を掛けるといいます。この話はなんとなく分かる気がします。

 要するに、グローバル社会では他国の問題点は自ら発生していることが多々あります。少し前まで、日本の廃棄される7割のプラスチックが中国やベトナム、タイ、マレーシアに輸出されていたといいます。そこで適切に処理されるわけではなくゴミ山になり、それがまた環境問題を引きこ起こす、悪の循環繰り返していたとされます。

■中国は世界最大の温室効果ガス排出国

中国は世界最大の温室効果ガス排出国です。習氏は2016年9月にオバマ米大統領(当時)とともに、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」批准を正式発表し、その成果を世界にアピールしました。

中国はこれまで温室効果ガスの規制には消極的でした。まだ、中国は開発途上国なので規制には応じられないという姿勢を取り続けていました。しかしながら、2009年のCOP15あたりから方向性を変えました。

経済のグローバルを進めていくうえで、温室効果ガスの旗振りもやらなくてはならないと認識したことが第一の理由とみられますが、国自身の大気汚染などの環境悪化も国内安定から必要になっています。

2019年には、コロナ禍が発生した武漢で新たなごみ焼却場の建設に反対する環境デモも生起しています。この住民デモはSNSで流されるのですぐに問題となります。中国の大規模抗議活動の1/3は環境汚染関連とされます。つまり、共産党政権のアキレス腱というになります。

■中国は環境問題を政治利用

トランプ氏はパリ協定から離脱しました。2020年はコロナ禍で、トランプ氏による対中包囲網の形成の試みが進展しました。これに対して、中国は、温暖化対策一つの牽制として、国際社会の主導権を握り対抗する構えを見せまたといえます。つまり、環境問題が中国によって政治利用されました。

中国は2020年の国連総会で、2030年までに減少に転じさせ、2060年までに温室効果ガス排出を実質ゼロ(カーボンニュートラル)にする宣言しました。中間目標として、2035年にはガソリン車を撤廃するともいいました。しかし、技術的な問題から、2035年のガソリン車の撤廃は達成できるかは不透明です。

香港問題などをめぐり欧州連合(EU)が対中警戒を強めている中、中国は欧州側が伝統的に重視している気候変動対策を梃子に関係回復を図ろうとする思惑もうかがわれます。習氏は、長期目標をいかに実現するか明確にしていませんが、「各国は新たな科学技術革命と産業変革の歴史的なチャンスをつかむべきだ」と強調し、環境対応の製品・ビジネスの拡大を進めようとしています。

地球環境問題(2)

■ 温暖化は本当なのか?

 地球規模で気温が上昇し、気候が変動することを「地球温暖化」といいます。これが気候の大幅な変動をもたらし、異常気象の頻発や高潮による洪水、干ばつによる農業の停滞、食糧不足など甚大な影響をもたらすとされています。

  気候温暖化は本当なのでしょうか。今世紀中には地球全体で3~5度の気温が上昇して、南極の氷などが解けて、東京都が水没するなどの悲観的な予測もあります。他方、地球温暖化を盛んなに謳っているのは、金儲けのためのビジネスであると主張する人もいます。

 北極の氷が解けていることは事実です。この原因は温暖化であると思われます。これに関して、北半球では温暖化が進んでいるが、赤道付近では温暖化は進んでいないという情報もあります。

 日本への影響を考えれば、気温が3度くらい上昇したところで何の問題もない。北海道の気温が上がれば、過ごしやすくなるということをいう人もいます。

 要するに、仮に地球が温暖化するとしても、どの程度か、どのような様相になるのか、どのような影響が生じるのかは良くわからないのが実情なのでしょう。

■温暖化の原因は?

 地球が温暖化すると仮定し、その原因はなんでしょうか。一つには、二酸化炭素などの温室効果ガス説があります。すなわち人為的原因説です。

 もう一つは、太陽の軌道の影響です。これは自然的原因説であって、人為の及ぶところではありません。

 ただし、その原因が特定できないとすれば、原因である可能性があり、人為的な対策が可能な温出効果ガスの排出規制を行うことが重要だということには説得力があります。

■国際社会の取り組み

 国際社会は定期的にCOP(気候変動枠組条約締約国会議)を開催し、温出効果ガスの問題に取り組んできました。

 1997年に京都で行われたCOP3で「京都議定書」が採択されました。「京都議定書」では、先進国を対象として、温室効果ガスの排出を規制しました。つまり、発展途上国はこれから経済発展を進めていくために、温室効果ガス削減の義務は負わせずに、経済的に余裕がある先進国のみで、地球全体の温室効果ガスの排出を削減しようとしました。

しかし、これでは中国のように自らを開発途上国と称して、議定書に参加しない国も出てくるわけです。そこで、2015年にパリで行われたCOP21でパリ協定が締結されました。これは、187の国と地域が締結して、2016年11月4日に発効しました。世界の温室効果ガスの排出量を2050年以降、今世紀後半に実質的にゼロにすることを目標に掲げています。

 今度は先進国だけでなく、発展途上国を含む全ての参加国を対象にしました。これから温室効果ガスの増大が予測される開発途上国を含めたのですから、京都議定書とは実効性が違いますしかし、温室効果ガスの削減にはお金がかかりますので、経済力の弱い発展途上国にとって過酷です。だから、先進国は発展途上国に対し資金援助をすることになっています。

 京都議定書では、その削減目標が話し合われ、各先進国ごとに、たとえば日本は6%、EUは8%、米国7%という目標が定められました。一方、パリ協定は各国が自分で目標を決めてそれを達成する、ということになりました。各国はそれぞれが目標を定めて、そのための政策を決定・実行して、その実績をモニタリングして、また新たな目標を立てることになっています。

◼️米民主党政権の取り組み

 パリ協定の締結に最も熱心であったのが、米国のオバマ元大統領でした。地球温暖化は「グローバル・イシュー」であるとして、全世界で協力しなければならないと主張し、中国やインドも説得してパリ協定を実現したと言われています。オバマ氏は議会の承認を得ずに大統領権限でパリ協定への加盟を決定しました。

 民主党は環境問題に熱心です。2007年、アルゴア元副大統領の講演活動を記録した映画「不都合な真実」が全世界で大ヒットしました。

 国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、温暖化の主因が人為的な温室効果ガスの増加だとほぼ断定して環境への影響を予測する報告書をまとめ、ゴア氏とともにノーベル平和賞を受賞しました。

 温暖化対策は、2007年6月のドイツ・ハイリゲンダム主要国首脳会議(サミット)でも最重要議題となり、各国が緊急に協調行動を取ることで一致し、12月には国連の気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)と京都議定書第3回締約国会合(COP/MOP3)がインドネシア・バリ島で開かれ、2013年以降の「ポスト京都」の国際協定づくりに向けた行程表が協議されました。

◼️トランプ政権はパリ協定から脱退

 しかし、トランプ氏、大統領に就任する以前から地球温暖化について「でっち上げだ」と主張して否定的な立場をとっていました。トランプ支持者のほとんどは、温暖化は単なる自然現象であると主張します。温室効果ガス理論を信じる者は、クリントン支持派6割、トランプ支持派は3割半でした。また、石炭産業などを意識して就任前から、パリ協定からの離脱を公約に掲げていました。

 当選後、支持者を前にトランプ氏は「私は、一方的で金がかかり、恐ろしいパリ協定からの離脱を発表した」と述べて公約の実現をアピールしました。つまり、トランプ氏は前政権が認めなかった原油パイプラインの建設計画の推進を指示するなど、環境保護よりも産業や雇用創出を重視する姿勢を鮮明にしました。

 トランプ前政権は2019年11月4日、パリ協定からの離脱を国連に正式通告しました。ポンペオ国務長官が同日付の声明で明らかにしました。パリ協定第28条1項には、「この協定が自国について効力を生じた日から3年を経過した後いつでも、寄託者に対して書面による脱退の通告を行うことにより、この協定から脱退することができる」とあります。これに基づき、トランプ前政権は国連に正式通告したのです。ただし、協定第28条2項で、協定離脱が有効となるのは正式通告から1年後です。

◼️バイデン政権の取り組みは?

 これに対し、当時の野党であった民主党はトランプ氏の決定を批判しました。2020年の大統領選挙の民主党有力候補であったバイデン前副大統領(当時)は2019年11月4日、ツイッターに「気候変動の危機的な状況が日々悪化しているのに、トランプ大統領は科学を放棄し、国際社会でのアメリカの指導力も放棄し続けている。恥ずべきことだ」と投稿しました。サンダース上院議員も「世界を気候変動による大惨事に陥れるのは誇るべきことではない」と非難しました。

 離脱の通告を受けて米国は2020年11月4日に離脱しました。すなわち2020年の米国大統領選挙の翌日のことです。この時には、いずれが勝利するのか選挙の趨勢は判明していませんでした。その後、バイデン氏が大統領になりました。バイデン大統領は就任当日、すなわち2020年1月20日に大統領令でパリ協定へ復帰しました。

 はたしてバイデン新大統領は、地球温暖化問題でどのような取り組みをおこなっていくのでしょうか。この問題では、中国との協調が不可欠ですが、安全保障面での米中対立を解消することは容易ではありません。

地球環境問題(1)

先日、ある研究所から講演を頼まれ、少しだけ、地球環境問題に関心を持ったので、勉強したこと、考えたことを備忘録として書き留めておきます。最近は宇宙環境の問題もクローズアップされています。宇宙のデブリ(ゴミ)を監視するため、2020年5月、航空自衛隊に宇宙作戦隊(うちゅうさくせんたい)が新編されました。

■環境問題とは

環境問題とは、人間が生存・生活していくための空間や事物などが好ましくない方向に変化していく問題です。日常生活に支障を来し、生命にかかわることもあります。この環境問題が世界的に注目されてきたのは1970年代からです。1960年代、世界では先進国による工業化や都市化が盛んに進んでいました。その結果、経済が発展してきた一方で、大気汚染や水質汚濁などの公害が発生したのです。

地球サミットは1992年以降、10年ごとに開催され、環境問題に対する数々の対策が議論されてきました。1997年の気候変動枠組み条約第三回締結国会議(京都議定書)では、温室効果ガス(メタン、フロンガス、二酸化炭素)の総排出量を削減しようという取り決めがなされました。

近年よく聞かれるSDGs(持続可能な開発目標)も2012年の地球サミットで議論が始まり、2015年9月の国連サミットで採択されました。SDGsは社会・経済・環境(ESG)の3つを主軸とし、持続的な開発を目的とする世界共通言語となりました。内容は貧困や雇用、気候変動などの環境・社会問題を解決するための17の目標と169のターゲットで構成されています。

地球環境問題はいくつかありますが、中でも人口爆発と地球温暖化の問題が良く議論されている気がします。人口爆発は人為的な問題ですが、地球温暖化は人為か、自然発生かという議論もあるようです。自然発生とすれば、地震などと同じく純粋な環境問題とは言えなくなりますが、後述のように温室効果ガスという人為的な原因によって温暖化に向かっているという仮説があって、今日は環境問題の中心的議題になっています。

■人口爆発

 「人口爆発」とは、劇的な勢いで人口が増加する状態のことです。国連が発表した「世界人口推計2019年版」によれば、世界の総人口は2019年時点で77億人のところ、2030年には85億人、2050年には97億人、2100年までには109億人に達すると見込まれています。

 人口爆発の主な原因は、先進国のニーズに従い後進国が資源や各種作物(コーヒー・バナナ・小麦・ダイヤモンドなど)を輸出し、手元にお金が入ったことで食糧の供給量が増したためといわれています。さらに生産拡大に向けて人口の増加が促され、人口爆発に拍車をかけているのです。

 だから、人口爆発はアフリカ、アジアの発展途上国で発生しています。他方、先進国ではわが国にみられるように人口は減少傾向にあり、これは「少子高齢化」という政治、社会問題を引き起こしています。

■人口爆発がもたらす負の影響とは

 人口は国力の重大な要素ですが、大きければ大きいほど良いというものではありません。その年齢構成が重要です。「人口ボーナス」とは、総人口 に占める働く人の割合が上昇し、 経済成長 が促進されることを指します。つまり、「子どもと高齢者の数に比べ、働く世代の割合が増えていくことによって、豊富な労働力が経済活動を活発にし、稼いだお金の多くを、子どもの教育や高齢者の福祉より、新しいビジネスに回すことができる」(2013-02-25 朝日新聞 朝刊 1総合)ということになります。

 これに対して、経済成長を妨げることを 人口オーナス ( onus )と言います。少子高齢化の進む日本では、働く人よりも支えられる人が多くなっています。このため、労働力人口の減少や引退世代の増加により長期的な成長力が低下したり、働く世代が引退世代を支える社会保障制度の維持が困難になったりすることなどが指摘されています。

 このほか、人口爆発は食料、環境面での懸念をもたらします。つまり、2050年には100億人近くの食糧が確保できるのか、地球の収容能力を超えて環境悪化と地球温暖化に拍車をかけるのではないか、人口密度が高まることで紛争が増大するのではないか、などの懸念が生じます。

 ただし、過去の統計からは人口が増加したからといって政治暴力は増大していません。むしろ21世紀の最初の10年では、大幅な人口増に対して、紛争は半減しています。地球温暖化についても、単に人口増→温室効果ガスの排出増という単純な構造ではありません。食料の問題についても、バイオ技術の発達などによって食糧危機を回避できるかもしれません。

 要するに、人口増の問題は国際社会が適切に管理していけば良いのですが、都市への人口集中、国境を超えた移民の流出入など、管理が困難な問題が部分的、局地的に起こることは回避できません。

■地球温暖化と異常気象

 地球温暖化は、地球規模で気温が上昇し、気候が変動することです。これにより、気候の大幅な変動が生じ、異常気象の頻発や高潮による洪水、干ばつによる農業の停滞、食糧不足など甚大な影響が起きると懸念されています。

 気候変動によって紛争や戦争が起きるとの説もあります。2010年頃からののアラブの春、シリアの戦争も異常気象が原因と言われています。2010年には、干ばつで打撃を受けたロシアが穀物の輸出を停止、それが食糧の高騰を招き「アラブの春」の要因となったというのです。英紙『フィナンシャル・タイムズ』は2007年から翌年にかけての穀物価格上昇で、ハイチからバングラデシュまで30もの途上国で騒乱が起きたことを取り上げています。

 ただし、地球温暖化の原因、地球温暖化と異常気象の因果関係、さらには異常気象と紛争の因果関係については明らかではないというのが実情です。

■水不足がもたらす局地的な紛争 

 地球温暖化、砂漠化によって水不足が生じたり、水害対策で上流の雨を流せば下流が被害を受けるということもあります。

 2030年には世界の水の需要量が供給量を40%上回るとの予想があります。今後、水不足が予想される地域としては、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイに跨る国境地帯、アルゼンチンとウルグアイの国境地帯などがあげられます。これらの水を狙って関係国の紛争、戦争に発展するかもしれないのです。

 英国紙『ガーディアン』の記事で、世界銀行が今後の水不足が「世界経済への打撃になる」ということを発表しています。

 具体的には、2050年までに中東は水不足による原因で GDP が 14%落ちる、中央アジアでは GDP が 11%落ちる、東アジアでも、旧態依然の水の管理体制のままの場合、 GDP が 7%削ぎ落とされる可能性がある、深刻な水不足は、東アフリカ、北アフリカ、中央アジア、南アジアの一部で発生することが予測される、北米とヨーロッパでは深刻な水不足の予測はない、などと予想しています。

 水紛争では、「コチャバンバ水紛争」が有名です。これは、1999年から2000年4月にかけてボリビアのコチャバンバで発生しました。水道事業の民営化と水道料金の値上げに対して市民が起こした反対運動です。2000年4月6日からの大規模な暴動では、都市機能が麻痺し、国際連合開発計画の報告によれば、数十人が負傷、6人が死亡したとされます。

 リオ・グランデ川やインダス川では水を巡っての紛争が起きています。さらに、これから紛争の勃発が予想される地域は、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、ガンジス川などがあげられます。

 ナイル川では上流のエチオピアがダムを建設して、それに対して下流のエジプトが反対しています。また、2020年6月、中国とインドの国境衝突により、死者が出ましたが、その原因が水紛争であるといいます。この地域(カシミール地方のラダック州のガルワン渓谷)では、インダス川の水資源を争うパキスタンとインドの歴史的対立もみられました。

■中国が絡む水紛争

 中国が関係するものとしては、ブラマストラ川、メコン川に絡む水紛争が有名です。2017年、ブラマストラ川の汚染で、バングラデシュの漁猟に影響が出ましたが、中国が上流で汚染物質を投棄したとの未確認情報も噂されました。

 中国は「南水北調」と言って、南部地域の水を北部地域に送り、慢性的な水不足解消を目指すプロジェクトを2002年12月に着工しました。中央ルート第1期工事が2014年12月に完成しました。全完成は2050年頃になる予定です。

 これは揚子江の水を引くという構想ですが、国際下線のブラマプトラ川から引くという話もあります。そうなると、国際紛争に発展しかねません。

 中国は電力供給などのためにメコン川に13のダムを建設しています。河野太郎元外相は2019年8月3日、タイ、ベトナムなどメコン川流域5カ国との外相会議をタイの首都バンコクで開き、5カ国の地域協力の枠組みである「経済協力戦略会議(ACMECS)」へのインフラ整備を含む開発パートナーに日本が参画することで合意しました。

 この数日前の7月31日、、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国との外相会議がバンコクで開かれました。米国のポンペオ国務長官が7月31日、関連会合で、「中国はダム建設を通じてメコン川の流れを支配しようとしている」「下流の水の流れをコントロールしている」などと中国を批判しました。

 タイ・ラオス国境地帯では、ダム建設前とくらべて漁獲量が減っている、タイの穀倉地帯では水不足が深刻になっている、ベトナムでは、川の水位が下がり海水が逆流する現象も起き、そのため淡水養殖場の魚が大量死しなどの報告もあります。

 四川大地震の後、中国は雨による2次災害を恐れ、ダムを開き放水したことで、2009年夏のメコン川流域の洪水が発生したとの報告もあります。

 前出のエチオピアでの大規模なダム建設も、ここのタービンなどの施設は中国製であるとされ、中国は直接、間接的に水の問題に関係しているとの指摘があります。

 

バイデン新大統領就任に思う

米民主党のジョー・バイデン新大統領(78)が1月20日正午前(日本時間21日午前2時前)、第46代大統領に正式に就任しました。78歳は史上最高齢での就任です。副大統領には女性として初めて黒人のカマラ・ハリス氏(56)が就任しました。民主党は4年ぶりの政権返り咲きとなりました。

トランプ前大統領は、すでに国民に対してお別れのビデオメッセージを発表し、この中で4年間を振り返り、「最高の名誉と誇りだった」としたうえで「今週、新たな政権が発足する。アメリカの安全と繁栄の継続が成功するよう願っている。幸運とご多幸を祈る」と述べ、エールを送りました。

また、バイデン大統領の就任式を欠席しました。ワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地で開かれた退任式典で「さようなら。また何らかの形で戻ってくる。近いうちにまた会いましょう」と述べた。トランプ氏の支持者の間には、再登板を期待する声があり、退任式典に集まった支持者は同氏に声援を送っていたといいます。

さて、バイデン新政権の対外政策がわが国にどのような影響を持たらすかが注目されますが、ここで一つ重要なことを述べておきます。

政治家が歴史を変えることよりも、歴史の転換期に異端あるいは非凡な政治家は現れるということです。一部の人は偉大な個人すなわち非凡な指導者が歴史を作ると考えています。これは熱狂的な支持者が多い保守派に多いとされます。

別の一部の人々は、指導者は時代背景の産物であって、つまり、そこには歴史を転換している政治、経済、社会の構造があると考えます。これは改革派の思想です。

もちろん、両方の見方には一理ありますが、やはり、構造的なものが異端、偉大な政治家を生み、かかる政治家のポピュラリズムが世の中はさらに転換していくのだと考えます。

1930年代、反ユダヤを掲げ、ホローコストという残虐性を世界にさらし、第二次世界大戦を引き起こした要因には、異端なヒトラーが影響したことは間違いありません。

しかし、第一次世界大戦後のドイツに対する過酷な戦後賠償、貧富の格差、屈辱感と臥薪嘗胆、世界的不況による猛烈なインフレ、復員兵による民兵組織の樹立、これらの状況がヒットラーを生んだ訳です。

そして、ヒトラーに出現がチャーチルという偉大な政治家を生みました。もし、第一次世界大戦後の連合国による対ドイツ政策がもう少し穏健であったならば、はたしてヒトラーやチャーチルは歴史上の政治家になっていたのか?と考えるのです。

トランプはヒトラーでもチャーチルでもありませんが、トランプを生んだのは、英国のCA(ケンブリッジ・アナリティカ)でもフェース・ブックでもなく、米国の一部エリート層に見捨てられた白人労働者層の〝怒り〟です。それを生んだのが、一部エリート層を生み出し、貧富の格差を決定づけたデジタル・テクノロジーシの進歩と、経済グローバリズムなどによって流入した移民や安価な中国製品です。

ようするに、米国の社会的・経済的・政治的な要因がトランプ政権を誕生させたのであって、バイデン新政権が白人労働者層とどのように向かい合うかが、米国のあらゆる政策の方向性を占う鍵になると思います。

米中関係の過去を振り返る

1月15日(金)のちょうど一年前、我が国で初のコロナ患者が発生しました。当時、2002年のSARSが発生してから終息するまで約半年かかったので、「コロナ禍も2020年夏頃まで続くだろう」などの予測がありました。しかし、これは今となっては楽観すぎました。現在も、コロナ禍の終着駅はいっこうに見えていません。コロナはSARSと同じく、中国を発症源とするウィルス性パンデミックですが、まったく同じではなかったいうことです。ここに類推思考(アナロジー思考)の難しさを感じます。

話はやや変わって、昨日(1月17日)のちょうど30年前(1991年)には湾岸戦争が開始されました。当時、今日のような米国の政治的混乱と中国の台頭を、いったい誰が予測できたでしょうか? つくづく未来予測の困難さを思い知らされます。

少し、過去を振り返ってみましょう。第二次世界大戦後の冷戦はまだまだ続くと見られていた1980年代中庸の頃です。ミハイル・ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任しました。ゴルバチョフ氏は改革(ペレストロイカ)と「新思考外交」を推進しました。アフガニスタン侵攻で疲弊した国内経済を立て直すために、国内体制改革と西側との関係改善に着手しました。これにより、アフガニスタンからのソ連軍の撤退、ブレジネフ・ドクトリンの撤廃、1887年の中距離核戦力全廃条約 (INF) の調印など行われました。

ゴルバチョフの改革の一つの柱が「グラスノスチ」(「情報公開 )です。ブレジネフ時代にはマスディアは共産党の統制下にありましたが、ゴルバチョフ氏はマスメディアに報道の自由を与え、それまで機密事項とされていた国家情報も軍事関係を含め公開しようとしました。

グラスノスチは 1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故で加速されました。なかなか関連情報が届かないことに業を煮やしたゴルバチョフは種々の国内問題は硬直化した体制にあると判断し、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化と民主化に乗り出しました。

ここから民主化の波が一挙に高まります。冷戦期の米ソの代理戦争となっていた世界各地の内戦が続々と終結し、東欧の民主化、ベルリンの壁崩壊を起こし、ついには冷戦が崩壊したのです。

東欧では、1980年代初頭からポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」が結成され、民主化の動きが見られていました。ポーランドでの旧政権失脚に続き、ハンガリーやチェコスロバキアでも旧政権が相次いで倒れ、1989年の夏には東ドイツ国民が西ドイツへこれらの国を経て大量脱出しました。

東ドイツは強硬手段で事態を抑え込もうとしましたが、この堰き止めに失敗し、政治・経済は崩壊状態に陥いりました。ついに1989年の11月9日にベルリンの壁が崩壊しました。ルーマニアでも革命が勃発し、チャウシェスク大統領夫妻が射殺され、共産党政権が倒されました。

この一連の東欧革命により同年12月、地中海のマルタ島で、ゴルバチョフ氏とジョージ・ブッシュ氏が会談し、冷戦の終結を宣言しました。

中国にも民主化の波が押し寄せました。1989年4月の「改革派」の胡耀邦元総書記の死亡を契機に、民主化グループが天安門広場に集まりました。同年5月、「改革派」のゴルバチョフ氏の訪中に向けて、さらに民主化運動をたかめようとしました。これに対し、鄧小平は軍隊出動による強硬措置で対処しました。つまり、中国に民主化の波は押し寄せたものの、民主化革命は失敗に終わりました。中国は西側から批判は浴びましたが、ソ連流ペレスストロイカやグラスノスチを警戒し、強硬手段を取ることで共産党体制の維持に成功しました。ここに現在の権威主義体制と自由・民主市議体制の対立の根源や、中国の執拗な情報統制の理由があります。

 

1990年代には、東欧革命、冷戦崩壊、天安門事件などの余波はいたん収まりましたが、2000年代初頭には再び東欧で「カラー革命」が起きます。さらに10年後の2010年代初頭には中東で「アラブの春」が起きます。そして最近では香港デモなど、民主化運動の波は収まることはなく、断続的に起きています。これら、民主化運動では、SNSを使ったデモ動員が注目されています。

民主化運動の背後には米CIAなどが水面下で関与していると中露は見ています。そして、依然として世界には中国共産党をはじめとする独裁政権が存在しつ続けています。ロシアでは共産主義体制は崩壊しましたが、プーチン大統領による独裁体制が強まっています。

これらの情勢を整理してみましょう。冷戦の勝者となった米国はリベラル・デモクラシー(民主主義)を推し進め、民主化革命により中国やロシアの台頭を阻止することを長期戦略としてきたように見られます。他方の中・ロは独自の権威主義体制を保持しようと懸命な抵抗をしてきたことがうかがえます。そして、今日の情勢から判断すれば、米国が目指す世界の自由・民主化はむしろ後退している状況にあります。

もう少し、米国視点で歴史を回顧してみましょう。1990年代の米国は、圧倒的な軍事力と経済力をもって、世界秩序を維持し、自由と民主主義の拡大を図っていました。1990年8月、イラクによるクウェートへ軍事侵攻しました(湾岸戦争)。この時にカダフィ政権の壊滅には至らず、一方では石油利権の支配などを目的にサウディなどに駐留しました。このことが、2001年の9.11事件や2003年のイラク戦争の引き金になりました。

湾岸戦争が極めて短期で終わり、1991年12月のソ連崩壊で、世界では「パクスアメリカーナ」いう楽観論が生まれました。つまり、米国の一強体制のもとで国際社会は協調的な関係に向かうかにみられました。しかし、ソ連の重石から解放された東欧では、ユーゴやルーマニアが内戦状態に至りました。またソマリア飢餓危機などの国際危機が増発しました。それでも米国は世界の警察官として、国際秩序の維持に関与しました。

 また欧州ではNATOの東方拡大が行われました。これは民主化の波を押し進めることで地域安全保障の強化を狙いとしました。ユーゴボスニアでは内戦が長期化し、1994年3月にNATOが初の武力行使に踏み切りました。また、セルビアにとどまったコソボ自治州では1990年代末期に内乱が激化し、セルビアによるコソボ弾圧が行われ、国連の和平を受け入れないユーゴ(セルビア)に対し、1999年2月にNATOが空爆に踏み切りました。

 1990年代の中露に目を向けてみましょう。中国は天安門事件後、西側からの民主化の動きを「硝煙のない戦争」「和平演変」と警戒し、独自の社会主義体制を維持しながら、経済では自由主義体制を目指しました。

 中国は湾岸戦争での米軍の軍事力の近代化レベルに驚愕し、軍近代化を目指しました。その途中の1996年に中台危機が起こりました。中国は台湾に対し軍事力を持って威嚇しました。これに対し、米国は空母2隻を台湾海峡に派遣して中国をけん制しました。この際、中国は〝なす術〟はなく、屈辱感を味わいました。このことが中国の空母保有を決断させた一要因との見方もあります。

 他方、ソ連崩壊後のロシアは政争に明け暮れ、その再生過程は遅延しました。エリティン政権の中に、新たに成立した新興財閥(オルガリヒ)が浸透しました。オルガリヒは、連邦レベルから地方レベルに至る政治家及び官僚機構との癒着によってその存在を拡大させていき、エネルギーとメディア支配し、政治をコントロールしました。エリティン政権はオルガリヒの影響を強く受けて主導権は停滞し、オルガリヒの背後には米国などの西側の影響力が増大していました。

 1990年代は地域紛争が頻発し、中露はそれぞれ分派勢力の台頭に直面していました。ただし、90年代の中露は世界秩序の維持に影響力を与える存在ではありませんでした。

 ところが、2000年代から様相がガラリと変わります。まず、2001年の9.11同時多発テロで米国はイスラムテロ組織(アルカイダ)という〝伏兵〟から奇襲攻撃を受けます。ここから、テロリズムとの戦いを標榜し、アフガン・イラク戦争に着手する中、国力衰退が始まります。これが2013年のオバマ米大統領の「米国は、世界の警察ではない」発言に至ります。

 中国は2001年にWTOに加盟します。このことが中国経済の飛躍の原動力となりました。世界経済のグローバル化の恩恵者となった中国は、2008年のリーマンショクでは国家主導の大型インフラ投資で「V字型回復」を成し遂げました。同時に北京オリンピックを成功させました。この時から鄧小平が掲げた「韜光養晦、有所作為」に別れを告げて、胡錦濤氏が「堅持韜光養晦、積極有所作為」を表明します。より積極的に世界に関与する姿勢を明確にしたのです。そして2010年にはGDP世界第2位に躍り出ました。成長した経済力が軍近代化の推進力となり、経済力と軍事力が対外積極戦略を生み出という連鎖構造が形成されました。ここから今日の米中対立の戦いの本格的火蓋が切られることになります。

 2012年に国家最高指導者となった習近平氏は国内での権威主義体制を強化します。対外面では2014年に「一帯一路」戦略を発表し、海洋への押出し拠点となる南シナ海への進出を強化しました。2015年には南シナ海上の人口島嶼を埋め立て軍事基地化を図りました。同年7月には「中国製造2025」を打ち出し、世界のAIやICT市場での優位性を獲得する意図を表明しました。なお、「中国製造2025」の最重視項目は次世代情報技術、とくに「5G」(次世代移動通信)です。

 ロシアは2000年にプーチン氏が大統領に就任した以降、民主化革命(カラー革命)との戦いを最重要課題とし「強いロシア」の復活を目指してきました。カラー革命により、いったんは、グルジア(ジョージア)およびウクライナには親米政権が誕生しましたが、ロシアは情報戦を主軸とするハイブリッド戦を展開して、グルジア親米政権を打倒しました。2014年にはウクライナから、黒海の進出口にあたる戦略要衝に位置するクリミアを奪還しました。

 このようなロシアを脅威とみた欧米は経済制裁を科します。このため、苦境に堕ちいたロシアは中国へ接近し、ここに欧米VS中ロという対立軸が顕著になりつつあります。このことは自由・民主主義を世界に普及するという米国の世界戦略の蹉跌と言えます。また、長期に及ぶ自由・民主主義と権威主義との対立構造の形成とも見られます。なお、ロシアの対中接近は、中国の軍近代に拍車をかけています。

 2016年、米国では「米国第一主義」を掲げるトランプ氏が大統領に就任します。この背後には、米オバマ民主党政権下で経済制裁を受けたロシアが共和党政権の誕生を水面下の画策したとの指摘もありますが、実は、トランプ政権誕生の影の〝功労者〟は中国であったかもしれません。経済グローバル化によって安価な中国商品の流入したことにより、白人労働者は職業を失われ、農産物の輸出減少によって貧困化しました。合わせて労働移民の流入が白人労働者の生活を重苦しくしています。だから、トランプ氏は移民流入に「NO」を突きつけ、中国からの輸出に関税をかけて、中国商品の流入をブロックしようとしたのです。

 これが顕在化したのが2018年からの米中貿易戦争です。ここには世界的な反グローロバリズムと、グロバリズムの恩恵者である中国との対立という構図が見られます。英国のブレグジットも反グローバリズムが生み出したと言えます。

 さらに香港問題によって権威主義vs自由・民主主義の対立が深刻化し、コロナ禍が発生した以降、米英連合さらにはファイブアイズvs中露という対立に発展しつつあります。

 米国は「中国製造2025」を米国の優位を奪う、重大な脅威と認識しています。米国政府により5Gを推進する中国ICT企業の世界市場からの締め出しという事象が起きています。つまり、米中貿易戦争はICTの主導権争いのでもあります。

 今回のコロナ禍が米中対立を深刻化させたことは間違いありません。さらに、米国主導による対中包囲網が拡大し、中立的であった独仏までもが対中包囲網に加わる動きを見せています。

ただし、米中対立の動きはコロナ禍以前、さらにはトランプ政権以前から起きています。すなわち、第二次オバマ政権からの流れが継続しているのです。このような歴史を踏まえて、バイデン新政権の誕生で米中を軸とする世界秩序に変化があるのかなどを予測する必要があります。しばし、米中の関連動向を注視したいと思います。

ツイッター、トランプ大統領のアカウント停止に思う

1月8日、ソーシャルメディア(SNS)大手のツイッターがトランプ大統領のアカウントを「さらなる暴力扇動のリスク」を理由として永久停止したようです。

私にとって、このニュースは今後の国際社会の行方を占う〝ドライバー〝であると思われますので、報道事実を中心備忘録として書き残しておきます。

事の起こりは、1月6日午後、ワシントンの連邦議会議事堂で大統領選の結果を確定させる上下両院の合同会議が開催中のことです。トランプ大統領の支持者が多数、会期場に乱入し、一時占拠しました。合同会議は中断を挟んで再開され、7日未明に大統領選の結果確認を終え、バイデン次期大統領の勝利とトランプ氏の敗北が正式に確定しました。この乱入騒ぎで警察に銃撃された女性1人を含め、4人が死亡した模様です。

この乱入事件に世界が注目しているようですが、私はツィターの停止の方に関心がありました。ツィターがトランプ氏のアカウントを停止した経緯は以下のとおりだとされています。

トランプ氏は、事前に支持者が議事堂で抗議するよう扇動していたとの批判が集まっていました[1]。これを受けて、ツイッターは6日にトランプ氏のアカウントを一時停止しました。その後、アカウントは一時解除され、ツイッターによる停止表明から24時間後の7日午後7時10分(東部時間)に、トランプ氏は暴力への批判と国民の団結を呼びかける2分41秒のスピーチ動画をツイッートしました。

さらに8日午前9時46分と午前10時44分にツィートし、この中で、トランプ氏が「20日のバイデン新大統領就任式に出席しない」などと表明し、「米国の愛国者たち」などの表現で支持者らを激励しました。

これを問題視したツィターが8日午後6時21分にトランプ大統領のアカウントを「さらなる暴力扇動のリスク」を理由として永久停止しました。

ツィターの動きを受けて、SNS各社が軒並みトランプ大統領のアカウント凍結に動いています。

フェイスブックもアカウント停止の無期限延長を表明しました。ツイッターの代替として、多くのトランプ氏の支持者が活用するソーシャルメディア・アプリ「Parler(パーラー)」については、グーグル社が8日、アップル社が9日、それぞれ自社のアプリ・ストアで凍結・削除しました。このほか、アマゾン社がホスティング・サービスから削除する決定をしました。アップルやアマゾン・ドット・コムは、右派が集まる交流サイト(SNS)「パーラー」をアプリストアやウェブサービスから削除しました。

ツィターの永久停止に対して、トランプ氏は米国大統領の公式ツイッターアカウントを使って、以下のようには表現の自由を損なうものとして反論してます。

「ずっと言い続けてきたことだが、ツイッターは表現の自由の禁止へとどんどんと突き進んできた。そして今夜、ツイッターの社員たちは民主党や急進左派と連携して私のアカウントをプラットフォームから削除し、私を沈黙させた――さらに私に投票してくれた7,500万人の偉大な愛国者の皆さんのこともだ。ツイッターは私企業だが、通信品位法230条(プラットフォーム免責)の恩恵なしには長くは存続できないはずだ。いずれそうなる。他の様々なサイトとも交渉をしてきた。いずれ大々的な発表をすることになるだろう。近い将来、我々独自のプラットフォームをつくる可能性も検討している。我々は沈黙しない。ツイッターは表現の自由とは縁もゆかりもない」[2]。(平和博「Twitter、Facebookが大統領を黙らせ、ユーザーを不安にさせる理由」)

トランプ氏は「表現の自由」という観点から、ツィター社を批判し、近い将来、独自のプラットフォームを立ち上げる可能性をちらつかせ、対抗意志を露にしました。

 一方、野党民主党は「トランプ氏が支持者らによる連邦議会での暴動を扇動した」などとして、11日、連邦議会下院にトランプ大統領を弾劾訴追する決議案を提出しました。一般の刑事事件の起訴状にあたる決議案では「トランプ大統領は政府への暴力をあおる重罪に関与した。大統領は国家安全保障と民主主義への脅威であり続ける」と非難しています。

 SNS(ソーシャルメディア)が社会的な問題を引き起こすことから、かねてよりコンテンツ管理強化を要求する声は高まっていました。これに、今夏の議事堂占拠事件が起こったのですから、今回のツィターの措置には一定の理解が示されているようです。

しかし、この問題の意味するところは小さくありません。なにしろ、トランプ氏はまもなく大統領を辞することが確定しているとしても、未だ現職の大統領なのです。一介の私企業であるツイッターがあからさまな政治活動を行っていることには、権力層への癒着という違和感さえあります。

2008年ごろからツイッター、フェイスブックなどのSNSが普及し、非民主主義の権威主義体制下の国の一部では、政府と国民との力関係が逆転する現象が起きました。2010年代のアラブの春はその記憶に新しいところです。その裏には欧米などの民主化運動への支援の影がちらついていました。他方、米国や中国などではSNSが政府などの権力と連携して、水面下で国民をコントールしているとの批判もあります。

今回のツィターのなどによる停止措置は、これまでのSNSによる水面下での政治工作が表面化したともいえます。トランプ支持派の暴力的行為は論外ですが、これにしても実態はどれほど深刻なのものかはわかりません。

香港デモでは、我々は民主化グループの活動がたとえどれほど過激であろうとも、それを〝善〟として捉え、取り締まる側を民主主義を抑圧する〝悪〟だと捉える傾向があります。香港民主化グループと、会議に雪崩れ込んだトランプ支持者はどうほど違うのでしょうか? 一方を〝善〟として、トランプ支持派を〝悪〟と認識する我々の多くは、本当はマスメディアによって操作された情報に踊らされている可能性さえあります。

今回のツィター社の行為は、国際社会がますます「国家に対する個人のエンパワーメントの増大」に向かっていることを証明しました。拡大解釈すれば、SNSなどの一部の巨大IT企業が、どこかの独裁国家と連携すれば、自らの価値観に沿った世界を構築し、支配するという懸念も出てきます。

よく「ポピュラリズム」を自由・民主主義の脅威だという声を耳にします。しかし、ポピュラリズムは直接民主主義が生んだ産物です。ポピュラリズムを一概に否定するわけにはいきません。これもメディアの操作かもしれません。

むしろ、SNSが特定の利益集団と連携して、それに反対する国民の言論や集会、結社の自由を奪うとすることの方が自由・民主主義への冒涜とはいえないでしょうか。一部の私企業における歯止めのない権力の増大こそが自由・民主主義の大きな脅威だと、私は思います。

共和党のルビオ上院議員はFOXニュースに、米国自由人権協会(ACLU)は「フェイスブックやツイッターなどの企業が、数十億人の発言に不可欠となったプラットフォームからユーザーを排除するという絶対的権力を行使することは懸念だ」との見解を示しました。

また、ドイツのメルケル首相は11日、ツイッター社の決定について、意見表明の自由を制限する行為は「法に基づくべきだ」と述べ、同社の対応を批判し、報道官を通じて、意見表明の自由を守ることは絶対的に重要だと強調しました。

メルケル氏は、多国間主義の重要性を基本理念として、トランプ氏の「米国第一」の政治姿勢に対しては批判的な立場を取っていますが、彼女には確固たる政治理念があります。だから、自国のみならずEUでもメルケル氏は大いに尊敬を集めています。

メルケル氏の発言を世界はどのように受け止めるかを注目しています。


[1]  トランプ氏は6日正午すぎにはホワイトハウス近くで演説し、「ここにいる全員が議事堂に行き、平和的に愛国的に、声を聞かせるために行進することを知っている」と議事堂での抗議を求めた。

[2]これらのツイートも、間もなくツイッターによって削除された。

半藤さんのご冥福をお祈りします

1月12日、昭和史に関するノンフィクション作品を多く手がけた作家の半藤一利(はんどう・かずとし)氏がお亡くなりなりました(享年90歳)。謹んでご冥福をお祈りいします。

昭和5年、東京にお生まれになり、東大文学部を卒業し、文芸春秋新社に入社され、1990年から本格的な作家活動に入られたとのことです。

私も半藤氏の著書はいくつか拝読しました。半藤氏の『昭和史』(平凡社ライブラリー)は、『昭和史1926-1945』と『昭和史 戦後篇 1945-1989  』の2冊がありますが、現在まで累計70万部を超えるベストセラーになっています。昭和史としては日本で最も多く読まれた書の一つといえるでしょう。

今日(1月13日1300時現在)の「アマゾンランキング軍事」で検索すると、『日本のいちばん長い日 決定版』(文集文庫)が売れ筋の第一位で、『ノモンハンの夏』が同第二位です。著名人の身上変化が出版市場を大きく動かすのはいつものことですが、半藤氏の影響力の大きさを改めて感じます。

『日本のいちばん長い日 決定版』は、昭和40年に大宅壮一編として、玉音放送までの一日を描いた「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」として発表されました。これが、平成7年に「決定版」として、自身の名義で改訂されました。

半藤氏の昭和史は非常に面白く、綿密な取材の跡が随所に伺えます。ただし、私が思っている歴史認識とは少し違うな、という印象ではあります。

私のような浅学な歴史認識では太刀打ちできませんので、「テンミニッツtv」で学んだ、故・渡部昇一氏の見解をここに引用しておきます。

「私は半藤氏をよく存じ上げている。彼が月刊誌『文藝春秋』の編集長を務めていた頃、企画などをよく頼まれていたのだ。半藤氏は教養あるジェントルマンで、奥さんは夏目漱石のお孫さんである。私と同い年で、大東亜戦争にも大変興味を持っており、戦後、司馬遼太郎氏をはじめ、いろいろな人と交流を持ちつつ多くの関係者に取材し聞き書きを行なっておられる。

 だから、半藤氏の『昭和史』に書かれていることは、時代の一面を非常にうまく切り取っている。口述を文章にまとめたものだから、とても読みやすく、面白いエピソードも数多く入っている。どの話も事実であろう。

 だがしかし、そうであるがゆえに、ある意味で危険ともいえる面がある。そのことを、本書の冒頭でぜひ示しておく必要がある。

 私の見るところ、半藤氏は終始、いわゆる「東京裁判史観」に立っておられる。つまり、東京裁判が日本人に示した(言葉を選ばずにいえば、日本人に「押し付けようとした」)歴史観の矩(のり)を一切踰(こ)えていない。

 戦後、占領軍の命令で、東京裁判(極東国際軍事裁判、昭和21年〈1946〉~23年〈1948〉)のためにあらゆる史料が集められた。それがあまりに膨大なものであったため、それらの史料こそが「客観的かつ科学的な歴史」の源であり、それらなしには二度と昭和史の本を書くことができないような印象さえ世間に与えた。

 だが、実はこの「客観的かつ科学的」というのが、大きな偽りなのである。

 一般にはあまり知られてこなかったことではあるが、終戦直後に、7千点を超える書籍が「宣伝用刊行物」と指定されて禁書とされ、GHQの手で秘密裏に没収されている。その状況については、現在、西尾幹二氏が著作を発表されておられる。また、当時の日本人の多くが気づかないうちに、戦後のメディア報道はきわめて厳重に検閲され、コントロールされていた。そのことについては、江藤淳氏の労作をはじめ、さまざまな研究がなされている。

 さらに、これは気をつけなくてはならない点だが、そのような状況下で「歴史観」がつくられていくと、実際に体験をした人の「記憶」も巧妙に書き換えられていくのである。なぜなら、全体を見渡せるような立場にいた人は少ないからだ。

 自分が経験したことは、大きな時代の流れの一局面にすぎない。だから、外から「実はお前がやらされていたことは、こういう動きの一部分なのだ」と指摘されると、「そんなものかなあ」と思わされてしまうことも多い。

 また、それに輪をかけて気をつけなくてはいけないのが、実際に体験した人々の話を編集したり、聞き書きする人の歴史観である。体験談は多くの場合、もちろん編集者の目を経て発表される。しかも体験者はプロの書き手ではないから、誰かに聞き書きをしてもらうことも多い。その編集者や、体験談をまとめる書き手が一定の歴史観に縛られていたとすれば、残された「記録」の方向性に大きなバイアスがかかってしまうのである。

 戦後のメディアの「言論空間」の中では、編集者や書き手の歴史観が、大きく東京裁判に影響されたことはいうまでもない。

 東京裁判以後の歴史観が、残された史料によって必然的に「東京裁判史観」に墜ちていってしまうのは、このような背景があるからだ。また、戦争の時代を生きた当事者の聞き書きだからといって、簡単に「『東京裁判史観』の影響を受けていない歴史の真実だ」と断ずることができないのも、いま指摘した通りだ」(以上、「テンミニッツTV」テキストから抜粋)

 渡部氏の指摘のポイントは、①戦後のメディア報道はGHQにより、きわめて厳重に検閲され、コントロールされた状況下にあった。そのような状況下で「歴史観」がつくられていくと、実際に体験をした人の「記憶」も巧妙に書き換えられていく。②実際に体験した人々の話を編集したり、聞き書する人の歴史観にはバイアスがかかる。GGQにより恣意的に残された史料が必然的に、編集者や聞き書きする人の歴史感を「東京裁判史観」に擦り寄せていく。以上の二点です。

 司馬遼太郎氏がノモンハン事件を執筆するための取材に、半藤氏は編集者として同行しました。しかし、司馬氏はノモンハン事件については書きませんでした。そこで、司馬氏のお別れ会で、自分がノモンハンについて書くと決めたのだとされています。

さて、ノモンハン事件は、「作戦参謀の辻正信と同作戦主任参謀の服部卓四郎によって執行され、その作戦は失敗に帰した。その責任を取る形で両名は一応左遷されたが信じられないような軽い処分で済んだ。」というのがこれまでの歴史の定説です。半藤氏の主張もこのような定説を補強するものとなっています。

ただし、ソ連崩壊後に旧ソ連時代の秘密文書が解禁となって以降、異なる歴史解釈が紹介され、実はノモンハンについても、ソ連の方が格段に損害が大きかったという見解も出て来ています。また、当時、その情報は「機密情報」としてソ連が封印していたというのです。

ジューコフ元帥が第二次世界大戦後にインタビューを受けて、「あなたの戦歴の中で最も厳しい戦況だった戦いはどこですか?」との問いがあり、インタビュアーは、「独ソ戦史の中のいずれかの戦場」との答えを期待していたようです。しかし、彼は一言「ノモンハン」と回答しました。

結局、当時の陸軍には戦闘損耗を妥当に評価できる態勢がありませんでした(なお、米軍はBDA(爆撃効果判定、Bomb Ⅾamage  Assessment)を重視している)。これに加え、GHQの意図的な情報操作があったとすれば、執筆者や編集者の著述の正確性は低下し、我々の歴史認識も変わってしまうことになります。

インテリジェンスの重要性を改めて認識します。

緊急事態宣言と危機管理

新型コロナウイルス対策で、政府は本日(1月7日)、首都圏の1都3県を対象、8日から来月7日までの期間、緊急事態宣言を再発令しました。また、本日の東京都の新たなコロナ感染者数は2447人と発表されました。

インターネットの書き込みなどを見ますと、政府のコロナ対策の遅れ、オリンピックをやめてコロナ対策費に回せ!などの、反政府批判が目立ちます。

今年の箱根駅伝では、主催する関東学連が「応援したいから、応援にいかない。」をキャッチコピーに公式サイトなどで呼びかけました。その効果があって2日間におけるコース沿道での観戦者数が、約18万人と発表。昨年の前回大会は121万人で約85%減となりました。

しかし、約18万人もの観客が駆け付けたことに対して、モラルの低下や危機意識の欠如を嘆くツィターも多いようです。

たしかに、最初の緊急事態宣言の後に〝緊張の糸〟が切れたのか、人々の危機意識はどんどんと薄らいだような気がします。「三密」も流行語の年間大賞となって、「愛の不時着」(2位)「あつ森」(3位)などと並んで、どこか、ほのぼの感さえ感じられ、緊張感がありません。

危機意識の欠如は、「喉元過ぎれば…」的な日本人特有の性質や、人間の深層心理にある、「たいしたことはない」との過小評価、「周りの人が皆町に繰り出しているから自分も大丈夫」などの同調主義といった心理バイアスが影響しているように思います。

結局、危機意識というのは個人ではなかなか高められませんし、維持できません。だから、政府、地方行政組織、企業などがある程度の強制力を持って危機の実態を具体的に説明し、注意喚起しなければなりません。

注意喚起する側が、危機意識のない行動を取れば、それは説得力をもちません。国民による反政府批判を煽るかのような、一部マスメディアの報道振りもいかがなものかとは思いますが、連日のように政府要人方の〝軽率に見える行動〟(※政治家として為すべき当然の行動も多々あり、報道される行動が自体が軽率だと私が考えているわけではありません)が報じられています。

他方、危機意識は誰のためでもありません。自分のためです。東洋大学の酒井駅伝監督の「その一秒を削り出せ」を思い起こし、政府による「GO to キャンペーン」の是非をあれこれ論じることは横に置いて、個人が少しだけ自覚ある行動を取ればコロナへの勝利が一歩近づくのではないでしょうか。

ただし、人間は生活しなければならないし、政治や経済は前に向かって進ませなければなりません。だから、どんなに自覚ある行動をとっていたとしても、コロナに感染することは不可抗力の場合があります。どんなに注意しても交通事故に巻き込まれることと同じです。コロナにかかった方を白眼視(※三国志の阮籍が元になった故事成語で、差別用語はありません)してはなりません。

さて、危機管理には一般に(狭義の)危機管理(クライシス・マネージメント)とリスク管理があるとされます。リスク管理は「危機以前のリスクが起こらないように、そのリスクの原因となる事象の防止策を検討し、実行に移すこと」です。他方、「危機管理」は「すでに危機が発生した場合に、その被害を最小限にするとともに、いち早く危機状態からの脱出・回復を図ること」です。

今回のコロナ禍を例にとりますと、集団クラスターが発生するような場所に行かない、外出時にはマスクをつけるなどがリスク管理となります。危機管理の方は、集団クラスターが発生した以降、その場所を消毒し、濃厚接触者を特定して隔離し、医療行為を行うようなことだと言えます。

リスク管理は危機発生前に専門組織または個人が予測的に行う活動ということになります。これに対して、危機管理はどちらかいえば危機発生後に総合組織または集団組織が臨機応変に行うものという違いがあります。

今回の緊急事態宣言は「危機管理」です。リスク管理に比して、費用も労力も比肩できないほど甚大です。これらの費用も我々の税金から捻出するとすれば、個人がリスク管理を怠ることで、何倍にも借金が膨れて跳ね返ってくることになります。まさに天に向かって唾を吐くことになります。

今しばらく、リスク管理的な思考で危機を乗り切る必要があります。

「医食同源」から「和製漢語」を考えた

昨晩、急に腸の具合が悪くなり、冷汗と下痢、激痛に見舞われました。最大の苦しみは、1時間ほどで過ぎましたが、いまだ腸と腰に鈍痛が少し残っています。

昨年も正月明けに同じような症状になったような覚えがあります。〝自己診断〟ですが、正月はずっと食べたり、飲んだり、寝たりで、そこに昨日(1月4日)は本年の初の外食で中華料理店で四川料理を食べたことが原因かもしれません。それに加えて部屋の暖房の暖かさを過信して、腹を出して寝たことが原因かなと思います。

ただし、自己判断の因果関係は誤謬が多いので、しばらく自重し、様子を見ようと思います。

さて、こんな症状になって、思い起こした四字熟語があります。「医食同源」です。これは、病気の治療や日常の食事も、ともに健康を保持には欠くことができないもので、源は同じだという考えです。

私は、かつてこの言葉は、中国から輸入されたものと思っていました。しかし、中国の「薬食同源」(体によい食材を日常的に食べていれば、特に薬など必要としないという考え)をもとに日本人の方が1972年に造った造語のようです。現在は、中国でも医食同源が使われています。

統計によれば、中国で今日使用されている社会・人文・科学方面の名詞・用語の実に70%が日本から輸入したものようです。その経緯を調べれば、主として明治維新以後、日本は近代化のため、西洋の文化、制度、歴史を勉強してきましたが、その際、日本にはない概念である西洋の語句を「和製漢語」として翻訳しました。

当時、中国の知識人は自国の近代化のため日本に留学していました。彼らは明治維新後の日本に学び、同時に 日本を通じて西洋文明を祖国に紹介しようとしたのです。梁啓超などが「和製漢語」を自国に持ち帰り、それが中国語の中に根を下ろしたようです。

本ブログの「インテリジェンス関連用語」(カテゴリー)の中でも解説していますが、情報も明治期になって、陸軍がフランスの軍事教範を翻訳する際、仏語の「renseignement」 (案内、情報)の訳語として「敵情を報知する」意味で情報を用いたのが最初です。これも現在、中国に逆輸入され軍事用語として用いられています。

他方は分析はどうでしょうか。分析に相当する英語はanalysisです。同語の語源は「~を(ana-)ばらばらに分解して(luo)調べること(-sis)」です。日本語の分析は、「刀で切り分ける、木で斧を切る」という二つの言葉からなると言われます。だから、日本人による「和製漢語」だと言えそうです。

しかし、漢書には『全訳(第二版)漢辞海/三省堂』によれば、漢書ですでに「分析(ブンセキ)」は「分ける。区別する。」(漢書・孔安国伝)の意味で用いたようです。なかなか、語句の語源も複雑です。

さて、民主・科学・政治・経済・自由・法律・哲学・美学・人権といった語彙はすべて日本から中国に渡ったようです。つまり、中国は欧米の制度、文化、などの修学は日本語を媒介しています。

わが国は近代化のために西欧から主導的に本質を学ぼうとしたが、他方の中国は日本の手を借りた。そこには知的エネルギーの発揚に大きな差があると思えます。また、この相違が両国の人権、民主、法律などへの解釈の違いの根底のような気がします。香港問題もこのような視点から考えることが重要であると思います。

箱根駅伝観戦から未来予測について思う

1月4日、今日から仕事始めの方もいらっしゃるのではないでしょか?しかし、コロナ禍でテレワークが新たな働き方の主流になったので、例年のような「御用始め」という状況ではないのかもしれません。私の仕事始めはまだ先ですが、頭の中ではあれこれと書き物の構想を練ったり、本を読んだりしています。

例年、私の正月三が日は駅伝観戦です。実業団駅伝、箱根駅伝、今年もドラマを見せてくれました。なかなか戦前の予想は当たりません。データやAIを駆使した予想タイムもまったく当てにならず、まだまだ「筋書きのないドラマ」にAIは無力だなあ、と思いました。

それにしても、箱根駅伝では、創価大学のあれだけの健闘を誰か予想していましたか?さらに驚いたのは最終10区で3分以上の差を覆した駒澤大学です。最終ランナーの活躍は見事でした。

実は私は外出する用事があり、9区が終わった段階で自宅を出ました。だから、劇的なシーンを見逃しました。大八木監督の歓喜のダミ声を聞けなかったのが残念です。

まさに、「一寸先の未来はわからない」ということです。協賛した報道機関や各紙は創価大学の優勝を前提に、優勝インタビューの準備や朝刊の見出しを考えていたのが大急ぎで駒澤に切り替えると言った〝ドタバタ劇〟があったのかもしれません。

それにしても未来予測はなかなか難しいものです。今年はどんな年になるのでしょうか。オリンピックは無事開催できるのでしょうか。コロナ禍はワクチン開発で収まるのでしょうか?

不透明な社会に対応する一つの秘訣は「行動しながら考える。うまくいかなければ修正する」ということです。行動をためらっては問題は発見できないし、解決もできません。

その意味では、私は政府の「GO TO キャンペーン」への決断も基本的に誤っていないと思います。また、一時的、一部地域での見直しも妥当だと思います。同キャンペーンとコロナ再ブレイクの因果関係は明らかではありませんし、素人判断での行き過ぎた政府批判を行っても問題の解決にならない気がします。

もう一つは、未来のシナリオを複数考えることです。そのためには現在の潮流を捉えて、その影響要因を見定めることが重要です。

私は一昨年、『未来予測』を刊行しましたが、現在の潮流として「グローバル化」と「環境の変化(気候の温暖化)」を挙げ、これらがもたらす未来のマイナスの側面(影)としてパンデミックを指摘しました。

『未来予測入門』から抜粋

また、ビジネスパーソンの暮らし方・働き方を論点として掲げ、「ビジネスパーソンの価値観の変化」と、「働き方改革(テレワーク)の趨勢」を現在の二つの潮流として、4つの未来シナリオを提示しました。

①在宅勤務ライフ、②デュアルライフ、③毎日通勤ライフ、④シリコンバレーライフ、です。

誰しも、「いつ、何が、どのように起きるのか」は予言できません。しかし、予言と予測は違います。自分に関係があることを少しリスク管理的に予測することは重要だし、不可能ではありません。

今回のコロナ禍でも、それを予測できる多くの事前兆候があとから注目されています。未来予測とは、そのような兆候を軽視しないということに主たる目的があると思います。