ある女性記者をめぐるネット騒乱

先日、ネットを見ていたら、あっと驚く記事に接しました。以下、引用します。

東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者を助けたい。中2の女子生徒がたった1人で署名活動に取り組んだ理由とは
女子生徒は、かつての自分と望月記者を重ね合わせていた

官房長官会見での質問をめぐって首相官邸側から問題視されている東京新聞の望月衣塑子記者を支援しようと、1人の女子中学生が立ち上がった。

望月記者の質問を制限しないよう官邸側に求めるインターネットの署名運動を2月に開始。活動を終えた2月28日までに、1万7000人を超える賛同者を集めた。 なぜ中学生は活動することを決意したのか。本人に聞いた。

(以下、中略)

東京都に住む中学2年の女子生徒(14)は、こうしたことをテレビのニュース番組で知ったり、官房長官会見の様子をインターネットの動画で見たりした。「これでは単なるいじめと変わらない。もう見ていられない」。女子生徒はそう思い、ネットで知ったChange.orgを使って賛同者を集めることにした。

望月記者の問題が「他人事」に思えなかったことには訳がある。自身も小学生のころ、いじめられた経験があるからだ。「私は口数の少ないタイプで、小学生のころ、人から物事を強引に進められても断れなかったことがありました。あと言葉による暴力を受けたこともあります」

かつての自分と望月記者が重なり、いてもたってもいられなくなった。Change.orgはネットで探し当て、母親の助けを借りて署名を募った。

「娘と一緒に会見の動画やニュースを見ていたんですが、望月記者に対する『妨害』がだんだんひどくなり、娘も署名を集めたくなったようです」。母親はそう打ち明ける。

ただ、誹謗中傷や嫌がらせを恐れ、「山本あすか」と仮名を使った。「安倍政権のサポーターからの攻撃は正直、怖いです」

署名集めの最中、望月記者からTwitterのダイレクトメッセージを受け取った。「ありがとう。中学生が頑張るのは心苦しい。大人が頑張るから大丈夫だよ」。中学生の自分を心配してくれていることはありがたかったが、納得できなかった。

「私はずっといじめをなくしたいと思っています。国の上のほうのことだけど、こんなこと許したら普通の人ももっと自由に発言できなくなると思って。中学生でも無関心ではいられませんでした」

当初の予定より延長し、2月いっぱいまで署名を集め続けた。(引用終わり)

この記事はハフポスト日本版ニュースエディターの関根和弘氏の記事です。関根記者は、 朝日新聞大阪社会部やモスクワ支局、北海道報道センターなどをへて2017年4月よりここに出向中のようです。

どうして筆者がこの記事に注目したかといえば、なんとなく出来すぎたストーリーを感じたからです。それに、問題のユーチューブを見ましたが、望月記者がいじめを受けたように感じる感覚についていけなかったからです(まあ、私には女子中学生の感受性は理解できないのかもしれません)。

将棋界や囲碁界においても中学生や小学生が大人以上の活躍しています。
藤井聡太7段や仲邑菫(なかむらすみれ)さんの活躍には感嘆すべきものがあります。

2014年にノーベル平和賞を受賞した 、パキスタン出身の女性であるマララ・ユスフザイ氏は 2009年、11歳の時に武装勢力パキスタン・タリバーン(TTP)の支配下にあったスワート渓谷で恐怖におびえながら生きる人々の惨状をBBC放送の依頼でBBCのウルドゥー語のブログにペンネームで投稿しました。

彼女は、タリバーンによる女子校の破壊活動を批判、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続け、英国メディアから注目されました

だから、中学生が政治に関心がない、政治的な判断ができないなどと決めつけ、政治的発言をするなというわけではありません。しかし、発言をする以上は、反対意見もあるということを認識しなければなりません。中学生だから自由に意見を言っても、反対はされたくないというのでは虫が良すぎます。

中学生が書いたとされる、この記事には賛辞を送るコメントが多数散見されています。一方では「文面が子供らしくない。かつての自分と望月記者が重なり、・・・など大人目線である」 などから「ヤラセ」「なりすまし」ではないかとの批判もありました。

女子中学生が表に出てきて自分の言葉で語っているのであれば説得力はあるのですが、ネット上の記事ではどうしても人物像が見えてこないので、“架空人物”かもしれないと、ついつい思ってしまいます。

2、3日たって再びこの記事を検索してみると、 元記者であった中年女性が中学生になりすましてChange.org の記事を作成したことを裏付けるような証拠も出てきたようです。だとすれば、 ハフポスト記者がこの中学生に取材して事実確認したのかも疑わしくなります。今後、新たな展開はあるかもしれませんが、結局は女子中学生が表に出ることは困難であり、真実は明らかにはならないでしょう。

この女子中学生の母親は、ネット記事は子供の自由意志であり、それを手伝っただけだと言っているようです。しかし、反政府デモに参加したり、新聞投稿などで政治的発言をする小・中学生が現れると「本当に、どこまでが自分の意思なのかな?」と疑っています。

かつて中国の文化大革命においては、毛沢東主席の洗脳を受けた子供達が紅衛兵として政治活動をしました。彼らは政府要人のみならず、自分の両親までも攻撃対象としました。彼らはのちに自由意思ではなく、一種のマヒ状態に置かれたことに気付きました。環境に染まり易く、周囲に影響されやすいのが、この年頃の子供たちではないでしょうか?

この事件はさておき、子供、女性、障碍者などの“社会的弱者”になりすまして世論を操作することは倫理的によろしくありません。しかし、 現実の問題として、“お涙頂戴”的な視聴率狙いのマスメディアによるヤラセ記事・報道などは頻繁に行われています。

また、世界各国は情報戦、宣伝戦の名の下に、さまざま偽情報を流布して、自らの戦略的優位性を得ようとしていることも事実です。

かつて戦時中においては、熾烈な宣伝戦が繰り広げられました。 かつての日本軍の「軍事極秘」教範である『諜報宣伝勤務指針』のなかに次の条文があります。

「婦女子及び児童に対する宣伝の咸響はその鋭敏の度通常大なるものなり。しかして、これらに対する宣伝は主としてその感情を利用すべきものなることに留意すべし。なお宣伝中に婦女子及び児童に関する事実を包含せしむるときは、一般に対する感動を強調するものなるをもって、これが適用また軽視すべからず」

この条文をかつての日本軍の悪行として忌避することもできますが、日本もまた、このような宣伝戦を欧米、ソ連、中国から受けていたのです。この点を認識することが重要です。

このような宣伝戦は国際政治のなかで今も健在です。 中国や韓国は南京事件、3.11事件といった歴史戦、宣伝戦を展開しています。徴用工問題、慰安婦問題は弱者の立場を巧みに利用した宣伝戦と捉えることができるでしょう。

我々は、こうした真実を歪める行為が行われているということを自覚して、メディア社会のなかでも正しい判断できる「インテリジェンス・リテラシー」を養う必要があります。

未来には情報分析官は不用になるのか!

テククロジーの進化が目覚ましいなか、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がAIやロボットなどに代わられるだろう、と予測されています。

英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授は、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという、研究結果を発表しています。

▼ 「雇用の二極化」現象が発生

実際、18世紀から19世紀にかけて、綿織物の機械化に端を発したイギリス産業革命では多くの機織職人が職を失いました。そして、怒り狂った失業者たちが機械を破壊する運動まで起きました。こういうこともあってか、ICTやAIが人間の職業を奪うという予測が、現在はややセンセーショナルな話題となっています。

たとえば、自動運転技術の実用化によって、タクシー運転手、宅配業者、引っ越し業者は職を失い、事故が激減することで板金業者も職を失うなどと言われています。

その一方で、AIによっても人間労働者のニーズはなくならない、またAIが新たな職業を生み出す可能性もあるという見方もあります。ICTがAIがどのような職業を奪うのかについてはさまざまな権威が予測しています。

AIなどが現在の多くの仕事を奪うことはほぼ確実とみられますが、それがどの程度なのか、何時ごろなのかについては、十人十色という感じです。

ただし、全体の方向性としては、中スキル層の雇用シェアが減少し、低スキル層と高スキル層での雇用シェアが増加するようです。つまり、事務・管理などの中スキル層の仕事は次第になくなり、ごく少数が高スキル層に移行する。ほとんどどの中スキル層は、手足を使う低スキルに移行すると予測されています。すでにOECD諸国においては、 こうした「雇用の二極化」現象が確認されているようです。

▼情報分析官も商売あがったりか?

ところで情報分析官あるいは経営コンサルタントという仕事も必要なくなるのでしょうか?

近い未来、初めての外国旅行でも、データを見れば、危険な地域を避けて、最短なルートで目的地に行って、観光やビジネスを 楽しむようになると予測されています。

これは、AI、ビッグデータと統計学などで、「いつ、いかなる場所、どのようなテロ事 件が生起するか?」といったことが瞬時に解析されてしまうとい うことです。

つまり、AIによるビッグデータの解析があれば、人による情報分析などは必要ないということです。 

▼すでにビッグデータは身近に浸透

すでに現在、AI、IoT、ビッグデータの発達により、筆者が過去にどんなものを検索したか、注文したかなどの情報はクラウドに保存されています。それを基に、アマゾンメールなどが購入商品の推薦をするようになってきました。

でもアマゾンメールは私の欲しくないものを紹介してきます。時には筆者の著書を購入するよう推奨してきます。私は買おうとして、自分の著書を検索しているのではなく、「どの程度売れているのかな」など考えて検索しているのです。しかし、AIはこのことを認識 していないようです。  

つまり、AIやビッグデータは、人の行動パターンは読めても、 人の心や意図までは読めないということなります(未来はわかりませんが)。そして心や意図は容易に変化します。

また、世の中の出来事は、善人による無意識なデータの積み上げばか りでは対応できません。たとえば、テロリストは自らの作戦が失敗 したならば、自らの行動パターンが察知されているとして、かな らず対抗策を講じようとするでしょう。

つまり、行動パターンを変える、データに偽情報を混入して操作する、 データを保有するクラウドに対してサイバー攻撃を仕掛けるなどが考えられます。敵対国家もまたしかりです。

▼情報分析官のスキルアップが必要となる

だから、安全保障の世界では依然として人間臭い、アナログ的な情報分析が必要であるし、情報分析官の仕事もなくならないと考えます。いや、なくならないと信じています。

しかし、これまでのように情報を集めてその傾向を見出すだけの分析手法に固執しているわけにはいきません。こうした分野においては、AIがどんどんと活用されていくとみられます。

だから情報分析官には、AIの対応できない多層的かつ多角的な視点での分析が求められます。そして分析の失敗を解明するために、常に複次の仮説を立てる柔軟性が求められます。

また、AIが読めない相手側の意図を探ることが求められます。このため、歴史、文化、心理、哲学などに立脚された重層な思考法を磨かなければならないと考えます。

▼佐藤一斎の格言に触発

筆者は、すでに組織の情報分析官をリタイアした身であり、まもなく60歳を迎えようとしています。しかし、「老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。 」を座右の銘に勉強を続けたいと思います。


これは「少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、 則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。 」の 佐藤一斎の『言志四録』からの抜出です。

つまり、老年にな ってからも学習することをやめなければ、死んだ後も自分の業績は後世にも引き継が れていく、という意味です。 筆者はインテリジェンス・リテラシーを後世に少しでも残したいのです。

佐藤一斎が42歳の時に書き始め、82歳になるまで 『言志四録』133条を書き続けたといいます。 佐藤一斎、佐久間象山、吉田松陰の師弟系譜から学ぶこと極めて多し。彼らに大いに触発されます。

未来において必要とされる能力と資質!  

我々の未来の環境はさまざまですが、AI(ITC含む)環境とグローバル環境に集約されます。

総務省はAI環境に必要な能力と資質について、人間的資質、企画発想力や創造性、対人間能力、業務遂行能力、基礎的素養に区分して、以下の能力や資質をあげています。

◇人間的資質:チャレンジ精神、主体性、行動力、洞察力

◇企画発想力や創造性 ◇対人間能力:コミュニケーション能力、コーチングなど

◇業務遂行能力:情報収集力、課題解決力、論理的思考力など

◇基礎的素養:語学力、理解力、表現力など  

他方、文部科学省はグローバル人材の定義に関して、要素Ⅰ、要素Ⅱ、要素Ⅲに区分して、以下の能力や資質をあげています。

◇要素Ⅰ:語学力、コミュニケーション能力

◇要素Ⅱ:主体性、積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感

◇要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー

また、文部科学省は、以上のほか、幅広い教養と深い専門性、課題発見・解決能力、チームワークと(異質な者の集団をまとめる)リーダーシップ、公共性・倫理観、メディア・リテラシー等が重要であるとしています。  

筆者は20数年前、陸上自衛隊調査学校(現在の情報学校)の新米の情報教官でした。当時、1992年の自衛隊カンボジア派遣などを契機に、“情報化”と“国際化”に対応する人材育成が喫緊の課題として認識されていたように記憶しています。

そうしたなか、陸上自衛隊の情報要員に対して「養成すべき資質や能力は何か?」というテーマが“侃侃諤々”と論議されていました。

筆者は現職時、教官業務の一環として相当数の「教育課目表(レッスンプラン)」を作成してきました。 これは簡略化すれば、上級司令部が示す教育基準、学校長の教育指針、前年度の成果、内外情勢及び教育環境などを踏まえ、基本的に修得すべき能力及び資質と、内外情勢の変化を対応して修得すべき能力及び資質について、それらの具体的な内容やバランス(配当時間)を明確にします。

次に、それらの能力及び資質を明らかにしたうえで、それらを達成するための課目及び課目内容を案出して、教育基準で示された精神教育、知識教育、実習、研修などの大項目区分に従って、課目と課目内容を割り当てていくことになります。

この作成過程において、もっとも苦心するのが、養成すべき能力及び資質を案出することですが、20年前の「教育課目標」の作成過程において、上述の総務省や文科省が列挙する項目はほぼ網羅されていたように記憶しています。

当時のAI環境、グローバル環境に比べて、現在は相当に進化しています。そ して、「今後10~20年程度で米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化さ れるリスクが高い(英オックスフォード大学でAIなどの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授)」、「2045年にAIが人間の能力を超えるシンギュラリティが訪れる(AI分野における世界的権威であるレイ・カーツワイル、ソフトバンク会長兼社長の孫正義氏など)」などの予測もあります。

また、グローバル化においては「ヒト」「モノ」「カネ」のボーダレスな流通が恒常化され、ITC発展とあいまって外国人労働者の流入、キャッシュレス社会、消費社会からシェア社会といった生活環境の変化がすでに起きいています。これが未来はさらに急速に進展すると予測されます。

このような環境変化に関する予測を受けて、多くの人が「10年先はわからない」、「私たちの仕事がAIに奪われる」といった不安感が次第に蔓延しつつあります。また「どのようなスキルを身に着けるべきか」などの暗中模索の思考がおこなれています。

たしかに、今後、これまでの職業がAIにとって代わられたりするといった状況が起こることは間違いないでしょう。つまり、ドライバーが自動運転技術にとって代わられた、精密技工や外国語の翻訳などがAIにとって代わられることになるでしょう。

「時代は流れる」「環境は変化する」、これは自然の法則です。そして結局のところ、先行きは 不透明であり、未来をずばっと言い当てることなど、神様でもなければ不可能です。

だから、「万物は流転する」といった自然の法則を受け入れ、そのうえで未来のシナリオを複数想定して、 基本的に必要とされる識能と資質をベースに、 自らが修得すべき識能と資質に磨きを掛けることが求められます。

ただし、筆者は上述の経験から、基本的に必要とされる能力・資質はいつの時代においても大きく異なるものではないと考えています。もちろん、それらの能力及び資質のうち、どれがより重視されるか、どの程度の語学レベルが求められるのかといった点には変化はあるでしょう。

環境の変化に柔軟に対応する(環境は変化するという事実を受け入れて、周囲の意見を聞いて自分の出来ることをやる)、リスクを恐れずに主体的・積極的に物事に取り組む、多様な仲間達と協調して困難を克服する、これらの基本的な能力及び資質があれば、「どのような環境であれ、世界であれ、領域であれ、やっていける」のではないでしょうか?

韓国海軍艦艇のレーダー照射事件について思うこと!

日韓レーダー照射問題で対立

現在、「P1哨戒機が火器管制レーダー照射による威嚇を受けた」とする日本側の主張に対して、日韓両国が真っ向から対立しています。

わが国の見識者は、「事実関係の解明が重要だ」としています。しかし、韓国側が完全否定している以上、事実関係を対外的に明らかにするためには決定的な証拠を公開して第三者の公的判断を仰ぐ以外にはありません。

つまり、P1哨戒機が解析しているであろう、『異常かつ不明』な電磁波信号を公開する必要があります。しかし、これは、自らの技術を明かし、そうでなくても先行きが不透明な韓国軍に火器管制レーダーの改良を促し、そうした情報が他の第三国に流れる懸念もあります。

こんなことは到底不可能です。その足元を見透かすかのように、韓国は逆に、「哨戒機が威嚇的低空飛行をしてきた」などと反論し、日本に対して謝罪を要求しています。他方、韓国は実務協議で問題解決を図る姿勢をちらつかせていますが、これはP1哨戒機が収集した電波情報の共同分析の提案という“魔の一手”(要は、日本側の電波情報だけが提示される)になる可能性があります。

思い起こされる大韓航空機007便撃墜事件

1983年9月に発生した「大韓航空機007撃墜事件」では、あくまでも事実を否認するソ連に対し、米国は国連の場において陸上幕僚監部調査部別室(当時)が行なった傍受交信の記録テープを証拠に「ソ連軍機が007便を撃墜した」と発表しました。

このテープの公開については、当時の中曽根総理や後藤田官房長官は当初、了承していなかったといいいます。

米国はわが国のインテリジェンスを利用することで、ソ連による航空機撃墜の事実を証明しました。しかし、わが国が長年かけて蓄積した、対ソ連のシギント収集のための指向周波数が公表され、ソ連はそれまで使用していた通信暗号を全面的に変更した。

その結果、わが国の傍受器材や傍受要領が通用しなくなり、シギント基盤は大打撃をこうむり、その再構築には多大な経費と時間を要したといいいます。

つまり、今回のような事案では、わが国は韓国に決定的な証拠を突きつけることは困難なのです。結局は事実関係の対外的公表はできないことになります。

国内向けに宣伝戦を続ける両国

日本は懸命に韓国側の危険行為の事実と、韓国側の主張の正当性のなさを主張しています。しかし、上述のように決定的な証拠が出せないのですから、あまり対外的な効果はありません。

国民に対して、粛々たる対応姿勢をアピールすることが狙いかもしれませんが、その国民からは「韓国側に明確な抗議を示せ」「具体的な措置を取れ」といった厳しい意見も多いようです。

韓国は完全に開き直って、韓国政府の立場をまとめた日本語を含む計6カ国語の動画を追加公開して、自国の立場を国際社会にアピールしています。

これに対して、日本では、「ほとんどは日本側の映像だ」とか、「こんな根拠のない主張は国際的には認めらないし、宣伝は効果はない」と、高をくくっていますが、はたしてそうでしょうか?

世界にとって日韓問題は極東アジアの些末な問題であり、どうでもよいことなのでしょう。たくさん目にしたもの、耳にしたものを批判なく信じ、利益を与えてくれるものに味方し、世論が少しづつ形成されて、固定観念になっていきます。それは、慰安婦問題などの歴史問題をみればよくわかります。

つまり、事実が正しいかどうかではなく、なりふり構わないロビー活動などにしてやられているのが現状です。

情報分析して何をするのか?

この問題については自衛官OBも含めて専門家などがコメントされています。主な意見は次のように整理できます。

◇現場サイドによる恣意的な判断でレーダーを照射したのであろう。

◇謝罪すれば済む話であった。ただし国防部は、南北関係の重視と歴史問題で支持率維持を狙う文在寅政権に対する忖度によって謝罪に応じられなくなっている。

◇日韓の軍事関係は以前として良好である。韓国海軍は実務協議で問題解決のメッセージを送ってきている。

つまり、現在の日韓関係のほとんどの問題は、文政権という不正常な一時的な状態に起因しているという見解です。

それにしても、事実関係の解明だとか、韓国側の意図だとか、情報分析ばかりしているような気がします。

筆者に言わせれば、「事実は日本側の主張どおり。でも、そんなことはもういい。それよりも、何ゆえに韓国側の意図を分析しようしているのか、情報分析の結果をどのような戦略・戦術に反映するのか、明確なスタンスを持ってほしい」ということです。

韓国はほんとうに友好国なのか?

上述のような専門家のコメントには隠れた前提があります。つまり、「日韓関係は基本的に変化がなく、韓国は依然としてわが国の友好国である。だから、昨今の北朝鮮情勢や中国情勢を踏まえた場合、韓国との緊密な軍事関係を維持する必要があるのだ」というものです。

これでは、いくら情報分析しても戦略・戦術は変わりません。すなわち、戦略・戦術にインテリジェンスを反映できません。

しかし、本当にこの前提が本当に正しいのか、一度考え直す時期に来ていると筆者は考えます。

中・韓・北VS日・米という地殻変動はすでに起きているのではないか?その背景には地政学的な力学のほかに地経学的な力学が働いているのではないか?日韓の軍事関係は良好であったのは過去、あるいは一部の高級幹部に限られているのであって、韓国軍の中堅幹部は反日・親中に傾斜しているのではないか?

これらのことを慎重に判断して、韓国との軍事関係のスタンスを見直すことが重要なのではないでしょうか。

筆者は日・米・韓の軍事関係がどの程度変化しているのかはわかりません。また、韓国の指導層にもさまざまな意見や派閥が存在することは間違いないでしょう。

ただし、インテリジェンスの視点からは「日・米・韓が協力して中国の台頭や北朝鮮の突発行動に対処すべき」との前提論に固執しすぎると、情報分析を誤りかねない、このことを申し上げておきます。

この点、有村香氏は相手の意図を分析することに終始して対応が遅れることの問題点を指摘されています。まことに拝聴の価値があります。

韓国と中国の相似性

それにしても、このような問題をめぐる韓国と中国の相似性には驚くべきものがあります。これは儒教文化など歴史的にも起因するのでしょうが、中国、北朝鮮、韓国はまさに双生児といってもよいかもしれません。

ここにはまったく日本的な禅譲、謙虚、誠実といった文化はありません。それでも、新聞等をみますと、文大統領が日本に対して“謙虚”になれ、といっているようですが、これはおそらく翻訳の誤りでしょう。中国や韓国に謙虚という言葉があるとは思えません。

第七計「無中生有」(むちゅうしょうゆう)―捏造 される領有権 問題

以下は、筆者の2016年に出版した『中国戦略悪の教科書』からの抜粋です。

― 「でっちあげ」の計略 -

「無中生有」は「無の中から有を生ず」と読む。語源は「万物は無から生ずる」との『老子』からの引用であるとされる。 本来はなかった物をあるようにみせ、その間に着実に実態を整える計略である。いわゆる「でっちあげ」「はったり」の計略である。

「無中生有」は中国の常套手段だ

二〇一二年九月、わが国による尖閣諸島国有化の以降、日中間の軋轢が急上昇した。中国国内での反日デモはまもなく収まったが、「海監」および「漁政」などの法執行船による尖閣諸島領海内への侵犯が常態化した。

二〇一三年一月一三日、尖閣諸島北方の東シナ海公海上で、中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊護衛艦に対し、約三キロ離れた所から、約三分にわたって射撃管制用レーダー(FCレーダー)を照射した。

わが国が中国側に対し二月五日、中国側がFCレーダーを使用したことを公表して、「危険きわまりない」と抗議した。 翌二月六日、中国外交部(外務省に相当)の定例記者会見で華春瑩(女性)・副報道局長は「外交部は日本から抗議されるまで知らなかったのか」との質問に対し、「そう理解してもよい」と返答した。

二月八日、国防部は「照射したのは監視レーダーだ」とし、FCレーダーの使用を完全否定した。そして副報道局長が「日本側の無中生有だ」と言い放った。 開き直りともいうべき完全否定は、FCレーダーを照射することの重大性を認識できる国際常識は持ち合わせていたことを示すものであろうが、一方、中国指導部は予期しない事態の対応に迫られたことで、「無中生有」だと居直り、完全否定を押し通すしかなかったと推察される。 また、副報道局長の「無中生有」発言は、中国がこの計略を常套手段として、平素から多用している証左であろう。

抗議には逆抗議で居直る

二〇一四年五月二四日、中国の戦闘機二機(Su-27)が東シナ海上空で自衛隊の情報収集機(YS-11EB)に約三〇メートまで接近した。同年六月一一日に、オーストラリアの国防相と外務相が来日中に、中国の戦闘機二機がふたたび自衛隊の情報収集機に接近した。

小野寺防衛大臣(当時)が、「こうした危険な飛行を行なわないよう」に外交ルートを通じて抗議した。これに対し六月一二日、中国国防部は「東シナ海の中国の防空識別圏で定期哨戒飛行中のTu-154型機が日本のF-15戦闘機二機に三〇メートルの距離に異常接近された」として、〝証拠〟の動画を公表した。

この動画を分析したわが国の専門家によれば、日中双方の航空機の距離は十分に保たれており、中国側の主張はまったくの捏造であった。 中国国防部は、わが国の抗議に対して居直り、逆に「自衛隊機の異常接近」をでっち上げることで、わが国を逆牽制するとともに、諸外国に対して、自らの正当性をアピールする国際宣伝戦に出たものとみられる。

尖閣諸島の領有権は〝でっちあげ〟

最近の日中間対立の直接原因は尖閣問題にある。これについても、中国側による「無中生有」であることを指摘しておかねばならない。

わが国は一八八五年から尖閣諸島に対する現地調査を開始し、台湾割譲が合意される下関条約の締結以前に、同諸島が占有者のいない土地、すなわち国際法上の無主地であることを確認し、わが国領土に編入した。 これに対し、当時の清国からは、なんらの異議申し立てはなかった。

その後、尖閣諸島は一九五一年の「サンフランシスコ平和条約」で沖縄本島とともに一時的に米国施政下に置かれ、七一年に、「沖縄返還協定」に基づき、沖縄とともに施政権が返還された。

この間、中国は尖閣諸島の領有権を公式に主張したことは一度もない。中国が五八年に発表した「領海声明」においても、尖閣諸島は中国の領土だと主張されていない。

ところが、中国は一九七一年、「尖閣諸島は中国古来の領土である」との領有権主張を開始した。これは、国連アジア極東経済委員会が同海域の海洋調査を実施し、六八年に「同海域には大規模な石油・ガス田が存在する可能性が高い」こと発表したことに対応したものである。

その後、「日中平和友好条約」の締結が大詰めに近づいていた一九七八年四月、中国の武装漁船が同諸島付近に集結し、日中に一挙に緊張が高まった。この際、鄧小平(とうしょうへい)・副主席が「問題を後代に委ねよう」と「棚上げ」を提唱し、尖閣問題は一応の沈静化をみた。 

しかし一九九二年、中国は「領海法」を制定し、南沙諸島などに加え、尖閣諸島の領有権を明記した。つまり、中国はいったん自ら「棚上げ」を提唱しておきながら、一方的にそれを放棄した。 中国は尖閣諸島の領有権を〝でっち上げ〟、そして「棚上げ」論でわが国を油断させ、その間に尖閣諸島が「自らの古来の歴史的領土」であることを正当化する文献の収集と、自国にとって都合の悪い日本側の文献・地図の棄却を行ない、「領海法」という国内法でもって外堀を固めた。

明代に著された書物に釣魚台の文字が記述されてあったとの主張を中心に、領有権の存在を国内外に喧伝していく一方で、尖閣諸島と記述されている『中国地図集』は都合が悪いため、中国政府が躍起になって回収しているといわれている。 まさに「無中生有」の実践が行なわれているのである。(以上、引用終わり)

さいごに

今回のレーダー照射事件はおそらく、今後の日韓関係の未来に起こり得ることの氷山の一角なのでしょう。

事実関係や直接的な原因を追求することも重要ですが、一角の現象はどこから来ているのか?地理、歴史、文化など、さまざな根底要因を洞察することが重要です。そして、大きな変化はとらえることが重要です。

その分析手法を氷山分析といいます。興味のある方は検索してみてください。

外国人労働者はわが国に幸運をもたらすか!

人口構造の変化

わが国は少子高齢化に急速に向かっており、労働人口の現象、地方における限界集落など、さまざまな悪影響が懸念しています。他方、世界では未だに人口が増加して、アジアやアフリカにおいては多くの余剰労働力があります。

そこで、わが国の少子高齢化の対策を考えるうえで、世界における爆発的な人口増加は何がもたらしたのか?この要因をPESTで分析してみましよう。

政治(P)では政府の政策に作用される側面が大きいと考えます。

中国は第二次世界大戦後に爆発的な増加の道を辿ります。これは中国政府が「人口が多いのは重要な国家財産である」と楽観的な思想の下で人口増加政策を推し進めたことにあります。

その反動から1979年から「一人子政策」を開始しましたが、2016年から労働者人口が減少に転じたために、一人子政策を廃止しました。

経済的(E)には工業化による経済成長が大きく左右していると考えられます。

世界的な人口爆発は、18世紀の農業革命とその後の産業革命時期に起きます。つまり、大量の食糧や商品を生産して消費する消費経済が人口増に適していたわけです。  

社会的(S)には戦争との関係が大きいとみられます。

第二次世界大戦後、世界各国にはベビーブームが訪れますが、これは終戦による安堵感から沢山の子供が出来たとみられます。   

技術的(T)には、テクノロジーによる食糧や物の生産力の向上があげられます。

農業分野におけるテクロノジーの導入は穀物生産量の大幅増となり、これが人口増加に直結しました。また、医療技術の進歩によって安定出産と長寿化が図られました。

日本の第一次ベビーブームの到来

わが国の第二次大戦後に第一次ベビーブーム期(1947年~1949年)を迎えます。つまり、終戦による社会の変化、安心感が人々に子供を持つ希望と勇気を与えました。

1949年には年間出生数は約270万人の最高値を記録しました。第一次ベビーブーム期の3年間に生まれた人たちが「団塊の世代」と呼ばれます。これは約800万人に達していました。

やはり、人口増の背景には政府の政策が大きく作用しました。第二次世界大戦後、経済復興のための政府は「生めよ、育てよ」をスローガンにした 子供の出生を奨励しました。この政策と、社会的な平和、そして飛躍的な経済発展による景気感が第一次ベビーブームの到来となったのです。

このように出生率が向上して、テクロノジーの恩恵によって医療技術がもたらす長寿化が、わが国の人口を急激に押し上げたのです。

わが国の出生率は早くから低下した

しかしなが、わが国の出生率は意外にも、第一次ベビーブームが終わるとすぐに低下することになります。

第一次ベビーブーム期から約20年後の1970年代初頭、第二次ベビーブーム期(1971年~74年)が訪れます。この時期には毎年約200万人、計800万人の子供が生ました。これは「団塊ジュニア」と呼ばれます。

このベビーブームは、第一次ベビーブームの「団塊世代」による“ボーナスの配当”です。実は、女性一人の少生率に限ってみれば、それ以前から減少していたのです。

合計特殊出生率(15歳から49歳までの女性1人の出産率)は第一次ベビーブーム期には4.3を超えていました。しかし、その後、特殊出生率は急激に落ち込んでいき、第二ベビーブーム期には約2%になっていました。

人口を維持できる合計特殊出生数の水準は2.07とされることから、すでに未来の危機となる少子化の傾向は始まっていたたわけです。 このように、出生数の低下という現象は穏やかに始まっていましたが、「団塊の世代」という大きな分母が「団塊ジュニア世代」という大きな分子を生んだのです。このことが、政府は国民の未来への楽観視へとつながったのかもしれません。

1975年以降の出生数はほぼ減少し続けていきました。合計特殊出生率も漸減していき1989年には1.57まで落ち込み、「1.57」ショックと呼ばれました。なお、この影響には、この年にあたる「丙午(ひのえうま)」に生まれた子供は縁起が悪いというジンクスの影響が加算されました。

合計特殊出生率の低下により、団塊ジュニア世代が結婚適齢期になる1990年代の前半になっても、第三次ベビーブームは起こりませんでした。合計特殊出生率は2005年には過去最低の1.26まで落ち込みました。

その後はやや持ち直し、最近では1.5弱を維持していますが、2016年以降また減少傾向にあります。

出生数の方も1975年以降、減少の一途をたどり2016年からは毎年100万人を下回っています。第二次ベビーブーム期の約半分まで落ち込んだことりなります。

しかし、それでも人口全体の数はずっと増え続けていました。なぜならば医療技術などによって平均寿命が大幅に伸びたからです。このことが、人口構成の変化がもたらす危機についての認識欠如に繋がりました。

平均寿命は戦後ほぼ一貫して伸び続け、1990年と2017年を比較すると、男女ともに5歳以上を伸長しています。 しかし、長寿化の速度を少子化の速度が上回ったことから、わが国は2010年から歴史上初の人口減少を迎えました。

この場に及んでようやく人口の問題がクローズアップされます。しかし、その問題の原因ははるか昔に発生していました。政府や国民の楽観視が問題解決の本質に気づかなかった、気付こうとしなかったといえます。

日本の人口予想

人口減少の傾向は、2010年の1億2806万人が、2040年には1億728万人になると推測されています。 また65歳以上の高齢者が社会全体に占める割合は、2010年には23%であったが、2035年には33%を超えて3人に1人が高齢者となります。2042年には高齢者3878万人でピークを迎えますが、高齢者率はその後も増え続け、2060年には約40%に達すると予測されています。

このようにわが国は少子高齢化に向かって進んでいますが、高齢化の波を押しとどめることは道徳的、倫理的な観点から不可能です。 したがって少子化の改善が急務となっています。つまり直接的な人口減少原因である出生率の低下に歯止めをかける必要があるのです。

先に見てきましたように、世界的な人口増加は終戦、政府の政策、経済発展、テクノロジーの進化がもたらしましたが、これからは消費社会からシェア社会へと移行していきますので、世界的に人口増加という方向には向かうわけではありません。

しかし、わが国における少子高齢化という歪な体制を解消するためには、当面の出生率を回復・上昇することは不可欠です。

その出生率の低下は女性の高学歴化や社会進出の影響が大きいとされます。1950年代の後半から日本は高度成長期に入り、経済の中心は農業から工業・サービス業へと移り、学校を終えた女性が外で働くことが一般的となりました。1967年には、初めて女性雇用者の数が1千万人を超えました。

さらに政府による女性の労働奨励(1986年の男女雇用機会均等法)、中絶合法化、男女同権などの政策が出生数にブレーキをかけていきました。

また人口減少が地方都市での産業の空洞化を生み、大都市に人口流出が起きたことも少子化の原因です。都市部への人口集中が起きると、そこでは経済の過当競争が起こり、共働き家族が増えます。すなわち女性の社会進出によって、ますます少子化が加速することになるのです。

女性の社会進出が少子化につながるという悪循環

わが国は世界でも類をみない少子高齢化社会の到来を迎えて、労働力不足のための外国人労働者の受け入れや、高齢者の活用、さらにはAI(人工知能)などを模索しながら、少子化の根源原因の改善に努めなければならないとみられます。

少子化が直面する喫緊の課題が労働力不足です。この対策の一つとして、政府は女性の活用を挙げています。しかし、 しつかりとした対策を講じなければ、 先述のように女性の社会進出が少子化の原因となったのですから、負のスパイラルに陥る可能性があります。

政府は女性の活用を促進しつつ少子化を抑制するために、子育て支援、働き方改革などを推進する方向を示しています。しかしながら、女性の社会進出によって女性の結婚観、人生観にも変化が見られています。このような価値観の変化には政府による各種の優遇策は無力であるかもしれません。

ただし、同様に少子化で苦労していたフランスでは、金銭的な子育て支援策のほかに、結婚に縛られない出産環境を整えました。現在で50%以上がシングルマザーとなり、合計特殊出生率も2.07%を上回っています。 このことは、わが国にも一縷の希望をもたらすことになるかもしれません。

外国人労働者の問題

労働力不測の対策のもう一つの対策である外国人労働者についてはどうでしょうか?

これについては賛否などについて侃侃諤々の議論がなされていますが、昨年(2018年)暮れに、筆者はある出版社の社長さんと、銃器の世界的な権威であるT氏と会食する機会があり、その時にT氏がお話しされたことがとても有益だったので、皆様に紹介します。  

T氏はドイツと日本で計50年生活されている国際人です。そ の方から見る、現在の日本人や日本の在り方論には大いに感銘を 受けました。

よく未来予測は「すでに起きている現実に着目せよ」と いわれますが、ドイツは少子高齢化の先進国です。 つまり、日本が労働力不足解消のために外国人労働者の受け入れることが、どのような未来を引き起 こすかを予測するには、ドイツですでに起きている現象を知ることが重要なのです。  

ドイツはその労働力不足の解消や、グローバル化の世界的な影響を受けて、どんどん移民を受け入れています。 T氏によれば、ドイツではイスラム系トルコ人が移民として移 り住んでおり、とくに問題となるのが、ドイツ国籍を取得したトルコ系二世のドイツ人なのだそうです。  

最初に父親たちがトルコからドイツに移住します。彼らはドイ ツ人女性とは結婚せずに、トルコ人女性との結婚が主流のようです。父親は仕事に就くために、努力して語学を修得します。でも、 遅れてドイツにやって来る母親(恋人)は生活に必要なドイツ語 しか修得しようとしません。  

だから、その両親によって育てられる二世は、言語でドイツ人 と障壁を持つことになります。また、風貌もドイツ人とは異なっていますし、宗教はイスラム教です。つまり、ドイツ社会では法 や規則ではわからない、知らず知らずの差別化が生まれているの だそうです。

こうした若者は自分のアイデンティティーに疑問やジレンマを抱くことになります。そして集団に属さない、行き場のない若者が生まれるのだそうです。

おそらく、そこにテロ組織が目をつけて、彼らの所属先を提供 し、これがテロ組織の勢力拡大や、ローンウルフ型のテロを生む原因となっているのだと思います。  

また、イスラムでは4人まで妻を持つことができるようです。 成功したトルコ人は複数の妻を養おうとして、それがドイツ政府との間で問題となっているようです。こんなことはドイツでは当然許されません。

また、心のよりどころが欲 しくなり、成功したトルコ人はモスクを立てようとします。しか し、ドイツとしては、どこでもかしこでも宗教的建築物を建築してもらつてはこまります。だから、それを拒否する政府とイスラム系トルコ人との軋轢という問題が起きているようです。  

つまり、宗教、文化といった障壁が、トルコ人とドイツ人の拭い切れない内部対立を生んでいるようです。  

さらには、一部のドイツ人がトルコ人になりすまし、「いかに差別された労働環境で働かされたか」といったドキュメンタリー記事を書いて、大注目されるといったことも生起したようです。  

どの世界でも、反政府派は存在します。彼らは現政権を打倒す るために、差別や“ブラック”を意図的に用いて大衆の不満に訴 えるというのが常套なのです。

T氏のわが国の未来への警鐘 

そのほかにも、T氏からはさまざまな有益なお話を賜りましたが、わが国の政策についてのT氏の懸念をいつくか紹介します。

○歴史的に民族の往来があるドイツでもこういう状況です。島国である日本に、たとえばインドネシアからイスラム系の外国人労働者がたく さん入国したらどうなりますか?多神教のわが国が、どの程度イスラム教を容認できますか?

○徴用工の問題がありますよね。彼らは自主的に日本での仕事に 志願したにせよ、目に見えない仲間内の差別は当然あったでしょ う。これと同じようなことが、あらたな外語人労働者との問題と して起こる可能性はあります。徴用工のような問題がふたたび未来に起こる、それを政府は理解しているのでしょうか?

○外国人労働者を5年間も日本で働かせて、「ハイ、さよなら」 とはいきません。彼らが自国に帰っても、すでに生活基盤はあり ません。結局は、日本に住むことになります。そうしたことを考 えていますか?都合の良い弥縫的な政策でお茶を濁そうとしていませんか?

○外国人による刑事事件が生じれば、警察には特殊言語の専門家が必要です。また行政の窓口にも特殊言語の専門家がいります。 それも規模が拡大すれば市町村レベルまで必要になります。こ ういう点を考えると、労働力不足の解消にはつながりません。もっとA Iの導入などをしっかりとやるべきでしょう。  

まさに、ドイツの現状を知る人ならではの貴重なお話でした。

わが国のインテリジェンスは遅れていないか!

▼戦略がビジネスの世界に浸透

世の中では、経営(競争)戦略、企業戦略などの用語が頻繁に紙面を賑わしています。ただし、戦略は言葉の言い回しからして、もともとは軍事用語です。

戦略の定義は諸説多く約200あるといわれています。この詳細はさておき、第二次世界大戦以前の共通した戦略の定義はおおむね軍事的要素に限られていました。 しかし第一次世界大戦以降、軍事力のみならず国家総力で戦争に応ずる必要性が認識されました。

一方で、戦禍の犠牲を最小限にするため軍備管理などの重要性が高まりました。このため、戦略は単なる戦場の兵法から国家の向かうべき方向性や対応策まで含む幅広い概念へと拡大するようになったのです。

戦争の様相の変化とともに、戦略も必然的に非軍事的要因、すなわち経済的・心理的・道徳的・政治的・技術的要因をより多く加味する必要がでてきました。

よって今日は、軍事戦略だけでなく国家戦略、外交戦略および経済戦略などの用語が定着するようになっています。つまり、戦略の概念は武力戦のみならず外交・経済・心理・技術などの非武力戦を包含したものに拡大したのです。

他方、ビジネス社会では20世紀になり企業が膨張・多角化し、競争がグローバルに拡大しました。そのため、「相手に勝つ」ことを本義とする軍事戦略が、経営に活用・応用されるようになり、それに伴い経営戦略などの造語が登場するようになりました。

21世紀に入り、グローバル化、メガコンペティション化、IT化などの急速な進展により、企業間の競争は一段と鮮烈化しています。さらに、ビジネスを取り巻く環境の変化が急速であり、新たなライバイ会社の登場や予想もしなかったような代替品の出現によって企業の存続が危ぶまれるといった事態が恒常化しています。

疾風怒涛の競争の中を優位な状況で勝ち抜き、新たな事業の展開をはかっていくためには、よりダイナミックな経営手法、積極果敢な戦略、機知を捉えた巧みな戦術が要求されています。

▼インテリジェンスの進化と拡大

軍事の領域で使用された戦略・戦術がビジネスの世界に普及・浸透するにつれて、軍事情報理論も逐次にビジネス界に浸透しつつあります。

軍事の領域では、早くから敵対国や戦場のことを先に知る、敵側の部隊、兵器の現在地を知るなど、すなわち情報優越の必要性が認識されてきました。いまから2500年前の戦略書である『孫子の兵法』では、すでに戦勝を獲得するための情報の重要性が説かれています。

他方、経済の世界において情報が大きな役割をもった最初の例は19世紀初頭のフランスのナポレオン時代にさかのぼります。

当時、ナポレオンはヨーロッパ大陸の征服を目指していました。一方、当時のヨーロッパ大陸で大きな権益を誇っていたのがイギリスです。

ナポレオンは1814年にプロシアに敗れ、地中海のエルバ島にいったん流されますが、島から脱出して再起をかけます。ナポレオンはフランス軍を率いてブリュセル郊外の「ワーテルローの戦い」でプロシアに決戦を挑みます。

この時、イギリスは工業力を背景にヨーロッパで大きな貿易取引をしていたので、ナポレオンが勝つか負けるかが最大の関心事でした。つまり、ナポレオンのフランス軍が勝てば、イギリスの欧州大陸における利権は一気に失われることになります。

当時、イギリスのロンドンに世界最大規模の証券取引所があり、そこでは国債が販売されていました。国債の価格はナポレオンが負ければ暴騰し、ナポレオンが勝てば暴落します。

そのため、投資家たちは、ロンドンからはるか離れた「ワーテルローの戦い」の勝敗を、固唾をのんで見守りました。つまり、この戦いの勝敗を告げる情報が決定的な力を持ったのです。

この時に情報をいち早く入手して、国債の価格を意図的に変動させて、大もうけした人物がいます。この人物がユダヤ系のロスチャイド家のネイサン・ロスチャイルドです。 ネイサンは欧州各国に展張した情報網を駆使してナポレオン敗退の情報を誰より早く的確に入手しました。これはイギリス政府が知るより、一日早い情報だったといわれています。 

ネイサン・ロスチャイルド

ナポレオンが負けたのだからイギリスの国債は上がります。だから国債を買えば儲かります。しかし、ネイサンは、ぎゃくに国債の売りに出ます。

これを見た他の投資家は、ネイサンの行動から「イギリスは負けた」「イギリス国債は大暴落する」と判断して、大量の国債が二束三文でたたき売られました。そこでネイサンはこの大暴落した国債を買い占めたのでした。  

その後、証券取引所にも「ナポレオン敗北」のニュースが飛び込み、ネイサンの思惑どおりイギリス国債の価格は跳ね上がりました。こうしてネイサンは莫大な富を得ました。

この結果、世界各国で情報の力と重要性が認識され、情報処理技術が加速度的に進歩し、モールス信号や電話が開発されました。

さらに第一次、第二次世界大戦を経て、情報の収集・伝達手段がさらに高度になり、レーダーやコンピューターなどが発明されました。かくして情報力が戦勝を支配するようになりました。 また、これらの戦争を通じて、米国ではインフォメーションとインテリジェンスとの区別、インテリジェンス・サイクルなどの情報理論を確立していきました。

当時日本軍は、情報を収集することでは決して引けを取っていなかったのですが、インフォメーションをインテリジェンスに高める理論を欠いていました。戦後、自衛隊で情報教範の作成に従事する松本重夫は、このことが情報戦に敗北した原因との見方を提示しています。

なお、インフォメーションとインテリジェンスの意味について後述しますが、ここでは生情報がインフォメーション、インフォメーションを加工して作成した、戦略・戦術の立案や意思決定に直結する情報がインテリジェンスと理解しておいてください。

▼欧米ではビジネス・インテリジェンスが活性化  

インテリジェンスは戦略などと同様に、本来は国家の組織が行う国家機能です。しかし、米国ではすでに1970年代に、それがビジネスの世界に取り入れられ、ビジネス・インテリジェンスの研究と企業における実践が開始されました。  

この経緯については、北岡元著『ビジネス・インテリジェンス』に詳しく記述されていますが、ここでは他の資料も加味してその要点について紹介します。

1980年、マイケル・ポーターが『the study Competitive strategy(競争戦略)』を出版したことが、ビジネスの世界におけるCI(Competitive Intelligenceの略語)の源流となりました。なおCIは今日、競合インテリジェンスあるいは競合情報分析などと翻訳されています。

CIは、企業が企業間あるいは国際間での競争優位に立つことを目的としています。これは、単なる競合(ライバル)会社を分析するコンペティター分析ではありません。自社を取り巻く未来環境を把握し、そのなかで自社の勝ち目を見出すものです。 米CIAのOBであるジャン・ヘリングは「我々を取り巻く環境に対する知識と未来予想で、マネジメントの判断・行動の前提」と定義しています。

1985年、国家インテリジェンス組織で培われたノウハウが、ビジネスの世界に導入されました。この立役者がモトローラ社のCEOを務めたロバート・ガルバンと、前述のヘリングです。

1970年代当時、カルバンはモトローラ社のビジネスマンであり、「アメリカ大統領対外インテリジェンス諮問委員会」の委員を兼任していました。彼はCIAなど政府インテリジェンス組織のプロたちが、インフォメーションを収集し、分析してインテリジェンスを作り、未来を予想することで安全保障政策の立案・執行に役立てていることに注目しました。

1980年代になって、ガルバンはモトローラ社内で情報のプロたちによるインテリジェンス部門の立ち上げを提唱しました。当初、その提案に対する社内の反応は冷ややかでしたが、やっとのことでその提案が承認されます。そして、そのインテリジェンス部門の責任者として、ヘリングがモトローラ社にやってきました。それが1985年のことです。

1986年には、CIの専門家による協会であるSCIP(スキップ。競合情報専門家協会。Society of competitive Intelligence professionals)が、米国・バージニア州に設立されました。

1990年代には、同協会は会員数が6000名規模までに拡大し、米国のみならず、カナダ、イギリス、オーストラリアへとその範囲を拡大しました。なお、SCIPは2009年の金融危機により、他の組織と統合され、組織名も「Strategic & Competitive Intelligence Professionals」に変更されました。

1996年、レオナード・ファルド氏、ベン・ギラド氏、ジャン・ヘリング氏が、ACI(CIアカデミィー,「The Fuld-Gilad-Herring Academy of Competitive Intelligence(ACI)」をケンブリッジに設立しました。

CIアカデミーは、CI専門家を育成する機関ですが、近年ではCIアカデミーが行うプログラムの参加者の中に、CI部門以外のマネージャーの参加が増えてきたそうです。これは、企業全体のCI能力の向上が必要であるとの認識がビジネス界全体に芽生えていることの証拠です。

このように欧米諸国ではインテリジェンスをビジネスの世界に積極導入しています。そして企業内のCI能力を高めるための各種の啓蒙・普及活動にはめざましいものがあります。

▼わが国のビジネス・インテリジェンスの現状  

残念ながら、わが国におけるビジネス・インテリジェンスは欧米に比して大いに遅れをとっているといわざるをえません。

2001年4月に前田健治元警視総監らによる「SCIP Japan」の設立を経て、2008年2月に「日本コンペティティブ・インテリジェンス学会」が発足しました。しかしながら、いまだに学問的研究が主体であり、CIの概念がビジネスの世界で普及したとは言い難い実情にあると思われます。

大企業においてインテリジェンス部門を設置したという話題も聞きませんし、政府組織の情報分析官が企業のインテリジェンス部門に採用されるといったケースは皆無でしょう。

これにはいくかの原因が考えられますが、筆者が思い当たるものは以下のようなものです。

第一に、政府情報組織におけるインテリジェンス理論や情報分析手法などが未確立であり、インテリジェンス要員の育成も未熟である。政治、経済といった複眼的思考から、現状分析、未来予測を行い、戦略設定や危機管理に対して助言できる人材が育っていない。したがって企業ニーズに応えられない。

第二に、ビジネス界では戦略・戦術、インテリジェンスなどの理論や本質が十分に理解されていない。企業全体としてインテリジェンスの重要性に対する認識が確立されていない。

第三に、わが国のビジネスパーソンは、安全保障への関心や、地政学的リスクに対する意識が希薄である。中国の海洋進出、北朝鮮の核ミサイル問題、米中貿易戦争関連のニュース報道は盛んに行われるが、それらの政治リスクが企業経営にどのような影響を及ぼすのかまでブレークダウンして考える気風がない。

上述した問題点を是正していくことは容易ではありません。ですが、まずは官民がインテリジェンスの基礎理論などについて共通の認識を持ち、その理論の活用などに関する知見をともに高めることが必要だと、筆者は考えています。

AI環境下での自衛隊における要員確保の道は!

わが国は少子高齢化にまい進中

日本は2010年から有史以来初の人口減少に向かい始めたようです。少子化の方は、それよりもずっと早くから始まっていました。しかし、医療技術の発達や栄養状態の改善、健康指導などによって長寿化が進み、それが人口減少を食い止めていました。  つまり、少子高齢化は2010年のずっと前から始まっていました。

人口減少の傾向は、2010年の1億2806万人が、2040年には1億728万人になると推測されています。

また65歳以上の高齢者が社会全体に占める割合は、2010年には23%であったが、2035年には33%を超えて3人に1人が高齢者となります。2042年には高齢者3878万人でピークを迎えますが、高齢者率はその後も増え続け、2060年には約40%に達すると予測されます。

このようにわが国は少子高齢化に向かって進んでいますが、高齢化の波を押しとどめることは道徳的、倫理的な観点から不可能です。だから、少子化の対策、すなわち、出生率を上げることが喫緊の課題となっています。

少子高齢化は労働人口不足を招く

少子高齢化は、都市への人口集中と地方の空洞化などの副次的な影響をもたらしますが、なんといっても最大の問題点は労働市場における人手不足です。 この対策には、女性の雇用、高齢者の雇用、外国人労働者の雇用、そしてAIの雇用などの対策があげられています。 しかし、女性の雇用を進む一方で、子育て支援といった政府対策、男性の育児休暇などの職場の理解がなければ、さらなる少子化の原因となります。つまり、負のフィード・バック・ループに陥ることになります。

高齢者の雇用については、確かに50年前の65歳と現在の65歳を比べるのは問題ですが、そうはいっても企業側としては健康面でのリスクを抱えることになります。ましてや、防衛・消防・警察といった面においては、一部のスーパー高齢者は別にして、有事を想定した場合も60歳以上を正規雇用するなどといったことは筆者の経験からして「あり得ない」と考えます。

外国人労働者あるいは移民政策についても、治安問題、社会における受け入れ体制、言葉の障碍など、早急には改善できない問題が山積しています。先に移民政策を取ったヨーロッパにおいては、移民政策が誘因となるテロなども問題となっています。

AIの導入如何によっては、世の中の労働市場は高度専門技術者と肉体労働者を残し、今日の大部分を占める中間層の事務・管理などの業務は淘汰されるとされています。 これら中間層のほとんどは肉体労働に向かうしかない、といわれています。

しかし、問題は中間層が自分の能力を過大評価している点です。つまり、多くの中間層がうまくシフトができないで、無職になって世捨て人になってしまう可能性があります。 かつての蒸気機関の発明による産業革命時期のように、労働者による暴動が起こる可能性も懸念されるわけです。    

自衛隊の要員確保が深刻な問題

さて、世の中が、こういう状況に移っているのですから、自衛隊における要員確保が困難になっているのも頷けます。

他方、世界秩序の多極化、経済を中心としたグローバル化、ITの拡大により、わが国周辺では中国の覇権主義的な台頭が起こり、世界各地では地域紛争、民主化デモやテロ活動の兆しが生起しています。このため、わが国の防衛、警備上のニーズは将来的にさらに高まる事が予想されます。
 

また世界的規模で進む気候変動が、風水、津波被害を頻発させることが予見され、このことが防衛上の所要を高めるとみられます。。

このように将来的に防衛・警備の所要が増大する中、自衛隊の募集は困窮を極めています。そこで、防衛省は新隊員の採用年限を32歳まで引き上げるなどの応急策を取ろうとしていますが、はたして、どうなることでしょうか?これが、どのような悪影響を及ぼすかについては、あまり検討されていないようです。

幹部自衛官の処遇は他の公務員よりも悪い!


私の娘は地方公務員です。8年前に陸上自衛隊の幹部候補生にも合格しました。入隊を進めましたが、自衛隊の幹部候補生は生涯賃金などを他の公務員と比較したら、高卒対象の初級職公務員より待遇が悪い、という評価のようです。それを言われると、納得せざるを得ません。 

私も55歳で自衛隊を定年退職しましたが、幹部自衛官といっても2佐以下であれば、損保、警備職がほとんどです。年収は半分以下になり、自衛隊で修得した指揮・運用能力の活用などは望めません。

かつての自衛隊は60歳から共済年金が支給されていましたが現在は65歳です。つまり、10年間は新たな職業によって生活を保持し続けなければなりません。ここで、一般公務員との待遇格差が生じることになります。

また、ほとんどの幹部自衛官は高度専門職ではなく、どちらかといえば事務・管理職です。だから、AIが導入されれば、ますます潰しが効かず、再就職には不利です。 しかも、自衛隊は秘密保全などの理由から、積極的に外部社会と関わる環境を推進しているとは言い難い状況にあります。 つまり、人脈を増やしたり、他の領域においてスキルアップができる有利な環境にあるとはいえません。

一般社会のどの階層と比較するのかという問題はありますが、少なくとも一般幹部候補生を、他の大卒の一般公務員と比較した場合、その処遇は見劣りするといってよいでしょう。

それでも自衛隊に入隊するとしたら国民からの信頼と誇りが支えとなります。今日の自衛隊は災害派遣などで国民から高い信頼と評価を受けています。これは防衛基盤の育成としては重要なことですが、災害派遣のために自衛隊を選択する者はほとんどいません。あくまでも、他国の侵略やその他の脅威から国民の生命・財産を国防という第一義的任務を全うすることを誇りに入隊します。

一般自衛官の処遇改善が急務

幹部自衛官がこのような状況ですから、ましてや一般の自衛官の募集はさらに困難でしょう。それに加え、これからIT社会、AI導入により、自衛隊の職場環境や、未来の戦場環境は変わってきます。

ますます質の高い要因の確保が求められますが、高質の要員を確保・育成するためには処遇改善が不可欠です。つまり、 職場環境や居住環境の改善が必要不可欠です。現代青年に不可欠な隊員個室、ワイファイ環境、こういった整備を整えなければ現代青年は定着しません。そして、AI環境下における戦士の育成はできません。

私の現役時代、厳しい生活環境で隊員を鍛えるといった上級指導者がいましたが、時代錯誤です。生活環境はゆとりを、訓練は厳しく、そのメリハリが重要であることは、米軍、ドイツ軍などでは伝統的になっています。

かりに一般社会に先駆けて、ドローン操縦、自動運転などの技術が修得できるとすれば、それは新たな魅力になるかもしれません。一般社会とは違う、先験的な魅力化政策と、処遇改善、それが要員確保の本質であると考えます。

“SNS・ブログメディア”はマスメディアの監視機構になれるか?

安田純平氏、無事に解放

2018年10月24日、 内戦下のシリアに2015年6月、トルコ南部から陸路で密入国し、武装勢力に拘束されていたとされるフリージャーナリスト安田純平氏(44)が無事解放されました。

このことは、日本人の一人として大いに喜ぶべきことですが、SNSやブログでは「自己責任」論を展開するバッシングで盛り上がりました。これも、安田氏の記者会見などにおける真摯な謝罪などにより、ようやく下火になったようです。

今日のSNSやブログでは過激な意見も多々散見されます。ただし、筆者はこれまで情報発信力を持たなかった“サイレントメジャー”の意見を見る上で、ブログの存在は重要であると、思います。

なかには、自由に匿名での書き込みが行われるため、SNSやブログが大衆世論を反映したものではないとの批判もあります。しかし、私の言いたいこと、思っていることを、結構、ずばっと代弁してくれているような気がします。

SNSやブログによる意見の内訳

今回の安田氏の行動をめぐっては批判と擁護の両論が生起しました。

マスメディアには擁護派が多いように思われます。マスメディアは報道を商売としていますので、当然に取材活動や報道の自由を主張し、取材の価値を高く評価します。ある意味、安田氏の行動を肯定的に評価するのは当たり前なのかもしれません。

一方のSNSやブログでは、批判派と擁護派に分かれていたようです。批判派は安田氏の行動を批判し、さらに安田氏の行動を擁護するマスメディアに対して批判の目を向けました。擁護派は安田氏を“英雄”視し、日本政府の過去3年間の“無為無策”を批判しました。

ただし、私が見る限りでは、ブログメディアの趨勢は、圧倒的に批判派によるバッシングで占められていたように思います。それだけ、今回の安田氏の行動に対して、日本国民の多くが疑問を感じていたように思います。

なぜ、バッシングが起きたのか?

日本政府は、邦人保護という直接的な政府課題や、国際テロ協調、さらには国内政治などにおける間接的デメリットが発生する可能性を懸念して、安田氏に対して、再三にわたり、渡航を自粛するよう注意喚起していました。

これにもかかわらず安田氏が渡航し、“案の定”ともいうべきか、武装勢力に拘束されたのですから、日本政府としては、これを“迷惑事件”だと考えていたとしても不思議ではありません。しかし、日本政府が「自己責任」を理由に、邦人保護の義務を怠ることはありえません。

他方、今回の安田氏の解放に対して、日本政府は終始、淡々と対応していた様子がうかがえました。まるで“火中の栗”は拾わないといったような、冷静で抑制的なコメントが続けられました。

そうした一方で、SNSやブログでは「日本政府の注意喚起を無視して危険地域に行って武装勢力に拘束された。自業自得だ。「自己責任」だから解放にかかった費用を払うべきだ」など、さまざまなバッシングを繰り広げました。

これに対して、いつものように反政府批判を繰り返す、マスメディア(正確には一部マスメディア)が、「自己責任」論を捕えて、攻撃の矛先をブログメディアに向けました。これに対して、SNS上では、コメンティターの発言に批判の大合唱を展開するという事態が生起しました。つまり、ここ最近見られる新しい形の“メディア戦争”が勃発したのです。

一部マスメディアの論調

今回の事件に関して、テレビ朝日解説員の玉川徹氏は、「自己責任」を主張するブログバッシングをとらえて、「未熟な民主主義だ!」と断じたり、安田氏を「英雄と迎えよう」などと主張しました。

玉川氏:「兵士は国を守るために命を懸けます。その兵士が外国で拘束され、捕虜になった場合、解放されて国に戻ってきた時は『英雄』として扱われますよね。同じことです。民主主義が大事だと思っている国民であれば、民主主義を守るためにいろんなものを暴こうとしている人たちを『英雄』として迎えないでどうするんですか」

これに対し、ジャーナリストの江川紹子氏は次のようにコメントしました。

「国の命を受けて戦地に赴く兵士と、自分の意志で現場に向かうジャーナリストは、本質的に異なる。それをいっしょくたにした物言いは、安田氏を非難したい人たちに、格好の攻撃材料を提供した。「ひいきの引き倒し」「親方思いの主倒し」とは、こういうことを言うのだろう。」

「ひいきの引き倒し」「親方思いの主倒し」はさておき、江川氏の論じるように、本質が異なるものを無理無理に類似するする見識の低さにはあきれました。

「自己責任」論は政治的案件なのか?

他方、江川氏は次のような論説を展開しています。

◇「自己責任」が言われるようになったのは、2004年にイラクで日本人の若者3人が武装勢力に拘束された事件においてであった。

◇当時の小泉政権で環境相だった小池百合子氏が「危ないと言われている所にあえて行くのは、自分自身の責任の部分が多い」と発言したのを機に、「自己責任」の大合唱となった。

◇当時、政府・与党の政治家があえて「自己責任」を持ち出して3人を非難する世論を誘導したのは、この事件が金目当ての誘拐事件や遭難などの事故とは異なり、政治的案件だったからだ。

こうした江川氏の論説の展開に対し、過去における「自己責任」論の生起の経緯を起点に、「自己責任」論が政府の「公的責任回避」論を結びく危険性という論理を掲げ、現政府への間接的攻撃を加えようとしている。そこには、今回の「自己責任」論の沸騰のなかで、一般大衆による反政府批判が十分に熟さないことに焦りを感じている様相がうかがえる、といったら、いささか穿った見方でしょうか?

海外における安全対策においては「自己責任」は常識

「自己責任」とは何か?について私見を述べます。筆者は1992年から95年まで、在バングラデシュ大使館で邦人保護の業務に従事したことがあります。当時の外務省『安全対策マニュアル』では、海外における安全対策においては「自己責任」が基本的原則であると明記されていたように記憶しています。

筆者も「自己責任」論に基づいて邦人の安全対策指導に従事していました。 また、他国の安全対策専門家とも多くの意見交流を持つ機会がありましたが、彼らも、海外における安全対策は自己責任が原則であるとの認識を有していました。

つまり、上述の小池氏が述べたようなことは、海外の安全対策においては至極当たり前のことなのです。

ただし、誤解しないでください。「自己責任」は、政府が邦人保護の責任を回避するというものではまったくありません。海外において邦人が不測の事態に遭遇したならば、全力でその生命や財産を守ることは当然のことです。

しかしながら、海外ではわが国の警察権などは及びません。在住する外国人の安全を守る第一義的責任は任国政府にあります。ここが国内とは大いに違います。

だから、邦人が海外で危険な目に遭遇したとしても、日本政府ができることは限定されます。現地では邦人の安否を確認し、その救出などの措置を任国政府に要請する、これらのことしかできないのです。この点はペルー人質事件が良い例です。

だから、政府は事前に関連情報を収集して、危険な地域に対して、渡航注意喚起や渡航自粛勧告などを発出しますが、邦人に対して、明確な犯罪行為などは別として、「行くな!」という権利はありません。

だから、危険な地域に行く、行かないの判断を含めて、海外に行く邦人には、原則は「自己責任」であることを認識してもらうしかないのです。

こうした背景により、「自己責任」論が確立されているのです。国民は、政府から守られる権利がありますが、公共の福祉に従うことや、政府の政策を擁護する責任もあります。

日本国民として海外に赴任する、あるいは旅行する上で、なるべく政府に迷惑をかけてはならないことは当たり前の常識であり、そのことを、政治的案件と結びつけるのも短絡的であると考えます。

一部邦人の行動が全体の公共サービスを低下させる

私のバングラデシュでの勤務時代のことです。1994年から95年にかけて任国の政治情勢が悪化したため、3カ月以上に及ぶ「渡航注意喚起」を継続的に発出していました。本省に対しては、一段上の「渡航自粛勧告」への引き上げも要請しましたが、これは発出されませんでした。

現地在住の邦人に対しては毎日定時に治安情報や安全対策情報を提供し、緊急連絡網を整備し、安否確認を行いました。この際における邦人安全対策においては、できるだけ自主的に日本への帰国や第三国への出国を奨励して、現地の在住の邦人数を減少することがキモとなります。なぜならば、政府専用機による出国などの最終想定で退避できる出国者数を限られているからです。

このような最終的なオペレーションを念頭に、現地の情勢変化を日々判断して、邦人安全対策の措置を検討します。だから、現地大使館としては邦人に対して不用な入国は控えてほしいわけです。

しかし、「渡航注意喚起」にもかかわらず、一部の邦人旅行者や自営業者などの何人かは確実に入国していました。 それら邦人は、ホテルなどを利用するよりも、簡易なゲストハウスに宿泊・滞在するために、安全対策情報を如何にして提供するのかを思案しました。その時に、渡航注意喚起などがいかに無力なものかということを、つくづく感じました。

こうした状況下、邦人からのトラブルの通報を受けました。「それ見たことか」というわけにはいきません。公的機関は日本国民に対してひとしくサービスを提供しなければなりません。しかし、自らの恣意的な使命感、冒険的、野心的なかれられた一部邦人の予期しない事件が起きれば、全体としての公的サービスは低下してしまうのです。

安田氏に対するバッシングの背景

今回の安田氏の拉致及び解放事件は、残念ながら利敵行為になってしまいました。だから、税金を支払い公的サービスを受益する権利がある国民は、「結果的に自分たちに不利益が生じた」と主張する権利もあります。

つまり、日本国民が「やさいしくないとか思いやりがない」などの議論はさておき、政府のさいさんの警告に反して行動して、予想どおりに拘束された安田氏に対して「自己責任」論を主張することは特段に不思議な現象ではないと考えます。

民主主義とはなにか

むしろ、それを「未熟な民主主義である!」などと報じる、上述のコメンテーターや、民主主義を大上段に構えて自らの主義主張をとなえる、一部のマスメディアに対して、筆者は異常性を感じます。

一部のマスメディアは、自らが民主主義の“番人”かのように「民主主義」を連呼しますが、ここで「民主主義とは何か?」、この美名の背後に存在するものを冷静に考えてみる必要があります。ちなみに朝鮮民主主義人民共和国も「民主主義」をかたっています。

筆者は今回のマスメディアの主張に対して、次のような疑問を改めて思い起こしました。◇そもそも民主主義に未熟、成熟はあるのか? 本当に欧米の民主主義が理想なのか?ほんとうに絶対無比の民主主義の理想はあるのか?

◇中国は民主主義ではないから崩壊するという仮説は正しいのか?民族、文化、国家体制の実情に即したさまざまなな形があるではないか?日本には日本独自の民主主義があり、それを欧米と短絡的に比較することはいかがなものか?

◇マスメディアが主張する民主主義とは政府などの権力機構を監視することに矮小化されていないか?民主主義は国民優先の原則であり、国民の自由なさまざまな発言を容認する“懐の深さ”こそが民主主義ではないのか?

マスメディアの役割

ここ最近まで、マスメディアはスーパー的な存在であったと考えます。マスメディアが時の権力構造の腐敗を暴き、社会正義を保持した功績は大であったと思います。

他方で一部のマスメディアが誤った歴史認識を国内外に流布して国益に重大な損害を与えたり、捏造記事に手を染めて視聴率を稼いだ歴史もあります。

こうしたマスメディアによる“光と影”がほぼ独占的に横行したのは、ほとんどの国民が情報発信の手段をまったく持っていなかったからです。しかし、IT化が進展した今日、マスメディアは、権力を監視して、世論を形成する絶対無比の存在でありません。つまり、一般人の無知を愚弄するかのような驕り、恣意的な判断の下での報道はもはや許されません。

マスメディアが誤った報道をすれば、たちまちSNSやブログでのバッシングを起こります。上述のようなコメンティターの発言に対しても、ただちに反撃が展開され、それが増幅され、一つの力を形成します。

安田氏の事件で生起したバッシングに対して、一部のマスメディアは「日本で起きているバッシングは信じられない」といった欧米のメディア人のコメントを引き合いにして、わが国の異常性を浮き彫りにしようとしています。

しかし、“虎の威を借る“ような方法で、自分たちの主張にとって都合の良い情報だけをを使って、民衆の無知に付けこむかのようなな、旧態依然のやり方では、たちまちSNSやブログバッシングの反撃が起こるでしょう。

マスメディアが、これまでのような特権意識に立ち、民主主義や社会正義を振りかざし、“社会の権力悪”と戦っていることを自尊しているならば、ますます国民はメディアから離れていくと思います。

ジャーナリズムに求められる質の高さ

今回の安田氏が自ら紛争地帯に入って拘束されたことを非難する声の背景には、「シリアについての情報なんか、自分の人生や生活に関係ない、特に興味もない」という多数派の意見が根底にあります。

他方で、わが国のジャーナリストが危険な現地に行かなくても、わが国のマスメディアが報道しなくても、CNNなどがほぼ十分すぎることは報道してくれる点も見逃せません。おそらく国民の知的ニーズとしては、それで十分満足なのです。

もちろん、わが国が他国に依存しない情報収集力や取材力を持つことの重要性を否定はしません。また、紛争地域に命を懸けて潜入し、渾身のルポ記事を書くことが必要ないとはいいません。多くの日本人も、このような懇親ルポが発表されれば、日本人として誇りに思うし、感動するでしょう。

しかしもう一度繰り返しますが、危険地域での取材や情報活動は非常に困難である一方、 人工衛星、インターネットなどがIT技術が発達するなか、国際社会におけるさまざま場所と領域における有力情報を入手できる可能性は高まっています。そして、これらのオシント(公的情報)をしっかりとウォッチしておけば相当なことは分かります。

それでも、マスメディアやジャーナリストが、「日本人にとって、現地に行って密着した取材によって得た情報が必要だ!」「危険をおかして、日本に対して不利益をもたらす可能性を差し引いても現地情報が必要なのだ!」というのであるならば、そのことを国民に対して真摯に説明して理解を得る必要があるのではないでしょうか?

そのためには成果の積み上げが必要となります。 それがなくして「日本人は世界のことを知るべきだ」的な発見は、まさに“上から目線”のマスメディアの自己擁護論と主張の押しつけだと言わざるをえません。

諜報員が危険地域に潜入して、その行動が暴露されれば、おそらくニュースにもならずに殺害されてしまうでしょう。武装集団にとっては諜報員もジャーナリストも区別はつきません。危険地域におけるジャーナリストは諜報活動と同程程度の情勢判断と慎重な活動が求められます。 

かりに、諜報員のような訓練を受けていないジャーナリストが危険地域に潜入してすばらしい情報を入手したとしても、インテリジェンスの世界では、その情報はすぐには真実とはみなされません。そこには、「武装集団がその人物に対してメッセンジャーや広告塔としての価値を見出したからではないか?その情報は真実か?」などの信頼性評価の問題が生じます。

このように貴重な情報を得るということは様々な危険性に直面しています。現在のIT社会においてジャーナリズムが成果を挙げるためには、行き当たりばったりの“成果主義”に駆られることなく、十分な事前勉強を行い「何を明らかにすべき」「何が明らかにできるか」などを事前に検討する必要があります。

その上で事前準備、行動の慎重性などが過去以上に求められると考えます。つまり、たとえばシリアに行くジャーナリストであれば、知識一つをとっても中東専門家に負けないだけの事前勉強が必要になるということだと考えます。

“SNS・ブログメディア”はマスメディアの監視機構になれるか?

たしかにウェブ上にはさまざまな扇動的、差別的な発言があります。また、必ずしも“サイレントメジャー”の意見を反映するものではないとの批判もある意味正しいと思います。こうした一方でウエブ上には「群衆の叡智」を反映した秀逸な論評が多々見られます。一部のコメンテエイターの勉強不足を一刀両断するような鋭い見識があることに、筆者は驚きを隠せません。

今回の安田氏に対するSNSやブログ上でのバッシングに対して、一部のマスメディアが民主主義を掲げて攻撃したことから、ブーメランのようにメディアバッシングが生起しました。ここに、筆者はブログメディアが権力の監視機構として台頭しつつる状況を感じます。

これまで政府という権力集団を監視するのがマスメディアでした。今度は、そのマスメディアに対して国民、すなわち“SNS・ブログメディア”が監視する力を持ち始めたのです。これは、まさしく新しい変化です。

この“SNS・ブログメディア”が政府、マスメディアを監視する第三の勢力として成長するためには、国民が真摯に勉強する、ウソやデマを流さない、愛国心に立った意見を誠実に発信するなどを心がけて、さらに「群衆の叡智」を高める必要があります。

因果関係は意外なところに!

因果関係とは何か

物事を考える上では、因果関係という概念が重要となります。 たとえば、「Xが殺害された」という事象と、「YはXに恨みを持っていた」という関係は、原因と結果という因果関係の可能性があります。

つまり、「Xを殺害したのは誰か」という質問に対して、「Yが殺害した」という仮説を立て、それを立証するために、Yの殺害動機という証拠を探り、因果関係を立証することになります。

以前にこのブログ(「さくらももこさん、ご冥福をお祈りします」)で書きましたが、因果関係とよく似たもので相関関係という概念があります。

「AとBにはなんらかの関係がある」ことを「AとBは相関関係にある」といいます。 相関関係と因果関係はしばしば混用されます。しかし、相関関係は物事の将来を予測することも、現実の問題の原因を探ることもできません。

しかし、因果関係を探る重要な糸口を掴むことができます。 そのために相関関係から因果関係を立証することが重要なのです。

因果関係を立証する

相関関係から因果関係を立証するための手法は以下のとおりです。 ①相関関係にありそうな事象をアトランダムに列挙する。 ②列挙した事象のなかから、原因が先で結果が後であるという時系列的な関係がある事象に着目する。 ③その関係には別の原因が存在していないことを証明する。つまり、疑似相関でないことを証明する(下記参照)。

この際、AとBの2つの相関関係がある事象において①AがBが引き起こした、②BがAを引きこ起こした、③CがAとBを引き起こした、④AとBとの関係は単なる偶然である。以上の4つの関係を考察する必要があります。

ここで疑似相関には注意が必要です。上述の③が疑似相関に当たります。たとえば、アイスクリームの売り上げと、クーラーの売り上げは連動しています。しかし、 アイスクリームがクーラーの売り上げに影響を与えるのではありません。実は、 これは夏の暑さという別の要因が関係しています。

因果関係は意外なところにある

真の因果関係を見つけ出せない原因を探りますと、想像力の欠如や思い込みがしばしば原因となってり有力な仮説が立てられていないことが多々あります。

1990年代初頭の米国の事例をあげましょう。当時の米国では過去10年間、犯罪を増える一方でありました。専門家は、今後はこれよりも状況は悪くなると予測しました。しかし、実際には犯罪が増え続けるどころかぎゃくに減り始めてしまったのです。すなわち、未来予測を誤ってしまったのです。

「なぜ犯罪率は減ったのか?」という質問に対して、「割れ窓理論」に基づく警察力の増加や厳罰化、銃規制、高景気による犯罪の減少などの仮説があがりました。 しかし、そのような対策を行っていないところでも犯罪は減ったのです。

そこで調査したところ、予想もしなかった因果関係が明らかになったのです。それは「中絶の合法化」でした。 この因果関係を簡略化して示すと次のとおりです。貧しい家庭→未婚の女性の妊娠・出産が増加→貧困による子育て放棄、虐待、教育放棄→未成年者が犯罪予備軍→犯罪の増加でした。

当時の米国では長らく妊娠中絶は違法でした。 しかし、米国では1960年以降、性の解放の観点から、シングルマザーや中絶も1つの選択肢とされました。そして、歴史的に有名な1973年の「ロー対ウェイド判決」で、最高裁は7対2で憲法第14条に基づき、中絶禁止を憲法違反であると判定しました。 すなわち人工中絶法が設定されたのです。

つまり、この時期以降、貧しい未婚家庭に育った妊娠女性が子供を産まなかっくてもよくなったのです。その結果、1990年代に若者の犯罪予備軍が減り、犯罪率が減り始めたのです。

人工中絶法を巡る米国社会

しかし、それで人工中絶が米国社会から容認されたか、というとそうではありません。上記の人工中絶が犯罪率を低下させるという事実が分かったことで、ぎゃくに人工中絶がクローズアップされ、それに対する反対運動が起こりました。その結果、1990年代以降、ふたたび人工中絶の数は減っていきました。

今日、米国社会は、人工中絶を認める判定の逆方向に向かっている傾向があります。

最近では、全米で州レベルでの中絶禁止法案が 記録的な勢いで 通過しています。宗教の権利に基づき、女性の選択の権利を制限した6月30日のホビー・ロビーおよびコネストガ・ウッドの聴聞での最高裁の判定はその極端な例です。

キリスト教信者の人口層が多い米国は、社会の隅々で宗教団体が著しい影響を与えています。特に女性の避妊や中絶に関して、政治家も様々な角度から影響を及ぼしています。

トランプ米大統領は、選挙戦で人工妊娠中絶をした女性には「何らかの形で罰があるべきだ」と発言して、他の候補者たちから非難の声が上がり、同氏は発言を事実上、撤回しました。

一方、 このような社会の変化に反応し、選択の権利を主張する女性の声も高いようです。 カリフォルニアなどでは、中絶へのアクセスを拡大するため、7年ぶりの新しい州法を制定しました。

NHK連続テレビ小説 『半分、青い。』から「マザーズ」へ

NHK連続テレビ小説『半分、青い。』が終了してしばらくたちましたが、筆者はこれの“ネタバレ” をネット上で探していて、ある記事に辿りつきました。

このドラマでは、主人公の鈴愛(永野芽郁)が癌になった母・晴(はる、松雪泰子)のため、幼馴染の律(りつ、佐藤健)はなき母・和子(わこ、原田知世)に何もしてあげられなかったことから、“そよ風の扇風機”を発明し、その名前を「マザー」と命名します。

二人の母親への感謝と愛情が一杯つまったすばらしい作品でした。

一方、中京テレビ報道局が2011年から7年にわたり取材・放送してきたドキュメンタリーが「マザーズ」です。筆者は「マザー」から「マザーズ」に行きついたわけです。

マザーズの記事を引用

「マザーズ」 の記事を引用します。

「予期しない妊娠に直面したとき、あなたはどんな選択をするでしょうか。 厚生労働省のデータによると、1年間に行われる人工妊娠中絶の件数は16万8015件(平成28年度)。「育てられない」多くの命がある、残酷な現状です。

その一方で、「中絶はできない」と揺らぐ女性たちもいます。 病院のベッドに横たわる、お腹の大きな少女。中学2年生の綾香さん、14歳です(仮名・年齢は取材当時)。綾香さんのお腹の中には、出産間近の新しい命が宿っていました。 若くして母となった綾香さん。お腹の赤ちゃんの父親も、同じ中学生でした。

予期せぬ妊娠や病気、経済的な困窮で子どもを育てられない、子どもを虐待してしまうなど、様々な事情により、実の親による子どもの養育が難しいことがあります。そのようなとき、実の親に代わって、温かい家庭環境の中で子どもを健やかに育てるために、特別養子縁組や里親などの制度があります。」

特別養子縁組に注目

生みたくても産めない人、積極的に社会進出したいために子供を持つことを選択しない人、誤って妊娠して人工妊娠中絶をする人、人はそれぞれさまざまです。

残念ながら、シングルマザーズによる子育ては社会に良い面ばかりをもたらしません。しかし、わが国が少子高齢化に向かうなか、 子供は国家成長の礎であり、国の宝なのです。このことを正面から向き合ってみることが重要です。

少子高齢化の対策には、外国人労働者への入国拡大、定年の延長、AI社会への発展など、さまざま健闘されいます。一方で「育てられない」ということと、「子供ほしい」という両者の条件を、完全には程遠いとはいえ、充たすものが特別養子縁組や里親の制度 ということになるのでしょう。

シングルマーザーズに対する社会支援を充実させる一方で、特別養子縁組なと゛の制度強化に注目する必要はおおいにありそうです。

貴乃花親方の引退

インテリジェンスの視点から考察する

平成の大横綱、貴乃花引退

最近のビッグニュースの一つが貴乃花親方の引退騒ぎです。貴乃花は平成の大横綱であり、相撲界の大変な功労者です。世間には衝撃と無念さが走っています。

そもそも、今回の争議の発端は昨年10月の日馬富士暴行事件にさかのぼります。貴乃花部屋の力士である貴ノ岩が、横綱の日馬富士から暴行を受けました。この事件に対し、貴乃花親方は相撲協会ではなく、警察に届け出ました。 貴乃花としては、警察にゆだねなければ、事件がうやむやにされると判断したのでしょう。

他方、相撲協会側としては、事件を調査して公表する立場にありました。しかし、貴乃花親方が相撲協会と貴ノ岩の面会を認めないなど、調査には断固として応じませんでした。

相撲協会側は、「巡業中の事件である。相撲協会の一員であり、しかも巡業部長であった貴乃花が相撲協会に事件を報告するのは当たり前だ」などと論じました。

両者の対立が深まり、相撲協会は貴乃花親方を処分し、日馬富士は引退に追い込まれました。

理事長選挙で敗北

こうした対立が続くなか、本年2月、今後の角界を大きく左右する相撲協会の理事選の選挙が行われました。貴乃花一門は、貴乃花親方が再出馬することに反対して、阿武松(おうのまつ)親方を立てました。

しかし、貴乃花は個人で理事選に出馬します。結局、獲得票はわずか2票で落選します。

その結果、貴乃花親方は本年6月に一門を返上し、無所属になりました。一方、理事に当選した 阿武松親方は8人のグループ (阿武松グループ) を形成しました。

これで、5つの一門と、一つのグループ、そして無所属が貴乃花親方含む4人となったのです。

貴乃花親方、一兵卒からやり直す

貴乃花親方は本年3月に内閣府へ「日馬富士の事件で相撲協会が適切な調査を行わなかった」旨の告発状を提出しました。ここに、いったんは両者の政治闘争の幕が切って落とされたのです。

しかし、ここで想定外のことが起きました。貴乃花部屋の力士である貴公俊(たかよしとし)が付き人に暴力を加えたのです。

この時、すでに日馬富士は暴力事件の責任を取る形で引退しています。だから暴力を振った貴公俊も退職するのが筋ということになります。

貴乃花親方は 貴公俊に相撲を取らせていた一心で 告発状を取り下げました。つまり、貴乃花親方は相撲協会に許しを乞うたわけです。

貴乃花は理事から5階級下の年寄に降格し(理事、副理事、役員待遇、委員、主任、年寄)、「一兵卒からやり直す」と称して、相撲協会の審判部に所属してその職務に精励していました。

貴乃花、引退届を提出

しかしながら、相撲協会と貴乃花親方の対立は完全解決には至らず、水面下でくすぶっていました。

9月25日、貴乃花親方は相撲協会に引退届を提出し、都内で記者会見をしました。年寄を引退し、所属力士は千賀ノ浦部屋に所属先を変更するというものです。

これは突然の事態というわけではありません。といういのは、マスコミが「相撲協会が親方はすべていずれかの一門に入らなければならないこと決定した。その期限が9月27日になっている」などと報道していました。また、すでに 阿武松グループの8人と無所属の3人は二所ノ関一門などに所属していました。

そして、唯一所属先が未定となった貴乃花親方は9月22日、「所属先はどうするのか」という報道陣の質問に対し「それは答えられないです」と発言していました。さらにマスコミは、貴乃花親方の所属先が決まらなければ、厳罰や部屋の取り潰しなどの可能性を示唆していました。

つまり、マスコミやわれわれも貴乃花親方の去就に注目していましたし、貴乃花親方がこの理事会の決定に従わなければ厳罰がある可能性を認識していたのです。

相撲協会もこうした動向はすべて承知しつつ、貴乃花親方の次なる行動を注視していたわけです。

圧力があったと旨を主張する貴乃花

貴乃花親方の引退の理由は、相撲協会から「告発状は事実無根な理由に基づいてなされたもの」と結論付けられた揚げ句、これを認めないと親方を廃業せざるを得ないなど有形・無形の要請(圧力)を受けたというものです。

貴乃花親方によれば8月7日、相撲協会から依頼された外部の弁護士の見解を踏まえたという、 「告発状は事実無根な理由に基づいてなされたもの」との文書での書面が届けられたようです。

これに対し、貴乃花は告発状の内容は事実無根でないことを説明したが、上述のような有形・無形の要請があったということのようです。

貴乃花親方の主張の要点は次のとおりです。

相撲協会はすべての親方は一門のいずれかに所属しなければならず、一門に所属しない親方は部屋を持つことができない旨の決定がなされたようだ。

自分は一門に所属していないので、このままだと廃業になる。

一門に入るよう説得は受けたが、同時にいずれかの一門に入る条件として、告発状の内容は事実無根な理由に基づいてなされたものであると認めるよう要請(圧力)を受けた。

しかし、自分は真実を曲げて、告発は事実無根だと認めることはできない。だから引退届を提出した。

相撲協会側は圧力を否定

これに対して相撲協会側が圧力の介在をまっこうから否定しました。これも周囲の予想通りの対応です。

ここで芝田山(元横綱・大乃国)広報部長が窓口に立ちます。

芝田山親方の言い分は次のとおりです。

7月末の理事会で全親方が5つある一門に所属するという決議をした。これは、予算使用の透明性など、相撲協会のガバナンスの強化が目的である。

告発状が事実無根であることを認めないと一門にいれないということわけではない。そういったことを言って貴乃花親方に圧力かけた事実はない。

一門に所属しない親方がやめなければならないという事実はない。

5月に貴乃花から3月の告発状のコピーの提出を受け、「間違っている点があれば指摘ほしい」との貴乃花親方の発言に応じて、相撲協会が顧問契約のない法律事務所に検証作業を依頼した。

(なお、貴乃花親方から同コピーを提出したのか、相撲協会から提出を要請されたのかかは明らかにされていませんが、相撲協会は全親方に貴乃花親方の告発状を全員に配布したとの報道が以前にありましたので、相撲協会側が提出を求めたものとみられます)

その検証を踏まえ、告発状の主張は「事実無根の理由に基づいてなされた」と貴乃花親方に書面で伝達した。なお、同書面には事実無根と認めるよう貴乃花親方に要請する表現は一切ない、

さらに、報道によれば、相撲協会の意向は 、9月27日に開かれる理事会の時点で、所属一門が未定の親方がいた場合は、その日の理事会で協議する。期間をとって一門への招請を調整するというものだったようです。

本当なのかどうかはわかりませんが、いささか後付けの印象を受けます。

世間には貴乃花親方の早合点を指摘する声があるが

一部には、貴乃花親方は思い込みが強いので相撲協会の対応を勝手に圧力だと誤解した」などの意見が出ています。

これには、貴乃花親方にまだ相撲協会に残ってほしいとの、幾分かの期待値がふくまれているのでしょうが、少なくとも貴乃花親方がありもしない圧力を圧力だと誤解した、早合点したなどは、ありえないことだと考えます。

相撲協会が、貴乃花親方を相撲協会から排除しようとまでは考えていたかどうかはわかりません。しかし、相撲協会の内部において、「反協会派である貴乃花親方の行動を統制・牽制する必要がある。二度と勝手な行動はさせない」との意図があったと考えるのは極めて自然です。

「親方全員の一門所属制度」もガバナンスの強化というよりも、貴乃花親方の反協会的な行動をとらせないための措置であったと考えるほうがしっくりときます。

つまり、 8月に貴乃花親方に提出された「告発状は事実無根だった」との通知は、9月27日までに一門に所属しなければならないとの決定事項とセットであり、いわば「告発状は事実無根だ」と認めることが一門に所属するための“免罪符”であったとみられます。

すなわち、圧力は存在したと考えます。

誰が圧力を掛けたのか

親方全員が一門に入らなければならないということも、文書で通知されたわけでくなく、理事を通じての口頭伝達で行われたようです。相撲協会の言い分では、こうした決定事項は文書で行わないのが慣例なのだそうです。

おそらく貴乃花親方に対しての伝達は、以前に貴乃花一門であった阿武松理事を通じておこなわれたのでしょう。その際、 阿武松親方は貴乃花親方に一門に入るよう真摯に説得を試みたのでしょう。

この際、 阿武松親方 は圧力を掛ける気持ちはなかったと考えます。

ただし、他の理事が間接的に阿武松親方 に対し、貴乃花親方が一門に入るための条件として、「告発状は事実無根であった」ことを認めさせるよう要請した可能性は否定できません。

阿武松親方自信も親方業を続ける、さらに理事として残るために二所ノ関一門に所属しました。そのような立場にあった 阿武松親方が、「貴乃花さん、あなたも一門に入って一緒にやっていこうよう。ただし、一門に入るためには、告発状は事実無根だったと認めないと、一門の他の親方衆はなかなか受け入れてくれるないよ」くらいのことは言った可能性はあると判断します。

無論、芝田山親方が言うように相撲協会が表面的に圧力を掛けた形跡はありません。しかし、これは貴乃花親方に不満を持つ理事や親方衆が生み出した組織全体の暗黙の圧力だといえます。そもそも圧力というものは、無言の圧力がもっとも多いのであり、もっとも効果があるのです。

貴乃花親方がこうした周囲の環境を有形・無形の圧力と認識し、それをもはや回避できない脅威であると感知して、「窮鼠猫をかむ」の言葉どおりの行動に出たのでしょう。

逃げ道が閉ざされた時に、圧力を掛けられた側は乾坤一擲に反撃にでます。それが、今回の相撲協会側と貴乃花親方の対立の縮図であると考えます。

暗黙知の世界で生きた貴乃花

暗黙知とは主観的で言語化することができない知識のことをいいます。言語化して説明可能な知識(形式知)に対する対比語です。

たとえば、歩行や自転車の乗り方は言葉では容易に説明できませんが、脳がその行動を知識として記憶しています。

最近では、暗黙知はビジネスの世界でよく使われる言葉です。徒弟制度のように体で技術を覚えるのではなく、マニュアル化できるものはマニュアル化する、すなわち形式知にすることが重要であるという文脈として使われることが多いようです。

相撲界の四股はまさに暗黙知であると思います。そして相撲界は全体は、明確な規則による定めや、理論的な解釈よりも、過去の伝統や経験に基づく暗黙知が組織全体を支配してきたと考えます。

貴乃花親方は15歳の頃から相撲界に入り、四股を中心に想像を絶する稽古を重ねて横綱になりました。 つまり、貴乃花親方自身も、暗黙知が支配する世界のなかで、経験や勘に基づく生き方や判断力を蓄えてきたのです。

情報分析の世界にもある暗黙知

情報分析の世界ではアルゴリズムとヒューリスティックという言葉が存在します。前者は、
「人間やコンピューターに仕事をさせる時の手順」の意味であり、一歩ずつ手順を経て解答を導き出す思考法です。論理的思考に該当します。

他方、ヒューリスティックは「自己の直感や洞察に基づき、複雑な問題に対する、完璧ではないがそれに近い回答をえる思考法」という意味で用いられています。これは、必ず正しい答えが導きだせるわけではありませんが、ある程度に近い答えを出せる方法です。思考法としては創造的あるいは直感的思考法に該当します。

ヒューリスティクは迅速に答えを導きだすことができますが、思い込みや心理的なバイアスが介在して誤判断することがあります。だから、ヒューリスティクはバイアスの排除に努力しなければなりません。

実は、このヒューリステイクは暗黙知と非常に類似しています。つまり、経験や勘を蓄えて身に着ける思考法です。

情報分析においてはアルゴリズムとヒューリスティクの併用が重要だといわれます。つまりアルゴリズムだけで、迅速に正しい判断ができません。さらに驚くべきは、実は、専門家や経験者によるヒューリステイクの方がアルゴリズムよりも正解率が高いといわれるのです。

貴乃花親方は誤判断だったのか

今回の貴乃花親方の決断は、9月場所終了後の短期間で行われたことから、ヒューリスティクの判断だったとみられます。

上述のように、その判断は誤解である場合もありますが、多くの場合は正しい場合が多いのです。貴乃花親方が、他の事項についてヒュリスティックによる直観的な判断をしたならば、それは誤判断の可能性が大いにあると言えます。

しかし、こと勝負の世界、争いごとの判断において、勝負師の貴乃花親方がそうそう誤解をするとは到底思われません。

これは、相撲協会と貴乃花親方の政治闘争です。つまり、勝負師として類まれな感性を持つ貴乃花親方が、ありもしない圧力を掛けられたと一方的に誤解して、早まって退職を決断したなどという見解は的外れです。

貴乃花親方は、この種の圧力はもはや通常の手段では回避できないと直観的に判断して引退を決意したのでしょう。結果として早まったのかもしませんが、この段階においての貴乃花親方の決断は、取り得る最善の判断であった可能性の方が高いのです。

相撲協会側には圧力の認識はなかったのか

そもそも相撲協会側が、自分達にマイナスになるようなことを言うはずはありません。たとえ圧力があったとしても、圧力はなかったというでしょう。しかし、文書や口頭での圧力をにおわせる具体的なものはなかったとしても、上述のとおり暗黙的な圧力はあったと考えます。

相撲協会側の方々も暗黙知の世界の人たちです。彼らも自然と戦いのやり方を身に着けています。反協会派である貴乃花親方から、最初に政治闘争は仕掛けられたのですから、相撲協会側は黙ってはおれません。

戦いにおいて、心理的な圧力を掛けるのは常套手段です。相撲協会側は、このことは十分に認識し、貴乃花親方の行動を心理的に縛っていったはずです。

つまり、無所属の親方をいずれかの一門に入れ、外堀を固め、所属先の未定が貴乃花親方一人なる状況を作為しました。その状況を好機とみなし、さらに貴乃花親方に心理的に圧力を掛けていくことを意図的に行った可能性があります。

相撲協会側には貴乃花親方を完全に排除する派と、貴乃花親方の勝手な行動を諌め、軍門に下らせる派が存在していると考えます。いずれにせよ、政治闘争が継続している限り、貴乃花は相撲協会の敵であるわけです。

ただし、相撲協会側の本当の敵が貴乃花親方であったのか、それとも相撲を愛してくれるファンであったのか、さらには将来を取り巻く相撲がどのような環境に遭遇するのかというという情勢判断については、相撲界という狭い暗黙知の世界で生きてきた方々には少し難問であるのかもしれません。

思い起こす「パールハーバー」

話しは少し飛びますが、今回の両者の対立には「パールハーバー」を思い起こします。太平洋戦争の口火となる真珠湾攻撃は、日本の開戦通告が攻撃開始後の40分後になったことから、アメリカは日本の“卑怯なだまし討ち”を喧伝しました。

しかし、ルーズベルトはすでに蒋介石軍を支援し、厳しい対日経済制裁を発動し、対日決戦を行う決意を固めていました。

実は、真珠湾攻撃以前にもアメリカはわが国を攻撃するという計画もありました。これは350機会のカーチス戦闘機、150機のロッキード・ハドソン爆撃機を使用し、木造住宅の多い日本民家を焼夷弾を使用して爆撃するというものです。

実際には、欧州戦線への爆撃機投入を優先したため、この計画が遅れて真珠本攻撃となったにすぎないのです。むしろ、卑怯なだまし討ちはアメリカが行っていたかもしれません。

日本は1931年の満州事変以降、欧米からの圧力を受けました。そして国連から脱退して孤立化します。アメリカから石油をはじめとする資源の供給を停止され、じりじりと追い込まれています。そして対米戦争を最終的に決定したのが「ハルノート」です。これが提出された翌日の11月26日、日本はアメリカとの交渉の打ち切りを決定しました。

日本にも非難される点は多々ありました。しかし、欧米による歴史的なアジア侵略、迫りくるロシアの脅威、資源の枯渇などから、やむなく大陸進出を選択し、 欧米列強からのアジアの開放を目指したのです。

そこには、自らの利益追求を目的にアジアに侵略した欧米よりも十分な正統性があったと考えます。

貴乃花親方は孤立化した日本であった

まさに今回の貴乃花親方は、当時の日本の状況であると思われます。

貴乃花親方の行動には批判される点が多々あります。 しかし、ガチンコ力士であった親方が八百長につながる馴れ合い所帯の体制の撤廃、暴力の追放などを柱とした、相撲改革を目指したことは間違っていたとはいえません。

ただし、急進改革を求めるあまり、他との協調性を欠き、孤立化し、相撲協会側との関係が深刻化しました。

貴乃花の今回の行動を、私はかつての日本の状況とだぶられせてしまい、無念な感情から抜け出せないのです。

姑息な印象を受ける相撲協会

一方の相撲協会側のやり方が間違っているとは、私は思っていません。いささか反協会派の貴乃花親方の包囲網の形成を焦った感はありますが、組織としてはむしろ当然の措置だったのでしょう。

しかしながら、外堀を固めながら、じりじりと貴乃花親方を追い込んでおきながら、最後にのところで貴乃花親方の想定外の行動を受けた。

そのため、「9月27日の時点で一門に所属していない親方がいたら話し合いをする予定だった」「一門は受け入れる予定であった」などとのマスコミ報道を使った弁明は、詭弁以外の何物でもありません。

さらには引退届けが正式でない、所属力士の移動届けにも瑕疵があるなどとの芝田山親方の発言です。 そして未だに退職届は受理していないので、9月27日の番付編成会議に出るべきであるとの見解を主張しています。

そして、同編成会議に出なかったことにマスコミは「無断欠席」と書き立てるのです。すでに貴乃花親方は明確に引退の意志を明確に表示し、その理由を相撲協会の圧力だと言っているのです。少なくとも、無断であるとはいえません。

なにゆえ、貴乃花親方一人だけが無所属で、全員の親方が一門に所属した状況の会議に参加できるというのでしょうか。それこそ、明確な圧力行為ではないでしょうか?

相撲協会のこうした言動は法律的にも適正とはいえません。また、これには、日本を戦略的に追い込んで起きながら、日本の卑怯なだまし討ちを喧伝して、開戦気運を盛り上げたアメリカのやり方と非常に似た、ずるさ、いやらしさを感じます。

つまり、相撲協会のやり方は、武士道精神の潔さがまったく感じられないのです。いささか姑息手段がすぎるように感じます。

双方に望むこと

今後の貴乃花親方も、敗戦した日本のように前途は多難なのでしょう。 でも、少年に相撲を教えて、相撲界を盛り上げたい、その言におおいに賛成です。

相撲協会はもはや枝葉末節にこだわらず、早々に貴乃花親方の引退を認めていただきたいと思います。そして、同親方の行動にも一理あることを認めて、是正できることに取り組んでいっていただきたいと思います。