▼戦略がビジネスの世界に浸透
世の中では、経営(競争)戦略、企業戦略などの用語が頻繁に紙面を賑わしています。ただし、戦略は言葉の言い回しからして、もともとは軍事用語です。
戦略の定義は諸説多く約200あるといわれています。この詳細はさておき、第二次世界大戦以前の共通した戦略の定義はおおむね軍事的要素に限られていました。 しかし第一次世界大戦以降、軍事力のみならず国家総力で戦争に応ずる必要性が認識されました。
一方で、戦禍の犠牲を最小限にするため軍備管理などの重要性が高まりました。このため、戦略は単なる戦場の兵法から国家の向かうべき方向性や対応策まで含む幅広い概念へと拡大するようになったのです。
戦争の様相の変化とともに、戦略も必然的に非軍事的要因、すなわち経済的・心理的・道徳的・政治的・技術的要因をより多く加味する必要がでてきました。
よって今日は、軍事戦略だけでなく国家戦略、外交戦略および経済戦略などの用語が定着するようになっています。つまり、戦略の概念は武力戦のみならず外交・経済・心理・技術などの非武力戦を包含したものに拡大したのです。
他方、ビジネス社会では20世紀になり企業が膨張・多角化し、競争がグローバルに拡大しました。そのため、「相手に勝つ」ことを本義とする軍事戦略が、経営に活用・応用されるようになり、それに伴い経営戦略などの造語が登場するようになりました。
21世紀に入り、グローバル化、メガコンペティション化、IT化などの急速な進展により、企業間の競争は一段と鮮烈化しています。さらに、ビジネスを取り巻く環境の変化が急速であり、新たなライバイ会社の登場や予想もしなかったような代替品の出現によって企業の存続が危ぶまれるといった事態が恒常化しています。
疾風怒涛の競争の中を優位な状況で勝ち抜き、新たな事業の展開をはかっていくためには、よりダイナミックな経営手法、積極果敢な戦略、機知を捉えた巧みな戦術が要求されています。
▼インテリジェンスの進化と拡大
軍事の領域で使用された戦略・戦術がビジネスの世界に普及・浸透するにつれて、軍事情報理論も逐次にビジネス界に浸透しつつあります。
軍事の領域では、早くから敵対国や戦場のことを先に知る、敵側の部隊、兵器の現在地を知るなど、すなわち情報優越の必要性が認識されてきました。いまから2500年前の戦略書である『孫子の兵法』では、すでに戦勝を獲得するための情報の重要性が説かれています。
他方、経済の世界において情報が大きな役割をもった最初の例は19世紀初頭のフランスのナポレオン時代にさかのぼります。
当時、ナポレオンはヨーロッパ大陸の征服を目指していました。一方、当時のヨーロッパ大陸で大きな権益を誇っていたのがイギリスです。
ナポレオンは1814年にプロシアに敗れ、地中海のエルバ島にいったん流されますが、島から脱出して再起をかけます。ナポレオンはフランス軍を率いてブリュセル郊外の「ワーテルローの戦い」でプロシアに決戦を挑みます。
この時、イギリスは工業力を背景にヨーロッパで大きな貿易取引をしていたので、ナポレオンが勝つか負けるかが最大の関心事でした。つまり、ナポレオンのフランス軍が勝てば、イギリスの欧州大陸における利権は一気に失われることになります。
当時、イギリスのロンドンに世界最大規模の証券取引所があり、そこでは国債が販売されていました。国債の価格はナポレオンが負ければ暴騰し、ナポレオンが勝てば暴落します。
そのため、投資家たちは、ロンドンからはるか離れた「ワーテルローの戦い」の勝敗を、固唾をのんで見守りました。つまり、この戦いの勝敗を告げる情報が決定的な力を持ったのです。
この時に情報をいち早く入手して、国債の価格を意図的に変動させて、大もうけした人物がいます。この人物がユダヤ系のロスチャイド家のネイサン・ロスチャイルドです。 ネイサンは欧州各国に展張した情報網を駆使してナポレオン敗退の情報を誰より早く的確に入手しました。これはイギリス政府が知るより、一日早い情報だったといわれています。
ナポレオンが負けたのだからイギリスの国債は上がります。だから国債を買えば儲かります。しかし、ネイサンは、ぎゃくに国債の売りに出ます。
これを見た他の投資家は、ネイサンの行動から「イギリスは負けた」「イギリス国債は大暴落する」と判断して、大量の国債が二束三文でたたき売られました。そこでネイサンはこの大暴落した国債を買い占めたのでした。
その後、証券取引所にも「ナポレオン敗北」のニュースが飛び込み、ネイサンの思惑どおりイギリス国債の価格は跳ね上がりました。こうしてネイサンは莫大な富を得ました。
この結果、世界各国で情報の力と重要性が認識され、情報処理技術が加速度的に進歩し、モールス信号や電話が開発されました。
さらに第一次、第二次世界大戦を経て、情報の収集・伝達手段がさらに高度になり、レーダーやコンピューターなどが発明されました。かくして情報力が戦勝を支配するようになりました。 また、これらの戦争を通じて、米国ではインフォメーションとインテリジェンスとの区別、インテリジェンス・サイクルなどの情報理論を確立していきました。
当時日本軍は、情報を収集することでは決して引けを取っていなかったのですが、インフォメーションをインテリジェンスに高める理論を欠いていました。戦後、自衛隊で情報教範の作成に従事する松本重夫は、このことが情報戦に敗北した原因との見方を提示しています。
なお、インフォメーションとインテリジェンスの意味について後述しますが、ここでは生情報がインフォメーション、インフォメーションを加工して作成した、戦略・戦術の立案や意思決定に直結する情報がインテリジェンスと理解しておいてください。
▼欧米ではビジネス・インテリジェンスが活性化
インテリジェンスは戦略などと同様に、本来は国家の組織が行う国家機能です。しかし、米国ではすでに1970年代に、それがビジネスの世界に取り入れられ、ビジネス・インテリジェンスの研究と企業における実践が開始されました。
この経緯については、北岡元著『ビジネス・インテリジェンス』に詳しく記述されていますが、ここでは他の資料も加味してその要点について紹介します。
1980年、マイケル・ポーターが『the study Competitive strategy(競争戦略)』を出版したことが、ビジネスの世界におけるCI(Competitive Intelligenceの略語)の源流となりました。なおCIは今日、競合インテリジェンスあるいは競合情報分析などと翻訳されています。
CIは、企業が企業間あるいは国際間での競争優位に立つことを目的としています。これは、単なる競合(ライバル)会社を分析するコンペティター分析ではありません。自社を取り巻く未来環境を把握し、そのなかで自社の勝ち目を見出すものです。 米CIAのOBであるジャン・ヘリングは「我々を取り巻く環境に対する知識と未来予想で、マネジメントの判断・行動の前提」と定義しています。
1985年、国家インテリジェンス組織で培われたノウハウが、ビジネスの世界に導入されました。この立役者がモトローラ社のCEOを務めたロバート・ガルバンと、前述のヘリングです。
1970年代当時、カルバンはモトローラ社のビジネスマンであり、「アメリカ大統領対外インテリジェンス諮問委員会」の委員を兼任していました。彼はCIAなど政府インテリジェンス組織のプロたちが、インフォメーションを収集し、分析してインテリジェンスを作り、未来を予想することで安全保障政策の立案・執行に役立てていることに注目しました。
1980年代になって、ガルバンはモトローラ社内で情報のプロたちによるインテリジェンス部門の立ち上げを提唱しました。当初、その提案に対する社内の反応は冷ややかでしたが、やっとのことでその提案が承認されます。そして、そのインテリジェンス部門の責任者として、ヘリングがモトローラ社にやってきました。それが1985年のことです。
1986年には、CIの専門家による協会であるSCIP(スキップ。競合情報専門家協会。Society of competitive Intelligence professionals)が、米国・バージニア州に設立されました。
1990年代には、同協会は会員数が6000名規模までに拡大し、米国のみならず、カナダ、イギリス、オーストラリアへとその範囲を拡大しました。なお、SCIPは2009年の金融危機により、他の組織と統合され、組織名も「Strategic & Competitive Intelligence Professionals」に変更されました。
1996年、レオナード・ファルド氏、ベン・ギラド氏、ジャン・ヘリング氏が、ACI(CIアカデミィー,「The Fuld-Gilad-Herring Academy of Competitive Intelligence(ACI)」をケンブリッジに設立しました。
CIアカデミーは、CI専門家を育成する機関ですが、近年ではCIアカデミーが行うプログラムの参加者の中に、CI部門以外のマネージャーの参加が増えてきたそうです。これは、企業全体のCI能力の向上が必要であるとの認識がビジネス界全体に芽生えていることの証拠です。
このように欧米諸国ではインテリジェンスをビジネスの世界に積極導入しています。そして企業内のCI能力を高めるための各種の啓蒙・普及活動にはめざましいものがあります。
▼わが国のビジネス・インテリジェンスの現状
残念ながら、わが国におけるビジネス・インテリジェンスは欧米に比して大いに遅れをとっているといわざるをえません。
2001年4月に前田健治元警視総監らによる「SCIP Japan」の設立を経て、2008年2月に「日本コンペティティブ・インテリジェンス学会」が発足しました。しかしながら、いまだに学問的研究が主体であり、CIの概念がビジネスの世界で普及したとは言い難い実情にあると思われます。
大企業においてインテリジェンス部門を設置したという話題も聞きませんし、政府組織の情報分析官が企業のインテリジェンス部門に採用されるといったケースは皆無でしょう。
これにはいくかの原因が考えられますが、筆者が思い当たるものは以下のようなものです。
第一に、政府情報組織におけるインテリジェンス理論や情報分析手法などが未確立であり、インテリジェンス要員の育成も未熟である。政治、経済といった複眼的思考から、現状分析、未来予測を行い、戦略設定や危機管理に対して助言できる人材が育っていない。したがって企業ニーズに応えられない。
第二に、ビジネス界では戦略・戦術、インテリジェンスなどの理論や本質が十分に理解されていない。企業全体としてインテリジェンスの重要性に対する認識が確立されていない。
第三に、わが国のビジネスパーソンは、安全保障への関心や、地政学的リスクに対する意識が希薄である。中国の海洋進出、北朝鮮の核ミサイル問題、米中貿易戦争関連のニュース報道は盛んに行われるが、それらの政治リスクが企業経営にどのような影響を及ぼすのかまでブレークダウンして考える気風がない。
上述した問題点を是正していくことは容易ではありません。ですが、まずは官民がインテリジェンスの基礎理論などについて共通の認識を持ち、その理論の活用などに関する知見をともに高めることが必要だと、筆者は考えています。