有事を巡る議論の視点 『2030年の戦争』小泉悠・山口亮著 <書評>評・上田篤盛(軍事アナリスト・元防衛省分析官) – 産経ニュース
『2030年の戦争』の書評が、3月16日付の『産経新聞』に掲載されました。お二人の専門家による対談形式で、非常にわかりやすく、示唆に富んだ内容でした。
私自身の書評はやや辛口ではありますが、情報分析の実務に携わってきた立場から、あえて以下のような視点で論じさせていただきました。すなわち、「2030年代の話だからまだ大丈夫だろう」とか、「グレーゾーンから段階的に起こるので予兆を把握できるはずだ」といった安心感は、むしろ危ういということです。
「奇を正とする者は、敵がその奇を意(おも)い、我が正を以て撃つ。正を奇とする者は、敵がその正を意い、我は奇を以て撃つ」という兵法の言葉があります。最近の中国による軍事演習は、確かに海上封鎖の実効性を検証するかのようにも見えますが、それは単なる訓練にとどまらず、政治的威嚇や戦略的牽制という側面を持っています。
そして、実際に台湾の独立意志を挫き、「統一」という国家意思を国内外で共有させるには、単なる海上封鎖ではなく、演習を装った奇襲的な直接侵攻という形を取る可能性も否定できません。
さらに言えば、必ずしも能動的な意志のみによって戦争が始まるわけではありません。米国の対台湾政策の変化や、中国国内の経済悪化に伴う求心力の低下といった要因が、中国の軍事能力が十分でない段階であっても、あえて侵攻を決断させる引き金となることも考えられます。
このように、多様なケースを想定しながら、防衛力の整備や国民保護の方策を講じていく必要があります。しかし同時に、「最悪のケース」を想定すればするほど、ではどこから整備を始めれば良いのかという問題にも直面します。
その意味で、グレーゾーン事態からの段階的なエスカレーションというシナリオは、現実的かつ有力な想定の一つです。それに基づいた備えは、確かに現実的な選択肢でしょう。しかし、歴史が繰り返し教えているのは、「起こるはずがない」と信じられていた事態こそが、突如として現実になるという皮肉な現実です。
ゆえに私たちは、「最も起こりそうな事態」だけでなく、「最も起きてほしくない事態」にも意識的に目を向け、そこから逆算して国家の備えを整えていくという、厳しくも冷静な思考が求められます。
戦争は、理屈で始まるとは限りません。意図しない衝突、追い詰められた指導者の判断、あるいは情報の誤認や誤算——そうした不確実性の中にこそ、最大のリスクが潜んでいるのです。
未来を予測することは重要です。しかし、それに安住することなく、不確実性そのものに備える胆力、そして情勢に応じて舵を切る柔軟性こそが、いま私たちの社会と国家に最も必要とされている資質なのではないでしょうか。
まず『2030年の戦争』の本を一つの視点として、台湾有事をぎろんしてみましょう。