米中関係の過去を振り返る

1月15日(金)のちょうど一年前、我が国で初のコロナ患者が発生しました。当時、2002年のSARSが発生してから終息するまで約半年かかったので、「コロナ禍も2020年夏頃まで続くだろう」などの予測がありました。しかし、これは今となっては楽観すぎました。現在も、コロナ禍の終着駅はいっこうに見えていません。コロナはSARSと同じく、中国を発症源とするウィルス性パンデミックですが、まったく同じではなかったいうことです。ここに類推思考(アナロジー思考)の難しさを感じます。

話はやや変わって、昨日(1月17日)のちょうど30年前(1991年)には湾岸戦争が開始されました。当時、今日のような米国の政治的混乱と中国の台頭を、いったい誰が予測できたでしょうか? つくづく未来予測の困難さを思い知らされます。

少し、過去を振り返ってみましょう。第二次世界大戦後の冷戦はまだまだ続くと見られていた1980年代中庸の頃です。ミハイル・ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任しました。ゴルバチョフ氏は改革(ペレストロイカ)と「新思考外交」を推進しました。アフガニスタン侵攻で疲弊した国内経済を立て直すために、国内体制改革と西側との関係改善に着手しました。これにより、アフガニスタンからのソ連軍の撤退、ブレジネフ・ドクトリンの撤廃、1887年の中距離核戦力全廃条約 (INF) の調印など行われました。

ゴルバチョフの改革の一つの柱が「グラスノスチ」(「情報公開 )です。ブレジネフ時代にはマスディアは共産党の統制下にありましたが、ゴルバチョフ氏はマスメディアに報道の自由を与え、それまで機密事項とされていた国家情報も軍事関係を含め公開しようとしました。

グラスノスチは 1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故で加速されました。なかなか関連情報が届かないことに業を煮やしたゴルバチョフは種々の国内問題は硬直化した体制にあると判断し、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化と民主化に乗り出しました。

ここから民主化の波が一挙に高まります。冷戦期の米ソの代理戦争となっていた世界各地の内戦が続々と終結し、東欧の民主化、ベルリンの壁崩壊を起こし、ついには冷戦が崩壊したのです。

東欧では、1980年代初頭からポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」が結成され、民主化の動きが見られていました。ポーランドでの旧政権失脚に続き、ハンガリーやチェコスロバキアでも旧政権が相次いで倒れ、1989年の夏には東ドイツ国民が西ドイツへこれらの国を経て大量脱出しました。

東ドイツは強硬手段で事態を抑え込もうとしましたが、この堰き止めに失敗し、政治・経済は崩壊状態に陥いりました。ついに1989年の11月9日にベルリンの壁が崩壊しました。ルーマニアでも革命が勃発し、チャウシェスク大統領夫妻が射殺され、共産党政権が倒されました。

この一連の東欧革命により同年12月、地中海のマルタ島で、ゴルバチョフ氏とジョージ・ブッシュ氏が会談し、冷戦の終結を宣言しました。

中国にも民主化の波が押し寄せました。1989年4月の「改革派」の胡耀邦元総書記の死亡を契機に、民主化グループが天安門広場に集まりました。同年5月、「改革派」のゴルバチョフ氏の訪中に向けて、さらに民主化運動をたかめようとしました。これに対し、鄧小平は軍隊出動による強硬措置で対処しました。つまり、中国に民主化の波は押し寄せたものの、民主化革命は失敗に終わりました。中国は西側から批判は浴びましたが、ソ連流ペレスストロイカやグラスノスチを警戒し、強硬手段を取ることで共産党体制の維持に成功しました。ここに現在の権威主義体制と自由・民主市議体制の対立の根源や、中国の執拗な情報統制の理由があります。

 

1990年代には、東欧革命、冷戦崩壊、天安門事件などの余波はいたん収まりましたが、2000年代初頭には再び東欧で「カラー革命」が起きます。さらに10年後の2010年代初頭には中東で「アラブの春」が起きます。そして最近では香港デモなど、民主化運動の波は収まることはなく、断続的に起きています。これら、民主化運動では、SNSを使ったデモ動員が注目されています。

民主化運動の背後には米CIAなどが水面下で関与していると中露は見ています。そして、依然として世界には中国共産党をはじめとする独裁政権が存在しつ続けています。ロシアでは共産主義体制は崩壊しましたが、プーチン大統領による独裁体制が強まっています。

これらの情勢を整理してみましょう。冷戦の勝者となった米国はリベラル・デモクラシー(民主主義)を推し進め、民主化革命により中国やロシアの台頭を阻止することを長期戦略としてきたように見られます。他方の中・ロは独自の権威主義体制を保持しようと懸命な抵抗をしてきたことがうかがえます。そして、今日の情勢から判断すれば、米国が目指す世界の自由・民主化はむしろ後退している状況にあります。

もう少し、米国視点で歴史を回顧してみましょう。1990年代の米国は、圧倒的な軍事力と経済力をもって、世界秩序を維持し、自由と民主主義の拡大を図っていました。1990年8月、イラクによるクウェートへ軍事侵攻しました(湾岸戦争)。この時にカダフィ政権の壊滅には至らず、一方では石油利権の支配などを目的にサウディなどに駐留しました。このことが、2001年の9.11事件や2003年のイラク戦争の引き金になりました。

湾岸戦争が極めて短期で終わり、1991年12月のソ連崩壊で、世界では「パクスアメリカーナ」いう楽観論が生まれました。つまり、米国の一強体制のもとで国際社会は協調的な関係に向かうかにみられました。しかし、ソ連の重石から解放された東欧では、ユーゴやルーマニアが内戦状態に至りました。またソマリア飢餓危機などの国際危機が増発しました。それでも米国は世界の警察官として、国際秩序の維持に関与しました。

 また欧州ではNATOの東方拡大が行われました。これは民主化の波を押し進めることで地域安全保障の強化を狙いとしました。ユーゴボスニアでは内戦が長期化し、1994年3月にNATOが初の武力行使に踏み切りました。また、セルビアにとどまったコソボ自治州では1990年代末期に内乱が激化し、セルビアによるコソボ弾圧が行われ、国連の和平を受け入れないユーゴ(セルビア)に対し、1999年2月にNATOが空爆に踏み切りました。

 1990年代の中露に目を向けてみましょう。中国は天安門事件後、西側からの民主化の動きを「硝煙のない戦争」「和平演変」と警戒し、独自の社会主義体制を維持しながら、経済では自由主義体制を目指しました。

 中国は湾岸戦争での米軍の軍事力の近代化レベルに驚愕し、軍近代化を目指しました。その途中の1996年に中台危機が起こりました。中国は台湾に対し軍事力を持って威嚇しました。これに対し、米国は空母2隻を台湾海峡に派遣して中国をけん制しました。この際、中国は〝なす術〟はなく、屈辱感を味わいました。このことが中国の空母保有を決断させた一要因との見方もあります。

 他方、ソ連崩壊後のロシアは政争に明け暮れ、その再生過程は遅延しました。エリティン政権の中に、新たに成立した新興財閥(オルガリヒ)が浸透しました。オルガリヒは、連邦レベルから地方レベルに至る政治家及び官僚機構との癒着によってその存在を拡大させていき、エネルギーとメディア支配し、政治をコントロールしました。エリティン政権はオルガリヒの影響を強く受けて主導権は停滞し、オルガリヒの背後には米国などの西側の影響力が増大していました。

 1990年代は地域紛争が頻発し、中露はそれぞれ分派勢力の台頭に直面していました。ただし、90年代の中露は世界秩序の維持に影響力を与える存在ではありませんでした。

 ところが、2000年代から様相がガラリと変わります。まず、2001年の9.11同時多発テロで米国はイスラムテロ組織(アルカイダ)という〝伏兵〟から奇襲攻撃を受けます。ここから、テロリズムとの戦いを標榜し、アフガン・イラク戦争に着手する中、国力衰退が始まります。これが2013年のオバマ米大統領の「米国は、世界の警察ではない」発言に至ります。

 中国は2001年にWTOに加盟します。このことが中国経済の飛躍の原動力となりました。世界経済のグローバル化の恩恵者となった中国は、2008年のリーマンショクでは国家主導の大型インフラ投資で「V字型回復」を成し遂げました。同時に北京オリンピックを成功させました。この時から鄧小平が掲げた「韜光養晦、有所作為」に別れを告げて、胡錦濤氏が「堅持韜光養晦、積極有所作為」を表明します。より積極的に世界に関与する姿勢を明確にしたのです。そして2010年にはGDP世界第2位に躍り出ました。成長した経済力が軍近代化の推進力となり、経済力と軍事力が対外積極戦略を生み出という連鎖構造が形成されました。ここから今日の米中対立の戦いの本格的火蓋が切られることになります。

 2012年に国家最高指導者となった習近平氏は国内での権威主義体制を強化します。対外面では2014年に「一帯一路」戦略を発表し、海洋への押出し拠点となる南シナ海への進出を強化しました。2015年には南シナ海上の人口島嶼を埋め立て軍事基地化を図りました。同年7月には「中国製造2025」を打ち出し、世界のAIやICT市場での優位性を獲得する意図を表明しました。なお、「中国製造2025」の最重視項目は次世代情報技術、とくに「5G」(次世代移動通信)です。

 ロシアは2000年にプーチン氏が大統領に就任した以降、民主化革命(カラー革命)との戦いを最重要課題とし「強いロシア」の復活を目指してきました。カラー革命により、いったんは、グルジア(ジョージア)およびウクライナには親米政権が誕生しましたが、ロシアは情報戦を主軸とするハイブリッド戦を展開して、グルジア親米政権を打倒しました。2014年にはウクライナから、黒海の進出口にあたる戦略要衝に位置するクリミアを奪還しました。

 このようなロシアを脅威とみた欧米は経済制裁を科します。このため、苦境に堕ちいたロシアは中国へ接近し、ここに欧米VS中ロという対立軸が顕著になりつつあります。このことは自由・民主主義を世界に普及するという米国の世界戦略の蹉跌と言えます。また、長期に及ぶ自由・民主主義と権威主義との対立構造の形成とも見られます。なお、ロシアの対中接近は、中国の軍近代に拍車をかけています。

 2016年、米国では「米国第一主義」を掲げるトランプ氏が大統領に就任します。この背後には、米オバマ民主党政権下で経済制裁を受けたロシアが共和党政権の誕生を水面下の画策したとの指摘もありますが、実は、トランプ政権誕生の影の〝功労者〟は中国であったかもしれません。経済グローバル化によって安価な中国商品の流入したことにより、白人労働者は職業を失われ、農産物の輸出減少によって貧困化しました。合わせて労働移民の流入が白人労働者の生活を重苦しくしています。だから、トランプ氏は移民流入に「NO」を突きつけ、中国からの輸出に関税をかけて、中国商品の流入をブロックしようとしたのです。

 これが顕在化したのが2018年からの米中貿易戦争です。ここには世界的な反グローロバリズムと、グロバリズムの恩恵者である中国との対立という構図が見られます。英国のブレグジットも反グローバリズムが生み出したと言えます。

 さらに香港問題によって権威主義vs自由・民主主義の対立が深刻化し、コロナ禍が発生した以降、米英連合さらにはファイブアイズvs中露という対立に発展しつつあります。

 米国は「中国製造2025」を米国の優位を奪う、重大な脅威と認識しています。米国政府により5Gを推進する中国ICT企業の世界市場からの締め出しという事象が起きています。つまり、米中貿易戦争はICTの主導権争いのでもあります。

 今回のコロナ禍が米中対立を深刻化させたことは間違いありません。さらに、米国主導による対中包囲網が拡大し、中立的であった独仏までもが対中包囲網に加わる動きを見せています。

ただし、米中対立の動きはコロナ禍以前、さらにはトランプ政権以前から起きています。すなわち、第二次オバマ政権からの流れが継続しているのです。このような歴史を踏まえて、バイデン新政権の誕生で米中を軸とする世界秩序に変化があるのかなどを予測する必要があります。しばし、米中の関連動向を注視したいと思います。

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